【中央線を地図ぶらり】~吉祥寺、三鷹、武蔵境沿いを巡る~
おい霊夢なんだよ魔理沙今回はこの場所を 見ていこうと思うんだこの場所は東京だよ ねこの東京のどこを見ていこうと思って いるのそれはこの付近についてだむむなん だか真っすぐな線が引かれたわねここには 何があるのここを走っているのが東京の 中央線なんだ中央線はこのように東京の玉 地域を直線上に走り東京の東西をつげて いるんだぜへえなんだか面白そうな路線だ ねちなみにこの直線部分だがその長さは およそ25kmで長さでは日本で第2位と なり珍しい路線でもあるんだちなみに長さ 第1位は北海道にある室蘭線の一部の路線 となっている人口が多い東京なのに長い 直線路線を敷けたことはすごいなそうなん だぜというのも1889年明治22年に 神部鉄道会社線中央線の全身の新宿立川間 が開通した当時の多摩地域は今のような 発展はしておらず利用できる土地が多く あったんだそのためもありこのように図面 で引いたような路線ができたんだつまり今 の中央線はができてから発展したとも 言えよう東京にもそのような時代があった のねところで今回はこの中央線の何につい て見ていく予定なの今回はこの中央線沿の 地域を見ていこうと思うんだ具体的には 地図ぶらりとして標準地図地形図小地図空 contin写真などを使いながら中央線 沿いの街並の歴史や地形を辿っていく つもりなんだ中央線といえば吉祥寺や国 たち立川八王子といった有名な駅があるん だぜそれらの地域の駅ができてからの発展 そしてそれまでの歴史地形との関係などを 見れたら良いなと思っているぞそれは面白 そうだね路線沿の土地が分かるわけだね そういうことだそして今回はこの玉地域を 見ていくぞでは少し寄ってみよう えいお近づいてきたここに住みたい町とし て有名な吉祥寺の駅そして西には八王子駅 がある今回はこの田町の吉祥寺駅三鷹駅 武蔵境駅付近を見ていくぞ中央線は23区 も走っているがそれはまた今度見ていこう というわけだ武蔵境から西も今度という わけねそうだねでは早速始めていこうそれ じゃあゆっっくりしていって ね吉祥寺駅 付近まずはこの地図の一番東にある吉祥寺 駅付近を見ていこうではこの辺りに近づく よ えいお近づいてきたけれど画面が2つに 分かれているねそうなんだこの右にあるの が現在の衛星写真そして左の地図は国土 チリ図に地形を重ねたものなんだこうして 並べて比較できると面白いねではまずは この場所の地形や街並を見ていこうか
ワクワクワクワクまずこの地図の真ん中を 走っているのが中央線なんだそして有名な 吉祥寺駅はここにある住みたい町 ランキングでも上位に入る町だよねそうだ ねその理由にはこの場所のリッチの良さも 関係があるの [音楽] だろうこれは吉祥寺と23区の地図なのだ がこの吉祥寺は中央線と慶王位の頭線とと 接続しているそして新宿と渋谷まで早くて 約15分ほどとなっているんだかなり近い のねでは先の地図に戻ろう えい慶王井頭線は吉祥寺を始発に南へと 走っているそして駅前のこの四角の範囲 あたりがお店や商業ビルが多くある場所な んだここにはサンロード商店街やハモニカ 横長といった商店街があり一方でパルコや 東急百貨店などの大型少量ビルもあるんだ いろんなお店があるわけだそうなんだ象 様々なお店がコンパクトな場所に混在して いるのがこの吉祥寺の特徴だと言えよう ちなみに吉祥寺の商店街については別動画 もあるので是非そちらもチェックしてみて ねそこでは昭和の再開発事業なども 取り上げているよ一方で南のここに広い 範囲で緑があるのが分かるだろうここだね 駅がここだからかなり近くにあるわけだ そうなんだこの緑地は井頭公園となって おり憩いの場となっているんだ北は商陽地 そして南には大きな公園そりゃ住みたい町 になるわけだ3Dで見るとこのようになっ ているよこの公園は1917大正6年に 日本で最初の郊外公園として開演した公園 なんだ歴史があるわけだこの吉祥寺通りの 西はいのかしら文化園という動物園があり 一方東には井頭池や競技場などがあるんだ 是非散歩をしてみたいねそしてこの公園に は井頭池があるんだ地図で見るとこの池だ ね地形で見ると分かるがこの池の周辺は 周りから一段低くなっているんだぜその ため駅から公園に向かう時も坂を下ること となる地形的な変化も楽しめるわけだこの 井頭池の標高は約45mで駅の南の場所は 約55mとなっているそのためおよそ 10mほどの高低差があるんだちなみに この井頭池の歴史は古く近くでは縄文時代 や旧石器時代の縦穴式住居遺跡が湿度して いてこの池が古くから水源になっていた ことが分かるんださらにここに歩いの かしら弁財店の期限は平安時代まで遡る ことができるとされているまた江戸時代に は神田川の水源地として江戸とも関係の ある池なんだ昔から重要な池だというわけ だねそうなんだぜただ現在は脇道は枯渇し てしまい地下からポンプで水が組み上げ
られて池の水が維持されているんだ貝取 などで有子は確認されているえそうなんだ またこの井頭池の詳しいことは武蔵の市に ついて話す時に紹介しようと思うよえ気に なるなあでもどうしてこの辺りに池がある んだろうおいい質問だね確かにこの井 かしら池に長む河川は存在しないではどこ から水がやってくるのかこの地図を見て くれこれは玉地域を広域的に見た標高図だ ここに井頭池があるそしてその北には全幅 寺池三方寺池がありこれらの池は武蔵の3 大有子池と称されているんだそしてこれら の池付近の標高がおよそ50mとなって いるこの3池は現在枯渇しているのだが これらの池がある標高50mあたりが武蔵 の大地の地下水が湧く場所となっているん だ第地上に降った雨水が地中に浸透し砂や 歴の多く含まれる地相に沿ってゆっくり 流下しこの標高50mあたりの崖から水が 湧くんだだから井頭池の水は西側の武蔵の 大地の地下水が源となるんだぜ池の場所に も地形が関係してんだねそうなんだでは 吉祥寺付近の話に 戻ろうこのように吉祥寺駅の南に公園が あり北には商量地があるだがこの地図を 見ると町全体が中央線に対して斜めになっ ていると思わないかいむむ確かに北東の方 に傾いているなこれはどうしてなんだい駅 ができれば駅に沿ったちりとなることが 多いだがここはそうではないんだなぜなら このちは吉祥寺駅ができる前の名残りだ からなんだほうどういうことだろうこの 斜めのちの歴史は江戸時代まで遡ることが できるんだえ江戸時代だとではそのことを 示すために地図を変えてみよう えいあらまた違う地図だね左の地図は 先ほどと同じ国土チリインと地形図だ一方 で右は明治39年1906年即明治42年 西半の地図となっているおよそ110年前 の地図というわけだこの時代にはまだそこ まで開発がされていないそのため江戸時代 特割はさほど変わらないと思ってもらって 良いよ吉上自衛ができたのが1899年の ことだそのためこの地図ではここに吉上寺 液が存在する確かに一方先ほど言った井頭 池はここにあるんだそして周辺地図の北部 が探索場に区切られているのが分かる だろうああほとんどが綺麗な資格になって いるわね不思議な土地だこのくりがこの 周辺の土地の特徴なんだこれだけ四角の 土地ってことは人類的に作られたという ことかなそうなんだではもう少し広域的に 明治時代の子地図を見てみよう えいお地図が変わったこの地図は先ほどと 同じで明治39年に即された地図なのだが
