【備前西市駅】住宅街の中に隠れた地元民に長年愛される老舗寿司店までお寿司ランチを食べにいくツーリング【岡山県・全駅グルメラリー#63】
はい、どうもモンゲーライダーです。今回 はですね、岡山県全駅グルメラリー第63 弾ということでね、今回訪れる駅は宇野線 美前西一駅です。 [音楽] はい、ということで宇野線美前西駅まで やってきました。 [音楽] [拍手] [音楽] はい、ということで岡山市南区西一にあり ます。宇野線の美前西一駅までやって まいりました。まあこの西一駅っていうの はとても祖 入り口になってましてね。こんな風に 小さな無人駅って雰囲気ですね。ま、駅の 入り口だけ見るとね、うん。田舎の何か 小さな無人駅なのかなって感じなんですが 、ま、岡山から2駅目の前西一ね、岡山の 市街市にある駅ですね。なんでこの西一駅 はね、ま、駅舎とかもないようなね、本当 小さな簡易的な駅って感じなんですけど、 これがまたね、この駅上院がね、結構多い んですよね。ま、この前西一駅というのは ね、1日の利用者数が大体3200人 ぐらいいるっていう駅でしてね。ま、 そんな岡山市内でもね、なかなか利用者数 の多い駅の1つなんですが、ま、駅舎は なくね、こんな風にもベンチも3つぐらい しかないっていうね。まあ、なんで本当駅 の設備にはね、あんまりお金がかかって ないんですけど、利用者数は多いっていう かなりコストパフォーマンスの高い駅です よ。でもね、この西一駅ね、ま、過去20 年ぐらいの利用者数の統計を見るとね、 20年前はね、今の半分ぐらいの利用者数 だったんですよ。ま、僕もね、全グルメラ リーっていう動画をね、ま、ずっと今作り 続けてますから、ま、そういった駅の利用 者の推移位ってね、どの駅でもよく見る ようにしてるんですけど、基本的には どんどんと減っていってるんですよね。 どの駅も利用者数って。ただこの西位1は 2倍になってるんですよね。ま、この車 社会の岡山県内の駅でね、利用者が2倍に も膨れ上がるっていうのはなかなかな存在 なんですが、それはこの辺りがやはり宅地 がかなり進んだからでしょうね。まあ、 西地っていうのはね、もう現在駅前の 雰囲気を見ても分かるように、まあ、 マンション、アパートが立ち並んでおり ましてね。ま、それほど岡山市内では人気 の高いエリアだということなんですが、ま 、それこの西一というエリアはね、こう いう風に美前西一駅もありますし、で、 もうそのすぐ先にはね、国道2号バイパス も通ってますから、ま、倉敷の方面とか 美前方面に行くのも便利だと。ま、それに 加えてね、この西一にはね、剣道21号 岡山小島線が走ってましてね。ま、この道 を行くとね、もう岡山市街市まで約 56kmっていうことで、ま、そういった 条件からね、この230年の間でかなりね 、ベッドタウン化が進んだ地区でしてね、 それ駅の利用者も2倍に増えるわけです。 まあ、なんでこの美前西一周辺というのは ね、もう完全に岡山市中心部のベッド タウンというような感じでね、ま、多くの 建物が立ち並んでいるんですけども、では ね、ここで少しね、時を遡りまして、今 から50年前、その時の西一周辺なんです が、これ見てください。ま、今のように 建物が立ち並んでるっていう雰囲気は全く ありません。もうほぼ電園地帯となってい たのが西一だったんですね。そんなのどか な電園が広がっていた西一に駅ができたの は1939年昭和14年のことだったん ですけどもね、これはね宇野線開通から約 40年も経った後なんですね。ま、これは 地元の積極的な誘致によってね、美前西 地域が開業するに至ったんですけど、この 駅はね、海業時から関祖で小さな無人駅 だったんですよね。なんでね、当時ただの 農村だった西一がこんな人気のエリアに なるともま、思ってなかったんだと思い ますけどもね。それが今や右野線でも屈の 上行客を誇る駅になっているわけです。ま 、今となってはね、その当時駅を誘致して いた地元グッジョブってことなんですけど もね、地元と言ってもね、岡山市のことで はありません。西一はですね、現在は岡山 市南区なんですが、駅海業寺は西一は三軍 吉田村という自治体でした。三軍吉田村は 現在の西一母 等神殿満泉一体の地域を指しておりまして 、現在でも吉田という知名は小学校やJA 公民館に残っています。その当時の吉田村 の中心地区が西一だったんですね。吉田 公民館駐車場には吉田村役場との石碑も 立っています。この吉田という地名こそ この地域がかつて巡前たる農村地域だった ことを表しています。吉田村というこの 地名は岡山班の名君と呼ばれた池田三の 送名の頭文字とこの辺り一体が当時広大な 水電だったために吉田と名付けられたと 言われています。952年昭和の大合兵で 吉田は岡山市に吸収されて消滅することに なるんですが、合併前の吉田村のデータは 世帯数、人口2795人。