第4話【東海道五十三次】 50ccバイク(ジャイロキャノピー)で行く真冬の下道旅!

[音楽] 前回静岡県舞坂町にある舞坂宿で超立派な 脇本陣の復縁を見てやっと巧妙が差してき た東海道53次バイク旅興奮がまだ収まら ないこのおっさんは以前土砂ぶりの冬の雨 の中体も冷え切り改めて太陽のありがたさ を身にしめております今回は出発から3日 目の15時からスタートどうぞよろしくお 願いしますおっ茶のジャイキャティク冬野 東海道53次バイク 旅チャンネル登録よろしく ね次の宿場町新井宿へと向かいます新井宿 へは中浜川橋西浜川橋を渡ります昔は船で 渡ってたらしく明治から大正は引き続き 都川によって結ばれていました1889年 に東海道本線開通に伴い橋で結ばれました が昭和に入ると自動車が普及し国道が建設 されたことに伴い西浜と中浜橋が完成して 都川は廃止されたようです途中海に そびえ立つ弁天神社の鳥を見ることができ ます温かい時期には弁天島海浜公園発着の 渡し船に乗って赤トリーの立つ弁天島の 天然の日型に行くことができるそうです そうですよねこんな真冬に雨の日に日型に 行ける船なんてあるわけないしまた温かい 時に行くわ ほんま新井宿新井宿というか洗い関所です かねですごい立派この粗い関所の後の建物 は安静の東海大事震後に再建されたもので 金星の積書の建物としては現存する唯一の ものとして国の特別史跡に指定されてい ますえ入間されない方は第2駐車場をご 利用くださいこのセシのすぐ近くに本人が あったそうですが今は看板のみでまここは 本人後より石勝の方が立派でしたね30枚 さが31新井宿やんなあさあ当たってる 危ねえびっくりしたシスカシスカ宿さらに こう海沿いを走ってちょっと山に入って いくという ちょっと本当休憩も大事やから [音楽] ね次は第32番目シスカ宿いやそれにして もまだ31番目53-31は22とか考え てたらやみそうなので空元気たっぷりで 進むことにします舞坂洗いとなかなか立派 な指跡が続いてるのでこれはええ感じに なってきたぞと少し胸がたかなったまま 白塚宿 到着これか本陣跡白塚宿は本陣1軒脇本人 1軒羽子27県の小さな宿場町だったよう です1707年の大津波で今の高台に移る まで現在より東の海岸に近いところにあっ たそうです残念ながら今は個人のお家に なっていますがこことは別に本宿シスカと いう歴史が学べる文化施設があるそうです

まこんなこんなま塾もあるでしょさっき まですごかったよさあささあじゃあ今を 取れてましあとうとこの白塚塾がえ静岡県 最後の藤東愛知県に感じの2のうん川ね 二川シですねちょっとここでまた寂しい 雰囲気になってしまったなと思いつつ33 番目の二川宿に向かいます二川宿までは約 5.9kgここで静岡県ともお別れです いや何度も言いますが静岡県はでかい でかかったでかちゃんでした今まで行った 宿場町の数なんと32か所そりゃお尻も 痛くなるっちゅうねだんだん道も混んでき ました現在の1号線のすぐ脇に旧東海道が ありその道を進むと二川宿到着 です二川塾これはねきっちり本人が再現か なされてる二川は本人1件脇本人1件羽子 38件長さ1.3kmとコンパクトな宿場 町でした二子の本人はとてもかわいそうな 本人で何度も火災にあっておりその度に 再建されてきました本人の一部は取り残さ れずに現在まで残っており二川しく本人 資料官として見学することができますが 現在は回収工事中ということでここで僕の 計画性のない旅の運の悪さを痛感しました 見たかった な 今年のなんか11月まであの回収工事の ため休刊中って書いてですねえ 304次目吉田宿また走るなちょっと こないに飯くれんもんか な34番目吉田宿に向かいます約 7.7km今回で東海道53次の動画は4 本目になりますが皆様から嬉しいコメント をいっぱいいただきましたにに個人的な LINEでは娘もチャンネル登録しました とかうさ臭い標準後のナレーションはどう かと思うでとか嬉し恥ずかしなものまで いただきましたなので今回は大阪弁頑張っ てるつもりです編集がめちゃくちゃ大変で 途中何度も挫折しそうになりましたが コメントを読んで頑張ってこれましたで まだ34番目で気分は負けないてもすして マラソンの作用のような気分になってます がまだまだ続きますのでどうかチャンネル はそのままでてがチャンネル登録といいね ボタンを是非よろしくお願いいたしますで 話が連れてしまいましたが今向かっている 吉田は以前は今橋と言われており池田照正 が上司の時に今橋は今橋に通じるという ことからよだと解明されたそうです ちょっと考えすぎちゃうんと思います [音楽] けど豊橋の吉田宿本陣あですねねまこの ウナ屋さんとか一般の民家ですかね吉田塾 は本陣2件脇本陣1件片65件の大きな