中央線が真ん中にありそして吉祥寺駅が ここにあるそして地図を一目見れば分かる がこの辺りの土地が探索場に区切られて いるまた四角の土地はここなどの他の ところにも見られるけどね確かにななぜ このような形になっているのかそれはこれ らの場所が江戸時代に新しくできた村だ からなんだ幕府は人跡が少なかった武蔵の 大地を開拓しようと考え人々を移住させた そこで短冊場に割りをすることで管理し やすくしたのだろうちなみにこの1つ1つ が村人に与えられた土地なんだ今だと かなり大きな土地だけどねそれだけ何も なかったから自由に加りできたわけだそう だねちなみに江戸時代の神殿開発は武蔵の 大地場に多く存在するそのため同じような 探索場の土地が多くあるわけだそして それぞれの土地の利用方法としては道沿い に屋敷地を置き続いて畑さらに道から遠い ところに平林を置くというものだこの平林 には防風や土壌が飛ぶことを防ぐこと そして肥料としての内場を得るという役目 があった場所によっては異なるさらにここ では土の割に様子色が来るようになって いる効率的で面白い方法だねでもどうして 中央線と街並は斜めになっているんだろう それは江戸時代この地域の主要道路であっ たこの道路が関係しているこの道路はいつ か1街道というのだがこの道に沿って村が 作られたんだ地図を見ても道沿いに集落 そしてそこから土地が続いているのが 分かるだろうむむなるほどなそのような 探索場の割があるところに直線の中央線が やってきたというわけだねその通り地図で も分が中央線が土地を無視して走っている のが分かるだろうなるほどね吉祥寺を形 作る元々の道があるとはなでもよどうして いつか1街道は斜めに走っているのいい 質問だねこれには地形が関係していると 思われるんだどういうことだろうでは次は 地形図でいか1街道付近を見てみよう えここにあるのがい日一街道だそして中央 線はここにあり吉祥寺があるぞこの5日1 街道は徳川家康の江戸 西の呆の市や日の原から木材炭などを運ぶ ために整備された街道なんだぜ玉を横切り 江戸へと続いているん だそしてこの街道の周辺にとある地形が あるのが分かるかいこれらのことかな正解 だ先ほど言ったのかしら池そしてそこから 続く神田川一方北には全幅寺行そこから 続く全幅寺側があるんだこれらの川の間を い日1街道が通っている要するにい日1 街道が斜めとなるのはこれらの川に沿った ためだと思わ言れるんだあくまで推測だ
けどねやはり大昔に道を決めるには地形が 関係しているんだねそうだねそしてこの 地形が道を作り吉祥寺の街並みに影響して いるんだそう聞くと面白いねでは吉祥寺 付近に戻って引き続き見ていこう えお戻ってきたね先ほど言ったいか街道が 斜めに通っているそしてくりが道に沿って できているのが分かると思うまたこの付近 で歴史がある場所としてここの井かしら弁 点が上げられるその歴史は平安時代まで 遡れるのだがそこに続く道が現在でも残っ ているんだ大昔には南からはこの道を通っ てやってきたと思われるこの道を南に行く と公州街道につながりその後江戸へ行ける んだここが参道となっており現在でもここ に3道入り口の門であった黒門があるんだ また今でも周辺に弁財店への道しべが堂々 と立っているんだぜ歴史を感じられる ところがあるわけだねそうなんだ一方で池 から伸びる北のこの道がいつか1海道と つながる主な道となっている確かにい日1 街道に続くねこの道は現在では吉上時通り として町を形づくる道となっているぞ地図 を見ると南北から道がありこの井頭池と 弁財店が地域で重要だったと分かるね そしてこの北側の道とい日一街道が交差 するこの場所ここが吉祥寺にとって重要な 場所となるんだほうなんでなんだろう地図 を見ても分かるがこの場所にはいくつかの 神社物intoが集まっているんだほうと いうことは吉祥寺もここにあるのかないや 吉祥寺はここにはないんだ衛星写真では こうなっているよではこの吉祥寺村の歴史 を少し見ておこうこの吉祥寺の村田が 先ほど言ったように江戸時代にできたんだ この吉祥寺村の住人は1657年に明暦の 大下で消失した沢山吉祥寺の門前町に住ん でいた人たちだったちなみに諏訪山町は今 の文教区本合にあったお寺なんだそして 大下で焼け住む場所を失った人たちがこの 場所にやってきたんだしかし吉祥寺自体は この場所には移されず住人のみやってきた んだ吉祥寺だけどその名前の寺はないわけ だそうなんだけれど吉祥寺に愛着を持って いた住人たちによって神殿は吉祥寺村と 名付けられたんだそのような歴史があった のか一方で吉祥寺村海村と共にいくつかの 寺院が映されてきた村の中心となったん だろうねそうだねそしてその場所がいつか 一海道沿のここになるんだ現在の地図でも 市街地の中に寺院が存在するん だ察写真で見るとこの辺りに当るよ現在で もこの辺りに安陽寺好戦寺連載寺月草時の 試験寺そして武蔵の八幡宮が存在するんだ 特に月草寺は吉祥寺のサロード商店街や
