江戸時代の通貨制度 藩札の仕組み【旗本浅野家若狭野陣屋】

え今日のテーマは暗殺ですねえこれまで何 回か説明しましたがもう今日で決定版にし たいと思ってい ますで反発ですがえ左側の ものこれが 文正年間 に旗本麻の若狭の神夜にある殺座で発行さ れたものです文正5年と書いてあり ます右側のものこれ はミキにあった建林市班のえミキ神夜に ある切手解除で発行されたものですで反さ って呼んでますが反さというのは明治に なってからの言葉でそもそも反というのが ですね明治になってから公式に使われ出し た言葉ですの で江戸時代は左側の旗本朝のものも切って て書いてありますし右側の建林市販右神夜 のものも切ってと書いてあり ますではこの反発なんですが 当時いくらぐらいの価値があったのかと 言います とと金一量が銀60問目でそれは全に 6000問とえこれがですねえ皇帝の為替 レートでしたこれ変動するんですけどね 原則は金一両が銀60問目で銭が6000 問です でこれをですね現在の価値に直すのはやり 方色々あるんですがお米なんかでやります と安く出てしまうので大工の日人件費を 使いますで大工さんの日刀保問目4部でし たじゃあ今大工 さん1日働いてもらうといくらかかるかと いうことで大学さんというのはですね スキルのある技術者なんですね江戸時代 ちょっと下え高級取りだったそうです職人 の中ではそうすると今ですねちょっと技術 のある人をですね1日働いてもらうと いくらかかるかということで考えてま5問 目4部というこれに分かりやすいように ですねえ計算しやすいように2万7000 にしますってことは1問目が5000円と いうことになり ますなのでこの 若さ神夜の反発三神夜の反発これはですね 今風に言うと5000円これ5000円札 なんですねでこれは銭に100問なのでと いうことは1問は 50円1問線ってあれ今でて50円玉 みたいなもんですねちょうど穴が開いて ますかねうん1問戦は50円なんや とで60名がですねえ金1両になります からえっと5000円の60倍しますと 3万円あ30万円かになりますから金一両 ってのは30万円ということになるんです ねでこの反発1枚当時5000円ぐらい今

の5000円円札やと言いました がとこの手の銀1問目というですね反 THAがですねよく見かけるんですが他に ですねどういう反発が出回っていたかと 言う と若狭の人野で発行された反発の種類は 分かってい ます金額で言いますと銀5問目1問目5部 3部2部で善で10問目5問目1部あ1問 目1輪とありますでここまでは大阪天王寺 が飛球人になっています保証するわけです ね何かあった時に銀に交換しますというの は大阪の天王寺が保証します一方ここが 大阪天王寺屋ではなくてですね村の有力者 が名前を出しているものがありますこちら は銭1問と3部と5輪 です1部ってのは50000円で5輪って のは250円ですてことはですねえっと 500円とか250円とかまこのクラスの ものは村の有力者の名前でも出せるま 5000円も出せるんですがぱ3部や5輪 があるとこ見るとこれ小額のもの は村の有力者の名前で 出せるで金額の高いものね5000円とか 2万5000円とかこういうものになると 天皇寺者さんの保証が必要だったとあそう いうことなんですか ねでは反の歴史を振り返ります神のかね反 THAがどのようにして江戸時代に誕生し たのかということですけど も反発はですね初め個人が発行した視察 って言んですかから始まったとされてい ますで代表的なものは山田はきです山田 っていうの は伊勢神宮の下宮のある町ですねじゃそこ に推しという 新関権旅行業者とような人がいまし たで異性にはですね伊勢回りの人が いっぱいやってくるんですそうするとね 小学貨幣が足らないんです ね江戸時代ね確か前半は ね江戸幕府は まだ小学兵を作ってなかったのであ1問線 やつね戦国時代からの貨幣使ってるんです けど品質もバラバラやしねそれから量も 少なかったらしい ですあそうそう江戸時代になるとあの幕府 がですね金貨も金貨もどうかゼリもそう ですけど通貨は幕府が作るというねうん そういう体制を取ってですね勝手にですね 作るなと各地でねそういう風になってい ますてわけで小学紙幣がですね小学兵か これがですね足らないんですで伊勢の人ね いっぱいお客さん来ますよねお釣り出す時 に貨幣が足らへんということになってです

