競輪選手に師匠と弟子という【徒弟制度】のようなシステムがあるのは、そのように教わらないと選手になれるレベルに到達できないからであるが、中には【師匠】無しでそのレベルに到達できる者も存在する…
2025年7月東京都立川市マングローブ バイクス 今回は東京都立川市でマングローブ バイクスを営んでいらっしゃる東京64機 の競輪OB 高橋さんにお話をお伺いしました。高橋 さんです。はい。本日はインタビューを 受けてくださってありがとうございます。 はい。加速なんですが、 高橋慎司さんは引退されてから何年ぐらい経ちますか? 2005年の6 月のレースが最後だったんで、もうまるまる 20年経ちますね。20 年? はい。 その20 年の間どのような生活を送っていらっしゃったのか教えていただけないでしょうか? はい。 テンション終わってからすぐにこっちの仕事ね自転車業協会の方の仕事に単心飛び込むような形ではあったんですけれど、まずは取引をしてもらわなくちゃいけないから、取引先とのコンタクトを取らなくちゃいけない。 たまたま引退してすぐにサイクルシみたいなね、ユーザー向けの展示会みたいなものがあったので、名称を自分で作って吸って意見メーカーさんやらさんやらお話を聞きに [音楽] 頭を下げに回ってそこから始まりでしたね。 なぜ自転車屋さんを開業しようと思ったんでしょうか? えっとね、実は競リ選手になりたいっていう希望の前に自転車に見せられたのが僕の少年期なんですよ。 あ、そうなんですか。 うん。 サイクリング少年から僕始まったんです。 あ、そうなんですか。 え、どんなサイクリング少年だったんです?う ん。ま、あの、中学生の時にブリジストンでロードマンっていう自転車があったんですよ。 それが当時父親がね、サイクルスポーツという雑誌を買ってきたんですよ。そこに色々と自転車の記事があって、あ、僕だけじゃなくてたくさん大人の人たちとかメの人たちがね、自転車っていうものを楽しんでらっしゃるんだなと思って、そこでどんどん自転車にはまっていったんですよね。 そうだったんですね。 で、その時にさっきお話したロードマンを親に無理を言って買ってもらって、それから現実に直面するまではその辺をフラフラと走り回って楽しんでいました。 何歳の時だったんでしょうか?12 歳、13歳ぐらいか。 じゃあその12歳、13 歳ぐらいの時に堂マンに乗り出して そうです。自転車の方にのめり込んでいって中学生高校生の時代ロドレサブームの全田中だったんで [音楽] はい。 中学から高校の事件で都立の高校に行ったもんだから親はその分節約はできたようだったんで何かお前やりたいこととか欲しいものとかあれば言ってみろって言われて まじしてロードレッサーが欲しいつって そこでロードレサーをしっかりしたものをね鉄のフレームで寸法の部分もセミオーダーで作ってもらって部品は国産の部品の [音楽] 1 番いいもの使って作ってもらったんですよ。 ま、それはね、今までのたロードマンと大違いなんで息を用とどこって走るんですよ。 軽いんですよ。 自転車が得意になってスピードを上げるような走り方を楽しみながら嬉しく思いながら乗り回してたのは高校生の自分でしたね。で、その頃ロードレースっていうのが草レースとして始まるようになったんですよ。で、僕は最初に出た草レースといえば伊豆の前寺のチャレンジサイクルロードあれに出たのが最初だったんですよ。 [音楽] で、そのレースはいかですか? レースはね、高校生の部で出て 200人以上はいたかな。それで 50番ぐらいだったんですよね。 すごいですね。 いや、すごくはないんですよ。全然 戦闘なんかまるで見えないですし。で、ま、高校生の部と言っても当然競技部に入ってる子たちもいましたでしょうから、当然力量の差や経験の差ってすごく実感があって、全く歯が立たないって。 何が歯がったないってそこでね自分に競争したい競争が楽しいと思う自分がいるとは思わなかったんだけれどとにかく出てみたことで世界が開けたっていうんですかね。そこですぐに競輪選手になりたいとは思わなかったんですけれど。 [音楽] あ、そうだったんです。 ただより自転車にのめり込んだの事実だったんですよ。