あの日から14年経った今、僕たちにできる事。

皆さん、こんにちは。け太郎です。僕は今 ママチで日本銃弾をしていて、旅をして いる途中にお尻が自由みたいになって しまって、現在宮城県の気仙沼っていう とこに滞在してます。で、気仙沼には2 週間滞在していて、このスローハウス ゲストハウスに2週間滞在させてもらって います。そのゲストハウスのオーナーさん がとても面白いので、今回は話を聞いて みようと思います。はい、ということで ハウスのオーナーさんの木浦さんに来て もらいました。はい、よろしくお願いし ます。2 週間ありがとうございました。 逆にどうでした? いや、なんか新鮮でしたね、やっぱり。 何が何が旅人やろで。 あ、そうっすね。このままず 2 週間も滞在するってことが自分にとってすごい新鮮というか。 確かにね、 ずっと自転車行為での宿して基本どっこか止まっても 1泊とかあ、 キャリダーあるあるだね。 そうす。こう長期間滞在するっていうのが 新しいことでした。うん。そうか。何やったっけ? 何やったかな? 忘れた。 みんなで海行ったりとか。 うん。確かに なんか サウ行って なんか船とか乗って あまり確かにあれやって飯食って はい。で寝て 手伝在して はい。子供と遊んで いろんな海外の方とかとも 確かに確かに 話したりして インターの人たちもねたくさんいたからね、 ちょうどいいタイミングだったよね。 毎日新しい人と出会うスでした。 確かに何が面白かったですか?うん。なんか共同生活っていうか うんうんうん。 人と一緒に生活をすることが旅とないっていうか旅へ出会った人っていうのは大体差し入れをも回ったりとか観光地で見つけてもらってお話するとかそういう感じなんでそもそも 1 日人と過ごす一緒にいるっていうのが面白いっていうか楽しかった。 確かにね。ま、こっち止まったりの家止まったり謎の生活だね。 はい。 え、そして僕と杉浦さんにはなんと共通点があるんですよね。 よ なんと同じ愛知県民なんですよ。 はい。安城は出身です。 僕は東浦町出身です。 イオンね。 うん。イオンあります。といえば 愛知県民しかわかんない。 昔の昔の記憶は辿どってますけど。 なんで愛知県から仙沼に来たんですか? そもそも震災から 1 週間後にボランティアて形で物資を運びに来たのが 1 番最初のきっかけではそこから気仙沼に縁ができてそのまま住んだって そのボランティアに来るきっかけみたいなのがあるんですか? きっかけはま、元々僕がヒッチ俳で日本一集してて当時 24 歳で無一でお金持たない方が面白いんじゃないかって仮説で出発してたから愛知を出発して太平側で北海道まで行って日本海側で愛知まで帰ってくるっていうのを半年ぐらいかけてやったんだけどむちゃくちゃ世話になり [音楽] 続けていろんな人たちにで、ま、だんだんそうなるとね、こうどうやって返しそうかみたいなこう考えるじゃん。で、そうなってきた時にちょうど自信が起きてで、ま、すぐにこっちに来てっていう感じでその後に [音楽] 2013 年にシアオフィスの後バを作って、で、その時キャンドル工房もあそこに作って、で、その後に、え、コロナ開けかな?コロナ開けてないかな? 2022 年にここにゲストハウスを作りました。 へえ。 デストレス作った理由みたいなのがあるんですか? 理由はね、ま、うちに相ろがたくさん来て僕みたいな人がいっぱい来たんです。 そう。もうびっくりすよ。年間100 人来てて。 ええ、100人。1 週間以上いたやつが50 人ぐらいたから、そういう人たちもたくさんなぜか来てたから、ま、そう含めてみんなで一緒に作ろうっていうのでゲスアスを作ったんですけどはい。 イ相郎が来る理由みたいなのがあるんです。 イ郎が来る理由 どうして集まってくるんですか? 知らないね。 呼んではないの。別ゲスト作る時は呼んでたけどみんなで作ろうっていう発信をしてたからその時は呼んでたけど、やっぱボランティアの受け入れをずっとやってたから、ま、ボランティアがネ泊まりするとこはないからでうちに解放したりとか、ま、半気にしてたんだね。う一応半分解放してたから。で、ネ泊まりする場所とか拠点があるとやすいから、そういうこう経緯があって、それがそのまま多分ちょっとずれ込んで残ってたよね。確かに そう。 今はなんかそれのための一見やみたいな感じになっちゃってるけどたちの活動とかに使おうと思って作ったらイろ老ろが大量に湧いちゃった。そこに今僕の開催させてもらって そうそうそうで夏になるとこういうあったかくなってくるとだんだんこういう人が増えてくるっていうね。 このスローハウスはどうやって勝てたんですか? ここはま、物件は借りていてそもそも動産投資をしてるオーナーがその人がなんか活動が面白いから応援したいって言って貸してくれたっていう うん。 で、好きにしてもいいのでいい条件で貸してもらって、その時もいてみんなで作っててって感じかな。 ま、じゃ、いろんな人が力合わせて そうそうそうそう。 ま、その相ろとか旅人とか含めてみんなで作ってで、クラフもしたから それをみんなで応援してもらって作った感じかな。 じゃあイソルを止めてあげるにお手伝いしてもらったっていう。 そう、そう、そう。みんなで作るっていうね。そもそもでもさ、旅してるから分かるし、俺も旅人だったら分かるけど、なんか面白い機会があれば参加したいよ。 はい。でも金がないじゃん。旅人だから。 ネ泊まりと食いモあれば何か面白いことがあれば手伝いたいじゃんっていう気持ちが俺も分かるから。ま、そういう機会を提供してる。 めちゃめちゃいいシステムっていうか。 そうだよね。面白いよね。そんぐらいの時だったら今やっぱ体験を積みたいじゃん。いろんな体験とか経験をしたいからっていうこう機械の提供だとちゃんとマッチングすればいいなって思ってるけどそれ面白いと思うんだったら大正解だよね。 最高です。