「核ゴミいらない青森フォーラム」青森県を核のゴミ捨て場にするな!1 <開会挨拶:奥村榮/パネルディスカッション「核燃料サイクルの破綻・40年間の検証/原発・再処理・むつ中間貯蔵は中止」>

ご来場の皆さん改めましておはようござい ますおはようございます本日はお忙しい中 また悪天校の中県内各地よりお集まり いただきまして本当にありがとうござい ます総合司会を務めます県民の会運営委員 で青森県政教連の三浦正子と申します よろしくお願いいたし ますありがとうございますは年目の節目に ふさわしいプログラムとなっていますので 充実した1日となりますよう務めさせて いただきます長丁場となりますがどうぞ よろしくお願いいたし ますそれでは開会の挨拶を核のゴミから 未来を守る青森県民の会共同代表の奥村さ より申し上げます えどうも皆さん雪の中あるいは県外から 遠いところご苦労様です京都代表の奥村 です開会にあたり3点申し上げたいと思い ます1点目はあのこの核の問題原発の問題 をどういう風な死から考えたらいいのか見 たらいいのかっていうことに関して 2014年え5月のですねあの福一裁の大 原発34号機 を停止させ た樋口秀明裁判長の判決この重要なヒトに なると思いますあの樋口さんは憲法の最大 の価値を憲法13 条生存権に基づく人格権にあるとこれが 最高の価値だとしてですねこれにまさる ものはないっていうことでそれを危機に 落とし入れ原発の稼働というのを止めた わけですこのことを考えるとですね私たち は あの生存を基礎とする人格権っていう観点 から見るとですね憲法上1つはの憲法全文 そして急条に規定されてる平和的生存権と 憲法25条のえ健康で文化的な生存権と これを結合しながらですね戦うことが必要 じゃないかと思うんです平和的生存権で あればその最も危険性があるのは戦争です そして最悪の武器は核兵器です そして健康で文化的な生活を侵害する人類 が関わるのこれは原発ですこの問題を核 エネルギーの問題として人類をきに 落とし入れ国民生活を本当に悲惨な状況に 落とし入れかもわからないってことで統一 して考えることが必要じゃないかと思い ます2点目はあの県外からの人 は6か所のですね核燃料サイクル施設を ちょっと知らない方もいると思うんです けど青森には6か所に核燃料サイク施設が あるんですでその中核はですね最処理向上 ですその理向上の危険性についてですね あの今回 の共催のもう一方である原子力資料情報 室がですね2年前2022年の4月にです ね韓常民っていう方をですね韓国から呼び ましたこの方に私注目するのはですねあの ただの研究者じゃなくて元え韓国の原子力 安全委員会の委員長だったわけですその方 が6箇所の最初履行上が火災になった場合 に科学的資産をしたんですねそしたらどう いうことになるのかというと6箇所の最 処理向上には再処理するために全国の原発 から持ち込まれてきた使用済み燃料が 3000Tプールにありますでこれが火災 党であの事故があった場合にどうなるの かっていうとですね 6470ペタベクレルとピントないかも わかんないんですけども あの放射性物質であるセシウム137が ですねそれだけ出るとこれはですねチェル ノブ入りの7.6倍とあの福島第一原発で の放出され たセシム137のですね323倍っていう ことなんですで風向きによってはですね 関西までですねこの放射性物質が降り注ぐ ということで 平均640人の避難が必要だと最大で は6200人が必要だ避難が必要だていう こういう危機的な条で最後になります3点 目3点目はです ね原発を反対されてる方がいっぱいいると 思うんですその問題 とこの確認を止めるっていう問題一的に 戦う必要があるんじゃないかと思うんです 9月26日に あの柏崎借からキャスクが行き持ち込まれ ましたあれは持ち込まないとですね柏崎 原発を動かせないわけですということは どういうことなのかていうと6箇所の最初 理工事を止めればですね持ち込む先がない と中間貯蔵施設もありますけどもそれは6 箇所の最初履行上に持ち込むことを前提に してるけです従って原発全原発を止める ために はまさに反原発の戦いと反学年の戦いを 統一して戦うってことが重要だと思います 以上ですありがとうございまし た奥村 さん奥村さんありがとうございました続い て第1部のパネルディスカッションの準備 をさせていただきますパネラーの皆様と コーディネーターの2人はどうぞご着席 ください第1部のパネルディスカッション では40年間の反学年反原発の運動を支え てきた各団体の皆様から核燃料サイクルの 破綻40年間の検証原発社処理無中間貯蔵 は中止の運動をテーマにお話しいただき ます本日おいでいただいておりますのは 席順で反各実行委員会今村小美さん 青森県農業者政治連盟荒木茂信 さん6か所村花とハーブの里菊川敬子 さん各年サイクル組子1万人訴訟原告団朝 浩司 さん各年リッチ反対連絡 会議さん はらない 北子さん ですパネルディスカッションの コーディネーターは原子力資料情報室 スタッフとして格問題を担当されていた 井子 さんポップで素敵なアーで青森県の反年反 原発運動を盛り上げてくださっている 内は [拍手] 皆様おはようございますご参しありがとう ございましたえこれからえ核のゴミいら ない青森フォーラムの第1部のパネル ディスカッションを進めたいと思いますえ 皆さん本当に各年の問題でもう何十年と いう戦いをやってきた方ばかりが今日 いらっしゃってると思うんですがえ特に 今日はその中でもあの本当にこの問題に もうほぼほぼ一生かけてきたみたいなあの 皆さんを青森の各地からおあのお集まり いただきましたはいではあの時間も少ない のでどんどんお話を進めていきたいと思い ますでまず最初にえ今村小美さんえ半青森 県半角実行委員会の代表でおられますえ皆 さん青森の方はよくご存知と思いますがえ 青森市議そしてえ見議員そして衆議院議員 をお務めになりまして今は青森空しを記録 する会などをやってらっしゃいます本当に 私たちの運動に戦闘に立ってきていただい た方ですでは今村さんよろしくお願い いたし ますじゃあの座ってるとなかなか話づらい もんですからたって話させていただきたい と思いますまあのレジですねちょっと書き ましたけれども真に手を出した森 県ということでですね青森県の あの確に対するです ね事業を取り入れたという内容に対して ですね強く興業しながら運動を進めてきた という経営をですね若干お話をさせて いただきたいと思い ますまあの青森県というのはこれ青森県弱 じゃなくてですね東北というのはですねま 白海北一山100万と言われるようにです ね明治心を迎えその後ですね強い兵隊を 生み出せばいいとこういう富国拒否の時代 ですねどちらかというと中央政府からは ですね阻害されてきたというそんな地域で あるわけであり ます特に青森県はですね明治の時 に当時津軽班はですね途中で州立板同盟を 裏切って神軍に着き ますそして明治春を変えると背反知見が 行われてですね青森県は津軽班になると 津軽の人たちは思ったわですけれど も最初広崎県という名乗った時にですね その中に は愛対立してきた南部の地域とですね上北 の地域が変異をされた と県が作られて発表されてですね広崎の人 たちはびっくりしたわけ ですなんでつがると一緒になんだとまただ 当時津軽班はですね米が作られそして食料 時給が成り立つという形のですね地域で あった南部というのはですね米が育たない とこういう状況の地域ですそのために当時 あの会津から流されたト半の過労とですね 八のの過労 は当時若者はですね官軍であろうが軍で あろうがこいうがあったようです地方政府 に働きかけてですね青森県を1つにまとめ てくれとこう言ってですね広崎県が誕生し わずか1ヶ月のうちにですね青森県が誕生 して県庁は青森に移るという歴史をたどる はけてありますそしてアリができた と青森県は南部の中教を抱えてですね 何か大1産業というのはこう産業とすれば ですねまなんかね工業化することがその時 から夢になったようであり ますそして青森県はあの貧乏権を脱出を すると言ってですね戦後いろんな国が出し