そして驚くべき ことにその9割が農家だったと言います。 つまり50年60年前までこの西一周辺に 住む人のほとんどが農業に従事していた。 現在の西一を見ると全く想像がつきません がここは純前たる農村だったわけです。 この反世紀で静かな脳だった吉田地域は 急速に都化が進み、ある意味全く真逆の町 に変貌を遂げていくことになるんですね。 なぜ脳損だった西一が急速に都化したのか というと、昭和に入って美前西一駅ができ たこと、そして国道2号発が町を通ること になったことも大きな要因なんですが、 もう1つは町を県道岡山小島線が通って いることにあると思います。この道路沿い に商店や飲食店が立ち並んでいったことで 急速に都化が進んでいった。この西一の 発展を考える上でとても大きな要素が小島 線なんですね。この岡山小島線は文字通り 岡山市街市から倉敷市小島までを結ぶ道路 なんですがこの道路の全身はコンピラオ来 と言って岡山浄化から下物以降までを結び 船で四国へ渡り最終的にコンピラさへ至る という街道でした。西一は古くからこの コンピラ往来沿いの町だったんですね。 この西一という致名も街道沿いに定期位置 が開かれていたことに由来すると言われて います。この周辺地域の歴史を語る上で 欠かせないコンピラオ来は現在の小島線と はまた違うルートだったんですね。今の 小島線は野田の交差点から入ってきますが 、当時のこの四国往来というのは現在の 野田のハローワークの道をぐっと南に難化 していくと。そしてそこから下中野に入っ てそして西一の方に伸びていく。下中野 から西一までの当時のコンピラ街道は現在 の小島線のすぐ西側の小さな細い道。ここ が昔の街道だった。で、この小島線を横断 して西一駅の方に向かっていくのが昔の コンピラ往来なんですね。そして西一に たどり着くとですね、宇野線の線路と並走 していく区間がある。ここまで出てくると 現在の西一駅前に、え、たどり着いていく 。それが当時のコンピラオ来なんですね。 そしてコンピラ往来は現在の西一駅前から ぐっと西に向かっていくことになります。 そこから1度南へ直角に折れて最終的に 笹が川の方につがっていく。なんで当時の コンピラオ来というのはこの西一駅前と 小島線を結ぶこの駅前の道路。これが かつてのコンピラオ来なんですね。そして 小島線に突き当たりましてそこからここ はサロになるんですがこの中で コンピラオ来の道が現存しております。 この左斜め下の道ですね。い駅前の道路を ぐっと直進していくと繋がっていくこの 細い道。これが昔は四国へ続く主要街道 だった。西一の由来ともなっている街道沿 の市場というのはどの辺りにあったのか よくわからないんですがもしかしたらこの 道沿いにあったりしたんでしょうかね。 そして西一駅前からねコンピラオ来は ぐーっと伸びていって最終的にこの笹がに たどり着きます。ここは岡山市南区米根倉 。目の前に見えてるのは国道2号線大橋 ですね。この南区米根倉はですね、国道2 号線と小島線が立体交差する町でして、 ここも西一と同じく市街地下が急速に進ん だ地区なんですが、その昔はここは コンピラオーラへの重要なポイントであり まして、旧吉田村の中で1番の賑いを見せ た場所だったんですね。それはここに かつて米倉校があったからです。国道2号 線大橋、そして向こうには岡山西バイパス の橋も見えます。その間にある佐々川の ほとり。ここにかつて物資の積み出しや コンピラオ来の都戦場として栄えた米倉校 があった。この米ネ倉光は江戸時代から 明治にかけてコンピラ参りに向かう旅行者 たちが1日に何百人と往来するような場所 だったんですね。そのことを知らなければ ね、ここが港だったというのはもう分から ないんですが、ま、一応その名残りとして このようなね、灯老が残ってるんですよね 。この灯老というのはそのコンピラ往来で 賑わっていた当時からあるものみたいでね 、この穴を覗くとね、向こうにはコンピラ さんが見えたと言います。今はね、全く何 も見えませんけどもね。今は全く当時とは 風景が変わってしまっていて想像しにくい んですが、かつてはここに多くの旅人が 行き換いその周辺には食堂や海鮮丼や宿屋 などもあって港町としてなかなかの賑いを 見せたそうです。しかし米倉というのは 岡山市南区の住宅街です。この町はかなり 内陸部にあり、ここに港があるというのは 不可です。ではなぜ米倉に港が作られたの か。 なぜ米倉に港が作られたのか。それはです ね、また過去にタイムスリップしていけば 分かるんですが。さて、ここから現在の 地図から明治30年頃の地図に変わりまし た。米倉湖。これ加工部分にあるんですね 。つまり昔の米根ぐというのは小島ワの 加工部分だった。