ねまあ小学のことやしサインをしてね神に ねうんこれで使ってくださいま伊の街の中 であればこれで使ますからで実際ですね 有力な業者が出したものであればね使え ますよねそうやってたんですでそれがもう ちょっとですね拡大して伊勢まりの宿泊券 クーポン券が発行されるようになりました この推したちがですね地方に行ってねお客 さんを誘致するんです伊勢まり行きません かでその時にですねお金で受け取ったのか 米やもで受け取ったのか分かりませんけど これ持ってきたらうちの宿で止まれます からという形でね宿泊権を発行するんです でこれが便利やということになってです ね神にねそういう価値を与えて通用させる これってなかなか便利じゃないかという ことになってきたんですねで各地でですね こういうクーポン権が発行されるように なります さて次に地方の反の話になりますが さっき江戸時代江戸幕府は金貨とか銀貨と かえ後には銭にもね全部幕府が作るって 言いましたてことはですね地方の大名たち は自分で通貨を作ることができないわけ ですよねじゃあ貨幣どうやって出に入れる のと言うとそれは自分とこで作ったものを 大阪に持って行って売ってま特に年ですね 年前をですね大阪に持っていって売ってで 大阪は銀使ってますから銀が手に入るとで これを地元に送り返すです ねそれで地元の方はですねまブツブツ交換 でもなんとかなるんです が江戸屋敷とか大阪屋敷はこれは貨幣で ないと動きませんので特に江戸屋敷ですね そこで大阪で米売って稼いだ銀貨 を江戸に送って江戸屋敷の経費にすると そういうことをしていたんですでさてこう なるとですね班の中には貨幣をたくさん 持っている班と貨幣が少ない班が出てき ます年のうち大阪に送る量が多い半 は大阪で貨幣を得ることができるが年の うち大半をですね地元で消費してしまう ような班の場合は大阪に米をあまり遅れ ないのでそうすると貨幣が足りないという ことになっちゃうんです ねでこの貨幣不足にどのように対応するか ということと同時にですね江戸時代ね大名 は米に頼り切ってるわけですが米以外の 生産物が徐々に増えてくるんですねそう するとですね反の財政が悪化していくん です財政赤字が出てくるんですでどう しようということになっ て伊勢の商人たち が神のクーポン券出してるやんああいうの を反で出せばえんちゃうかということに

