[4K/ナレーション] 海沿いの町を散策 海上の巨大団地から谷間を抜けると廃校や墓がある。横須賀市鴨居の住宅地

[音楽] はい今回の横須賀3作は埋立地に作られた マンモス団地カモ団地から歩き始め ます団地周辺はコンクリートで頑に整備を されていますがのした入江には古くからの 漁村の雰囲気を残した街並もいくつか残っ ているようですねえ海岸の先には砂浜に かけられた大きな橋観音崎大橋があります のでえ今日は団地からこの大橋までの約 3km海を眺めながら歩いてみようと思い ます団地のすぐ裏手が小高い丘になって いるのでそこから入り江に下りお隣の山頂 にある廃校旧上野大中学校へそこから会津 阪のお墓を経由して観音崎大橋まで歩いて みようと思い ますまずはカモ団地の脇に以前小学校だっ た敷地が現在は住宅地の開発をしている ようなのでえ団地と旧小学校の間のこの 辺りから歩き始め ましょう海が綺麗ですなあ向こうの方には 西浦の陸地が見えております 3並んだマンションの1番右手が久塚君が ジャンプしたことで有名なマンション らしいですけれどもえーあちらには千葉県 の陸地も見えていますね東京湾の入口鴨井 にあるこちらのか団地から今日は歩き 始めようと思い ますまあそれにしてもまっすぐな道ですね えこちらのか団地は人工的に作られたま 埋立て地に作られた団地なのでこういった 人口的な直線の道がずっとえ防波沿いに 続いているなかなか爽快な景色ですねえ 海沿いには30mほど海から離れた場所に 低層会え5階建ての建物がいくつか建て られていますま5階建てでも相当に長めは いいんでしょうね え前室から海が見えるかなり高リッチの 建物になっています向こうの方には千葉県 の陸地えそして右手の山はあ千崎砲台でし たかねえ確か砲台跡のある山だったかと 思います麓には東台などもあるえ山だった かと思いますねえこの辺りえ東京湾の防備 の金めとして明治以降に軍事的な施設が たくさん置かれていた場所でもあるのでえ 砲台跡なんかが結構地図を見るとたくさん ある場所でもあり ますこの場所の埋立て工事がされたのは 戦後になってからのことですですねえ 1965年頃に埋立て工事が始まってえ その後に団地の建物が建てられ完成したの が 1969年え高度経済成長の頃のマンモス 団地です住宅の個数が1680以上と言い ますからね本当に1つの街がどーんと 埋立て地に作られてしまったというような 感じなんだと思うんですよねえ冒頭出発し た現在は空地にない葉小学校葉小学校が 作られたのが1973年ですから団地が 作られた4年後ですねえ紅葉小学校も ピーク時には生徒数が1300人以上いた と言いますま小学校で1300人かなり 生徒数の多い学校だったと思いますえま それだけ一気に人口が増えて子供が増えて 新しく小学校が作られるぐらいにこう一気 に人口が増えた時期がこの辺りにたという ことですねとはいええ作られてから反世紀 以上が経ってえ建物の老朽化えそしてお 住まいの方々の高齢化がかなり問題になっ てからえもうそういった問題がえ浮上して からかなり年月が経っているかと思います 少子高齢化に伴ってえ冒頭の紅葉小学校が 平行になったのが2009年のことえもう 今から10年以上20年近く前かえその頃 に小学校平行になってえそれから住民の方 の孤独士が問題になったのもその頃だと 思いますねえ古い資料でしたけれどもある 資料によると年間カ団地内の孤独士が15 件以上あったというような あえ記録が書かれていましたまそれを受け てまそれを受けてということもないん でしょうけれども自治会の方が協力をして えこういろんな対策をされていたという風 に書かれ言いましたねえま見た目はかなり 綺麗な景色カモメ団地ですけれども高度 経済成長からの頃からはかなり周辺の産業 構造も変わりあと人口も減少ですとかねえ かなり取り巻く環境も変わってきたので 住まいの方時代に合わせていろんな対策を しながらこちらのカモ団地維持をしている んだと思い ますと海を見ながらざっくりとした俯瞰し た話をしてた左手側横断歩道がありますね えここを左に曲がると団地の中央を銃弾 するような形でえさらに先に進めますので えちょっと団地の敷地内こっから突っ切っ ていきましょう左手側に診療所の駐車所 って書いてありましたねえ確か敷地内の 中央の方には診療所の建物があってえあと 地域住民の方が集えるようなカフェがあ あるという風にも書かれていましたかねえ あと郵便局ですとか薬局近くには交番も あるという風に書かれていましたから まあまあ今でもかなりこう団地の敷地内で え生活がちゃんとで遅れるような街の機能 がちゃんと維持をされているんです ね今日こちらに着いたのが朝の10時 ぐらいでしたがえ結構朝から住民の方が 連れ立ってえ周辺の草刈りあとえゴミ掃除 かななんかお掃除をされている方もいらし てえ結構地域の方のこう交流ですとかそう いう活動が活発に行われているんだなと いう印象でしたまやっぱり見かける方は 高齢の方多いですけどねちょっと朝の ほのぼのとした光景でしたね え右手側は5階建ての建物か5階建ての 建物ですがこういう団地の入り口はなんか 懐かしい感じがします団地の入り口から上 の階のこうこう大声で呼んだとか自分の小 学校の頃あのそんな思い出がありますねま 多分全国各地にこういう団地作られていた と思うんですけれども結構こう海沿いに 団地が団地の建物まとまって立てられて いる光景が新鮮ではあるんですが敷地内を 歩いているとえま昔こういう光景あったよ なっていうようなノスタルジーな感じがし てちょっと不思議な感じがしますね新鮮だ けど懐かしいみたいな感じがしますお頭の 上の方では海が泣いています ね敷地内を歩いているとここが海沿いだと いうのを忘れる忘れちゃうんですけれども 海沿いというかま海の上なんですけどね海 の上というかま海沿い か元々この辺りはあ浜辺のちょっと複雑な 地形の浜辺だったま東朝の浜辺だったと 思うんですけどねそれが埋め立てられて こういった団地になっているんですけれど もそういった埋め立て地だというのは なかなか感じさせない敷地の中敷地の中の 