ハモニカ横長の事主であり吉祥寺とも関係 が深いんだちなみに2003年の宗教法人 申告所得ランキングでは1位が総括学会2 位が明治神宮に続き3位に月草寺そして4 位に連載寺がランキングしているんだ月草 寺さすが吉祥寺の自主だな吉祥寺周辺から 2つもランキング入りしているんだその ような寺院があるのは知らなかったな そして吉祥寺が栄えるようになったのも このくわの街並が関係しているだろう一方 で井頭池の南部の街並は少し雑然として いるここは地形に気腹があるためこのよう な形になっていると思わ れる写真で見ても分かるが北側とこの辺り の土地の並びが異なるのが分かるはずだ これにも地形が関係しているんだそして この地図の男性にあるこの線は多摩川浄水 の一部となるこの浄水に関しては次の地図 の時に話そうと思うぞでは吉祥寺周辺に ついては以上だということで地図を後半否 もに変えるぞ えいお地図が変わったな先ほど見ていたの がこの辺りの地図だでは1つ西に進んで この場所を見ていくぞこの範囲の中央線に は三鷹駅や武蔵境駅などがありその周辺を 見ていくことになるぞでは近づいてみよう えお近づいてきたここに中央線が通って おり吉駅の隣の三鷹駅武蔵境駅があるんだ ちなみに先ほど見た地図とはこのように つがっているこうしてみると分かりやすい ねい日一街道がここを通っている ぞそして南のここにあるのが玉の歴史を 語る上で外せない玉川浄水だ玉川浄水は 江戸時代前期に作られ玉を通り飲料水を 江戸市中へと流していた浄水道ここの三鷹 駅付近で中央線と交差するんだでは玉川 浄水の前傾を見てみよう え これは東京の標高図となっている中央線が 通り吉祥寺駅がここにあるそして玉川浄水 が東西に通っているんだ先ほど見ていた ところはこの辺りだねそうだねこの多摩川 浄水はここのハム水席で多摩川から死水し 武蔵の大地を投し現在の四つや4丁目交差 点付近にあった水番所を経て江戸市中へと 分配されていたんだこの緑や黄色の辺りを 含む武蔵の台地には河川が少なく高台と いうこともあって水が少なかったそのため この玉川水から分水がなされただから神殿 開発でも大いに貢献した浄水路なんだぜ それほど重要なものなんだねちなみにこの 玉川浄水は1653年に着しわずか8ヶ月 の間でここのハ水跡から四谷までのスりに よる水路が完成しているんだその距離は約 43kmととても長いんだ短期間でそれ
ほどの長さの水路を作ったのか江戸の技術 すごいなでは今見ている三鷹駅付近に 戻ろう え 三鷹駅付近で交差するようにここを流れて いるそしてこの浄水路からは多くの分水が なされた右の図を見てくれ例えばこの地図 でもここを通るのが分水された様子色だ 玉川浄水から別れ南に流れるわけだねそう だ ねこれは吉祥寺あたりもつげた地図だ そしてこの三鷹あたりといえば打おや山本 像といった文化人と遊園がある場所なん だこれは打むとゆりのある場所の地図なの だが三鷹のに旧宅後やザ一家が利用してい た場所が多くあるんだ有名な文豪がいた 場所を巡れるのは面白そうだね彼もまた 玉川浄水を何度も見ただろうねそうだね また彼はこの玉川浄水で乳水自殺を遂げて いるんだ一方でここに山本有三記念感が あるロボの石などを執筆した作家の山本 有三が家族と共に住んだ家なのだが現在は 三鷹山本造記念館として尋ねることも できるよ井かしら公園や三鷹駅も近いから