バブルシステムとグラディウスの世界 【バブルシステムハード解説/開発者と開発物語/伝説の男】

今回はコナミのアーケード用基盤バブルシステムと名作グラディウスの魅力に迫ります。 毎回恒例ですが、中の人は一般人であり、インターネットや各書籍からの引用で動画を作成しております。 完全なデータとしては不十分であり、間違い勘違い等もありますので、 それでも良いよ、という方は少々お付き合いいただければと存じます。 1980年代前半のアーケードビデオゲームの中心はCPUに8ビットのZ80 音楽はまたPSGが主流 そんな中コナミが1985年に画期的なアーケード基盤を開発する。 コナミバブルシステム(コナミGX400としても知られる) 代表作にグラディウス、ツィンビー等がある。 まずはスペックを見ていこう。 CPUは2つ搭載している。 メインCPU モトローラ68000)9.216MHz サウンドCPU:NEC D780-1(ZilogZ80)@3.579545MHz メモリ構成を見ていこう プログラムRAM:合計128Kビット(4kビットSRAM+124kビットDRAM) グラディウス利用時はさらに128kb(64kbSRAMx2)を追加する。 外部メモリとして、基盤の名称にもなっている磁気バブルメモリを2Mビット(富士通FBM54DBを2つ)搭載 解像度 256×224 カラーパレット2048色 スプライト256個 サウンド General InstrumentsAY-3-8910PSG (プログラマブルサウンドジェネレーター)2個 コナミK005289WSG(波形音源2ch)1個 SanyoVLM5030ボイスシンセサイザー1個 1985年テーブル型ビデオゲーム筐体としては当時としては大容量なメモリと合わせて強力な性能を持った。 基板は上基板、下基板、バブルメモリカートリッジの三つで 構成されていて、 上基板はCPUと音源、下基板はビデオ周り、 バブルメモリはゲームデータとなっている。 上の写真の右側の黒い鉄製の箱がカートリッジの部分となる。 通称”弁当箱”。ファミコンのカセットにあたるものである。この弁当箱に、磁気バブルメモリが入ってるわけである。 下基板は沙羅曼蛇等にも流用されており、当時はかなり高性能な基板だった。 2.磁気バブルメモリについて 通常マスクロムと呼ばれるマスクロムの マスクは反動体の製造工程に用いられる フォトマスクのことを指す反動体の加工は 非常に細かいレベルの加工をするためこの イラストのようにフォトマスクマスクお 使いレンズで光を屈折させて加工したい 箇所のレジスタを変化させるそうすると レジスタが変化し描きたい形に パターニングを行い 加工をしていくこのフォトマスクは設計 終了の地に発注されるマスク台は高いので 簡単に変更することができない製造時間が 長く大量生産に向いているのでファミコに ロムなどに利用されたアーケードビデオ ゲームは家庭用と比較して数々数百と生産 されないETロムというものがある 書き換え可能なフラッシュメモリーを想像 いただければ良いです1個数円と効果で

ありながら簡単にデータを登録することが できた紫外線を当ててデータ消去すること ができる通常この穴の部分にはシールが 貼られていた少数生産するアーケード ビデオゲームには向いていたeepロムの 利用は1999年難度型フラッシュ メモリーに置き換わるまで利用されたその 反面1つ当たりの容量は小さくアーケード ゲーム基盤に大量のEPロムが刺さって いる写真を見たことがある方は多いで あろうまた簡単に制作できる反面コピーへ の対策が困難であったそんな中富士通が 画期的なメモリを開発するコンピュータや 各種情報機器などに使われるメモリには発 と発があり電源の供給が止まっても情報が 消えないタイプを発メモリという今でいう フラッシュメモリー的な特性を持っていた 時バブルメモリーはベル研究所のボベクラ が研究 1967年に発表した時バブルを利用した 個体メモリである名前の由来であるが正隊 にある遠投上の軸が水中の泡のように外部 事によって自由に発生運動消滅ができる ことからこの名ある情報不発電気席 書き換え高速アクセスなど多くの特徴を 備えた組であったこの特徴を生かして1m デバイスで構成したミニファイル 100kB1 ファイルメモリ 178年から約10年間にわって用途が 広がっていった例えばボードに実装した ものはコス端末の価格ファイルメモリーと して発性を生かして活用されたバブル カセットは高速リムーバブルメモリとして 富士通ミクロ8を始めとするパーソナル コンピューター航空完成システム防衛宇中 観測金融端末交通など広く利用されたなん となくダメなメモりのイメージがあるわ カレー水星探査試験器先だけも採用されて いるグラディウス発売日は1985年2月 2日カレー水星探査試験機先だけ打ち上げ に知事は1985年1月8日ジキバルブ メモリーはグラディウス発売の26日前に 宇宙を飛んでいるのだしかしその後 1990年を境いに別の反動体の対等に よりその役目を終えることになった磁 バブルメモリを適切に動作するには30 40°まで加熱する必要があった起動時は カセット内の抵抗機を使ってバブルメモリ の暖機を行いその後システム基盤のラムに プログラムを転送するバブルシステムでは 電源を投入してからゲームがプレイアブル になるまでは数分の時間を用し短期の地の ロード中にコナミモーニングミュージック

という曲が流れる仕様となって 時バブルメモリは時ディスクなどの機械的 に動く気を体と異なり振動や害などの影響 を受けない強みがあるものの外部の時期 電磁波野原理上に非常に敏感な部品だった ためデータの消失が頻繁に起こった一例と して電車の床に置いただけでも電車の伝送 品から漏洩する電磁場の影響を受けデータ が消失するほどであったという後に時 ディスクや反動体メモリの進歩で補部品を 入手できなくなったため修理対応はAP ロムを採用したカートリッジへ嫉妬して いったこのEロムバはローディングの長さ が改善されてカウントダウンが早く終わっ てしまうため曲が聞ける時間も短いこれに より起動画面は短縮されバブルシステム 起動画面ファンは悲しむことになる期に 要する時間は基盤を取り巻く環境により まちまちで通常は3境ほどとさ れる地だとより多くの時間を要する場合が あり逆に猛暑の場合は期する間もなく ローディングが始まる行った問題からこの 基盤が採用されたゲームはスンビ グラディウスコ RFギャラクティックウォリアーズの4 作品の身であるこのようにバブルシステム 第1弾はスンビなのにどういうわけか ブラウスバージョンが有名になりすぎて テムグラディウスのイメージが強くなって いるRF2も素敵なサウンドを奏でますの で概要欄リンクのGMTスタジオさんの 動画で堪能いただきたいギャラクティック ウォリアーズも音楽面で評価が高くdgm がしばしばテレビ番組などで流された らしいこちらもチェックいただきたい作品 である機動時の流れ電源投入後まずりの 暖機が始まりモザイク起動ごとに色が 異なる画面に プレゼンテYコナミの音声合成が発せ られるその後音声合成によるゲッティング レディ準備中と50からのカウントダウン の音声が交互に流れるなお基盤が起動 できる状態になるとカウントダウン音声は その時点で終了し逆にカウントアップ前に 準備が整わないと50から再びカウントが ルークするその後コミモーニング ミュージックという曲を演奏しながら画面 に99からのカウントダウンを表示し2分 ほどかけて磁バブルメモリからメイン基盤 のDラムへプログラムの転送を行って起動 するなおツンデグラディウス好RF2 ギャラクティックウォリアーズの カウントダウンは表示フントが異なる くらいでシス自体は全く同じたしグラウス

