東北戊辰戦争はここから始まる 白河口の戦い ゆかりの地をめぐる! 第3回 市内に残る墓所と石碑
慶応三年(1867年)10月徳川慶喜が大政奉還し、同年12月には王政復古の大号令が発せられますが、薩摩の挑発等により鳥羽伏見の戦いから始まる戊辰戦争が勃発しました。
しかし旧幕府軍は敗戦を重ね、慶喜は江戸城を無血開城して降伏します。
さらに新政府軍は朝敵とされた会津藩を攻撃するよう、奥州諸藩に対し命令します。
これに対し会津藩は徳川本家に倣い、新政府軍に降伏を願い出ますが却下され、
この事態に怒りを感じた奥州・越後の藩主たちは協力して、新政府軍に対抗する奥羽越列藩同盟を結成したのです。
こうした背景の中で、慶応四年閏4月20日から7月14日(1868年6月10日から8月31日)にかけて、南東北の要地 白河小峰城を巡る白河口の戦いが行われ、戊辰戦争の戦局に大きな影響を与えました。
白河口の戦いが終焉した8月31日を前に、小峰城址を中心に白河市内に残る数々の慰霊碑等を巡ってみました。
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バイク:HONDA SL230 (1998年型)
四輪:MAZDA CX-5 (2012年型上期)
撮影機材:SONY DSC-HX90V、Nikon COOLPIX S6400、SJCAM M20、Insta360 one x2
ジンバル:Hohem iSteady Multi
編集ソフト:NCH VideoPad
ナレーション:AHS VOICEPEAK
BGM・ジングル:DOVA-SYNDROME
2件のコメント
苔むす数々の慰霊碑、激戦がこの地にあった事。悲しいかな、東軍、西軍と言われるが、東北人の戦死者の多さを
悼むに、やりきれないですね。多くが会津に関心が向きますが、多くの傷跡がこの地にある事を知って欲しいですね。
外国勢力との戦いでなかった事だけは救いです。1人スタッフでのご苦労、配信お疲れ様でした。
戦死者の数からすると、慰霊碑が残るのは一部。無縁仏も多くあり、会津戦争同様戦死者はしばらくの間野ざらしにされていたようです。