津波から逃げる車 Car escaping from tsunami

2011年3月11日 
宮城県仙台市付近
津波が襲い
逃げる車
農道へ逃げ込むように
見え
タイヤがはまったのか
身動きできずに
波に飲まれてしまった
津波が来る前に
早く
高台へ避難の行動を行いましょう

March 11, 2011
Near Sendai City, Miyagi Prefecture
Tsunami hits
car running away
Like escaping to the farm road
Visible
Is the tire stuck?
unable to move
I was swallowed by the waves
before the tsunami comes
quickly
Let’s evacuate to higher groundi

#地震 
#津波  
#earthquake
#tsunami  
#南海トラフ地震  
#地震速報 
#能登半島地震
#東日本大震災

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43件のコメント

  1. ちなみにこの白い車の運転手は、後で救出されてインタビューにも応えてます。

    ってコメントないか探したけど無かった。

  2. 自分の今日は、誰かが行きたかった明日なんだと、強く感じました。自分にできることを、誠実に懸命に生きます。

  3. 従兄弟が車の中で亡くなっているのを震災の2日後に見つかった。従兄弟2人とその母親
    どれだけ怖かっただろう、苦しかっただろう。
    公民館で横たわる3人を見た時は泥だらけで小学生の自分には耐えられなかった。

    14年も前で長い時間が過ぎたように感じるのに脳裏には震災の風景がまだ映る。

    3.11の日はテレビもSNSも見ないようにしていた。津波を見るのが嫌だから、それでもふとした瞬間にこうして出てくる。
    思っている事を書いておかないと頭がおかしくなりそうになる。

    忘れたくても忘れられない記憶

  4. 当時高校2年生の自分は宮城の田舎に住んでいて下校途中だった。自転車を漕いでたら大きな揺れが来て道路は割れ田んぼが海の様に波打っていた光景を今でも覚えている。
    14年か、あっという間だったなあ

  5. この映像は、前も見ましたが…何度見ても胸が痛いです。
    どうか、この車の中の人(人達)が奇跡的に無事であって欲しいです。

  6. 切ないよ…(;_:)みんな助けてあげたかった…こんな未曾有の大惨事が明日起こるだなんて誰が想像できだろう。これは他人事では決して無いよ。明日は我が身だと思う。

  7. 私は韓国人ですが、大きな惨事で生を終えた方々の名服を祈り、痛みを経験した日本人たちに哀悼を表します。何よりも思いやりのある慰めの言葉から心を感じます。人間の尊厳に対する意識が背景にあることから、誰かは知らないが、同じ空の下の母親を喪失した方への心配と悲しみに対する共感、そして実際にあるかもしれないが、未来の美しい遭遇を希望する暖かい言葉がたとえ不可能な話であってもそれを考えるだけでも。これが人と人々が暮らすコミュニティ社会の温情主義の理想郷のように感じられて羨ましいこともあります。

  8. 当時はマンションに住んでいて俺はまだクソガキでした。地震が起きた日家には姉と俺の2人だけでした。地震発生直後俺は大型テレビのすぐ側にいてテレビが俺に向かって倒れてきたんですが、姉が身を呈して僕の身代わりになり助けてくれました。当時の記憶はあやふやですが、姉のお陰で今があると思うと感謝してもしきれないです

  9. あの時小1だったけど揺れが強すぎて立てなかったなあ、隣の山の斜面から岩が転がり落ちてきてガードレールに当たってガードレールが大きい音立てて歪んだのは覚えてる

  10. なんでもっとスピード出さなかったのだろうか
    パニックだったんかな
    前の車について行けばよかった

  11. 津波ってただ水が流れてくるだけじゃないんだと、東日本大震災の映像を見て初めてまともに理解できた気がします。土砂が燃えたまま流れてくるなんてどうにもできないですよね…

  12. 海から遠く離れたところに住んでるけど、テレビで陸地をどこまでも進んでいくのを見て怖かった

    後日10日に父(海っ端育ち)が海見に行ってたと知り驚いた
    一分一秒違ってたら二度と会えなかったんだなって…

  13. パニックになって上手く操作が出来なかったのかなと思う。
    当日、テレビで流されていく車を写していたら運転手が窓を叩いて、逃げ出そうと必死な人の映像が流れた。その直後カメラは別の物を写し始めたな
    あれはトラウマで忘れられない

  14. 私は同僚と上司の話を忘れない。

    同僚は高校生の時に被災した。
    目の前にいた母親の手を掴みきれずそれが母を見た最期だった。今でも夢に見る、あの手を掴めてさえいれば…と泣いて語っていた。
    そんな同僚に上司は言った。
    私も阪神大震災で最愛の妻を亡くした。瓦礫に挟まった妻を救えなかった。
    とても元気で明るい人だった。自分も死んでしまおうとも思ったし自分だけは最愛の人を忘れるものかとも思った。
    10年後、今の妻と出会った。今の妻は私の話に涙を流して私と一緒に生きよう。と言ってくれた。とても優しい人。最愛の妻を忘れることは出来ないけれど今の妻と出逢えたことにとても感謝してる。
    だからね、これだけは忘れないで欲しい。
    忘れられない後悔にどれだけ心裂かれようと君は幸せになれる。

  15. 医療支援に行った阪神淡路の現場は、焦げ臭さと埃の匂いに満ちていた。だがこの震災の現場には、苦い海に浸ったあらゆる有機物の圧倒的な、重量感に満ちた臭気が澱んでいた。思考が引き摺り落とされる……そんな臭気が。報道が伝えられないものは臭いだ。記憶の中で様々な事が整理されて行くが、臭いの記憶はそれを拒み続け、今なお生々しく残っている

  16. 私は東日本大震災の時、0歳でした。関東だったので、被害もほぼないと思います。私も辛いことはありますが、大切な人を失うほどの悲しみを経験したことがあまりないため、歳を重ねてこのような悲しく、辛い事実を知り、私はこんなふうに呑気に生きてていいのかと思ってしまいます

  17. これだけの災害に対して、人間なんてなんて無力なんだろうと、思いますよ、亡くなられた人達のご冥福をお祈りいたします🙏、、我々は出来ることを精一杯やるしかないのだよね、頑張るしかないよな💪、、、🫡

  18. 自然は時として人間を不幸に落とす・・・
    そして、時して人間を幸福の時をもたらす・・・
    やはり、人間は、自然を無視することはできない・・・

  19. この映像は初めて見ました😳
    どういう方が乗っていたのかはわかりませんが、車が動かなくなったのなら降りて走って逃げるという選択肢はなかったのか…今更ながら残念に思えてなりません😢

  20. これって動画内では逃げ切った車は津波から逃れられたのかな?
    津波は時速40km/h以上だろうし、車は道路外を進んでることを考えたらすぐに行き止まりがきて、実際はこのあとに飲み込まれたのでは…

  21. あれだけ大きな揺れだったのに何で避難しない人がたくさんいたんだろう
    私は浜育ちなんだけど
    「今まで体験した事が無いレベルの地震が来たら とにかく即座に高い所に全力で避難しろ」
    って徹底的に叩き込まれたけど…

  22. 地震は自然災害なので仕方ない、しかし地震が起きた時に対策は出来る、明日は我が身と思い対策して生活している。
    いざ巨大地震が来たら冷静ではいられないだろうけど···········

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