のみフントダウンする2桁の数字の フォントサイズが大きく目立つのが特徴 一般にローディングは待ち時間が煩わしい ものとして否されがちだがバブルシステム においては1つの演出として愛光する ファンも少なくなかったようで後にはるか に高性能な家庭容器に移植された際にも あえてこれらのスローな動作を再現して いるケースが見受けられる3グラフィッ 機能カラーパレット2048色はこの時代 としては非常に強力であるしかしながら ゲーム中は背景64色程度と豊富な色は 使われていない当時は本体メモリが非常に 少なく300色以上の色を出したのは グラディウスのデモの1枚目程度であった 4サウンド機能ワブルシステムは4つの サウンドチップを搭載している1PSG AY38910破ちゃんタスホワイト ノイズお2つ搭載PSG6ちゃんとなるが BGMで3チャン残りは効果音で使われた と想定される2ハメモリ音源K0052は 地球波形メモリ2チン1波形につき横方向 32段階縦方向16段階で派遣を描くこと ができる使用的にはなこの派遣メモリと 同等である後年発売されるMSX用は軽 メモリ音源SCCでは縦方向の改造度が さらに細かく設定できるラデュースでは7 つの波形パターンが使われている波形 メモリはたった2つしかないグラデュウス では破メモリとPSGを重ねて独特な音色 を作っている3スピーチチップ用のボイス シンセサイザーチップvlm5030お 搭載してる起動後のカウントダウンの音 サラマンダのパワーアップ音が有名だろう この音源はんと歌うことができる1986 年発売ダブルドリブルではアメリカ国家を 歌っているこの業界では説となっていた 1987年初売のサイコソルジャーが サイコの歌うゲームではなかったの だ5グラデュウスについてグラディウス 日本国外名ネメシスは日本のコナミから 発売され1985年に稼働開始したハを横 スクロールシューティング ゲーム初のトル名はジ君ファイター グラディウスシリーズ化され同者の グラディウスシリーズ第1作となった17 ステージの無限ルーク製タッチコピーは 1985宇宙がごやってくる分かっている スタッフは以下の通りであるゲーム デザイン待ちひやデザイナーキャラクター 中村プログラマ ミコンポーザー東のその他サウンド コンポーザー含めと数名のスタッフが 関わっているゲーム内容そのもは皆様の方 がよくご存知と思われますので紹介は省略

する6サウンドコンポーザー東の東の 1965年1月1日は大阪府出身のゲーム ミュージックの作曲か長年コで作曲を 手がけちゃんなどのペネームも使して 現在はフリーランス歴フルオーケストラの 譜面をかける数少ないゲームミュージック の作曲家の1人幼い頃から絶対温感を持ち 両親の影響もあって子供の頃から主に クラシック音楽を聞いて育つ5歳でピアノ とソルフェージュ長音を習い始め幼稚園の 頃には短い歌を作曲し学府も残っていると いう小学生の時は作曲塾に通いある曲を風 や風に即興でアレンジして引いたり クラスターで一斉に音を鳴らして調音し たりなどのレッスンを受けていた ミッションスクールに6年間通っており この時に触れた教会音楽も自分の音楽的 バックボーンの1つになっているという しかし将来は漠然とだが松弓のような マルチシンガーソングライターを目指して いたため中学の時からバンドを作り オリジナル曲をたくさん曲していた高校2 年生の時に芸大受験を意識し超スピードで 芸大和生と大違法の課題をこなした本題に 進むきっかけはYMOの坂本龍一が東京 芸術大学作曲率と知ったため大阪音楽大学 作曲学科に入学を友人に誘われピアノ2代 の女性2組ポピュラーバンドを組みヤマハ ポピュラーソングコンテストに出場し準 決勝まで進出している大学時代に学生家の アルバイト戦の張り出しを見たのが きっかけでコミで作曲のアルバイトを始め グラディウスサラマンダお手がけた作曲に 用いていたのはヤマハのポータサウンドで 作ったものをサウンドスタッフに聞いて もらい楽譜にして打ち込んでもらったもの を聞きデータの間違いをチェックしたり 音色のニュアンスなどを伝えたりしてその 繰り返しで作品を仕上げていたという グラディウスのバブルシステム基盤でなる モーニングミュージックは東の作ではなく 先に在籍していた作曲アルバイトの先輩 2人のいずれかの作曲ということである なお東野は作曲アルバイトの3人目だった 大学では作曲を先行しシンセサイザーの 授業を取ってモグ3Cの仕組みを学んだ 当時のモグシンセサイザーは音が安定せず 突然音が出なくなることもあったため授業 が中断することも度々だった新世サウンド の入口はクラフトワークYMOだったが 当時の大阪音楽大学は現代音楽市場主義的 な雰囲気が色メロディーハーモニーリズム という音楽の三要素を時代錯誤と見なす 異質な世界に来てしまったことに戸惑いを

覚えたまた大学内の雰囲気として ポピュラー音楽系は別されていたため隠れ キリシタンのように一部の人とこそこそ imoの話をしていた卒としてから内定が 出ていたが事態し卒業後はリクルート者に 入社その後中途採用でコナミに再入社した コナミ復帰後はグラディウス3伝説から 神話へコントラスピリッツなどの作曲を 担当コナミ区警派クラブのメンバーとして 数々の作品を送り出した自身が手掛けてい た幻想水子電は音楽的にも成功を納めた ため幻想水子電2では彼女自身がスコアを 書きヨーロッパのオーケストラの演奏を 録音するために実際にヨーロッパまで 出向いているしかし幻想スコ伝3からは 本人の意行で離れた現在一時の母音楽活動 を再開しているここからインタビューを 交えて東の美希さんを紹介する インタビューは最初にこれまでの職歴現在 携わっているお仕事を教えてください東の 大学生のの時にコナミにアルバイターとし て採用されましたその時に初代の グラディウスやサラマンダなどの楽曲に 携わりましたその後リクルートでOL経験 をした後中途採用でコナミに出戻り幻想 水子電幻想水子電2などの音楽政策に 関わりました現在は育児奮闘中なので できる範囲でお仕事を受けていますゲーム 業界に入るぞという決心というほどのこと ではありませんでした曲を作るお仕事で あれば何でもやりたいと思っていました コミのアルバイトも優人に誘われて気軽に 行ってみたのが始まりです インタビューアーこれまで自分の仕事に 影響を与えた出来事大きな天気となった 出来事などはありましたでしょうかまた これまで東野さんが携わってきた作品の中 で特に思い入れが深い作品を教えて くださいに今を与えたこととしてあげるの はリクルートで仕事をした経験です当初 新卒の内定をこみに頂いていたのに ギリギリでお断りしてしまいリクルートへ 行ったのですというのも毎日机に向かって 曲を作り続ける自信がなかったのともっと 広く社会勉強がしたかったからなんです 当時のリクルートはまだリクルート事件の 前でそれはもとぶ取り落とし勢いでしたの でおっとりした私は目がするくらい社員 たちの頭の回転は早くビシビシ鍛えられ ましたとにかくポジティブシンキングで 課題や目標に向かいオフで遊ぶ時は 思いきり遊ぶ社会人としての常識も学べ ました思い入れが深いのはアーケード版 グラディウスです開発中の画面を初めて見

