隔絶された山村・久田見の商店街(岐阜県八百津町)

はい今日は岐阜県や八津町の美という地区 にやってまいりました 八津町の中心部から険しい峠道を10km ほど登ったところにある人口約1000人 の小さな集落です そしてそのく道地区の中心にあるのがこの 中森商店街商店街と言ってもご覧の通りお 店はわずかしか残っていませんがここに 至る道乗りの険しさを考えるともはや卑怯 と言ってもいいほど 確なのでこれだけお店が残っているのが むしろ奇跡なのです 左手には松の屋薬局さんいやあ懐かしい 店構前です あまりに不便すぎてこういった日用品が手 に入るお店がライフラインとして必要とさ れているのでしょう 八町の中心部にはスーパーもありますが車 で30分近くかかります 道路が整備された今でもそれだけかかるの ですから昔はもっと大変だったこと でしょう えこちらの壁画は二見小学校の全校児童 35名を等身台で描いたものなんだそう です 2018年に描かれたものなので当時の 小学6年生はもう高校を卒業していること になりますね さあ右手には地区150年の商店山田を 回送したカフェ青や木さん2021年に オープンしたようです そして正面には5服の丸さ超レトロな 店構えがたまりませんね この路ジの奥にも何件かお店があるよう です そしてま向いには大沢野生かほさんあんま が名物のお店です えさらにこの左手には10年ほど前まで フードセンター丸町というスーパーもあり ました いやあしかしこの集落がどれほど確にある か動画ではなかなかお伝えできないのが もかしいんですけどね 実際に車を運転してきてみると急カーブと 急行勾配が連続する険しい峠道がうんざり するほど続いてもうこの先何もないだろう と思い始めた頃に忽然とこの町が現れるん ですその意外性には感動すら覚えます 右手には古めかしい建物がつっています 都会から離れていることもあって昔の 雰囲気がそのまま冷凍保存されてるような 感じです さあここで商店街は直角に折れています 正面の暮らしリフレッシュ糸屋さんは今も 元気に営業中です お迎えの糸谷家具センターは同じ名前です がご親族でしょうか スタート地点から250mほど歩いてき ました小じまりとした商店街ですが意外と 長距離に渡っています 少し前まではこの左手に薬局もありました そして右奥には電気屋さんとガソリン スタンドもあります最低限生活していけ そうなお店は揃っていますね スマイル家電高血さん最寄りの家電両販 まで20kmくらい離れているのでこの 辺りでは貴重な電気屋さんです この一角の景色だけ見ると都市部の住宅街 とそんなに変わらないように見えますね 今歩いてきた道を振り返ります そしてここから北に進むと町場の出張所や 農京があります えところで2023年にドラマが放映され たはやぶさ消防団は実はここが舞台だと 言われています 作者の池戸じさん実はこのご出身なんだ そうです さあ奥にはく郵便局そして手前の左側には 1994年まで使われていた昔の郵便局者 が残っています現在は若い夫婦が営む洋服 のお店手と手人商店に生まれ変わってい ます では郵便局の前の坂道を登ってみましょう えこのくの町では毎年4月にく祭りが行わ れます 6両の出汁が出てその上では空く人形劇が 披露されます え右手に見えるこの小屋がくりの出汁を 保管しているダ尻小屋です 次回は是非祭りのシーズンに来てみたい ですね はいということで本日は岐阜県や八津町の く地区からお送りしました最後までご覧 いただきありがとうございます 皆さんチャンネル登録高評価よろしくお 願いいたします

八百津町の中心部から約10km、標高500mの険しい山奥に忽然と現れる久田見(くたみ)地区。こんな隔絶された山村に、意外にも商店街が存在していました。
全盛期と比べると寂しくなったのでしょうが、今も営業されているお店が何軒もあり、古民家を改装したカフェもありました。昔の雰囲気がそのまま残るのどかな街並みをじっくり歩きます。

八百津町の中心部の動画はこちら

撮影日:2025年3月22日(土)
撮影機材:iPhone 15 Pro
http://match345.web.fc2.com/

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3件のコメント

  1. 飛騨川沿いの道、国道41号が整備されたのが、60年程前、それまで100年以上前は、道がないので、久田見を通って、御嶽山の方への街道があった。白川町の人は、ここを通って、岐阜へ、店の人が仕入れにここへ。七宗町分郷集落に一番近いのは、廃集落になった茶碗、次にここだ。戦前には、冷蔵庫ある商店でアイスキャンディーを買って、家まで持ってきたら、溶けてしまった。七宗町には氷室があり、ここに運んでいた。昔、都会だ。明治の頃、七宗町平からここの学校に小学生が通っていた。雨降りで危なないから、休みなさいと言っても聞かず、登校した話を聞いた。この人は、街で裕福に生涯暮らした。

  2. 出生届に不備があり、歩いて山を下りて再提出に行ったと聞いたことがあります。私の親族の昔の話です。

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