早く走れるやがいるってことは自分も頑張れば早く走れるようになるんじゃないかって勘違いをして 一生懸命あの練習みたいなことはしました。そう毎日道の方行くとかね。 朝起きて学校行く前に練習行くとかそんなことをやってましたね。今度はあいつらより勝ちたいなとか先にゴールしたいなとか。そうしますとやはりメキメキ力がついていきます。 そうでしたね。あの頃はサドルの上にいればいいだけより走れるようになるっていう実感はありましたね。練習に行くっていうよりも、ま、練習に行くっていう考え方にはなってましたけど苦しい思いをしに行くんじゃなくって自分が力量が上がるっていうんですかね。力がつくっていうんですかね。 [音楽] そういう気持ちが強くて自転車に乗って家を出てましたから苦しいと思うことはあんまりなかったんですよね。だからやればやっただけ力がついてくるっていうのを今度やめられなくなりますよね。 そこでまた大会出てさらにいい結果にしたがって はい。なので何回か草レースでも表彰台のてぺんに乗れることはあったんで優勝をねたらり寄せるようなことは何度かできましたね。 ああ、すごいですね。現実に直面するまでとおっしゃってましたが はい。 それがそういう競輪選手の方向のという 競輪選手になろうと思ったのは 本当は自転車作る職人になりたかったの当時はだからわゆるフレームビルダーでもね、ま、手先は小さい頃からビズザイク工やったりとかね、小学校のとゲ部だったりとかで不器教ではなかった方なんで何か物づりをする好きなものって言ったらもう自転車のフレーム作るのはやりたいなと思ってそれでまつても何にもなかったから [音楽] [音楽] あの当時フレームを作る職人さんで日 の人誰だろう?そういう風に思った時に中野光一さんの自転車を作ってる中長さんだと思ったんだ僕は [音楽] で大阪じゃない長さんところって 長沢さんとは当時も明なんか何もないし 高校生の自分どうやって迎えれてもらおうかなって考えた時に漫画じゃないけれど積み込みデッジみたいの何日も通って頭下避ければやらしてくれっかなとかそんなこと色々考えながら もん々としてたんだけど はい でいいざ震度相談の時計が近くな 親に気持ちを打ち明ける時に 父親からも母親からも前自転車に一生懸命乗ってきてそこそこ走れるようになってるんだから はい。 だったら競輪星政治目指してみたらってその時にポロっと言われたんですよ。 はい。 その時に自分の頭の中にちょっとパッと雷が落ちたみたいになってあ、そっか。競輪選手になれば自転車のプロだから鉄の自転車にも当然乗るしね。ブレームダーさんとも近づけるし。 [音楽] 選手終わってからでもビルダーになることはできるよね。ま、実際そうやって終わってからビルダーになってる人たちもいるでしょうし。そういうことで、あ、じゃあ一丁目指してみようかつって。そう思ったのが高校 3 年生の夏休みだった。それから急いでトラックレーサーを立てて最初はね、当然すぐにフレームの色派なんかわかんないから中持うちから借りるんですよ。 1番最初に乗ったレーサーが、え、 片倉でした。 すいません。カタクラシルクって あの八王子の片倉にねあったシルクっていう今もシルクってお店はあるんだけれど 八王子の選手結構シルク乗ってましたね。 あ、そうなんですか。 うん。そう。あれは多分八王子にキの道があったからでしょうね。で、それを借りて乗って最初に踏んだ上げが 4パ事10でしたね。 はい。当時にしてはちょっと重めですかね。 ま、その頃ね、重い軽いっていうのは正直僕の中では固定ギアの社では思わなかった。 なぜかと言うと、高校生の頃に 僕のロードレーザーのトップギアは前が 53で 後ろが13だったんで。 あ、ほ、 で、5313 は普通に改造で踏めてるギアだったから トラックレーサーでパ 15 とか重いと思ったことなかった。それよりも足が止めらんないでしょ。 それの方が ああ、随分と体力削られんだなっていうのが最初の印象でしたね。あ、 うん。毎日まのうだから 奥たのお墓地段までの往復が家日家だったんだけど。 あ、そうなんですか。 そうなんです。 すごいです。 それは高校生の時ずっとやってました。 すごいですね。 やっぱ勝ちたいと思うと練習しないとダメでしょう。トンネルの中はもうもがてましたよ。だってトンネル横から出てくるやつ誰もいないじゃない。