た時のことを今でも鮮明に覚えています コンピューターや筐体の置いてある部屋が あり禁煙はもちろん足現金でなまという 感じでした私はスリッパに履き替えて入り まだ音のついていないグラディウスを見せ てもらえましたキラキラしてみたことの ないものそれはまるで新製治室の赤ちゃん がスヤスヤと眠っているような印象でした 生まれ落ちたばかりのこのゲームに自分の 作った曲がつくんだと思うととてつもなく 感動したしワクワクしました インタビューアーそれでは自分がプレイし たことのあるゲームの中で名作と呼ぶべき ゲーム作品を1タイトルあげるとすれば何 ですか東の名作としてあげるのはコナミの ダンスダンスレボリューションシリーズ ですね2000年の6月に大阪の茶屋町の ゲームセンターでたくさんのユーザーさん のプレイを見たんです各地のイベントで 優勝したチャンピオンたちがいました プレイしているというよりほとんど高速で 踊っているんですねまだ小さな子供の チャンピオンもいました そのすごさは勝でうまく表現できませんが 見物している人たちみんなが幸せな時間を 共有していてゲームが独り立ちして多くの 人に愛されている理想的な姿でしたチーム の人たちはいい仕事してるなと羨ましく 思いましたインタビューアーこんなゲーム を作りたいこんなゲームで遊んでみたい など本ものゲームエンタテイメント業界に おけるご自身の展望や業界全体への希望 などをお聞かせくださいそして最後に コンボゲーム業界を目指している読者へ 向けて作品作りにおいて1番大切だと思う こと作品を世に送り出すにあたって心がけ ていることをお聞かせください東の エンタテインメントは本当に素晴らしい ものだと思うんですどんなに世界が悲惨な 状況に陥ったとしても子供たちは無邪気に 遊びますね楽しい時間ちょいは奪われる ことはないのですゲームはそういうコをお 手伝いするものであって決して戦争やに 憎しみを助長させるものであってはなら ないと思っています今個人的に興味がある のは子供の観察です笑い娘がまだ一歳の頃 私が人と人切り電話した後彼女は携帯を 持ってペチペチペチプ ばと言って私を真似たんですよく めちゃくちゃ喋ると言いますがが言葉が 確立されていない赤ちゃんの耳には大人の おしりはペチペチと聞こえているようです 些細なことですが感動しませんかこれは ほの一例です神秘的な事件は日々起きてい

ます作品作りにおいて大切なのは ターゲットとなるユーザー層がどんな人 たちなのか把握することだと思いますその ためにはゲームセンターをロケ回りしたり 全てのアンケートはがきをチェックしたり コミケに行ったり笑いいろんなことをし ましたできるだけユーザーさんに近い位置 にいて望まれるものを作ることが大事だと 思ってい [音楽] ます7ゲームデザイン町口広康市町口安市 は初代グラディウスお監督士続編の ほとんどに携わったインタビューで彼は グラディウスの期限コミの歴史における グラディウスの位ゲームデザインと アーケード運営者の経済的現実の間の緊張 について語るグラデュウスの開発と西洋の RPGを結びつけた長田越しの短い インタビューが番外編として追加されて いるゲーム秘宝インタビュー1999年9 月私がコナミに入社したのは1982年か 83年頃で入社当時はあまりゲームが好き ではなかったというかゲームのことを あまり知らなかったです者はゲームに 関することを1から学ばなければなりませ んでした仕事を進めていくうちにいわゆる ゲームプレイの要素などの基本的なことも 含めてほとんど全てを学びました私は デザイナーとしてスタートしましたが しばらくして自分にはその才能がないと 判断されました笑いそれでプログラマーと して復食しました私が入した当時コナミは メダルゲームからビデオゲームへの移行に 懸命に取り組んでおり多くのプロジェクト がお蔵入りになりましたその結果私が実際 に公開した最初のゲームはブラウスでした 一緒にチームを組んでもらうことになった んですが自分のアイデアだけでは絶対に ゲームは作れないのでまずはみんなに どんなゲームを作りたいかを聞くところ から始めました驚いたことに皆さんから シューティングゲームという返事があり それをきっかけに企画がスタートしました 当時はのゼビウス全盛でシューティング ゲームを作るならゼビウスを超えようと いう熱狂的な気持ちが皆にありました横 スクロールにしたのはスクランブル用の 素材があったのでそれをできるだけ再利用 することにしました実はブラウスは元々 スクランブルにとしてスタートしました 初めてのタイトルだったので自分たちの やっていることに自信がありませんでした 私たちはとても不安でしたに 次々とアイデアをのニター画面でテストし

ていきました例えばオプションの場合20 種類くらいの動きのパターンを試してダメ だった場合は消去法で進めていったと思い ますブラウスの開発機は約1年でその間 ずっと継続的な実験と改良のプロセスでし たグラディウスまもう1つの目標はこれ までのゲームでは表現できなかったことを 表現できるようにすることでした外まで 言うところの世界観です独特の世界観や 設定がグラディウスの特徴の1つだったと 思います私たちがグラディウスを開発して いるのと同じ時期にコナミは最初の16 ビットCPUであるバブルシステムの完成 していました表示と処理能力の点で大きな 進歩がありました今でこそ家庭用ゲーム機 は128ビットCPUを搭載していますが 当時は16ビットシステムが非常に強力 でしたそこでこれまでできなかった新しい ことをやりたいという思いから様々な アイデアを出しましたステージごとに全く 異なるイメージになっているのはゲームの 世界を多彩に作りたいという思いから 生まれましたグラディウスの場合この アイデアが最初にありゲームプレイはそれ に基づいて決まりましたゲームの世界観に ついてはSF映画から大きな影響を受け ました当時人気のSF映画はスターウーズ とレンズマンでしたどんなシューティング ゲームを作ろうかと考えていた時に ちょうどレンズマンが出てきたのでチーム で見に行きましたそれは私たちに大きな 影響を与えましたストーリーではなく プラズマやレーザーなどの描き方がとても 印象に残りました劇場からの帰り道に話し ていてあのプラズマレーザーみたいなもの をゲームに入れてみようということになり ましたこうしてレーザー兵器が誕生したの です私たちは多くの困難に直面しましたが 特に目立ったのは記憶容量の限界でした 当時としてはかなりの量だったがそれでも 十分ではなかったグラディウスで死亡する と数画面分のチェックポイントに戻され ます実はこれは私たちの当初の設計計画に はありませんでしたご存知の通り バックグラウンドデータは1度に3画面 ずつロードされていましたがプレイヤーの 死亡によって転送が中断された場合データ の転送に時間を確保するためにプレイヤー を3画面送り出す必要がありましたメモリ の問題でそうせざるを得ませんでしたが 最終的には興味深い回復パターンシステム にたどりつくことができたので全てが うまくいきましたもう1つ苦労したのは パワーアップゲージですこれが1番大変

でしたスピードアップアイテムやミサイル アイテムなど個別にアイテムをシステムも 試してみましたがなんだか物足りなさが ありました私たちはプレイヤーに選択の 自由を与えたかったのです単にアイテムを 拾うか拾わないかの選択ではなくより詳細 な選択ですそこでプレイヤーがパワー ハップを手に入れて保存できるように しようと考えましたがそれをどのように 使用するかどのような選択システムにする かについては非常に苦労しました当時の パソコンのファンクションキーの配置から インスピレーションをけましたパワー アップゲージのイメージはその配置と配置 でしたその後パワーボタンを作りました 当時は3ボタンのコントロールパネルは ほとんどありませんでしたそこで グラディウスの2ボタン版も作りましたが 予想通りあまり面白くありませんでした 最終的にはロケテストでのプレイヤーの 反応を考えた結果3ボタン設定に決定し ましたグラディウスの成功はチーム全員の アイデアを取り入れ議論し議論しチーム 全体の意図を反映したものを作ることが できた点にあると思いますまた外部からの アイデアにはあまり耳を傾けませんでした 3ボタン設定を使用するという決定はその 一例です代わりに私たちは強引に先へ進み ました笑いもちろん自分たちが作っている ものが面白いという自信があったからです アーケードゲームの世界では2つの異なる 基準で審査されます1つはそのゲームが 運営者に収入をもたらしたかどうかという 厳密な問題でありもう1つはプレイヤーが そのゲームを気に入ったかどうかです そして時々この2つの間にギャップが 生じることがあります最近特にそれが顕著 ですアーケードゲームには様々な側面が あり収益は低いがプレイヤーに愛される ゲームもあれば人気はあってもリプレイ バリューが低くて収益が低くなってしまう ゲームもありますグラディウスは非常に 人気がありましたがリプレイ価値が低く 収益もあまり得られませんでしたそれでも 1日平均1万8000円くらいは稼げたと 思います私たちゲームデザイナーの視点で は上手になればなるほど長くプレイできる ゲームが最適だと考えましたしかし今それ を行うのは非常に困難ですなので長く 遊べるゲームは家庭用ゲームに任せられて いると思いますただ当然アーケードゲーム が好きなプレイヤーにはゲームセンターに 戻ってきてもらいたいので多少収益が 下がったりリプレイバリューが低くても