足森川と笹が合流して この米根ぐあたりから小島ワに注いでいた んですね。 なのでこの米倉校というのはコンピラオ来 の都戦場としてそしてこの地域の物資の 集席場としても賑わっていた。なのでこの 米ネ倉光から当時は物資の積み出しが行わ れて小島湾に運び出していた。かつては 加工だった米根倉がなぜ今は内陸部に位置 しているのかと言うとそれは明治以降の 観拓でこれより南に土地が広がっていった からです。によって土地が広がり内陸に なってしまったことで米倉は港としての 機能を失っていくことになります。しかし 、米倉湖が港町として反映したのもここが 江戸時代の観拓によって誕生した土地で あり、加工部となったためです。米倉の 知名も開発した当時の繁種がここに視殺に 訪れた際に数多くの米だを船に積んでいく 様子を見て言った言葉が由来となっており ます。によって生まれた米根倉。この 米根倉光にはこの一体が拓地であることを 示すものが現存しています。これは 米根倉光にある大門というものです。笹川 のほりに残る石作りの水門大門。これは 江戸後期米根ネ倉神殿の観拓と共に気づか れた石紐紋でありましてその使命は3つ ありました。1つはタバタを潤す溶水を 確保すること。2つ目は川の雑炊や高塩の 逆流を咳止めること。そして3つ目は小島 湾から運ばれた荷物を浄化町へ導く水の 石書となること。この水門が港と内陸を 結ぶ金だったわけです。なので今もこの 周辺の住宅地にはこういった風に水路が 張り巡らされている。かつて米根倉港から の水路は西側へ繋がっていたと言います。 つまり岡山浄化と米浦湖を結ぶ水路の ゲートがこの大門だったわけです。米倉 平田の住宅街に今も水路が巡っているのは その名残りです。国道2号にかかる大橋は この水門が由来となっているんですね。 鬼問からの要水によって潤っていたこの 広大な農村地帯は昭和以降急速に宅地が 進みたった50年ほどで岡山市内でも屈死 の人気エリアに変貌を遂げました。卓で 生まれた吉田地域に最初の反栄をもたらし た米倉校は今では密集する住宅地の中で 静かに忘れ去られようとしています。はい 。ということで今回美ゼで行くお店なん ですが大門寿司というお店に行きたいと 思います。こちらはですね、この西一周辺 で死偽舗のお寿司屋さんということでね、 ちょっと行ってみたいと思います。 お見えてきましたね。住宅街の中にあり ます。では行ってみましょう。 わさび入りの中の入場でこれとこだけってこんな深刻なあの日本にもやはりできることってあると思うんですよね。その 1つはやはりギリス 198年の時間し 199年から第30 代住職を務めています。 中国 時として初めてる人物を失ったの発にあった可能性もあるとしてます。 [音楽] 番 [音楽] ということで1915年113年から シールがなんですが今は世界の れています。 はい [音楽] 。 [音楽] ありがとうございます。 ありがとうございました。山のがについてした。 [音楽] が狙われる事件が相ついていて 警察にありますと地宅にいたスタートが気 がついて正直のため3人はずにそのまま 停勝します。山本コースが成中でアメリカ で遊スポーツ選手の自宅が狙われる事件が あります。はい。ています。 アメリカ 連闘局れば、え、ロシアと引に対する制裁を取るようなことでますから、その一環見ることもできますけれどもはしておめでとうございます。 [音楽] [音楽] [音楽] ヘラベラはということで [拍手] [音楽] ね、大門寿司さんでね、ランチ食べてき ましたけれどもね。いや、美味しかったっ すね。ま、お寿司とね、あと天ぷらか刺身 を選べるんで、どちらかをつけれ るっていうセットなんですけどもね、もう 熟連の寿司職人さんがね、握ってくれる 握り寿司とね、ま、あと天ぷらね、どちら も美味しかったですね。ま、あんな風に ちょっと隠れガ的に住宅街の中にあるにも 関わらずね、もう回転と同時にね、もうお 客さんがバンバン入ってきてましてね、 もうすごい人気だなっていうの分かりまし たね。ということでね、気になる方はね、 ま、是非予約なしてね、行ってみて ください。ということで全駅 グルメラリーゼン西一駅編は以上になり ます。私サブチャンネルとしてモンゲー ライダーのみチャンネルというのもやって おります。こちらもよろしくお願いします 。 それでは今回も最後までご視聴ありがとうございました。世界は喜びがれている。 [音楽]
【岡山県・全駅グルメラリー#63 宇野線 備前西市駅】
今回は宇野線 備前西市駅です。
今回いったお店
・大門寿し
岡山市南区万倍16−9
お仕事の依頼、問い合わせは下記メールへお願いします。
もんげーライダー事務局
mongee.rider@gmail.com
サブチャンネル「もんげーライダー飲みチャンネル」もよろしくお願いします!