真っ暗だけどね、当時のトンネルはね。 [音楽] ああ、そうですよね。あ、それで 1000m測ったんですか? そう。それで初めて1000m測った時が 1分20 秒だったかな。いやあ、苦しいなと思って。 はい。で、それからハンドルの幅とかね、 ステムの長さとかそんなことを考えるようになって はい。 自分の体りに合わせていくじゃないですか。 はい。 で、自分のフレーム作ってもらって はい。 で、当然試験受けたいからっていうことで作ってもらったんだけど 用とか受験用 1000m 独走用つって頼んで出てきた自転車にずっと乗ってました。 シ司さんは 63期って受けられましたよ。 僕受験は 62機からだったんで。 あ、そうなんですか。 うん。61 期は卒業見込みなんで、僕は夏からの振路変更したから ロードレース乗ってたのからトラックレーサーの方へね、 変更したんで当然間に合わないだろうと思ったんで、秋の試験はね、 [音楽] 実際は全然タイムラ出てなかったし、間に合うはずもないし、行って経験を積むのも悪くはなかったんだけど、打ちしがれて帰ってくるのも嫌だったんで。 はい。はい。だって当時最初に乗って 20秒で走ったところでいいとこ 15 秒ぐらいじゃないかなと思ったんだよね。そこで 10秒9 秒の子たちを見るとさ、がっかりするじゃん、自分に。 はい。 だ、それはちょっと気持ち的にもやだなと思ったんで、 61 機の見込みは僕受けなかったんですよ。 お、それで62期から。 そう、62機から受けて、 じゃあ3回目の64機で。 そうですね。 まあ、半年ごとにあったから、まだあの頃はね、 3回目と言っても1 年半だったんで、だから年数でいいや、 2年だよね。その61見送って19 歳で競輪学校入って 20十歳で卒業して あ、そうだ。僕はね、師匠いなくて芸二学校合格したんですよ。 あ、そうなんですか。 そうなんです。 え、すごいですね。 て言われるんだけれど いろんな人からお前すげえなって言われるんだけど、 別にすごいことしたとは思ってなかったのね。 はい。なんでかって言うと、自転車に乗る ことが辛くなかったんで、なんかこう力が ついてくる自分が嬉しくて楽しかったから 、次はもっとこんな練習してみたらもっと 強くなるかなとかって色々考えながら自分 で意図的に苦しい練習ができてたんだよね 。で、62機、63期って不合格で 62 機がダメになった時、初めての試験不合格だった時に はい。 よし、じゃあ自分が布団の上にいるよりも はい。 サドルの上にいる時間をなくしよう。それを自分に聞かせてよし、じゃあ 8時間寝るなら8 時間以上はサドルにいようと。そうすれば自転車の上にいることで得るものはそれなりにあるだろう。 それと同時に行に行くとスタンディングのタイムが良くないんですよね。みんなが 16秒台の半場から前半で走るのを僕は 1 秒遅いんですよ。だからどうしたらいいのかな。とにかくダッシュの練習をしなくちゃいけない。だから信号で止まるでしょ。え、 だからそん時にシャドの左脇で スタンディングで待つんですよ。 はい。 スタンディングで待つかガードレールがあればガードレール捕まって足を外さないのではい。 [音楽] バンドをね。 はい。 それで信号の変わる瞬間を見ながらこう出てくる車、横切る車がいないのを意識しながらね 信号が赤から青になるタイミングを 04 のスタートじゃないけどそこで集中してながら パッて踏み出す練習をマ信ごとにたの すごいですね。 でもそれも 遊びの一環なのよ僕の中では。 よし、じゃ全部の信号で はい。 信号出グランプリやってみようって。 [笑い] え、で、そうするとやっぱ早くなります。 なりますね。 ああ、あれってやっぱほら、体重移動じゃない?スタンディングって。 はい。 そんなのも 教えられてもわからないものはやるしかないんで。 で、教えてくれる人もいなかったからで、昔現役の時に長塚君に [音楽] あの後にたまたま一緒になった時に 長塚君 スタミングしてどうやったら早くなるの聞いたら 簡単ですよ。そんな体重移動ですから力なんか全然使わないですもん。 あ、そうなんだつってわかんない。そうなんだって言ってる自分も分かってないんだけど天才って違うんだなって体重移動ですよねって言われた時に ま、確かにその通りだとは思うけどねって。