長く遊べるゲームも必要だと思いますこれ は私たちがグラディウス4を作る同機の1 つでもありました最近はDDRなどの影響 もありゲームセンターではカジュアル プレイヤーが中心になっていますつまり ゲームのことはあまり知らないけど とりあえずゲームをするためにゲーム センターに来るプレイヤーのことですこの ことをデザイナーとして理解していないと たえ良いゲームを作ったとしても プレイヤーはその面白さを理解する前に やめてしまいますそれが私たちにとって今 検討すべき最も緊急なことだと言えます私 は長い間ゲームを作ってきましたがゲーム 開発における最大の変化の1つはゲームの 作り方だと考えています私たちの世代が デザイナーとして働いていた頃は神に マーカーでキャラクターを描いていました が今は全てポリゴンですそれは大きな変化 ですこれは私の考え方ですがこれまでは 制作コストについてあまり考える必要が なかったと思います自分たちが作りたい ゲームを作りたいという気持ちが強かった ですしかしそれは今では変わりましたまた 以前はプレイヤーに満足していただくこと だけを考えていましたがこれからは本来の お客様であるゲームセンター運営者のこと ももっと考えなければなりません運営者を 満足させることができなければプレイヤー も私たちのゲームを体験することができ ません創作物としてのゲームと商業作品と してのゲームのバランスを取らなければ ならなくなったことが一番大きな変化だっ たと思いますグラディウス1996年の 開発者インタビューグラディウスの開発中 私はプログラマーとしてまたチーム リーダーとして働きました私は グラディウスグラディウス2グラディウス 3のシリーズ全体に携わっていました グラディウスは当初スクランブルにとして 企画されていた当時の有名な シューティングゲームはゼビウスでした その後も数多くのシューティングゲームが 発売されましたがこれを超えるものはあり ませんでしたグラディウスの開発 コンセプトの1つに盾スクロール シューティングゲームセウスえる横 シューティングゲームを作るということが ありました本来自分たちが面白いと思わ ないものをプレイヤーが楽しんでくれる わけがないのでステージに関しても色々な アイデアを出しましたそれらの一部は ハードウェアの制限により実現できません でしたがグラディウス2及び3ではそれら

を復活させましたグラディウス2の高速 スクロールステージや氷ステージ グラディウス3ノバルステージなどがその 例です元々モアイを追加したのはゲームに 神秘的なイメージを与えたかったからです ゼビウスはナスカの地上映を使用しており 私たちはそこからインスピレーションを 受けましたしかしモアイがこれほど シリーズの主力になるとは思っていません でしたゼビウスはグラディウスそしてその 後に登場したほとんどのシューティング ゲームのインスピレーションの源です安全 地帯などについては私たち自身で確認でき た箇所もありますがほとんどはプレイヤー の皆さんが見つけくさったものです簡単に 言えばそれらはバブでした私たちは安全 地帯の存在を計画していませんでしたこれ は安全地帯だけでなく速度の低下にも 当てはまりますがグラディウス手は全ての バグが最終的にゲームにプラスの影響を 及ぼしたと思いますその点では私たちは 非常に幸運だったと思います当時は ファミコンの裏技が前だった時代である ことは間違いありませんが開発の観点から すればこうしたバグはない方が良いと思っ ていますただグラディウスの場合は幸運に もプレイヤーの皆さんがサポートしてくれ たので致命的なミスにはなりませんでした グラデュウスの開発中私たちのオフィスは 大阪にありましたが最初のゲームを リリースした後小学生くらいの若い子が 20万円を持ってきてブラデースを売って ほしいと頼んできました私たちにとっても 大金だったので彼ののご両親に確認の電話 をしたところ売って欲しいと言われたので 売却しましたこんなファンがいるなんて 本当に嬉しかったです1993年長彦コミ シューティングゲームインタビュー抜粋 初代グラディウスの頃はシューティング ゲームにおけるパワーアップという概念が まだ明確に定義されていませんでした ゲームには最初に使用した武器が最初から 最後まで残るシステムがありました 私たちはそれは退屈だと思いました何か ボーナスアイテムを追加したら面白いかも しれないと考えました当時西洋の コンピューターRPGが日本に入ってきて おりキャラクターの育成ワシの新しい ゲームの流行語でしたそのコンセプトを シューティングゲームというジャンルに どう落とし込むかを考えていました今では 当たり前のことですが当時はまだ誰も 思いつかない組み合わせでしたまたスに技 のアドベンチャーの要素も追加したいと

考えていましたステージをクリアしたら次 はどこに行くか分析するシステムを考え ましたしかし最終的にはメモリ容量の制限 によりその機能を追加することはできませ んでし [音楽] た8デザイナーキャラクター中村 元々グラディウスはステージごとに異なる 限にワークするという基本的なアイデアが ありました各ステージのテーマは何に しようかと話し合ううちに古代遺跡や神秘 的なファンタジーの世界というアイデアが 出てきましたそこから宇宙の大陸に浮かぶ モアやストーン返事のイメージが出てきて みんなこれはかっこいいと思いましたそれ がクリエイティブな舞台美術の原点でした ステージ3モアイ最初はモアイは背景の 一部であまり面白くなかった記憶があり ますただ個人的にはモアイは印象に残る キャラクターだと思ったので是非入れたい と思っていました笑いこのままにしておく わけにはいかないと思い口からリングを 出して破壊できるように背景デザイナーと 協力して提案しました今思うとなぜ口から リングを出そうと思ったのかよくわかり ませんが笑いステージ4火山ある日私たち は垂直反転ハードウェア機能をテストして おり実験として火山ステージを反転してみ ましたそうすると全てを逆さ見することで いい意味での違和感が出ることに気づき ました宇宙にいるような雰囲気もあり ゲーム性も新鮮だったので火山のステージ として使用させていただきました結局の ところグラディウスマソのルールや使用に 従うだけで開発されたわけではありません むしろ私たちの洞察の多くは実験のであり 多くの時間を無駄にしましたがそれが ゲームの作成方法ですただしプログラマー はよく不満を言いました笑いステージお 触手ステージが遺跡だけだ地味すぎると 思いましたもっと妙なものが欲しかったの で勇気細胞がうめいているステージを作る ことにしました直ステージはデザイナー よりもプログラマーの決意と技術力によっ て完成したと思いますプログラマーであり ディレクターでもある私の上司は グラディウスにオーガニックステージを どうしても入れたいとずっと言っていまし たしかし当時の私たちのハードウェアが 細胞の適切なはけうめく勇気的な感覚を 適切に伝えることができるかどうか非常に 心配していましたそんなある日監督から パチンコ玉のようなキャラクターを作って くださいと言われましたそれから2日ほど

