石ノ森章太郎と石巻 ― なぜあの街に萬画館があるのか
北上川の中州に、宇宙船のような形の建物が立っています。石ノ森萬画館。サイボーグ009や仮面ライダーで知られる石ノ森章太郎の作品を集めた、宮城県石巻市のミュージアムです。しかし、石ノ森章太郎が生まれたのは石巻ではありません。生まれたのは、そこから直線でも30キロ余り離れた内陸の町、今の登米市中田町石森でした。ではなぜ、記念の館は石巻に建ったのでしょうか。この動画では、登米での生い立ちから、トキワ荘の時代、サイボーグ009と仮面ライダー、萬画館ができるまでの経緯、東日本大震災、そして今の石巻とマンガロードまでを、公式に公表されている資料だけをもとにたどります。
はじめに、この動画の姿勢についてお断りしておきます。第一に、資料によって数字や年が食い違うところは、どちらか一方を選んで断定せず、「どの資料がどう書いているか」をそのまま並べてお伝えします。デビューの年と、マンガロードのモニュメントの数が、それにあたります。第二に、東日本大震災については、石巻市が公表している数値だけを使い、被害の様子そのものは描写しません。数字は一人一人の集まりであるという前提を、動画のなかでも述べています。第三に、入館料や休館の予定のように、公表のたびに変わる情報には必ず時点を添えています。お出かけの前には、必ず施設の公式の案内をご確認ください。
▼この動画で使った情報の出どころ
・石森プロ公式「石ノ森章太郎について」(年譜)
・石森プロ公式ウェブマガジン(サイボーグ009の連載開始日)
・宮城県佐沼高等学校 公式「石ノ森 章太郎」
・登米市「石ノ森章太郎ふるさと記念館」公式サイト
・石ノ森萬画館 公式サイト「萬画館について」「館内案内」
・文化庁「石ノ森萬画館を中核とした石巻中心市街地の文化観光推進拠点計画」(認定計画)
・株式会社日本設計「石ノ森萬画館」(建築データ)
・石巻市「石ノ森萬画館」「数値で見る東日本大震災」
・東映「仮面ライダーWEB」公式 作品ガイド
・日本郵便 郵便番号データ(地名の読みの確認)
▼今回の内容
【第1章 登米での生い立ち】
石ノ森章太郎は1938年1月25日に生まれました。本名は小野寺章太郎。生まれたのは宮城県登米郡石森町、現在の登米市中田町石森です。ペンネームの「石ノ森」は、この土地の名前から来ています。
生家は今も同じ場所に残り、公開されています。すぐそばにあるのが、登米市の石ノ森章太郎ふるさと記念館(登米市中田町石森字町132番地)です。開館は平成12年、西暦2000年。石巻市の石ノ森萬画館より一年早く建っていることになります。館内には常設展示室、企画展示室、トキワ荘を再現した展示、そしてオリジナルアニメ「小川のメダカ」を上映するビデオシアターがあります。開館時間は午前9時30分から午後5時まで、7月1日から8月31日までは午前9時から午後6時まで。休館日は毎週月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)と12月29日から1月3日までです。
高校は宮城県佐沼高等学校。同校の公式ページによれば、1953年4月に入学し、1956年3月に卒業しています。在学中は美術部・音楽部・新聞部・文学部・柔道部をかけもちし、高校一年のときには肉筆回覧誌「墨汁一滴」を創刊しました。この名前は、のちに石ノ森萬画館一階のグッズショップの名として復活します。
デビュー作は「二級天使」。掲載誌は「漫画少年」です。ただし年については資料が食い違います。石森プロの年譜は1954年12月、佐沼高等学校の年表は1953年12月としています。この動画では、どちらか一方を採らず両方をそのままお伝えしています。どちらの資料も一致しているのは、「高校在学中のデビューだった」という点です。
【第2章 トキワ荘へ】