なって観察というものが考え出されました もちろんですね幕府にねえ許可を取ります で最初に幕府の許可を取って観察を発行し たのは通説では1661年の越前福井反と いうことになっていますそご研究が済んで ですねいやもうちょっと前にもあったと いう話もあるんですがま通説でね広く 広まってる説では越前副違反が1661年 に発行したということになってい ますでこの反発をですね良民に渡して良民 が持っている金貨や銀貨を吸い上げていき ます両民には反THAを渡すで良民が持っ てる金貨銀貨は反が 吸い上げるで両民たちは反発を使ういう ことになり ますから日本の江戸時代って実はみんな 反発使ってたんですね金貨や銀貨はですね 反発と交換に半がどんどん吸い上げていき ますじゃその時に反発作るって言うんです けど反発どこで印刷するのという問題が出 てきますよ ねでこの冊なんですけども原盤はね精密に 作りますいい加減なことしますとすぐにね 偽札が出てきますのでねえ紙とかからえ 鍵盤とかインクとかねこういうとこに工夫 せなあかんわけですねちなみに偽札作りは ですね重罪で偽札作ります と極刑になることもあります大変な罪に なり ますでこれは1820年代文正年間のもの ですがこのことになるとですね大体あの 半径がですねえ決まってきますてのは日本 住でね反発が発行されますので大きさが 揃ってないとね不便だからどこの反の反発 もですねほぼ同じ大きさになっていきます 初期の頃の反発はね大きさがバラバラです ねそれからデザインも初期の頃はもう バラバラなんですがだんだんですねえこう いうようなデザインに修練していきますで このハギなんですけどもこれは京都大阪の ですねえ高級な食人に作りますチチなも 作りますとすぐに偽札が出ますの で腕のいい職人にこれを作らせますで印刷 はですねそのまま京都大阪でさせる場合も あるしえハギを持って帰ってきてえ地元で する場合もあるでここに反抗してますね ここも反抗してますねでこういう作業を する役所がですね必要になってそれが最初 にお見せした殺座とか切手解消とか言わ れる役所 ですでこうやってですね殺が流通していく ですけど も所詮神の薩ですのでねみんな がそんなには好ま ない金属の貨幣と反発とあったらそれは

金属の貨幣の方がいいん ですただハがですね反さ疲れていうもん ですから反さ使うんですけどどうしても反 をですね使いわないといけないということ になったにその反の中には信用できる 反何かあったら金貨銀価に変えてもらえる だろうと両民たちが考える反の反発といや ここの反大丈夫かなというですね反発に 分かれますで経済力の弱い反が出す反発は ですねえ価値が下がっていき ますだからこそ反はね両面に対して反 THA使えていうことをですね強制せな あかんわけですで他の反の反発が入ってき ますとあっちの方が信用できるわって風に なりますのでねそうさせないために自分と この反応を反発使わんかいていう風にする んですが大体こういうことやってるですね 力の弱い反の場合は経済力が弱い反の場合 は反発の価値が下がりやすい一方経済力の 強い反があり ますこういうとこはですね 反に自信ありますからで良民たちも反発 信用してますから金貨銀貨と混ぜて使って も大腸ですから他の班の反さが入ってきて も大丈夫 ですから自分とこの反の反はね領外に出て いくこともあり ますで他のねえ犯に自分との反が出ていき ますとまその分儲けみたいなもんですよね うんどんどんつてくれということになり ますでところでこの反発を出す時にですね これは実 は金や銀に直すとどんだけの価値があるん だということをね表示するんですがここを 金で表示したものは金髪と言いますこれ銀 で表示したものは銀札ここ銭で表示した ものは全札って言うんですかね線札って 言うんですかねで幕府がねここね金で表示 すなと銀で表示せえと指導するのでこれも 銀1問目こちらのも銀1問目で書いてます がえ銀でですね表示するものが増えていき ますで さてこのでね殺 ねなんかあった時に例えばハがね潰れ ちゃったとかねそういう時どうなるんだと いうね1番有名な例 は中心ぐの時の朝の赤後半です1700年 頃ですねあ 1661年に反発発行始まりますからそれ から40年後のことで反THAのねかなり 初期の頃なんですがもう赤飯反発発行して たんです ねで朝の巧の神が平高月の助にですね人形 に及ん でで朝の赤飯は断絶します反発はどうする

