『産土』第1部ーー山と限界

[音楽] [音楽] かつて のように思うような世界が確かに存してい たそこでは人と自然動植物などの全てが 当たり前のように調和してい た大きく時代が推移した 今もはやそのおかを探すことさえとても 難しく 思えるがこの国のどこかでわずかにでも 少しだけでも残っているかもしれない ものそれを追い求めて僕らは日本の あちこちへと思い た全ては終わったことなのかもしれ ない過去を追い求めるなど無意味だと皆が 言うだろうまもなく目的地金です しかしまだ何かがあるのではない かぼんやりとだがそう思い続けてき た目地に到着しルト終了し ます疲れた僕らがこれからへのよすがとす べき何者かがそこに残されているのでは ないか [音楽] と [音楽] これはそんな何者かの断片を集めた記録で [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] ある [音楽] スナとは人が生まれた土地のことであり またその土地の守り神のことを 言うそれは人が生まれる前から死んだ後 までその人を守り続けると信じられてきた 僕たちにとって掛け替えのないはずの日本 という大きな産の姿は今どのようになって いるのだろう [音楽] かほかれてしまった結び目のようにえなし 草としてうから切り離されてしまった僕 たちが再びそれを結び直すことはできるの かその糸口を探したい [音楽] 北は山形から南は沖縄までの6つの地域で 映像によるキャラバン体を組み森と山川と 海そしてその場の自然と共に生きる人々の 暮らしの現在を映像に収めるべく歩き身 聞き続けてき た [音楽] [音楽] その中から最初に誰も住まなくなって しまった小さな集落を紹介したいと

思 これはちょっと [音楽] やばい でこの当時ね学校帰っとる人っての結構い てね取れる分だけえその同時156人 くらいいたんですよあんな山10件しか ないんだけど日が短い時期とあのくともう 暗くなっちゃうんですねだから怪電気を 持ってたようというまよく学校でも有名に なって川の中に懐1電気持ってる人っての はあまりないくらいでそうやって買いまし たけど ねここで到着なんですがはい見ての通り木 ばかで何にも見えないという本当だ うん宮にあったとこに先案内しですね はいこれがうちの山なこれ今川向けてる じゃないですかああこうなっちゃうそれを ふ塞ぐためにテープをくっていうこれが 動物に剥がされたそうですねこれ熊だ ねそこちょっと明るくなってるんだけど あれはあの焚き物を取ると俺木切っ てそこ明るくなったとあさうんあそこ もっと木が入ってたんだけど今焚き物を あそこで取ってで切っちゃった明るくなっ ちゃ普通はこういう風に もうしてる今こううへこあって見るんだ けど今もう木ばっかで何にも もう自分のうも見えないからにったんでは まあなんで409年だんで俺43年度卒業 だんで中国卒業してま6年くらいでもう その時にはもう上に一しがいなかったって いうああそなんですか [音楽] うん俺でさいもう昔の道忘れちゃったわ ただあそこに石があるもんでここに2m くらいの 道があっておのすぐ裏まで畑があったんで うんここどかうちもこの辺を共同の土地で ここで野菜作っとったことがあるね確か じゃがいもとかそういうの作っとって うん今じゃもう 全然野菜も作れないねこれじゃね [音楽] あこんなようになってしまいまし た [音楽] 俺の場合まお親父が一生懸命苦労して残し てくれたもんですからま粗まずにできな いっつことでうちもね立ってあるんで水も でま電気はね実は去年の あの大雪で東北が反してくて電線がず 当たりちゃったですから復旧数に 1500万くらい中電3でかかれてねまあ 俺ももはや58だもう10年も山やればと

の山はできんんであの発電機を1台貸して くればいい発電機をね現地に当時だはもう ちょっと前まえ電気水道電話を入れてたん ですよ今が10年くらい前まだねでま電話 もそんないらないです電話切って電気と水 だけは今まであったんですからあのネト前 にも富富先してたんですけどね今はそう いうわけで電気は発電機水は出てる来てる んでうちまで風呂も入れるしちゃんとし てるんでたまにあのえうちの娘たま子供 たちに来た時もねた止まったりとかして ますけど もま思い出は9年間あそこで育ってるんで 色々な思い出がありますけどね 元へ戻る無理な話 [音楽] な打ち捨てられた 神社この地のスを祀るものはもはや誰もい [音楽] ないこれから日本のあちこちの集落がここ のようになってしまうことは想像にく [音楽] ない [音楽] 千と千尋の神隠しの戦闘シーンのモデルと なったと呼ばれる下祭りで有名な東山号の 木沢集落でこの地にのみ残っているという 盆踊りを見せてもらっ [音楽] [拍手] た [音楽] [拍手] [拍手] けば げ残しとけばね今買ってまた思い出して来 てくれる人も今日なんか10いたないかよ あそうなんですか飲ましょうよ てん その開発が住み道が良くなると人が出て いってしまう取材先のあちこちでその言葉 を聞い [音楽] た [音楽] 山森の現在を見てみ たいキャラバン隊は徳島県の藤村に赴い たここは藤村の関谷という兵家の中道伝説 のある 場所キャラバン隊が到着した時たまたま 1度の祭りが行われてい [音楽] たこれはとっちんちんという 踊り何でも都から落ち延びてきた身分の 高い女性女郎が伝えたとされて

