【総集編】冤罪事件、冤罪が疑われる事件

え全国の皆さんご機嫌ようパンダ紳士です 本日は過去に出した動画から冤罪事件冤罪 が疑われる事件を総集編としてまとめてみ ました長いのでラジオ感覚で聞いて いただいてもオケですしじっくり聞くのも ありです是非最後までお付き合い いただければと思いますでは早速最初の 事件和歌山カレー事件どうぞ1998年7 月25日園部地区で行われた夏祭りで提供 されたカレーを食べた67人が腹痛や 吐き気などを訴えて病院に搬送され小学4 年の男子児童と高校1年の女子生徒園部第 14自治会の会長と副会長の4人が死亡 するという無差別殺人が発生しました被害 者は会場で食べたもの自宅に持ち帰って 食べたものなど症状が出たり王とした場所 も様々だったそうです症状が出始めたこと で異変に気づいた参加者がカレストップと 叫び一連のオートがカレによるものと発覚 しました当初保健所は食中毒によるものと 判断しますが和歌山県警は土砂物を検査し 生産の反応が出たことから生産中毒による ものと判断しますしかし症状が生産中毒と 合致しないという指摘を受け警察庁の科学 警察研究所が改めて調査して基礎の購入が 判明しましたそして1998年10月4日 地人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の 容疑で元保険外交員で主婦の林マが元白女 業者の夫と共に逮捕されましたさらに12 月9日には彼への秘の購入による殺人と 殺人ミスの容疑で再逮捕されますそして 12月29日には和歌山地方検察庁により 殺人と殺人未遂の罪で和歌山地方裁判所に 起訴されることとなります起訴後林は容疑 を全面否認したまま裁判へと望み1999 年5月13日に和歌山地裁で第1審初後半 が開かれました裁判で検察側が提出した 証拠は約1700点一新の改定数は95回 で約3年7ヶ月と長期に渡りましたさらに 2審から決心までは12回を用しました 裁判では直接証拠も同期の解明もできてい ない状況の中上告心で弁護側が地域住民に 対して無差別殺人を行う同機は全くないと 主張したのに対し最高裁は判決で同機が 解明されていないことは被告人が犯人で あるとの認定を左右するものではないと 述べ同期を解明することにこだわる必要が ないという姿勢を示しますそして2002 年12月11日に開かれた第1審判決後半 で和歌山地裁は被告人林の殺と秘購入を 認めた上で4人もの命が奪われた結果は あまりにも重大で遺族の普通なまでの叫び を胸に刻むべきだと断罪し検察側の休憩 通り被告人林に死刑判決を言い渡しました これを受け林は判決を不服として大阪高等

裁判所に即日控訴します2005年6月 28日の高訴心判決で大阪高裁はカレ事件 の犯人であることに疑の余地はないとして 第1審死刑判決を指示して被告人林側の 控訴を棄却しますこれに対し林は判決を 不服として即日最高裁判所に上告そして 2009年4月21日に開かれた最高裁で は鑑定結果や状況証拠から被告が犯人で あることは証明されたと述べ林側の国を 棄却林は2009年4月30日付けで死刑 判決の破棄を求めて最高裁判第3勝法廷に 判決の訂正を申し立てますが申し立ては 2009年5月18日付け決定で棄却され たため同日付けで林の死刑が確定すること となりますこれにより林は戦後日本では 11人目の女性死刑囚となりまし た林は1961年7月生まれ出身地は 和歌山県有田市の小さな漁村で3兄弟の 末っ子で兄が2人いました父親は地味な タイプ反対に母親は社交的な真な性格だっ たそうで母は保険の外員として働き 1995年10月に脳卒中で死去してい ます林が保険の外交員をしていたのは母親 の影響もあったのかもしれません両親は 共働きのため忙しく幼少期の林はあまり 遊んでもらえなかったそうですしかし住ん でいた地域では珍しかったピアノを買って もらい小遣いも多くお金に不自由なく育っ ていきますまたよく家の手伝いもしていた そうです性格は明るく可愛い子供である 一方で負けず嫌いな麺もあったようでした そんな林の春は打ち切れ恥ずかしがり屋な 反面負けず嫌いが強くなっていきます普段 は穏やかですが怒ると収集がつかないほど ヒステリーを起こすという大人しいけど 切れると怖いタイプだったそうです高校は 和歌山県立美高校に進学卒業後は大学付属 の看護学校に進学しましたそして林が2年 生の時現在の夫である林健二と出会いまし たこの時彼は35歳で19歳だった林の 年齢差は16もありましたこの時の彼の 職業は白女会社の社長で既婚者でした彼は 既婚者でありながら派手な高級車で迎えに 来ては20万円もするネックレスなど高級 なプレゼントを林に渡すなど彼女に 入れ込むようになりますまたギャンブル 好きで数百万単位でつぎ込んだりもしてい ましたそんな金持ちで自由に金を使う林 健二に彼女は惹かれていきます1983年 林が22歳の時2人は結婚します林健二は 前の嫁と離婚しこれが3度目の結婚でした しかしいざ結婚してみると夫の本章が見え てきます彼は切れやすい性格でDVオット でした結婚式で行き違いがあり恥を欠かさ れたと怒って林を平手打ちしたりと新婚

生活のスタートはDVから始まるという 最悪の形で幕を開けますこうして始まった 新たな生活の新居は家賃3万円のアパート で夫婦友働きの貧乏生活でした林は ウェイトレスや化粧品販売で生活費を稼い でいましたそして結婚2年目の1984年 新築1戸建てを3500万円でロで購入 長男と長女も生まれましたそんなおり夫の 会社が倒産してしまったことで林はそんな 夫を憎み文句を言うようになり立場が逆転 しますそんな中お金に困った夫婦は保険金 詐欺を行うようになりますその手口は夫が バイク事故を偽装して22万円林が バーベキューに自転車で突っ込んで両足を 火傷したと偽装して459ままた時には夫 自ら訴をのみ保険金を騙し取るなど非常に 悪質なものでした最終的に林が保険金詐欺 で搾取した金額は8億円にも登りますこう して詐欺を繰り返しながら一家は贅沢な 暮らしを続けていましたそして事件の日を 迎えますここまで見ていくとそれまでの 行いからも彼女が犯人であることは疑う 余地もありませんではなぜ冤罪であると 言われているのかまず第1に彼女は逮捕 直後から一貫して反抗を否定しています 1度も罪を自白していないのです次に同機 がはっきりしないことです無差別である ことから保険金目的とは考えにくくまた これまでの行いや当日カレ版をしていた ことからも基礎を入れれば自分が疑われる のは明らかですそのような状況で反抗に 及ぶ同機もメリットもありません犯罪心理 学的に言えば保険金詐欺を行ってきた林増 は計画的な知能犯であり今回のような無 差別殺人を起こすとは考えづらいと言え ますそして次に物書です事件発生当初集団 職中毒と5人されますが翌日被害者の土砂 物や体内から生産化合物が検出されたこと から生産カレ事件と報じられています そして事件から1週間後ヒソも購入されて いたことが判明したのですつまりヒソと 生産仮の2種類の毒が購入されていたと いうことになります起訴の購入が判明した ことで過去の林の保険金詐欺が明るみに なり林とカレ事件がつながり逮捕となり ますしかし一方で生産仮の存在はフェイド アウトしていくことになりますこれについ て警察は生産加合物は購入されていたもの の犠牲者たちの死因は秘だったと発表し 最終的には生産加合物は購入されてい なかったと当初の発表を否定したのです 本当に生産管理が含まれていなかったのか 含まれていなかったのであれば最初の発表 は何だったのかその辺りの真相は不明な ままなのです次に警察の連日の厳しい

取り調べです林が夫に送った手紙には容疑 を否認する林に対して警察が行った 取り調べについて関らに書かれています その内容は以下の通りです1人の刑事が やりましたのゴムをかけと言って座って いる私の左腕を思いっきり殴ってきた私は 殴られた時目が覚め立って右手をグーにし て思いっきり刑事の左ほっぺたを殴り返し てやりました迎えにいてた他の刑事は 殴り返したことにとても驚いていた私を 殴った刑事は私に殴られたことで刑事の プライドがとても傷ついたことを理由に 激しく暴れてそこらを蹴飛ばして出ていき ました私のことを殺しちゃろうかというの で根性あるなら今ここで殺せと言ってやり ました他の2人の刑事は私にえい根性した 女やなと言ってきたけれど私は4人の子供 がいたからとても強く3ヶ月折れました 最後の方には無理やりボールペンでやり ましたと欠かされそうになったことも何度 も何度もあったこのように林は容疑を否認 する自分に対し警察が自白を共用していた というのですその後も片に容疑を否認し 続ける林に対し警察は東京理科大学理学部 応用科学教授の中井泉氏に夫がかつて所持 していたドラム間入りヒや林所有の訴事件 現場で応酬された紙コップに付着していた 秘等の鑑定を依頼しました結果これらの 起訴が同一であるという結論を導き林が 自宅台所にあった秘そを紙コップに移しれ て運びカレー鍋に購入したという検察の 筋書きを裏付けました林の死刑確定後最新 請求を行った弁護団は蛍光X戦分析の第一 任者である京都大学大学院工学研究家教授 の川井純司に中石による鑑定書に対する 解説を依頼しますこれを受け川石師が独自 にヒ素の再鑑定を行ったところ林卓の台所 にあったヒ素は不純物が含まれ低能度で あるのに対しヒ素を運んだとされる紙 コップに付着していたヒ素は75%と高 濃度であることが判明します当然ですが低 濃度のヒ素を紙コップに移しても高濃度に はなりませんまたヒ素を摂取したり接触し たりするとその痕跡が猛烈に残るため検察 は林の発の鑑定も行い有罪の根拠としたの ですが川はこの鑑に対しても疑義を唱えて いますこうして弁護団は2013年2月に 秘鑑定に対する反省を盛り込んだ最新請求 補充書2014年3月には川石市による秘 の鑑定書を和歌山地裁に提出しました しかし2017年3月27日和山地裁は 中石の官邸の証明力が減退したこと自体は 否定しがいがそれだけで有罪認定に合理的 な疑いが生じるわけではないとし最新請求 を棄却しましたこれに対し弁護団は大阪

高裁に即自広告を行うとともに基礎鑑定を 行った中石を相手取り6500万円の損害 賠償を求める民事訴訟を提起しました民事 訴訟は最新への突破校となるのかそれとも 林はこのまま大阪高知書で一生を終える ことになるのかいずれにしても和山カレー 事件の争いは今もまだ続いていますはいと いうことで和歌山カレー事件を見て いただきましたがもうこの事件が発生して から今年で25年だそうです早いですね 動画内でもお話し通りこの事件の犯人で ある林増に関しては冤罪なんじゃないかと いう声も根強く残っていて彼女の死刑が なかなか執行されないのはそれが理由なん じゃないかとも言われているようです じゃあもし仮に彼女が犯人じゃなければ 一体誰が犯人なのって話なんですけどえ よく言われているのがマ容疑者の事情飲食 店経営者近所の中学生などだそうですが どれも信憑性は低く正直ないなという印象 でしたじゃあやっっぱり増容疑者の反抗か と言われれるとそれはそれで疑問が残り ますやはり事件当時秘は誰でも手に入れ られたことや動画でも触れましたが反抗に 使用された秘とマ容疑者の所持していた秘 の種類が違うということを最近でも多くの 専門家が指摘していますそもそも当時この 地域では外注駆除のために住民に秘が配布 されていたそうでそれぐらい規制も緩く誰 でも手に入れることができたようなので 反抗に使用されたものとマ容疑者の所持し ていた秘の種類が違うのであればいよいよ 冤罪の可能性も高くなったのではないかと も感じます正直真相は分かりませんがもし この事件が冤罪なのであればその代償は あまりにでかいと言わざるを得ませんと いうのも2006年マ容疑者の長女と次女 当時4歳が橋から飛び降り自ら命を立っ てるんですねしかもこの事件の直前という か当日にこの長女の長女当時16歳も 亡くなっているんですこの長女の死に関し ては離婚した元夫の虐待によるものらしい んですけどこの前の夫もその後服役自殺を 図っていてもうぐちゃぐちゃなんですよね マ容疑者からすると自分の長女そして孫に あたる女の子2人3人が一気に亡くなって いますもちろん彼女たちの主に関してカレ 事件が関与しているとまでは言えませんが 増容疑者の長女は死刑囚の娘であることに 非常に後ろめたさを感じていたそうなので 全くないとも言いけれませんよねまた増 容疑者の長男に関してもYouTube などのメディアに出演し母親の無罪を主張 するなどの活動をしていますが多くの誹謗 中傷に胸を痛めているそうです仮にマ義者

