【海に眠るダイヤモンド】世界遺産の廃墟島、軍艦島へ行ってきました!
おはようございますコつです本日は長崎市 の長崎校にやってきました今日はここから ずっと行ってみたかった軍艦島に行って みようと思います軍艦島は正式には長崎県 の橋島という島でかつて海底単鉱で栄えた 幅160m長さ480mの小さな人口灯 です明治時代から昭和にかけて三菱によっ て開発され日本の近代化を支えました島の 外観が軍艦土佐に似ていることから軍艦島 と呼ばれるようになりました最近の 1960年代にはわずかサッカーコート約 8面分の広さの島に5000人以上も 暮らしていましたこれは当時の東京都の 人口密度の9倍と言われており世界1の 人口密度を誇っていたとされています観光 閉鎖後の1974年に無人島となり廃墟家 が進みましたがその独特の風景が注目され 2015年には明治日本の産業革命遺産と して世界文化遺産に登録されました現在は 一部が観光客向けに公開されています 軍艦島への上陸ツアを運行している主要な クルーズ会社は現在5者ありますそれぞれ に特徴があり値段や人数見学時間も様々 です軍艦島の上陸ツアーはかなり人気なの で早い時期から予約が埋まってしまいます 天校の兼ね合いもあるので1週間くらい前 から予約ページを覗いていたんですが土日 祝日や天気のいい日などはほとんど埋まっ てしまってましたツアーの予約を考えて いる方はご自身の目的や好みに合わせた ツアーで早めの予約をお勧めします今回私 が上戦するのは山海が運行する150分間 の軍艦島上陸コースです時間までに長崎校 ターミナルの受付窓口にて支払いと制約書 の記入を済ませます店員約220名程度と 5者の中で1番大型のクルーズのため数日 前にわずかな枠に滑り込むことができまし たクルーズの上線代に加え軍艦島の上陸量 も必要ですただし軍艦島に上陸するには 安全管理の観点からいくつか条件が定め られています風速が秒速5m以下である こと波の高さが0.5以下であること視界 が良好であることノームや豪雨の時は上陸 負荷で大体視界が500m以下になる時も 負荷となります蒸気のいずれかを超える 場合は上陸中止になり収油クルーズのみと なりますこれらは長崎市の条例によって 取り決められていて軍艦島に切がする場所 ドルフィン橋付近での現場判断となるため ギリギリまで分からないことも多いそう です上陸できなかった場合は上陸チケット 代のみ返金がありますその他の注意点とし ては恐風の日が多く傘での怪我を防ぐため に雨傘日傘ともに使用が禁止されていて雨 の場合はカぱの借用が必須であるという ことそして当内にはお手洗いがないので 事前に済ませておくことなどがあります この日は天気はいいですが風が結構強くて 挑戦前の時点で波の高さがギリギリとなっ ていました直前までどうなるか分からない とのことでドキドキでしたそれでは上戦し ますさすが大型のクルーズ線たくさんの 乗客がいますこの日も船は満員でした1階 の仙内席と2階のデッキ席がありました それでは出発です行ってきます 出行すると長崎市街地の美しい街並が見え ます長崎市中心部から近くも充実している ここ長崎校は3方を山に囲まれ波が穏やか で安全性の高い天然の良行として知られて いますかつて江戸時代の鎖国家で唯一開か れた港で海外との交流拠点としても栄えて きました現在でも歴史と観光の拠点として 出島クラバー園各離島への船などが多く 発着しています目の前には前回の動画でも 訪れた日本3大夜景が見える稲さ山の展望 台が見えてますね巨大なドッグやクレーン も見えてきました長崎は三菱重工業の拠点 がある造船の町で近代日本の造船を支えた 港でもあります長崎の近代造船の始まりは 江戸時代に遡ります1855年江戸幕府が 長崎海軍電習所を設置しここでオランダ人 から西洋式造船や公開術を学びました 1861年には日本初の近代的なドッグ 長崎性が建設され日本の近代造船業の石が 気づかれましたそして明治時代になると 明治政府が1874年に長崎造船所民間へ 払い下げ岩崎や郎を引き入る三菱紹介が