【津波に流された電車、生き残った電車】仙石線・東名~野蒜の旧線を歩く|東日本大震災の記録【ゆっくり実況】

2011年3月11日、東日本を襲った未曾有の大震災。
あの時、海にほど近い野蒜駅付近には、2編成の仙石線の電車がいました。
大津波警報が発令され、一刻も早い避難が求められる中、
電車に乗っていた乗務員や乗客は、どのようにあの日を乗り越えたのでしょうか。
東名駅~野蒜駅の、仙石線線路跡を歩きながら見ていきます。

X:https://x.com/saikawa_e72_1

【タイムスケジュール】
0:00 現・東名駅を出発 ~E131系が増えた仙石線~
1:37 旧・東名駅 ~空き地とサイクリングロード~
3:01 亀岡トンネル ~補修された開業時からのトンネル~
3:43 205系M9編成 ~津波に流された電車~
5:21 KIBOTCHAと奥松島クラブハウス ~復興が進む線路跡~
6:44 旧・野蒜駅 ~あの日のまま残る駅のホーム~
8:48 おさとうやま ~私費で作られた、命を救った場所~
9:27 205系M16編成 ~丘の上で生き残った電車~
12:33 2015年からの仙石線 ~高架で旧線を越えてゆく~
13:10 エンディング ~大地震にどう備え、どう動くか~

【参考資料】
〇M9編成と野蒜小学校
河北新報「命運分けた停車位置」2011年5月12日
http://memory.ever.jp/tsunami/shogen_higasi-matusima.html
※リンク先は「東松島市を襲った大津波の証言」のページとなっています。サイト内で河北新報の記事を読むことができます。

東松島市「ひがしまつしまずかん – KIBOTCHA (キボッチャ)」
https://www.city.higashimatsushima.miyagi.jp/jikan/tomaru/kibotcha.html

〇奥松島クラブハウスについて
奥松島クラブハウス ホームページ
https://omch.jp/

〇「おさとうやま」について
公益財団法人 社会貢献支援財団「平成24年度 受賞者紹介 東日本大震災における貢献者表彰
 佐藤 善文」
https://www.fesco.or.jp/winner/h24/001.php

〇M16編成について
石巻かほく「仙石線 津波回避の205系「M16編成」、近く引退 当時の乗客、労ねぎらう」2025年12月5日
https://kahoku.news/articles/20251205khn000022.html

河北新報「津波を間一髪で免れた仙石線205系「奇跡の電車」が営業運転終える 保存望む声もあるが…」2026年2月17日
https://kahoku.news/articles/20260216khn000063.html

【使用BGM】(作者敬称略)
・kyaai – Stream
・騒音のない世界 – walkways
・ROOM841 – azure https://commons.nicovideo.jp/works/nc29145
・まんぼう二等兵 – Luculia

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27件のコメント

  1. M16すらいなくなってしまった……
    先頭1両でも先頭カットモデルでももうなんでもいいから保存して欲しい
    乗客を守ったヒーロー奇跡の電車は復興の象徴だから

  2. M16編成は絶対に保存したほうがいいと思う、やっぱりこの震災時の仙石線の話を聞くと震災は怖いなぁと思います、震災からちょっとあとに生まれましたが親は浪江町で被災してるので津波来るか怖っかっただろうなぁーぎりぎり来なかったから良かったけども、電車をぐちゃぐちゃにする程の威力だし

  3. 災害の恐ろしさも学べるけど、今の姿になるまでの経緯というか、「立ち上がる力」や「地域や災害と向き合う姿勢」が形になった廃線跡やなと。命や暮らしを奪われて辛いやろうに。地元を離れるという選択肢もあったやろうに。それでもここを整備して「新たな日常」と「災害の教訓や記録を伝える場所」を両方作った。東北民はウチより強く生きてる。

  4. 旧野蒜駅には一度行った。
    あの券売機見て涙が。
    あの時の当該の205、てっぱくかどこかに保存してもらうのが理想なんだけど、、、
    あ、先日郡山で205が重機のご飯になってるのを見ました。成仏?して欲しいと思いました。

  5. M9もあと少し進めたら浸水してないエリアにギリギリ行けた可能性もあったのかな…
    M16の車体やカットモデルが無理なら車番だけでも良いから残せないかな…
    震災後に生まれた子供でももう中3〜高校1になる年月が経っているのか…

  6. あの日から15年が間もなく経とうとしていることに驚くとともに、それだけ当時を知らない人も増えているのだろうと思います。
    当時は色々あって岡山にいたのですが、NHKで見た石巻市の映像は今でも鮮明に覚えています。
    大きくなり、仙石線に乗った際にも、ありとあらゆるものが新しく、あの日を境に大きく変わってしまったんだとさえ感じました。
    戦争は無くすことができるけど、災害は無くならない
    だからこそ、私たちが語り継いでいかなければいけないのかもしれません…

  7. 被災半年後 東松島市災害対策本部に
    仕事で行きました。野蒜駅は 被災されたままでした。

  8. M16がまだ小牛田駅にいるので先頭車だけでも保存して欲しいです。そしてもうこんな悲劇が起こらないことを祈るまでです、、

  9. 初見です。線路跡や駅の跡、資料館を見て震災の恐ろしさを改めて感じましたね。
    その中でもすごい奇跡があったなんて初めて知りました。
    東京に住んでいるので仙台の鉄道事情とか全然知らなかったのですが、仙石線205系の引退については、他の車両と同様にただ「ありがとう」と言って惜しむというよりも、震災を乗り越えてきた特別な列車だと思い感謝することが大事だと思えてきました…

  10. M16、まだ小牛田にいるらしいので、また3月11日から営業運転して、3月13日にラストランをして欲しいです…

  11. 自分も数日前キュンパス旅行の途中で夜でしたが軽く歩きました。防災に関わる身としてもM16編成は残して欲しいですね…

  12. M16編成の車掌さんと運転手さん、当時まだお若かったのですね。
    後のドキュメンタリーで仙台局のお偉いさんが、「よくぞあの若い2人が決断してくれた」と言っていたのを憶えています。

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