が有罪であったとしても誹謗中傷をして いい理由にはなりませんよねいずれにして も本当の意味でこの事件が解決すること そして増容疑者の長女のような悲劇が2度 と起こらないことを願うばかりですちなみ に余談ですがこの事件があった地域の小 学校の給食には現在でもカレは出ないそう ですはいということで次の事件鈴鹿殺人 事件どうぞ2012年三重県鈴鹿市に住む ネットショップ経営者の男性辻本彦さん 当時38歳が何者かに殺害されるという 事件が発生しました辻さんは後頭部をドキ のようなもので何度も殴られており自宅の 敷地内にある事務所で亡くなっていました 警察は何者かが辻さんを殺害したとして 捜査を開始すると事件発覚から4日後1人 の男性が逮捕されます逮捕されたのは辻 さんの会社の共同経営者である加藤英二 被告当時34歳逮捕後加藤被告は容疑を 否認し無実を訴えますが結局その後の裁判 で有罪判決を受けてしまいますしかし刑が 確定してから現在に至るまで無実を訴え 続ける加藤被告彼は本当に犯人なのか今夜 はとある田舎町で起きた冤罪が疑われる 事件を見ていきたいと思い ます2012年11月13日鈴鹿市山本町 の辻本彦さん卓で事件は起きました現場と なった辻家はお茶畑の広がるのどかな三尊 にある一軒屋で辻さんは両親と3人で生活 していました辻家ははオヤと別に離れが ある作りで当時両親は主屋で辻さんは離れ で生活しており離れは自身が運営する ネットショップの事務所としても使用して いました事件前日の11月12日午後4時 頃辻さんは食事に行くと告げ車で外出日付 が変わった13日午前1時頃帰宅し午前2 時頃にオヤで入浴しています同日夕方に なっても車があることを不審に思った母親 が辻さんの携帯に電話するも反応がなかっ たため相かで離れのドアを開たところ後頭 部から血を流して倒れている辻さんを発見 母親はすぐに鈴鹿書に通報し所員が 駆けつけますが辻さんはすでになくなって いました警察は遺体の状況から辻さんが 何者かにドンキのようなもので殴られ死亡 したと見て殺人事件として捜査を開始する と4日後の17日警察は辻さんの共同経営 者で会社役員の加藤英二容疑者を殺人容疑 で逮捕します加藤容疑者は事件のあった 13日の午前中辻さんの事務所を訪問して おりこの訪問時間が辻さんの死亡推定時国 と近いことから容疑者として浮上また加藤 被告は辻さんに390円を貸しており辻 さんはこの借りたお金の返済が滞るばかり かそのお金で高級時計を購入するなどし

このことが加藤被告の殺害同機とされ大保 に至りました逮捕後加藤被告は事件当日の 午前中に事務所を訪問していたことは認め たものの滞在していた時間はわずか10分 程度ですぐに立ち去ったと市長さらに辻 さんを殺害したと思われる狂気は見つかっ ておらず加藤被告は殺していませんと一貫 して容疑を否認しましたそんな中加藤被告 の裁判が始まり ます2015年5月19日津地方裁判所 にて加藤被告の裁判院裁判が始まります 67日間という裁判院裁判としては慰霊の 長期裁判となった本件の裁判でも加藤被告 は無罪を主張し続け検察弁護側が全面的に 争いましたそして迎えた7月24日の判決 後半にて裁判長は強固な殺に基づく悪質な 反抗罪に向き合う姿勢が見られないとして 加藤被告に懲役17年を言い渡しました 判決が言い渡されると膨張石から裁判長 裁判官裁判院に対しお松だな重大な間違い を犯したこと考えろよこんなひどい判決は 初めてだといった講義の声が上がり加藤 被告は大抵時に直に控訴しますと裁判長に 告げましたまた平定後弁護士が結論ありき の茶番裁判と皮肉を述べるなど判決に対し 多くの批判の声が集まることとなりました その後加藤被告は宣言通り控訴したものの 日の名古屋高裁さらに2018年7月の最 高裁でも控訴は棄却され懲役17年の刑が 確定しました加藤被告は本当に犯人なのか 事件後加藤被告の両親を中心に加藤英二 さんを守る会が結成され本件は警察によっ て作り上げられた冤罪であると主張してい ますここからは同会員たちが加藤被告が 無罪だと主張する根拠について見ていき たいと思います 1相か実は本件の犯人が加藤被告であると 決定付ける最大の証拠となったのは殺害 現場である自宅県事務所の相加でした遺体 発見時現場は施錠されていたことから犯人 は辻さんを殺害後鍵をかけて逃走したと 考えられましたそしてこの相かが加藤被告 の車内から発見されたのです辻さんの部屋 の相かは5本セットで売られていたもので 事件前は辻さんが4本所持し辻さんの両親 が1本所持していました事件後辻さんが 所持していたうちの1本は加藤さんの車内 で1本は事務所プリンターの上でキー ホルダー付きで発見されていますそして 残りの2本は事件から2週間後にシューズ ラックの上のウエストポーチの中と置物の そばの手下バッグの中からそれぞれ発見さ れました発見された車内の相についても 加藤被告は知らないと主張しており加藤 被告は警察が車両検証に立ち合わせてくれ

なかったことや取り調べ中も警察がこの 相加について一切触れることがなかった ことから事件後警察が車内に仕込んだもの だと考えているそうです実は検察官が提出 した鍵の証拠写真と裁判所に提出された 現物が違うものであったことが後の鑑定に よって判明しており警察側にも不可解な点 があったことも事実です2開立現場検証を した警察官の報告書には犯人は被害者の 血液を相当な量浴びていることが想定さ れると書かれていましたしかし一新裁判で 検察は帰り地についてほとんど浴びてい なかったと主張し始めます現場は辻さんの 遺体を中心に結婚が飛び散っていたことは 事実でありまた辻さんはドンキのような もので何度も殴られていることから仮に 帰り地をほとんど浴びていなかったとして も狂気を持った手にも全く結婚が付着し ないというのは考えにくいと言えます しかし加藤被告の体や衣服そして車内から も血液に反応するルミノール反応は一切 ありませんでした3見つかっていない狂気 戦術した通り辻さんの死因はドンキのよう なもので何度も殴られたことでしたそして 警察は事件後狂気はモンキーレンチだと 発表発表していますそしてこのモンキー レンチは事件の数日前辻さんが加藤被告に 購入するよう依頼していたもので加藤被告 は購入時会社の領収書を切っています そしてこのモンキーレンチは現在も発見さ れていませんそもそも警察は狂気の捜索を ほとんど行っていないのですまた遺体の傷 に関しても解剖位がモンキーレンチと非常 によく一致するとした一方で弁護側が写真 鑑定を依頼した医師は複数の特徴の傷が あり1つの凶器にとらわれない方がいいと 複数の凶器がある可能性を指摘しています 4反抗時刻事件当日の午前中の加藤被告の 行動が防犯カメラなどによって確認されて います午前9時過ぎ辻さんに電話午前9時 44分弥富インターに入る午前10時13 分鈴鹿インター着午前10時16分鈴鹿 インター出口を右に曲がったコンビニでお 茶と軍手を購入午前10時28分辻3択へ 到着したと思われる午前11時5分鈴鹿 インターへ入る午前11時40分名古屋南 インター出口着加藤被告が辻さの事務所に 着いた時刻についてはコンビニ事務所間の 距離から考えられたもので退去時刻につい て加藤被告は午前10時38分には事務所 を出たと証言していますが検察の検証の 結果午前11時5分に鈴鹿インタへ入るに は遅くても10時52分には事務所を出る 必要があるとされていますつまり加藤被告 が事務所に滞在した時間は午前10時28

分から最大でも午前10時52分の24 分間これは反抗を行うことが十分可能な 滞在時間だと言えますし仮に加藤被告の 証言通り午前10時38分に事務所を出た としても10分での反抗は不可能ではあり ませんしかし後に加藤被告が滞在していた 時間帯に辻さんが生存していた可能性が ある証拠が浮上します実は午前11時34 分に辻さんのスマホにメールが届いており これが既読になっていたことが判明したの です先述した通りこの時間加藤被告は高速 道路を走行していたたことが分かっており この既読が辻さんの生存を証明することと なれば加藤被告が犯人でないことも証明さ れますこれは極めて重大な証拠ですが検察 側はこの既読を捜査員による捜査ミスと 判断後の最高裁でも捜査関係者のご捜査で 既読になったと認めるのが合理的として 弁護側の主張を知りとけていますしかし辻 さんのスマホにはパスコードロックが設定 されていたためむしろ辻さん自身による 操作と考えるのが自然で合理的だと言え ます5不倫相手の証言加藤被告は既婚者 ですが事件当時不倫相手がいたことが判明 していますもちろん不倫は良くないですが 不倫をしていたから犯人であるとは言え ませんしかしこの不倫相手の女性が裁判で 事件当日加藤被告に頼まれてスーツを公園 のゴミ箱に捨てたと証言しましたしかし 加藤被告はこれを否定スーツの処分は頼ん でいない過去の記憶と感動しているとし 事件前後も同じスーツを着用していると 主張しましたまたこの女性が証言した公園 のゴミ箱は事件当時は撤去されており彼女 の証言は信憑性が低いと言え ます本件では時見後冤罪が疑われる数々の 可能性がありながら加藤被告への判決は 有罪となりそれは最後まで覆えることは ありませんでした加藤被告が犯人であれば ルミノール反応が出ていない点には大きな 疑問が残りますし何よりメールの既得に ついてはロックがかかっていたことから やはり辻さん本人が捜査したのではないか と感じますこれについては捜査員が謝操作 したという証拠は何もなくどの捜査員が どうやってロックを解除したのかも明らか にされていませんそして何よりロックを 解除して既読をつつけるという作業が誤っ てという範囲の行動と言えるのかと感じ ます車内に相かがあったことについても もし加藤被告が犯人であればわざわざ鍵を 取って施錠しその鍵を捨てずに車内に残し ておくのは不自然な気もしますこれらの ことから私個人の見解としては冤罪の可能 性が高いのではないかと感じますただ

メールの既読が本当に捜査員のミスでつい たもので辻さんが亡くなった時間が正しい のであれば多少の疑問は残るものの加藤 被告の反抗である可能性も十分に考えられ ます1つ気になったのは加藤被告は コンビニでなぜ軍手を購入したのかという ことですこのタイミングで軍手を購入する のは反抗のためだと考えるのが自然だと 受け取れますいずれにしても警察の初動 操作物書なき有罪認定など冤罪の共通 パターンが多く見られることからももう 一度事件を調べ直し必要性は十分にあると 言えるのではないでしょう か現在も加藤被告は無実を訴えながら千葉 刑務所に習慣されていますある記者と面会 した加藤被告はなるべく嫌なことは考え ないようにしています今は月に1回 500円分のお菓子を買うことが許される 日があってそれを食べるのが楽しみです 外部の人からの手紙をもらったり支援者の 方と面会したりすることを励みに頑張って いますと現在の状況を語っていますまた 加藤英二さんを守る会のブログの中で加藤 被告は本件についてこう語っています今回 の捜査容疑者は僕1人です過去に辻さんと 同棲していた女性は事件前日に辻さんに 10回以上電話をしているし当日タイム カードを工作してアリバを作った人当日車 を廃棄処分している人この人たちは怪しく ないのでしょうか捜査機関はこのことを 把握しているのに何もしていない [音楽] ミスミストアでの新犯人被害者辻さんの ためにとも部下である自分ができることを 考えたいと思います辻さんのことをよく 知っているのは自分です自分は嘘はついて いません加藤被告が発言している疑うべき 存在本当に警察がこれらを把握しておき ながら捜をしていないのであれば大きな 問題です判決確定後に冤罪が認められた 事件はいくつか存在しますがそのどれもが 多くの年月を用していますもし本当に本件 が冤罪なのであれば1日でも早く加藤被告 の名誉がが回復する日が来ることを願って い [音楽] ますはいということで鈴鹿殺人事件を見て いただきましたがうんどうなんでしょうね 個人的には動画内で飲めた通りスマホの ロック会場筆頭に冤罪と考えられる要素が 多くやはり冤罪なんじゃないかなと思い ますただ仮に冤罪だとしても一度有罪判決 を受けた容疑者の無実を勝ち取るのは容易 ではありませんしかし本当に冤罪なのだと したらこれほど理不尽なこともありません

