Share.

36件のコメント

  1. 当時のFSWはFISCOと呼ばれ、その運営会社は三菱地所。
    ここは本当に高圧的で横柄な人が多い会社だった、三菱の吹き溜まりと呼ばれて嫌われていた。
    いまはトヨタが買い取りコース改修も行いこの当時とは随分と変わった。富士のオフィシャルも世代交代して、少しは変わったかな。

    いまはレース環境も変化して、安全策も向上したけど、レースは危険なものというのは変わらない。レース運営やオフィシャルだけでなく、参加者も観客もそれは肝に命じて置かないといけない。

  2. 太田さん、鈴鹿のGCを観戦しました(88年)。
    あの事故でよく生きていた、と言っては語弊がありますが生きていてくれて良かった。
    小説「クラッシュ」も熟読しました、生きるよりも辛い時間を過ごされました。
    太田さんのおかげで今のSGTだけでなく国内レースにおいて安全面では当時と雲泥の差があります、訴訟についてもさぞ大変な苦労をされたと思います。
    真っ先に駆け付けて消火と救助活動をされた山路さん、太田さんと犬猿の仲だったのは知りませんでしたが誰であれ今そこにある生命の危機に誰よりも早く立ち向かったのは素晴らしいです。
    レースやイベント等でお会いしましたが本当にナイスガイでした、その山路さんは早逝されました…山路さんが居なければ太田さんはまず助からなかったでしょう、ありがとうございました。

  3. 1コーナー手前のスタンドで見てました
    もう最悪でしたね😢
    消化に中々来ないし
    マーシャルは何やってんだ⁉️とイライラして観てました
    初めて富士スピードウェイでの観戦でしたが鈴鹿ではあり得ない対応の遅さにビックリでした

  4. 折れそうになる時、いつも頭に太田さんの「クラッシュ」を思い出す。
    生きづらいとか生きてる意味がなどとあまっちょろい事感じてる時に是非読んで欲しい。
    読む事が苦手なら映像作品化されているので是非観て欲しい。

  5. 「クラッシュ」と「リバース」読みました。
    火だるまになっているまさにその瞬間黒いマントの男が現れて、優しく微笑んで「少し若いけれど君は濃い人生を送ったよ」と語りかけてきたのをはっきりと聞いたと言ってましたね。
    生と死の狭間にはそういう不思議なこともあるんだなと思いました。

  6. 太田の息子さんが面会に来たときに「この姿のパパは怖くないのか?」って聞いたら息子さんが「パパはパパだから!」って抱きしめたエピソード見たときは泣いた

  7. 他のドライバーやエントラントが必ずしも太田側につかなかったというのがレース界のムラ社会ぶりを物語ってるねえ。

  8. まあVICICの体質なんだろうね。本田耕介さんの企画力は素晴らしいと思うけど、レースの安全性に関してはおざなりにしていたところが多分にあったし、今もそれは引き継がれてる。

  9. タケヤリくんは元々ヤンキーだしね
    それはそれとして、彼は自分のレースを放棄してでも救助活動を行なったの本当に尊敬できる
    めちゃくちゃその後の話でも心配してたしね
    いい人は早く亡くなってしまうよね
    彼の7はどうなったんだろう
    あんなエゲツない改造した7
    亡き後どこかに売られてしまったんだろうか

  10. 日本一のフェラーリ使いが引退したきっかけ

    このシーズン(だったっけ❓️)谷川達也が負傷して
    富士のレスキュー対応の悪さに苛立ってチームメイトのドリキンが怒鳴り散らしたの

  11. お勧めに出てきたので反応しますが、当時ニュースで見てましたが、医者が道楽でフェラーリでレースして事故しただけと見てました。医者なら患者を救うのに集中して欲しいのに制度で優遇されて大金持ちになって。それでこの結果なだけ。運営を批判するのは違うでしょ。医者が好きなレースやって事故っただけな印象ですよ当時の一般大衆は。

  12. この日メインスタンドで見ていました。スタートゲートを通過するときスタートかと思った位ペースカー(33GTR)のスピード出ていました。

  13. この事故の動画はほんとうに見るに絶えない程。
    運営側は負傷者を助ける気など無く、
    山路さんが一生懸命消火しようとしていた。
    太田さんが黒焦げになったフェラーリから助け出された時も直ぐには搬送されず放置され
    黒焦げになった全身、ひざ立ちになりあたまを抱える様な仕草は今も頭から離れません。

Leave A Reply