んやということになってですね朝の赤飯の 中ではね意見が割れますそんなん潰れて もたやんから半時代がもう反発しゃあない やんて今自分たちが持っている反発を発行 して金貨銀貨を両人から吸い上げましたよ よねこれはね多食金でみんなで分け ちゃおうという意見といやそんなことし たらですね領民たちの関係がむちゃもちゃ なるでて 後半まだね復興する可能性もあるんやから あんまり無茶できへんでていう意見と2つ あってで結局6張り返し になりまし た でねえっとその頃はですねだから阿の町で も一般の民は反THAを使ってたことが 分かりますねでここに図作りましたけど 姫路班の中は姫路の反ZUを使います赤班 の中も赤反ZUを使いますで姫路班江戸 屋敷や大阪屋敷はこれ は金貨銀貨使えますので姫路から貨幣を 送りますそのお金はどこで稼ぐかというと 年を大阪に売って稼いだ銀貨銀貨を送り ますそれ で姫路班はですね姫路の反さを使えてい ますね赤飯はアの反ZU使えて言いますね で半から半の境をまたぐ時にここで反ZU を両替えしますでこの反発の両替をしたり 反発を発行したりまいざという時にはです ねえ金銀と観察を発行するとえそういう 役所が殺だとか解除とか言われるものです でとこでさっきの反発1問目の反THAな んですが通貨体系の中に位置づけるとです ねどれぐらいのものになるかという と反あれ銀1問目って書いてますので今ふ に言うと5000円なんですが江戸時代の ですね小番とか1部金とか2金とかそれは どれ価値になるかと言う と5番ですねこれは銀60問目ですの で約30万円になりますでこれをね4つに 切ると1金になりますこれ7万5000 ですねそれをさらに半分に来た2というの がありますこれが1番最低です 3万7千円かって単位大きいんですね1番 小さいもので 3万7千円かって適さないんですねこれ あの商売の取引そういう時に使うんで普段 の生活は全を使うか反発を使いますで銭 重いからね反発の方が便利かということで ね信用できるんやったら反発の方がいいん ですだからほとんど反発でやってたみたい ですね日常生活は江戸時代の後半になり ますとねで次に金貨と銀貨の関係なんです が元々は江戸は金で大阪は銀でで金貨を銀 に変える時は銀をですねこれあのエドバフ

が銀の質を保証したえ長銀っていうのかな これがあってこれでね重さで通ったんです でもめどくさいでしょそんなちい測るの ねそれで江戸時代の後半になりますと1金 に交換できる一部品というのが出ますただ この一部銀というのはね銀の量が少ないん ですこれ今のお金と一緒でね500円と 書いてあるから50000円なんであの 500円玉ねあの中に入ってる金属の価値 なんてねこビビたるもんなんですね私たち が今使ってる50000円玉100円玉 あれ500円と書いてあるから 50000円なん です1両小板とか一部金はこれは金の値段 でいくんです で一部銀2銀作る時にここれは銀の量を 減らし てから一部というのは一金交換権なんです えそういう風にしましたでこの通貨体系の 中に観察が組み込まれていき ますでさてこの観察なんです が反によってですね事情が違うということ をさっき少し説明しましたけどもです ねいくらね領主がね反発使えけって言って も ねこれ財産ですので ね頼りない反発の場合この反発大丈夫かと いうようなですねところの場合はいくらね 領主がね使えて言ってもですねな財産は命 にねかかれなもんですからね命の次に大事 なもんですからねお金は ね良民たちは反発を選びますそこ で力が強いあの経済力があってですね要 儲け犯こういうとこの場合はねの良民たち は安心して反発を使い ますで金か銀貨と混ぜて使って ますで他の班の反発もいやいいっすよって いうことになりますで力が弱くて領主が 強いとこの場合はですね領主の力で 無理やり 使わせ ますただですねこういうタイプのところは ね幼児が無理やり使わせてますからね用民 たちが反THAに疑いを持ち始めると価値 がガクっと下がるん です 一方経済力弱くて領収も弱い場合この場合 はね自分とこの反発使わせたいんですけど ねもっと信用できるね反のね反発がね 入り込んできますこれをね止めるのが 難しい領主の力が強かったらね境目のとこ でね他の班の反は入れないってできるん ですけどね領主が弱いと他の班の反が入っ てきて しまうで次にですね旅ういけど違が強い