これを取得しました三菱はこの地を造船の 拠点とし三菱重長崎造船所として成長させ ていきます明治から昭和にかけて多くの 戦艦貨物線客線がここで建造され日本の 造船技術の中心的役割を果たしました戦時 中は戦艦軍用などの軍増線の中心地となり 標的として空や原見爆の被害も受けました が戦後は民間戦の建造を再開し高度経済 成長期には世界有数の増線基地として発展 しましたクルーズ線からよく見える設備の 中には国指定重要文化財世界遺産に指定さ れているものもあります代表的なものが 1909年明治42年に設置された日本初 の電動式大型クレーンジャイアントカンチ レバークレーンです現在も稼働中で産業 遺産と現役設備が共存する象徴的存在と なっています長崎高近くにある軍艦島 デジタルミュージアムなどではこれらの 施設の歴史や内部構造について映像や模型 で学ぶことができますそんな長崎の造船と これから向かう軍艦島と呼ばれる橋島には 密接な結びつきがあります三菱重長崎 造船所で造船をどんどん拡大していった 1890年三菱は橋島を買収しています 橋島炭鉱で採掘された石炭を自社の造船 工業エネルギー源として利用していたん です当時の造線所では石炭が蒸気機関の 燃料や金属加工の熱源として必要でした 橋島の質の高い海底端は鉄の製造加工にも 適しており造船に不可欠な資源でした そんなわけで橋島は長崎造船所を含む三菱 の産業活動を支える重要な資源基地だった わけなんです両者はエネルギーと技術と いう形で密接に連携し日本の近代化を支え た総林のような関係にあります 出行から15分ほどで長崎校のランド マーク女神大橋の下を通過し外海へ出ます さらに長崎市の本土と伊島を結ぶ伊島大橋 の下も通過しました現在は橋でつがるこの 伊島もかつて炭鉱で境えた島で今では観光 リゾート地として再生されています続いて 見えてきたのが高島です面積は約 1.3km現在の人口は約400人弱と いうとても小さな島ですがこの島も日本の 近代化を支えた炭鉱の島として重要な歴史 を持っています高島炭鉱は1869年 グラバーラ外国人の支援で開行しました これが日本初の本格的な海底単鉱とされて います1881年には三菱に譲渡されお隣 の鹿島開発の先駆けとなりました高島の 単鉱で技術本を蓄えた三菱は1890年に 覇島を買収し開発します高島は軍艦島の 母体とも言える存在であり両者は密接に 連携して発展していったんですしかし エネルギー革命の影響で1986年に高島 炭鉱は並算しました当内には島の炭鉱の 歴史を写真映像模型で展示する高島石炭 資料館がありますそこでは橋島の模型や 当時の生活道具安全棒なども見ることが でき高島だけではなく柏島の学びも得られ ます海が非常に美しく釣りやサップやシカ 薬などのアクティビティが人気で夏は海水 浴上として賑わっているそうです 高島は鹿島と並ぶ近代産業遺産の島でありながら自然の美しさも残された貴重な場所として歴史とリゾートが共存する知る人ぞ知る長崎の魅力的なスポットみたいですね揺れます できるからなんか波のさ今んとこギリギリだしいです だいぶ揺れる島 ついに軍艦島が見えましたものすごい揺れの中波の向こうに突如として現れた灰色の影教科書や写真でしか見たことなかったあの島が目の前にあるなんてと近づく度びにどんどん鳥肌が立っていきました現代の暮らしでは絶対に目にすることのないような光景が目の前に確かにあるんです 写真でもいろんな人が出してる動画でも何 度も見ていたんですが実際に目にすると さらに何百倍もの感動がありました海の上 にもう1つの時代がそのまま残ってる あそこには確かに暮らしがあったんだなと 過去が今に語りかけてくるような悪感の 光景ですなぜか累線が緩みますこれは現地 にたどり着かないと味わえない感覚です とにかくずっと興奮してました 長崎半島から西に4.5km三菱石炭工業 の主力単鉱があった高島から南性に約 2.5km長崎校からは南省に約18km の置合いに位置する橋鹿島は南北に約 480m東西に約160m周囲約 1200mという小さな海底単鉱の島で 