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32件のコメント

  1. 大垣に住んでたけど、JRで名古屋まで乗り換えなしで行けるので、わざわざ岐阜で降りようとは思わなかったな
    岐阜の下の方は名古屋のテレビ局が受信できるので、いろんな番組見れて嬉しいよね

  2. みんなちょっと調べればわかるネット情報ですね。 根本的原因は他にあります。 この程度のことだけが理由ではない。 関東や関西に同じ条件や、さらに衰退要因を持ちながら発展している街は多い。  まぁ、かつての岐阜はその中間にある街からすれば、名古屋も岐阜も買い物するには同等程度の発展具合で名古屋に見劣りしないと感じるほどだった。 要因は多々あるのです。

  3. ストロー効果という奴ですね。
    魅力的な地域と、ほとんどの部分で負けてる地域をつなげると、需要は魅力的な地域にチュウチュウ吸い取られてしまうという現象ですな。

  4. 岐阜は、路面電車がなくなってしまったのは残念
    確かに岐阜は名古屋の植民地だけどさ、
    あの古びた街並みがいい味出してると思うんだよなあ

  5. 以前の国鉄時代は本数が少なく運賃も高かった事から、多少時間が掛かっても本数が多い名鉄の圧勝だった上、名古屋市内も名駅よりも栄の方が賑わっていた。
    JRが本数増発、運賃据え置き、そして駅ビル改築で高島屋を誘致した事で、名古屋駅の吸引力を強くした所に、岐阜駅の再開発でマンション戸数が増えた事が合致した事が大きいかと。

  6. こういう話題が出るたびに自分がいつまで運転できるんだろうと考えてしまう
    返納した後の移動手段をどうするかとか〇〇ミサイルとか◯害とか罵られながら運転し続けるか

  7. 岐阜から多治見へ行くとき 直行便の有る太多線より
    名古屋経由の方が距離は有っても時間がかからない時がある

  8. 観光で寄ってみたのですが、岐阜駅周辺や柳ケ瀬商店街には他のベッドタウンに比べて日常消費するものを売る店が少ないなと思いました。

  9. 昭和の時代は駅前に問屋街がありとても栄えていて全国から業者さんが服の買い付けにいらっしゃいました。
    一般客も買うことが出来て季節の変わり目に値下げするのでうちの母などは夏の終わりに来年に着る夏服を冬の終わりに来年に着る冬服を安く買っていました
    そういう季節の終わりだけではなくて高級デパートで売られる上質のものがいつでもお値打ちに買えるところでした なので子供服でもかなり良いものを着せてもらっていました
    母も今思うと安サラリーマンの奥さんにしては かなり良いものを着ていたのは駅前の問屋街のおかげだったと思います いい時代でした 柳ヶ瀬も毎日がお祭りのように人で溢れて活気がありました 昭和の昔の話です

  10. 岐阜なんざ、名古屋の植民地なんだから、何も望まず何も語らず静かにしとけば良いのだ。そもそも、歴史的には何の価値土地なんだ。辛うじて、壬申の乱と関ヶ原の合戦があっただけ。信長公が精魂込めて築いた岐阜城かて、安土城が築城するや否や息子にくれてやる程度の城。岐阜県なんざに何の価値も無い。

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