景色ですねあなんか今目の前を鳥が飛んで 通りすぎていきましたが多分海だと思い ますけどねなんか不思議な感じがします なあ左手には防災倉庫これもえちえ住民の 方のあれですかね倉庫ですかね右手側は なんか懐かしい昭和ブラックベーで小屋が 建てられてこれは駐輪場かへえなんか ちょっとこれも面白い感じがしますねなん か昭和な感じがし ます正面左右にはあまた低層会5階建ての 団地の建物ですけれども建物の向こう側に 子の住宅が見えてきましたねえあちらの小 の 住宅住宅地もこちらのカモメ団地と同時に 宅地増成をして作られたあちらは子が ほとんどのこう丘の上の地になっています えここからこの辺りがもう団地 の入口入り口っていうのかなま地の敷地の 境目ありですかねえ当時はこの辺りまで海 だったかと思いますが現在はかなり広い 道路が団地の前に通ってい ますこの辺りも団地が作られるまでは何も なかったところだと思いますがえかなり 鉄筋の建物が立てられてお店屋さん でしょうかね団地前のお店屋さんですとか え商店や飲食店などが多分昔はあったかと 思うんですけれどもえかなり生前とえ建物 が建てられて大きな道路車が走っており ます右手側の団地の建物これが多分か団地 の敷地で一番大きな建物でしょうね高さが 10回以上あって10何回だろう12回 ぐらいかかなり大きな建物横にも広いです ね多分この建物の上の方からも相当長めが いいんだと思いますこういう建物もうちの 実家あったななんか1回ね松前ストアが 入ってる建物あったなまなんか個人的な 思い出を色々思い出しますねこういうこう コド成長の頃の建物を見ていると子供の頃 のことを思い出しますがえこの辺りで カモメ団地を後にしてここから斜面の住宅 地を登って丘の上の方まで行こうと思い ます左手側結構人が並んでいるの何だろう なと思ったらバス停ですねここからバスで どこかに皆さんお出かけするんですな結構 この辺りの方バス使うんですねえちなみに この右手側の道をずっとまっすぐ行くと 今日のゴール地点観音崎大橋の方まで沿い に車道が繋がっているかと思います結構 見晴しのいい道ですね え車を運転している友達この辺運転するの 好きだっていうような方いましたけれども この辺りの道路も60年代から70年代に かけてかなり整備をされた海岸通りだと 思い ますまただ今日は一旦丘を登って上の方に 上がっていくのでここを左に曲がります 左に曲がるとえこちらの方にも大きい建物 いくつか立てられていますねこちらは カモメ団地とは別の自衛隊の感謝のよう です自衛隊の感謝がこちらもかなりの数 斜面に沿っていくつか建てられていますね えかなり大きな建物ですがこちらは今現在 は使われていない完全な空屋です空屋と いうかなま空屋でいいのか結構最近まで使 れていたようなんですが2019年とか 20年とかそのぐらいでしょうかねここ5 年以内ぐらいは使え以内だと思います けれどもえ現在2024年現在は完全な 空屋になっているということで えおそらくこちらの感謝もえ各部屋から海 が見渡せるような長めのいい建物だと思う んですけれどもねえ入り口右手の方には悔 が立てられていて針金で厳重に入れない ように封鎖をされておりますねえっと なんか書いてあるなあこれは自治会の掲示 板 か島崎というのがこの辺りの土地の名前な んでしょうかねえ123奥の方にもあり ますねかなり大きな 建物これが全部屋というのもちょっと信じ がいですね のカモ団地よりもちょっと新しめにも 見えるんですけれど も秋かあまた正面の右手の方にもクが打っ てありますねえ向こうのカメ団地よりも ちょっと新しい感じがしますけれどもこま カモメ団地はえ光栄の建物だと思います けれもこちらはどこが管理してるん でしょうかねえ横須賀市なのかな神奈川県 か 防衛症ということもないと思いますけれど もまかなり立派な建物あ上の方はちょっと でも近年数古るそうですけどね4って書か れていますけど えーかなり大きな建物が斜面に沿って空屋 になっているということでその反対側道の 向い側には結構新しめの住宅が並んでおり ますこの辺りもカモ団地と同時期60年代 半ばから後半に宅地造成をされてえ作られ たエリアですねあ向こうまでずらっと すごいな悔が結構物々しいですねかなり 厳重に悔がきつけられていて右手側は空屋 になっている左手側はえま綺麗な住宅です ねこの辺りはえま戦前は畑だったようです ねえかなり日当たりのいい南向きの斜面と いうことで広大の面積があ畑として利用を されていたかと思いますが戦後に住宅地に 開発をされまし た道幅もかなり広くてま戦後の住宅地です からねえ車が 通れる車がすれ違えるぐらいの道幅が ちゃんと確保されていてえ5番の目とは 言いませんけれどもかなり生前とした宅地 が並んでい ます結構大きい住宅の敷地が多いですね そうえ この比較的なだらかな斜面にま多分え農地 としても使いやすかったんでしょうけれど も現在は穏やかな住宅地という感じがし ます右手が結構大きいこれは民間でしょう けどねえマンションが立てられていてえー あ上の方では何か工事をやったりもしてい ます この辺り もまあの浦がの造船で働く方ですとかねえ この辺り の一気に人口が増えた高度成長期の頃に かなり外から移り住んできた方とか多く いらっしゃるんじゃないでしょうかねえあ 向こうの方のこれは今住宅の基礎工事を やっているのか なこの辺はまだこう土地の新があって 新しい住宅なども立てられているようです ななかなか穏やかで暮らしやすそうな 穏やかなえ住宅地という感じがします上の 方がちょっと住宅古るそうですかねえ昭和 の感じのする住宅もちらほらと見受けられ ますがえーあこの辺りが山頂ですか ねなだらかな坂道を登ってえ割とすぐ山頂 までたどり着くようなそれほど高くない 丘の上ですね山頂付近は駐車場なども多く 設けられている車の通れる幅の結構道幅の 広い住宅地でしたえただまちょっと1本え 道を入ると少し道が狭くなってこの先から 谷底に下っていく階段がありますねえま 横須賀の住宅地でよくある風景ですけれど もえ谷の上山の上などは戦後に宅地造成さ れた新しい住宅地そして谷の底の方に下っ ていくと古くからの斜面の住宅地という ような構成になっていますこの辺りもま あのやっぱりそういう感じでしょうねえま 坂道の上の方は結構鉄筋のあでも正面の 左手は結構古るそうなお得もありますがま 坂道の上の方はおそらく戦後に開発をされ た宅地あるいは戦後に建てられた住宅が 結構数が多いかと思いますけれどもえこの 坂道下っていくに下徐々に古い住宅なども 増えてくるかと思い ますこの道ずっとまっすぐ下っていくと 浜辺になるんですけれどもまおそらく浜 から両に出る方がちょっとしたこういう山 のくぼ地みたいなところ住宅にして使って いたんだと思うんですよねえかなりこの 辺り海岸線が複雑な地形なので右手が 細長い山になっているんですけれども山を 超えた先がすぐ海になっていますえ海から はょちょっと立てられているけれども坂を 下ってえ浜辺まで繋がっている漁師さんと か暮らしていたそういった住宅地なんじゃ ないでしょうかねえ下っていくと浜辺え 登っていくと山の畑というようなえまそう いった当時の農業ですとか漁業で整形を 立てていた方があの暮らしが伺えるような ちょっと住宅地かなと思いますまただ上の 方は結構 [音楽] のこれ多分住宅の礎だと思うんですけれど も戦後に作られた複雑な形の住宅の基礎が 上の方には設けられていますがこっから下 あたりが多分古からの住宅地でしょうね 右手側足元の方には結構草も生えたりして この辺は結構日陰です な日陰ですけれども道も狭くなってきます ねはま昔からの名残りでそんなに道幅も 広くま昔よりは道幅広くなってるかと思い ますが比較的こう昔の名残りも 感じるちょっと狭めの道狭めの道沿いにま 住宅は新しく立て替えられてはいます けれど もちょっと古るそうなおタもちらほらと いう感じじゃないでしょうかねえ右手側 おじそさんかな同祖人か 更新島かななんかちょっと多分昔からの 街道沿いのこういうお地蔵さんみたいな ものも残って いる古からの道であり住宅地なんでしょう ねまさらにその奥に は山に登る階段がありますがこの先には畑 があるのかなまただちょっとこの階段上の 方は紐で封鎖をされているので多分登れ ないですな まさらに下の方まで下っていこうと思い ますおまた右手側になんかあります ねこれは何だろう防空後防空後じゃないか までも現在は何か横穴が倉庫として使われ ているようですな えま古るそうな道だと色々ありますねえお 隣とかはえ先日中船中の造船所の職員の ためにかなり広大な防空豪が民間で作られ ていたようですけれどもまこの辺は あんまりそういう防空後とかそういう感じ でもなさそうですねまこの辺は古から戦前 からおそらく明治以前近代以前から漁村 だった場所だと思いますね えなんとなく周辺が平になってきたかなと 思います そろそろ谷の底海の近くまで下ってきたか ななんか周りの周辺の住宅の雰囲気も ちょっと古めかしく感じになってきました かねえかなり細長い道ですけれども海に 近づくに従って土地がえ平べったくなって ひらべったい違うな土地が平になってえ 古くからの住宅が密集していた場所まで出 てきたんだと思いますね昔ながらの路地な んだと思いますあなんかこういう階段え なんか久しぶりにこう横須賀らしい細い 階段あとえ住宅の下の石垣などこの辺 なんか古るそうな街並だなという感じがし ますねえーここの突き当たりが左右よに道 が分かれています右手に結構車がたくさん 取っている道が見えてえその先が海ですね えーどうしようかなちょっと今日はえ一旦 丘の上にまた上がっていこうと思いますの で一旦海を背にしてこここからちょっと 細い路地を通り抜けて丘の上えまで上がっ てみましょうかこの丘の上地図を見ると こちらの今歩いている丘の上こっちじゃ ないかこっちか結構細この辺は道が 入り組んでいるので迷路のような感じがし ますけれどもえー地図を見るとこのすぐ上 に集合墓地地元のお墓があってえさらに その向こうに現在は廃校になっている 上野台中学校の跡があるようですのでね ちょっとそちらの方へ上がっていこうかな という風に思いますああなんかこの辺もい いい感じの細い路地です なあまでもこの辺はもう砂浜の前なので海 に面したちょっと平らな土地多分え昔から 住宅が密集していた辺りだと思いますね えとあなんか正面の鳥がある なこれはえっと上に上がるのはこっちかな 今なんか上の方に鳥が見えましたねかなり 簡素な形の鳥が見えてああれですね左手は 個人宅のもんなのでここう迂回してこの裏 が鳥の階段ですねちょっとした小道という か祠という かなんかあります ねこれは何を祭っているのかな かなり古るそうなお道がえ多分海に向いで 作られていると思うんですけれどもね何 でしょうねえ大量祈願でしょうかあ海難 防止でしょうかねえかなり古るそうな王道 が立てられておりますまそして向こうの方 住宅がありますが住宅の手前は空地になっ ていますねあこの手前のおタクも空屋かな ああなんかさっきのえカモ団地そしてえ丘 の上の住宅地からいっぺんこの辺の谷底の 街はかなり昔からの路地の古い細い路地の 古い街並みですねえ周辺には結構空地空屋 なんかもあってえ古い町だなという感じが しますこの階段も元々石山ですらなかった んじゃないでしょうかねかなり細い階段が 上まで続いていますがもしかしたら昔は 普通の土手の坂道だったのにえ後からこう コンクリートで整備をして手すりをつけて というような感じで今の形になったんでは ないでしょうかねえかなり手すりが ピカピカなのがちょっと違和感がある ぐらいに昔ながらの打した えー土手の道が続いています結構奥まった 場所にも住宅ありますななんか今 え奥の方の住宅は崩れかけているハオ みたいな建物もありましたけどね え結構昔から色え使われている土地だと 思います右手側なんか簡単なパイプが組ん でえありますけれども昔はなんかもっと 簡素な手すりがついていたのかもしれませ んねえ現在はかなりピカピカのステンレス の手すりがつけられて いる [音楽] あこの辺りも右手側はかなり野になってい ますけどねああ向こうの向こうの海が綺麗 だなこう砂浜に面したちょっとした集落と いうような感じがしますねえ多分この辺り