【東の飛鳥】古代勢力圏のひとつ 下毛野を旅する~下毛野とはどのような地域だったのか

はい、皆さんこんにちは。梅はさ子ナスカ大しチャンネルです。今回から新シリーズの開始でございます。で、なぜか新宿駅でございます。 1日あたりの平均情報客はJR東京メトロ を合わせると約350万人だそうでござい まして、これは世界最多の駅利用者数とし てギネス世界記録にも認定されているそう です。 で、そんな新宿駅から本日向かいますのは 栃木県でございます。 使うのは湘南新宿ラインということで、 この線は東海道線小田原駅から新宿、池袋 、赤羽、大宮をして高崎線へ入るルートと 宇都宮線に入るルートがあります。 今回乗っていくのは宇都宮線に入るルート でございまして、それで小金という駅 まで参ります。JR東日本をご利用 くださいましてありがとうございます。 この電車は湘南新宿ライン宇都宮線直通 小金井行きです。グリーン車は4号車と5 号車です。グリーン車をご利用の際には グリーン券が必要です。次は池袋です。 ということで、新宿から1時間半ぐらい 電車にいられまして、小金井という駅に 到着いたしました。 東京に住んでいるものとしては、え、小金 といえば、東京都のちょうど真ん中あたり に小金市という市がありまして、JR中央 線にも武蔵小金という駅があるわけなん ですけれども、こちらの小金は東京の 小金石とは多分何の関係もないと思います 。こちらの小金は江戸時代初期より前は 金内村という名前だったそうなんです けれども集落が移転する際に子をつけまし て小金イという名前になったそうでござい まして日光街道の宿町として栄えたという ことでございます。 で、え、今回ですね、お世話になりました のはこちら。下市観光案内所オアシスぽ間 でございまして、ここでレンタサイクルを 借りて出発したいと思います。 お借りしたのはもちろん電動でございます 。やはり皆様、え、自転車をですね、 借りる時には電動がおすすめでございます 。 初めて電動に乗った方はちょっと戸惑うか もしれませんけれども、すぐに慣れます。 急発にさえ気をつけていただければ普通の 自転車と変わりなく乗れますので、是非お 勧めいたします。 ちなみにですね、お借りしたこの自転車は 2025年9月現在でございますけれども 、1日600円でございました。で、え、 JAFのですね、会員賞を見せますと、 さらにお安くなりました。確かですね、え 、アカで電動自転車を借りた時、え、 1700円ぐらいしたと思うのですけれど も、それに比べますとかなりお安いお値段 で借りることができました。多分ですね、 え、下付けのサービスの一環ということな のではないかと思うのですけれども、 かなりお得でございます。 で、この下市になぜやってきたのかという お話なのですけれども、この下市近頃東の ア鳥ということで古代の移行が多く存在 するということで、東のア鳥をキャッチ フレーズに活動を展開しているということ でございます。 でですね、本家ア鳥のア鳥藤原のキ徒と その関連資産軍の世界遺産登録も応援して いるとのことでございまして、先日はア鳥 村と放連携協定も締結したとのことで ございまして、文化交流も含む災害支援 なども行っていくということでございます 。 で、私のこのチャンネル、ア鳥古代子 チャンネルということでございまして、東 のア鳥と言われば行かないわけにはいか ないでしょう。ということでここにやって きたというわけでございます。 で、1つお断りしておかなければならない のはこの東のア鳥というキャッチフレーズ は下氏が考案して実行しているものなの ですけれども、今回参ります場所のうち いくつかは下付け市ではなく隣接する小山 市にあるんですね。なのでそこを東のア鳥 として紹介するのは下つし的にはいかがな ものかとは思うのですけれどもそこはです ね地域的に見ればこの辺り全体をそのよう に見てもいいのではないかということで誠 に勝手ながらお市に所材する意向もこの シリーズで取り上げさせていただきますの でその辺りどうかお許しいただきたく よろしくお願いいたします。 