岩壁が島全体を囲い高層鉄筋アパートが 立ち並ぶその外観が軍艦土佐に似ている ことから軍艦島と呼ばれるようになりまし た鹿島では1810年頃に石炭が発見され 当時は佐賀班が小規模な最短を行ってい ましたが1890年三菱合子会社の経営と なり本格的海底炭鉱として創業が開始され ました当初草のない水星癌の背に過ぎ なかったこの小さな島は採掘技術の発達と ともに周りを6回に渡って埋め立てる形で 5堤防の拡張を繰り返し現在の島の形状に なりました元は現在の1/3ほどの大きさ だったと言います石炭の出量が増加するに つれて人口も増加し狭いで多くの人が生活 するため1916年には日本初の鉄 コンクリート作りの高層集合住宅が建設さ れ再世期には約5300人もの人々が済み 時の東京都の9倍の人口密度にまで達し ましたしかしエネルギー革命により エネルギーの需要が石炭から石油に移った ことで出量も人口も徐々に減少し1974 年1月に並算した後は同年4月に当民が 一斉に退去したことで無人島になりました 観光平山後元当民であっても上陸が許され ず長い眠りについていた炭鉱ですが 2015年明治日本の産業革命遺産の 厚生資産の1つとして世界文化遺産に登録 されました日本の近代化を支えた産業遺産 は石炭産業の歴史を今に伝えています うわ近と本当にすぐ鳥肌立つ着できるかな?南は結構ありますすげえ すごい涙できるとやら めっちゃ拍手が起きました 上陸できるみたいです すごいこれマジ嬉しい はいそれでは大変見ばらくいたしますないの決定お願いいたします長いたしましたに前の方をうわすごい波やばいなこれいやよく上陸できました嬉しすぎる多分ギリギリだったと思う あ これはすごすぎるなあこういうところも 観光で上陸できるように新しく整備された 箸ですねうわこれはすごいじゃあ無事上陸 できたので上陸県を渡して東内へ入りたい と思います上陸するとガイドさんによる 案内が始まります法内には第1見学広場 から第3見学広場まで見学通路が設けられ ていてこの通路以外へ立ち入ることはでき ません主に当時単鉱作業場があり現在では 放落が進み開けている島の南側に通路が 設けられていて生活スペースであった コンクリートのアパートが密集する地域に は入ることができません第1見学広場に 到着しました長崎校前アクセスしてきた際 1番最初に目につく大型の廃墟が北の端に 位置する橋小中学校です1958年昭和 33年に建設された現存の建物は7回建て で1回から4回までが小学校5回と7回が 中学校6回には行動図書館音楽室7階には 理下室などの特別教室が設けられていまし た1970年昭和45年には体育館や給食 設備なども新設され給食を運ぶ唯一の エレベーターもありましたその下にわずか に見えているこの支柱は初端 ベルトコンベアの後です今はその柱が残る のみです俯瞰で見ると分かりやすいですね で着て今ここにいますねでこっからまた 進んでいき ます うわこっちもすごいですね はあこっちにはレガ跡が残されてます うん第2 見学広場へ到着しました正面に見える赤い連ガ作りの構造物はかつての総合事務所 9 柏島事務所です 炭鉱の運営を司さどる頭脳のような場所で あり降の出勤体金管理や給料の子給など人 の流れの中心だった場所です橋島の中では 珍しい赤レガ作りで石炭関連施設とは 異なる雰囲気ですねこちらは明治期に立て られた最古級の建造物で日本の県代建築士 的にも貴重な移行の1つとなっています 黒いコンクリートの建造物がほとんどの橋 で赤レガは遺を放っています この総合事務所の中には炭鉱のための 大きな共同浴上があり綺麗な浴草に入る前 に荒新いを行っていた浴草はいつも真っ黒 だったそうです橋島ではお風呂があるお家 は少なく当民のほとんどが公衆浴上を利用 していました仕事を終えた公園はまず作業 服のまま湯舟に入って単純を落とし次に服 を脱いで湯舟に入り最後にしっかりと体を 洗うという3段階の工程で入浴していた そうですちなみに3段階目のみが真み水で 1段階目2段階目では海水を使用していた