から昔は量に出たりしたんじゃない でしょうか ねカモ団地からそんなに離れていないん ですよねえカモメ団地が昭和昭和時期に 作られたかなり大規模な団地でしたけれど もこの辺りはおそらく明治以前から続く ようなえそういったあ漁村のような町なん だと思いますけどねえそういった街から かなり細い階段を上がって丘の上に上がる えこちらの道多分昔はこう細い階段を 上がっていくとその上に畑があったりと いうようなえそういった街の構成だったと 思いますけれども多分今現在は階段を 上がると丘の上はかなり綺麗な現代的な 住宅地です ね今見えている正面の道をに降りていくと さっきか団地から登ってきた道と繋がって いるかと思いますこの辺りも戦後高成長の 頃に開発をされた新しい住宅地ですねえ ただその新しい住宅地の一角にお墓がある のがちょっと気になるので行ってみ ましょう かぐるっと湾曲した斜面にずらっと たくさんの石がんますねえあなんか書いて あるけどこれはあ手すりが工事中なので 触らないでということですねはいはい はいかなり古そうな墓石もいくつか見受け られる古るそうな墓地だと思いますが下の 方に海沿いの街並みが結構綺麗に見えます ね多分下の集落の方々の墓地がこの丘の上 に古から設けられていたんだと思ますねえ 昔は下の下が住宅エリア上の方がお墓 エリア上の方がまお墓と畑とかそういうえ ま街の構成だったと思うんですけどね なかなかなかなか遠くの街が綺麗に見える いい景色ですいいですねこういうお墓の 見えるお墓の見えるじゃないや海の見える 墓地はなかなかあのいいもんだなと思い ます好きですねなんかあの海からお盆に こう 盆に帰ってくる時に帰ってきやすそうなお 墓だなというような感じがしますま帰って くるってあのあれですね規制するじゃなく てあのあの世から帰ってくるのが帰ってき やすそうだなっていう感じが個人的には するんですけれどもこちらがお寺の本道 でしょうかね えノーマンジというのがこちらのお寺の 名前だと思いますえ結構古るそうな石が あってえま昔からえ地元の方に使われて いる墓地なんだと思いますが結構階段が雑 複雑ですね結構 あの微妙に迷路のように入り組んでいます なまただちょっとあの丘の上の方上の方 からの眺めがいいのかなと思ってちょっと え上の方の敷地まで失礼をしており ますあ所々なんか あの傾いた石なんかもありますけれども 全体的にはかなりお手入れの行き届いた 綺麗な墓地だなあという感じですねえあ ちょっとこの辺は新しいお墓かな上の方が 新しいのかなあでも上の方には結構古る そうなありますねえー一番上まで来ました けれどもあ残念ここからだと木が邪魔で海 が見えなかったあまでもお墓の全体像は なんかいい感じですねぐるっとぐるっと丘 の上を回るような形で防石が並んでいます もうちょっと右まで行くと海が綺麗に 見えるか な昔は今この右手側住宅地ですけどね昔は 山を背にして海を前にするえそういったお 墓お墓だったと思いますね えこう海海に向かうと同時に多分こう住ん でいる人たちの集落を見守るような感じの リチになっているのかなおこの左手はは なかなか古そうな母石結構古い母石と 新しい母石が混在していますね えそして下の方にはちょっとずつえ海の方 が見えてきましたが えっと浜辺の先海の入り江の中に何か コンクリートで結構大きい建造物が立て られていますねあれは何だろう な何か漁業組合の何かかなえ東部漁業共同 組合というのが地図に出ているから何か 漁業組合の建物があの入の建物であるのか もしれないですねああなかなか港が 見渡せる綺麗な景色 です向こうの方には千葉の陸も見えており ましたねなかなかいい 眺めただこれかなり階段が入り組んでいる ので降りられるか なあ1回1回あっちまでおの方まで戻ん ないといけないです ねまあまああの裏側は結構こういうまここ はかいですけどねお隣裏側あの墓地の敷地 が相当入り組んで階段があっちこっちに 行っている迷路のようなお墓時々あります けどねえ階段立体迷路みたいなお墓があり ますけれどもまここはそこそれほど入りん ではないかそこまでではないですねえ敷地 自体はかなりシンプルなんですけれども 多分こう古からの墓地なんで後からこう 墓地の敷地が足されて階段が複雑になった んじゃないでしょうかねこ入口に立って いるのは空海さんかな何かお坊さんの像が 立てられておりまし たいやなかなか長めのいい雰囲気のいいお 墓でしたね雰囲気のいいお墓ってなんかが もしかしあれかもしれないですけどうん 地元の方に愛されているお墓だなという 感じがしましたえでえこのお墓を出てここ からまお墓のすぐ裏手が進行住宅地戦後に 作られた進行住宅地なんですけれども住宅 地を抜けてそのそばにある廃校上野台中 学校の跡地までえここから行ってみようと 思います あ今通り過ぎたお墓の端の方に下に下る 階段と繋がっていそうななんか茂みがあり ましたねなんかさっきここまで上がって くる時にあの細長い階段はえ王道だったの かななんて話をしましたけれども案外お墓 に上がる専用の階段だったのかもしれませ んね先ほどの細い階段ま今現在は裏手に 新しい広い住宅地が作られましたから こちら側からもえ車でお墓まで上がって くることができるようになりましもしかし たらま以前はこの辺は全部山でしたからね え麓から細い階段を上がってお墓にあえお 墓までお墓参りというようなリチだったの かなという風に今ちょっとふと思ったりも しまし たまこの辺りが山の山頂ではあるん でしょうね山の山頂のお伝の道みたいな 感じだと思います左手側はえちょっと 緩やかな傾斜になっていて内陸の方までえ いくつか道がありますけれどもこの辺りは 山頂の住宅地戦後に作られた新しい住宅地 という感じがしますねえかなり道が広い ですそしてこの広い道の先に校舎が見えて きましたね上野台中学校の校舎今現在は 廃校になって廃校というかなまあの東配合 と言った方がいいのかもしれないですけど ね現在は校舎として使われていない建物が 見えてまいりましたここが開口したのが 1980年そして平行にえ平行になったの が2011年ということですからわずか 