経った頃だったと思いますが直のはう動き を思いつきました彼の腕の中にある小さな パチンコ玉セルをそれぞれ個別に動かして みたところ短期間でそのデザインが非常に リアルで不穏で黒いものになったことに誰 もが驚きました私たちが抱えていた問題の 1つは見た目は印象的ですがゲームに 組み込むのが非常に難しいということでし た最初はプレイヤーに向かってくることも なく弾もってこないのでかなり役立たずな 敵でした笑いステ 7要塞まこれは言い訳にしかならないん ですがこのステージはギリギリまで作業し ていて時間が全くなくてほぼ突貫工事でし た時バリアは画面端に行けば回避できるの でほとんど脅威ではありません笑い本当は プレイヤーにバリアの中に入ってたくさん のものを避けさせたかったのですラスボス ガ脳なのは他のデザインが誰も思いつか ないからですえこは何だ興奮し緊張して ぶつかって船を失ってしまうという アイデアですまもちろんそれは1度しか 機能しません笑いちなみにラスボスが何も 打たないのはここまで来るだけでも大変だ と思ったのでプログラムつまりプレイヤー に休憩を与えましょう笑いビッグコア サラマンダ以来ステージごとに異なるボス を用意してきましたがグラディウスでは その予定はありませんでしたただしビッグ コアのキャラクターデザインには多くの 変更が加えられましたそれは思考錯誤の 家庭でした私たちの以前のデザインの1つ はマンボの魚のように見えました笑い プロトタイプグラディウス実際開発当初 グラディウスは今日見られるようなメタ ゲームではありませんでした全てが完全に オーガニックでした敵のダッカーのように 敵のデザインは全て勇気的でした笑い グラディウスの敵が機械的なのに勇気的な 生き物のような動きをするのは初期の デザインの名残りですしかしある日私たち の作品に対する社内評価があり他のチーム がグラディウスのキャラクターをあまり 好きではないことが判明しましたそこで ディレクターは全てのデザインをやり直す 必要があると言いました個人的にはすごく 好きだったんですけど笑いすごく悔しくて 大変でしたでそこから全部メカデザインに しようということになったんですが問題は メカデザインが全然描けないんです笑い メカに詳しい同僚がアニメやSFの コレクションを貸してくれて昼も夜もその デザインをコピーしたりレースしたりして いましたそれには1ヶ月ほどかかりました

が勉強中に上司がやってきて私を叱りまし たキャラクターデザインは全く変わってい ないいつになったら終わるの笑いでも彼は 良い人だったので色々言いながらももう1 か月言うよ遅れたんですそれから約2ヶ月 後ようやく今日のようなデザインを描き 始め数週間のオフィス生活を経て完成し ました今振り返ると4ヶ月もかかった勇気 的なデザインに何の意味があったのかと 思います笑いでもいずれにしても資料を 貸してくれてあの地獄から救ってくれた 同僚そしてアドバイザーにはとても感謝し ています開発機の長さアイデアを試してい た初期の期間を含めると1年はかから なかったと思います多分8ヶ月くらいかな 私が入社した時はこれらの勇気的な デザインに4ヶ月を費やしましたがそれら をやり直す必要があったため当然 プログラミングも遅れましたロケテストを 経て完成までにに3ヶ月ほどかかりました 開発初期には新しいアイデアを試す時間が たくさんあったためウスの開発期間は当時 のゲームと比べるとかなり長かったです グラディウスチームメインチームには私を 含めて5人が得ましたプログラマー2名 デザイナー3名キャラクターデザインは私 が全て担当し他のデザイナー2人が背景を 担当しましたサウンドとハードウェアの 担当者はコナミの別の部門から来ていまし たグラディウスのタイトルグラデュウスの 企画段階での仮タイトルはスクランブル2 でしたが半年が経ちゲームの基本的な構造 がほぼ完成した段階でグラデュウスという タイトルに決定しましたタイトルがないと 説明書が作れないという話だったのでその 時に選びました実はグラディウスの名前を 考えてくれたのはメタデザインを手伝って くれた同僚なんです私たち全員が様々な 名前の候補を提出していた命名会議で彼は あるSF映画のタイトルを変更した グラディウスを提案しました他にも候補は あったのですがこのタイトルが言い やすかったのとどうしても人の記憶に残る タイトルが欲しかったのを覚えています あとがぎぐでこのしもどこかに入れたいな と思ってそれがかっこいいだろうなって 思ったんです笑いグラデュウス のりグラデュウスとは担当の意味ですが 全く意図したものではなく 単なる偶然です数年後タイトルは グラディウスのことじゃないですかと言わ れその時初めて気づきました偶然とえ本当 に驚いたのを覚えています笑いビッグ バイパーの歴史ビッグバイパーのデザイン

のモチーフは元々防SF映画に登場する船 から来ています船の翼が2つの尖った橋に 分れている様子のことをさしますこれを 聞いて私がどの映画のことをしているのか 分かる人もいると思います笑い名前の由来 は2つあり1つは船とオプションの列が事 に見えるのでビッグ付けました次に オクションが動くと蛇のように見えるので バイパー付け合わせてビッグバイパーとし ました名前は自分で考えましたちなみに ビッグはビッグとは言いません笑い グラフィックについてグラディウスの中は これまでリリースされてきた盾スクロール ゲームの素晴らしさと人気を特に意識して いました当時としては非常に具体的立つ3 次元的な方法で光と影を表現することが できましたその世界の洗練差に影響されず にはいられませんグラディウスではその霊 を念頭に置きながら光と影色使いに こだわり独自の世界観を作り上げました またこれはかなり細かい点ですが背景のに ある星はゆっくりと動き近くにある星は 早く動くようにしました宇宙シーンは平年 的で一次元的に見えがちなのでできる限り 3Dにするよう務めましたディレクターと 私は仕事帰りによくゲームセンターに行き 他のシューティングゲームの敵や船がどの ように動いているのかをメモしていました 当時私たちはそのような退屈な仕事を たくさんしていました笑いパワアップ メーターシステムグラディウスの最初の アイデアは採取したばかりのカプセルの力 をすぐに得るサラマンダーのような システムを使用することでしたしかし 私たちはそれが以前にも行われていたと 考えユーザーがより自由活意図的に武器を 選択できるシステムを作成できないだろう かと考えましたまた初期バージョンでは 赤い的からのみパワーアップが得られまし たが後に敵の列や変態を倒すと報酬のよう なものとしてパワーアップが得られるよう に変更しましたしかしそのせいでパワー アップが多すぎて1つ取るだけでゲーム バランスが崩れてしまう可能性がありまし たそこで私たちはプレイヤーがリスクを 犯して蓄積してきたパワーアップをどの ように使用させるかを考えていましたこれ らの懸念が継続的なテストプレイを通じて 今日のシステムにつながりましたレーザー 私たちは最初からアーケードゲームでは まだ実現されていない映画に出てくる ビームに見たレーザーを作成するという 漠然としたアイデアを持っていましたあの レーザーの作成に全力を注いだのは