ぜひ歩いてみたいとだねそうだ ねではこの察写真を見ながらこの場所を 説明していこう写真を見ると分かるがここ とここが栄えているように見える東側は 三鷹駅があり西側は武蔵境駅となっている んだここでも北側は斜めになっているな これもいつか1街道に沿ってできたからだ ねそうだねちなみに南の街並も江戸時代と 繋がりがあるのだがそれはまた後で話そう 中央線と直角だから駅ができてから作られ た街並かと思っていたでもそうじゃないん だその通りこの街並もまた路線ができる前 からあるんだぜ気になるなところでここに 大きな施設があるけれどこれは何なんだい おいいところに気がついたねこれは境浄水 城という浄水城なんだ地図では武蔵境駅の 北のここに当たるよこの境浄水城は 1924年対象13年に通水され [音楽] たそのため明治時代のこにはまだ存在し ないんだ本当だ何もない土地だねではもう 少し広い視線でこの浄水状を見てみよう えこれは玉の地図なのだがここに境い浄水 城が存在するこの地図でもはっきり分かる 施設だなそうなんだこの浄水城は日本で 最大規模の観測ロカ方式の浄水上となって いる観測ロカとはゆっくりした速度でロカ 池の作に水を通し生物ロカ膜の浄水作用で 水を綺麗にする方式なんだ観測があれば 急速もあるのかなそうなんだこの速ロ下 方式はロカ速度が遅いため同じ量の水を
処理しようとすると広大なロカ池面積が 必要となるんだぜまた比較的水質が良好で 水質の変化が少ない水の処理に適している んだロカの方法にも色々あるわけだねでも ここで浄水するんだろうけどその水をどこ かから運んでこないといけないよね一体水 はどこからやってくるんだろういいところ に気づいたねその場所はさらに西のこの 辺り湖があるのが分かると思う北を山口 貯水地南を村山貯水地とんだかなり遠い ところからやってくるんだ地図を見ても 分かるがこれらの貯水池があるところは 給料となっているんだここだけポツンと 存在しているねそうなんだこの給料を狭山 給料というのだがこの給料がある武蔵の 大地はここの青梅を中心にしてできた戦場 地今は南を流れている玉川が大昔には北東 などにも流れできた地形なんだでっかい 地形なんだねそしてその中でもこの狭山 給料は河川に削られずに残った地形となっ ているんだぜまさに緑の島だ面白い場所だ ねこの天然の地形を生かして貯水値が作ら れたというわけだちなみにこの狭山給料に は埼玉西武ライオンズの休場などもあり また貯水地を望む広大な景色もあって観光 地としてもおすすめの場所だよ池もあるし ぜひ行ってみたい場所だねだがここにある 水もまたどこから来たのか気にならないか いえということはここの水も違うところ からやってきたものなんだそうなんだここ の水はさらに西にある玉川水計からやって くるんだここにある歯水石や水から取水し た水をここで所有しているんだぜお いろんなところが繋がっていくねそして 玉川の水が貯留された後ここの東村山浄水 城そして堺浄水城に送られるんだ堺浄水城 の水ってそのような経路があったんだ そしてこの浄水場と貯水この間に長い道が あるのが分かるかいむむこの道のことかな ままさかこれがそうなんだこの道の地下を 同水感が通っているんだそう見ると面白い ね今ではその上が自転車歩行者専用道路タ 自転車歩行車道路となっており福音4mの 舗装道となっているんだぜその長さは全長 21.99ドルとなっているんだ サイクリングコースとしても人気でタコ まで一直線で行けるんだそれは気持ち良さ そうだねでもそのような東京死の長い直線 道路が同水艦と関係しているとはね面白い ねちなみに堺浄水城よりも東側は車道と なっているがこの道は歩行者自転車道路と なっているこれは東に比べて浅い部分に 水道感が埋設されているため車両の通行に 適さないためだと推測できるん だ地質や地形との関係もありそうだねそう
