失われた鉄道と炭鉱。 大夕張鉄道線と国鉄夕張支線の乗車記録
#国鉄 #大夕張鉄道線 #夕張支線 #廃線 #三菱石炭鉱業 #大夕張 #夕張シューパロダム #大夕張ダム
乗車日 1984年8月4日
再訪日 2002年10月5日
2013年8月17日
2023年11月13日
今回は、三菱石炭鉱業。大夕張鉄道線の乗車記録を中心に、夕張支線、夕張シューパロダム付近の様子を紹介いたします。
なお、ナレーションなし、走行音だけの動画は別に作っていますので、宜しければ概要欄を参照してください。
1984年8月4日。函館から乗車した特急おおぞら5号を千歳空港駅で下車して、石勝線夕張行き普通列車に乗り換えました。
このまま特急列車に乗っても、夕張まで行けますが、特急列車は札幌駅を経由するので遠回りです。
13時42分発。1両の新型ディーゼルカーキハ40は石勝線に入ります。追分駅で増結してスノーシェッドが目立つ高規格の路線を行きますが、一向に速度があがらず、ノンビリ走ります。開け放たれた窓からムシムシした風が入ってきます。
新夕張駅で、先程おりた特急列車に追いつかれ、列車は夕張支線に入りました。長編成の石炭列車が貨物ヤードに停車している姿が見えると清水沢駅。15:15到着。
私はここで、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線に乗り換えます。
夕張は、1960年代には17もの炭鉱があり、約11万人の人口を抱えていましたが、徐々に衰退して行きました。
これから乗車する、三菱石炭鉱業。大夕張鉄道線は、かつては、国鉄の清水沢駅と、大夕張炭山を結んでいた炭鉱鉄道だったのですが、大夕張炭山が閉山となり、路線が短縮され、この時の終点は、南大夕張駅となっていました。
当時の清水沢駅は、全盛期は過ぎていましたが、貨物ヤードもある大きな駅でした。
南大夕張駅方面から、石炭車セキ400などと旅客車両が連結された、混合列車が到着しました。
この列車は折り返し、16:05発の南大夕張行きとなります。レイルファンも多いですが、地元客も乗車していました。
石炭車を切り離し、客車だけの編成となります。ナハフ1とすハに6、機関車はDL55です。国鉄DDじゅうさんと似た機関車です。
2両の客車のうち、一番古い、すハに6に乗車します。1913年、大正2年製の木造客車でしたが、鋼体化されました。国鉄60系列と似ていますが、大きな違いがありました。
通常の台車は車輪が2軸ですが、この車両は3軸でした。また暖房装置はダルマ式石炭ストーブを採用していました。
荷物室もありますが、木製のベンチシートが並んでいました。
16時5分。出発します。
途中、唯一の停車駅、遠幌駅に到着します。駅舎は遥か彼方にあります。駅舎と線路の間のあき地は貨物ヤードの跡地でしょうか。
清水沢駅を出発して11分後。終点の南大夕張駅に到着します。乗客はレイルファンが多いです。余韻に浸りたかったのですが、しかめっ面の車掌さんに急かされて下車します。
折り返しまで、1時間半以上あるので、付近のシューパロ湖まで散歩します。
駅舎と反対側の道路を行きます。予備車のオハ1が留置されていて、窓には坑内員募集のシールが貼ってありました。
南大夕張駅は、南大夕張炭鉱の搬出口となっています。このヤマは、14年前の、1970年(昭和45年)に採掘が始まった新しい炭鉱です。夕張の炭鉱は、新たな炭層を求めて、廃鉱と開鉱を繰り返し、炭鉱も街も移動を続けていました。
その為、この集落はまだ新しい街なのでしょう。
ハモニカ長屋と呼ばれた炭住があり、人の生活感がありました。前述の通り、炭鉱開発に伴い、炭住も移動するので、質素に作ってあるのかと思っていました。
サイクリングロードを歩いて行きますが、草に覆われていて荒れていました。
トンネルもあり、なかに入ると、照明も無く真っ暗、途中で崩れた跡があり、瓦礫が落ちていました。正直怖いです。
このサイクリングロードは大夕張炭山までの廃線跡でした。当時はわかっていませんでした。
名前に惹かれてやってきたシューパロ湖ですが、単なるダム湖で、正直がっかりしました。
湖の対岸には、トラス鉄橋がかかっていました。廃線となった下夕張森林鉄道・夕張岳線の三弦橋でした。当時はその存在は知りませんでした。
このダム湖の上流に、大夕張の街がありましたが、これも解っていませんでした。
現在、大夕張シューパロダムの建設に伴い、シューパロ湖は拡大。大夕張の街は湖の底に沈みました。
私が2003年に訪れた時は、街の跡は更地になっていました。人口二万人を数えた大夕張の街は、跡形もなくなっていました。