もし冤罪なのだとしたら真実が明らかに なる日が来ることを願うばかりですという ことで次の事件ですが次は1976年に 発生した中学生の自殺事件通称ザザンボ 事件ですそれでは どうぞ皆さんはザザンボという言葉をご 存知ですかザザンボとは福島県の方言で 葬式のことでありこのザザンボという題名 の映画が存在しますこの映画は1992年 11月に福島県在住の映画監督渡辺文樹 監督が出かけた作品でありとある学校で 発生した通帳紛失事件の犯人であるという 疑いをかけられた1人の男子生徒がその ことで追い詰められ自ら命を立ってしまい その生徒が犯人であるということに疑問を 持った担任教師が事件の裏側を調べ真相に 迫っていくという内容ですかなり衝撃的な 内容ですが実はこの事件は実話を元に作ら れています今回は映画のベースになった 差別や片た考えが生んでしまった悲しい 事件についてお話ししていきたいと思い ます1976年6月福島県田村郡三春町の 中学校の職員室から郵便貯金通帳が紛失 するという事件が発生しました京師はこの 盗難事件の犯人として何の根拠もないまま 3年の男子生徒Aが犯人だと疑いますAは 授業についていけない傾向があったものの 貯金通帳を盗んだという証拠もなくAが 犯人だと一方的に決めつけたものでした 教師はAを好調室に呼び出し男性教頭や3 年学年主人の男性教友ら数人の共有がAを 取り囲み自白を迫りましたその際に学年 主人がAを殴りAは鼻血を出し怪我を追い ますまたAの父親が不在の時間帯を 見計らい別の教らがAの自宅に上がり込ん で固く操作をするなどまるで犯人を 追い詰める刑事にでもなったかのようにA を追い詰めていきますAは脅されたこと などから1度は嘘の自白をさせられて しまったものの事件の経緯やAの自白を不 自然に感じた家族が学校側に抗議したため 事件の事実関係については曖昧となった まま時男となりましたその後Aとは別の 人物が紛失していた通帳を使用して隣町の 郵便局窓口で貯金を下ろしていたことが 判明窓口担当者は貯金を下ろした人物の 記憶はないとこの事実を否定しますが窓口 に提出された書類の筆石はAの筆跡とは 異なっていました現金を下ろしたのは一体 誰なのか真相が分からないまま時だけがが 過ぎていきました通帳紛失事件から約半年 後の1976年12月1日社会化担当の 共有がaが社会化の教科書を忘れたという 口述でAを図書室に呼び出し通帳分出事件 を蒸し返し通帳を盗んだ犯人を知っている

だろう犯人の名前を書け書かなければ卒業 できないなどと同かしますその日帰宅した Aの様子がおかしいことを家族が不審に 思い学校に問い合わせたことでこの社会化 共有の同格が発覚しますこれまでの経緯 から家族は翌日からAを欠席させていまし たがAは1976年12月7日朝学校が 怖くなった行きたくないと19回も 繰り返し書いた衣装を残し自宅近くの葉箱 感想小屋で自ら命を立ちましたその後の 調べで結局Aは通帳紛失事件には関与して おらず無実だったことが分かります警察は 1977年1月31日付けで学年主人を 暴行容疑で書類見しました学年主人は殴れ ば本当のことを言うと思ったなどと容疑を 認めたそうですまた同じ日に職員室から 亡くなった郵便貯金通帳を使い郵便局から 貯金を下ろしたとして卒業生の県立高校1 年生生徒を有印主文章偽造と詐欺の容疑で 書類見しますこの一連の事件を受けて福島 県教育委員会は1977年3月25日校長 の隕石辞任を認めましたまた同日付けで 教頭と学年主任を開国処分Aに対し暴力を 含む自白の共用に関与した教3人を文章 軍国処分にしまし たこの事件で自ら命を立ってしまったAは 知的障害を抱えておりこのことで日頃から 授業についていけず教師から煙たがられ 犯人扱いされたのではないかとされてい ます今でこそ多少は理解を得ているものの この事件があった当時はまだまだ知的障害 者への差別は多くあり今回の事件もそんな 差別が原因だったのかもしれません何の罪 もないAを犯人だと決めつけ追い込んだ 教師の対応は絶対に許されるものではあり ませんさらに追い打ちをかけるようにAは 家族によって殺害されたという心のい噂が 村中に広がりましたしかし警察は剣士鑑定 の結果自殺に疑いはないと判断し発表これ により悪質な噂は鎮静化していきまし た初めにお話しした通りこの事件は 1992年11月に渡辺監督が制作した 映画ザザンボのベースになった事件です しかしこの映画を巡っては様々な問題が ありましたこの映画ではAのの原因が家族 による他殺を示唆する内容になっていたり 村人が関わっていたりと事実に様々な客 tookがされた上供給元の小竹との約束 を破り放送できないシーンを入れていた ことから小竹側に公開配給を拒否されて おり渡辺監督が小竹からフィルムを 買い取って全国で自主配給工業を行ってい ますまた映画の内容が事実から大きく脚色 されていたことや実明を使っていたこと からAの遺族から提訴を起こされ人権問題

にも発展していますさらに監督がが遺族に 無断でAを塗装した墓を掘り起こしていた ことも判明し大きな問題となりました渡辺 監督がどのような信念を持ちこの映画を 制作したのかは分かりませんがAのご遺族 の心に大きな傷をつけた結果になりました もし渡辺監督がこのような数による他殺や 村人が関わっていたという話を事実として 捉えていたのであればこれも1つの冤罪 事件だと言えるのかもしれませんはいと いうことでいかがだったでしょうか今回の 事件のように無実の人間に疑いをかけ犯人 だと決めたり大した証拠もなく特定の人物 を叩くようなことはなくなるどころか SNSが普及した現在では社会問題になる ほど増え続けています人が人をさく場所は 裁判所でありネット上ではありません顔が 見えないことを言いことに好け放題言う今 の風習に嫌悪感を覚えますまた現実の世界 でもこの人が悪いこの人のせだと決めつけ 一方的に攻撃するのではなく一呼吸置き 話し合うことでなくなる争いもあるのでは ないかと思いますはいということでザボ 事件を見ていただきましたがこの事件が 起こったのはもう50年近く前ですが まさに今タイムリーな話と言えるのでは ないでしょうかというのも最近私人逮捕が 話題になってますよね詩人逮捕系 YouTuberと言われる人たちが ちゃんとした根拠もなく犯人だと特定し たり時には実際に維人逮捕を行う様子を モザイクなしでさらしたりして自分が逮捕 されるっていうやつですね実際いくつかの 条件を満たした場合私人逮捕が可能な場合 もあるそうですが基本的には一般市民に 逮捕保険はなく仮に相手が本当に罪を犯し た人であっても逮捕することはできません これらを知ってか知らずかは分かりません が彼らは正義を口にし動画でそのような 行為をさらし続けましたそして何より 恐ろしいのはこの動画を見た視聴者の一部 は彼らの行為を正義と語り応援のコメント を書いていたことですもしかしたらこう いった視聴者たちも主人逮捕やさらす行為 が犯罪であることを知らないのかもしれ ませんがだからこそ多くの情報が飛び交う 中で何が正しくて何がダメなのかを 1人1人がきちんと分別することが大切だ と感じますま難しいですけどね話を戻すと このザザンボ事件も確たる証拠はないのに Aが犯人だと決めつけて追い詰めていった わけでこれが現在だったらまた琢にAの 個人情報が出回って凸とかされるわけで いや怖すぎますねこういった過去の事件 から少しでも学んで欲しいですよねはいと

いうことでえ次の事件はそれほど有名では ありませんが非常に多くの疑問が残る事件 降参女子食卓殺人事件ですそれではどうぞ 2017年5月東京都大東区のマンション の一室で火災がありこの部屋に住む高校3 年の女子生徒Sさん当時17歳が遺体で 発見されましたその後Sさんを殺害した上 部屋に火をつけたとして食卓殺人や厳重 建造物と放火などの罪で起訴されたのはS さんと交際していた同級生の少年A当時 18歳でした大好きだよそう言って彼女は バンダナを手渡し両手を縛るよう頼みまし た後にAは当時の状況についてそのように 語り本件が食卓殺人であったことが判明し ますなぜ彼女は大好きな彼に自らの命を 奪うよう依頼したのかそして彼はなぜそれ を承諾してしまったのでしょう か腕っぷしが強く運動神経が良かったと いうAはとても女性から持てる人物だった そうでクラスメートはピコ太郎とか平の 野良のもまで驚けたりするお調子も漫画師 ジャンプが大好き最近も低一の国の話題で 盛り上がっていたしどこにでもいるやつ 一方でカッとなりやすくて高論になった 相手をネチネチ攻撃したり当たり散らす こともあったが何を考えているか分から ないといったタイプではないし暴力をふう ようなやではないとAについて語ってい ます一方犠牲となったSさんは小さい頃 から剣道に打ち込み剣道愛に溢れる高校生 だったそうで周囲からの評判は非常に良く 同じ小学校出身の若い女性は児童館の行事 で一緒になったことが何度かあり私を慕っ てくれて素直ないい子でしたと語ってい ますそんな2人が出会ったのは事件から1 年ほど前高校2年の夏頃でした当時バスケ 部に所属し首相を務めていたAはSさんの 所属する剣道部もスケットとしてかけ持ち するようになりますその後AがSさんの 悩み相談を受けたのをきっかけに親しく なり2人は付き合い始めました2人とも 交際を隠す様子はなく平日はほぼ毎日の ように部活の後彼女の文言まで一緒に 過ごし自宅マンションの下まで送るのが 日課となっていました夜は毎晩のように 電話し彼女の家族とも時々一緒に食事を するなど両親も公認の中でした後に同校の 男子生徒は2人についてお似合いの カップルだったと証言するなど若い2人の 交際は順調に愛を育んでいたかに見えまし たしかしそんな中事件は起きてしまい ます事件発覚の前日5月3日この日映画 デートを終えた2人はいつものように映画 sさんを自宅まで送り届けましたしかしA はこの時のSさんがいつもと様子が違う

ことに気がつきますAによるとSさんは この時笑い方がぎこちなく会話が噛み合わ なかったそうですそのことが気になったA は夜になって再び彼女の自宅に向かいまし たこの日彼女の家族が泊まりがけで家を 開けていたため自宅には彼女1人だけでし たAもそのことは知っており元気のない 彼女を驚かせようとベランダによじ登って 部屋に入りますこの時Sはびっっくりして はいたもののなんで来たのと冷たい態度だ だたと言いますその後彼女が母親の部屋に 移り横になったためAも隣に寝そべると 彼女はAの手を握り泣きながら震え出した と言いますここからはAの証言による当時 の2人のやり取りです私妊娠しちゃった みたいそうかごめんお母さんたちが帰って きたら謝ろう言えないよ全部私が悪いAが 怒られるのを見るの耐えられない怒られる のはしょうがない謝りに行こう中絶しよう もう耐えられない私もう死んじゃいたい そう言うと彼女は台所に移動し戸棚から 包丁を取り出しました慌てて包丁を 取り上げたAは警察に連絡しようと携帯を 手に取るとやめて絶対にやめてと彼女に 携帯を奪われますそして彼女は泣きながら Aの足元に崩れ落ち収納箱からバダを 取り出しAに差し出すとこう言いますこれ で手を縛って暴れられたら困るでしょお 願い死なせてできないよしかし彼女は手を 小刻みにふわせながらバンダナを差し出し たままAに自分を殺害してほしいと願して きたと言いますAはこの時彼女の気持ちが 強いのが分かって逆らえないと悟りバンダ で彼女の両手を縛りもう1枚のバンダナで 目隠しをした後部屋の壁にもたれかかる ように座ると彼女を自分にもたれかける ように座らせますあなたはここにいなかっ たことにして家事にしてもいいんじゃない 俺自主するよだめだよ絶対にダメ何も知ら ないって言ってねそんな会話が続いた後 彼女はAの右腕を自分の首に当てがい 持ち上げましたAによるとこの時気づいた た時には力が入っていたそうですそして しばらくすると彼女は動かなくなりました Aは安然として彼女の名前を呼びますがS さんが返事をすることはありませんでした 近くにいるのが怖くなったAは付近で自分 の指紋を拭いたりあすに見せかけるために 母親の部屋を荒らしたりした後ライターで 部屋に火をつけようとしましたしかしこの 時は手が震えてできずそのまま家を出まし たその後自宅で一晩過ごしたAは翌朝再び 彼女の家に向かいインターホンを鳴らし ますこの時自宅に彼女しかいないことが 分かっていてインターホンを鳴らしたのは

