【妹尾駅】県道21号児島線沿いの老舗寿司店まで極上お寿司ランチをキメにいくツーリング【岡山県・全駅グルメラリー#49】

はいどうもモゲライダーです今回はですね 岡山県全駅グルメラリー第49弾という ことでね今回訪れる駅は宇野線瀬野駅です [音楽] はいということで宇野線瀬尾駅までやって きました [音楽] [拍手] [音楽] はいということでね岡山市南区にあります 宇野線瀬尾駅までやってきまし たま瀬駅の駅舎はね結構立派なものでてね これいつ頃できたんでしょうね昭和の 終わりか平成の初め頃でしょうかねま橋上 の駅舎になってますからねそんな大昔の 駅舎でないことは確かですよねで階段 上がりますとねま立派なコンコースがあり ましてね切符リバなどもありますこれが 南北の入り口をついでいるっていうの形 ですね一応駅自体はね無人駅なんです けれどもねこんな風にね緑の売駅プラスが 置いてますよま緑の現売駅プラスが置いて るってことはねそれほど需要のある駅だと いうことなんですがこのセノという駅はね 岡山駅から3つ目に当たるんですがこれ 瀬尾駅の時刻表ね見ていただくと分かるん ですがねこの快速マリンライナーがねま 頻繁に止まる駅なんですよね実質ね岡山駅 の隣駅かっていうぐらいねマリンライナー が止まるんですよまというのもね瀬尾と 岡山の間にある美前西市と大本はねよく マリンライナーね通過していくことも多い んですよなんで瀬尾からねこのマリン ライナーに乗ると次の駅は岡山駅なんです よねまあ10分弱でねなんで岡山駅まで これに乗ると出れますんでねまそういった 意味ではかなり便利な駅の1つですよねま この快速マリンライナーの半数はねこの 瀬尾駅に停車するっていうことでね乗車 寺院もね1日5124人ということでね 結構多いんですよま今マリンライがね岡山 に向かって発車しましたけれどもね発入れ ずに次はね普通列車これは小島行って言っ てたかな瀬戸橋線の小島行きの普通電車が 入ってきましたねこんな風にね頻繁に電車 も止まりますんでねま宇野線の駅の中では 一番上光客が多いのは瀬野駅瀬戸橋線で見 ても小島駅茶屋町駅についで3番目に多い のがこの瀬駅です ねまそういう風にね利用者が多い駅です からねまもちろんホームもねなかなかこう 立派なホームですよ2面2戦のね広大な ホームを持ちますま駅舎はここ230年で ねま新しくなったものなんでしょうがこの 古選挙はどうなんでしょうね開業当時から のものなんですかねまこの瀬尾駅の開業と いうのがね宇野線が開通した明治43年に 開業してるようですからま宇野線開通当時 の折面ってことですよなんでこの瀬尾駅も 歴史がある駅ですねで駅の南側に目をやり ますとねこんな風に高層マンションが並ん でおりますじゃあちょっとね駅の南側出て みましょうかねこれが瀬野駅南側ですね マンションそして住宅街もありましてねま いわゆるニュータウンみたいな形ですよね どうやらこのニュータウンがね今の橋上 駅舎と関係してるようでしてねまこの駅舎 ねどうやら調べてみるとこの橋上駅舎に なったのがね1991年平成3年らしいん ですけれどもねこの瀬尾駅の南側に広がる このニュータウンねこれはねセノニュー シティという名前がついてましてね両備 バスが開発したんですよなんでねその開発 に伴ってね同時に瀬尾駅の駅舎も今のよう な橋上駅舎に改築したそれを両備バスが 全額負担してるらしいんですよねまこの 現在の瀬尾駅ねJRの作品かと思いきや 両備バスの作品だったんですねじゃあもう これJRの駅じゃなくて両日バスの駅じゃ ねえかって話ですけどもねまただその ニュータウン開発のおかげでね多分この 230年でセノエリアの人口は急増した ことでしょうねまそんな風にねニュー タウンが広がる南口ですがね瀬尾駅の表と いえばねこの北口になるんですよねで こちらが瀬尾駅の北口駅前風景ですけども ね口の進行住宅街とは打って変わって こちらは昔ながらの住宅地ですねま北口は ねやっぱり瀬尾駅の表側なんでね立派な 広い駐輪場も併設されておりますよま かなり広いスペースがあるね有料の駐輪場 ですけどもびっしりと自転車止まってます まそれほど駅の利用客が多いっていうこと でしょうねまこんな風に駅前はね古い住宅 