30年ほど31年の学校としては比較的 短命な学校だったと思いますねえこちらも 高度成長期の頃に子供の数の増加に合わせ て恐らく作られた学校だと思いますけれど もえ2011年少子高齢化ま少子家に伴い え生徒数がかなり減ったということでえ こちらの校舎は使われなくなってしまい ました 上野大 中学結構まだもう10年以上経つのにまだ 校舎まると残ってますね左手はなんか工事 のフェンスみたいのがちょっとあります が校舎自体は ほぼ完全に残っているんじゃないのかな 正面には肛門が見えますねあちなみにこの 学校あの肛門で え生き物がかりという グループのPVが取られたらしいですねえ 生き物がりの桜というPVが取られた こちらの上野大中学校この辺の学校沿いの フェンス沿いの光景もPVの中に入って いるので えコメント欄コメント欄じゃないやあの 概要欄に後でURLでも貼っておき ましょうかね えかなり現在は結構周り草が生えてますれ 自体はしっかり残っていますねこちら側 右手側はさっきのノーマンズの建物だと 思いますがあお墓と学校の間は敷があって え学校からはあんまりお墓が見えないよう になっております なま生き物がりの桜のPVを見るとこの辺 からフェンス越しに学校の中をこう覗く 様子なんかも映像として取られているん ですけれどもま確かにそのえ2006年の PVだと思いますけどねそれにくら比べ たらちょっと痛んではおりますが結構 しっかり残っていますねあなんかこの辺に 地元の由来みたいのが書いてあります な上野 で地元の呼び方だとちょっと濁るんですね 上野台というか上の上野手 へえこの辺りは部活動の何か建物でしょう かね 1階建ての平屋の建物がフェンス沿いに ずっと並んでいますが窓が蓋をされている のでまあまあこちらもあんまり再的なこと はされていなさそうです ななんでしょうねあんまり こう何か地域の活用とかそういうのには ないんですねあでちょっと今地図を見てい たらこちらにさんがあるというので ちょっとここを見ている途中ですけれども こっちの方にも行ってみましょう かこちらの階段も麓に下っていく道か麓に 下っていく道だけどま道の途中にお稲荷 さんがあるということか [音楽] な結構こっちの階段は幅が広くてしっかり してますね先ほどの細長い階段に比べると かなりしっかりした階段周辺もえっと ブロックベで補強されて多分こちらは昔は 通学路だったんでしょうねえその傍に赤い 建物の稲さんの建物ありましたあ向こう側 向こう側が鳥なの か あなるほどなるほど ちょっとした石の祠なんかもあります が稲さんのお道が海を向くんですね海を 向いているので えからっきたような感じになりますけれど もこちらが正しい参拝の方向だと思います ねえ鳥を鳥の向こうに赤い結構この大稲 さんの建物河がしっかりしてますねまこの 正面の日差しの河は古い河かな上の河原は ちょっと新しくなってるっぽかったです けどねえーこちらのお稲さんも多分昔から こう海を見守っていたお稲さんだと思い ますなえっと多分昔はこのあたり通学中 学校の通学路だったであろう階段の傍に 赤いお稲さんありましたなんか昔は学校の 7不思議的な階段が語られそうな立です ね えはいでさっきの上野大中学校の山頂の ところまで戻ってきましたねあ体育館も 結構しっかりしておりますな なんかあの多分建物の対応年数としてもも 結構まだ使えるんだと思うんですよねえ 1980年昭和55年に作られた校舎え わずか30年ほどしか学校としては使われ ていなかったということでねえ何か再利用 されたらいいんじゃないのかなと思います けどおそらく横須賀市が民間に何か再利用 のアイデアとか計画がないかというのは 募集をしていると思うんですけれどもなん でしょうねねま立的に難しいのか なあ結構ガラスも全部綺麗に残っています ね へえまあ昔はこの辺りまでえ子供の部活動 の声とかが聞こえてきたんでしょうね こっちが裏門か ななんか えっと鉄の扉がキーキー言うような音がし ますね風が強いから なこちらが裏門裏門だけど右手がかなり 立派なグラウンドのフェンス がありますねかなり部活動に力を入れてい たんでしょう か へえ野球のグラウンドかななんかちょっと あのキーキー言う音が気になりますけどね かなり立派なグラウンドがあります こちらのフェンスもフェンスに プラスアルファでなんか工事の工事の柵 みたいのがえ設置をされていますけれども 結構綺麗ですねこちらのフェンス もこの辺りま住宅地のすぐ裏手えという ことでなんでしょうねリゾート的 な開発が結構難しかったりもするのかな あの少しあのマリンスポーツとかそういう 場所からは離れていますから ねなんかでもあのここに登ってくる途中 自衛隊の感謝の秋なんかもありましたから ね合わせてうまい再開発ができないものか なという風にも思いますしかしま立派な グラウンドだな左手側今歩いてきたところ ずっとグラウンドの外周だと思います けれども木が邪魔であんまり中は見えない かちょっと草はえていますけれども グラウンドも少し整備をすれば使えそうな んですよねああ なんか綺麗な綺麗な綺麗というかま広い ですねかなり広いグラウンド野球部と サカー部が一緒に練習してもあんまり喧嘩 にならないぐらいの広さがありそうです ああ上の方で鳥が鳴いております がかなり まあの山頂が全てこう学校の敷地になって いるんですねかなり広い敷地何か活用でき たらいいんじゃないのかなと思いますま 右手の方に今なんか気になる看板があり ましたが一旦こちらえグラウンドの橋の方 まで行ってみましょうか ねずっとこの辺りまでグラウンドの フェンスですね えーかなり広いま全え再生期1番生徒数が 多かった時で800人ちょっとというでま そこそこ大きな中学校だったと思いますま それが使われなくなってね広大な敷地が 空いているのは残念ですねここから下って 多分反対側向こう側から通ってくる生徒 さん用の通学路だったんじゃないですかね この辺りもまかなりあの皇帝のすぐ脇が急 斜面になっているのでうっかりフェンス 越えでボールを外に飛ばしてしまうと取り に行くのが大変そうだなというような気も しますがまそれでもかなり 