咲夜のことが夢であってほしいと思ったの かもしれませんしかし当然応答はなくAは 前日と同じようにベランダから彼女の部屋 へ侵入そこには掛布団からはみ出した彼女 の足が見えました殺してしまった自分が 生きていることが怖くなり許せなくなった というAは落ちていたタオルをドアのに かけて首を釣ろうとしますがうまくいかず ライターで彼女にかかっていた布団に2 か所火をつけ彼女の元に向かおうと考え ますしかし視野がなくなるほどに煙が 立ち込めると思わずベランダから逃げ出し ましたそして火災の第一発見者をよって 警察に通報しかし飛び降りた際に怪我をし た他煙を吸い込んで軌道に火傷を追ってい たためすぐに入院します罪から逃れるため 警察相手に火災の第一発見者を予想おった Aでしたが防犯カメラに4日朝にSさん卓 に向かうAの姿が映っていたことやSさん に煙を吸い込んだ形跡がなかったことから Aが3日夜から4日朝8時半頃まででの間 に殺害した後放火したとして警察はすぐに Aに疑いの目を向けましたそして警察がA を問い詰めるとAはすぐに反抗を実況し 逮捕起訴され ます2018年8月29日東京地裁で裁判 院裁判の初後半が開かれました紺色の ポロシャツに灰色のズボ姿丸がりが少し 伸びたような単発で入定した映画被告認 DOMに座ります被告が未成年であること を踏まえ膨張石と被告認DOMの間には 仕切りが置かれ証言代に立った時の後ろ姿 しか確認できない状態で裁判は進みました 少年は女子生徒に殺害を頼まれ首を腕で 閉めて殺害翌朝ライターで女子生徒に かかっていた布団に火をつけ遺体や部屋の 一部を焼いた検察官が基礎内用を 読み上げるとAは間違いありませんと基礎 事実を認めましたそのため事実関係に争い はなく総点はAをどのような処遇にすべき かということに絞られました検察側は刑務 所で受刑する懲役を貸すべきだと主張し 弁護側は少年院で構成を図る保護処分が 相当だと訴えますそして迎えたAへの被告 認質問ではなぜ殺害以外の手段を選ば なかったのかという点に質問が集中しまし た以下そのやり取りです妊娠を告げられ 病院に行こうと提案しなかったのかしてい ません本当に妊娠しているかどうやって 確認したのか確認するまでもないことだと 思いました被害者が死にたいということを あなたは納得したのか100%理解する前 に流されてしまいました死にたいと言われ たのはこの日だけ高校卒業後の進路の希望 も固まっていたのになぜ殺してしまったの

か将来とか不利益になるとまでは考えられ なかった初めて言われたからこそというの が大きいかもしれません彼女と距離を取り たいという気持ちが元々あったのではその 日まで妊娠のことは告げられていなかった しちょっとした喧嘩はあったものの分かれ たいというのはありませんでした事件の日 彼女が落ち着くのを待とうとは思わなかっ た話の店舗がすごく早く進んでしまいまし た5月3日はどのようにしたら良かったと 思いますか自分は彼女の言うことに受け身 で止めようという強い気持ちを全面に出せ なかったもっと命の重さを自覚していたら と思います被告に質問が終わると弁護側は 高校生が突然殺して欲しいと頼まれると いう経験のない出来事に直面したその重み に耐えられなかったからこそ起きた事件だ と市長一方検察側はその後の論告で他の 手段を取ることも断ることも説得すする こともできたはずだとして懲役5年以上 10年以下の不定期系を休憩しますこれに 対し弁護側は最終弁論で小学1年から治長 や不在で過ごした少年の追いたちや自分を 責めやすい性格が事件に影響したと主張し 彼女に死にたいと迫られて混乱し被害者の 言葉のままに首を占めたと述べ保護処分を 求めましたそして迎えた9月なのかAに 判決が言い渡されます主文被告人を懲役4 年以上7年以下に処する裁判長は主文を 述べた後その理由について殺害を回避する 手段や機会はいくつもあり食卓を受けて 殺害しなければならないことの切迫した 状況にはなかったあまりに安易と言わざる を得ないと説明被告人は養育環境を背景に 自責の念を抱きやすい支出があり反抗時に 影響した側面は否定できないと弁護側の 主張に一定の理解を示しつつ他の手段を 選択することは十分可能で殺害を実行した のは短絡的反抗の経緯や同機が悪質で刑事 処分以外を許容する特段の事情はないと 保護処分は相当ではないと説明しました また本件の判決において特に重く見たのは 殺人よりも放火でした殺人が突発的だった にしても再び現場に戻って行った放火は 計画性があると判断されましたこのことに ついて裁判長は食卓殺人の責任から逃れ たいという心情から周囲への危険を変り見 ずに重大犯罪を重ねたと指摘少年としての 未熟さや社会経験の不足がしている面も見 られるがとりわけ放課に至った経緯や同機 については避難の程度は大きいと述べまし た被告認識に腰かけ背筋を伸ばしたまま 判決内容を聞いていたというA彼は同月 20日判決を不服として東京交際に控訴し ましたそして2019年3月12日東京

高裁で行われた控訴心でAの控訴は棄却さ れAの実刑が確定しました高校生であり ながら妊娠してしまうそんな事例はaとS に限ったことではありませんしかしその ことが理由で殺人事件に発展ししかも彼女 の方がそれを依頼するというのは非常に稀 なケースなのではないかと思います私は 本件を調べる上で1つ感じたことがあり ますそれはAの証言が本当に全て真実なの かということですもちろん全てがAの 作り話だとは思いませんしかしSさんが 亡くなってしまってる以上当然のこと ながらAの証言が全て真実だと証明する ことはできないはずです私は警察でもでも ありませんので調べた情報のみを見ての 判断であり警察も食卓殺人だと認定してい ます正直ここで発信していいのか迷いまし たがあくまで個人的な意見として述べさせ ていただきますそもそもいくら望まぬ妊娠 だったとはいえAが怒られるのを見たく ないという理由で殺害を依頼するのかと いうのが真っ先に感じたことですもちろん お互い混乱状態だった可能性は高いですが それでもこの理由で包丁まで取り出して 人生を終わらせようとするでしょうかもし かしたら産む産まないで言い争いがあった のではないでしょうかそこでAが突発的に 反抗化した可能性も否定はできませんが 言い争いの末に埋めないのなら殺してなど とヒステリックになって包丁を手にした 可能性も考えられるのではないでしょうか またAの証言ではSさんがAの右腕を自分 の首に当い持ち上げたとありAが気づいた 時には力が入っていたと証言しています この証言にも少し違和感を感じますが さらに不思議なことがあります通常手で首 を閉めと遺体には指の形の薬殺痕と言わ れる跡が残るそうなのですがSさんの遺体 には薬殺痕がなかったそうですさらに地方 解剖で死因は特定できなかったもののS さんの肺には水が入っており広場の浴槽に は水が張ってあったことも分かっています またAは事件数日前に携帯電話で油燃える 道に生えている独走などと検索していた 履歴も判明しており本件が計画的な反抗で あったとの見方もあります警察はこれらを 踏まえた上で食卓殺人であると判断したの でしょうがどうしてもこの辺りの不可解な 点が引っかかりAの証言の全てが真実で あるとは言いきれないと感じてしまいます しかしAが殺意を持ってSさんを殺害した とも思えませんし少なくとも2人が1年間 育んできた愛情は本物だったと思いたい ですAの裁判中被害者であるSさんの両親 は証言代に立ちAへの思いを語っています

娘は家族を照らす存在でした被告と初めて 会った時僕が彼女を守りますと言っていた 毎日のように送ってくれて娘はいい人に 出会ったなもしかすると家族になるのかな と思っていた裏切られた気持ちでいっぱい です娘は将来を見据えて死亡校も決めてい た小さい子の面倒を見る優しい子でした 一晩中1人にさせたのはあの日が初めて 連れて行けば殺されることはなかった 悔やんでも悔みきれません咲に述べた通り 食卓殺人であったという証言はAの証言で あり警察が何を持って食卓殺人だと認定し たのかは発表されていませんもし本当にS さんに頼まれて行った反抗だったのだとし てもSさんそしてSさんのお腹の中に宿っ ていた小さな命を奪った罪は決して軽い ものではなく2人の命が戻ってくることは ありませんAには自分のおかした罪と きちんと向き合って欲しいと思い [音楽] ますはいということでこの事件なんです けど加害少年の両系が4から7年の不定と いうことでKが確定した2019年から 今年で4年なんで最短で今年社会復帰して いる可能性もあるんですよね動画内でも 述べましたが状況や証言などからどうして もこの少年の証言が100%全て真実だと は言いきれないと感じますもちろん罪は 認めているし刑が確定し一応社会的には罪 を償って社会復帰しているわけですから もし社会不帰していればですけどねまそう いった出所語の彼に対しああだこうだいう のはまそれこそさっきのザザンボ事件じゃ ないですけど絶対に良くないことですただ もしも彼が嘘をついて隠していることが あるのだとすれば亡くなった彼女のために も今後の自分自身のためにも今一度考えて 欲しいなと思いますねま嘘ついてればです けどねまいずれにしても彼女を殺害した ことは事実であり罪は償ったからといって なかったことにはなりませんまだ若く先は 長い人生ですけど絶対に自分の犯した罪を 忘れずに生きていってもらいたいものです ねはいということで次の事件行きましょう 次は少年5人に対する冤罪事件貝塚 ビニールハウス事件ですそれではどうぞ今 から42年前の1979年大阪府貝塚市の ビニールハウスの中から1人の女性が遺体 で発見されましたその後1人の少年が自分 が犯人だと警察に出頭してくるのですが 少年を出頭させたのはなんと被害女性の夫 でしたしかしこの出頭により最悪の冤罪 事件が生まれてしまうこととなります 全国の皆さんごきげんパンダ紳士です本日 は警察の怠慢によって発生してしまった

最悪の冤罪事件貝塚ビニールハウス殺人 事件についてお伝えしていきますなぜ冤罪 事件が起きてしまったのかまずは事件概要 から見ていき ましょう1979年1月22日の早朝大阪 府貝塚市の畑のビニールハウスの中で女性 が全裸に近い状態で倒れているのを敷地の 住人が発見し警察に通報しました同日警察 の依頼により大阪大学で司法解剖が行われ 死亡推定日時は前日の1月21日午後6時 頃と判明死因は警部圧迫による窒息士でし たまた女性は妊娠3ヶ月でしたが残念 ながらお腹の中の命も尽きてしまってい ましたそして遺体発見の翌日新聞で事件を 知った被害女性の内炎の夫であるBさん 当時31歳の連絡ににより女性の身元がA さんであることが判明しますBさんによる と事件当日の夕方Aさんは伊丹市にある 実家を訪れた後行方が分からなくなってい たそうですそしてその後の調べによりA さんは犯人から性的暴行を加えられていた ことが判明またAさんの財布がなくなって いたことも分かり警察は[ __ ]殺人及び死体 行き事件として捜査本部を設置大掛かりな 現場検証と付近の聞き込み調査を開始現場 に残された遺留品や周辺住民からの証言を を集め犯人逮捕への手がかりを必死で探り ました一方その裏でBさんは警察の捜査と は別に独自に事件の調査を行っていました そして1月23日の昼Bさんは1人の少年 に目星をつけますそれはBさんとも顔 見知りだった当時18歳の少年CでしたC を疑ったのはBさんが道でCとすれ違った 際Cがいつもとは違う様子で顔を背けたと いう理由からでしたたったそれだけのこと と思うような理由ですが当時冷静さを書い いたBさんからするとCが何かを隠して いるように感じたそうですそしてBさんは Cを近くの海岸まで連れて行き殴りながら 尋問を行いますそして生産な暴力の末耐え 切れなくなったCはついに反抗を自白A さんに性的暴行加え殺害したという文章を 欠かされ警察に連れて行かれました警察は BさんからCの身柄を預かり事情を聞くと Bさんの証言を完全に信頼し検証をおろか にしたままBさんの証言のみでCを逮捕し ますさらに共犯者の可能性を考えた警察は Cに対し拷問に近い尋問を行いますという のも実はこの時翌日の早朝には長官でCの 逮捕がスクープされるという情報が入って おりその前に共犯者を捕まえておきたいと いう警察の事情がありました結局警察はC から半ば強引に他4名の共犯者の名前を 聞き出しスピード逮捕に成功しますこの時 逮捕された5人のうち21歳の男性を除き

