石州犬と山陰柴〜柴犬探求vol.5〜柴犬系統の源流
こんにちはチコまろチャンネルです今回は 山陰地方の優秀なる小型県の産地の謎石中 権と山陰芝居についてお話しします今回も 古い書籍から小型日本県芝居犬の探求をし ていきますシリーズ第5弾になりますそれ ではまず戦後の古い書籍昭和26年の記述 です陰陽文献は愛犬の友編集部編犬の百貨 時点です山陰地方鳥取谷島根方面の犬は 通称石中権と呼ばれ一時は小型県の優秀 なる産地として歌われていた現在各地に 飼育されている小型県はこの血統を引く ものが多いのであるこれは日本県の小型県 の記述の一部ですがその詳細は次の書籍で 見ていきますでは続いて昭和28年の記述 です陰陽文献は先ほどと同じく愛犬の友 編集部編の日本県体感です小崎増三が執筆 した山陰小型県について見ていきます昭和 8年頃日本県の保存については東京に日本 件保存会ができて研究され日本件の保存の ために努力されていたしかし山陰道におい てはほとんどお構いなしで一部両をする人 が勝っているぐらいでありそれも野放同様 で帰り見る人はないというのも過言でない あり様であったただ島根県岩国の生まれで 東京在住の方が石州の犬のうち耳の立った 犬なればとのことでどしどし東京に送らせ ていた人があったのである当時東京におい てなかなか病室の日本件をご覧になった方 は思い出されることと思うそしてこの人に よって石中権として認められた一方で残念 なことに石中権は非常に産地には少なく なっていったのであるそこで昭和10年 前後頃より山陰各地に残存していた日本件 についての調査をしたのである山陰道は北 は日本海南は中国山脈により山陽動に接し 東西に細長く伸び特に南方の山は高く谷は 低く交通には非常に不便で岩美の国は鉄道 の開通も非常に遅れそのために日本件の 残存においては幸いであったと思う交通の 不便なことは調査にもまた非常に不便で あったので農事試験上の義者農会の義者小 学校の先生郵便配達不当の女力により調査 を始めたのだが血闘の文明したるものなど は生存しているはずはなかったしかしその 中より良質と思われる犬を譲り受け多い時 には数十等も飼育していたそれらを主旨 後輩して日本件特に山陰権とはこんなもの であったであろうと思われる犬を作り出し たのであるが昔の山陰権というものの実物 の標本がないのであるから顧文女とか苦に よったが私が参院権とはこんなものである と決定を下したものではないそれでは昭和 8年頃より昭和15年頃までの山陰各地の 日本件の残存状態を見ていきます場所が 分かりやすいように地図上で示していき
ますまず山陰道とは日本海側のこの7つの 両性国のの区分ですまずは兵庫県北部の 田島の国田島地方の犬についてですこの 地方には1匹も日本権らしいものは 見当たらなかったこれは純血の日本件だと 言って飼育しているものを見ても一件雑種 権と思われるもので耳は立っていても 大きく薄くペラペラしたもので非常に立ち 方が不安定であり鼻はほとんど赤色で特に ひもは長毛か非常に短毛でちょうど良い くらいのものは見当たらず毛色は赤と赤 白板のものでそれも数とぐらいなものであ 次は鳥取県の東部稲葉国の東側稲葉東部の 犬についてこの地方では血統の正しいもの は見当たらずそれらしい数筒ぐらいのもの も根拠が明らかであり1尺2寸より1尺5 寸ぐらいの非常に猛な赤色の犬で耳は薄く 大きいものであった次は同じく稲葉国の 南側稲南部の犬についてこの地方は鳥取 喧嘩でも量が盛んで熊涼さえも行われてい たその熊涼において当地方唯一の名剣と 言われるものがいたが白黒班で半耳だれの 雑種権であったまた赤毛や黒毛などストの 耳の立った犬がいたが耳は熱く外側に張り 地方人に稲葉県と呼ぶ人があったが昔は こんなものではなかったと思う続いて 同じく稲葉国の中央稲葉中部の犬について 特にこの地方には赤毛や白毛の犬で鳥取 喧嘩においては見るべき犬がおりしかも 大切に飼育されてその中には血闘について も注意を払ったものがあっ さらに日本件保存会の標準体系に近いもの も相当数あり第4回日本件保存会の本部店 において小型の雄が一石となり推奨権と なった力号は神戸村の量においては金村で 第一と自共に許す人がいた祖先が鳥取上下 にて下男をしていて既存の時に種族の飼 