京都 通りの端から端まで歩く! #98&99革堂図子通と小町通 今は普通の住宅地 しかしかつては上京の中心地でした

今回の動画は2つの通りをご紹介します。
1つ目は革堂図子通、
京都の東西の通りで東の端(小川通)から西の端(油小路通)まで歩いた散歩動画です。
2つ目は小町通、
こちらは南北の通りで北の端(新武者小路通)から南の端(一条通)まで歩いた散歩動画です。
途中、地元目線での京都の街案内などをしておりますので是非ご覧下さい。
#京都 #散歩 #端から端まで

※日本語の字幕を付けています 多言語への翻訳はyoutubeの日本語から多言語への自動翻訳をご利用ください 翻訳文を付けられずすみません
※Japanese subtitles are included. For translations into other languages, please use YouTube’s automatic translation service from Japanese to other languages. Sorry for not being able to provide translations.

🕒 Time Stamps / 目次
0:34 ご挨拶と革堂図子通の説明 / Introduction & Explanation of Kodo-zushi-dori
0:44 革堂図子通の地図 / Map of Kodo-zushi-dori
1:15 革堂図子通の東の端の様子と名前の由来とこの辺りの歴史について / Eastern End of Kodo-zushi-dori, Origin of the Name & Local History
2:57 革堂図子通スタート / Start Walking on Kodo-zushi-dori
4:00 革堂図子通ゴールと革堂図子通の西の端の様子 / Goal: Western End of Kodo-zushi-dori
5:03 小町通の説明と地図 / Explanation & Map of Komachi-dori
5:38 小町通の北の端の様子 / Northern End of Komachi-dori
6:42 小町通の前にちょっと寄り道で素敵な公園を紹介 / A Quick Detour to a Lovely Park Before Komachi-dori
8:47 小町通スタート / Start Walking on Komachi-dori
8:56 小町通の名前の由来について / Origin of the Name “Komachi-dori”
10:07 小町通ゴールと小町通の南の端の様子 / Goal: Southern End of Komachi-dori
11:00 草紙洗小町の井戸はどこに? / Where is the Soshi-arai Komachi Well?
11:51 また寄り道 でもここ歴史が詰まってるよ / Another Detour: A Place Steeped in Rich History
13:13 もう一つ寄り道 ここも見所 / One More Detour: Another Must-See Spot
14:39 宮本武蔵と吉岡一門との決闘についての説 / The Theory of the Duel Between Miyamoto Musashi and the Yoshioka Clan
15:19 終わりのご挨拶 / Closing Remarks

📍 Spots & Links / 動画内に出てきた場所
 小川なかよし広場 / Ogawa Nakayoshi Hiroba Park (Google Maps)
  https://maps.app.goo.gl/7KE6Tqe4DiYYbZZe6
 革堂行願寺 / Kodo Gyogan-ji Temple (Official Website)
  https://kaudau.jp
 誓願寺 / Seigan-ji Temple (Official Website)
  https://www.fukakusa.or.jp
 百万遍知恩寺 / Hyakumanben Chion-ji Temple (Official Website)
  http://chionji.jp
 戻橋公園 / Modoribashi Park (Google Maps)
  https://maps.app.goo.gl/7T52jDhTyAJruPPM8
 小野小町双紙洗水遺跡 / Former Site of Ono no Komachi’s Paper-Washing Well (Google Maps)
  https://maps.app.goo.gl/5iWejJSiZGWmTzio7
 聚楽城 加藤清正邸跡 伝承地 / Traditional Site of Kato Kiyomasa’s Residence at Jurakudai Castle (Google Maps)
  https://maps.app.goo.gl/HnZrG5kfK9ga8G988
 一条戻橋 / Ichijo Modoribashi Bridge (Google Maps)
  https://maps.app.goo.gl/mwRFwGrvQeA7wvMo9