たですね授業に次々と手を出していくと いう経過をたってきますま皆さんがのあの 4ページにちょっと書きましたけれども 更新権農業権イコール更新権というのが ですねこれ青森県の当時の正常になった人 たちの頭であっ たです から工業経営の脱出がですね青森県という ことで頑張ったよでありますまそれがです ね結局昭和44 年巨大開発のですねいわば新前層に基づく 開発それが川巨大開発ということになって き ます巨大開発を出したけれども残念ながら 巨大開発はダメになる と 当時戦後満州から引き上げた人たちがです ね圏内にいっぱい張り付けられたと特に6 か所に多の人たちが入っていますその土地 を斡旋したのが後の福知やった山内さん です開拓課長としてですねその知福知に なって今度はですね工業開発の土をやる と彼の解雇録を見るとですね金に痛めつけ ずに帰ったとそれ は終わりだという話ですそれはですねやば あのま後でまた話します何分間られるよう です続きはですね後でお話しますけれど も莫大な土地を勝ってしまってですね ところが元が巨大開発が来ないとこなって しまってですねどうしようとここに学年が 誕生するという経過になっていきますあと は後ほどちょっとお話をさせていただき たいと思います以上 ですはいありがとうございますあのすませ んちょっと短めの設定で申し訳ありません えっとえ次にですねえこの青森の運動の中 であの私の記憶にもまだ新しいえ当時え 前件1区の参議戦で山あの三上高尾さんを 満たした農業者の運動がありました今日は え荒木さんにおいでいただきましたので その辺の農業者の戦いについてお願い いたし えおはようござい ますうん あの私より先輩の方が立って話をしたもん です から私本当は座って話したかったんです けどい まどうだっていいんですけどまここに来て おられる方はきっとよっぽどこの再処理と か核の問題によっぽど え熱心に取り組んでいる方かもしくは家庭 によっぽどの問題があるのかまどちらかな と思っておりますがまいずれにしても自分 のいいように考えてえおりますまそういう 風に え想像力を働かしてえおりますえ私は あの191986年にに え勤めていた会社をたまたま辞めてその年 がえチェのりの原発の事故があったと え後から考えればあの不思議な巡り合わせ なのかなということが多々あって えまだその時は あの独身規則でとは言いつつも金のない 独身貴則ってのは何なんだろうという風な ことでま仕事を一生懸命してたんですがま そのその後え農業という え金にならない え農業に職業にえつくことになりましてえ その中でこういうえさりとかいろんな原発 とかえこういう風な問題にえ関わってくる という風なことでございますえそん中でえ 私たち農業者が えなんでこういう風なことにえもっとあの 関わってきたかっていうと結局私たちあの 農業者っていうのはこの資料の中にも書い てありますが私たは逃げることできないん です電波と持ってえしってどっかあの 引っ越すとかそういうのできないわけです そういう初企業なもんです からどこ意味はないわけです よだ から最処理工場とか原発よそから来るわけ ですよね先にいる人を出てきとかお前たち 邪魔だとかうん何なんだろうなという風に 思うわけですですからあのしかも 皆さんが多分毎日食べているであろう食料 を作ってるわけ ですそういう食べ物を作る場所って本当に 綺麗なところでしか作れないわけです汚染 されたところで作れないわけましてあのね 放射能で汚染されればあの未来英語まず ほぼ無理だという風なことでございます その証拠に福島は未だに福島どころか日本 中まだ原子力非常時代宣言が解除されて おりますそん中で福島の復興だとかなんと かってあのそういう言葉でなんか騙され てるような気がします福島の人たちが悪い ということではなくて あのその原子力非常事態宣言を解除しない ままにいろんなことをやろうとして るっていうことなんだんなんでしょうね 法律 を法規超法規的な状態なのにいろんな規則 を作るっていうのは考えられない話です1 分前だそう ですあのまこれから私たちは長いこれから も長いえ活動をしていくわけですが とにかく あの あまりあのちょっと一生懸命にならないえ ほんのちょっと息を抜くそういうあの息の 長い活動していかなければなかなかあの 周りの人たちが入ってこれないのかなと いう部分もあの気持ちのとこがで持って おりますまとにかく本来であればここが 一ぱいになるような会場になればよろしい んですがまとにかくあの今ある来ている 方々があのこの後1人でも2人でも 引っ張ってくると いう環境をこれから作っていければいいの かなとりますとにかくこういう反対の意見 をあのとにかく絶やさないという風にえし ていきたいなと思います終わり です荒木さんありがとうございまし たえ次にですねあのその今まで色々話題に なりましたえ6か所村6か所村で 生まれ育ちえそして1時まあの東京とかに あの関東に集団されたんですけど村に帰っ てえ非常にユニークな運動をあの続け てらっしゃいます菊川慶子さんです よろしくお願いいたしますあお座りになっ ても構いませんけどいはい どうぞすいませんあの菊川と申します私は え90年にこちらに帰ってきましたその前 までは千葉県松戸にいたんですけれどでも 色々経化というか見ていますとあのえ福島 の事故で千葉の松戸の方もかなり汚染され たんですよねで私の住んでいる六か村は まだ全然汚染さ あの本当にあの近くに危ないものがあるん ですけれどでもそれにも関わらず日本で 1番綺麗なところというのがすごく矛盾し てるんですけど今のところそうなんですね でもこの六かし村で私は最初はあの反学年 ということでチュリップまチュリップの花 を植え て生活していましたでもこの時はあの ネズミにチューリップのキコを食べられて 残念ながらえ10年15年ぐらいまですか ねあのやめてしまったんですねでその後 ルバブを植えて今毎年え年間6回と言い ますかそのくらい収穫して出荷しています でもこの後どうしようかなというのが すごく難しい問題 で私が今 さあの使っている畑って両親が開国した畑 なんですでもその畑で無農薬で本当に ずっと安全なものを作っていたんです けれどこれがいつまで続けられるんだろう というのがですね続けてこの後子供たちに ここを残していいものかというものことも よく考えます 1番危険なものが周りにすぐ近くにあるの にでも私の住んでいるすぐ近くにある畑は 今日本で1番安全なところ本当にどうし たらいいのかなという風によく考えてい ますこの 後私たちはどうなるのかということも考え ますけれどもでも これでいいとはとても思えないんです ねこの先どうなっていくのかということを 考えながらずっと生活しておりますけれど もでも今のところと今は私は日本で1番 安全なところに暮らしている子供たちにも 残してあげたいけどその頃六か村がどう なっているかは分からない非常に色々考え ながら悩んでいるところ ですどどうしたらいいものかということを いつも考えてい ますこの後どうなるのか分かりません けれどもでも六か村にはまだ色々な人たち が訪れますその人たち を六か村のあちこちに案内しな 色々話し合ったりしますけれどもでも まだまだ知らない人はいっぱいいるんだな という風に思い ます私が今できること は故郷 の安全な土地を守り たいそしてその土地の上で暮らしていき たいということを考えていますできれば 子供たちにもその安全な土地を残してあげ たいと思いますけどこれだけはどうなるか 全くわからない状態 です今後とも皆さんと一緒にあの色々活動 していきたいと思いますどうぞよろしくお 願いいたし ますはい菊川さんどうもありがとうござい ましたえ続きましてえ今度色々な運動が ありますが裁判をえ約30年ですかあのえ 戦ってこられました学年サイクル組織 1万2訴訟原告団の代表の浅石先生がお 見えです先生お願いいたし ますあはい先生え原告団の朝でございます 今日はご苦労様でございます えっとこのタイトルにもありありますよう にですねえこのフォーラム核のゴミが メインテーマになっておりますが私はま