で、このですね、栃地県南部と群馬県を 合わせた地域は古代ケノケヌと呼ばれた 地域でございまして、キ々ですとか出雲、 身の終わりなどと共に1つの勢力権を形成 していたということのようです。 以前はですね、山大と対立していたとさ れる国がこのケノだったという説もあった ようなんですけれども、高古学的な検地 からはその可能性は低いとされているよう です。 けれどもこの辺りに1つの勢力権があった ということは古墳などの移行が多く存在 することから見ても明らかなことでござい ます。 で、古代から主な道の1つだった東産が この辺りを通っていたということから中央 に近い群馬県付近を上つけのそしてその 東側の栃木県南部のこの辺りを下つけのと 呼ぶようになったということでございます 。 そして奈良時代に入りますと国ですとか 地域の名前を2文字にするようにという 中央の指示がありまして毛の字を取って 幸付の国、下付けの国となったということ でございます。 で、この付近には思い側と姿側という2つ の川が流れておりまして、それがこの南側 で合流しているんですね。 そしてそれがさらに流れ下っていきまして 、この東を流れているキ川と共にト側に 合流いたします。 つまり重い側と姿川はト側水形に属する川 ということでございまして、江戸時代には 水運の基地として大変重要な場所だったと いうことでございまして、それは遠い古代 から変わっていないとそういうことのよう です。 ちなみにキ川の語言は毛側だそうでござい まして、毛を流れる川ということで毛側と 呼ばれてそれがキ側になったということで ございます。 で、3世紀、4世紀頃にはこの辺りの勢力 の中心はここより北の現在のナスですとか 宇都宮付近にあったようなんですね。で、 宇都宮地域にはあ塚古墳、権源山古墳、 ナス地域には上侍古墳、下侍古墳などが ありまして、それらはいずれも4世紀頃に 蓄造されたとされる前方後方分とされて おります。 下侍古墳は徳川三国の名で調査が行われ まして、それは古墳の調査としては日本で 最初の学術調査だったとされております。 またその下塚古墳は古墳の研究で知られる 高古学者の森光一師が日本一美しい古墳と 絶賛した古墳でもあるということでござい ます。 で、4世紀頃まではNASですとか宇都宮 付近にそうした古墳、主に前方後方墳が 気づかれていたのですけれども、5世紀に 入りますと宇都宮付近に機内型の前方公園 分が作られるようになったということで ございまして、それはその頃に大和の力が この地域に及んでいた証とされます。 その後5世紀末から6世紀になりますと、 この現在の下市小山市付近に大型の前方 公園分が気づかれるようになったという ことでございます。つまりこの辺りの勢力 は最初ナスですとか宇都宮付近を中心とし ていて、その後この付近にその中心を移し てきたと考えられます。それが別の一族に よるものなのか、あるいは同じ一族が支配 地域を移したのか、それは定かではあり ません。 で、文献資料を紐解きますと、日本初期人 天皇の間に富人天皇の巫女であります豊木 入の美が夢占いの結果、東獄を納めること になりまして、彼が上つのと下付けの素で あると記されております。 で、余談ですけれども、彼の妹であります 豊姫の美は天照ラス大御を大和の重いの村 に祭ったという方でございまして、1節に はひ子の後を受けて女王となった豊である という説もある方でございます。 まですね、その兄とされる豊木入のことが 実在の人物だったかどうかは不明なのです けれども、富人天皇の時期北陸東海産陽波 に向けて軍が派遣されたという記述もあり まして、その時期に王険の拡大があったと 考えますと、大和王健の支配がこのケヌと 呼ばれる地域に及んだということを表して いる記述なのかもしれません。 また時は下りまして日本初期安元元年 534年には武蔵の国の宮子の乱という 記述があるのですけれども武蔵の国の宮子 である笠原のあと同族である沖が国の宮子 の地位を巡って争ったというものでござい ましてその当時国の宮子という名称はまだ なかったものと思われますけれども後の 国子が有していたようなこの関東権を支配 する権利を巡っての争いだったと思われ ます。 