🎥革堂を紹介している動画 / Videos Featuring Kodo (Gyogan-ji)
 #41 竹屋町通 / Takeyamachi-dori Street
  https://youtu.be/pV91slDTX74
 #69 寺町通 / Teramachi-dori Street
  https://youtu.be/LfilZL99bOY
🎥誓願寺を紹介している動画 / Videos Featuring Seigan-ji
 #61 六角通 / Rokkaku-dori Street
  https://youtu.be/0Xp7jw5h0_4
 #69 寺町通 / Teramachi-dori Street
  https://youtu.be/LfilZL99bOY
 #70 元誓願寺通 (誓願寺は出てきません) / Motoseiganji-dori Street (Seigan-ji Temple does not appear)
  https://youtu.be/5KySoWeiDcc
🎥図子も辻子も同じ意味です / Both “Zushi” and “Tsujiko” Mean Alleyways
 #74 膏薬辻子 / Koyaku-tsujiko Alley
  https://youtu.be/JVWhyZRbkaw

  
革堂図子通(こうどうのずしどおり)
革堂図子通は京都市上京区にある東西の通り。
現在は静かな佇まいの住宅街となっていますが、
中世から戦国時代にかけてはこの場所に「革堂(行願寺)」があり、
上京の自治とコミュニティの中心地として機能していました。
豊臣秀吉の都市改造によって寺院が移転したのち、
その広大な跡地を切り開いて作られた、
京都の激動の歴史を今に伝える通りです。

小町通(こまちどおり)
小町通は京都市上京区にある南北の通り。
大通りである堀川通の一本東側にありながら静かな住宅街となっている。
通りの由来はその名の通り小野小町からで、
能の「草子洗小町」にて小野小町がライバルの大伴黒主の罠を
ここにあった名水で洗い流して罠を暴いたという井戸があったとされることから。
また宮本武蔵と決闘をしたという吉岡一門の道場も
この辺りにあったとされ一門との決闘の場もここではなかったかという説もある。

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8件のコメント

  1. 御所周辺から、西陣に至るまでの、この”境目”、変化を感じる場所で好きです。狭い通り、図子もこうやって残っていて、風情を感じますね。かつての子供たちの賑わいを想像してしまいます(この動画の終わりのように。)

  2. 洛中どまんなかの風情ある道ですね…短くても名が残り、由緒を遺すのは本当に素晴らしいですね✨
    京都ならではですね。

    藤原兼家(道長の父)の妻の一人である、道綱母。蜻蛉日記の作者ですが、
    彼女は中級貴族出身で、和歌の上手い人でした。

    兼家というのは面白い人で、なかなか合理的というか、せっかちというか、
    今の時代を生きていても面白いキャラで人気あるんじゃないかな。

    藤原北家のメインメンバーでしたから、どんな高貴な姫でも妻にできたはずなのですが、
    どうしたことか、兼家は「中級貴族」から妻を二人選びました。(他にもたくさん)

    正妻は時姫。この人は、中級貴族出身。道長・道兼・道隆や超子など2人の女御の母です。

    正妻レースに敗れた、はじめのころだけNo.2だったっぽいのが、道綱母。時姫の子供たちに比べ、
    道綱は一人っ子で、パッとしない子でした。

    兼家は、ある日、皇族が主催する宴に、この二人の妻も同伴します。道綱母は皇族にお目にかかるなど、
    大変晴れやかな一日を過ごします。この日が、彼女の栄華の絶頂期でした。

    この頃はまだ、兼家は本妻をどちらにするか決めかねていた時期でした。

    彼女の蜻蛉日記は、夫婦のなれそめから日々の出来事を色々と書いていますが、まずは大自慢からはじまります。

    都でときめく兼家様から、お声がかかって、私の親がおびえるほどの玉の輿だったのよ!

    あなたたちに、本物セレブの妻の生活っていうのを教えてあげようか?縁がないでしょ?