こっちはま、いてもらっていいろんなこと手伝ってもらうっていう代わりにね。 ちょっとこう足りてないからなんだ。 [笑い] こっから頑張ります。嘘 十分足りてますよ。本当に このゲストハウスのテーマが予報だと思うんですけど、 それはどういうことなんですか? うん。ま、そもそもスローハウスのスローをどこから取ったかって言うと、 気仙沼市がスローシティっていう認定を日本で初めて受けてるっていう話があって、スローシティっていうのはそのスローフードとかの運動の流れで、ま、持続可能な街とかそういうのをこう言い始めたんだよね。イタリアのオルベート発症で。 で、それを日本で1番初めに認定みたいな 取ったのが気仙沼なんだけど、それ誰も 知らないの。で、気仙沼の人もあんまり 知らないんだよ。はい。で、いや、これ なんかすごくいい方向性だし、あの、いい なと思ってスローをまず取ってきて、 まあまあゲストハウスなんで、ま、その まま家的な要素を含むからハウスつけて スローハウス行って、だからロゴが片積り だったりするのはスローシティのロゴも 片積りな。 で、スロシティのテーマカラーがもっと淡いオレンジなんだけど、それをちょっとアレンジしたのが今のロゴと色なんだけど、で、そこからスローの解釈って色々あるじゃん。ま、ゆっくりとかっていうイメージがあると思うけど、それだけじゃなくて丁寧とか余白とかなんかそういうテーマがあるなと思って、で、その中からスローをなんと解こうかなと思った時に余白と解いたって感じ。 僕はなんか遅いだと思ってました。 遅いね。確かに。ま、そういうイメージあるよね。 はい。時間の流れも確かにゆっくりっていうかみんなと過ごしてお昼ゆっくりなんか寝たりできるんで。 うん。ま、そうだね。 確かに、ま、ファストフードのアンチ勢とか急ぎすぎることとか、ま、効率守備すぎるとか、ま、コスパタイパ世代でしょ。 はい。そう、そう。そう。ああいうのアンチーズだと思うから結局だから何のためにやってるかってのをみんな見失い続けるじゃん。 そのよくやるのは分かるけどでそこが決まってないのに効率だけ求めていくと何のためにやってたか分からないみたいな。で、それが人生的に起こるっていう。 [音楽] これ何のために来てたっけってなるから、そういうのをまず探したりするには旅とかね、自分もやってたし、そういうのがいいなと思うし、ま、その自分の人生に余白を持つっていうのを大事にしたいなと思って、で、そういう提案をしたくて、このゲストハウスからそのテーマにしてる。 [音楽] それこそこの前白の時間に震災伝承官、東日本大震災で被害にあった高校へ行ってきたんですけど、自分が想像していた以上に津波とか地震火災の被害がすごくて、 ここのスローハウスの周りも津波が来てたり、家事が起きてぐちゃぐちゃになってる姿とか見て今じゃ想像できないっていうか うん。 すごいもう綺麗な街並だなって自分は思ってて 記載したんだっていう感じを全然感じてなくて震災伝行くまではそうだよね。もうわからないね。 はい。 杉浦さんがここへ来た時はどんな感じだったんですか? ま、1 週間後に来てるんで、ま、そもそも結構右も左もひっちゃかっちゃかというか自衛隊がね、 1 本海まで道を作ってで、そこから捜索をするんだけど遺体になってるものもあるし、まだ生きてるかもしれないっていう可能性を、その 1 本道を歩いた時で最初福島に物資を届かけた時にその 1 本道歩いてもう結構わけわからん感情になって悲しいのはあるじゃん。で、なんか自分の無力差にも出会うじゃん。 だしなんかもうこれどうすりゃいいの みたいな感じとかもあってでそれをなんか その時に日本道で感じていやこれなんか やれることをやり尽くしてもいいかなって 思って長くいいよって決めたんだけどで そっから目の前にこう起こることとかを 全部自分たちでやってで今ここなっちゃっ た 俺はねそうなんだけどもまああの街はね どんどん綺麗になっていくしなんもう15 年とかだけどこんなに人の力でこのエリア をこんな風にできるんだっていうう 気づきはめちゃめちゃある 僕も震災電子館行って屋上から千沼の街というか見たんですけどやっぱ海沿いは津波で流されてさちというか うん。 そうだね。になってて、このスロハウスの周りは震災伝承で映像を見たらぐちゃぐちゃになってて、 [音楽] で、今この建物とかすごい立ってて復興してるんですごい大変だったんだろうなと思って うん。うん。 感じました。 ね、俺はもう外から来てるからね。そんな言うて大変なことはないじゃん。家に戻れば実家はあるし、別に暮らせる場所はあるし、それがなくなってどうすんのってところからやってるから、こっちの人たちはね、そもそも多分レベルが違うよね。そうですね。 うん。 ま、旅してたし暇だったし、お世話になってるし、全部こう揃ってたから条件が で来て で、それで住んだって感じかな。 うん。 ま、それがなかったらも会社を作ってないかもしれないし、なんかそういう風に事業をやるみたいな頭はなかったかもしれないし、そういう機会を震災からもらったなって思って。 震災がなかったらここにスローハウスがなかったってこと じゃないから分からんけど。いやいや、 YouTuberだったと思うよ、俺。 YouTuber。 うん。ケビを名乗って、軽名な名乗ってるやつ。 最悪。 この前新電召喚行った時にキャンドルを見たんですけど、 その活動されてるって聞いてどういう理由でやられてるんですか? 置いてもらってるキャンドルは気線のこう浜で写真を撮ってで、その写真を元にキャンドルの柄を作るっていう座敷いてラインが置いてあるんだけど、そもそもトしびプロジェクっていう、ま、震災のことをどう伝えていくかみたいなプロジェクトを立ち上げて、それは何かって言うと、毎月 11日にSNS 上にキャンドルナイトをやるみたいな、毎月 11 日そこにこうキャンドルを灯してみんなでメッセージを そうやって投稿するみたいなプロジェクトを始めて、で、それにたくさんの人が参加してくれて思いを寄せてもらえた。 