https://www.youtube.com/channel/UCu66jDwFpVH9iyZSBHB4M3w
☆★岡山・全市町村グルメラリーで紹介したお店や動画撮影時の写真などはインスタにアップしてます!フォローお願いします!★☆
https://www.instagram.com/mongee_rider/
#寿司
#西市
#米倉港
当チャンネルについて
———————————————————————————–
大都会のような街の華やかさはなく、かといって壮大な大自然が広がるわけでもないとてつもなく中途半端な県、岡山。
このいまいち存在感のない岡山の地で生まれ育ったもんげーライダー HIROYAが愛車のNC750Xに跨りモトブログ形式で主に岡山の定番ツーリングスポット、名所からディープスポットまで紹介するチャンネル。
もんげーとは、岡山の方言で「ものすごい」という意味。
このチャンネルを通じて岡山のことを少しでももんげーと思ってもらえれば幸いです。
その他、山陰、四国、関西によく走りにいきます。
2016年に50ccリトルカブで約1年間日本一周の旅をしていました。
日本一周の日々を記録したブログは下記リンクに貼っていますので宜しければご覧くださいませ。
http://blog.livedoor.jp/osakaokayama-osaka_okayama_kaeru/
【BIKE】 NC750X(HONDA) KDX125SR(KAWASAKI)
【CAMERA】 HDR‐AS300(SONY) iPhone12pro max
20件のコメント
いいお寿司屋さんですね!
これだけ岡山の歴史を調べている人がいるだろうか⁉️
いつも勉強になります。
えー近くにきたんですね。
会えなくて残念です😂
予約などして…部分がお店の繁盛ぶりを表してますね!
そのようにします👍
米倉港近くはよく通るのに、知りませんでした
降りて歩いてみたい場所だ
「金毘羅参り」は「お伊勢参り」に近い当時のレジャーだったんでしょうね😊
「児島湾の干拓」は小学校の社会科で習ったような、、、、、米倉港に代わる四国連絡港が宇野港なんですね。
何時もしっかりと調査をされているので凄く興味深く拝見させて頂いています。有り難うございます。😊
芳田小の校歌で「ほうれいこう」という歌詞がありました!謎が解けましたよ👍
この駅な周辺の人は移り住んで来た人が多いらしくタクシーに乗る人も「備前西市まで」と言う人がほとんどです。地元の人は「西市」と呼んでいて 賃貸、マンションの住人が多いことが伺われます
寿司🍣には赤だしの味噌汁は必須ですね。
またまた歴史! ありがとうございます。
新保には一時期住んでいましたが、新保の読み方すら知らないまま引っ越し、今は野田に住んでいます。もともとは玉野なのですが、以前たしか山田のあたりの歴史も紹介されていたような・・・ なんだか切ない気持ちになりながらいつも楽しませていただいています。大門寿司、気になりながらまだ行けていません。こんど行ってみます!
わぁー大門!
ここ安くて良いんすよね🤤
行った事ないんすけど(笑)
今、一番行きたいお店です🤤
暑い中お疲れ様でした。
大門寿司は初めて知りました。
また行ってみます。
米倉と大樋橋は某ラジオ番組の道路交通情報にも出てくる渋滞の名所ですね。昔から交通の要だったんですね。
由来については今度友達に教えておきます。
西市周辺の事知らなかった😢凄い近くにあるのに、歴史の事もありがとうございます🙇♀️又、大門寿司行ってみよう🍣
岡山大好き♡
備前西市駅で撮影されているお姿を拝見しました😊
撮影からこうして動画になるまで短期間で作業されていることに驚いています📹️
これからも楽しみにしています☺
変わったのはそんな古いタイミングではなくて
瀬戸大橋開通後ですよ
芳田は生まれ故郷なんで、西市駅は馴染みがあります!
小さい頃、祖父に連れられて電車を見に行ってました😊
前職場が当時近くにあり月一程度でランチの利用がありました。今は年に3回程度利用してます。
アナゴ寿司はおすすめ出来ます!
大門寿しも懐かしいなー😊
やはり夏は寿司を食えって感じかなぁ。また寿司食べたくなったなー😅
少し前まで備前西市付近に住んでた者です。
多面的に取材されていて、凄いなぁ。現代の映像だけでも、いろんな場所の映像がありますね。
私が、以前住んでいた家も映ってました(笑)
大門ずしは、微妙に遠いので行ったこと無いですが(徒歩だと遠い、車だと近すぎる)、今度、行ってみようかな。