街でで駐輪場も大きなものがあるこれ何か 山陽本の駅の雰囲気によく似てますねでは ちょっとね瀬能の街を散策してみたいと 思いますがねま瀬尾駅前っていうのは本当 にま住宅が密集してるような感じでねで これ東西に伸びる道なんですが結構道幅 狭いんですよねちょうど今ねトラックが 走り抜けていきますけれどもちょうど トラック1台分くらいでしょうかねま車1 大分ようやく通れるぐらいの道幅なんです がねバンバン車走っていくんですよねま この瀬野駅からね北へ伸びる駅前通りはね ま割と広いんですけどもねでその先はね 剣道152号にぶつかりますねでこちらが 剣道152号倉敷瀬尾線ですねま文字通り ねこの瀬能の街の中心を通って倉敷市中心 部までを結ぶ剣道ですがねま剣道ですから ね結構立派な道路なのかと思いきはここも 結構狭いんですよねいやまあ とねこう車の交通量がまず狭いのにすごい 多いなのでねまこういう風に退場も設け られてましてねま1台通るのがやっとの道 そこに車がどんどん走ってくるんですよ いやこんな風にね軽自動車でもねすれ違う のがちょっと怖い僕もこの道あんまり車で 走りたくない道なんですよね一応この道路 はですねセ大通りというもついてましてね 要するに瀬能の大通りなんですがその割に 道が狭くにも関わらず倉敷までを結ぶ剣道 ですから交通量はとても多いではですね なぜセノにはこんな狭い道路が整備されて いるのかそれを紐解くものそれはですね この先にある剣道152号と剣道151号 が交わる交差点そこに答えがあるんです ね中瀬能店の交差点のところにこのような 道シベが残っていますこれはですねかつて のコンピラオーラの道シベなんですね コンピラオーラとは四国にあるコンピラ 参拝のための街道でありまして岡山城下を 起点として鬼にせを経由するルートと大本 米倉瀬能を経由するルートがあったんです が現在の剣道152号はこの米倉セノ ルートを流用しているんですねここから 街道は早島へと向かい茶町下井へと続いて いきますコンピラオーライは江戸時代に 整備された街道ですから当然車が走ること などは考えられていません要するに江戸 時代の道幅で現在も使用しているのでこの ように交通量は多いけど狭い道になって いるんですねつまりセノという街はですね コンピラオーラの在庫町として発展して いった歴史を持つんですねなので剣道沿い の建物には今もその影が見て取れますだっ たらねま時代に合わせて道路を現代の広さ に適合するように拡張すればいいじゃない かとも思うんですがこれもそう簡単には いきません剣道から瀬尾駅の間に広がる 瀬尾の町ここも道は狭く住宅が密集してい ますそして道路の見通しも決していいとは 言えません要するにこの道もですね江戸 時代からの道のままのはずなんですねこれ はセノの町が街道沿いとは別にまた町が 発展していたことを示しているつまりセノ は江戸時代から建物が立ち並ぶ小さな都市 だったということです明治以前の町という のは農村か城下町に大体分かれますつまり セノはですね明治以前小さな城下町を形成 していたんですねセノにはねこのような 井戸がっているんですがこれはですね戸川 神夜井戸というものなんですねこれはです ね江戸時代の瀬能に人屋が置かれており 戸川により納められていた要するにかつて 瀬能が小さな城下町だったことを示す数 少ない意向なんですねでここにはね当時の 陣営の石垣と呼ばれるものが残っており ます確かにここに人屋があったと知ってね 見てみるとね どうもこの石垣確かに不自然にここ スロープになってますから何か門みたいな ものがあったのかなと想像しますよね江戸 時代庭班の領主だった戸川市が分けして 瀬能に陣野を置き以降は戸川氏により明治 時代まで納められることになっていくん ですが戸川神夜の移行というのはこの井戸 以外には残っていませんしかしですねこの 瀬尾の町には今も戸川市の血が流れている んですねこの剣道152号瀬の大寺通りを 歩いているとねこのような寺院が出てき ますこれがですね上流寺というお寺でして ねこの剣道沿いのど真ん中要するに瀬尾の 町のど真ん中に鎮座するお寺なんですねで その上流寺の入り口にねセノ千原みな ホッケと書かれた石碑が立ってるんですね