1956年、高校卒業とともに上京し、東京都豊島区にあった木造アパート、トキワ荘に移ります。石森プロ公式の年譜によれば、同じ1956年の5月に、トキワ荘の仲間たちが中心となっていた「新漫画党」の第2次党員(党首は寺田ヒロオ)となっています。
1963年5月には「スタジオ・ゼロ」を設立しています。漫画だけでなくアニメーションも手がける会社でした。紙の上だけで完結させない人だった、ということが、この時点ですでに表れています。1964年には結婚もしています。
なお、ペンネームについても触れておきます。かつては「石森章太郎」と名乗っていました。「石ノ森」に改めたのは1986年7月1日です。したがって、それ以前の資料では「石森」と表記されています。現在も事務所の名称は「石森プロ」のままです。この名前は、第5章でもう一度出てきます。
【第3章 サイボーグ009と仮面ライダー】
「サイボーグ009」の連載が始まったのは1964年7月19日発行の『週刊少年キング』でした。石森プロは、2024年7月19日をもって作品誕生60周年を迎えたと公表しています。この作品はその後、複数の出版社・複数の雑誌に移りながら描き継がれました。
1966年には「サイボーグ009」で第7回講談社児童まんが賞を受賞。1968年には第13回小学館漫画賞を受賞しています。この時期、SFだけでなく江戸を舞台にした時代物も手がけており、作品の幅が大きく広がりました。
「仮面ライダー」のテレビ放送は1971年4月3日に始まり、1973年2月10日まで、全98話が放送されました。東映の公式作品ガイドによれば、原作は石ノ森章太郎、主演は藤岡弘、(本郷猛役)と佐々木剛(一文字隼人役)です。
よく知られている「変身!」の決めゼリフと、大きく両腕を回転させるポーズは、実は第1話からあったものではありません。東映公式によれば、初登場は第14話、一文字隼人が仮面ライダー2号へ変身する場面でした。このポーズは当時の子どもたちの間で大流行し、社会現象になったと記録されています。1973年には、この作品の主題歌の作詞でコロムビア・ゴールデン・ディスク賞を受賞しています。
1988年には第33回小学館漫画賞と第17回日本漫画家協会賞大賞を受賞。ホテルを舞台にした作品や、経済の入門書のような作品を手がけた時期でした。
そして1989年、「萬画宣言」を出します。漫画は「あらゆるものを表現できる無限の可能性を秘めたメディア」であるとして、「漫画」ではなく万物の「萬」の字を当てた「萬画」と呼ぶ、という宣言でした。石ノ森萬画館という館の名前は、ここから来ています。
石ノ森章太郎は1998年1月28日に亡くなりました。享年60歳。還暦を迎えた直後でした。2008年1月24日には、「一人の著者によって出版された最多コミックの記録」としてギネス世界記録に認定されています。文化庁の認定計画によれば、その数え方は770タイトル・500巻でした。
【第4章 なぜ石巻に萬画館ができたのか】
石ノ森章太郎と石巻の関わりとしてよく語られるのが、中瀬にあった映画館「岡田劇場」へ自転車で通ったという話です。石ノ森萬画館の公式サイトも「学生時代、石ノ森先生は現在萬画館が建つ宮城県石巻市中瀬地域にあった映画館「岡田劇場」に自転車で3時間ほどかけて映画を見に来ていたといわれます」と注記しています。館の公式自身が「といわれます」と書いているとおり、この動画でも断定はしません。なお「石巻を第二の故郷としていた」という言い方は、公式の資料にはありません。
はっきり記録に残っているのは、1995年(平成7年)のことです。文化庁の認定計画によれば、この年の石ノ森章太郎の来訪をきっかけに、市民有志が団体を作り、大勢の漫画家の協力を得て「マンガを活かした夢のあるまちづくり事業」が推進されました。石ノ森萬画館の公式サイトは、1995年7月に当時の石巻市長との対談があり、中瀬地域にマンガミュージアムを建設する構想が提案されたと説明しています。これが「マンガランド構想」の始まりです。その後、石巻市も参画して「石巻マンガランド構想及び基本計画」が策定されました。