宿場だったみたいです吉田通れば2階から 招くしかもかの子の振り袖がと言われ前回 説明した飯盛り女の数も多い宿場として 知られていたようですえ次あごご塾えこ から約11kmこいに見せても食うかな 35番目ごに向かいます愛知県豊橋市から 豊川にかかる豊橋を渡り豊川市へってもう ややこしいなだんだん日も暮れて雨も止ま ずにひたすら東海道走ります日が暮れたら カメラに映るのも真っ暗になるしそろそろ 今日は終了かなと思いましたがやっぱり なんとか名古屋まできたいという愛知県に 入った謎のテンションでまだまだ走り 続けるこのさんいい減休憩せへんかったら 明日に響くであとよく考えたら今日何も 食べてへんやあかんあかんバイク旅に飯は 必要不可欠やぞとこの時の自分に言って あげたいんですがこの後このおさんに 悲しい出来事が起こります第35次御遊塾 御遊塾ですここもちょっともうこんな感じ で残ってないですね本人が最も多い時で4 件ありはごも62件あったそうです全体的 には個人マとした宿場だったようですが 本人が4件もあるのは珍しかったようでて いうか本人ってそんな自由に増減してたん て思いまし た赤坂塾ですねあっちか赤坂宿までは約 2km今回の旅が始まって1番目的地が 近いです途中立派な松並がありました当時 の街並はほとんど残っていませんでしたが 五湯の松並木は旧東海道で現存している 松並木の中で最も美しいとされ国の天然 記念物となっているそうです昼間にみたい わてね [音楽] 赤坂宿ですね4件本陣があったそうです これでもちょっとインターホンあ るってことはあれかな人地なのかな赤坂宿 は先ほどの御油宿と合わせて赤坂5という 大きな宿場という認識だったらしく最大で 80のハゴがのきをつらねていましたで あまりにも大きかったた康君がこんなも多 すぎるやないか真ん中に待つ上て赤坂とご に負けんかいとま関西弁で言うてはない でしょうが江戸に向かう際は赤坂を利用し て日本橋から京都に向かう際は御油を利用 するというルールが存在したようですも 近かったなここ一気に来たないよいよ36 枚来ましたねえ37番目 藤川宿37番目藤川宿に向いますここから 愛知県岡崎市になりますここの旧東海道は 狭い道の割には今でも人や車の往来が 激しいなと感じました今でも住民の大切な 生活道路になってますね藤川宿までは約 9.3kmこのまま現在の国道1号線に

出れば良かったのですがませっかくなので 旧東海道を少し進んでみることにしました あかん暗い画面が暗いアクションカメラっ て暗いところが苦手ですよね国道から外れ て旧東海道の狭い道を進むと藤川が見えて きます見えてるこれ暗い わああもうすっかり暗なったここですね 真っ暗なってもたなもう雨も降ってだいぶ やばいけど着きましたよなんかちょっと 入ってみましょうか考察場が残ってますね 藤川区は本陣1件脇本陣1件片子36件 町人の数1213人であったと言われてい ます本陣跡は現在藤川宿資料館となって おり藤川宿に関する資料が見られますで 暗いな暗いので持ってきた撮影用の小さい ライトをつけてますいやあもうでもほんま これくなったらもうわけわからんなもう これ多分顔顔映ってないやろなこれな第 38岡崎塾お腹減ったなえじゃあ 7.5km先ちょっと行きたいと思います 今日はもう岡崎止まりか なさあ次は38番目こちらも愛知県岡崎市 にある岡崎向います岡崎といえば東海 オンエアですよねすごいよね東海オンエア チャンネル登録者現在700万人驚異的な よね僕も関西オンエアとか作って誰かと YouTubeしようかな誰が見る年状態 やけどって言いながら僕あんまり東海 オンエアさんのことよく知りませんごめん なさい岡崎宿に到着して正直迷いました 岡崎城の城下町ということもあり非常に 入り組んでいて別名岡崎27曲がりとも 言われているそうで各曲がり角には案内版 が設置されておりこれがもう逆に夜に散策 するともう何がなんやら分からへんように なりました昼間にゆっくり散策するもん ですよ城下町はていうかいつまで降るねん この雨男がここだな岡崎塾 本人海道沿いにはいろんな石碑が立ってる みたいですね昼間とかに来るべきやわ やっぱご飯 大事岡崎宿の本人の石標なんとか見つけて 次はこれ何て読むと思いますチリと読み ます現在の愛知県知立市にある宿場町です みたらし家という池に恋や船が多くいた ことに由来するとも言われてるそうですが 調べてみると昔はチリとかチリと書かれて いてそのルーツはこの池に鎮座する地龍 神社にあるらしいのですがなぜか鎌倉以降 になると地龍と書かれてしまい江戸時代に なるとさらに流が一般的になりますこれ なぜかと言うと先ほど話した池が近くに あっ昔は鯉やフがいっぱい取れたらしくて しかもそれがめちゃくちゃ美味しかった ようでここにくれば美味しい川魚が食べれ