ようですこの周辺には炭鉱に関わる多くの 建物がありましたが現在では鉱山施設の ほとんどが崩壊しています隣には過労主力 だった第2 行くために設けられた の高階段部分のみが残っています橋島では 1891年から1974年の平山まで約 1570万tもの石炭が採掘されました 海底炭鉱として開発が進められた橋島炭鉱 の行動は1935年には当時では日本最新 となる深さ60mに達しましたさらに 1949年以降進められた屈策により最終 的には負さ110mに達しました1kmも 下までここから降りて行っていたわけです ね単層は深さ600m付近までは40° 600m以降は60°を超える休憩車で 校内は気温30°湿度95%という条件の 過酷な仕事でした 島の岩壁には所々石炭の傭壁が見られます これは明治期の拡張に伴う互作りが盛に 行われていた際に用いられた切海と赤土を 混ぜた天川と呼ばれる接着剤を用いた石炭 後方ですこの洋壁は現在でも東内の至る ところに残っており島独特の景観を 生み出しています島の入口トンネル前に あったものも迫力がありましたねこれらは 天川の五が眼と呼ばれています うお これは すごい夢のような時間 放落したコンクリート編が散らばるこの スペースはかつてのプール跡です25m プールと幼児用プールが併設されていまし たが当時は海水を使っていたそうです65 号等屋上の幼稚園にも同様のプールがあり ました見学ルート1番奥第3見学広場まで 到達すると見えてくるのが30号31号 強盗アパートです1916年対象5年に 建てられたこの30号強盗アパートは日本 最古の7階建て鉄筋コンクリート作りの 高層アパートと言われています公引の社宅 として建設され中庭には吹き抜けの廊下と 階段があり地下には売店もありました台風 塩風狭い土地といった木造住宅では対応 できなかった過酷な島の環境に対応する ため当時最先端の鉄筋コンクリート構造が 採用されましたこれが橋島の住宅開発の 先駆けとなり以降島全体が高層住宅の島と して発展していくになりましたお隣の31 号公員車には一般用の共同浴上があり1階 には郵便局や離発店も設置されていたそう ですここであっという間に船に帰る時間が 来てしまいました東内を巡る時間にも制限 があるので本当にあっという間です事前に 軍艦島のマップなどを見てああの建物が これでとある程度位置を把握しておかない と全部真っ黒な廃墟だし建物名も全て数字 なので何を見たのか分からなくなっちゃい ますこの編集中に知ったんですけど最近 TBS系日曜劇場で海に眠るダイヤモンド というここ鹿島を舞台としたヒューマン ドラマが放映されていたらしいんですよね これが鹿島の当時の生活の再現度が ものすごいらしくて物語としても 素晴らしいということでこの聖地巡礼をし に来ている方もたくさんいたみたいなん ですこういったドラマを見てあの場所は こうでこうでって詳しくなってから来て みるとよりこのツアーを楽しめそうだなっ て思いました実際海に眠るダイヤモンドと いう言葉はかつてのは橋を象徴する言葉の 1つでガイドさんも使っていましたここで 採掘されていた好品質な無縁は発熱量が 高く煙が出にくいため性鉄軍艦発電所用の 燃料として非常に重宝されていましたその 価値の高さから海底から取れる ダイヤモンドと消されていたんですそこに 海に眠るという言葉で現在の無人島となっ た姿を示唆しています かつての栄光とダイヤモンドという輝きを持ちながら今は静かに海に包まれているという失われた栄光への哀愁が込められている美しいタイトルですよね今からドラマもチェックしてみようと思います いやいだったな夢のような時間ですさようなら う さよなら感じます足元しますからまできましてお案内 さて夢のような東内見学が終わり出行しました名残り惜しいのですがここからはぐるっの周りを解説しながら一周してくれます 当内の見学コースからではよく見えなかっ た居住区の建造物がよく見えます橋島の アパート地帯には単なる居住空間だけでは なく1つの都市として機能するための様々 な施設や生活インフラが集中していました 