だからそうもっとね教えてくれる人とかが僕も習得時間は短くて進むことって多くあったかもしれないんだけれど自分で教えられないで見つけたことって絶対忘れないじゃない。 [笑い] 身につくでしょ。 だから練習の質のことを言う若い子って多いんだけれど質ってやっぱりあるレベル以上になってからなってくると思うし何でもほら基礎とか型とかってあるでしょ。基礎のことができてなければ形も決まってこないし 形が決まってくれば動作も楽になるしそういうところの順序だったところそういうものってやっぱりこう体を使う動作だったり仕事だったりっていう人は大事なんじゃないかなって特に思ってるんですよ。 高橋慎司さん、 大変貴重なお話をありがとうございました 。 いつも競輪ジャーニーをご覧いただき ありがとうございます。 次回も是非 お楽しみください。
【高橋慎治】さんのプロフィール
競輪学校第64期生
1989年プロデビュー 2005年引退
通算出走回数1329回
1着102回 優勝3回
現在は東京都立川市にてサイクルPROショップ【マングローブ・バイクス】を経営していらっしゃいます。
http://mangrovebikes.blogspot.com/?m=1
【竹内秀介】さんのプロフィール
1983年引退
【竹内自転車店】さん
グーグルマップ
↓
https://maps.app.goo.gl/4PFeNxZ3oxU2XWN48?g_st=ipc
【折原富造さんの動画】
↓
【札幌競輪は復活できるのか?】1950年に開設された【札幌競輪】は売れに売れ、入場者が多かったにも関わらず、なぜ廃止になってしまったのか?
【池崎太郎さんのプロフィール】
競輪学校69期生 1992年プロデビュー
2011年引退 通算出走回数1451回
1着回数390回 優勝回数52回
現在は東京都東大和市清水にて【あゆみ鍼灸整骨院】を経営されていらっしゃいます。
池崎太郎さんのインスタグラム
https://www.instagram.com/ikezaki.taro?igsh=aGx5YnY4bGs4cjV6
【あゆみ鍼灸整骨院】さんのホームページ
https://ayumi-hariseikotsu.amebaownd.com/
グーグルマップ
↓
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【相原健樹さんのプロフィール】
競輪学校51期生 1983年プロデビュー
2012年引退 通算出走回数2290回
1着回数363回 優勝回数44回
現在は宮城県仙台市青葉区にて【健幸整骨院】を経営されていらっしゃいます。
【健幸整骨院】さんのホームページ
グーグルマップ
↓
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相原健樹さんのインスタグラム(健幸整骨院)
https://www.instagram.com/kenkobody?igsh=dmE1dWMyaW5zajJn
【立川吉幸さんの動画】
本当に恐ろしい敵が現れたと思う…初のG1出走にも関わらず、決勝進出を果たした吉岡稔真さんに、鈴木誠さんが取った戦法とは?競輪大好き落語家の立川吉幸さんに当時のことをお伺いしました
競輪大好き、落語家の「立川吉幸」さんが競輪界のボス「後閑信一」さんとやっていることとは…
【志村文夫さんのプロフィール】
競輪学校46期生 1980年プロデビュー
1996年引退 通算出走回数1361回
1着回数69回 優勝1回
現在は山梨県山梨市下栗原にて【食ぶんや志村苑】を経営していらっしゃいます。
グーグルマップ
↓
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【街の幸福度ランキング2023】
https://www.eheya.net/sumicoco/2023/ranking/zenkoku/love_area.html
【牛山貴広さんのプロフィール】
2006年トリノオリンピック出場(スピードスケート)
競輪学校第92期生 2007年プロデビュー
2023年引退 通算出走回数 1249回