で、沖は密かに噛つけのの小という人物に 助けを求めまして、をなき者にしようとし たという記述があるのですけれども、 噛つけのということは現在の群馬県あたり ということでございまして、多分現在、え 、群馬県大田市にあります東日本最大級の 前方公演分、太田天神山古墳の辺りを本拠 としていたのではないかと思われます けれども、その上つけの木に協力を求めた とされます。 追い詰められました。は、大和王に訴え まして、沖は廃され、が国の宮子の地位を 手にしたという天末になるわけなんです けれども、ここで神野の小マが上つけのと 表記されているということは、つまり 下つけノにも一定の勢力が存在したという ことの勝査になります。もしもケヌという 地域一体を掌握していたならば彼はケノの 小であったはずなのでそれが神つけのとさ れているということは下つけには他の種族 が存在しそこを勢力権としていたという ことになります。 で、その頃気づかれた古墳が今向かって いる先にあるということでございまして、 それはマリシ点塚古墳、そしてビ塚古墳と いう古墳なのですけれども、そちらは栃木 県内2位と3位の大きさを誇る前方公園分 ということでございます。 で、その2つの古墳は先ほど申し上げまし た思い側と姿側という2つの川が合流する 地点の北側に気づかれているのですけれど も、その姿側を渡る手前に1つ古墳がある ということでございますので、まずは そちらを見学してみようと思います。 でですね、先ほどから、え、果てしなく 自転車で走っている映像をお届けしており ますけれども、私ですね、え、事前に かなり下調べをしてから来たのですけれど も、地図の縮尺が、え、予想していたりも 大きくてというか、こういう場合小さくて と言ったらいいんでしょうか。とにかく ですね、え、こちらに来るまでは自転車に 乗るほどの距離ではなくて、もしかしたら 歩いて行けるくらいの距離なのかななどと 思っておりまして、まあ、念のため自転車 を借りていこうという感じだったのです けれども、とんでもなかったです。え、 この距離をですね、もし歩いておりまし たら大変なことになっておりました。え、 かなりな距離歩くことになったと思われ まして、え、自転車を借りていて本当に 良かったと、え、心から思いました。 なので、え、この辺りを回ってみようとお 考えの皆様、え、自転車を借りるか、 あるいはレンタカーを使うか、その2択だ と思います。え、歩いて回るのはちょっと 無理だと思います。え、本家ア鳥カで言い ますと、え、ア鳥日駅から石部隊古墳まで 歩くくらいの距離が今走ってきた距離の 直線距離ぐらいありますので、まあですね 、え、脚の方は歩いてもいいかと思います けれども、その後ですね、あちこち回る ことを考えますと、まあ自転車かレンタを 使うのがいいのではないかと思います。 ちなみにですね、え、ビわ塚古墳横の資料 館ですとか、下付きの丘には広い駐車場が 併設されておりましたので、そちらに車を 置いて付近を散索するのもいいと思います 。 で、地図によればこの道の右側に古墳が あるとのことでございまして、もしかし たらあのですね、こんとした森のように なっているのが古墳なのではないかと思っ て、え、近づいていっております。 はい。えっと、あちらが古墳かと思ったの ですけれども、 どうやらですね、こちら、このお墓の中に あるこれが古墳。 こちらは本合古墳という古墳だそうで ございまして、こちらの説明版によれば、 平成6年に小山市立博物館にて測料調査が 実施され、前方公演分と地元の共同墓地が 重なっている埋蔵分解遺産であることが 分かりました。ということでございまして 、この本合古墳は公園部の計32m、前方 部に高まりが残っていることから古墳の 規模は全長50ほどとなりますとのことで ございまして、古墳の規模からすると市内 でも大きな前方公園分と言えますという ことでございました。 