この言葉の意味それはですねセノには宣言 の家があり住民はほぼ全員が北家囚つまり 日連集のシジだということを表しているん ですねまその通り瀬能の町を歩くとね至る ところに難民法蓮劇と書かれた日が立って おりましてねセノには日練習の寺も何元も ありますセノの町を歩くと日練習への進行 の強さをとても感じるんですがこれは戸川 市が日練習を進行していたことからセノの 村民全員を日練習信者に回収させたんです ね日練習へ回収したものはその年の年を 納めなくても良いという特例まで出して セノの村民を強制的に回収させたその戸川 の意思を現在まで受け継いで瀬能は日練習 の宗教都市のようになっているんですねな のでね剣道152号セノ大寺通りと相性が ついたセノのメインストリートこの大寺と いうのはねこのセノの象徴であります上流 寺のことを指しているんですねこのように ですね戸川市の地が今も脈々と流れる瀬能 なんですがではなぜ戸川市は瀬能に陣野を 置いたのかそれはですねニセ班による神殿 開発のためなんですねニ班の阪だった戸川 市は世の南側に広がっていた日型に目を つけて早く干拓に着手していたんですね そして3人の子供たちをその干拓工事の 重要拠点として定めた帯早島瀬能に それぞれ住まわせることにして小島湾の 広大な海の干拓に専念させることにした つまり神殿開発の重要拠点として瀬能に 陣野を置くことにしたんですねということ はですね戸川市が瀬尾にやってきた頃瀬の 南側には海が広がっていたつまり瀬尾は 漁村だったんですね瀬尾駅北口の前を通る この細い道この道はですね地元住民の間で 土手筋と呼ばれていますこの土手の意味 それは海岸線を表しているんですねつまり 土手筋が昔は海岸線だったということは 現在の瀬尾駅がある場所ここは海だったん ですね岡山南区瀬野その南の教会はこの 土手筋と呼ばれている細い道になってるん ですここから南はかつて海だったから瀬能 ではないとなっているんですねなので瀬尾 駅の所在地は瀬尾ではなく岡山市南区東上 となっているんですね瀬尾の南には海が 広がっていたそのことはですねこのセノと いう地名からも見て取れますセノは元々 背におと書いて背をと読んでいたんですね セノの地名の由来それは背におと書いて背 をだったこの背という意味はですね海岸 浅瀬水辺を意味しておりますそしておは 末端を意味していますこの2つの字から 推測するにセノは元々海岸の端っこだった と思われます海岸の橋つまりは元々瀬能と いううは平野ではなく 島の橋だったことが考えられますその島と いうのはかつて瀬戸内海に浮かぶ島の1つ だった早島なんですねその昔海に浮かんで いた早島それはですね現在中正から早島 三島一体にかけて広がる早島給料のことで ありまして早島給料の南東端は瀬尾の町の 真ん中にそびえる春部山に当たるんですね というわけでね春部山に登ってまりました 瀬尾の町の真ん中にそびえる春部山ここに はですね小学校保育園中学校などがあり ましてね瀬尾の文教地区といった感じです ねこの春部山こそがねかつての早島という 島の1番南東端だったそれが背におと書い てせのと呼ばれていたつまりこの春部山 こそがセノのルーツがある場所でありまし てここからセノという地が始まったと思っ ていますこの春部山山頂にはね瀬能の ルーツとなる史跡が残っていますそれが このスハ城石ですねまこのスハ城というの はね瀬能神夜ができるもっと何百年も前に 築上された城だとされてましてねこのスハ 城は瀬能の地を開いたとされる瀬能金安が 築上したとされてるんですねここに城を 築いた瀬の金安という人もね元々は背にお と書いて背をと名乗っていたみたいなん ですよねま実際にここが背のおだった場所 だとするとなるとここは早島という島の 1番端っこの部分であり目の前には 切り立った崖があって海が広がっていたと いうことでしょうねここが島だったことを 今に伝えるものが剣道21号小島線沿いに 残っていますそれがアトミ観音寺という寺 ですこれはかつてここが島だった時代です ねこの剣道21号にあたる部分ここは海峡 でありまして塩の流れがとても早かった ようでよく船がナパして沈没していたそう ですその事故の死者をとうために混流した のがこのアトミ観音寺なんですねかつては 