    …いきなりこれです。しんどそうな人でしょうw

    以下も、蜻蛉日記の内容です。続けます。

    なれそめはめっちゃ雑で風情がなくて、本当あの人の性格丸出しだったわ。

    普通は女房(女中)とかのコネを辿って、ひっそり恋文をよこして、字体や紙質・色や添えてある花とかでお互いの人柄を推測しながら、(いいとこの子はだいたい乳母や女中がはじめは代筆する 姫の自筆は最後まで出し惜しみする風習)、本人の筆かどうかも悩みながら考える、そのやり取りが楽しい、これが恋のはじまりの醍醐味なのに、
    あの人(兼家)は、馬に乗った騎馬武者に真昼間に、どんどんうちの家の玄関のドアを叩かせて、「開門!開門!」と突然叫ばせて、
    恋文を届けさせた。まったく、現金で夢も風情もあったもんじゃない。

    一方、実親はすっかりおびえて、私にこう言った。
    「兼家様は、天皇皇后につながる超一流の藤原氏の若君で、一方、お前の親である私は、藤原は藤原でもしたっぱの、吹けば飛ぶような藤原だ。あの方ににらまれたら、私など二度と京の都に戻れなくされてしまう。

    どうか、あのお方を怒らせないでおくれ、失礼なことを書かないでおくれ。どうか頼む。

    といって、両手をすり合わせて夫婦で私のことを伏し拝んでいる。こんな親いるだろうか?

    本当なら、「玉の輿過ぎたら飽きて捨てられるかもしれない。この縁談はやめさせよう。」などというのが娘を案じる、世の中の親というものではないのか?

    …こんな書き出しからはじまります。はい、これもスーパー玉の輿の自慢です。

    自慢げで鼻っ柱の強そうな文体が続きますが、この強情さは夫兼家にも向けられます。

    身分の高い貴族は、たくさん子供がいてなんぼです。医療もないのでよく亡くなるので、家を栄えさせるには子供の数は大事です。
    なので、高級貴族らしく、兼家はあちこちに彼女を作ります。

    とんでもない玉の輿だとわかっているなら、彼女もそれは多少はわきまえるべきでしたが(中世の風習)、
    そのたんびに、彼女はヒステリックになって、兼家が来ても家の門を閉ざして開けなかったり、たまに来た兼家に当たり散らしたり、
    一晩中無視して「岩木のごとく」一切口をきかなかったり、贈り物などを突き返したり。
    縫物(当時は既製服がないので、夫の服は妻が仕立てるしきたりで、裁縫が上手いと特に喜ばれた)を頼まれると、
    反物ごと突き返したり。兼家に新しい彼女が出来たと聞くと、その女を呪ったり。その女(町尻小路の女=現・新町通りに住んでいた)の産んだ子が亡くなると大喜びしたり……これやられたら、現代の男の子でも音を上げるだろうな、…というようなキツイ言動を続けます。

    ある時は、気に入らないことがあったので家を出て尼になる!と飛び出して、おどろいた兼家が迎えに来て、まだ年若い息子は、間に入ってオロオロと涙ぐんで途方に暮れる有様です。結局は、説得されて家に戻った(妻暮らしを続ける)のですが、彼女のヒステリー行動に、
    はじめの頃は機嫌を取ってはいたものの、兼家はどんどん疲れてきて、だんだん会いに来なくなります。

    こんな怖ろしい女の機嫌を取り続けなくても、本宅には温厚な正室がおり、たくさんの子女がおり、
    可愛い彼女もあちこちにいてそこの子供らとともに兼家を癒してくれます。

    そして、彼女が蜻蛉日記を書くころには、夫婦仲はもう終わっていました。

    兼家とは縁が切れて、息子の世話になる生活だけになっていたわけです。

    自分の強情で(…多分、自分だけが愛されたかった)夫婦の縁をダメにしてしまっても、

    惜しむどころか、やはり自慢をガンガン書き残したくなる、そういう性格の方だったようです。
    自分一人だけ愛されるは、ちょっとこの時代の高級貴族相手にはムリです。