どちらかというとまえ再処理を中心とした お話をさせていただきたいと思いますま 40年の検証をですね5分ちょっとでやれ というんでかなりですね厳しいなとは思っ ておるんですけれどもまあの報告はですね このえ詳しい報告はこのパンサの中に書い てございますので後でゆっっくりお読み いただければありがたいと思いますま職業 柄ちょっと理屈っぽい話になりますのでご 清聴くださいま最初にですねえまず各年 サイクルとは何かということが大前提です のでちょっとえお話したいと思いますこれ を簡単にまとめますとですね原発の運転後 に残った使用済み燃料を再処理して 取り出したですねプルトニウムとウランを 利用して発電するというま仕組みがですね え各年サイクルですがま皆さんご存知の 通りでございますではですねこのですね再 処理がですね止まるとどういうことになる のかとまこれはですねま政策面と私たちの 生活面と両面から考えてみたいと思うん ですけれどもまず最初の政策面から言うと ですねどうなるかちょっと羅列して 申し上げますけれども え原発はトイレなきマンションという風に 言われておりますけれども再処理が止まる とですねそのマンションの役を担うですね え再処理工場が止まると原発がですね 止まるとまこういうですねま図式ができる かと思うんです次にえプルサーマルも 止まりますえオマのオマの原発もですね 建設が中止になるでしょう3番目がですね 今問題になっております中間貯蔵も中止に なってえ運び込まれたですねえ塩済燃料は 各原発にですね変換されるとまこういう 事態になるかと思い ます4番目がですねえ今あの建設中の モックス燃料加工向上もですねこれは建設 中止それから高レベル廃棄物の最終処分地 のですね計画はですね当然ま え修正さされてですね読なくされていく だろうとそして最後にですねプルトニウム 余剰対策のですね変更がなされていくとま 大雑把に言うとこんなところになろうかと 思いますじゃ我々の生活はどういうことに なるのかという点ですけれども住民は再 処理工場のですねいわゆる格災害のえ危険 からま解放されますそうして安心安全な 暮らしを取り戻せるということになろうか と思いますもう1つはですね無駄な最処理 向上総事業費が15兆1000億と言われ ておりますこういう無駄なです再処理事業 費用がですね節約できることによって国民 負担が大きくですね え減っていくとまこういうことが考えられ ます次にですね再処理がですねもしも 止まってもですよ色々な難しい問題が残り ますえ1つはですねもうすでに作られて しまった規制の高レベル廃棄物の最終処分 をどうするのかという問題であります 大きく分けるとですね1つはですね国内で 作られたえ廃棄物それからもう1つは海外 で作られたえ再処理による廃棄物 この国内はまご存知の通り東海と六箇所で もうすでに こ高レベル廃棄物なんかがえ作られて小家 体と手ある廃棄物が作られております けれどもえ六家車の工場が閉鎖された後と ですねえその行先はま最終処分地という ことになっておるんですけれどもまこの 先行が非常に考しておりますのでこれは どうなるか全く分かりませんま津島市は 長崎の津島はこれを拒否しましたけれども これからですね北海道の方がどうなるか 全くまえ先行き見ま見通しは先行きがない という感じそれから今問題になっており ますんですね海外の分はですねこれ6箇所 の6箇所に一時貯蔵されておりますけれど も30年から50年後にですねちゃんと ですねえ 最処理工場にですね運び入れることが できるのかどうなのかえまその辺も問題に なってくる2番目がですね原発や最処理 工場内にあるですね使用済み燃料をどう するのかとま最処理がなくなった後ですね ま1つはですねま直接処分という方法が ありますけどもこれは全く今具体化されて おりませんそれから中間貯蔵というのがま 区の策ということでえ 考えられておりますけれども無以外には ですねこの貯蔵症を探すということが非常 に難しい状態になっておりますのでえ現在 事業者の方はですね敷地内貯蔵ということ を国の策としてですね敷地内原発の敷地内 にこれを貯蔵するという 方向方針に変更しておりますまこういう 問題がどうなるのかということは大変 え我々も 地元のですね各年サイクルを考えると一緒 にですねこういう問題も考えていかなきゃ いけないと思っておりますそれからですね 私たちはですね今までちょっとオーバーし ておりまして申し訳ないんですけれどもま 色々なえ県内で各年白紙撤回の運動を展開 してまいりました私はこの各年が白紙撤回 できる天気というのが3つあったと思うん ですね1つはですねえ金沢さんのえ年知事 のえ知事戦ですねもう1つはですね 2009年の民主党民主党が政権取った時 にですね原子力政策の見直しをいたしまし たそれから2018年にですねえ立憲が 中心となってですね野党が共同提案した 原発ゼロ法案というのがございましたま これからですね是非こういう法案を作る 方向でですねやっていかなきゃいかんと 思っておりますえっと こういうまチャンスがあったんですけども 残念ながらですね各年の白紙撤回はま現在 も実現できておりません逆にですね現状は ですね え福島原発の教訓を忘れてえ推進側が一体 となってですね原発会期に逆行する政策を まず行ってきており ますそして県内はどうなってるのかという とですね 全えま青森県貧乏権ですけどもこの貧乏権 の弱みにつけ込んでですね原子力リチがま 現在目しという状態でございますリチ自治 体からはなんとですね早く創業してくれと まこういう声がですね強く上がっており ますまこんな一方でですねま県内のですね 各年反対運動はもう風化してるのでないか という風なことも取り沙汰されている状が ありますしかしですね最処理政策が破綻し てること詳しくは申し上げませんけれども もう皆さんご存知の通り です政策が破綻しま6箇所の再処理工場の 血管ももう現になってきております第4の 天気先ほど申し上げました3つの天気それ 以外にですねこれから第4のチャンスが 必ず訪れると思いますので私たちはそれに 向けてええ運動を強化していかなければ いかんと思いますえまちょっと時間の関係 でですねあのそれ以外の問題色々えあり ますけどもちょっと省きますが えまずじゃあ私たちはこれから何をすれば いいのかということをちょっと考えてみ皆 さんと一緒に考えてみたいと思いますまず 1つはです ね私たち青森県民が直面しているのは え当面の最大の危機というのは私は再処理 の本格稼働だという風に考えております この本格稼働を阻止するために私たちは今 全力を注がなければいけないこのように 考えますそのためにはですねえ地元青森 県内において各年許さずの県民世論をです ねえ今まで以上に盛り上げる必要がある だろうと思っておりますそれからあとは ですね年政策は今転換きるのではないのか という風に私考えますがえ全国の反対運動 とですね連帯してですね最処理反対の国民 世論をさらに盛り上げて国会の場でえ最 処理政策の転換を実現する活動をですね 強化していかなければならないと思います あとちょっと私の本職ですが裁判のこと ちょっと申し上げますがえ今や原子力規制 委員会はですね事業者の取りかしてしまっ てのでのですね規制機関の役割を果たして おりません原告団はこの名ばかりの規制 委員会を被告として各年の許可取り消しを 求めて司法の場でえ各年の白死撤回を 勝ち取るべくま訴訟を続けておりますえ 裁判官も生みの人間ですので私たちが各年 の危険性をですね訴え反対多数の国民世論 が盛り上がれば国民世論が盛り上がれば 必ずやこれに耳を貸してくれると思います 3.11の実行景気にですね住民側少子の 判決がたくさん出ておりますこれはま報告 書の11ページに私一覧書にしましたので 是非ご覧いただきたいと思いますまこの場 をお借りしてですね是非とも裁判の方にも お力をいただきたいと思いますま最後に ですね各年というま え怪物ですえこれの息の根を止める速攻役 というのはありません私たちはですね市民 運動政治活動裁判闘争の3本柱を有効に 機能させてですね何としてでもですね再 