ということで、ちょっとお邪魔させて いただこうと思いますけれども、え、 こちらがですね、え、公園部になると思い ます。え、公園部の系は約32mという ことでございまして、先日参りました柳本 の黒塚古墳、え、大量の三角物新住鏡が 服装されていた古墳でございますけれども 、あの黒塚古墳の公園部の計が約72と いうことでございましたので、あの、古墳 のほぼ半分の規模の古墳ということになり ます。で、え、こちらがですね、前方部に なるのではないかと思うのですけれども、 え、確実なところはよくわかりませんでし た。で、え、周囲はですね、今もこのよう に墓地として使われているということで ございます。 で、え、こちらのですね、方向に姿側、 そしてその先に思い側が流れておりまして 、え、あちら、え、ここにですね、見えて おりますのが、え、栃木県内ナンバー2の 大きさを誇る前方公園分、琵塚古墳で ございます。 調査の結果、この古墳からは五輪島、法共 因島、え、こちらはですね、え、苦養刀 などに用いられる仏踏の一種でございまし て、鎌倉時代以降に用いられるようになっ たものとのことなんですけれども、その 石材そして石物などが出動したとのことで ございまして、噴旧には五輪島の規部が 残っていましたということなのですけれど も、五輪島法京委等にですね、え、鎌倉 時代早ても平安時代末期からのもので ございますので、それらはですね、え、 古分蓄像当時のものではなくて後からここ に設置されたものと思われます。なので、 え、この古墳の周囲は今もこうして墓地と して利用されておりますけれども、かなり 古い時代からそうした使われ方がされてき た土地のように思われます。 ということで再び自転車に乗って出発 いたします。 続いて目指しますのはマリシテ塚古墳。 そしてビ塚古墳でございます。 で、この先に橋がかかっておりまして、 その下を流れるのが姿川とのことでござい ます。 この姿側はこの南、え、このですね、左手 になりますけれども、え、そこでこの先を 流れる思い側と合流いたしまして、その先 はト側に続いているということでござい ます。 そしてこの川の上流には大石の産質値が ありまして、この辺りの古墳の積質に利用 するためにこの皮を使って石材を運搬した のではないかと考えられているそうです。 で、この端を当たってすぐの道を右に 曲がります。 で、この先左手前方に見えてまいりました のがマリシテ塚古墳でございます。 なので割と川の近くということになりまし て、この南で川が合流しておりますので、 2つの川に挟まれたのような場所に古墳が 気づかれているということになります。 まあですね、多分、え、火流から登ってき た船がこの地域に差しかかって初めて目に するのがその合流地点に気づかれた古墳と いうことで、あ、この辺りにはあれほどの 古墳を作る実力者がいるのだなと1目で 分からせるための古墳ということになると 思います。 そうしたですね、え、交通の要、遠くから やってきた人々が1目で分かる場所に古墳 を作るというのはよくあることでござい まして、玉摩川沿いに作られました古墳 ですとか、現在の東京タワーの足元にあり ます柴丸山古墳。え、これはですね、海沿 に作られた古墳でございますけれども、 上野の山の上に作られましたすりバ山古墳 など、え、その地域にやってきた人が1目 で分かるような場所に古墳を築づくという のはこの時代によくあることのように思わ れます。 で、地図によればここを曲がっていくよう です。で、え、このですね、右手にあり ますのがマリシ点塚古墳ということになる わけですけれども、え、こちらの古墳を 探索する様子は次回じっくりとお届けし たいと思います。楽しみにお待ちいただけ たら嬉しいです。 ということで今回の動画はここまでとさせ ていただきます。今回もご視聴いただき まして本当にありがとうございました。 また次の動画でおめに書かれたら嬉しい です。チャンネル登録も是非よろしくお 願いいたします。ご視聴いただきまして 本当にありがとうございました。梅ま前 咲子でした。 [音楽]