    そこがやっぱり、中級貴族出身の感覚が田舎っぽいところかな…

    ああこれはしんどいな、と私が思ったのは、兼家が政治的に追い込んで失脚させた高松神明社の「源高明」ですが、
    クーデターが終わって高明の流罪が決まってすぐ、高明の正室の所に、道綱母はわざわざ文を送ります。

    地方に流されてお気の毒ね、くらいの内容ならまだしも、ですが、それを延々と長歌にして、
    これみよがしに自分の歌才をみせつけて、家が滅びて悲しんでいる高明室に送りつけたわけです。
    …なにこれ、イヤミ?って感じですよね。

    ところが、高明正室は、文使いが「兼家様の奥様から」とだけ告げて手紙を置いて行ったので、時姫のことだと思ったそうです。
    なので、返事を兼家本宅にいる時姫に送ります。

    ここで、時姫は賢い。自分は手紙なんか出してないのに、そのことには触れず、無難で温厚な、
    角の立たない内容の穏便な内容の手紙の返事を高明室に差し上げます。

    …おそらく、これが道綱母なら、「手紙なんか私送ってない!人違い!なにこれこの返事!私関係ない!あなたは失礼な!」
    ときついことを書いて、相手をガツンと傷つけていたでしょう。

    …そういう無難な気配りができるかどうか、穏便に人間関係回せるかどうかが、やはり、

    兼家が時姫を正室にした理由なんじゃないかな、と私は兼家を理解していますw

    奥さんがもめごとばっかり起こしたらたまらないですからね、現代人でも…

    兼家は合理的な人なので、気性が穏やかで角を立てないタイプの、子だくさんの時姫を正妻にして本宅において家を任せ、
    当時は詩歌が上手いと出世できる時代でしたので、宮中の歌会がある時は、事前に第2の妻である道綱母に課題を送って、
    ゴーストライターになってもらって、その歌を当日披露して、出世に役立てる、…と、非常に要領の良いことをやっていたわけです。

    これなら、二人とも取り柄?があるので、中級貴族の妻でも値打ちだと思われませんかw

    (続きます)

  3. こんばんは♪

    流石の京都、この短い通りにも歴史があるのだから益々京都が面白く興味ある街になります♪

    3月に晴明神社に行った時に戻り橋の下に降りて式神が居ないか?
    そんな事思ったりしてました😅

    遊歩道であっているか分かりませんが散歩するには良いコースだと思いましたよ!

    今日の山鉾巡行は雨が降らす良かったです♪
    録画していたので観てましたが迫力があります、但し暑いと対策して行かないと観ている人達も大変ですね😮

    来週は今年最後の京都旅を堪能させて頂きます♪

    動画ありがとうございました😊

  4. 動画UPありがとうございます!
    今回は短い通り二本立てですね。でもやっぱり歴史パンパン(笑)さすがです。
    上村松園の作品に小町のがあったような…あとで調べてみます。
    (追記 ありました、「草紙洗小町」お能から題材をとったようですね。小町のポーズが印象的で記憶に残っていました)
    現代ではすっかり普通の住宅地でも、いろんなエピソードがありますね。
    戻り橋公園は木陰が涼しそう。水の流れもあって、マイナスイオン浴びて休憩したいです。

    今日も暑かったですが、パンダさん大丈夫ですか?私はまた頭痛でぐったりでした。
    お互い無理せず行きましょう😊
    今日も楽しく拝見しました。ありがとうございました☀️☺️

  5. どちらの通りも短いですが、歴史を感じさせる通りですね。
    小町通りの南端が一条通りなのは何故なんでしょうかね

  6. お疲れ様です。
    有名な通りばかりではなくて、あまり知られていない通りを紹介していただけるので嬉しいです。

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