当内から見た30号の裏側には65号70 号などファミリー世帯向けの建物も 立ち並びます3から4DKの部屋があり 重णी数も多かったようです一は高台に そびえる3号は幹部職員用の高級住宅で各 に専用のお風呂トイレが完備されていまし たこのような設備は主に幹部職員向けの 建物に限られていて一般の公員住宅では 共同浴上や共同トイレが一般的でしたその ため3号党はその立地と設備の充実度から 当民の間で憧れの住まいとされていました 投球とはいえこの当内でのライフラインは どのように確保していたのだろうと思って いたら盤面はかなり豊かな設備が整ってい たようです電気は当初島の自価発電で供給 されていましたが人口の増加などに伴い 電力不足となったため1918年大正7年 にお隣の高島から海底ケーブルが敷かれ 総電されるようになりましたまた飲料水も 当初は海水を上流していましたが後に給水 線で本土から運ばれてくるようになり高台 にある著水層に蓄えられて数箇所の共同 水洗されるようになりましたそれが 1957年昭和32年になると対岸の長崎 市本土から6.5kmもの海底増水艦が 敷かれ総水されるようになりましたこれに よって箸までの給水制限はなくなりました が高級職員用のアパートであった3号等 以外のアパートには依前室内風呂は設置さ れず公衆浴上が利用されていたそうです こうして昭和30年代には覇島の家庭は 見下1の電荷製品普及率を誇り高度経済 成長期の日本の最先端の暮らしが実現して いました当時全国のテレビ普及率が約 10%だったのに対して覇島ではほぼ 100%だったようです共同スーパー やオや離発店などの個人点もあるし映画館 やパチンコ店などの娯楽施設もあったよう ですさらにアパートの屋上に土を運び日本 初の屋上サイエを実現していて緑のない島 に少しでも緑を増やそうという工夫も行っ ていたようです島の最高地点には祠が見え ます観光の守り神として進行された橋島 神社の後です島の開発初期に混流された 最も古い建造物です車電などの建物自体は 東壊して現存していませんが当時は神社 由来のお祭りもあったようですそして学校 の裏手にあるのは橋島病院隔離病棟です 継承者はここで対応して10秒車は長崎 本土へ船で搬送していましたこのように 鹿島のアパート地帯は単なる住宅密集地で はなく1つの町が丸ごとビルの中に入った ような構造だったんですね住む学ぶ働く 遊ぶ祈るこの全てがわずかサッカーコート 8面分の人口灯の中で完結していたんです ものすごい暮らしだなと改めて思いました 金額の際はこうした人々の営波みを想像し ながら廃墟軍を見てみると軍艦島の記憶が よりリアルに迫ってくると思いますこうし てあっという間の150分が終了しました 下戦しましたただいま長崎でね降りる時に これをもらいました軍艦島上陸証明書私が 使ったこの山海軍の軍艦島クルーズだと こういうのをねあのお土産にもらえる みたいですこれは嬉しいですねすごく 思い出になります はいお疲れ様でした無事に帰ってきました 本当に夢のような時間でした上陸できて よかったちょっと前まではそもそもこう いった観光の整備がなされていなかったの で上陸することができない島ということ だったんですけどこんな風に奥の方まで第 3ポイントぐらいまでずっと歩いていける ように作られていて風も強いですし環境 条件も厳しいので少し前だと台風の影響で 整備されたところが壊されて上陸しても もう入ってすぐのところまでしか行け なかったりとか切断する桟橋自体が流され てしばらく島に近づけなかったりとか すごく今が1番いい条件で軍艦をしっかり 見て回ることができる時期なんじゃないか なと思いましてこのタイミングで軍艦島え しっかり来ることができて本当に良かった ですこの周辺は長崎市の中心市街地で産業 革命遺産の移行であったりとか有名な スポットとかがたくさん密集しているので このクルーズ含め街並の3索等を行っても すごく楽しめると思いますしその街並の中 にイカ島にまつわるミュージアムっていう のもあってそこでしっかり学んでから乗っ てみるとまたより深く楽しめるのかなと 思いました船が軽流できる場所がえ1箇所 のみなので各者運行時間とかがあって ガイドも結構駆け足だったりもしたので 事前に自分でできるだけ要収してから行く と1番楽しめるんじゃないかなと思いまし たというわけで素晴らしい経験でござい ました気になった方は是非この街並作と ミュージアムと合わせて本物の島の方にも 是非クルーズで行ってみてくださいそれで は最後までご視聴ありがとうございました また次の動画でお会いしましょうバイバイ H