だねそしてこの道の地下を通り境浄水上に 水がやってくるんだでは三鷹付近の地図に 戻ろう [音楽] えここに境浄水城があるそして先ほど言っ たように水がここを通って送られてくるん だなるほどそして浄水上で浄水されると いうわけねちなみにこの浄水上は武蔵の市 にあるのだが武蔵の市は水道事業に関して 東京水道局に委託せず独自の市営水道を 運営しているためこの境浄水上の水が給水 されることはないんだこれだけ大きな浄水 上なのに死の水とはならないんだ面白い ね一方でこの道は井かしら通りという車道 となっているしかし水道通りと呼ぶことも あるようにこの道は水道間の施設用地を 道路へ転用したものなんだちなみに南に 玉川浄水があるがこれは境浄水上とは関係 ないんだぜこのようにいのかしら通りは 南東に伸び吉祥寺駅西で中央線と交差して その後も続いていくんだどこまで行くん だろうでは高域的に見てみよう えい境浄水城がここにあるそしてここに掘 給水所があるこの間の水道感を不折する ための用地が道路に転用されたんだこちら もかなり長い道路だこうしてみると狭山 給料からここまで繋がっていて面白いね そうだねでは三鷹駅付近に戻って続きを見 ていくぞ 三鷹駅と武蔵堺駅の間の路線で出っ張って いるところがあるのが見えるかいこの部分 だねここは三鷹車両センターといって車両 基地となるんだではここを察写真で見て みよう えいこのように車両が待機していることが 分かるまた校内のコに車ことと中央本線を 南北にまたぐ歩道橋があり電車 ウォッチングの場としても知られていた ここだねここからならよく見渡せそうだね ただ現在は2023年12月を持って閉鎖 し撤去となっているそれは残念だねちなみ にこの歩道橋はフルレールを使用して作ら れ三鷹に住んでいた打寒も好んで通ったと いうんだそれは是非行ってみたかったなで も今はないの かそしてこの地図ではここに水路が見えて いると思うこれは千川という川でこの辺り を含め上流部はコンクリート水路となって いるん だ全体図で見るとこのようになっているぞ この辺りが先ほど見ていた場所だ小金に 上流タがありその後武蔵の市三鷹市に入り 火では天然河川となり野川へとつがるんだ 今の水路はくねくねしてて面白いねでは 最後にこの辺りの歴史を見て今回は終わり
としよう地図を小地図との比較に変えるよ えい右は明治39年1906年頃に即され た地図なのだがこの時にはまだ三鷹駅は 存在しない確かにこの場所に何もないねと いうのも三鷹駅ができたのが1930年だ から地図ができた頃にはまだないんだこの 頃には武蔵酒駅と吉祥寺駅があったわけね そうなんだちなみに海洋当時は新宿立川間 だったんだがその途中駅は中の武蔵境 国分寺が存在したんだ武蔵境はその頃から あるわけだねそして先ほど言ったが多摩川 浄水の北側と南のこの辺りでは土地の加り が大きく異なるこれは異なる村を機嫌と するからなんだ北か一街道などに沿った村 だったよねでも南はどのような村となって いるんだろうこを見ても分かるがこちらも 短冊場となっており江戸時代に新しくでき た村なんだその名前は下連絡上連絡という これらの村の成立も1657年の明暦の 対価がきっかけなんだ大下による神田連絡 町の被災者の会地として1658年に下 連絡が開発された一方で上連絡は近くの 農民たちが神殿を開発し連絡に続く土地 だったので連絡前神殿と称しその後上連絡 と解消したんだ東が下西が上というのは 京都に近い方を上とする監修からなんだ 神殿だから探索場になっているのかちなみ に連絡という冬鳥がいるがそれとは関わり はなく連しのこととなるんだその連射とは 2枚の板を縄で組み物を背負い安くした 用具で行商人は商品をこれで背負い 売り歩いたんだそしてその中心軸はこの 連絡通りと呼ばれている道となるぞでは もう少し広めにこの村を見てみよう え北に武蔵境駅がありこの範囲が上連絡 しも連絡の主な範囲となっているうむ確か に綺麗な探索場となっているわねそして