ますせと宿場町の宣伝も兼ねて流になった のではないかということらしいです客寄せ のために地名まで当て字にしてるなんて なかなかの商売人ですよね途中昼飯さえ 食べてないこと思い出しもうなんでもええ わと思い目の前にあった活発でサっと昼飯 県夕食を済ませ流塾に到着 東海道 こんな方に読むんねこれ雨も細になってき ましたここもでも周りは何もないですね この地道の横にひっそりあるのが地塾の関 ですここが地龍塾の東の入り口となります 今は国道につがる道のため交通量が めちゃくちゃ多く当時のおかはこれしか 残っていませんでしたうと来ましたですね 次はナミ宿愛知県名古屋市 緑さあ次はとうと愛知県名古屋市に入り ます40番な宿です約11.7km だんだんと大きな街になってきました今回 の東海道53月で感じたことは昔の宿場町 が現代でも栄えてる町になってる場所には 残念ながら再現物や建物などが残っている 可能性は低いということが分かりました この時の僕もそれを理解し始めてまして ここから名古屋までは非常に大きな町に なっていくということは正直言って期待は あまりしていませんでしたただ街は でかい これはひどいなこれはひどいこれはひどい う何も説明できへんななるみ宿の本人は縦 ツ235つ相畳み数はなんと159畳の めちゃくちゃ大きな本陣で刃牙本陣は2件 はご68件もありました昔はナルミ城も あって栄えていたようですが現在では 悲しいこんな看板がひっそりと建てられ てるだけでしたこれ何にもないねりお城が あるんかナミ城っていうやっぱだから街が 栄えてしまうとほになるんやな宮宿宮宿 です本人がえそろそろ体力も精神的にも 限界41番目宮宿に向かいます終わり 名古屋の真ん中です約6.6kg宮宿は あの超有名な厚田神宮の近くにあり昔から 栄えてた街を母体として整備された宿場町 ですそしてご存知の方も多いかもしれませ んが宮食の次の宿場町である桑名宿エは この当時は船で渡ることになるので必然的 に宮宿で宿泊する旅人が多かったという ことになりますその繁栄ぶりは東海道随一 と歌われたほどであったよう ですえはい到着しました赤本陣跡ただ今の 宮宿はやはり現代でも大都会になっている ので現在はひつまぶしで有名な厚田後来県 の駐車場になってるだけでしたしかももう 閉店準備っぽくてね食べられへんねでも僕 実はひつまぶしというかウナギ苦手なん