せるもを連れ帰り代々2両をなし後輩にも 十分位を用いて現在に及ぶという赤色で 小型にしてこの調査の中で最も血統のただ 敷物であったこのイラストは力号 です同人は犬のことに通じ長き経験によっ て得た犬段には得るところも多く特に感謝 した次第であったこの他に白毛の花倉と ごまの体型よき小型を連れ帰って飼育し 日本の理事にも見ていただき登録もした 鳥取県下においてはこの地方に日本権 らしきものが残存していて日本権としても 純血度の高いものと思われたため主として この地方の犬を飼育し研究をしたその後も この地方の犬は各に出ていき日歩の水晶権 ともなっているのであるさて続いては鳥取 県の中部と西部法規国の東南法規東南部の 犬について三沙温泉の南方の山中に非常に 交通が不便で兵家の残党ブラと言われる
広大盆地に中津というブラが30個あって 老健のメスのみが3等飼育されていた赤毛 で差しを小型にて同系統とのこなればその うちの1等を連れ帰り見たところ内外寄生 虫が猛烈にして見る影もなくしかし主 手当てしてみると相当に純血度の高いよう に思われたそれを3ヶ月ほど飼育したが 家人になれず目前では食事もせず終夜方向 して犬の板等を噛み破り途端さえも口から 血を流しても破り1度は急寸あまりの土壁 を破って中までの十の道を帰ったあまりに も聞かせと家人になれない性質が華々しく 飼育には困られると思いつつ参考権にもと 日本件保存会の本ブリジに送ったが着京の 日に逃げ去ってしまった続いて同じく規国 の青南法規聖南部の犬について大山地方は 山が深いけれどもあまり犬がいる様子も なく不思議に思って調べたが国平ごそ狼山 神社の奥屋の電脇に真下山神社がありて 渡辺テルアソンを祀るそのおいとして稲荷 様を祀るその稲荷様は犬がお嫌いとのこと で同地方の人々は昔から犬を買わず従って 犬が非常に少なく日本らしき犬さえも 見当たらなかった日野方面は下においても 人口がなく交通が不便で文化も一番遅れて おり従ってたぬき等が多く日本件のことを たぬき犬友里とは呼ぶくらいであった小型 と中間大向の犬が相当すいたが純血度は 非常に低く赤花が多くこれはと思われる ものは一等も見当たらなかった鳥取県下に 初めて耳だれの西洋権が入ったのは明治 245年頃であってその犬は県の役人に 連れて来られたものであったという続いて は島根県の東部出雲の国島出雲地方の犬に ついて日本においても清国と言われ日本 文化の最も古い国にて交通文化の早くより 明けたこの地方においては日本県の残存は 思わしくないように思われるが南部地方の 二田軍横田にて地産教信会が開催された時 に日本検定南海も同地方の有力な方々に よって行われておりその際の犬は中間の 対抗が多く赤毛やトゲ等の1尺2寸より1 尺5寸ぐらいまでの小さめの中型タイプで 相当に良質の犬もいたが地方の犬ではない とのことであったその少し良いと思われる ものは松江市足の出陣で岩見地方のもので あった結局東地方の犬としては良質の犬は 見受けられなかった最後に島根県の西部 岩美の国岩美の国地方の犬について石州権 と言われるものはこの岩の国の中部から 西部の三幹部に飼育せられたもので中軍箕 軍加軍の中国山脈地帯の交通の花不便な ところで山は高く急にして谷は深私も1度 は言ってみたがなかなか困難なため老を 多くしてこう少なきを思い土地の地人や小
学校の先生党の日本件に興味を持つ人々に 依頼し自転車などを貸与えなどして調査を 頼み良質の犬を入手した相当数を飼育し 研究してみたが良質の犬の数の多いことは 第一と思われたこの地方には対抗が1尺1 寸ぐらいより1尺6寸ぐらいまでの犬が 多く一しし5寸の赤毛黒駒トゲ等で いわゆる中間の対抗と言われる犬が買われ ていて中型の小さいものと小型の後輩は 自由であって別に中型と小型の区別は なかったと思われるそれでは次に山陰小型 日本件の誕生について見ていきますその 調査の結果から稲葉中央部の犬と岩美の国 の犬と飼育しているうちに数は少なくても 良質の点において相方の血を交えて両方の 長所を生かしたいと思ったのであるこの 両国の犬は各部について相対的に見ても差 はあまりなくまた太古から石中権と稲葉県 との区別はなく大体同じ地の犬であったの である昭和10年頃より稲葉の犬は弱味に はかなかったが石州の犬は飲酒にたくさん 