栃木県南部に位置する下野市は、古代の遺構が多く所在することから「東の飛鳥」をキャッチフレーズに活動を展開しています。奈良県明日香村とも包括連携協定を結び、文化交流や災害時の応援、さらには飛鳥藤原地域の世界遺産登録の応援など、つながりを深めています。
このシリーズでは、その下野市周辺に所在する古代の遺構を訪ねます。

第1回の今回は、小金井駅で自転車を借り、まずは小山市にある本郷古墳を訪ねます。周辺には多くの前方後円墳が所在し、中央とのつながりを感じさせます。
古代、毛野という地域がどのような地域だったのか、どのような役割を果たしたのか、そして、ふたつの川の合流点に築かれた古墳の意義について考えます。

#東の飛鳥
#下野市
#下毛野
#本郷古墳
#豊城入彦命
#武蔵国造の乱

【帝塚山大学考古学研究所ユーチューブチャンネル】
https://www.youtube.com/channel/UC-aOcqnMd1dcojLiO8Cm5WQ?view_as=subscriber

梅前佐紀子・著 「皓月 皇極・斉明天皇物語」全3巻
https://www.amazon.co.jp/%E6%9C%AC-%E6%A2%85%E5%89%8D-%E4%BD%90%E7%B4%80%E5%AD%90/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3A%E6%A2%85%E5%89%8D+%E4%BD%90%E7%B4%80%E5%AD%90

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44件のコメント

  1. おはようございます。離れちまった。関西より西を期待します。あとで、ゆっくり見ます。またまた、ミニ旅で吉野ヶ里遺跡に向かってます。梅前様にも、九州の飛鳥を紹介してください。太宰府とか、朝倉宮とか、山の辺の道もありますよ。😂

  2. おはようございます
    下野「東の飛鳥」のキャッチフレーズはタイムリーですね♪
    時代は違いますが小山市は小山評定が思い浮かびます
    東国との地理的な重要性を感じます
    鬼怒川は毛野川
    思川、姿川の由来はわからないです🤔
    あざやかなお色のレンタサイクルお手頃感満載ですね✌

    ずいぶんと前に訪ねたことがあるのですが、上野三碑と古墳の考察も楽しいですよ

  3. 栃木や群馬は立派な古墳が多いですよね。自分も好きで何度か訪れています。春は菜の花が綺麗ですよ。

  4. 東の方は古代どころか現代もわかりません。勉強になります。
    大阪の方には近つ飛鳥もありますのでよろしくお願いします。

  5. う~ん 栃木ですか! 関西人には最も馴染みの薄い県では無いでしょうか? そこに東の飛鳥が? 正直あまり興味が沸きませんが、梅前節や梅前妄想を期待して楽しみたいと思います。 ところで彼岸花が綺麗に咲いていたのにいきなりスルーですか? 一言欲しかったあ~。 残念。

  6. おはようございます。
    皇女、クルマの多いところで自転車気をつけて下さい。
    新しいシリーズ楽しみです。

  7. ようこそ栃木へ。私はほぼ那須地区で、下侍塚・上侍塚古墳の方が近いですが。下野の北隣、壬生町にも古墳が多くあります。今は自治体が分かれていますが、古墳の築造時期を見ると壬生・下野・小山辺りが同じ勢力かなと思ったりします。

  8. 栃木・国分寺は「天平」の丘で、飛鳥時代ではなく奈良時代?(笑) とはいえ、本流河川の上流から見て右側(右岸)に主要な古墳が点在していますが、左岸側はまだアイヌの自治区だったんでしょうかね。

  9. 梅前様こんにちは😊
    今日も素敵な配信をありがとうございます🙇‍♀️
    東の飛鳥は栃木県にあると、初めて知りました😊
    鉄ちゃんにとり、電車🚃の動画も楽しみました💕
    古墳にお墓があるとは、昔からずっと御陵の谷なのですね🪦興味深いです。
    古墳女子(女子というか、おばちゃんだけど💧‬)にとり、ヨダレモノの動画本当に感謝です💕🤗続きを楽しみにしています🥰

  10. おお!電動自転車の姫君 こんどは栃木ですか 楽しみです 私が電動自転車に乗ったのは5年前の明日香村が最初で最後です 怖かったです 私の北関東は氷川神社と岩宿遺跡だけです

  11. 関東は古墳の数はたくさんあるんですよね。
    自宅から徒歩で散歩できる範囲に、飛鳥時代の武蔵国豊島郡(現在の、北・豊島・板橋・文京・荒川・台東・千代田・練馬・新宿に相当)の中央からの出先機関である、豊島評家の遺跡(北区御殿前遺跡)があります。この隣接地区に飛鳥山古墳群があり、一万円札の渋沢栄一さんの邸宅はこの領域にあって、庭に古墳があります。飛鳥時代に関東は開発され(はじめ)ていたようですね!