経済力の強い半もあるんです両人たちがね 結構稼いでお金持ってるところがあるん ですねで漁師はあんまり力強くないでこう いうとこってねなんとか漁師はね反殺を 発行してね良民たちが持っている金貨銀貨 を吸い上げようとするんですけどねこれ ちょっとね領民たちが抵抗しますね うんというわけでハの中にはま4タイプあ だということなのでだから観察議論すた時 にね一般論としての言えないんですねその 反あるいは大え旗本によればというところ になるんですでいずれのせをですねうんと 領収の信用だけではですねいいのところが あるん ですで反をね信用させると思いますと領主 よりももっとね信用できる人に金銀の交換 を保証させればいいん ですそこ で商売人に保証させることが始まりまし た例えばこのお札ね大阪天王寺が保証して います旗本朝のけかうん今頼りないかま 大阪天王寺屋さんやったら大丈夫かなちな もんですねでここがです ねより強い今商人大阪河野池とかねそう なりますとあ全国通用しますねあ河野池 さんが保証してくれてるんや大阪でも 大丈夫ですよていうことになりますよね そういう風 に強力な証人と手を込みますとそこの反さ は流通力が強くなりますということで殺が ですねどれだけ民にに信用されるかという のはまずそこの班 がどれだけ収入を得るかということが1 これは大阪のですねえ米を売って収入が 入ってき ますこれはですね確実な収入なの でで小判人たちもねこれを見込んで金かす んですね大名たちにいざとなればオタクが 大阪に送ってくる具を担保に取りますよと いうことでじゃ大名さんにお金お貸しし ましょうかということをやってるんですで これでですね大名さんと大阪の商人と 結びつきができますとうちの反THA オタク の保証をつけてくれへんかともちろんそれ そうのね美味しい利権与えますよとうんま 反のねビジネスをオタに任せるとかねそれ から暗殺ってね発行するでしょい全額ね金 や銀に交換されるわけではないの で金銀が100あったら反を100発行 するわけではなくて全部交換に来るわけで はないから金金が100あったら150と かね200とかね発行できるんですあ あんまり発行しすぎる と怪しいなってなりますけどねま多少は

ですねえ増やしで発行できるんでその分は ま通貨発行域というかまそういう旨みも あるんですねでえ商売人がですね大名との 契約で保証しましょうということになり ますでこれに19世紀に入った頃にです ねもう1つ 手段が加わりました要するに反の収入が 多ければねいいわけですのでね今まで米 だけ売ってた でしょだから玄関あるんですね年空いてま ほぼ決まってますので ねではうちの班でしか作れないもん作って 大阪に行って売ったらええや ん特産品ですね例えば醤油とかそめとか 金物とかえ薬とかもめと かそういうですね大阪で売れるものを作っ て大阪に売るそうすると大阪で金貨や銀貨 を獲得できるとそうすると経済力が強く なるとで各大名たちはですね特産品開発だ というようなことを言い始め ますま高校の教科書でも ね18世紀の真ん中辺ぐらいからかな大名 たちはですね財政危機に苦しん でで反省改革をやりますて反省改革やる時 ね出てくることってほとんど決まってます ね1とりあえず 契約それからねえっと特産品の省令あその 前に教育やるんです まず賢いね人たちを育てて帰らに特撮品 暮らすのでね教育 だで武士の子供たちだけではなくて農民の 子も商人の子もね反抗に入学させ てえ農民や商人の子もね反抗に入学させて 教育をつけようとでそん中ですね新しい 技術をマスターした子供がね出てくるかも しれんでしょで教育に地を入れますえ そして特産品を作ってね大阪に売りに行く ん ですま今で言産業立国です ね昭和20年代ね日本がまだ貧しかった頃 ね私がね小学校から中学校の頃かな日本ね いっつも輸入釣果でねドルがないドルがな いって言ってましたうん1ドル360って いうでしょあれ1ドルは360に変わるん ですけど360は1ドルには変わらないん ですなんでかと言うとドルはアメリカのお 金でだからで日本がですねアメリカに何か ものを売ってドルを手に入れてそれを円と 交換するわけですから日本が輸入長古やっ た頃はね銀行に行ったってドルなんかあり ませんだから1万円札出してもね交換する ドルがありませんていうことだったんです ね今日本釣果ですのでねドルいっぱいあり ますからいくらでも1万円札とドルに変え てもらえますけどねという風