この連絡通り沿いに屋敷が並びこことここ に今でも残っている神社格があるんだこの 辺りが村の中心地だったと思われる東に あるのが三鷹八幡大神社と全輪寺どちらも 大下によって長人は移住してきた後に立て られた神社物確なんだ三鷹8万神社は 1664年に建されたとされ全輪時も移住 してきた町人によって立てられた寺院なん だ一方で西にあるのが上連絡新名者と井口 員連絡新名者は連絡前神殿の開発と共に 珍珠として混入された神社なんだこれらの 場所を中心とした村だったんだろうねそう だねこのような歴史があって三鷹駅の南側 は探索場の土地となったんだなかなか興味 深い話だでは三鷹駅武蔵境駅付近の地図に 戻ろう以上がこの周辺の歴史や街並につい てだ江戸時代からそして今にもつがる施設 や街並を見れて面白かった
ぞというところで今回は吉祥寺駅三鷹駅 武蔵酒駅の周辺を見てきたいかがだったか ななんだか改めてこの辺りの地図を見ると その裏に隠された意味が分かって見え方が 変わったわ地図って本当いろんな情報が 詰め込まれているのねそうなんだぜ少しで も地図の面白さが伝わってくれれば嬉しい ぞそして今回は中央線沿の地図旅として 吉祥寺三鷹武蔵境駅周辺の歴史や街並地形 を見てきたそこで次回以降にはさらに西の 場所も見ていこうと思うんだそれは楽しみ だねまた今回は今までとは少し違い特定の 場所の地図を掘ってみたどうだったかな もし今回の企画が面白かった少しでも勉強 になったという方はぜひいいねやコメント で教えてね反応が良ければさらなる新作も どんどん作っていこうと思うよ他にも 吉祥寺や三鷹武蔵境の面白い場所や好きな ところなどもどしどしコメントしていって ねまた地図を通してこのような視点も見て みたいなどがあれば是非教えてねという ところで今回は終わりとしようそれじゃあ またね また [音楽] ね DET
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今回は【地図ぶらり】として、中央線沿いを見ていきます。
その中でも吉祥寺、三鷹、武蔵境駅周辺の地形、歴史、街並みなどを、
地理院地図、古地図、地形図、空撮写真を使いながらみていきます。
※衛星写真はGoogle Mapを加工して、使用しています。
標高図は国土地理院(地図タイル)を加工して、使用しています。
地図はOpenStreetMapを加工して、使用しています。
※地形図等を重ねて、目視やなぞりながら地図を作成しています。
そのため河川や場所の位置等にズレがあるかもしれません。ご了承ください。
※個人制作となりますので読み間違い、誤字脱字等ありますことご了承ください。
※引用させていただいた資料
五日市街道
出典:旧街道モバイルマップHP
旧五日市街道の地図 | 旧街道モバイルマップ (gcy.jp)
太宰治 ゆかりの地
出典:三鷹市HP
三鷹市|太宰ゆかりの場所 – 太宰が生きたまち・三鷹 (mitaka.lg.jp)
村山貯水池
日本語版ウィキペディアのDS80sさん – 原版の投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=114755203による
5件のコメント
あの辺にある池は多摩川の水が一部地面にしみ込んで伏流になったものが沸いているという面もある
田舎のわが市にも線路と斜めに平行な道が通ってる地域がある。開拓して間口で税金をとってた名残りですな。
中央線沿いに自転車で走るとき、毎回線路に沿った道路がなくて遠回りになるなあって思ってたけど昔の地形の名残だったんですね。
多摩川上水は三鷹駅の真下を斜めに潜っていますね。
昔、三鷹駅北口に住んで、学生時代新聞配達をしていたのが、中央線の北側にはみ出た三鷹市の上連雀一丁目でした。まだ畑も多いところでした。
水道道は直線的で、地図で探すのも面白いですよね。
他には荒玉水道道路、横浜水道道路などがあります。