処理をですねやめさせなければいかないし その際マスメディアとの密なる定型も大切 だという風に考えております えこれからもですね大変苦しい戦いでは ありますけども一方一歩地道な戦いを 積み重ねていく先にですね勝利の展望が 開けてくると思いますでま一緒に頑張り たいと思いますありがとうございまし た麻井先生ありがとうございましたえ続き ましてお待たせいたしましたえっと赤平 さんですあの核燃料サイクル施設リチ反対 連絡会議の事務局長なさっています よろしくお願いいたしますはい皆さん こんにちはえただいまご紹介いただきまし た核燃料サイクル施設立反対連絡会議の 事務局長しております青森の平と言います よろしくお願いしますえ各燃料サイクル 施設リッチ反対連絡会議は 1984年にえ電磁連が青森県に核燃料 サイクル施設リチの協力を要請しえ翌年1 月には設置自治体の6箇所村の村長が 受け入れを表明したことを受けてえ労働 組合や医療団体女性業者青年組織などの各 団体で結成をしましたその後で県などに 対する申し入れ様々な署名活動を行ってき ましたま特にあの学習会にも力を入れてき ておりま各年サイクルとはそもそも何かと いったテーマを始めとして結成以来様々な 学習会を行ってきました3.11号は福島 の現地殺なども行っていますま最近では 条例いわゆる条例制定を求める署名にも 取り組んだりえ県に対してえ様々な 申し入れなども行ってきました私自身は 昨年えこの核燃料サイクル施設リチ反対 連絡会議の事務局長になったばかりであり ましてそしてあのまえ今34歳ですがもう ここにいらっしゃる皆さんに比べると本当 にあの歴史を語るにはま先ほど一生かけて というあの言葉もありましたけれども私は 全然あの経験も浅く不勉強なところもある 中ですがま私自身が感じている原発各年 運動に対する思いや私たちの存在意義でも あるなぜ核燃料サイクルに反対していくの かといった点について若干発言をしたいと いう風に思いますえ核燃料サイクル施設の 受け入れを表明してから40年最処理工場 に着HOUSEしたのが1993年という ことですので私は90年生まれですのでま 私が生まれた時にはもうこの問題というの はすでに起こっていたということで私自身 も学校生活などを振り返るとこの核燃料 サイクルというワードなどはよくによく耳 にしたあがありますえ工業高校出身ですが 就職先を選ぶ際にもやはりこの懸念などが 後補に上がっていてまそこに行けば安定し た職につくことができるということも同級 生同士で話していたことを覚えていますま 私自身はあのそこはなかなかハードルが 高く選択肢に入りませんでしたが私ももし かしたらそういった世界に飛び込んでいた かもしれませんそうした中であの3.11 が発生しましたま私自身は12年からがえ 2012年からこうした様々な運動や活動 に参加するようになりましたがそれまでは 先ほどべたような教育を受けてきたことも ありま色々言ったって原発は必要ではない かという風に思っておりましたしかし実際 の福島の現状を見たりま様々な話を聞い たりするとそんなことを言ってられないと いう現実がありそこから一気に気持ちが 変わっていきま様々な活動をしていく中で この核燃料サイクルという問題に行きつき ました全国の反原発の運動などにも参加し てきましたがその中で感じていることは この問題の行きつく先である核燃料 サイクルまいわば核のゴミの問題について 意外と知られていないのではないかという ことです現在原発確認問題で最大の焦点と も言えるのがこの核のゴミの行き場所が ない動かせば動かすほどさらに行き詰まっ ていくとことだという風に思いますま6貨 省最処理工場は最え使用済み核燃料から 再び原発で使うことができるえウラン プルトニウムを取り出すための工場ですが まこれがもう破綻している核燃料サイクル の根幹をなす施設がそもそもえ27回も 完成が延期されていて動かないそして例え 動いたとしたって今度は老朽化が問題に なってくるわけですのでやはりもはや核 燃料くるというものは破綻しているという ことだと思いますま仮にえ最処理工場が 動いたとした最終処分上が決まってい中で もはやえこの核のゴミの問題というのは いよいよ考えていかなければいけない そして青森県にはそのそうした不安が 覆いかぶさっているという風に思います あの原発を動かせば動かすだけ膨れていく こうした問題がよよ行き詰まっていると いう中でやはり国や自治体がそうした問題 があるということを認めていく認めさせる ということが重要だと考えています ま私自身にも今え5年生と3年生の子供が おりますけれども今の問題であってそして 将来にこうした問題をずるずると残して いくわけにはいかない問題だという風に 思いますだからこそ青森県からこうした 問題を訴え続けていくことがいよいよ重要 な局面に来ているという風に思います 私自身も皆さんとも連帯しながら頑張って いきたいと思いますありがとうございまし た え赤平赤平さんありがとうございまし若い パネラのあの力強いアピールでしたがえ それではえ最後になってしまいました野坂 さん野坂洋子さんですえ閣の中間町蔵施設 をいらない下北な会の代表されております えムツで生まれそしてえちょっとさ離れた 時期はあってまたムツでえ戻られてそして この中間長蔵施設の問題とがっぷり戦っ てらっしゃいます野坂さんお願いいたし ます皆さんこんにちはえっと核の中間貯蔵 施設はいらない下北の会の野坂 です今日初めてお会いした赤平さん私 とっても嬉しいんです30代のパネラーが いらっしゃるこれこそが私の望むところ です私たちの問題は次のにどうついでいく かそこが1番この活動の問題だと思って 提案させていただいたところでありました のでこうして隣にもう私の子供よりも ちょっと若い男性がいらっしゃるもう私 ワクワクし ます本当にここが大事なんですどう伝えて いくかそのことがもう私の本当の悩みです 24 年間下北の会をやってきましたけども実は 私は下北にずっとま生まれ育ってずっとい たんですけども一時期ちょっと離れました けどもで も実は私が高校時代に東通り原発話が出て たんですねでもその話は出てたのは知って たままちょっと離れたのでそしたら帰っ たら本当に具体的になっていったでその時 に東通り原発の話を若いわ私の同級生たち とお茶飲みをしてた時 に東通りに原発できてもし何かあったら どう する下北半島のあの細いところで切られる んじゃないあそこ1番細いところ横浜の 辺りで切られるんでない道路2本しかない よあそこで止められたら 私たちもう孤立するしかない被爆した人 たちは捨てられるもうその時にそういう話 が出てましたそれが本当に現実の問題とし て色々出て くるもうその時えっと本当に20代は40 年からちょっと過ぎた頃ですねあの43年 44年そのくらいのところ にムに帰ってきた時に青年たちの間でそう いう話がありましたまそれからしばらくし て色々あって子育てが1段落した頃 に中間上道施設の話が出てそこでいよいよ えもう黙っていられないっていうことで 会を立ち上げそしてまあのその中で色々 やってた中で実は地元出身でないとムに 掛け合ってもここの人地元の人でないから そんなことが言えるんだっていうことを あの原子力生物のことで 散々地元で活動していた方がそういう いくら言ってもそういう風にこ言われ 引きがるっていうことが度々あった私が その会に入る前からでムで生まれてムで 育った私が必然的に代表ということになり ましたけどもそこから24 年中間貯蔵施設がいよいよ形が見えて そしてこないだ9月にいよいよ1期 キャスクが入りましたでその入った日に 1日見守りましたがそこで報道の方から 野坂さんいよいよ入りましたねこれから 活動どうしますえこれからが活動でしょう て私は言いまし た入るまでは色々反対運動とか色々やって きましたけどもでも一期入ったそこから スタートですそう思いましたこれから 長い長い見守りが始まりますそしてこの 見守りがこれから50年もっとですね一期 が入ったからこれからどんどんどんどん 入ってって言うと最終的には100年 