残り4人はいずれも18歳で地元では不良 グループとして知られる者たちでした逮捕 された5人は取り調べでアバを訴えますが 聞き入れてもらえずCに共犯者を聞き出し た時と同じように拷問に近い尋問を行い ますそして拷問に耐えられなくなった5人 はついに反抗を自給しますこうして解決し たかに思えた事件でしたがその後事件は急 展開を迎えますなんと遺体に残された精液 唾液発から検出された犯人のものと思わ れる血液型が逮捕された5人全員としてい ないことが判明したのですさらに反抗現場 で採取された指紋訪問靴底問のいずれも 一致せず被害者の所有していた靴からも 反抗現場の土と一致する成分は検出され ませんでしたつまり5人が犯人だとする 証拠は何1つなかったのですしかしこの 重大な事実を警察は一切公表しませんでし たこうして重大な事実が隠蔽されたまま5 人の裁判が始まることとなり ます1979年1月288日検察庁は逮捕 人に21歳だった男性以外の4人は未成年 のため大阪家庭裁判所堺支部に装置しまし たしかし2月7日大阪家庭裁判所は物書に ついての証拠調べを行わないまま刑事処分 相当と判断し検察場に逆装置しますこれに より未成年の4人も刑事処分の対象として さかれることとなります1982年12月 23日大阪地方裁判所は検察官の主張を 真実であるとし首相の証拠調べ請求を却下 した上で成人済みである被告人男性に対し 懲役18年未成年4名にはいずれも懲役 10年の有罪判決を下しましたこれに対し 初めにBさんに連れられ出頭した少年Cは 判決に控訴せず有罪が確定し服役した一方 で他の4人は無実を主張して控訴しました 1986年1月30日大阪高等裁判所は 検察官の主張は物書の不一致により証拠 能力がなく教の任性も信用性もなく真実で はない都市被告人と弁護人の無実の主張を 認め被告人4名に無罪判決を下しました 対して検察官は上告を断念したため4人の 無罪が確定こうして4人は3年1ヶ月の 身柄高速から釈放されることとなりました そして5人のうち唯一服役中だったCは4 人が無罪判決を受けたことを知り4人や 支援者から進められ最新請求を行います そして1988年7月19日大阪地裁は福 中の被告の最新開始を決定しました 1989年3月2日大阪地裁は被告に 対する最新で検察官の主張は物書の不一致 により証拠能力がなく教育の任意性も信用 性もなく真実ではないとしCに無罪判決を 下しますこれによりCは実に6年4ヶ月の 身柄高速から釈放されることとなったの

でしたちなみにCが地裁の有罪判決に対し て控訴せずに服役したのは罪を認めたから ではなく有罪判決にに納得したからでも なく家が裕福ではなかったことから裁判が 長期化し家族に迷惑がかかることを避け たかったからでしたまた行訴することで 裁判が長期化するよりも早く復IMPして 社会復帰した方が自分にとって不利益が 少ないと判断したことも控訴しなかった 理由だったそう です本日は貝塚ビニールハウス殺人事件に ついてお伝えいたしましたこの事件に 対する皆さんの感想などコメントにお書き いただければと思います本事件では捜査 関係者ではない被害者の夫の意見だけで 大した捜査もしないまま無実の少年ら5人 を逮捕しただけではなく自白の共用をした 上物性がないことを隠蔽するという警察の 怠慢が冤罪という最悪の結果を招いて しまいました結果として無罪判決となった ものの5人のうち4人が3年1ヶ月1人が 6年4ヶ月の不当な身柄高速を受けており 彼らの心に刻まれた傷はとても大きなもの だったのではないかと思いますそして 何より彼らが無罪だったことは新犯人を 野放にしてしまっていることになります しかし警察はなぜかその後一切の捜査を 行わなかったそうです無実の罪で大切な 時間を奪われた少年ら5人そして妻と子供 を同時に失ったBさんの無念何より 亡くなった被害者2人の無念は警察が再 操作をしないことで一生晴れることは なくなったのですどのような理由があって 再操作をしなかったのかは今となっては 不明ですが市民を守るための警察がこの ような判断をすることが今後ないように 願うばかり ですはいということで貝塚ビニールハウス 事件を見ていただきましたがこの事件はB さんの決めつけにも問題はありますけど やはり警察のずな操作ですよねBさんの 証言を全て鵜呑みにし6に操作もせず犯人 と決めつけ逮捕する先ほどの詩人逮捕と 違い逮捕権があるからこそ警察というのは 慎重に操作逮捕しなくちゃいけないという ことが分かる事件でしたこのような察警察 のずな操作はちょくちょくありますけど 警察も人間なんで真面目な人もいれば警察 官なのにやる気がなかったり適当で 不真面目な人なんかもまいるとは思います これはどうしても一定数こういう人間が 出るのは仕方がないことですけど警察も いかにそのような警察官を減らせるかまた 組織として排除する環境を作るかなど冤罪 を減らすためにももう少し考えて欲しい

ですねまよくある刑事ドラマのようにま上 が腐ってたらまお手上げですけどね現実は ドラマとは違うと願いたいですねはいと いうことでそろそろ疲れてきたところ でしょうけどまあと2本ですのでちょっと 飲み物でも飲んでもう少しだけお付き合い くださいということで次の事件は YouTube上にも多くの動画がある 有名な事件狭山事件ですそれではどうぞ今 から57年前の1963年5月1日埼玉県 狭山市で女子高校生が行方不明になり自宅 に脅迫場が届けられるという事件が起き ました通報を受けた警察は身代金を取りに 現れた犯人を40人もの警戒体制で 張り込みましたしかしこれだけの人数で 張り込みながら犯人を取り逃してしまうと いう大失態を犯してしまいますそしてその 数日後無常にも女子高校生は遺体となって 発見され警察の大失態に世論の避難が集中 しますこの失態を取り戻そうと焦った警察 はその後必死の捜査により1人の男性を 逮捕しましたしかし後にこの逮捕は冤罪な のではないかと考えられるようになります 果たしてこの容疑者は殺人鬼なのかそれと も全国の皆さんご機嫌よパンダ紳士です さて本日は今から57年前に起きた誘拐 殺人事件狭山事件についてお話ししていき たいと思いますこの事件は随分前に リクエストをいただきようやく動画にする ことができましたリクエストありがとう ございましたこの事件は捜査に行き詰まっ た警察が現場付近の集落に住む石川和夫 さん当時24歳を別逮捕し1か月にわり 警察の地所で取り調べを行い本事件につい て嘘の自白共有をした冤罪事件だと言われ ており石川さんは今も存命で冤罪だと主張 し続けています石川さんが犯人ではないと 思われる証拠の数々も多数あるこの事件 さらにこの事件の最大の謎とも言われるの が事件後関係者が次々に自殺をしていると いう点ですこの不可解な連続自殺の原因は 一体何なのかそしてそもそもどのようにし て事件が起きたのかその経緯を見ていき ましょうそれでは早速ゴーゴー 1963年5月1日埼玉県南西部に位置 する狭山市で当時高校1年生だった中田 義江さんが学校から帰宅する途中に行方 不明になりその後遺体で発見されます義江 さんは埼玉県狭山市大業上赤坂の裕福な 農家の4女で当時川越高校入間川文行の1 年生でした義江さんは1963年5月日の 午後3時23分に地人に目撃されたのを 最後に午後6時を過ぎても帰宅せずその まま行方不明になりました事件当時よえ さんは遊に今日は私の誕生日だからと言い

いつもより少し早く1人で下行したそう ですその後良えさんがオリンピックの記念 切手を予約するため学校近くの郵便局に 立ち寄ったことまでは分かっているものの その後の足取りは全く分かっていません ただ下校直後の3時23分に西武線の ガード下で中学校時代のえさんをよく知っ ていた知人が誰かを待っているような様子 の中田さんを見たと証言いますしかしこの 場所はえさんの通学路とは全く反対の方向 でしたえさんのこの下校後の行動について 誰を待っていたのかなぜ通学路と反対方向 の場所にいたのかは現在でも分かっておら ず狭山事件の謎の1つとされています同日 の午後6時50分頃心配した中竹の長男 当時25歳が車で学校に行き妹の所在を 訪ねるも確認できず午後7時30分頃に 一旦帰宅しますその時自宅玄関の都に1つ の手紙が挟まっているのを見それは犯人 からの脅迫場でしたこちらをご覧ください 矢印が刺す玄関度に挟み込まれる形で脅迫 場が見つかりましたそれは少女の生徒手帳 が同封されていた脅迫場であり青色の ボールペンで次のように書かれていました すみませんが止めて読んでみてください そしてこの手紙の実際の画像が残ってい ますそれが こちら封筒の宛には読み方が合っているか は分かりませんが正司様という意味不明の 文字を消した上で被害者少女の父親の使命 が当地で記載されていますその実際の画像 が こちら脅迫文の冒頭にも商事と書いたのを 消した後があり同様に4月29日が5月2 日前の門が佐屋の門に書き換えられてい ました犯人が待ち合わせに指定した佐屋と は佐屋酒店という酒屋でこの佐屋に門は 存在しなかったそうですこの脅迫場には 警察には話すなと書かれていましたが長男 はすぐに隣の親戚に知らせそのまま警察に も届けてました脅迫場には5月2日の深夜 12時に佐屋酒店の前に友達が金を 受け取りに行くからその男に金を渡せ女が 金を持ってこいと書かれていたためこの 身代金を渡す役目を義江さんの実の姉で ある富重さん当時23歳が引き受けました 当日は午後8時頃から脅迫上に指定された 佐屋周辺に40人もの捜査員を配備し万全 の体制で犯人を待ち受けましたそして午後 11時55分富重さんが犯人が指定した 佐屋酒店に到着その手には警察が用意した 20万円の偽造紙幣が入った黒式包みを 持っていました当時はまだ該当もあまり ない時代で当然辺りは真っ暗ですそんな 暗闇の中からある男がとえさんに声をかけ

てきましたおい来てんのかこの時犯人にも 富重さんが見えていない様子だったそう ですというのもその男がいる位置は佐屋の 横の畑の中で店の前に立つ富重さんからは 30mほども離れていましたそして聞きて ますよと富重さんが答えその後2人の やり取りが始まりましたやり取りは次の 通りです警察へ話したんだべそこに2人 いるじゃねえか1人で来ているからここ までいらっしゃいよこの時刑事の合図で 4mほど前へ出たそうですここまで来て いるんだからあんたの方が出てきなさいよ 本当に金持ってきてるのかええ持ってます よそう言うと富重さんは風呂式を開き ながらさらに道路標識の先まで進みます ここまで来てるんだから手できなさいよ あなた男なんでしょう取れないから帰るぞ 帰るぞ私は時間原始で来てるんですから ここまで来なさいよ富重さんがそう 言い放った直後北から南へ白い人影らしい ものが動くのを見たと後に証言しています そしてその瞬間男は周辺に配備している 多数の警官の気配に気づいたのか全力で 逃げ出しましたちなみに現場の立ち位置は このような形でしたSと書かれている ところが佐屋1が姉2が半人です逃がすな と警官たちが一斉に男を追いかけますが男 の逃げ足は早く警察はこのまま男を 取り逃してしまうことになります実際に目 の前まで現れた犯人を40人もの配備を 敷いておきながら逃してしまうという大 失態を演じた警察はその後マスコミから 痛烈なバッシングを受けることになります その直後から警察は維新をかけて3日 がかりの大規模な山狩りを実施するも事件 発生4日目の5月4日の午前10時半頃に 市内の能動に埋められていた良えさんの 遺体が発見されてしまいます吉江さんの 遺体は死後23日経過しており親は首を 閉められたことによる窒息死でしたなお 遺体発見時の詳しい状況は次の通りです 遺体には目隠しがしてあり首と足に細引き 紐が巻かれ手は手ぬいで後ろ手に縛られて いましたうつ伏せに埋められた遺体の上に は荒縄が置かれ遺体の頭部には玉石が乗せ られていました自分たちのミスにより少女 の命が奪われる結果となった警察はその後 懸命の捜査により5月23日に板行き現場 近くに住む当時24歳の徒食哲代石川和夫 さんを別件逮捕しました警察は窃盗などの 容疑で石川さんを別件逮捕した上で自白を させ後日狭山事件の犯人として再逮捕して います石川さんの家には12人の刑事が 訪れ徹底的な堅操作が行われましたが石川 さんの家からは事件につながる手がかりと