今回はずっと行ってみたかった軍艦島こと長崎県の端島へ!直前まで上陸できるかドキドキでしたが、無事島内に入ることができました!ちなみにこの編集が終わった後からドラマ海に眠るダイヤモンドの視聴を始めたんですがめっちゃ面白いです・・・近々行こうと思ってる方はぜひドラマも見てみてください😚
ここに行ってから軍艦島のリアルドキュメンタリーとか、元島民の方の証言とか、いろんな映像を見てるんですが、端島の周りには、他にもたくさんの海底炭坑で栄えた軍艦島のような島があると知り、また後日他の島にも行ってみたいなあと思っています。
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主にバイクで日本を旅するこつぶの日々の記録です。
愛車は、HONDA CBR250RR、スーパーカブ110、モンキー50、N-VAN、ハイエース
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・小型バイクを車に積んで車中泊旅
・テントを張っての山登り縦走
などなど乗り物もアウトドアも全部楽しんじゃう!
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#こつぶちゃんねる #長崎観光 #廃墟 #廃墟探索 #端島 #ruins
30件のコメント
上陸できたのですね。とてもラッキーだと思います。上陸確率は1/3ということで私は1回目は強風による欠航、2回目は強風による高波で上陸叶わずでした。丁寧な解説と感想でとても理解しやすく、お陰様で3回目の上陸として感動しました。ありがとうございます。若い頃は30年程前にXJR1200で全国を旅していましたので懐かしさの復習でいつ楽しく拝見しています。
海に眠るダイヤモンド、牡蠣の海産物の意味、軍艦島は採掘鉱山は無いでしょ、
海水の流れが速く、牡蠣のイカダ浮き生け簀は出来ないけど、
『海に眠るダイヤモンド』観てみました。まだ一話ですがいいですね!はじめのシーンで出てきた1965年は私が生まれた年です。昭和生まれには胸が熱くなります。
おしえてくれてありがとう。
とても分かりやすい解説ありがとうございました。
長崎市民でありながらまだ上陸経験ありませんでしたが、「海に眠るダイヤモンド」とこの動画の効果で絶対に行く!と決心しました。
素晴らしい動画配信に感謝致します。
この動画観てません!
この前、このチャンネルを発見。面白かったから一番古い動画から観ようと。「どうせずぐ飽きるやろ~」って思いながら観てたら観るほどにハマってハマって抜け出せません(笑)
今は、3年前の屋久島まで来てます…っていうか、まだそこです。
流行りに流されiPhone片手に「映え映え」言ってる人が多い(この人達が悪いとは言ってません)中、自分の人生を生きてるこつぶちゃんが凄いゴイゴイスー的に素敵です!!
動画(観光地)の解説やテロップとかも解りやすく観やすくてイイ!一瞬「小学校の教材にしたらええのに」と思ったほど。一瞬やけどね…笑
阿蘇、凄いですね!あの景色に囲まれて走りたい!四国とか良い所たくさんあったけど、阿蘇は別格やね。
最新の動画に追いついたらコメントしようと思ったけど、だいぶん先になりそうなので、コメントしました。
気を付けて旅を続けてくださいね!
(追記です)
日本一周完了まで観ました。おめでとうございます!&お疲れさまでした!感動の連続でした!
リアタイで観れるように今から追いついていきます!