持ちされた浜田市において時々天覧会が 開催され鳥取の愛犬家も多数行き病室の犬 を多数持って帰り関西総子部店や東京本部 店に出勤されたそして多数の推奨権となり 行為入賞によってますます山陰小型日本件 として全国各地の愛犬家の手にも飼育さ れるに至ったのである飼育者の増加と共に 熱心なる研究家もできて体型の良い犬も 次々にできたしかしちょうどその頃から 不幸にも勇し以来の大戦争となって日に日 に犬は少なくなりついに一時はほとんど犬 を見ることが困難となったその時鳥取県に 来臨された知事は若い文化的な稀らしい 人災であった山陰小型日本件の保存に努力 していることを知られわざわざ来訪されて 資料等について女力をしていただいてそれ で戦争を乗り切って研究権20等ばかりを 残すことができたのである戦後は次々に 出産して相当の数もできて地人にも犬を 飼育していただいていたしかし昭和26年 の春頃から昭和27年の夏にかけ ジステンパーの周期的大流行により私の 検者で生まれたものが20重スートを死亡 したが幸いにも戦時中に残した種犬のいく 種類かを残すことができてその後 ジステンパーの流行も終了したらしく現在 はほっと安心しているそんな山陰小型日本 件の現況について研究すればするほどよく わからなくなるような気がするしかし昨今 あちらこちらの展覧会に行っても山陰小型 日本件の血を引いたもの以外にこれはと 思うような小型県を見ることができないの を残念に思う戦前に石中権と呼ばれた小型 県も当時に地方へ持ち出されてその語育
分化残ったであろうと思われる犬も戦争中 に消えてしまい木下の岩道地法はほとんど 良質の犬が残存していないとの頼りさえ あるまた山中の家で話がいにされる犬と 都市の検者に買われる犬とは何かにつけて 変わってきているこのイラストは山陰小型 日本件です最後に著者の考える特徴につい て体型も性質も山陰小型日本件は素朴にし て可愛らしさのうちにしっかりしたところ があり耳は非常に小さく生まれ落ちると立 ちっぱなしであり一式にしてそ黒つめの犬 が良いように思う最後の記述は昭和33年 鳥取では鳥取系統があるかず飼育されて おり種犬としては立ち号があり関西の京阪 地方ににはこの系統に属するものが多いの である芝県全体を血統的に見るとローカル 的に固定したものはほとんどなく戦前の 島根さんの石号高知さんのコ号その子赤号 そしてそのラインブリードした光栄が残存 しており戦後にはこの系統を主体に使用さ れて山梨や長野では中号の系統が主体を なしている芝県全体で見ても山陰の系統が 期限となっています最後の引用文献は愛犬 の友車編の世界の犬日本の犬です それでは本日の山陰芝犬のまとめです石中 権と山陰芝についてまずは石中権岩見国に 分布していた石中権については戦前に当地 から持ち出されて減少し戦時に残っていた 犬たちもその姿を消していったことが 分かりました山陰小型日本県である通称 山陰芝は戦前に優秀な稲場県と石州権から 誕生して戦事家は鳥取県で生き残りその後 の系統につがったことが分かりました以上 本日の内容はいかがでしたでしょうかその 後についても機会があれば動画にしたいと 思いますこのシリーズはさらに芝を探求し ていきますそこで次回 予告岐阜小型県二についてまとめていき たいと思いますようやく地元の犬に たどり着きましたが何の予備知識もあり ませんこれもまた古い書籍をたどっていき ます小型日本県については山梨県や群馬県 にもいたはずなのですがその辺りの情報も ほとんどありませんのでそのも今後調べて いきます今年も世界の平和と人類皆が幸せ であることを願うチコまろチャンネルでし [音楽] た
今回は、柴犬探求第5弾、石州犬と山陰柴犬です(235)。古い書籍の記述から、謎を探ります。
参考文献
○愛犬の友編集部編「犬の百科事典」(誠文堂新光社、1951)
○愛犬の友編集部編「日本犬大観」(誠文堂新光社、1953)
○愛犬の友社編「世界の犬・日本の犬」(誠文堂新光社、1958)
2件のコメント
いつも動画UP楽しみにしてます。
これからも大変でしょうが編集頑張って下さい。
応援してます!
相変わらずこの時代の日本犬や純血への考え方は信仰というか、耳へのこだわり等もですが難は全て洋犬混血で片づけていますね。