に今で言うと輸出力のある国江戸時代で 言うと江戸大阪に物を売って金貨銀貨を 獲得できるような班ここ はいわゆる 勝ち組産業立国移出立国になったわけです よ ねでここでね特産品を ね作る時にですね反さをねうまく使うと いうこれは ね確信ですねイノベーションが起きます どうやって使う か特産品を製造業者から買い入れてでこれ をですね半がですね売品にしてねえを大阪 に持って行って売るんですでこの時にまず 特産品を作らなあかんでしょその時お金が いるんですここで反発を使います反発を 作ってこれを渡してで製造業者に作らせて でもめとか塩とかロとか薬とかそれを 買い上げてで班が江戸大阪にいってまほぼ にほぼ大阪ですけどね大阪に持っていって 売りますそうすると金貨銀貨外貨が稼げ ますこれでですねこの 反発の交換に備えるんですで江戸大阪で ですね班がねがっちり稼いでるということ が分かればですね製造業者たちもこの反は 信用できるということなので引き換えて くれとはなくなるです ねでこれでね大成功したのが姫路犯 で姫路班 は可愛寸のという人かなというですね偉い カさんが現れてねもめんやともめんをです ね大阪に売ろうとでも大阪に行くとです ね従来のルートで叩かれてしまうから江戸 に持って行ったろうてです ねでまず観察発行して姫路の業者にもめ 作らせてこれを江戸に回し てでごっつ儲けてです ね何年分という借金ったんですよ年収のね 姫路班ねそれを一層してです ね黒地財政に転換しましたでこういう風 に反を使ってでお金を生み出して ファイナンスですねでこのお金を使って 産業 を盛にしてでそれを江戸大阪に持って行っ て打って儲けるという ねそういうことを行うようになるんですで これに成功した班はです ね爆発に向けてえ強力な力を持った班に なっていき ますそのために発行されたのがいう反で あったとま我が ね若さの佐家の場合特産品ね何しとったん かなって思いますけどねどうの開発なんか やってたようですけどねうんこれから調べ てみようと思うんですけどもミキの場合は

金物という ねのこぎりと かのみとかカナとかねそういうえ商品が ありましたということでで今日は終わりに したいと思います電話変ってきたので ねはい電話が入って中断しちゃいましたが どこまであ そうそうでそういうことでですね反発を 発行してそのお金を元でにして特産品を 作ってでそれを江戸大阪で売ってという ことなんです が我が赤我が若さの朝野家の場合はですね 何を特産にしたんでしょうねうん同山開発 なんかやったみたいですけど ねこれから調べたいと思いますでミキの 場合は金物です大育道具ですねイメージの 場合はもめで設けまし たそれ でこういうことしようと思いますとね反 THAを扱う役所がいります ねで 1820年代ぐらい文正年間に各地に殺座 とか切手会所とかそういう役所が作られ まし た建林市班三神やの切手解 です姫路班のね切シはね太平洋戦争中に 空襲で燃えてしまいました姫路城のね中堀 の近くにワタのねえ産業をやるたちが 集まって行ってですね今渡町という地名が 残ってます が渡町にありましただ残念ながら空襲で 燃えてしまったとから旗本麻若狭の人夜の 殺座 ですえ三神夜の切手会社も若狭の神夜の殺 座も ね似たような作りになっていますでね インターネットでね調べた限りではサダと 呼ばれる建物 は若さの人夜の殺だ1つなんです切って 会所と呼ばれる建物もミキ神夜の切手解消 1つなんです ですね反発関連の建物がこの2つしか残っ てないとするとねこれ貴重なもんやと思う んですけどねうん三神夜の方は三市が きちっと管理して国の登録有文化罪にして い ます若狭の神夜の方は ね愛用師はあこんな建物残す価値がないと 文化財保護審議会が言うの でほったらかしなって てこれやっぱり残す価値あるんちゃうんと 思ってね私はねこれをね7年前からなんと かしと思ってるんです けどえ雨森がねちょっと始まったんでこれ いかんということでですね今クラウド