なるようなものは何も発見されませんでし たまた石川さん本人も義江さんの誘拐と 殺害については逮捕当初より一貫して否定 していました事件の犯人として逮捕された 石川さんは一体どのような人物だったの でしょうか石川さんは別ブラの貧農の出身 で小学校5年生までしか学校へ通ってい ないと言われていますこの久別村の出身と いうことが石川さん逮捕の大きな要因と なりました現在資料として残っている小 学校時代の石川さんは強調性や正義官が 全くなく何をしでかすか分からない問題時 と表されていました1951年にイルマに ある中学校に進学するもほとんど通学し ないまま1954年に除籍その同時期に 荒野にある鉄工所で働き始めるのですが千 で指を切断する事故を起こして退職してい ますその後の石川さんは農家のこり方向や 靴屋の店員見習い東との成果工場の行員 など職を点々としていますがどれも長続き はしなかったようですでは石川さんが犯人 とされたのはなぜなのか実はこの時警察に は石川さんを犯人に仕立てあげてでも謙虚 したかった事情がありました狭山事件が 起きる約1ヶ月ほど前東京で起きた吉信 ちゃん誘拐事件で警察は身代金を奪われて 犯人を取り逃し肝のちゃんも殺害されると いう最悪の結末を迎えてしまいますこの大 失態により警察は世論の激しいバッシング を受けついには国会でも取り上げられる ほどの事態になってしまいますそして そんな中で発生したのがこの狭山事件だっ たのですしかし5月4日に義江さんの遺体 が発見される事態となり再び警察への避難 が殺しますこれを受け刑市庁長官が辞任 する事態にまで発展しました警察はその 名誉を挽回するためせめて犯人だけは何と してでも逮捕しなければならない状況に 追い込まれてしましまいましたしかし義江 さんの遺体発見後も犯人の足取りをつめ なかった警察にとって遺体発見現場近くの 別ブラに住む初行不良の石川さんは犯人に うってつけだったのかもしれません別件 逮捕した石川さんを約1ヶ月にわって竜地 所での取り調べを行いその中で脅したり 透かしたりと様々な手を使って自白を 引き出し犯人に仕立てあげたと言われてい ますまた周辺住民が小て別ブラク出身の 仕業だと断言しマスコミも石川さんの行の 悪さを強調する報道を繰り返していたこと も警察の暴挙に影響していたと言われてい ますこのような状況下で逮捕当初から一貫 して無罪を主張していた石川さんですが 連日続く厳しい取り調べの中で警察から やったと言えば10年で出してやると言わ

れついに罪を認めてしまいます石川さんは この時警察に男と男の約束とまで言われ この言葉を信じ切っていたそうですその 証拠に石川さんは死刑判決を受けても平然 としていたと言います判決前日弁護士に あなたはやったと言っているけど証拠を 見ると自白が正しいとは思えないそれでも 判決では死刑にされるかもしれないと言わ れても石川さんはいいんですいいんですと 笑顔を見せていたそうですまた石川さんは 警察での取り調べの中で犯人だと認め なければ兄の六蔵さんを代わりに逮捕する と脅されていたとも言われていますもしか して犯人は兄なのでは情報も何もない孤立 した状況の中石川さんの中で膨らんでいく 疑念彼の家庭は兄の仕事が動に乗りめた ことによってようやく長年の極から脱出 しようとしていました一家の大黒柱である 兄がもし逮捕されてしまったらどうなって しまうのかそれは石川さんに罪を認め させるのに十分な理由となりましたこうし て罪を認めた石川さんは最初に逮捕されて から実に31年7ヶ月もの間国中生活を 強いられることになります24歳で逮捕さ れた石川さんは出所してきた時には50代 半ばになっていました警察によって奪われ たものはあまりにも大きいと言わざるを得 ませんしかし鹿川さんが狭山事件の犯人で はなく警察による冤罪だったとする理由は 何なのかここからは冤罪だと言われるいく つかの根拠をお話ししていきたいと思い ますまず石川さん逮捕劇は遺体発見現場 から見つかったスコップから始まります このスコップが石川さんの住んでいた久別 ブラにある石田用BEG場の所有物だった ことから警察はこの部落に見込み操作を 集中しますそしてこの用途上のスタッフ 27名の長所を取りブラクの住民120名 の筆跡も取っていますまた司法解剖により 犯人の体液が採取されており血液型がB型 であることが分かっていました捜査対象を 用途上関係者に絞り込んだ警察は捜査線上 に浮かんだ人物の中から血液型がB型で あるものを調べましたその中に石川さんが いたのです石川さんには過去に知頓場に 勤務した経験がありましたそして被害者で ある義江さんとは頓場勤務時代から顔 見知りでしたこのような経緯から捜査員は 石川さんを犯人と絞り込み何ら証拠もない まま石川さんをを別件逮捕し自白を共用さ せたのでしたこの強引な逮捕からの自白 共用が冤罪と言われる1つ目の理由です さらに鹿川さんは文字の読み書きができ なかったと主張しておりしかも脅迫上の 筆跡が違うことも冤罪を主張する根拠に

なっていますそして冤罪であると言われる 最大の理由が武将の偽造ですカ万年室 腕時計が石川さんの事業により発見された ことは犯人しか知り得ない物書として各 判決の決め手となったのですがその中の 万年室についての捏造の疑惑があるのです この満年室は被害者のもので事件の確定 判決では石川さんは被害者を殺害した後に 万年室を奪って脅迫所を訂正しその満年室 を自宅に持ち帰って隠していたとされてい ますしかしこの満年室は2回の徹底した片 操で見つからなかったものが石川さんの 自白に基づいて行われたとされる3度目の 捜索で誰でも見える勝手のかいの上から 発見されるなど当初から疑惑の証拠でした この件について捜索を担当した警察官は 確かに調べたはずのかいの上から万年室が 出たと聞いて本当に驚いたと証言してい ますさらに石川さんの兄六蔵さんは警察官 からかいの上に満年室があるはずだから 取ってみろと言われすで満年室を取らされ たと証言していますこれが本当なら捜査の 常識から言って考えられないことです そして2016年8月弁護団は国際的な 美術鑑定化である下山す博士による万年室 のインクに関する鑑定を新証として東京裁 に提出しましたこれは石川さん卓から発見 された満年室が被害者のものではないこと をインクの科学的分析によって明らかにし 万年室を有力な証拠として石川さんを有罪 としてきた判決を根底から揺らす新証拠と 言いますではなぜ偽物の万年室が石川さん の自宅から発見されたのか下山官邸は警察 による証拠の捏造の疑いをも強く示唆して いますしかし本当に石川さんが冤罪であれ ば新犯人は一体誰なのでしょうか被害者の 長男説被害者卓の元使用人学校の担任など あげれば切りがないほどたくさんの犯人説 が出ていますがどれも根拠はなく推測の息 を出ませんそもそも2020年現在この 事件が本当に冤罪だと決定しているわけで はなく現時点ではあくまで犯人は石川さん なのですというのもここまで冤罪であると の見方からお話ししてきましたが先ほどお 話しした冤罪であると言われる根拠は実は どれも嘘である可能性や否定する意見も 多く冤罪ではないと主張する意見も多いの です中でも読み書きができなかったという 石川さんの証言は話が2点3点し嘘も多く 裁判で石川は読み書きはできていたと証言 されていますさらに当初ありいについて 石川さんは家族ぐるみで嘘の証言であり LIVEを立ち上げており後に嘘がバレ 実際には事件当日のありいを証明できませ んでしたこのように石川さんが冤罪では

なく犯人であるという根拠も冤罪説と 同じく十分にあるのですしかしこの事件で は他の事件ではルを見ないほどの事件関係 者の多くが自ら命を立つという深な事実が ありますこのことが狭山事件をミステリー 性の強い事件にし冤罪ではないかという声 が多数上がることにもつがっているのかも しれませんまず被害者となった中竹の関係 者の1人であり根強い犯人説もある元使人 は捜査の初期段階で埼玉県警による厳しい 取り調べを受け5月6日に農薬をのみ井戸 に飛び込んでいます次に市内の林で不審な 3人の男を見たと目撃情報を通報した石川 さんの競輪仲間の男性が5月11日に刃物 で自分の心臓を指しておりさらに被害者の 姉であり身代金受け渡しの際に唯一新犯人 と言葉をかわした中田富重さんは1964 年7月14日石川さんに死刑判決が下され た時期に農薬を飲んで自決ちなみに彼女は 間もなく結婚する予定だったと言います さらに被害者の受刑が1977年10月4 日に首を釣っていますこの他にも1966 年10月には石川さんがかつて勤務してい た用途上の経営者の長景が線路内にび 追い込んでいますしこの事件を持っていた ルポライターが暴行士とも見られる変死を 解けていたりとこのような変死とされる人 もいれればその数は10人以上とされてい ますこのように事件関係者から異常とも 言える多数の自決者を出した刑事事件は他 に類を見ませんさらに自殺した人たちは 被害者のよえさんまたは加害者の石川さん に非常に近い関係者ばかりですこれは 単なる偶然とするにはあまりにできすぎた 偶然だとも言えますしかしこれらのことが 果たして事件にどう関連しているのかその 相は50年以上経った現在も何1つ明らか になっていませんはいということでいかが だったでしょうかこの事件が冤罪なのか 冤罪ではないのかその真実がはっきりし ないまま家中の石川さんは現在81歳のご 高齢となってしまいましたそして今もなお 20年前出所後に結婚した奥様と共に無罪 を訴え続けていますどちらの真実であれ 今後真実が明らかになることを願いつつ 殺害されたよえさんのご冥福をお祈り いたしますはいということでで狭山事件を 見ていただきましたがこれも冤罪かどうか ま意見が別れる事件ですよねこの事件の 犯人とされる石川さんはもう出所してい ますが現在でも無罪を訴え続け活動されて います景気も終え社会復帰し御年84歳に もなる石川さんが今もなお無罪を訴え 続ける理由は自身の名誉のために他なり ませんこのことだけでも個人的には冤罪な

気がするんですけどねだって仮に私が犯人 なのに無罪を訴える立場だとしたま要は 石川さんの立場だとしたらですねえ84歳 でケーキも終えていてさすがにもういい やってなりそうな気がするんですよねま もちろんこの活動を継続しているという ことが石川さんの無罪の材料にはなり得 ませんが冤罪だとするなら石川さんが存命 の間になんとか名誉を回復していただき たいですねはいということでここまでお 付き合いいただきありがとうございました そしてお疲れ様でしたえ次が最後の動画に なります大分市み事件ですそれではどうぞ 1981年かこ昭和56年6月27日から 28日にかけての深夜大分県大分市の アパート緑総で女子短大生かこ当時18歳 が殺害されました血液型B型の血液を含む 血液型A型の唾液が検出され被害者の血液 型はA型であることからこの血液は犯人の ものと推定されまし た全国の皆さんごげようパンダです本は 大分市で起きた未解決のままの冤罪事件 ですこの事件は日本で初めて裁判所の職権 でDNA鑑定が採用された事件で登板弁護 士制度創設のきっかけになった事件でも ありますまた被疑者や家族に対する報道 被害事件としても知られています一体どの ような事件だったのかその詳細をお話しし たいと思いますそれでは早速ゴーゴーゴー 1981年昭和56年6月27日から28 日にかけての深夜大県大分市6房町かこ現 6房南町にあった2階建てのアパート緑総 203号室でこの部屋に住む大分県立芸術 短期大学かこ現大分県立芸術文化短期大学 1年の女子学生の遺体が発見されました同 短大2年の姉とともにこの部屋で暮らして いましたこの日姉妹は所属する短大の音楽 サークルと大分工業大学かこ現日本分離 大学の学生とのジョイントコンサートに 参加し終了後の打ち上げにも揃って参加し ていました22時30分頃に一次会が 終わり姉は2次会へと向かいましたが被害 女性はお風呂に入りたいと理由で断り他の 女学生も含めた3人と一緒に男子学生に 送ってもらいみソ近くの交差点ですぐそこ だからと23時15分頃に彼らと別れてい ます男子学生は残りの女学生を送った後 23時30分頃に2次会に合流しました 打ち上げの2次会は男子学生らが戻って ほどなくお開きとなりました姉は実質に 止めるつもりだった友人女性と一緒に男子 学生らに緑ソまで送ってもらい日付が 変わった6月28日0時30分過ぎに男子 学生らと分かれました階段を上がりドアの 鍵を開けようとすると鍵はかかっておらず