広いグラウンドも空いたままですね もったい ない何かえ不動産業者さん開発業者さん いい土地が空いているので活用して いただければいいかなという風に思います 学校の校舎もうまく活用して欲しいですね えっとであこっちはなんか野球の練習の 何かかなさっきちょっと気になったこの 看板が気になったんですよねえっと フェンスにアス半の墓という風に書かれて おります学校の裏に墓があるこれもまた 学校の7不を誘発しそうな立地ですけれど もちょっとこっち行ってみましょう かこちらは先ほどまでとは言って道がもう 舗装をされていない普通の土の道ですね 周りの草も結構伸びておりますけれども 合津半の墓ということでま合津班現在の 福島県ん福島でいいのかそうですね福島県 ですけれどもえあこっちにも書いてあり ますね合津阪神の墓という風に書いてあり ますあかなり達筆で書かれておりますね 合津阪の 墓ま当時の江戸幕府が1810年に江戸ワ の防備は合津ハに依頼して えこの辺りかの辺りに陣を敷いてえこのの 防にというで津の家族ともどもこの辺りに 移り住んできた人たが泣いたということで えそのお墓があれ かこの山頂に設けられているということ です ねなんか書かれております な津阪の 墓はははあ が見られるようになったからそれの警備の ために合津阪をまこの辺り の警備につかせたということですけれども 1810年ペリー来行の結構前ですねその 頃からこの辺り異国線がちらほら出ていた んです なそれ の監視ドワ防備のためにアハンがこの辺り まで移り住んだということですが結構 大きな石がありますね結構大きな石が山頂 に並んでいてそして母石1つ1つに丁寧に お水が備えられておりますな結構周辺木が 草や木が結構生えているなと思いました けれどもちゃんと管理されてる方はいるん ですねすごい丁寧に1つ1つお水が備え られており ます石がちょっとでかいですね こっちに下っていく階段があるちょっと こっち行ってみましょう かえ山頂からかなり急な斜面 を木の階段木の階段というかなあの ちょっとした土 にこう木を打ち付けるような形の階段の 階段がずっと下の方まで続いていますね打 しながらずっと下の方まであ下の方にも 結構お墓がありますなあ [音楽] 学校の すぐそばの斜面ですけどねこの辺は意外 と斜面のあのコンクリートの壁などが設け られることもなく天然の土の斜面がずっと 下まで続いていますねで下の方もお墓に なっているようです結構下の方車が たくさん通ってる音がするのではあれかな 通 た海沿いの道か なあ結構下の方お墓が密集して建てられて いてお寺のおもありますねこのお寺は何だ えっとこのお寺 は西の徳と書いて聖徳寺でしょうかねえ 聖徳寺のお墓 かまたお墓の裏手から入ってきてしまい ましたねえどら のお墓の裏山に合津半の墓が設けられて いるというようなリチのようですね なるほど まこちらのおとととと 聖徳寺の裏山なんですな今通ってきたのが 結構この辺階段が急な上にちょっと崩れて いるの で注意をしながら一歩一歩進みます がよいしょよいしょあ階段の折口がまた 崩れているので右に逸れましょうか よいしょ とこちらのお寺もかなり歴史のあるお寺の ようですねかなりコケの生えた石段が石段 ですとか周辺の おあれですねあの防石などがあり ますあお掃除されてる方がいますね [音楽] こちらのお墓は先ほどの山頂にあったお墓 と比べるとちょっと敷地が広くてえ全体的 に こうがっちりと整備をされている感じがし ます ねかなり母eenが生前と並んでおります がまこちらもあれですね山のちょっとした くぼ地にこういった墓地ですとかお寺が 設けられているような感じでしょうかね 周りをぐるっとえ丘の斜面の木々に囲まれ た結構落ち着いたお墓です ねあゴミ箱がちゃんと整備をされて桶 なんかもあります水場がしっかりしており ますなあ綺麗なお寺あ結構屋根が立派です ね屋根が立派でえ作りもかなり古るそうな 歴史のあるお寺だと思います 窓の感じがかっこいいですなあそして右手 の窓達筆の書が貼られていますが上の アイス半の墓の書もこちらの住職さん書か れたんでしょうかねかなり達筆な達筆なあ 書が貼られておりましたこちらは金つき道 ですね えーおおでかいなこの 金道にかなり大きな が置かれております ねそしてこちらが本道ですか なおおこちらはまたかなり立派 なお姿でお姿というか立派な掘りもがあり ましたが正徳え書かれております あれですね大通り沿いにあるんですねえ 多分昔から人通りの多かった場所にえ建て られているお寺だと思います右手側なんか プレハブっぽいものもありますけれども おおなんか学校を通り抜けて麓の結構 賑やかな町まで降りてきましたねえ賑やか な町道路沿いにある聖徳寺まで降りてき ましたあ結構下の道は人通りもあります ねもうすぐこのは海のだと思うんですけれ もこの辺は海は見えるのか なバイカーさんが一気をしておりますねあ 向こうの方が海ですねはいはい海までもう 目と鼻の先という感じちょっと向こうに 渡り ましょうこちらのモムもなかなか立派です なこちらはなんだろう読め ないこの辺りもまだかいでしょうかねえか の海沿いの港のすぐ手前まで降りてきたか と思い ます先ほどのノーマン寺の麓の街は結構え 家と家の間路地が狭くて昔ながらの漁村の 雰囲気がありましたがこちらは結構大きな 道路が通っているえ平地の多い比較 的こうちょっと賑やかな感じがしますね 先ほどのノーマ寺の麓の海はかという風に 書かれておりますがこちらの えこの辺のみはカイ海岸という風には地図 に書かれているので海岸で海水浴とかが あるのかな結構広い道路が通っていて周辺 の家もかなり大きな家が多いです ねおお海に正面に海が見えてまいりました この辺は何でしょうね左手側は食堂もあっ たりして江川食 海沿いの町まで降りてきました ねなかなか急に視界が開けてあ正面左手側 には鳥がありますがあ鳥に並んでるのかな あこれはこっちも食堂に並んでいるの か食堂の名前カズと書かれていましたねお 昼時に人が並ぶぐらい人気体なんでしょう かねちょっと一度行ってみたいものです そして通す は万神社があちらあるそうですねえ神社 