ディレクターであり職種の敵の作成と同様 に私たちデザイナーはただ防寒していまし た笑いレーザーはヒューと光る様子は当時 としては本当にすごかったです画面全体に 渡ってそれは素晴らしくて私たち全員が それを見て鳥肌が立ちましたしかし レーザーを全てのアクションと相互作用さ せる必要がありゲームバランスと速度の 低下の両方により非常に困難であることが 判明しましたオクション初期の開発 バージョンではビッグバイパーのデザイン はタの落し子のように見えました オクションは子供のように見え全体的に アヒルと小さなアヒルの子を思い出させ ました笑い個人的にはとてもユニークで気 に入っていましたしかしゲームプレイの 観点から見るとデザインに問題があること に気づきましたオプションが非常に具体的 で物質的に見える場合それらが地形に ぶつかると自然にそれらが消えると予想 するでしょうしかしそれは実現が難し すぎるしオプション制度の魅力も失われて しまうだろうそのため私たちデザイナーは 私たちが愛する小さなオプションを今日の 純粋なエネルギーのように見えるものに 変更しました船の進路をトレースする オプションとプレイヤーがオプションの 編成を自由に変更できるシステムのどちら が最適であるかを決定するために多くの テストを行いました中種類ほどの異なる システムがありましたが最終的に今日見 られるシステムに落ち着きましたシールド のパワーアップにクエスチョンマークが ついているのはなぜですか実はそれに関し てはシールドだけではなく様々なパワー アップを予定していたので疑問布がつき ました結局はただのシールドになって しまいましたがやり残したことも多々あり プレイヤーの皆様には大変申し訳ござい ませんでした笑いコナミデテストプレイ これは私たちのチームに限ったことでは ありませんが当時はほとんど会社に住み家 には風呂に入るか着替えるだけでした笑い それでテストプレイもたくさんしました 社員全員がお互いのプロジェクトのワブ チェックに協力し24時間ローテーション でスケジュールを立てました驚くべきこと の1つは重要なバグを発見した従業員には 無料のビデオデッキが与えられるという ことでしたバブのランク付けシステムAB Cレベルがあり交換カウンターのような ものでAレベルのバグを提示してビデオ デッキをくださいというのです笑い当時 新品のビデオデッキは数で聴に山積みされ

ていてがそれを手に入れるために狂乱して いました笑い8時間くらいバブチェックを していたら私の番ですで誰かが入ってきて その人はいやって感じでした笑いそれを 毎週毎週続けて寝不足でも銃弾を避け られるようになるまで上達した人もいまし た笑いもうおかしくなってきた寝ろって いうんですしかし彼らはジョイスティック から離れることができませんでした笑い 人々がこれほど夢中になるとは予想してい ませんでした休憩時間にゲームをする従業 員も多くキャビネットの前に人が絶間なく 座っているように見えました昼食時には いつも誰かがそこにいるのを見かけます 昼食後午後の勤務開始時間になっても他の チームの社員がプレイしていた彼らは少し だけ遊んですぐに仕事に戻るつもりだった のですが宇中になってそこから立ち去る ことができなくなりました笑いということ がよくありました私たち開発者にとって テストプレイ段階を開始するとこのゲーム には本当に中毒性のあるものがあると感じ られ誰もが喜んでバブチェックを行いまし た笑い私たちのグラディウス2 プログラマー高鳥氏のような人がこの ゲームに夢中になって暇さえあればいつも プレイしていたのを覚えています笑いロケ テストの反響ショットミサイルパワー ハックの3つのボタンを使用していました が当時隣にいたツインBチームはゲームに 3つのボタンがあるわけがないと言ってい ました笑いロケテストの時もみんな ちょっと危ないなっって思ったのを覚えて います最初のロケテストでは船の速度が遅 すぎてパワーアップを1つも使用すること を知らずにステージ1の火山に到達した人 もいました笑いすぐにゲームオーバーに なってしまいらないだ問ばかりにテーブル を蹴って立ち去る姿も見られましたこれは 大きな問題であると認識しパワーシステム について丁寧に説明した説明書を作成し ましたそれでも多くの人はその指示を見 ませんでした笑いでもだんだんとゲーム システムが理解できるようになりうまい プレイヤーが現れて注目されるようになり ましたその後ゲームの人気は急上昇しまし た今思い返してみるとグラデュウスのの プロジェクトは本当によく組織されておら ず計画も立てられていませんでした笑い 実現しなかったアイデアセルステージでは 小さなセルの敵がプレイヤーの船に 取り付いて速度を落とし最終的には動け なくなるというアイデアがありました クリスタルステージもやりたかったんです

そのアイデアは実現しませんでしたが グラディウス2ベソを復活させることが できましたプログラミングの観点から見る と私たちが試して放棄したアイデアを全て 含めると膨大な量になるでしょう性別と 星座を備えたハイスコアシステム性別と 星座を追加するというアイデアは他の2人 の女性デザイナーから生まれましたハイ スコアエントリーのために何をするかを 話していたのですがまだできていないもの を追加してみようと思いました グラディウスの舞台は宇宙だったので誰か がランキングに星座を追加することを提案 しました実は最初からやりたかったんです 笑いサウンドについて自分のアイデアを元 にスタッフさんにリクエストした曲が何局 かありました基本的には80年代の洋学の ポピュラーなものをお願いしていてその中 から空中船の前走局が出てきたのを覚えて いますサウンドスタッフに何かを依頼する 時はaとして音楽カセットテープを渡して そこからサウンドデザイナーが実際の ゲームを見て自分たちのアイデアを膨らま せていきました開発チーム全員がサウンド と音楽のスタッフが作成したものに本当に 満足していました冒頭のフレーズを聞く だけですぐにステージを思い出すほど音楽 が印象に残るゲームは当時あまりなかった と思いますどの曲も大好きですが一番好き なのはもちろんリクエストいいた空中船の BGMですグラデュウスシリーズのその後 のゲームファミコン版グラディウスを プレイしました最近のゲームに関しては あまりプレイしたとは言えません正直私の スキルに限界があるからです笑いでも作品 が途切れることなく現在まで続いているの を見ると自分のDNAの一部が高成に 受け継がれているような気がしてとても 考え深いですグラディウス開発の思い出 グラディウスがこんなに有名になるとは 思いませんでした当時の僕らの気持ちは 単純にゲームを作るなら今までにないもの を作ろうでした 大変ではありましたが当時の状況がその ような新しいことを可能にしたのだと思い ます多くの課題はありましたがこのゲーム は私たちのプログラミングサウンド キャラクターデザインそしてハードウェア の想像性を本当に発揮したと思います私 個人としてはこのプロジェクトはほぼ ずっと挑戦的で困難だったことを覚えてい ますがプレイヤーがゲームを楽しんでいる のを見ることで全てが報われました グラディウスが収入で1位になったある夜