会場通の難所だった瀬能の海峡も何百年に わる土砂の体積により早島は陸続きとなり 江戸時代戸川市が瀬尾に入る頃には瀬尾の 海は日型になっていたんですねそして干拓 による神殿開発で瀬能の南に控除神殿が 開発されたことでセノから海域は完全に 消えてしまい電源が広がることになって いくんですねそしてその工神殿これは現在 の南区工女という地区にあたるんですが この工女神殿はですね美前の国のものなん ですねつまり旧国名で言うと工女というの は美前の国に当たりますでもセノはビチの 国になりますで瀬尾駅があるこの東上と いう地区はですねかつての控除村に当たり ますんでね実は瀬尾駅はの国の町で あるセノと名乗りながらも実は美前の国に あるという不思議な駅になってるんですね つまりはセノニューシティと名乗っている 瀬尾駅南口の新光住宅地も瀬能ではなく 厳密に言うと控除に当たるんですねあれで も待てよとにせ班が神殿開発のため に瀬能に陣野を置いたはずなのになぜか セノの南に広がっていた神殿開発された 日型は美前のものになってしまっている これはですね美ビチ国境100年戦争に よるものでこうなったんですがま詳しくは ねグルメラリーのビチ三島駅編をねご覧 いただければ詳しくは解説しているんです がま要するにですねビゼンとがです ねこの小島湾に広がるこの日型の干拓を どちらがやるのかというのでずっと揉め 続けていた結果美前の国が干拓することに なったんですねまこれはですね美前 の争いというよりもっと厳密に言うと瀬と 八の争いなんですねこの瀬尾の春部山から 南へまっすぐ向くとその先には小島で1番 の漁村だった八浜に当たるんですねつまり この争いというのは小島湾沿岸で栄えてい た漁村だった瀬尾と八浜の漁業権をかけた 争いでもあったんですね結果小島湾は美前 のものとなり八は江戸時代を通じて島湾1 の漁村として反映していくんですが漁場を 失った瀬能は町として方向転換を余儀なく されるんですねその後瀬尾では隣町の早島 と同様畳表の製造が盛となっていきます 同時にコンピラさんとユガさの両参りと いうのが当時の人気レジャーとなり コンピラオラ沿いも活気づき焦点が 立ち並び瀬能は漁村から転換することに 成功していきます明治になるとセノには 宇野線が開通しかつての美前ビチの国境に 駅が置かれます同時に八浜にも宇野線が 開通することになりかつて漁業権を争った 2つの町は1本のレールでつがることに なるんですねちなみに昭和に入って小島湖 誕生により八浜からも海は消えてしまった のでかつて小島湾沿いで漁村として反映し ていた瀬尾八浜共に海は消えているんです ね宇野線の駅ができたことで住宅地も どんどん広がっていきましてその後瀬尾に は国道2号も通ることになりロードサイド テンポが立ち並び日や多くの車両が 行きかう街に変貌を遂げています今やここ が海に面した漁村だったおかはどこにも ありませ んはいということで今回瀬尾駅編で行くお 店なんですが寿園というお店に行きたいと 思いますこのお店はですねこの剣道21号 沿いにあるですねま古くから営業されてる お寿司屋さんですねはいということで見え てきましたねこのセノのファミリーマート の横にあるお店です ねはいでは行ってみましょう 2番番コーラ1つ か [音楽] 食1つですはい [音楽] はい [音楽] ないあ [音楽] [音楽] ああ [音楽] 何 [音楽] はいということでね寿司園さんでね寿司 ランチ食べて来ましたけれどもねいや 美味しかったっすねまあね普段は回転寿司 オンリーのね私ですけれどもね久々にね 回らないお寿司のお店でね寿司を食べまし たけれどもねやっぱり違いますよねネタも ね新鮮でねプリプリしてるしねでやっぱ あの中トロがめちゃくちゃ美味しかったす ねでお寿司の他にも食とかねどんぶりとか あとは幕の内弁当みたいなやつとかも結構 色々あるんでねもし気になる方は行ってみ てくださいということで全駅グルメラリー 瀬尾駅編は以上になります私サブ チャンネルとしてモゲライダーのみ チャンネルというのもやっております よければこちらの方もご視聴チャンネル 登録お願いしますそれでは今回も最後まで ご視聴ありがとうございました [音楽] しないラブを胸に星を夢に