ドアを開けると台所と6畳マの電気はつい たままで高校とした明りの下で台所に 横たわる代わり果てた妹の姿を発見します 上半身はTシャツを着ていましたが胸まで まくられ下半身は裸首にはオーバーオール が巻きつけられ口からわずかに舌を出して いる顔を見てすぐに姉は妹が亡くなって いることを理解しました姉と友人女性は 警察に連絡してもらおうと送ってもらった 男子学生らを探しに戻りましたが見当たら なかったため近くに住む別の男子学生の アパートを尋ねて事情を説明しこの男子 学生が近くの公衆電話から0時51分に 警察に通報しました通報を受け6月28日 午前1時頃に1人の巡査がいち早く現場に 到着しました巡査は遺体を確認した後両隣 の住民の話をを聞こうとドアを叩きますが 205号室は電気も消えており202号室 は電気はついていたものの誰も出てこ なかったそうですその後緑ソ前の空地を 捜索していたところ202号室の窓から男 に何しおるかと声をかけられたため巡査は 202号室に向かい男に203号室で殺人 事件が発生したことを伝え何か物音を聞か なかったか聞きましたが男の返答は酒を 飲んでて寝ていて何も聞いていないとの ことでした事件現場となった203号室の 現場検証では室内に犯人と被害者が争った 後は見られましたが金品を物色したような 形跡はなく室内に土足の後もありません でしたその後の調べで遺体の室内と陰毛 から精液が採取され陰毛に付着していた 精液が血液型B型の人物のものと判明し ますその他室内からは人毛と姉妹以外の 指紋が多数採取されました検修の結果死因 は手で首を圧迫した後被害者の オーバーオールで首を締めつけて考察した 窒息首確認されましたヨが開けると 聞き込み調査の範囲が広げられ近隣住民 からの証言が得られました201号室の 住民は22時頃ベッドに入ったが隣の 202号室から大きなステレオの音がして 寝つけなかったしばらくして小さくなった ので寝ついたがアパートのどこかの部屋 から聞こえるドタンバたんという音で目を 覚ましそしてバタンという人が倒れるよう な音を聞いたその合間に女性の声が聞こえ 小さな声だったがどうしてどうしてと言っ ているのはえたという証言をしており緑ソ から空地を挟んだ東側に住む住民も全く 同じ証言をしていますまた事件現場である 203号室の北隣の205号室の女性住民 からは当日は23時40分頃部屋の電気を つけたまま眠りにつきどれくらい経った頃 かわからないがきゃあ誰か助けてという

女性の悲鳴で目が覚めた物が倒れるような 音も聞こえたどこかの部屋に痴漢でも入っ たのかと思い隣室の203号室の人に聞い てみようとパジャマのまま部屋を出て 203号室のドアをノックしたところ中 から女性の悲鳴が聞こえたので驚いて慌て て実質に戻り頭からタオルケットをかぶっ てベッドに入ったううという声も聞こえて きたので不安になったがその後は普通に 話す声が聞こえてきたのでふざけていたん だろうと安心してトイレに入って再び ベッドに入ったしかししばらくすると ドスンドスンという音と共に神様お許し くださいと泣き叫ぶ声が12分にわって 10回程度繰りし聞こえたそして再び静か になったがしばらくして押入れの方から カタカタという音が聞こえてきたので 恐ろしくなり実家に帰ろうと着替えて部屋 を飛び出したその際木のつっかけを履いて いたので金属製の外階段はカンカンと かん高い音を立てた単体の前の公衆電話 から実家に連絡し続けてタクシーを呼んで 実家に帰ったタクシーに乗ったのは0時 40分頃最初に女性の悲鳴を聞いて目を 覚ましたのはそれより15分か20分 くらい前だと思うとという具体的な証言を 得ていますこうした情報から犯人は深夜に 被害者を尋ねても部屋に入れてもらえる 程度の面識がある人物と思われました6月 29日の大分合同新聞も犯人が土足で侵入 した形跡がないことやドアの鍵が壊されて いないことなどから顔見知りの反抗化と 報じましたしかし容疑者として捜査戦上に 浮上したのはこうした犯人像とは異なる 人物でした被疑者として浮上したのは事件 現場の隣室2025室に住む靴かけさん でした彼は一体どのような人物だったの でしょうか靴かけさんは1956年かこ 昭和31年5月9日大分県大野郡大野町 かこ現文庫大野市の生まれで実家は農家 でした第4市として生まれた長男であった ため可いがれて育ち幼い頃は明るく活発な 子供だったそうですしかし小学校4年生の 時に父が糖尿病となって入隊院を繰り返す ようになると生活は一変し中学に入ると母 が父の看病のために大分市に移ったため姉 2人との3人暮らしとなりました中学校2 年生の2学期からは不登校となりその際に 自閉精神病室と診断されて投薬治療を受け ています翌年母親と大分市内のアパートに 一緒に住むようになって大分市立王子中 学校に転校1年遅れで中学を卒業して大分 電波高等学校かこ現大分国際情報高等学校 に進むと同校で知り合った友人とバイクを 乗り回すようになりました高校もさらに1

年遅れて卒業した後は航空自衛隊に優退し 初期教育が終わると1977年かこ昭和 52年8月に追基地に配属されます新入 隊員としてただ1人重剣道の基地代表の 1人に選ばれた靴かさんは先輩から特に目 をかけられて世話になりますが1980年 かこ昭和55年1月13日飲酒運転で車が 大破するほどの事故を起こし自衛隊を退職 していますその後いくつか職を点々とした 後同年10月1日から市内のホテルに飲料 部のウェーターとして働き始め同じホテル の洋食店で働く女性と恋人関係になり 1981年かこ昭和56年4月20日から 緑ソの202号室で同棲を始めました相手 は高校を卒業したばかりの19歳でしたが 2人の交際同性は双方の親も公認の中でし たそして事件のあった日の1981年昭和 56年6月27日は2人とも休みで15時 頃に気象して恋人が一緒に夕食の買出しに 行こうと誘ったのを靴影さんが断ったこと を発端に高論となり恋人が以前から不満で あった生活費のことで言い争いになった 挙国恋人は実家に帰ると言って部屋を 飛び出していってしまいましたそのような 経緯から事件等や靴かけさんは恋人が出て いった部屋に1人でいましたそして事件 現場の北隣の205号室の住民だけでなく 201号室や空地を挟んだ住宅の住民も 大きな音を聞いているにも関わらず南隣の 202号室の靴かけさんが何も聞いてい ないというのは不自然でした事件直後に 駆けつけた巡査に対して酒を飲んで寝てい て何も聞いていないと答えた靴下さんは その直後騒ぎに気づいて顔を出した201 号室の住民に殺人事件があったことを伝え ていますそして靴かけさんは巡査の許可を 得て公衆電話に行き恋人の実家に電話を かけ緑層に戻る途中で新聞社の記者からの 取材を受けていますその後部屋に戻った靴 かけさんは任意同行を求められこれに応じ た靴かけさんは4時30分頃から6時30 分頃まで大分警察署かこ現大分中央警察署 でT警部保に事情聴取を受けましたふか さんの今日によれば恋人が部屋を出ていっ た後はナイターを見ながらビール1本と ウイスキーを飲んだそのまま寝てしまい 気づくとナイターは終わっていたので中口 強しのレコードをいつもより大きな音で かけた聞きながらまた寝てしまい次に 気づくとレコードは終わっておりテレビは 映画をやっていて酒場やドイツの軍人が 螺旋階段を降りてくる場面だっったという ことでしたT警保は翌々日の6月30日に も再度2位の事情聴取を行いこの日の聴取 は10時から22時に及び午前中に

ポリグラフ検査を行い文発4本を2位提出 させていますこの事情聴取を受けて大分 合同新聞はこの日の夕間で匿名ではあり ましたが重要参考人を呼ぶ若い会社員を 追求と報道しましたこの報道によって靴 かけさんは勤務先から一応預かりだからと 辞職願いを欠かされた上で給食扱いとなり 自宅待機を命じられていますその後も何度 も2位の事情聴取が続けられますが靴かけ さんは酒を飲んで寝ていたので何も覚えて いないと繰り返すだけでしたそして7月末 頃に行った事情聴取の場で靴さんがこれ 以上の聴取に応じることを拒否したため これ以降任意の取り調べができなくなって しまいますそんな中大分市内では同年12 月に連続放火事件が発生また同年10月に 発生した銀行から500万円が強奪された 強盗事件も未解決のままであったため市民 マスコミの警察に対する視線は厳しく緑総 事件の解決にはには警察の維新がかかって いましたそんな中の12月11日ふかさん が同僚4人とともにタクシー運転手に暴行 するという事件が発生しました警察はその 場で靴かけさんだけを暴行容疑で逮捕し ましたあかさな別件逮捕ではありましたが 靴かけさんが2位の取り調べを拒否する 以上警察としてはなんとか身柄を確保し たかったのですところが事件の翌朝靴かけ さんの職場の労働組合が依頼した大分合同 法律事務所の古田国男弁護士が介入時男所 や丸書を取りまとめ酔っていて覚えてい ない年しぶる靴かけさんを認めれば出れる からと説得して靴かけさんは罰金2万円の 略式命令で1週間で釈放されました実はミ 総事件を追求するための別件逮捕と感じた 古田弁護士は違法操作を止めるために とにかく靴かけさんを早く釈放させること を優先して1週間での釈放を実現させたの です12月28日家計県から大分県警に 猛烈鑑定の結果が届きましたその結果は 被害者の部屋に残されていた対のうちの3 本が靴かけさんのものと同一であるという ものでしたようやく物書を手に入れた警察 は靴かけさん逮捕に向けて動きます年が 明けた1982年かこ昭和57年1月14 日大分合同新聞は長官一面で隣室の男逮捕 へ対明血液型が一致大い書が断定事件直後 新しい傷と報じましたそしてこの日の12 時50分ふかさんは逮捕されます新聞記事 を見て集まっていた多くの報道陣や八馬が 見守る中靴さんは大分検察署に連行され ましたその日の大分合同新聞の夕刊は ホテル従業員逮捕周年7ヶ月ぶりに むっつりした犯人靴かけという生み出しと 連行される靴かけさんの写真を大きく掲載

しました逮捕当初は逮捕前と同様酒を飲ん で寝ていたので何も覚えていないと容疑を 否認していた靴かさんも厳しい取り調べの 前に1月18日午前ついに自白しました 大分警察所長の発表を受けて1月22日の 大分合同新聞長官には靴かけやっと実況私 に間違いない恋人と喧嘩カト両親揺さぶる 説得でという見出しで逮捕を大きく掲載し ましたふかさんは1月30日から3月10 日まで市内の中園精神病院で精神鑑定を 受けましたが精神障害や憲法は存在しない との鑑定結果を得た上でふかさんは3月 15日に[ __ ]地士殺人の罪で起訴されます そんな中12月の靴かけさんの暴行事件の 弁護を担当した古田弁護士はり総事件に ついて靴かけさん本人からやっていないと 聞いており靴かけさん逮捕の報道に接して 別件とはいえ一度弁護を担当したものとし て会いに行くべきではないかと考えてい ましたそして逮捕の翌々日の1月16日 古田弁護士はまだ本人からも家族からも 依頼されていませんでしたが弁護人に なろうとするものとして自白前の靴かけ さんと面会しそこでも再度やっていないと いう靴かけさんの言葉を確認し金銭面から 運と言わない靴かけさんにとりあえず弁護 人000人届を書だけ書かせてその日の 面会を終えました当時の古田弁護士は登録 2年目で否認している靴かけさんの刑事 弁護を1人で担う自信はなかったため弁護 士控室で声をかけられた小中校の8年先輩 にあたる徳田弁護士に依頼こうして2人は 1月25日に靴かけさんの長子にあって 着手金を受け取り正式に家族の依頼による 靴かけさんの弁護人となります大分地裁に おける初後半の記述は1982年かこ昭和 57年4月26日に決まりその約10日前 に弁護団に対して関係書類の開示が行わ れれましたこの時初めて靴かけさんの今日 調書を見た弁護団は驚き困惑します新聞 報道等では全面事業と報じられていたにも 関わらず靴かけさんの教授は気いたら 203号室で被害者の井のタのそばに立っ ていた侵入経路や反抗状況は一切覚えてい ないが自分が犯人に違いないというとても 自白とは呼べないようなものであったそう です4月26日大分地裁で第1回後半が 開かれましたこの後半では口かけさんは 反抗現場にいたこととすぐ自分の部屋に 帰ったことは覚えている胸を答えました第 2回後半は6月7日に行われましたこの 後半より翌1983年かこ昭和58年1月 13日の第10回後半までをかけて緑総の 住民や捜査にあたった警察官官邸にあたっ た家計県や大分県警科学捜査研究所の議会

