ゆっくり大江戸歴史巡り旅 ~赤穂浪士の引揚げ路を行く~両国から泉岳寺まで

去年の12月13日に都内をサイクリングした時の映像です
両国の吉良邸跡から鉄砲洲の浅野屋敷跡、高輪の泉岳寺の浪士のお墓までを御紹介します

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34件のコメント

  1. 旧赤穂浅野家家臣による徳川将軍家直臣の殺害事件
    江戸市内ではなかったので大騒ぎにはならなかったがテロリズムには違いがないですね
    そもそも将軍家から見れば陪臣になる大名の家臣による将軍家直臣、それも少将の位を持つ高家を殺害するなど『仇討』ですらない

    犯行現場近くの両国橋を渡れば江戸市中を通らざるを得ないので永代橋から外堀の外側を怯えながら泉岳寺まで向かいました

  2. 豆腐屋の47人分の湯漬けについて私の想像ですが江戸では朝に1日分の米を炊くのが普通なので近隣の住民も手伝ってお米を多めに炊いたかもしくは少しづつ分けてもらって集めて提供したのかも知れません。本来であれば朝は炊き立ての飯が食えるはずなのに湯漬けにしてるところを見ると集めるのに時間がかかったのでごはんが冷めてしまったので冬の寒さで冷え切った赤穂浪士たちに暖かいものを提供したいという配慮からお湯を沸かして湯漬けにしたのでしょう。
    薪代も安くはなかったはずなので豆腐屋の心遣いを感じます。

  3. 年末の風物詩も今や昔
    最近の若い世代は忠臣蔵はおろかボブサップ曙すら知らないからなぁ
    世代間ギャップは開く一方だw

  4. 討ち入りは表門と裏門で分けて行われて表門の大将が大石良雄、裏門の大将が息子の大石主税でした。結局浪士46人(寺坂吉右衛門は浅野長矩の未亡人に報告するために離脱)は各藩にお預けの身となり、幕府は協議野結果、切腹を命じて46人は各々の預かり先で切腹しました。
    結構長い道のり歩いていたんですね、お疲れ様です。
    いずれにしてもやってはいけないことを主君浅野長矩が吉良義央にやってしまったとは言え将軍徳川綱吉がその日のうちに浅野長矩切腹処分は早すぎると思いました。もう少し日を置いてから切腹処分を下せば無益な所領没収をすることはなく浅野家は石高落として改易くらいで済んだかと思います。
    吉良義央も命を落とすこともなかったでしょう。以上、冷静に判断して意見を述べてみました。

  5. 今日もありがとうございました🙇もう赤穂浪士討ち入りの時節ですね😊実写動画、私は新鮮に見えました🎉またよろしくお願い致しますね😂

  6. ドナルド・キーンが指摘したように、平和な時代が長く続いた元禄時代に突然戦国時代のようなかっこいいヒーロー達が目の前に現れた事に江戸町民を中心とした民衆が大いに沸き立って盛り上がったのが正に赤穂事件。だから吉良はめちゃめちゃ悪役として描かれやすい😂

  7. 江戸時代系動画が次々アップをやめていく中、色々な切り口で動画のアップをし続けて貰えて嬉しいかぎりです。
    年末恒例、赤穂浪士動画が今年はまさかの実写動画と言う意表をつかれました(笑)が、これを見ると年末感がヒシヒシと感じられます。
    残すところ今年もあと2週間ちょっとですが、うp主様には体調に気をつけて健やかな年末年始をお迎えください。
    来年も楽しく視聴させていただきますね😆

  8. 年末を迎え、そろそろ隠居の身となる自分としては、江戸時代のご隠居の現役時代がどんなものだったか興味があります。

  9. 13kmを2時間半というと単純計算で時速5.2km。しかも実際には休憩も挟みながらということは実際にはもっと速足だったと考えられる。赤穂浪士には堀部弥兵衛(77歳)のような高齢者も居たことも考えると驚くべき速度。

  10. 私も、両国から泉岳寺まで、歩きました。13kmほどあるので、長かった(笑)
    忠臣蔵の再編成、楽しみにしています。

  11. 鬼平の聖地巡りで遠ったはずなのに、全然気付かなかったー。悔しい。
    今度行ったら同じルート歩いてみます(高輪までキツそう)

  12. 久々にコメントします。
    動画Upありがとうございます。
    カレンダーを見たら12/14かぁ・・・と思っていたところでした。
    年末のこの時期に「忠臣蔵」を感じることが出来て有り難かったです。

  13. 泉岳寺まで13キロも歩いたのか。
    その間討ち入り果たした赤穂浪士達の胸中は如何許だっただろうか。

  14. お疲れ様です。
    動画面白かったです。連れていってくださってありがとうございます❗
    現在の姿をみて当時に想いを馳せながらみることができました😊

  15. tera senゆっくり大江戸さまの赤穂義士討入(元禄赤穂事件)の一連動画をキッカケにして、本所松坂町旧吉良邸公園を始め、皇居東御苑の松之大廊下跡、旧赤穂藩浅野家上屋敷跡の聖路加国際看護大学横の石碑、そして高輪泉岳寺の赤穂義士墓地まで、別日ではありますが訪問を果たしました。さすがに南部坂の瑤泉院阿久里実家跡までは訪問する元気はありません。
    年末年始を期に、これまでにtera senゆっくり大江戸さまが公開された元禄赤穂事件関連の諸動画を、一本に纏めて編集公開してくださるとの朗報に感激もひとしおです。
    うp主さまの動画公開を楽しみにしていますと共に、それまでは戯曲からの創作物ではありますが1956年公開の大映映画長谷川一夫主演「忠臣蔵」(渡辺邦男監督作品)なるDVDを買い求めましたので、それまではそちらを愉しむ事にいたしまする。

  16. 泉岳寺は47士預かり大名の一つである長府藩の菩提寺でもありましたが、長府藩は関ケ原の遺恨から浅野家を激しく憎んでおり、浪士を徹底的に罪人として扱い処刑の際も幕府の意向に背き実質的に打ち首にしています。泉岳寺も現在でこそ浅野びいきですが、当時は浪士は厄介者に過ぎず、遺品も売り払う(無縁仏の遺品売却は当時は寺の当然の権利だったとは言え)などあまり厚遇はしていなかった様ですね。
    とは言え、世相を気にして多少の供養は行ったため長府藩側が絶縁→遠慮せずに浅野びいきになれると言う形になったため、その後の官民問わないリンチ紛いのバッシングは免れたのは幸いだったのかもしれません。

  17. 自転車で史跡巡りですか、いいですね。
    あの辺りは平らで坂もなく、以外と交通量も少なく自転車で走りやすいですが、歩きだと結構な距離。
    赤穂浪士達も何を思って歩いていったのか…
    流石に泉岳寺が江戸から現代までの観光名所になるとは思ってなかったでしょうけど。

  18. 住職たちは内心腹を斬られるのを嫌がっていたのでは…。流石に人数が多くて大変でしょうし…。

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