ファンディングでね屋根を直す全面修理は ねすごい金かかるのでとりあえず雨森を 止めるね修理をしたいと思っていますの でま反発の話をしてですねこう殺座という この建物にね歴史的価値があるんやという ことをね理解していただけたらですねこの 殺座をですね残すクラウドファンディング に協力いただけたらなと思い ます 次にこの殺や切って会社の中はどうなっ てるんだというね話をし ます旗本麻若の神夜の殺 です下は建林市班松田だけメ神夜の切手 解消 ですさは若狭の神夜の中にありますこの 切手会所はですね 今この右側のとこに建物立ってますがここ がねミ神夜だったんで神夜に隣接してこの 切って会所がありましたどちらの屋根もね 少しねカーブがかかってるでしょこれ むくり屋根てね高級な屋根なん ですであいの若さの人夜の殺の方は愛用市 の文化財方針会がほとの価値なしと言っ てるので放置されてますが 三士の方は三士がですね所有してで整備し てで文化剤にしてで観光ボランティアのね 活動拠点にしてい ますで殺の方はですねお寺になったり色々 改造されてるんです がそれはそれでね味があるんですけど ねミキ神夜の方 は明治になってタきけという有力な商人が 買ってで自宅として使っていたのでえほぼ ですね江戸時代の様子を中もね残してい ますで行ってみたらですねまこんな感じか なというのが分かりまし たで間取りはね似てます ねドマ構造 ですかねでねこれ入りますね入るとね店の 場があるんですねでね乗客はねもう1個中 に入ると玄関があるんですこっから座敷 上がるんです ねこれが乗客が 上がる玄関 です普通のお客様 は店の場で取引をする乗客は1個に入って ここから座敷に上がって取引をするん ですで こちら若人の殺ですがこれ江戸時代の絵図 面があり ますで一般のお客様は門入ってドマのある とこに進んでここにですね上がりが待ちが あってここでまこういう感じであこういう 感じですですね上がりがちがあってですね こう上がりがちですねこういう感じで取引

をし ますこ乗客は門を入ってですねここ から上がって座敷で話をし ますで今ねこれ回送されてね一見一緒に 見えますけどねこれ沿岸感じがねよくよく 見るとねここは ねいいもの使ってる ですこの右側の部屋と左側の部屋とね物が 違うん ですこれ玄関からね座敷へ乗客が使う部屋 と一般客が使う部屋は作りが違うん ですあこれ玄関と書ありますかこれ ちょっと違いますねこれは 台所 ですこれ大所です ねで今ね大所はです ねこれ台所でで台所は今です ねコミンカカフェになってい ますぬしうまいねこの大所のとこここがね こうに こう観光ボランティアの人たちがここに 座ってねでコーヒー入れてくれてでここで ねコーヒーとか紅茶が飲めるという コミンカカフェになってい ますからクがありますね若狭の神夜の方も クラがあり ますで三にあのミの切って会所のこの奥の 方これは明人て増築されたもん ですとまそういうことでですね中の方も こういう感じではないかということをねお 見せしまし たこの プザサザですこの殺をですね残すためのえ クラドファンディング今やってますのでえ 協力していただけると ですで今 ねシリアに頼ん で足場を組んでねここから直していくんで ここ の調査をしていますどれぐらい傷んでいる かなっていうことでね うんこれ足場もねこ組んだまましておくと 費用かかるんですけどもここはまあ知合が 持ってるの でね自分のとこにある資材でとりあえず なんとかしてあげるわということで うん材料費は出すからねこの屋根ねえ全体 のチェックしてですねそれ で守りそなところをねあらかじめ防いで おきたいなとうん建物って守りしなければ ね持ちますのでね うんこういう感じになってい ますでクラウドファンディングでお金が 集まればまそれと同額のお金を私が出して でそれで屋根のですね応急修理をし