  12. 今回梅前さんがチャリで走られた場所はずっと遠くまで見渡せる平坦な地域ですね。
    これが関東平野でしょうか?
    奈良盆地とはかなり雰囲気が違いますね。
    ここにも古墳があるのですね。
    ちょっと調べたら、奈良、大阪にある大規模な古墳よりもこじんまりとしているようですね。

    先週の黒塚古墳を見て、翌日に出かけて見ました。
    柳本駅の木の板に墨書風の「柳本駅」の看板
    気に入りました。
    駅前が広場になっていたので車停めて、暫し
    雰囲気楽しみました。
    そして教えてもらった市営の無料駐車場に停めて、黒塚古墳と隣の展示館を訪ねました。
    ほっこりとした半日を過ごしました。
    帰途天理スタミナラーメン食べました。
    おしまい。

  13. 飛鳥以外の地を歩くシリーズ。次はどこになるのか楽しみにしていましたが、まさか関東とは、完全に予想外でした。ですが栃木は、下野の古墳時代から古代にかけては、本当にすごい史跡がいっぱいあるんです。どこまで掘り下げられるか、とても楽しみです。

    江戸時代の栃木県、徳川光圀による発掘調査の他にも2つ、考古学史に残る大仕事がありました。ひとつは蒲生君平による「前方後円墳」という命名。現代でも小学生から突っ込まれる「前と後ろはどうやって決めたの?」という問題はここから始まりました。それから幕末の宇都宮藩による山陵修補。この天皇陵の修繕という事業は現在の価値観ではほとんど「捏造」に近いのですが、文化財への意識の高まりを象徴する重大な出来事でした。
    とにかく栃木はすごいんです。

  14. 【風土記の丘までの距離について】
    私が初めて行った時はたぶんレンタサイクルは無かったなぁ。それは市町村合併がまだだったということでもあります。小金井駅から資料館まで歩いて1時間ほどでした。さらに古墳は点在しているので、それぞれの移動に10分ほどかかっていました。
    それ以降は3回ほどレンタサイクルを利用していますが、一度、資料館を見てから北へ抜けて東武線の壬生駅へ行ったことがありまして、その場合は自転車を返す方法がないので最初から歩きましたね。

    【小金井という名前について】
    もちろん、東京都の小金井と栃木県の小金井は直接の関係はありません。ですが、どちらの場合も「小金井から西へ行くと、国分寺や国府にたどり着く」という共通点がありますね。なので奈良時代においては、「小金井」にも国ごとの役割が与えられていた…………というような指摘を遥か昔に読んだことがあるのですが、内容は全く覚えていません。

  15. 関西からは遠くて行ったことのない世界。名前くらしか知らない古墳たち。関西人の私には特に必見のシリーズです。全てが勉強になります。石材とかも興味深いです。

  16. 出張お疲れ様です。

    🎵あー あー 果てしないー🎵
    大都会 新宿からスタートアップありがとうございます。

    北関東は妄想広がります。

    東の飛鳥? そんなキャッチは無粋ですね! 関東のローマでもメソポタミアでもいいじゃないですか! なんのこっちゃ…

    古墳多いですよね。 きっと大王がいたんですよ。 多分…

    あの応神天皇も上毛野からの養子だったなんて出雲の口伝で言ってます。 真偽はわかりませんが…

  17. すみません。
    新海誠監督の秒速5センチメートルとか、桜金造のおやまゆうえんち〜が頭を離れないのですが💦

    すみません🙇
    全く関係ないですが、関西人にとってはそれぐらいしかイメージがないような💦

    でも、新シリーズですね‼️
    「東の飛鳥」と言われれば行かなきゃですね。
    やっぱりレンタルチャリで走り出すのが梅前先生です😀
    毛野国は名前ぐらいしか知らないですが、お馬さんの産地として大和朝廷で有力な立場にいたようですね。
    武蔵国造の反乱は、NHKの英雄達の選択で見ました。
    そして、奈良盆地と違って遠くの山々が出てこないのが、新鮮です。