ですとかお寺がたくさんある辺りですな この辺りえ向こうの方にはあ半島のような ちょっと突き出た土地がありますけれど も結構海沿い人通りが多いですね普段山の 中のあんまり人通りのない住宅地とかは 歩いてるの で人通りが多いと少しドキドキしますがえ こちらは剣道209号えかなり大きな通り ですね右手がはずっと海ですけれども かなり長めがいいですねこちらもあ結構 長めがいいですがカメラがカメラがもっと 右手に動いて欲しいんだけれども動か ない左手側は釣り具さんです ね右手側のちょっとけてた半島の辺り あそこにッケーションという風に書かれて いて多分えま数計の住宅もありますけどね えその半島の一番先っぽの辺りに多分写真 スタジオだと思うんですけれども大きな 建物があります多分海をバックに写真が 撮れたりするそういうレンタルスタジオだ と思いますがそういった写真スタジオ なんかもあるかなりえ景色のいい場所なん じゃないでしょうかねえ右手には町内の 消防団のお建物があったりし ますまあ結構車通りが多いです ね車通りが多いので少し脇に行きたいんだ けど右側はずっともう浜辺か右側海ですね もうすぐ海正面があスケの住宅があります であはここでちょっと浜辺が途切れて道が 細くなってあ左手にまた鳥がありますね おおこちらの鳥は何 だまた上にお道がありますけれどもこちら の道も先ほどあのノーマン寺のあの麓で見 たような道だと思うんですけもこちらは 完全に周辺がコンクリートで補強されて 固められております元々多分岩壁え海沿い の岩場に作られた道だったんでしょね現在 は周辺がずっとコンクリートで固められて おり ますそしてえその麓にはかなり交通量の 多い道路が通っています ね正面の建物は元々お店屋さんだったのか ななんかシャッターが降りていますけれど も結構この辺り道沿いに美味しい料理屋 さんとかありそうですねさっき並んでいた お店もえかカモズっていうお店でしたかね ちょっと機会があれば行ってみたいんです けれども結構並んでるお店がいくつかあり ますねいつも走り水に行くとあの何食堂 だったかな耳食堂だったかないつも並ん でるお店が気になっていて一度入りたいと 思いながら入っていないんですけれども なかなか並ぶお店 はタイミングが難しいんですけどね先ほど のカモズも一度入ってみたいですえそして え正面 の信号にはあ観音崎大橋の名前が出てます ねこの先が観音崎大橋だと思います左じゃ なくて右こっち側だなこの信号を渡った先 が昭和49年に開通した観音崎大橋海岸に かけられた大きな橋があります多分橋が かけられる以前はこの道を左手に曲がった えっとあれはかいとかを通って反対側の 走水方面まで行ったかと思うんですけれど もねえそれ現在は大きな橋がかけられてい てえ観音崎の方まで車でまっすぐ抜け られるようになっております橋がかけ られる以前も細い道はあったかと思うん ですけどもねえ海岸の上にずっとま警官を 崩さないよう に橋がかけられたという風に記録には書か れておりましたえっと海側向こうに渡ろう かな向こうに結構海のギリギリまで住宅が 立てられています ねそしてえこちらこの辺りから橋かなどの 辺から橋 だ左手側にはかなり上品な平屋のオタが 立てられておりますがこっから橋ですね 右手側海が綺麗 [音楽] です右手側かなり砂浜になってテトなどが 貼られてなんでしょうねちょっとした 海遊び的な感じでえ観光される方もいると 思いますけれど も綺麗な砂浜がそして向こうの方には結構 岩がゴツゴツして出ておりますなあまた バイクの人が通りすぎていったまこの辺 バイクで通りすぎると結構気持ちいいん でしょうななかなかいい景色かなりえ橋の 上から海をずっと眺める感じですのでね 視界がけてかなり大景色が右手が広がって おり ます橋の下の方 は岩が結構ゴツゴツしています ねかなりあの海の下あ岩肌が見えるぐらい にそれほど深くない東朝の海岸があずっと 沖の方まで続いていますね海藻とかが結構 取れるのかな 結構階層的なものが見えますがまな何にし てもあれですねあの透明度が高いですね私 横須賀に引っ越してきて驚いたのが意外と この辺りま猿島とかも当然そうなんです けど海の透明度が高いのに驚かされますね え海底の方まで見通せるぐらいの透明度の 高いこの辺りのですがあ向こうの方は結構 人がたくさんいます ね右手側の向こうの方には結構岩場に降り てなんでしょうねなんか採取してるのか な左手側の方も砂浜になっていてま橋の下 を通ってあちら側までいけるんですけれど も結構あの立派な石垣が積まれています ね地図を見るとあちら側高橋公明会社と いう風に書かれていますが高橋亭という風 に書かれている図もあるかなまあの高橋 さんのオタなんだと思いますが地元の名主 だと思いますねえま先ほどの通ってきた 合津班市の墓え合津班の人屋のお世話をし た高橋さんのが高橋さんということで当時 は若松という号を名乗っていたそうですが 横須賀市の横須賀中央駅周辺の埋立工事に も関わったえ現在若松町という地名が 横須賀中央駅周辺にも残っていますけどね えそういった横須賀の近代化にかなり 大きく関わった方高橋さんという方の オタクだと思います今結構下の方にえ採取 をしている人がたくさんいましたねなん でしょう塩ひり的なことなんでしょうか この辺何が取れるのか なかごみたいなものを取ってしゃがみ込ん でる人もいますけどねなんだろう岩場で何 か美味しいものが取れるんでしょうか あまりこの辺り詳しくないのでちょっと 詳しい方がいたら教えていただけると 嬉しいですそして橋の向こうにはえ観音崎 の自然博物館の建物が見えてきました右手 側のお突端があ観音崎の博物館こちらです ねその手前が高浜という砂浜になりますと いうことでえ今回はえ横須賀市かいあるか からえ観音崎大橋までは歩いてみましたが いかがだったでしょうか横須賀の高度成長 機から戦前えあるいは近代以前まで いろんな歴史のこう断片を見ることができ てなかなか面白い道だったなという風に 思いますえ次回はまた横須賀の別の街を 歩いてみようと思いますが今回はここまで ご視聴いただきありがとうございました