てでいずれはねこの建物を全部ね直し てで何使うかと言うと ねあのやっぱり人がね集まってこないとね 維持費がね出てこないのでね人をね 集めようと思っててるんですけど観光地に しようと思ってるんですけどねうんここね 観光地にねなるね可能性ね実はあるん ですなんか空いてとこないか [音楽] な 僕その神夜って ねこのオレンジになってるとこねここが 旗本朝家の車両 です3000国ありますねで朝の後半が これみんな持てたんです けど朝の後半が断熱した 後旗本朝野家だけここに残ったんですから 赤朝のってで断熱したわけじゃないね本家 はなくなったけど文化がね若さと加藤具の 飯原にあってでこの2つの家が爆発まで 続きまし たでねこの辺 に人野があるんですねでここからね観光 コースね2つね作れるんです1つはね 赤工場 がここにあるのかな赤城へ向けて昭和26 年まで ねこういう風に ねア鉄道とのが走っとったんですでこの赤 鉄道のね配線跡をサイクリングして赤城へ 行こう途中さしなんてね観光名所もあるし 若狭の人やから作手を経て赤城まで赤鉄道 の配線跡をサイクリングしようこれが1個 考えられるでしょうもう1つは ねこの辺がね当時百合文助で有名な室町 時代の東次郎矢野シなんですで矢野シをね 見てまりましょう少年っってあんまり行っ たことないでしょでこういう風に若のから 工場へ行く江戸時代のコーストそれから 歴史を遡って歴史を遡ってかなうん小円 東次郎やの少を歩いて見て回りましょうと いうコースト2つあるんですよ ねでどちらもね人気のあるコースになると 思うんですけどねうんネックは1つここに ね愛吉と赤のね境目が走ってるんですよね ねうんで赤師は中心ぐで観光をやりたいが 若狭の神夜が愛市のに入ってるのでうんま しゃあないな愛用師の方にあるものに赤師 が手を出すわけにはいかんで愛市は ねあまり歴史なんかに興味ない町でねこの 街 はで若のじやって言ったてあれね赤朝の むんやんかていうねうん私らアはさんの ちゃうしって気持ちがあるんですかねあ いうしねでや省についてはま興味がないん

でしょうあいうの人はねということがあっ て ね うまそこがネクやということですけど まあまあね諦めずコツコツ若の人野をねえ 守っていきながらいずれは ねここは観光コースになるとうん思ってい ますどう考えたってねあいあこいずで合併 しますよね人口どんどん減っていきよう からねうんでこの境い目がなくなればね おい真面目に韓国開発やろうぜってこと なったらねさっき私が行った若狭の人夜 から赤城へ中心ぐコースから若の神夜から 東の方へ東次郎やのしコースこんなんね他 の蜂にやったらね一生懸命売り出すような ねコースなんですよなんせ藤次郎矢野シ って全国的に有名ですからねうん赤はその も有名ですからねそういうあの朝野家の 人屋あの登場親ののしなのに ね手数で眠ってるんですねうんということ で今日のお話は終わりにしたいと思います はい見てくださった方ありがとうござい ました失礼し ます

若狭野陣屋クラウドファンディング
https://readyfor.jp/projects/wakasanojinnya
藩札について、いくつか動画を作ってきましたが、これが決定版です。
#旗本浅野家若狭野陣屋 #藩札 #クラウドファンディング

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