先輩とラーメンを食べに行った時先輩が 我々のゲームは正しかったと言いました今 でもそのことを考えると涙が出てきます もっとこうすればよかったこうすれば よかったといる後悔はまだありますが全力 を尽くした試合でしたそして例え私たちが 何をしているのか分からなかった時でも 私たちがやりたいことを何でもやらせて くれた同僚とに非常に感謝してい 笑新しいグラディウスを作るとし たらゲームではないんですが機会があれば グラディウスのスペーステラ映画を スケール感のある世界観で描いてみたい ですねもちろん実写映画になりますでも 残念ながら私の脳はその仕事に対応できて いません [音楽] 笑い鳥とインタビュー当時のパソコンは スプライトがない環境の方が多いと思い ますが制作環境などはいかがでしたか中村 氏最初は既存のツールで開発していました ねその後はコミ独自のグラフィックツール が開発されたんですそれはサウンドも同様 で自社でサウンドやグラフィックツールも 作っていましたねそうしないとなかなか 新しいものは作れない状況でしたので インタビューアープログラムなのテムの 構築から制作が始まるとのことですが全体 的にはどのような流れでゲームが作られて いたのでしょうか高取氏チームを仕切る ディレクターがいて仕事を割り振る形です が作りながらどんどん形が変わっていくん です最初は面白いと思っていても途中で なんかつまらないなとなると企画会議が 開かれてチーム全員が企画に参加して意見 を出し合っていました中村自分の意見が費 に反映されることがチームとしての モチベーションにつがるんですよね高取氏 面白いアイデアなら新人でも採用されます から中村氏当時はやったもがちという考え 方がありましたねアイデアがあっても ゲームに入れた時に面白いかは分からない ですから例えばデザイナーとプログラマー が手を組んで実際に作ってみたり ブラッシュアップを重ねて反省形が見えて きてロケテスト前の反機になると不思議と ゲームができてしまうんですよね笑い少し 前まではバラバラで自分たちもどんな ゲームになるか分からないような状態なの に1週間前くらいになると一致団結して いきなりゲームっぽくなるんですそれは やっぱり感動しましたねインタビューアー グラディウスの長いレーザーやオクション は当時は新しい表現の1つだと思いますが

制作は大変でしたか中村氏レーザーは特に 大変でしたよ 高取氏基本的に1度に表示できる オブジェクトの数が決まっているので長い レーザーを打ってしまうと一気に絵が消え てしまうんです実はあのレーザーは オブジェクトとして配置してなくて背景の 上に乗せて作られているんですアーケード 版でもそういった工があったのですね高鳥 氏長いレーザーは当時の基盤の性能では 辛かったですね中村あのレーザーは当時の チームリーダーが作ったものでですが こだわりがすごくて僕らが想像するレー ザーってファミコンマグラデュウスのい レーザーじゃないですか最初の段階では 短いレーザー案もありましたがそのチーム リーダーはこれはレーザーじゃないと言っ ていてずっと作っては決してを送り返して いてあの人のこだわりだけで出来上がった レーザーですねインタビュアブラウス見 なくてはならない要素として弾がたくさん 出ると動きが遅なる処理落ちがありますが あれは意図的に入れている部分もあったの でしょうか高取わざとは入れてないですね 作っている側としてはできればスムーズに 動かしたいんですでも当時のCPUはモト ローラーのmc6万というもので処理能力 に限界がありますからたくさん キャラクターを出すとどうしても処理が 重くなってしまうんですでもプレイヤーが 敵を倒すと数が減って急に早くなるので急 に早くなってミスしてくれるんです笑い 当時はプレイしていて少し重くなる部分も 新しいゲーム性のような感覚がありました 弾がたくさん飛んできてもゆっくりだから 避けられている部分もあって切り抜けられ たら自分うまいみたいな錯覚を起こす要因 でもあったと思います中村氏うまくできて ますよ ねメゾン一国士についてコメン1国士は ゲーメストでブラウス満の記事を書いた人 であるグラディウスを終わらないゲームに した伝説の男だラディウスは前の賞で説明 した通り時期が死ぬとバブルシステムの 使用上仕方なく復活位置に戻る1度ミスし てしまうとゲーム継続が極めて困難になり そのままゲームオーバーになってしまう ことが発生した発売数ヶ月の地にすでに 1000万点達成者は全国にいたがノー ミスで達成するのが絶対条件であり特に 以降の4面逆火山前や最終面の要塞内部で は1度ミスしてしまうと復活は不可能だと いうのがすご腕ゲーマーの間でも常識に なっていたところがそれを覆す人物が福岡

に現れ長期の場所の完全復活パターンを 編み出したメゾン1国というニックネーム で通っていた6メゾン氏メゾンさと呼ばれ ていた復活パターンとはミスのの再 スタート地点が面で決まっておりスターる とすぐに敵はを狙い無数の弾をってくるの だが攻撃してくる敵の出現攻撃パターンは 同じであるその修正を利用して最低装備で も抜けられる攻略技を編み出しこれをパタ 化させたこれが復活パターンであるメゾは これまでに2面のブの攻略や4面最後の 消しなどを見て復活パターンを究開発して きたをて は 1986年末に完全な復活パターンを完成 させるこの復活パターンはゲーム雑誌 ゲーメストでも紹介された編集部には当師 がプレイするグラディウスと呼ばれる攻略 記事執筆のための資料ビデオがありそこ から復活パターンが研究されていたこの資 ビデオはテーブル筐体をに側から手取りで 撮影したため下が逆の状態で収録されて いるLINE撮影ではない映像には プレイヤーの声が入っておりガヤも含めた 収録時の情熱がそこには残されているこの ような復活パターン人気は開発者も意図し なかったところだという特に1000万点 までやりこまれるとは想定していなかった 都会発のインタビューで語られている彼に よって名作ブラウスのゲームポテンシャル は引き上げられたと言っても盆ではない グラディウスお誰よりも愛しそして グラディウス誰よりも愛された男だ残念 ながら2002年9月に34歳の若さで止 している非常に面な性格で都内にある彼の 自宅にはグッズや自主がされたゲーム ビデオなどが綺麗に頓され列されていた そうだそれらを魚にえず友人がの宅を訪れ てはゲームにを咲せていというのが伺える エピソードだゲネスではブラウスが発売し て1年以上経過してからも攻略記事を掲載 し続けたそのようなゲームはグラディウス が初めてであり本作の最年ぶりの証とも 言えるだろう今でこそシューティング ゲームの復活パターンはそのゲームを 極めるプレイヤーにとってありふれた言葉 となっているがその発端となったのが本作 と言える稼ぎプレを極めためぞ が プレテキロット鴨でつものようにプレイし ていたらボタンが効かなくなってしまった 冷静なしは慌てることなく店員さんを呼び ハテで修理を店員さんがボタンを直して いる間レバーと生きているボタンだけで

可能な限り敵を避けて現象を抑え復活 パターンで何事もなかったかのうにをそう であ彼自がブラウスとの思い出を語って いる一部抜粋して紹介する高校3年だった から2年ほど前ということになるかな ゲームが終わってふ気づくと後ろの方から 爽やかな音楽が流れてきたんですよそれが グラディウスのネーミングの音楽だったん です ねネーミング聞きたさにグラディウスを 始めたわけなんだけど当時グラディウスは 福岡市にある僕の家から往復1700も かかるとこにしかなかったんです よもちろん交通費なんてないから自転車 ですよ往復3時間もかかるんだけどそれに もめげず毎週でかけてはブレイしに行って たわけミサイル狙っコツコツとやっていく うちに腕も上達してきたわけでそうなると 僕のブレイを見て声をかけてくれる人が 増えてきたんですよどこに行ってもねうな 僕にしてみればこんな風に友達が増えて いくのは本当に嬉しいことだったんです ライバルと言えるものも現れて本当に燃え ましたね今でこそ2000万点出してる けど挫折も多かったですねこんなゲーム もうやらないと何度も思いましたよでも このゲームが元でできた友達のこと考える とまたやっちゃうんですよねやっぱり グラディウスやってると友達が増えるて いうのが僕の支えになったんでしょう かにもこ世界を知ってもい たいってこれたのもたくさんの友達それも グラディウスを通じてできた友達のおかげ 読者の皆さんにも是非ともグラディウスの 楽しさを分かってもらいたいそして僕の ように多くの友人に出会ってもらいたい そんな気持ちから今僕はブラウスの記事を 書き始めたん です彼が亡くなった部屋にメゾ師が 書き残したメモがあって復活パターンを 画面上部に張り付いてやる方法を見つけた と書いてあったそうだまるででヘルマーの 最終定理のようだが最近それを発見した人 が現れたとのことで ある11僕たちにとってブラディとは どんな存在だったのか現在中の人は万治療 中であり2週間に1回抗がん剤を3日ほど ぶら下げて会社に行っていますがその様子 をまるでグラディウスのオプションやがな と鉄板ジョクを飛ばしたところ20代30 代の後輩は分からないデウスを知らないと いうグラディウスを知らない男子がいるの かと衝撃を受けたグラディウスシリーズ 最新作かなりの地に発売されたはずの