ぐらいになるんだと思いますさあそうなっ た時に誰にこのことをお願いしていきます か50年間誰が見守りますかそのことを どうやって次の世代に伝えていこうかそれ が からの私たち北の会の課題になりました これからがスタートですどうぞ皆さんの おちから皆さんのご意見をいただきながら これから若い世代にどう伝えていくか皆 さんと一緒に頑張り ましょうはい坂さんありがとうございまし たえ今パンナーの皆さんにあの最初のお話 をそれぞれ伺ったんですけどえっとまず今 先生すいませんあの前半をさっき5分でお 話しいただきましたのでこれから各年誘致 のあの肝の話をどうぞその時のお話をお 願いいたしますあの途中であのお話は 終わったんですけども あの巨大開発をですねするために莫大な 借金をって土をしたとそしてそれを東北農 局でですね農地転用して公を開発をすると こうやったんですそれが止まってしまって です ね土地の使い道がなくなったというのが ありますそこで考えたのがですね当時南と 北にですね最初工場を非ともって要請して いた電磁連がです ね北海道でも籠島でも断られてですね一場 がなくなっていた とこれと団託をしてですねそれでは青森県 に各年サイクルをですねあの立地させよう というような形で動いたとただこの時に ですね1番証だったのは松大開発は工業 開発をすると言ってですねば後をしたん です確を入れるというにこれ適するのかと いうことを一問題になったんではないかと 思いますです から巨大開発した計画あの4ページ目に ですねあのちょっと表をつけています けれどもオルショックでもうこういう開発 こんなんという状況になったですねそこに 付録の負とつけてですねそしてそこに各年 サイクルとものを開発の中に入っているん だということにつけてしまったわけであり ますそして付録の歩をつけてですねそれが 今度は本体を乗っ取るという形で進められ ていったという状況になっていますそう いう点ではその負のなんでついたのか随分 これちょっと機会でもやった結果があるん ですけれど も米山さんがですね東通原発今立つ敷地 20期分を買った時にですね後転用に違反 するんじゃないかということであの頑張っ て頑張った時期がありますそういう点を やっぱり学ぶ学ぶべきだったのではないの かなと感じがいたしますまあの各年はです ね今止まってしまっていますただこれ考え がってはですね核っていうのは人道に 反するものだ と核兵器であれ日本では日よと言います けれども今の石首相はですね勝ってこう いう発言しています核 はも卑もないんだと核は核だとですから会 のはたまにはですね最初工場イコール原爆 を作る場所とこういう頭があるような気が いたしますそういう点ではです ね人道に反する核は我々は認めることが できないと学者がですねノベル平和を もらったようにですね人入は核というもの に手渡してはならないものだというあの 論理でですね何か進める必要があるのでは ないのかなとこんな気がいたします森系は ですね核のゴミを入れることによっ てお金を手に入れるという味を占めたわけ でありますまさにま麻薬であり ますこの麻薬とどんどんどんどん増やし 続けているという状況になっています今に なるとですね今年の信頼の予算で見ると 239円県に入るという予算になってい ますそういう点ではです ね人間が手を出してはならない作っては ならない人間が作り出したですね最悪の 毒物プルトニウム これをですね今後主旨村村にわってですね 押し付けるということはやめていかなきゃ ならんとそのことに作るのではないのかな と思っています途中色々書いてますけれど も是非とも読んでいただければということ で終わり ますはいありがとうございますありがとう ございます えっと今のうその青森の歴史ということ からちょっとえ入っていきたいんですけど えっと昔はね僕僕青森出身じゃないんです けど えっと昔はなんかものすごく青森こっちの 東北って力があったとこだと思うんですよ でなんて言うんだろう その昔で言えばそのアデルとかねそういう 人たちが出た土地じゃないですかでそれ をうんそういうを持ってる土地でその政府 に対してあがったっていうことがすごく この え今みたいな状況を作られちゃったって いうようなことを感じるんですけどえっと 僕がまだえっとこっちに来た頃はその いろんなところに農業者たちの看板が立っ ててすごいなと思ったんですよその農業者 頑頑張ってるなと思ったんですけどいつ頃 からその農業者たちはそういうところから 手を引いちゃったんだろう荒木 さんようやく私の出番がやってきまし た あのちょうど私が先ほど言った1986年 にえ会社を辞めてままもなく収納っていう かのやり始めたんです がえちょ19 81990年ちょうど今赤平君がちょうど 生まれたあたりですね そのちょうどその頃生まれて間も なくのあたりでちょうどいわゆる農業会で は あ頭がりっていう風なことをしたわけです えその中身はえ各農協にえ日本あの電磁連 の方から えま数字だけでしょうがあ各農協のん通帳 に1億ずつ振り込んだとまいわゆる用金 ですよねそうやってあの各農協 のに直接1億の金を振り込む別に数字だけ 動かせばいいわけですからそんなの私も できそうな気がするんですがちょっと線あ その押すボタンがどこなのか分からないっ ていうのが運がいいところですえまそう いう風なことをやってですねまいわゆる金 にものを言わせてきたわけですそして あのそういったところから1つずつ あのいわゆる式を下げていったうんで あの中農業中央海えとかまそういう風な 大きな組織にもえ当然お金を入れてきてで 各農協のイベントにはイベントにはあの 講演者として協力者としてまたいろんなお 金を出すという風なことを永遠とうまく やるもんです よそういう風にやっとけばねやっぱりどけ されるわけですからうんねあの皆さんご 存知の通り農て結構貧乏なんですあの はっきり言いますけどあのなんで農業貧乏 なんでしょうねみんなの食べるその エネルギー源を作ってるのにね うまああの昔はもっと貧乏だったんですよ ねあ今も貧乏ですけどですからその貧乏に 慣れてるんですよねそうかいやま私も結構 慣れてますけどそのえっと電磁連の話で あのよくもう新聞見ててしか知らないです けど もう運動会とは言えないけどなんか イベントがあるとみんな霞ヶ関じゃなくて 経団連会館電磁連のある経団連会館にいて そのあのね自治体の首長さんもみんなお ねだりするっていうはい全くその通りです えある日本元年の社員あのちょっと偉い方 にあたちはいつから政治家になったんだ と自分の金でもないのに自分が払ったよう なでかいそらしやがってて気に食わない から言いました いやそれは私たちはどうせ使わなくても なくなるお金ですので別にどうぞ使って くださいっていや随分気前がいいなという 風に思いましたがとにかくあのお金 はドブもうドブにするように使いますあの 本当にえってあの思うほど補助金をもらう のにいろんな書類にを書いて反抗して あちこち部署回ってようやく補助金女性器 もらえるのに日本原行くとはいわかりまし たですむんですその違です うんあのえっとこのあのそうやってあのお 金をお金にがむというと非常に失礼かも しれないんですけどそういう動きがあるし あのさっきの野坂さんのあのえ東通りも そうですそれから無の中間町蔵もそうです けど結局自治体側があの原発の交付金を 求めて誘致してしまうというねそういう 構造で核施設が作られてきた歴史とかが あるような気がするんですねま各年は もちろん戦ったんですけどあの6か所見て たら無だってお金欲しいって思ったんです よ ねねそうどうです か当時の市長はあの原発よりは始末がいい 中間所蔵施設の方があのま何かがあって 被害が少ないし危なくないから誘致すると で他がほら東通も大間も原発ができてあの 潤ってるわけですよね幸が降りてでむつも その当時相当赤字をして赤字を出してい ましたのでどうしてもそれを埋めたかった みたいででそれをやっぱりそこに手を出す 今ま先生おっしゃったみたいに本当に 麻薬なんですよ1度出したらもうそこに 染まっていくという本当にもう市民として