大崎事件 最高裁が弁護側の特別抗告を棄却 「鑑定の証明力には限界がある」 再審の扉開かず  (25/02/26 18:10)

1979年、大崎町の牛小屋で男性の遺体が見つかった大崎事件。その裁判のやり直しを求めている4回目の再審請求について、最高裁は2月25日付けで弁護側の特別抗告を棄却し、再審の扉はまたもや開きませんでした。

1979年、大崎町の牛小屋で中村邦夫さん(当時42)の遺体が見つかった大崎事件では、中村さんの義理の姉で殺人罪などで服役した原口アヤ子さん(97)が、再審=裁判のやり直しを求めています。

原口さんは一貫して無実を訴えていて、4回目となる再審請求で弁護側は、中村さんが自転車事故で死亡した可能性を示す救急救命医の観点を新たな証拠として提出していました。

今回の再審請求では、鹿児島地裁、福岡高裁宮崎支部ともに再審を認めない判断を示す中、最高裁第3小法廷は2年近い審理の末、「鑑定の証明力には限界がある」として、25日、弁護側の特別抗告を棄却しました。

再び閉ざされた再審の扉。

弁護団は、26日午後4時から鹿児島市で会見を開き、森雅美団長は怒りをにじませました。

大崎事件弁護団・森雅美団長
「誠に残念だし遺憾。次をどう考えていくかということを弁護団で今後検討していかなければならない」

また東京で会見を開いた鴨志田祐美事務局長は…

大崎事件弁護団・鴨志田祐美事務局長
「大崎事件の弁護人を弁護士になった最初からやっています。20年経ちました。この国の刑事司法を変えようと思って再審法改正の運動にも力を入れてきた。でも自分の依頼者1人救えない。弁護士としては失格。なので私は弁護士である限り、この戦いはやめるつもりはない」

特別抗告の棄却という最高裁の今回の判断。詳しく見ていきます。

まず弁護団が今回提出したのは、救急救命医の鑑定書です。これは中村さんが自転車で側溝に転落した事故が原因で死亡した可能性が高いとするもので、遺体の写真から判断した鑑定でした。

これに対して最高裁は「医師が遺体を直接検分しておらず、限定的な情報から推論を重ねて結論を導いた」などと判断し、弁護側の証拠が「無罪を言い渡すべき明らかな証拠」に当たらないとしたわけです。

一方で今回、最高裁の5人の判事の内、学者出身の宇賀克也裁判官だけはこの決定に反対意見をつけています。

宇賀裁判官は、救急救命医の鑑定について、遺体の写真が鮮明であることや、医師が高度な専門的知見を有していることを挙げ、これまでの再審請求で出された証拠と照らし合わせると再審を認めるべきとしていて、最高裁の中でも意見が割れる形となりました。

あらためて大崎事件の再審の経緯を見てみますと、第1次再審請求では地裁が再審を認め、第3次再審では地裁、高裁が再審を認めました。いずれもその後、上級審で決定は覆されているわけですが、裁判所の判断が揺れていることも過去の経緯からはうかがえるわけです。

再審をめぐっては2024年10月、静岡の袴田事件で袴田巌さんの再審無罪が確定し、再審制度の見直しの世論も高まる中での今回の決定。無実を訴える原口さんは2025年6月で98歳になります。

弁護団は今後について「第5次再審請求に向け新証拠の検討など進める」としています。

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1件のコメント

  1. 大崎事件(おおさきじけん)は、1979年に日本の鹿児島県大崎町で発生した殺人事件であり、冤罪の可能性が指摘され続けている刑事事件です。

    事件の概要
    1979年10月15日、鹿児島県大崎町で農業を営む男性(当時42歳)が遺体で発見されました。当初、警察は事故死として処理しようとしましたが、その後、被害者の義姉である川内(せんだい)康子さん(当時63歳)とその親族3名が殺人容疑で逮捕されました。

    川内康子さんらは取り調べで「自白」をしましたが、裁判では一貫して無実を主張。しかし、自白調書などをもとに1980年に鹿児島地裁で有罪判決が下され、川内康子さんは無期懲役の判決を受けました。他の3名は懲役刑を受けましたが、後に執行猶予が付きました。

    冤罪の可能性と再審請求
    川内康子さんは一貫して無実を訴え続け、再審を求めました。特に、

    自白の任意性(強要された可能性)
    物的証拠の乏しさ
    事件当初の「事故死」との矛盾
    などが指摘され、冤罪の可能性が強まっていきました。

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