ですよということで今回はこの宮宿で時間 も体力も気力も限界でいつもなら居酒屋で 酒飲むかホテルで飯食べて風呂にバボ入れ てゆっくりするあの誰が見たいねんって いうシーンがあるはずなんですが実はこの 日の名古屋はホテルも満室ばかりでやっと の思いで取れた宿がどことは言いませんが うわきったなみたいな感じのホテルでして 近くのスーパーでスキ屋のカップラーメン とビールを買って食べてすぐ寝てしまい ましたなのでごめんなさい一部のコアの 視聴者さんが楽しみにしてくれているあの 謎映像は今回はありませんこんな感じでは エンディングも中途半端になってしまうの で思い切って翌日の朝にジャンプしますと いうことでおはようございます4日目の朝 です宮宿を後にし向うは第42番目の桑名 宿と行きたいところですが桑名宿に向かう ためにはは昔の人たちは船に乗らないと いけなかったわけなのでその船が着眼して いた土川場に向かうことにしましたま そりゃそうやなと東海道53次の旅なわけ ですからそこ飛ばしたら単なるバイク ツーリングですからねがしかしこの時の僕 にある変化が生まれています最後まで是非 ご覧ください昨日止まったホテルでさすが にこのまま無計画すぎるのももういい加減 辛いなと思い何気なしに東海道53次の 今後のルートを調べていたらとんでもない ことを知ってしまうはにないます理由は この後分かりますなのでこの時の僕かなり 憂鬱な顔してますあいや単なる寝起きだ からかもしれませんが42番目ではなく 41の1七里の私到着やったら長いなと 思ってたんよなこっから船出てたのねああ 宮宿やたね宮の私こ七里の私というように 宮宿から桑なまでは昔七里の船旅でした 現在は宮の私公園という綺麗な公園に整備 されています城野党は1625年に当時の 犬山城の上手が混流し現在のものは昭和 30年に復元されたものになりますこの時 の金も昭和58年に宮の私公園内に復元さ れたようですこの七里の私船で渡る距離が 七里約28kmもあり天気が悪い時は 船酔い客が大量発生ほんじゃ船苦手な人は 旅行できへんやと思い調べてみたのが運の 月でした実はこの船酔いを避けたい人用の 別ルートが存在していましたそうです調べ てしまったので見つけてしまいました 見つけてしまったからには避けて通ったら あかんやろといや知らんふりして桑塾行っ てもえやんああもうどうしようということ で今回はここまで次回このさんは生けず 迂回ルートを通ったのかそしてちょっと 待てや箱根闘技よりひどい闘技あるやん

京都3上足まであと11次次で最終回に なるの次回も是非ご覧くださいチャンネル 登録よろしく [音楽] ね

前回、静岡県舞阪町にある「舞坂宿」で超立派な脇本陣の復元をみて、やっと光明が差してきた東海道五十三次バイク旅。興奮がまだ収まらないこのおっさんは、依然、土砂降りの冬の雨の中、体も冷え切り、改めて太陽のありがたさを身にしみております。
今回は出発から3日目の15時からスタート。

みなさん!東海道五十三次って知ってます?
僕は知ってはいましたが…全く興味がありませんでした!

この動画は歴史に全く興味のない大阪のおっさんが、東京観光に来たついでにやめときゃいいのに50ccの原付バイク(HONDAジャイロキャノピー)で東京から大阪に帰ろうとしたドキュメンタリー?動画です。

しかもですよ。出発したのはツーリング日和でもなんでもない正月明けの1月。そう、そうなんです。真冬。

歴史に興味ない
バイクに興味ない
旅程表ナシ
寒がり
腰痛持ち

果たしてこのおじさんは無事に自宅のある大阪までたどり着くことができるのか?を、優しく見守っていただく「シリーズ」です!?

古き良き日本の歴史道、東海道の「東海道五十三次」。みなさんにもぜひシェアさせてください。

★今回の旅が含まれる再生リスト

Mental Breakdown In The Rain But Epic Finish! 【episode 4】winter Road Trip On A 50cc Bike【gyro Canopy】
00:00 (0)舞阪宿
00:32 (1)新居宿
02:15 (2)白須賀宿
03:20 (3)二川宿
04:48 (4)吉田宿
06:28 (5)御油宿
07:38 (6)赤坂宿
08:54 (7)藤川宿
10:23 (8)岡崎宿
11:21 (9)池鯉鮒宿
12:54 (10)鳴海宿
14:08 (11)宮宿
15:46 (12)七里の渡し

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17件のコメント

  1. 編集お疲れ様でーす♪

    ヨッ!待ってました〜🎉

    吐く息、白いやん
    寒い中、🙇お疲れ様でしたね〜

    シリーズごとに編集の💪上げてますすよね〜
    名古屋と言えば、味噌カツ、きしめん、手羽先、スガキヤすーちゃん
    が、しかし、汚い宿で、カップラーメン🥤とは、😭

    人生〜山あり谷あり、壁は乗り越える為にある。
    逆転劇は、次回におあずけか〜🤔
    ٩( 'ω' )و ファイト〜

    Have a Goodday Mahalo !!😎🤙
    (今日も最の幸の1日をお過ごしくだされ〜)

  2. 急に歌うやんwあとTwitter凍結解除まだ?wほんで次の旅に使うキャノピー新車を金に物言わせて買わんでもええん?😃(質問多っ

  3. お疲れ様です😊
    このシリーズはのちに唯一無二の動画になると思います🎉
    インスタに勝手に共有さしてもらいますね😅

  4. 配達系YouTube界の桂米朝!語り部が旅人となり東海道五十三次を行くの巻~!

  5. ありゃ〜😨また大変な事に…😓かろうじて宿泊場所はとりあえず見つかったからまだ良かった😊👍

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