1着213回 優勝28回
現在は長野県諏訪郡原村にて、村長を務めていらっしゃいます。
【長野県 原村のホームページ】
https://www.vill.hara.lg.jp/
【藤本達也さんのプロフィール】
競輪学校45期生 1980年プロデビュー
2011年引退 通算出走回数2613回
1着290回 優勝23回
現在は長野県安曇野市豊科駅付近にて、「炭火焼き鳥酒房・達」を経営されていらっしゃいます。
【石垣島はちみつのホームページ】
https://ishigakijima83.com/
【枝並畝日さんのプロフィール】
競輪学校54期生 1984年プロデビュー
2010年引退 通算出走回数 2035回
1着341回 優勝34回
現在は沖縄県石垣島にて【株式会社石垣島はちみつ】を経営する養蜂家としてご活躍していらっしゃいます。
【大井浩平さんの著書】
(あたたかい花をみんな持っている)
【大井浩平さんのプロフィール】
競輪学校84期生 2000年プロデビュー
2017年引退 通算出走回数 1259回
1着回数 191回 優勝回数 12回
現在は東京都八王子市にて、整体マッサージ師としてご活躍されていらっしゃいます。
大井浩平さんのマッサージを受けたい方はこちらにご連絡ください ↓↓↓
https://www.instagram.com/gogo75kohei?igsh=MWxibWM1N2N5amJtMw==
【大井浩平さんの運動教室のホームページ】
https://start8.jp/feature/greeting/
【大井浩平さんのインスタグラム】
https://www.instagram.com/gogo75kohei?igsh=MWxibWM1N2N5amJtMw==
【松村悟さんの動画】
[競輪]元競輪選手の思い出の300万車券のレースと引退後の生活…そして強豪ぞろいの競輪学校73期生のエピソードなどをお伺いしました。
[競輪]挫折…それがあったから…誰しも経験する人間にとって大事な挫折…選手引退の決断からみる競輪人生の幕引き、そして第二幕は?
【戸張俊行さん出演の回】
【まだ走れるのになぜ?】クビになるまで走るか、自ら辞めるかは人それぞれだが、その理由を本人から聞ける機会はほとんど無い…
【染谷政弘さん出演の回】
【競輪】選手として勝利することだけに打ち込んできた男たちが、引退後に何かができるようになるには【365日】無賃無休で何かに打ち込まなければならない…
聞けば【ゾッとする】競輪学校の恐ろしい話しと、実際に大宮競輪でレース中に起こった怖い出来事とは?
【山崎悟さん出演の回】
複雑なレース展開を推理するには、選手個々の特徴を知ることが求められる公営競技の王様、競輪…レジェンドの有坂直樹さんと練習仲間であった茨城県 92期の山崎悟選手に、レースに対しての考えをお伺いしました。
【武笠貴太さんのプロフィール】
競輪学校第92期生 2007年プロデビュー
2021年引退 通算出走回数 965回
1着回数79回
現在は埼玉県熊谷市にて【自家焙煎珈琲豆屋 心春日和】を経営していらっしゃいます。
「心春日和」のインスタグラム
https://www.instagram.com/coharubiyoricoffeeroaster?igsh=Yms1eHMzOHkwbjRt
「心春日和」のネット記事
「心春日和」グーグルマップ
https://maps.app.goo.gl/7z2k7d354j1pkkyf7?g_st=ic
【村本大輔さんのプロフィール】
競輪学校第77期生 1996年プロデビュー
2016年引退 通算出走回数 1588回
1着回数 347回 優勝回数37回
2005年 高松宮記念杯競輪優勝
現在は静岡県静岡市にて「ガーベラスポーツマッサージ」を経営していらっしゃいます。
「ガーベラスポーツマッサージ」のインスタグラム
https://www.instagram.com/d__gerbera?igsh=dzViNHBvOWYwcGdv
【川本龍司郎のプロフィール】
競輪学校第82期生 1999年プロデビュー
2015年引退 通算出走回数1318回
通算勝利数262回 優勝回数29回
1件のコメント
競輪好きには、たまらん番組。
ありがとう!