上の台中学で撮影された「いきものがかり/SAKURA」のPVはこちら

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横須賀市の南に位置する鴨居地区。
近くには浦賀地区の巨大な造船所跡地がありますが、鴨居は1950年頃まで、
入り組んだ海岸地形に細かな集落が点在する昔ながらの漁村でした。

60年代に海辺が埋め立てられて巨大団地が建設され、
海岸沿いの急斜面の上に新興住宅地が造られて以降、鴨居は
現代的な住宅地と漁村の面影、近代以前の面影が共存するハイブリッドな町へと徐々に変化していきます。
そして、2000年以降に少子高齢化が叫ばれ、付近の重工業が撤退して以降は
風景の中に「廃校」「老朽化」といった衰退の要素が色濃くなってきたのではないでしょうか。

わずか50年足らずで急発展と衰退を経験し、現在も町の形を試行錯誤する鴨居地区を
歩いてみました。
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10件のコメント

  1. 昭和28年から32年まで会津に住んでいました。えっ❗️と思って見ていました。父の実家が会津磐梯町にあったので😅それから、高橋邸がうつってびっくり‼️40年位前、高橋家のお嬢様が『母が入院しているので、毎朝、自宅の雨戸を開けるのがひと仕事で、朝から疲れる』と言ってたのを思い出した😅今回の動画は横浜住まいの私にはけっこう縁がありました😢

  2. 磯場で採っていたものはたぶん「ひじき」かと思います。また観音崎博物館によってあの辺りの岩場で磯の観察会が頻繁に開催されています。

  3. かもめ団地のダイナミックかつレトロな魅力を堪能させていただきました。27分からの墓場越しの漁村ビューも、日本の原風景という感じで凄く良いですね。
    向こう岸の燈明堂もとても美しい場所で大好きです。燈明堂からかもめ団地側の岸を見た時の、「人工物ドーン」の景観が妙に、むしろ良い!と個人的に思っています。

  4. 生地「若松町」の由来を初めて知りました。
    で、その高橋家の近所に学友が住んでました。
    (映像の人たちが何を採取しているのかは分かりませんが)
    多々良浜でタマキビを採って、その友人の家の犬にあげたら
    狂った様に食べてましたw。
    多々良浜・半島部?には「駆逐艦・村雨の碑」が有ったり、
    橋の先にはトーチカもあった様な...
    ミリタリー・ファンには堪らない土地柄ですね。

    以前、鳥ヶ崎官舎裏のトンネルに行ってみたくなり、行ったら
    既に柵で入れなくなってました。

  5. かもめ団地は北野武監督の、
    「あの夏、いちばん静かな海」で
    ロケ地として使われていました。
    主役の真木蔵人が住んでいた団地が
    かもめ団地です。
    しかし会津藩士の墓、
    浦賀に引っ越してきて
    25年以上経ちますが、
    まだまだ知らない所ありましたw

  6. 先祖代々のお墓がチラッと映っておっって思いました
    死んだじいちゃん曰く大昔に崖崩れで多くの墓が崖下に流れたと言ってました

  7. いつも楽しく拝見しております。
    廃校や自衛隊官舎など、せっかくの広い土地がなにも手付かずで放置されているのは勿体無いなぁと思いつつ、なかなか難しいのかなぁ、、、
    いつもと違う雰囲気の散策でとても面白かったです(^^)
    また次回も楽しみにしています✨

  8. ありがとうございます!(´▽`)
    ここに来てくださるとは(*>∀<)ノ))
    前回金谷を歩いて、今度は団地に来る。嬉しいです(*^^*)
    小学校も中学校も卒業生になります。廃校になってしまいましたが。
    本当にありがとうございます😊

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