更地となった「小学校」跡に、老夫婦が無言で佇み、記念碑を、いつまでも、いつまでも眺めていました。
一方で鉄道駅の終点である南大夕張付近は、現役の炭鉱という事もあり、ハモニカ長屋と呼ばれた炭住も残っていて、人々の生活がありました。
折り返しの、18時39発の列車に乗ります。帰りの列車はレイルファンだけの貸切列車。
渋い顔をした車掌さんが私だけを手招きしました。何か怒られるのかとビクビクして訪ねると、引き出しから、使用済みの切符をくれました。優しい人でした。他のレイルファンに対して優越感を感じました。
甘えるついでに、室内灯をつけてくれるようにお願いしました。まだ明るかったのですが、白熱灯の室内灯が珍しかったので、お願いしてしまいました。
改めて車窓を見ると、遠くの草むらの中から鉄筋コンクリートの4~5階建ての団地が見えました。これは廃墟で、まるで幽霊屋敷です。
幽霊屋敷はいくつも見えました。廃坑され、人はいなくなったのに、鉄筋コンクリートの団地だけが壊されずに残ってしまったのでしょうか。寂寥感を感じました。
18時23分。清水沢駅に帰ってきました。車掌さんにお礼を言って下車しました。
18時39発。夕張支線の夕張行きに乗車しました。暮れなずむなか、まるで廃墟のような炭住の中を進みます。
18時57分。終点夕張駅に到着します。ここで食事でもと思いましたが、ひとけが全くありません。明かりがついている家もありますが、怖くなってきて、折り返しの19時07分発の苫小牧行きでこの街を離れました。
この地区にある、北炭夕張新鉱大災害では93名の死者を出し、再建を断念して、昨年、閉山していました。この街も棄てられてしまうのかと思いました。
この翌年、南大夕張炭鉱でも、死者62名の大事故がおこり、急速に衰退。1987年に、鉄道は廃線。南大夕張炭鉱は1990年に閉山に至る事になります。
夕張駅は、1985年に街の中心地に移動する形で路線短縮、その後、リゾートホテルが建設され、駅もそちらに移動する形でさらに短縮。これが夕張支線の最後の姿でした。
炭鉱から観光に舵をきった夕張でしたが、2003年、夕張を訪れた際に、誰もいないテーマパークを動く無人のアトラクションを垣間見た時、嫌な予感がしました。財政破綻したのはその4年後でした。
2013年、北海道に住む同僚の車で、駅に併設されていた夕張市観光案内所を訪れました。
丁度、夕張支線の列車が出発するところだったので、南清水沢駅まで乗った後、同僚にピックアップしてもらい、清水沢駅を訪れました。
夕張支線の交換設備も撤去され、あきちが広がる寂しい駅になっていました。
次に、夕張シューパロダムの建設現場を訪れましたが、立ち寄った南大夕張駅の跡地では、当時に乗った客車が綺麗に保存されていました。
三菱大夕張鉄道保存会の方々には頭が下がる思いです。
一方で、付近の集落は壊滅的になっていました。この時、かろうじて存在していた住宅は、2023年に訪問した時には倒壊していて、完全にゴーストタウンと化して現在に至ります。
2015年に夕張シューパロダムは完成し、森林鉄道の鉄橋や、線路跡はダム湖に水没しました。
2019年に夕張支線は行政主導で廃線となり、清水沢駅は撤去され、駅跡は広大なあきちになっていました。
夕張駅にあった巨大なリゾートホテルも経営破綻を経て、長く営業されていません。このまま廃墟となってしまうのでしょうか。
夕張にゆかりのある方々は、荒廃してゆく街を、どのような思いでみているのでしょうか
夕張の事を思う時、大夕張の小学校跡に佇む老夫婦の姿が、常に思い浮かびます。
フリーBGM
BGMer
http://bgmer.net
神無月 ピアノver.
花鳥風月
https://music.kachofugetsu.com
巡る季節
静かな湖畔
資料
【自由投稿論文】
旧産炭地の地域変動一
北海道夕張市における地域開発と社会運動
早稲田大学大学院文学研究科修士課程
小川裕文(OGAWA Hirofumi)
早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程
下村恭広(SHIMOMURAlねsuhiro)
時刻表おくのほそ道
著者 宮脇俊三
文芸春秋
過去に投稿した動画
三菱石炭鉱業大夕張鉄道
「日本の車窓・雨男の紀行文」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume
1件のコメント
3軸台車の走行音に時の流れと産業と地域の栄枯盛衰を感じました。動画ありがとうございました。