なんかそのインターネット上なんだけど なんかこうほっこりしてでなんかこういう ことを通じて小さなことを伝え続ける きっかけを作ったりとかなんかそこから 生まれたこのスっていう何か文化のような ものを作っていくことができないかなと 思って続けようそういうプロプロジェクト をまずでその後にキャンドル作ろうて始め てで2014年にあそこにキャンドル工房 を作ってであそこで製造もして販売もして 感じやっぱりどうしても時間が経つとして しまうか。うん。そうだね。でも、ま、 忘れること自体はね、ないことだし忘れて いくものだと思うんだけど、なんか、ま、 それをこう忘れてはいけないっていう風に するとちょっと俺は重たいなと思う。忘れ たい人もいると思うから。て、なるとなん か思い出し続けるるっていうのをなんか、 ま、リマインドする機能として灯すって いう機会があるといいかなと思って、その すっていう行為がいいなと思ったっていう 。灯すのだったら誰でもできますもんね。 そうだね。 誰でもできるしだけどそこにこう人がアクションしないとそのってことは勝手に火がってるわけじゃないから 人が何らかの思いを乗せてそこにこう火をつけることをしないといけなくて はい。なんかそれがすごくいいなと思ったっていう。 それそれはなんかひとかを見て思ったんだよね。 石碑で津波の津波ここまで来たよって昔のとかがあったけど石碑からグッと伝えれるものってやっぱどうあんまりない [音楽] あんまりこうねえたい側の思いとしては分かるんだけどなんか伝えられる側からするとちょっとなんかこう馴染みが少ないていうかね グッ あすっすいっす そうなんでそういう意味で言うと悲よりもなんかこう人の行為だといいなと思ってでなんかずっと続いてるものって何だろうって考えた時 に火を灯すってことがすごくいいになってもったっていう はい。実際にアクション起こして自分で灯してたくさんの人 SNSに投稿して料理たくさんの人が見て うん。 思い出してもらうって感じとかま、その 1人1 人がいろんな思いがあると思うからその何か統一したいわけじゃないから でもそういうことを考える時間だったりとか震災なことを思ってじゃあ自分はどうするかっていうなんかこういう時間をもっと作れるといいなと思って作ったかな。 まあ、なんかそもそも余白にこうちょっと通じるような。 あ、確かに そう。なんかそういうのが好き。そもそもこう電感とか見てこういうやってる人にあって このエリアにちょっと2 週間ぐらい行ってみて逆に健の中ではなんかありましたか?え、そうですね。やっぱ震災伝行って 津波みの高さが12 来たみたいでうん。 確かに 結構やばいなと思って。 意味がわからんね。 そもそもなんか想像が最初できないよね。 どういうことっていう?12 って聞くとそこまで高くないかなと思ったりしたんですけど実際見てみると めちゃめちゃ高くて だって校舎の4 階のところの壁えぐれてるもん。 そう。はい。 高葉高校 の4回まで水が来てて うん。うん。 で、屋上に避難しないと水で溺れるぐらいの状況だったと思うんですけどうん。めちゃめちゃ怖いだろうなと思って 屋上に追い詰められた時のもう後がないっていうかね。 で、屋上には椅子とか机が置いてあって、 それに乗ってでも高いところ行こうとしたんだなっていうのが伝わってきて、なんかゾクゾクしたっていうか鳥肌が止まんなかった。 うん。 それを見てどう思った? それ見て津波とか来た少しでも高いところ行かないといけないんだなっていうのと [音楽] うん。うん。うん。 ま、命が最優先 何か取りに行くために家戻ったりとか 家族のために迎えに行ったりとかうん。うん。 そういった理由で引き返すと、ま、 なくなった方が多いっていうのも 分かったんで、とにかく高いところに自分が前好きなんすよ。解説だなと思いました。 確かに健太そもそもなんで旅してんの? ま、一言で言うと面白そうだからっていう 細かく言ったらたくさんあって 自分が高校3年の時に なんかこのまま生きてても面白くなさそうだなて 思ってる時期があって、 そん時にま、YouTube で旅してる人を見て うん。うん。ですけど、 世界とか日本旅の見て自分もこんなにいろんなとこ行っていんな人と関わる中で、ま、人き合ってその動画を配信したら人が優しくなれるっていうか うん。 人に対して思いやり持ってるんじゃないかなと思って ほう。 悪い人もいると思うんですけど、世界には。 うん。 それはそれで面白いネタになるんで うん。うん。 人生楽しくなりそうだなと思って始めまして。 あ、だから旅と動画を一緒に始めたかったの? そうですね。自分の人生記録しておいたら 絶対年取ってから 面白く見れ見返せるなと思って確かにね。黒歴史的には黒 最悪歴史 いいね。でもね。 はい。 そもそもおもろそうだから旅してた。 はい。 そうそう。馬んところどうですか?おもろいですか? おもろいです。めちゃめちゃ毎日ろんな人出られてしいです。確かにね。 じゃあ何日間後かには出発すると思うんで はい。 また是非どっかで会いましょう。 はい。本当お世になりました。 2 週間も大させてもらって2 週間もたっけ? え、2週間多分来たのが 6 月の うん。うん。21。 あ、そんなもんだっけ?20 日だったかな? もう忘れたよ。 なんで? うん。 今日が7月の8日。8 日はい。考えたらもう 2週間以上。 そうか。 むちゃいるやん。むちゃいるや。いる。 おい、家賃払え。 皆さん騙直されてはいけません。 TikTok収益化してます。 いや、してるけど。けど 今日はありがとうございました。貴重なの話聞かしていただけまで沼戻ってきます。 [音楽] はい。是非戻ってきてください。 ありがとうございました。 [音楽]