【岡山県・全駅グルメラリー#49 宇野線 妹尾駅】

今回は宇野線 妹尾駅です。

・すし園
岡山市南区妹尾2307−1

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#妹尾
#寿司

当チャンネルについて
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大都会のような街の華やかさはなく、かといって壮大な大自然が広がるわけでもないとてつもなく中途半端な県、岡山。

このいまいち存在感のない岡山の地で生まれ育ったもんげーライダー HIROYAが愛車のNC750Xに跨りモトブログ形式で主に岡山の定番ツーリングスポット、名所からディープスポットまで紹介するチャンネル。

もんげーとは、岡山の方言で「ものすごい」という意味。
このチャンネルを通じて岡山のことを少しでももんげーと思ってもらえれば幸いです。

その他、山陰、四国、関西によく走りにいきます。

2016年に50ccリトルカブで約1年間日本一周の旅をしていました。
日本一周の日々を記録したブログは下記リンクに貼っていますので宜しければご覧くださいませ。
http://blog.livedoor.jp/osakaokayama-osaka_okayama_kaeru/

【BIKE】 NC750X(HONDA)  KDX125SR(KAWASAKI)

【CAMERA】 HDR‐AS300(SONY) iPhone12pro max

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28件のコメント

  1. 隣町、妹尾へ来てくださってありがとうございます。

    昔の妹尾駅は、地上駅舎でした。私が4才くらいの頃(昭和45年くらい)には、妹尾駅には跨線橋が無く、プラットホームに設置されている階段を昇降して、構内踏切を渡っていたように記憶しています。
    2025年4月からは、ナント「岡山市内循環型バスめぐりん」妹尾駅↔北長瀬駅線が開業されるのだとか。㊗️🎉

    我が家の祖先は、土地が干拓された頃から、ずっと備中箕島に住んでいます。(日蓮宗です)

    父から聞いた話ですが、私の祖父の(すぐ下の妹が)子供の頃、宇野線の敷設工事が行われていたとのこと。
    宇野線の盛り土は、家のすぐ近くの「上之山神社」の山を削って盛られたらしく、祖父の妹は、(上之山神社から宇野線まで)土を運搬していたトロッコに轢かれそうになったのだとか。私は祖父の妹と何度も会話したことがあったので、宇野線ができたのは、そんな昔のことじゃないんだな…と歴史を身近に感じました。

    妹尾が海だったのも、そんな昔のことじゃないんでしょうね。
    妹尾や箕島の住民が日蓮宗に改宗したのは、年貢を納めなくてよかったからなんですね😆
    ちょっとびっくり。
    妹尾と八浜の争いも、存じませんでした!
    次、妹尾へ行くのが楽しくなりそうです。
    詳しいレポートをありがとうございました。
    備中箕島駅の動画、以前拝見させて頂きましたが、本日妹尾の動画を見て、また拝見したくなりました。
    これからも岡山の動画、楽しみにしています。

  2. お疲れ様でした。
    妹尾は岡山県内の主要駅で1番車で行きにくい駅だと思います😅
    次は庭瀬(笑)
    両備Gは駅を寄贈してまでも列車本数(マリン)の増加をJRにお願いしたんじゃないですかね。
    あんな狭い道バスは無理でしょ😅

  3. 岡山に4年ほど住んでいましたが、岡山の方ってあまり魚介類の自慢はしないようですね。
    もっと推して良いのに、もったいない。

  4. いつもながら大変勉強になります!妹尾駅を利用する事はないのですが、もんげーライダーさんの動画を観ると行ってみたくなるのはなぜでしょうか。

  5. 妹尾の道は交通量が多いのになぜ狭いのか時々気になっていました!
    スッキリしました!笑
    ありがとうございました!😂

  6. 岡山に行く途中によく見かけるお店ですね~!気になってたとこなので、今度行ってみますm(_ _)m
    寿司ランチ繋がりじゃないんですが、地元の児島に1000円未満の寿司ランチが食べれるお寿司屋が2軒(兄弟で暖簾分けしているらしい)あります。そちらも行ってみてる価値あります!

  7. 駅北側は結構道がハード
    道路拡幅計画あるけど地元議員も居ないし何より難しい人多いみたいでどんどん空き家だらけになっていってますね
    南側に最近越して来ましたが、散歩道としては良いですね

  8. 昭和の終わりから平成の頭まで通学で利用していました。
    昔はホームを渡る橋は屋外で、雨のときは傘必須でした。

  9. もはやもんげーライダーさんが歴史民俗学者のように思えてきました😄 これだけ調べるのはなかなか大変だろうと思います。ありがとうございました☺

  10. 妹尾大福周辺には、玉ちゃん、来来亭、恵比寿屋、しゃかりき家、山小屋、丸源、大統領、(リンガーハット)と、ラーメン激戦区になりつつありますね。

  11. 子供の頃近所の子とよく遊びに行っていました。だいぶ変わりましたね、近くにあるお好み焼きもよく食べに行っていました。

  12. ここは、両備グループの、関東通勤圏内のベッドタウンとして、開拓された、高級受託区として、整備された町で、平成元年頃から、開発が始まり、今の駅舎が、出来てから、約20年位でした。

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