ないあの発言でし たえっと朝さんね えこの裁判がすごく長く続いてるじゃない ですかこれはどうしてこんなに長く続いて んです かえ別に原告団が長引かてるわけではない んですまはっきり言うとですねえ てま被告はま最初内閣総理大臣から計算 大臣え今はですね原子力え規制委員会 どんどんどんどん被告は変わってきており ますけれど も建前はですね早くですねえ本格稼働に 持っていきたいと思ってるんでしょう けれどもなかなかですねそれを許さない 事情がたくさんあったんですね え耐震設計をですねえ直さなきゃいかんと かですねあの1番大きいのはやっぱり 3111の後新しいですねえ規制基準が できてまはっきり言うと裁判のやり直しの ようなことがまなされてしまったとまこう いうことがありますけれど も本当に早くですね えっとこの裁判でですね国側が勝ってです ねえ建設を進められればまこれは国策が ですね国作のということになったん でしょうけど も我々の目から見てもねなんでこんなに ですね国はですねこの訴訟をですね 引き延ばすとしてるのかっていうのは なかなか最初わかんなかったんですけれど も私はですねどうもね あのなんて言うんですかね うん配送判決が出ればもうこれはもちろん えうん 各年はま廃止運転は差し止めになって しまいますから動かなくなりますでもです ねあんまり早くですね判決が出るとですね えこれはもう大変なことになるともかく 引き延ばすとその間にですねなんとかです ねえ本格稼働にえこぎつけてですね格だけ はつけなきゃいかんのじゃないかまこう いう思惑があるんだろうと本身ですね本格 稼働してですねプルトニウムを作ってそれ をできるなんてのは僕はえ電力会社はです ねはっきりて考えてないと思います ものすごい金を使わなきゃいけないわけ ですから えいわゆる各年官僚がですねえま作り上げ たこれはまあの図式なんでそれにですね はっきり言うと電力会社はあまり一緒一緒 にやりたくないんですよただやれやれと 政治家や官僚が言うからやなくですねお金 を出してこの計画にはまっていきました けれども電磁連打って建前は え塩済み燃料のですねえ資源の有効活用 なんて言ってますけれども本音はですねえ 無駄な金を使いたくないんですですから いくらでも早くですねえ早くですね配送 判決が出るのは困るんで引き延ばし 引き延ばしてですねその間にともかくえ この国作である核燃料サイクルをですね 一応出来上がりましたとただどうもうまく いかなかったで少しですね文字のように ですねこの辺でやめますというそういう 撤退の仕方をですね僕は考えてるんじゃ ないかなという風に考えて ますあえいいですかえっとそこの前その 裁判の方でえっと活断層 があのあるのがはっきりしたって言った じゃないですかあの渡辺万九先生がえっと これについては今これからどうなってくん でしょう活断層の話について はえ今出たあの陸域のですね断層としては え6箇所断層が1つそれから海域の断層と してはですね え大陸棚外炎断層というですね80km から100kmに及ぶ大断層がですねえ 沖合いすぐのところに走っておりましてま これはえ それなりにま被告側もですねえ断層がある ことはえ海域の断層があることは認める けれどもですねこれはえ活動性のある断層 じゃないんだという風に言ってますそれ から万九断層についてもですね え色々なま資料を出してですねえまこれを 否定しようとしてますので えまこれはまあとは裁判所が証拠を見て どういう判をするかですねただですね公式 なですね あの研究所というのか調査機関国立のです ね三層権というところがあるんですがそこ はですねはっきりとですね万九断層六家者 断層をですね認めたそういうですね公式 見解を出してるんですねですからこれは かなり国側にとっあの裁判所もですね 大きい証拠としてですねえ判断評価して くれるんじゃないかとそれからもう1つ 最近あの青森県が発表したですね発表した え日本海側えにあるですね大きいま断層が ですねえ走ってるということが発表されて これはですねえ皆さんも大きい津波が来る からですね今から避難のえ心構えしておけ という風にだいぶ宣伝されてますがえ6 箇所の最処理工場に対してですねどういう ま影響を与えるかっていうのでえ震度6強 ですね6教の大きい地震が最処理工事を 襲うだろうと言われておりますまこれに ついて規制委員会の方は大したことないと いう風に言っておりますけども私はこれ 大変大きい問題になってくるだろうと思い ますので活断層と地震とですねまそれに 耐えられるだけのですね耐震設計ができ てるのかというところはこれから裁判の 1番大きい総点になっていくという風に 考えております はいあの今え裁判のこともあったんですが あのえ核燃料サイクルが破綻してるとかま 動かないもう何回も延期ということであの 色々な喧嘩あると思うんですけどやはり あのこ6箇所は要するにま極大に言えば 最初も動かなくてもいいと要するにゴミ 置き場が欲しいと私はあのまそういう風に ってますどっちかと6箇所のプールが 欲しかったんだなっていうのがあの最初の ですねプールですねそれから低レベル施設 のゴミをあのまず日本の日本中の原発から 青森に送ることによってあの低レベルは しいだとそしてその後はま塩済燃料を青森 に送ってというのはあのこういうこういう 方れなんです福井とか行くとですねあの 最初からはゴミは全部青森に持っていくん ですって言って説明して原発を作ってき たねあの関西電力はみんな青森持ってき ますだから福井には残りませんっていう 説明をしてきたとところが今度は青森では ですねあのたくさん貯めた挙に今度は第 あのえ50年後に例えばムの燃料ですね その6下所処理その50年後にあるのか どうかもない最初個人持ってきますと言っ て嘘をついてまたその場しのぎでまゴミを また新しく入れてくるということでこの あの原子力のゴミが終わらないそしていつ も国や電力が嘘をついてその先その先その 先よって伸ばしてま来たんじゃないかなと 思ってるんですねやはりそこがこの青森の あの深い問題のあのま初めもそうですしあ 騙されたってまあのよく言われるわけです けど あの計画自体がきちんと説明されてこ なかったそしてやっぱり本当のことは全然 秘密されてきたそういう歴史があるんじゃ ないかと思うんですが皆さんはあの地元で やはりどうですかねそのことが今私たちの 大きな課題になってしまっていると思うん ですけど どうぞあの 核についてはですねこれ最初提示された時 はですねやっぱり分からなかったんですね ですから県はわずか9ヶ月でですね 受け入れを決めてしまうとそその当時専門 家会議っていうのを作ってですねあの3点 セットをけれとその3点セトの中にですね 例えば高レベル排気物品階物などが入って いたなどというのはですね当時なんていう のは 分からなかったんですねところが今は最初 工場の中のですね1番大きな立施設として 海外変換の高レベル廃棄物がどんとに座っ ているという状況それはま結果的にま知ら なかった指摘できなかったという本が悪い のかですね知識なかったんですね原子力に 対するねそういう点はあったと思います それは剣そのものはあったんじゃないです かですからまあのこういう形にしてしまっ たといういたしますまただあの県の考え方 はですね戦後どちらかというとですね巨大 開発や原泉物やですね砂鉄やいろんなのは どちらかというと下北南部の方なんですね 津の方はですねこれは稲作地帯ですから そういう話はですねそれも結果的に農業者 の分断ということにも繋がっていったんで ないのかなという気がしますねですからま あの反対最初ば反対したけれども結果的に ですね我々の方には来ないと津軽の方稲策 地体にはですねそういう問題出ないよと いう形にされる一方ではねそして一方では まやっぱりあのなんて言うですかねあの 農業っていうのは更心権イコール更新権だ とですからそれをなんとか救ってやるとえ 南部地域のですねそういう状況を作って やるという件は説明をしながらですねま あの巨大開発を持ち込んでいたととこそれ が自力でやらなくてですね多に全部依存 