などの証人尋問が行われました検察側の 立証は第10回後半での被害者の姉ととも に体を発見した友人への証人尋問で終了し ましたが2日算による反抗であると十分に 立証されたとは言えない状況でした逆に 弁護側はこれまでの心理で明らかになった 犯人像と靴かけさんは結びつかないこと 事件直後の靴かけさんの態度や行動も犯人 のものとは思えないことまた対象しうる 指紋相聞足跡もないと指摘してはっきりと 無罪を主張しましたそして翌第11回後半 では教授長所は身体的精神的疲労と対明 遺留等の五道によるものであり反抗当時の 記憶がない中で記憶に基づかずに事故が 反抗化したと推定あるいは想像したものに 過ぎないとして自白の任性を争う姿勢を 示しましたこれによって次回第12回後半 では靴かけさんに対する被告人尋問が行わ れることになりました被告人尋問が行わ れる第12回後半の前日の1983年昭和 58年3月9打ち合わせのために接見した 古田弁護士に対し靴かけさんは実は事件の あった時間は寝ていて隣の部屋にいた記憶 はないとこれまでの隣の部屋にいたことは 覚えているという今日とは異なる話を始め ましたそして第12回後半で古田弁護士の 酒を飲んでいて眠ってしまって事件の時間 帯の自分の記憶はないというのが本当の ところなんですねという最後の質問に対し て靴かけさんははっきりとはいと答えまし たそして3月9日13時30分第52回と なる判決後半が開演判決の主文は被告人を 無期懲役に処するでした裁判長は判決理由 のの中で有罪認定の柱として靴かけさんの 自白や家計権の猛烈鑑定などを挙げました 一新判決後の記者会見を終え配送に 落ち込んでいた両弁護士でしたが他の弁護 士の協力もあり弁護団への参加を呼びかけ ましたそして最終的にミ総事件の弁護団は 13名となります弁護団は一新判決を再 検討し自白の任意性1025室の住民の 証言靴かけさんの体に紙傷がなかったこと 靴さんの衣類から被害者の血液の跡が 見つかっていないこと靴さんの首や左手首 の傷文発鑑定の信用性などについての一新 判決の判断を批判し靴かけさんが犯人では ないことを示す証拠を指摘するおよそ 200ページにも及ぶ控訴収書をまとめ 1989年平成元年11月30日に福岡 高裁に直接自賛して提出されました福岡 高裁における高訴審第1回後半は1990 年平成2年3月14日に開かれ弁護側は 自白が共用されたものであることを明らか にしていき家計権の発鑑定の信用性にも 踏み込みました文発鑑定に関する国内外の

大量の文献を示し分析科学的検査では 同一人でもデータの変動が大きく他人官で もあまり違いがないことを指摘して家計権 の文発鑑定が信頼できないものであると 説明しましたその後離島計画の世界的権威 九州大学理学部の柳川孝女教授を紹介され た弁護団は教授に再鑑定を依頼しました これとは別に第6回後半で弁護団は被害者 の首に巻かれたオーバーオールに付着して いた対の鑑定を要求し鑑定の結果 オーバーオールについていた対明は血液型 大型のものであることが判明しました さらに遺体の仕法解剖の鑑定書に何かが 剥がされた形跡を発見して鑑定人に 問い合わせたところ当初の鑑定書には被害 者の室内に残されていた精液はA型または 大型であると記された付属説明文章が添付 されていたことが分かります被害者の陰毛 に付着していた精液は靴かけさんと同じB 型のものであったため弁護団は複数犯に よる反抗を強疑うようになっていきました 柳川女教授の再鑑定書は統計的鑑定法の 考え方についての総論とこの観点から具体 的に家計権の発鑑定の誤りを指摘する各論 部分からなり結論としてあらゆる点におい て本件において採用された文発鑑定法は 信頼性のある科学的根拠を持った鑑定とは 言えないと断言するものでした弁護団は この再鑑定書を5月23日の高訴心第8回 後半に証拠として申請し6月25日の第9 会後半では柳川女教授の証人尋問が行われ ました柳川女教授は鑑定書と証言でまず 被告人の猛烈のサンプルが少なすぎて被告 人の文発の特徴自体が明確になっていない ことを指摘また鑑定については事件現場で 採取された文発と被害者被害者の姉靴かけ さんの猛烈の塩素カリウムカルシウムの 含油料を比較して靴かけさんと同程度で あったと鑑定したものでデータには幅が ありしかも被害者の姉と靴かけさんの数値 は大部分が重なっていることと示しました 本来この重なり合った部分は鑑定不可能 領域であり事件現場で採取された文発の 数値がこの領域にあれば被害者の姉のもの とも靴かけさんのものとも判定できない ものであると指摘しましたそれにも関わら ず家計権の文発鑑定で事件現場で採取され た文発のデータが靴かけさんのデータと 一致したと判断しているのは失当であり そもそも人の猛烈はほとんどの人で元素 含油料のデータは大部分が重なるもので あるから3人の文発だけと比較しても全く 意味がないと主張しました柳川官邸書を 提出後前田裁判長は弁護団と検察を 呼び出し反抗現場に移流されていた文発と

被害者の室内から採取された精液をDNA 鑑定にかけることを打線しました当時 DNA鑑定は100万人に1人の確率で 個人選別が可能などとマスコミで報道され ていたもののまだまだ未知の領域であり DNA鑑定の科学的信頼性には強い疑問が 残るとされていましたが10月31日の第 12回後半で日本で初めての裁判所の職権 によるDNA鑑定が行われることが決まり ました鑑定結果は事件現場から採取された 文発のうちの1本からふか算と同一の DNA型が検出されたというものでした しかしこの鑑定書には多くの問題があり 弁護団が発見した誤りは53箇所に及んだ そうでこれを受け福岡交際で鑑定人尋問が 行われることになり結果32箇所が訂正さ れました刑事事件の鑑定書でこれだけの 箇所が訂正されるというのは前代見物でし たDNA鑑定で靴かけさんと同一のDNA 型が検出されたとする猛烈が靴かけさんの ものではありえないことが明らかになった 第23回後半直後の1994年かこ平成6 年7月7日弁護団は福岡交際に対してふか さの保釈を請求しますこれによりその後 検察は特別広告を断念8月1日日算は保釈 されました殺人事件で一新で無期懲役判決 を受けた被告人が保釈されるのも日本では 極めて稀なことでした1995年平成7年 2月24日 第26回後半が開かれ13時30分に弁護 側の最終弁論が始まりますこの弁論により 控訴心は決心とし1995年平成7年6月 30日福岡高裁で判決後半となる高訴心第 27回後半が行われました14時に開演し 長町裁判長が主文現判決を破棄する被告人 は無罪と逆転無罪となる判決を読み上げる と満席の膨張石から大きな土めきと拍手 そして被告にの長子のむせびなく声が法廷 に響き渡りました近隣住民がどうして教え てという声を聞いていることや犯人は深夜 であるのに203号室に何大雑魚座もなし に入り得たように伺えることから犯人は 被害者と親しくかつ信頼関係のあるもので はなかろうかと強く推測されると判事し さらに靴かけさんが警察官に何しおるかと 声をかけたことやこの警察官や201号室 の住民新聞記者と言葉を交わした際も不審 な様子はなく落ち着いたで対応していた ことを[ __ ]や殺人といった凶悪な犯罪を 貸した直後の犯人の言動としては通常考え がいとしました長町裁判長が判決を言い 渡しを得ると法廷は再び大きな拍手と完成 に包まれ退園しようとする長町裁判長の 背中に向けて膨張席から一極大きな声が 上がりました長町裁判長は一瞬その歩みを

止めつつも振り返ることなく法廷を後にし たそうです上告期限を翌日に控えた7月 13日福岡高等検察庁は国を断念しけさん の無罪が確定しましたまたこの事件は被害 者や家族に対する報道被害事件としても 知られており靴さんが2回目の事情聴取を 受けて以降マスコミは靴かさんを重要参考 人として犯人士する報道を続けました逮捕 までは匿名ではあったものの狭い地域社会 では誰のことかは周知のことであり靴かけ さんは元より親類までが報道被害を受け ましたノンフィクション作家の小林道夫も 靴さんを犯人にしたのは警察検察一新裁判 所の3者でありそれに加えてマスコミが 掛けさんを抹殺しようとしたこの4社全て が謝罪していないと語っています特た弁護 士はもし逮捕直後からついていて連日の 接見を必ず確保していたらあんな自白は 絶対になかった靴かけさんとの意思疎通が うまくいかず報道に影響されて弁護団も靴 かけさんが現場にいたのは間違いないと 思ってしまった逮捕直後の弁護活動が いかに重要かを再認識させられたという 反省を口にしていますこの反省に立って 徳田弁護士は基礎前弁護はあらゆるケース に必要ですが否認事件には特に徹底的に 保証されなければならない何としてでも 自分たちが戦闘に立って登板弁護士制度を やりなかなければとの決意のも登板弁護士 制度の発足に本し1990年かこ平成2年 9月14日大分県弁護士会が日本で初めて の登板弁護士制度基前弁護人推薦制度を スタートさせましたその後大分県警は再 捜査の必要はないとし1996年かこ平成 8年6月28日0時ミ総事件は控訴事故を 迎えこの事件は未解決事件になってしまい ましたはいということで様々な不運が 重なり冤罪被害を受けた靴かけさんですが 現在は仕事の傍ボランティア活動や労働 組み合い運動にも積極的に関わるなど緑総 事件をきっかけに大分県で始まった当番 弁護士制度を支える登板弁護士制度を支援 する市民の会大分弁護団の弁護士が関わっ ていた労働組合大分フレアユニオンHIV 患者を支える会や感染病国家賠償訴訟を 支える会などで活動するなど社会貢献て いるそうです1人の男性の13年という 時間を奪っておきながら謝罪1つしない 警察の対応には嫌悪感を覚えますねはいと いうことでミ総事件見ていただきましたが 動画内で触れた通りこの事件では5人逮捕 した警察も報道で男性を追い込んでいった マスコミも男性に対し謝罪を行っていませ ん人様の大切な時間を奪いさらに社会的に 追い込んでいったにも関わらず謝罪の1つ

もないのはどう考えてもおかしいしやはり 謝罪は最低限必要だと感じます今回見て いただいた7つの冤罪冤罪が疑われる事件 に共通して言えることは冤罪被害にあった 人はあまりに報われないし自分たちもいつ 巻き込まれるかわからないということです 中には冤罪かもしれないだけで実際本当に 犯人である可能性も十分にある事件もあり ましたザザンボ事件や貝塚ビニールハウス 事件大分緑総事件のように冤罪が認められ た事件の冤罪被害者は時間や社会的立場 など失うものは非常に大きいですしかもも 何も悪いことなんてしていないのにです 冤罪被害をゼにするのは簡単なことでは ありませんが中には明らかに警察のミスや 隠蔽などによる人的冤罪も存在します せめてこのような冤罪事件はなくすよう 努力してもらいたいものですねはいという ことで本日の総集編はいかがでした でしょうか長時間の動画でしたが最後まで 見ていただき本当にありがとうございまし た感想などあればコメント欄に書いて いただきもしまたこういった総集編をま見 てもいいかななんて思った方はまその胸 コメント欄に書いていただければまた総集 編第2弾もやりたいと思いますのでぜひ ぜひコメントくださいそれでは繰り返しに なりますが最後まで見ていただき本当に ありがとうございましたまた次の動画でお 会いしましょうそれでは皆さんバーイ パンダ

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#和歌山カレー事件
#狭山事件
#大分みどり荘事件

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10件のコメント

  1. パンダさん総集編ありがとうございます。ゆっくりと聞かせていただきます。ありがとうございます( *゚A゚)

  2. 嘘をつき続ける事で自己催眠に懸かり、自分自身も『やってない』と信じてしまうんじゃないかな?

  3. やっぱりパンダさんの動画は良く調べていて、興味深く見れました。全部リアルタイムで見てる筈なのに新たな発見もありました😁
    被り物のやつれた感じが😂ふっくら顔のパンダさんがいいな♩

  4. パンダさんお疲れ様さまです❤
    総集編とても嬉しいです☺️
    これからも頑張ってください!
    応援しています〜🙆‍♀️

  5. 冤罪の可能性が極めて高い事件は日弁連や冤罪事件の支援団体が支援してます。例えば、痴漢冤罪の映画『それでもボクはやってない』の周防監督が取材した支援団体が支援してる事件(袴田事件が有名)は、検察や警察の捜査の矛盾や証拠の裏付けなどを独自で調査してから支援の取り決めをしてます。

    どの事件系YouTuberも冤罪として取り上げない事件がこれらには数多く存在し、日弁連や団体が支援してる事件には相応の客観的事実がありますが、支援されない事件は客観的証拠が乏しく冤罪の可能性が低いと見なされているから支援されません。

    ネットで取り沙汰されてる和歌山カレー事件や飯塚事件は双方の団体から支援を受けていませんが、むしろ冤罪と思われてない事件が再審請求されているため、これらから事件を取り上げることもお勧めします。

  6. 鈴鹿事件の動画を見たが動機や状況は黒いが検察主張の殺害方法があやふやとの印象を持った。恵庭OL事件にそっくり。自分が裁判員ならこう聞いてみたいね。「直前にコンビニで買った軍手はどうしましたか?」

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