    こちらの古墳群は飛鳥時代のものなのでしょうか?それとも、倭の五王の時代?
    でも、思川と姿川ってなにか素敵ですね。

    全く知らない土地ですので、新シリーズ楽しみです‼️

  18. 小金井駅からレンタサイクルで行き先はしもつけ風土記の丘かと思いましたが、違いましたね。古墳は互いに離れているし、自転車だと遠いですよ。
    風土記の丘には機織形埴輪のある資料館や下野国分寺跡などがありますが、そちらは行かれましたか?それとも次回以降のお楽しみでしょうか?

  19. 動画配信ありがとうございます
    毎回、楽しみに拝見させていただいています

    栃木は蛇行券の最北限であり、蕨手刀の出土の空白地でもあります
    おそらく、九州系の武人が関係していたのかなと思ております
    確か、栃木県内にはかつて阿蘇郡と呼ばれるいたところがあったように思います
    前方後方墳は近江の影響を受けているものと思われます
    群馬栃木は絹の道でもあり、馬の道(馬の生産地)

    群馬の太田は挂甲の武人や徳川家発祥の地
    太田市に着目しているあたりがさすがです😮

  20. レンタサイクル料金、奈良(桜井)は以前私が借りたときも1時間400円で高いと感じましたが、北関東(埼玉、栃木など)は半日500円くらいが多いですよ。茨城や群馬の一部では無料で借りられるところもあります。

  21. 旧毛野国は拝見する限り平坦で広々していますね。古墳と共同墓地が共存していておまけに彼岸花の群生!
    気持ちの良い動画です。

    ところで、昨日、私はとあるYouTube動画を見て、長年の疑問がすっと解ける経験をしました。

    日本地図を眺めると千葉県の北部が「下総」国、中部が「上総」国にあたるのですが、
    北部は昔の都に近い(はずだ)から「上総」、中部は遠い(はずだ)から「下総」となるのではないのか?
    と考えつづけて何十年も経過しました。

    が、昨日の動画では明快な回答が寄せられていました。
    古代の役人は、千葉県に移動する際は舟を使用して浦賀あたりから対岸(上総)に渡る。
    だから手前の地が(都に近く)上総、上総の奥へ行くと(都を遠ざかって)下総となる、ということでした。

    また1つ賢くなりました。一歳の孫は総の国が生まれ故郷になるので、
    ナニワのじーさんとしては大きくなった孫にひとつ千葉県をネタに自慢話を準備できました。

  22. 6世紀から水田の開発をしていたらしいですね。12世紀には、新田氏、徳川氏などの豪族、大名が居たわけですね。船田氏、船山氏は栃木県の名家らしいですね!

  23. 古墳で墓地分譲中の幟、現役の墓地。江戸時代からと思われる墓石もあった。
    ちょっとシュールな風景。

  24. お!いいね。古代の西日本飽きた。水行の謎。全ぽ後方墳をエリアでとらえて欲しい。日本海に抜けるルートを知りたい。全く時代の違う西日本の記録、記紀に行ってしまうのは仕方ないかー。2,3世紀の東国を知りたい。

  25. 山野辺の道の次が毛野国とは意外でした。

    そのあたりでは「猪注意!」の看板や捕獲用の罠を見かけると思います。

    お気をつけください。

  26. 畿内の古墳を巡り、山口県の安徳天皇陵を除く歴代天皇の御陵を巡りましたが、それ以外は全く言ったことのない世界。
    未見の古墳を、梅前さんといっしょに巡っている気持ちになります。