するというですねこういうものはごとく 戦後ダメになっていたという歴史だと思い ますこの確認もそうだと思いますけど ねえあの今今村さんがえ 南部地域に青森県の南部地域に集中して るってこれは確かですなぜそうかていうと 貧しいからではなくて貧しかったのは確か ですがその1番の根底にあるのはあの週 戦後南部っていうのは あのあのいわゆる中国の東北地方とか県内 あの全国からを募ったわけです収納するた 開拓地なわけです戦後開拓えそういうこと で土地に対するあの執着心がなかったでえ 入植してあまりにも食べれないもんです からそれでどんどんどんどん能していく 脱落していった人たちがかなり多かった わけですでその中でって人たも当然います けどもですからそういう三々たる状況だっ たわけですいわゆるそれ国策だったんです よ皆 さん国策なんですよその国策の失敗を国は 何の総括もしないでほっぽったわけ ですで各年サイクル巨大開発国策 ですその失敗も今てるわけでしょ元々国作 っていうのは国作っていうのでほぼ成功し た試し大体ないんです よだから私たち100勝はあの農業政策 ほとんど信用してないん ですあ国の言うこと言うこと聞かなければ なんとかうまく いくそうなん ですあのよくあの農林の水書の方ではあの 青森県で新規え作物の開拓とかって言って ます青森県はやらねえよってりんごと長い とニンニあり自分まんま食ってけんだって 何こんなところにあのトマトだとかナスビ だとか金かかるような手間かかるような なんでやんなきゃいけねえんだバカやろっ て帰りってあの何度も言ったことあり ますあのそんな感じなんですよであの ちょっと話飛びますけどあの私より ちょっと英語の得意な人が言ってました 外国行ってえちょっと言ってたやつが ロケットとミサイルの違いって知ってる かってうんないんじゃないっと俺が言っ たら全くその通りだと日本だと日本の国の 中だとあのなんか衛星を飛ばすのが ロケットであの戦争で使うのがミサイルだ バカエロいどっちも一そうだつうのだから そういう風な言葉のうまく使使い分けをし てくるわけですですよいろんなところでだ から私たちはねそういう情報をもっと もっと賢く使いこなさなきゃいけないわけ です自分たに賢くなんなきゃいけないあの 大体国が言うことでまともなことは大体 ないと思ってあの最初から聞いた方がまず いいとですからこういう最終理工場も事も いいこといいところでうちの息子たちに 聞いたんですお前てあれどう思うってあ あれね動かねえよって なんでたらうんだって動かすふりしなきゃ ね困る人たちがいるそういうだけのこと だろっ てなるほどなと え言葉がありませんでした はいはいあの野坂さん若い人がやっぱり 学年をどう見てるかはすごく気になるとこ だと思うんですけどあの知らないっていう のは多いじゃないかなと思うんですがどう でしょう ねはいはいえっとやはりあの 3.11があってま13年前ですけれども すごく原発反対という声はものすごくあの 高まって青森県でもまいろんな運動広がり ましたただ私もあのその時じゃあ各年の 問題まで頭がこう行っていたかっていうと もうとにかくえ福島の原発があってもう 原発が事故を起こせばどうなるのかって いうことに集中してたのでまそこまで考え が至っていなかったなという風にはあの 思っておりますやっぱりただあの一方で 本当にこの原発の中にある使用済核燃料の えプールがもう満杯近くになってきている 問題がある中でこの核のゴミっていうのは いよいよ避けて通れないあの問題てくると 思うのでまそこはあの本当にえ顔でも注目 されていかざるを得ないのかなとこれから は思っておりました はい若い人たちあの金曜行動でスーパーの 前で声をかけるんですけども全然高校生 なんかでもま3.1の後はちょっと聞いて きましたけどもその後高校生が通っても別 に反応はしないしまむつは高校までしか 高校今やっと大学がちょっと出ましたけど もその若い人たちがなかなかその地元に残 るってことがないもんですからあのそこで 問題を自分のこととして問題しするって いうことはなかなか難しいだけどまここに も書きましたけどもうちの孫たち孫も話し てても学校で教えられないことには自分 たちはも全然問題だと思ってないし青森県 の問題だと全然思ってないってで私が 問いかけても青森県にこういう核施設が あるの知ってるだけそったの知らないと それ何で私が色々説明するといそれ大事 じゃんってでなんで学校どしいねえのさて いう話になるんですよで県内で本当に青森 県にこういう施設があるっていうのなんで がま学校で教えなきゃならないのか家で 教えなきゃならないのかって言うと ちょっとも分かりませんけどもでも少なく ともここで青森県で育ってるんですから 青森県にある各施設各施設は本当に やっぱりあってはならないものなので 安売り件にあるものだけでも子供には絶対 教えてほしい それが何なのかそれ興味があったら子供 たちは調べるかもしれないだけど あのゆる電気を作る3つあの便利なところ だけしか重要で教えませんデメリットは 教えてくれませんじゃ誰が教えなきゃなら ないのか本当は親なま家庭で教えられる べきものですがでもお家の中でそういう話 をするのは そこそ話題には絶対ならない過程の方が 多いの でそこはねみんそこにあの青森県の中では 結構繋がっ てると人が家庭が多いのでやはり話題には ならないのかなていう風にはなりますが せめて自分の子供と孫には教えたいと思っ ていますで孫と今長 議論してますがなかなか です教えられ学校で教えて教えられてこ なかったものは頭に入りませんこそこで もうちょっとせっかくり件あるんだから 学校教えてほしいと思ってい ます30代でもあまりよくわからなかっ たっていうことなの でこれから子供さんを育てていく年代です 次の世代にも関わってだって中間貯蔵施設 50年です よ今の市長はもしかしたら見守ると言い ました今のム市長若いのであと50年でも 90代ですから見守ることができるでしょ うって言ってましたから私はできませ んあの僕の友達の旦那さんが6か所出身な んですよでどう思うて聞いてもまま時から あるもんだから何とも思っていわゆる普通 の工場だと思ってて何とも思ってないん ですよなんかやっぱりそういうところも すごく問題でしょうねうんあの伝わって ないというか うん はいああと原発でないので原発だと ちょっと意識があるんですで原発でないの で意識がうんやっぱちょっと薄いんですよ どうですよねうん 菊川さんそのさっきのお話の中でロカ賞が すごく1番日本で安全な土地だと言った じゃないです かの自分の 周り今あの安全なのはあの私の畑のある 場所なんですけれども初田ではなくて今 本当に安全なんです安全なんですけども もうすぐ近くにはとんでもない一見なもの があるそういうことがとても気になると いうことましたはいあはい分かります はいあ分かりましたありがとうございまし たえっとえ色々もうお話が盛り上がったき たことですいませんえコーディネーターの 仕事でえ第1部のお話はこの辺で終わり たいと思いますあの皆さんの今たくさんの 問題定期があったと思いますで今までも皆 さん本当にお疲れ様なんですけどやはり ここで諦めるということがですね原子力の 問題で1番あのまやばいことでしてあの こここちら側がやっぱり諦めておしまいだ なといつも思っておりますですからあの 今日のお話をきっかけにまた色々なところ で皆さんとあのお会いしたいと思います皆 さんパネラーの皆さん最後拍手で終わり たいと思いますどうもありがとうござい まし たこれで終わしきますすいませありがとう ございまし [拍手] たはいご進行ありがとうございました40 年間の長きに渡る各団体個人による様々な 草運動を積み合わせ大切な時間となりまし たそして書込みの問題は県内の大人にも 若者たちにも伝わっていないけれど決して 諦めることなくなんとか連携しながら 知らせる原子力関連施設の存在と課題に 監視を持ってもらう取り組みを強めていき たいと思いましたパレパネラーの皆様 そしてコーディネーターの皆様本当に ありがとうございまし た拍手ありがとうございます