グラディウス5も2004年発売20年前 の作品となるそれは知らないはずだ 1980年代シューティングゲームは今で は考えられないくらい身近な存在だった中 の人はシューティングゲームが全く下手な のですがブラウスシリーズは当時持ってい たハードではファミコン番号MSX1も 全部買っていた買わないという選択肢すら 考えたこともなくクリアとかできるわけで もないのにずっと買い続けた シューティングゲームはたくさんあったが グラデュウスは特別なゲームだった アーケードには遠くを呼ばないはずの MSX1をグラデュウスシリーズ全てが 美しいグラフィックとサウンドで他の ゲームとはレベルが違っていたただいつの 日かシューティングゲームは格闘ゲームが そうなったように壺腕の人にしか手に負え ない存在になってい それからまた長い月日が流れ東方 プロジェクトキャラクターの人気で シューティングゲームに触れる人が増えて いるまたM通者さんを初めとする学者様の 努力で下手な人でも上級者と同じように ゲームを楽しめる環境を用意してくれて いるモーニングミュージックを聞くために 回後ダッシュで駆けつけたグラディウス 短いレーザーや8ドット単位のカカク スクロールでグラディウスを再現した愛す べき植作もう一度あの頃へ戻りグゲームに 触れてみてはいかがでしょう かここでCMですこさんよりN SWITCHPlayStation4や Windowsでラデュースなどの名作が 遊べるアーケードクラシックス アニバーサリーコレクション発売中です 今回触れていない当時の未公開開発資料や 今回紹介していない開発スタッフ様への スペシャルインタビューなどを収めた ボーナスブックも収録しています 3000円ですどこでもセーブ可能な クイックセーブ機能やプレーヤー単機難易 度の変更機能など略サポートも充実してい ます是非ご検討されてみてはいかが でしょう か今回の動画はここで終わりですもし よろしければチャンネル登録と高評価 ボタンを押していただけますと次の動画を 作るエネルギーとなりますまた次回動画で お会いし ましょう ne

※注意※
中の人はただの一般人です。
書籍及びインターネットで調べた情報と中の人の経験とで進めます。
多分内容も思い込みが強かったり間違いだらけの可能性も高いです。
開発者の方又は非常にお詳しい方、動画の間違いをハハ、コヤツめでスルー出来ない方、
またはゲーム映像だけを楽しみたい方は他の投稿者様による素敵な動画がたくさんありますので、
ブラウザバックを推奨致します。

–引用–

RF-2音楽 GMTD_STUDIO様

バブルシステム起動動画

プレイ動画

逆さグラディウス

Double Dribble

バブルシステム基盤画像

バブルシステム画像
https://dic.pixiv.net/a/%E3%83%90%E3%83%96%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0
https://twitter.com/qwjqwj314/status/1617442373398859777/photo/1
バブルシステム情報
http://retrogamer.seesaa.net/article/53314018.html
http://hiro2ki.blog55.fc2.com/blog-entry-41.html
https://dic.pixiv.net/a/バブルシステム

コナミ グラディウスROM版の整備

バブルシステムの情報


https://caps.wiki/wiki/Konami_Bubble_System
磁気バブルメモリ(富士通情報)
https://www.fujitsu.com/jp/about/plus/museum/products/heritage/certificate15.html
東野美紀インタビュー
https://web.archive.org/web/20070211034221/http://www.gpara.com/contents/creator/bn_257.php
町口浩康氏インタビュー

Gradius – 1996/1999 Developer Interviews


中村健吾氏インタビュー

Gradius Portable Guide – 2006 Interview Collection


グラディウス情報
https://gradius.fandom.com/wiki/Gradius
中村健吾氏とプログラマー高取利明インタビュー
Anniversary Collection Arcade Classics(Steam)
めぞん一刻氏
https://igcc.jp/%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%A6%E3%82%B9/
https://ameblo.jp/takejiro100/entry-12661502576.html
https://ameblo.jp/takejiro100/entry-12635964880.html
バブルシステムマニュアル
https://www.andysarcade.net/pix/TDU/KonamiBubbleSystem.pdf
バブルシステム回路図


SEGAEP-ROMリスト
https://www.mikesarcade.com/cgi-bin/spies.cgi?action=url&type=info&page=SegaEPROMnumbers.txt
マスクROM
https://note.com/go_to_mtyari/n/nafc56855e808
https://smartplus-sec.com/stream/blog/column_semiconductor/index.html

Share.

9件のコメント

  1. kinakoさん、こんばんは!
    仕事でへとへとでしたが
    「kinakoさんが動画をアップしてくれた!!」「バブルシステムの動画だぁぁ!!」「1時間もあるぅぅ!!」
    この3つの事実だけで、今日が最高の1日になりました。

    これからハイボール片手に、ゆっくり拝見させて頂きます。
    いつも本当にありがとうございます!!

  2. ゼビウスはスクランブルがきっかけとなって生まれたと聞いた事があります。そのゼビウスを超えることをコンセプトにグラディウスが製作されたのですね。ナスカの地上絵がモアイのきっかけだったくだりはとても興味深いエピソードでした。ナムコとコナミが良い意味で競い合っていたということをとても素晴らしく思った次第です。良いまとめ動画ありがとうございます

  3. グラディウス関連の書籍はほとんど読んでるつもりでしたが、開発物語は全く聞いたことが無い内容でとても興味深かったです。良い動画ありがとうございます。

  4. モーニングミュージックは当時RF2でよく聴きました。
    RF2はポールポジション筐体を使っていて音楽が良く響くんですよね。
    田舎のボーリング場にあったので、よく勝手に電源OFF→ONしてました。(すみません)

  5. 上上下下左右左右BA
    私たち世代がそらでいえる謎の呪文。
    グラディウスは偉大です!
    kinskoさん、いつも素敵な動画有り難うございます!
    グラディウスの思い出は色々ありますが、印象深いのは友達が当時、アルキメンデスのファミコンのグラディウス当てたことですね笑

  6. 近くに遊べるところがなかったと聞くと、んー北海道で超田舎のゲームコーナーにあったのは幸運だったんだなーと感じました。
    幼少の頃プレイできなくてもプレイしてる人の後ろで見て音楽を聴くだけでもワクワクしてた記憶があります。
    開発者の話もすごく楽しめました、後ろのプレイ画面が何気にすごいプレイで意識がどちらかに引っ張られてしまいましたがw
    グラ3のサントラに入ってたコントみたいなCDドラマ思い出して当時のコナミは良かったなぁーとしみじみ感じてました。
    当時はゲームのアニメーションは少ないと思うのですがOVAの沙羅曼蛇とかもレンタルで借りて何回も観たなぁ

  7. グラディウスⅤが20年前だと!?
    そんなバカな…
    ……そうか、オレも51だもんなぁ

    今まで考えたコトなかったけど、音ってどの段階でゲームに組み込まれるんだろ?
    社内でのデバッグ中はもうBGMが入ってる?
    効果音は?
    グラディウスみたいにキレイな音が鳴ってたら、
    聞き入ってしまってデバッグに集中できない可能性がw

Leave A Reply