  27. 小金井、思川と聞いて60年以上前を思い出しました。当時、古河〜上野へ汽車通学をして小金井発の汽車があったのを懐かしく思い出しました。また思川は70年以上前、子供会で遠足に行き生まれて初めて川底が砂利で出来た清流に驚いたのを覚えています。定年退職後、元気なうちに飛鳥とか北九州の平原遺跡を訪問したいと考えていたけれどもまさか小金井あたりに大規模な古墳があるとは考えてもみなく新知見を得ることができました。ありがとうございます。現役時代は欧米社会経済問題を研究していたので日本のとりわけ古代史についてはさっぱりの門外漢でこれから勉強してみたいと考えています。現在、札幌居住なのでクルマで北関東や関西、山陽、出雲、九州などを巡ってみたいものだと夢想しています。とはいうものの海外大好きなので来春はトスカーナ・ロンバルディア😂やパキスタン旅行を計画中です。
    動画中に世界遺産の話しが出ていましたが、何もUNユネスコのお墨付きをもらうことに懸命になる事はない、と思います。最近は猫も杓子も世界遺産登録に狂奔しているのは観光目当て、金儲けが透けてみえるようで苦々しい思いです。日本の誇るべき古き良きものは日本歴史遺産として大事にすれば良いと考えています。

  28. 東の飛鳥 と聞けば、私も興味がわいてきてしまいます😃明日香村との協力関係、確か何かのニュースで見た気がします。自転車で走ると気持ちの良さそうなところですね。新シリーズ、次回以降も楽しみにしています☺️

  29. 「東の飛鳥」を称するのは、古墳というより、古代東国仏教の中心であった下野薬師寺の存在が大きいのだと思います

    武蔵国造の乱は細かく言うと、武蔵国(東京埼玉神奈川)内部の争いに上毛野国(群馬)が介入した事件ですね

  30. 鎌倉時代の遺跡は小山氏のものっぽいですね。小金井宿には義経の正妻の比企氏が幕府に滅ぼされ、一族が小山氏に保護されこの地に移り住んでご子孫が江戸時代陣屋を営んでいました。

  31. わざわざ栃木までお疲れ様でした。
    現在栃木県は文化不毛の地で、著名文化人ゼロ地帯なのです。「毛」の字が抜かれたので不毛なのかと思います。www orz
    また、小山~群馬まで続くJR両毛線も納得のいくネーミングたと気が付きました。
    東の国分寺が何故栃木だったのか是非探求お願いします。縄文期、関東南部が海だった頃、又は江戸期の前に
    利根川を移動させる前の鬼怒川は成田~東京湾に流れ落ちる湿地帯だった。
    その大自然も昔の住民、神々に何か影響を与えていたのではないかと思われます。

  32. 地元へようこそ。見慣れた景色も新鮮に見ることができました。私も古代史好きで学生時代から何度も山辺の道沿いや明日香の古墳群を何度も歩きまわりましたがやはり生まれ育った地元にもたくさんの古墳があったからなのでしょう。

  33. 上毛野、下毛野は3世紀後半から4世紀に「豊来入彦」勢力の古墳があると考えられる。(豊川・豊橋などに勢力を張っていたが、出雲族に関東周辺に追討された為)

  34. 川につきまして補足です
    利根川は江戸初期の東遷事業で銚子のほうに流れるようになりましたが、それまでは東京湾(現在の荒川や江戸川付近)に流れてました
    ですので、利根川東遷以前は姿川・思川は利根川に合流してましたが、鬼怒川は銚子(旧常陸川)に流れていたそうで古代では水系としては違います
    専門家ではないので想像ですが、違う水系が近接しているこの地域は、中継地的や分岐点的な役割があったのかもしれませんね

  35. たまたまおすすめ候補に出てきたから拝見しましたが…テラ近所笑

    というか、国分寺方面にも行かれているだろうということは確実に我が家の前を通過されてますね、えぇ笑

  36. たまたま目にした動画でしたが、結構近くなので早速、摩利支天塚古墳、琵琶塚古墳、資料館を訪れました。500年ごろはこの辺りが下毛野の中心地だったと思うと感慨深いし、不思議な感じもします。続きの動画も楽しみにしています。

  37. 小金井駅、湘南新宿ラインを利用して都内まで通勤しています。中学生の頃の友人宅が摩利支天塚古墳があり、周りの水田風景の中をチャリンコで走り回っていた頃が懐かしく思います。地元の文化遺産を取り上げて頂いてありがとうございます。

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