当時の石巻市は、基幹産業である漁業・造船業・商業に陰りが見えていた時期でした。マンガで街を元気にする、という発想は、今でこそ全国で見かけますが、当時はかなり早い試みでした。特筆すべきは、行政より先に市民が動いたという順序です。
計画の実現には、漫画家の親睦団体「マンガジャパン」の協力がありました。当時、石ノ森章太郎が代表を務めていた団体です。里中満智子、ちばてつや、矢口高雄、モンキー・パンチ、水島新司といった漫画家が実際に石巻を訪れ、計画づくりの機運を高める活動に参画しました。のちに石ノ森萬画館の館長を務めた方もいます。
計画は順に形になっていきます。平成11年(1999年)には、石巻駅から石ノ森萬画館までの約1キロの区間に、キャラクター像を設置した「石巻マンガロード」が整備されました。当初はサイボーグ009や仮面ライダーなど5体だけでした。平成12年(2000年)4月には、田代島に市営キャンプ施設「マンガアイランド」が開設されます。
そして平成13年(2001年)7月23日、石ノ森萬画館が開館しました。対談から約6年後のことです。
建物の外観は「宇宙船」をイメージして設計されています。石ノ森章太郎の発案で、「マンガ惑星から宇宙船が降りてきた」というストーリーが込められました。株式会社日本設計の建築データによれば、竣工は2001年7月、延床面積1,979平方メートル、地上3階、構造はRC造とS造。宇宙船の外皮は鉄板構造で、その形状から建築資材メーカーでは作ることが難しく、造船会社が製作したと説明されています。
「マンガッタン」と名付けたのは石ノ森章太郎本人です。石ノ森萬画館の公式サイトに残る構想時(1997年)の談話には「中瀬の地図を上から見てください。ニューヨークのマンハッタンにそっくりなんですよね」とあります。同じサイトは名前の由来を「石ノ森萬画館のある島の形が、ニューヨークのマンハッタン島の地形に似ていることから」と説明しており、20世紀の経済の中心がマンハッタンなら、21世紀はこの地からマンガの情報を発信する、という意味が込められました。さらに、萬画館だけでなく「街全体をミュージアムにする」という『石巻マンガッタンミュージアム構想』を発案しました。石巻駅が玄関口、マンガロードは展示の一部、商店街はミュージアムショップ、飲食店はミュージアムのカフェ、という考え方です。
館内は、1階にグッズショップ「墨汁一滴」と映像ホール、2階に常設展示室と企画展示室、3階に北上川を一望できる展望喫茶「ブルーゾーン」があります。約6,000冊の漫画本と約300本の映像を無料で楽しめるライブラリー、マンガやアニメのワークショップができるマンガ工房も備えています。企画展は年に4〜5回、1回あたり2〜3か月の期間で開催され、令和5年6月時点で通算89回を数えました。運営は第三セクターの株式会社街づくりまんぼうで、指定管理者であり、都市再生推進法人にも認定されています。
【第5章 震災と萬画館】
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生しました。
石巻市が公表している「数値で見る東日本大震災」によれば、令和8年2月末現在で、死者3,188人、行方不明者414人、震災関連死276人、合計3,878人。住家の被害は全壊20,044棟、半壊13,050棟、一部損壊23,615棟、合計56,709棟。浸水面積は73平方キ
(以下省略)
🎵【使用素材・BGM】
VOICEVOX:ずんだもん / VOICEVOX:四国めたん(https://voicevox.hiroshiba.jp/)
BGM: DOVA-SYNDROME 様(https://dova-s.jp/) ♪「審判の日」 ♪「Escort (1)」 ♪「野良猫は宇宙を目指した (1)」
キャラ立ち絵: 坂本アヒル 様(https://seiga.nicovideo.jp/user/illust/97452727)