てっぺーーーい!!
こつぶちゃん、軍艦島サイコー👍僕も行きたく中々行けてません。今回の動画を参考にして行ってみたく思いました。ありがとう😊
行ってみたいな〜
私の産まれ故郷へようこそ❤
戦艦武蔵の建造➡進水 迄は 三菱重工業株式会社 長崎造船所 以降 呉海軍工廠にて艤装➡就航・・・・こつぶちゃんの 説明iしては 如何なものか・・・・?
この動画教師によっては生徒に見せる教材として使われるかも
こつぶちゃんのナレーションの聞きやすさと理解しやすさすごい
これはもう日本の歴史教材だよ😮
13年前に軍艦島に行ってきました!
軍艦島クルーズを利用して行きましたが、見学者の中に当時軍艦島で生活していた方が1名乗船して貴重なお話しと共に見学ができたことは素晴らしい体験となりました😊
こつぶちゃん🍀軍艦島(端島)上陸出来て良かったです。
私は隣の高島で生まれ中学2年生の時に離れました。軍艦島は祖父母が住んでいましたので小さい時良く遊びに行ってましたョ😊
軍艦島には火葬場が無かったので、隣の中ノ島で船で渡って火葬してました。
夜高島から軍艦島を見るとアパートの灯りがとても夜景が綺麗でした💡💡💡
昨年岐阜県から軍艦島に上陸しましたが、また機会が有れば軍艦島と高島に行きたいです。
チャンネル登録させて頂きますネ。
バイクにも乗ってます。BMWR18ロクテインとマジェスティS155のスクーター🏍️に乗ってます😊
素晴らしい動画を見せて頂きありがとうございました🍀
船が弱い人にはキビシイですね。
私も先月行ってきました。
世界遺産に登録されて、一度いきましたが波が高く上陸できなくて、目の前で帰ってきました。
昨年のドラマを見て行きたくなって、やまさ海運で今回は上陸できました。
実際に行ってみると迫力と感動が違いますよね。
数年前、行きましたが波が高くて上陸出来ませんでした。
今回観させていただきましたが、また機会があったらもう一度挑戦したいと思いました。
解説も素晴らしく本当に素敵だと思いました。
バイクチャンネルとして観ていましたが、本当に素敵でした。
ありがとうございました。
13年前くらいに長崎に行きました😊端島、行きたかったですが、上陸できず😣でした~。稲佐山も、行きましたが、曇で何も観えませんでした😅いつかリベンジしたいです🎵
お疲れさまです!
軍艦島はテレビなどで見た事ありましたが、その歴史までちゃんと知らなかったので、こつぶちゃんの動画で勉強できてよかったです😊
いつも好奇心を刺激してくれてありがとうございます!
すごいな、データや画像たっぷりで観光大使こつぶ爆誕や!🍺かんぱーい!
いつもにも増して完璧な解説。本当に分かりやすいし、それでいて詳しいから勉強になりますねー。
行きたいけど躊躇ってたけど行きたい!
ここを居住地としてください😍…
むりか〜🤣
こつぶちゃんのファンになりました。
ナレーション上手いね!
感動した!
ありがとうございます。
私は長崎出身なのですが 軍艦島には上陸する術もなく 名前は知ってましたが 上陸⁇するなんて考えもありませんでした。 本当に詳しく説明して頂きまして誠にありがとうございます。
こつぶチャンネル 登録してて良かった。
こつぶちゃんねるは突然変化球投げてくる。ただ、いつも行ったことのないところだったり、なかなか訪れることのできない場所を紹介してくれて、行った気分に浸れます。ありがとうございます。また他の土地の紹介をお願いします。
軍艦島行ってみたいですね😳
ホンマ民放放送などテレビで見るよりこつぶちゃんの動画のがええわ👏
軍艦島は凄いです👀世界遺産に登録されているだけあります。
AdGuard使って観てたらBANされて、動画が観れなくなりました。
別に良いのだけどね!最近のこつぶちゃんのチャンネルはNHK見てる気持ちになるのは俺だけかな?別に良いのだけどね😂