2024年11月30日に開催した『「核ゴミいらない青森フォーラム」青森県を核のゴミ捨て場にするな!』の映像のパート1(パート1〜4あり)
パネルディスカッションやトークで核燃料サイクル政策の転換を訴える、青森県の青森市民ホールで開催した大規模イベントです。
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<動画パート1>
開会のあいさつ 奥村榮(核のゴミから未来を守る青森県民の会 共同代表)

【第一部】
パネルディスカッション その1/10:20-

テーマ「核燃料サイクルの破綻・40年間の検証/原発・再処理・むつ中間貯蔵は中止」

パネラー
今村修さん(反核実行委員会)
浅石紘爾さん(核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団代表)
荒木茂信さん(青森県農業者政治連盟)
菊川慶子さん(六ヶ所村花とハーブの里)
赤平勇人さん(核燃料サイクル施設立地反対連絡会議)
野坂庸子さん(核の中間貯蔵施設はいらない!下北の会代表)
コーディネーター:澤井正子&YAM

当日資料ダウンロードはこちらから↓
http://www.kenminnokai.shop/new1045068.html
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日時:11月30日(土)午前10時開場 10時15分開演 16時終了

会場:青森市民ホール(リンクモア平安閣市民ホール)
〒038-0012 青森市柳川1-2-14(青森駅南横) aobunkanko.com/facility/shiminhall/

参加費 無料

各種団体によるブース出展もあり
出入り自由!!

主催: 核のゴミから未来を守る青森県民の会、原子力資料情報室

協賛:原水爆禁止日本国民会議/ 「さようなら原発1000万人アクション」実行委員会/原発問題住民運動全国連絡センター/原発をなくす全国連絡会

#核燃料サイクル #核燃料再処理 #六ヶ所再処理工場 #むつ中間貯蔵 #青森 #おしどりマコケン #核ゴミいらない青森フォーラム #原子力資料情報室

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3件のコメント

  1. 島根で、原子力資料情報室さんの再処理反対ビラを撒き始めました。高校生にも渡してます。怖いですね。停めましょう。

  2. 島根でも原発とその再稼働に反対している人は、当然いるんですよね。でも、どうも横の繋がりが弱いというのか、正直、とても活発とは言えない気がします。柏崎などに比べ島根の原発は規模が小さいけれど、危険性に変わりは無い。何とかもっと盛り上げれないものかと。

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