こんちは!ママチャリ日本縦断してるけん旅です!🇯🇵
今回の動画は僕が1ヶ月間滞在した気仙沼のゲストハウス、スローハウスのオーナーさん(杉浦さん)と対談したものです!

杉浦さんの情報はこちら↓

ともしびプロジェクト代表インタビュー!生死を彷徨った彼が今、東日本で挑戦し続ける理由とは
https://localletter.jp/articles/miyagi-kesennuma-tomoshibi/

圧倒的大丈夫力
https://news.yahoo.co.jp/byline/okanumamikie/20230111-00330484

ゲストハウスのInstagramはこちら↓

https://www.instagram.com/slowhouse_kesennuma?igsh=NDd0OWZ0bzF2bjYx

#旅人 #自転車旅 #日本一周 #日本縦断 #旅

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6件のコメント

  1. 「一本道を歩いていて訳わからん感情になった。」というオーナーさんの言葉で、震災直後の映像と現実がリアルにつながった気がしました。
    けん旅さんのショート動画だけでも楽しく拝見しているのに、こんな貴重なインタビュー動画も出してくださって本当にありがとうございます。
    よい旅を👍

  2. とても良い経験になったのではないですか。震災は忘れてはいけないことだけど新たな出会いも良かったのではと思います。暑い毎日ですが頑張ってください。

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