いる度れてしまったがにし た兵の松江だという竹岡さんわ子供の自分 からみんなが踊ったうん踊りの時にな踊り まいなやった あのこっち神社なし他の踊りが巻踊りとか [音楽] な 村は古くから形で栄えた村で [音楽] あるそこに行くのも険しいがそこから出る こともまた [音楽] 険しい山の男たは山に入る時必ず山の神に 祈っていたうん大体あの山神っての今日 山神大体の7 か日からま場所によってったけどの俺はま 皆に休んでこの日は酒もてんでっ たわらはそれほどにせだったけど大体の この木を余計出してるところではつに1回 は山さん祭りをしてあそこのあ労働者を 全部休ったそれがその日をあれさ文字に 書いたらどうかかしたんのじゃけんど縄 もち言うた天気が同行ではなしにもなるか と決めたら必ず休んでその山神さんにお 参りしてそその晩はその山のあの大目をし てる事業者じゃ事業主じゃの事業主がお酒 を買てくれて飲んでずしったなもう毎月 チソも林道もなかった時代男たちは斧で木 を切り倒し金馬と呼ばれるソリのような 道具を使って山から木を運んでいた昔から 言った引の毛があの片になるこ言っ た あの今というのに大目を積んだのは あれ雑器えすぎ材じゃったらなんだけな 採寸して 仙台仙台も積めた ちょっとあの道が傾斜のき来たら町の油 つけて引っ張りてるんだな滑るんだで滑る の止め持ってくるてやつが1番危険なの 山仕事しとってこっちネたがも 金馬ま金馬引きしとってこの大目と一緒に こげてで足がこっちこっ て曲がってたうんほもうミリミリポーっと 晴れてきてのこの 重力のなみあれを焼いてのでこれを貼っ といて上からこう消ちゃっで蒸してのあれ を取ってきてそれを日からゆで抜くみたな くかっと こんな治療しかなかっ た非常に珍しい石作りの席が木筒に残って いるかつて金まで運んだ木をさらに下流の 街へと運ぶために席を作って水を止めその 水圧を使って木を流してい た例えばこの席を切る 時我々みたいなおいもんが先どあの谷口

まで あの鉄がる言っ て 走走 砲て走走てぼかたあの鉄砲てから 走したに仕事が けに構ないなこんなからね財務で組んどる からねこれ財務あのどんどんどんどん流し てきたらこれこれが食われてしまうけんね ま この組んでいくんがねなかなか うまいことくまんと1か所待ちをったら 全部崩れるからねそれがさえだったと思う ねとね [音楽] うん木が滞りなく流れるようその木の上に 人が乗り操ることを一本乗りと いう1本乗りも骨この風に鉄砲的に出して きたやつをのあの本はめたら本から1本 でここからずっと平まで よ1年に平まで3回か4 水ったが流れんけちょっとある時ある 時水のない時は怖い持でこうはめといて水 のできたら一緒な なかつて林業で栄えたこの地域の昔の姿を 取り戻したいと勇が集まり保存会を結成 一本乗りの講習や大会を定期的に開催して いるその保存会のメンバーであるマーク フェリーさんはこう 語るま昔のたねま保存会のじいちゃんたし が若い時のまこの辺のあのリグはすごい盛 の時のもかい仕事もう1番イケメンの人が やるような作業だったという風に聞いて ますでそういうようなあのもう伝説なある ものねあのみがこうなくなっていくのがえ 寂しいと思ってまそういう保存会を作られ たんですけどもうあのこういう一本乗りの 保存会がやるね日本のりが昔のその村が 元気だった魚が元気だった時代との繋がり もあるかていう風に 感じ金馬や一本から河川と呼ばれる ワイヤーで木を運ぶスタイルの山仕事は 推移していっ た [音楽] 木とのサとの草分け私なん [音楽] ですワイヤー貼ってえこれで大きな雰囲気 を据えてええでこう釣っていてこうすわけ ねはいはいはいそれがいわゆる [音楽] あの作道っていう結局空中ケーブルです やったわけ ね以前と比べれば危険は減ったというが やはり命がけの仕事で

あるもうの河川やっとったらもあのワイヤ わないあんであれがも一番 きつい もうちょっと巻 [音楽] てて て楽なようで危険が伴うわな牽引力ちんか こんなやったらもう5とも6とも引っ張る 力があのある毛が座っとるけんなほんで この簡単なあのワイヤでもま10mm ぐらいやったらなもう簡単引きた力がある けんなほんでほれほんまこと 上で控使う人間と作業する人間こ連結でき なんだ場合にはなこれが切れるだよほんで 大きがするわなほんでもう今森林組んでも ここ何年間で何人もしんどんだろっていう ことはな土方さんが仕事が少ないもんだけ 病見て入ってきとる人もおるんよこた仕事 自体がこの経験がないのにしるもんだけん な [音楽] [音楽] 時期悪いはこういう仕事が多いよな時期の 悪い時期はなうん昔から な立派なキと はの値生活できこれだったらなまだ30年 生ぐらいだわ今このぐらいのがでも出さ 出されるんです結構ねうんこれがもうの 1番結局これもう俺親方泣くのはもう 150年経っとる木もこの木も値段一緒な んよ うん150年とこの木が出こ30年生とか 30年生が帰ってよ値打ちあるんようん 150年の木よでほんでも結局この頃の この若者若いの考えはのま住めやるち考え しとらんねだ30年ぐらい50年まどせで 30で立てても8050年50年ぐらいに 考えしかしてらないだわ生きるだけのしか ほんでもうほのだ若きのこんなも使うんや だ戦後じゃけんなこの全部どの山も過に なったというのはもうどんどわでこんでも 時 が他 の過ぎで ない聞いてやったなとこの山で [音楽] もなぜ山は杉だらけになったの か一長部に3000本植えたら補助金増え たんで全のない自分だけその杉をこうてき た自分で作って1億に3000万ぐだった 全食だった補ったそれ以下だったら時 なかったこれあのすな入ってみたもうメシ ではこんなん1m23の間にこだけの幅 がほんだけ上だったら3000もだった やこっちがこう軽車のこと分からんけんな

平やった け間伐の 現状これた補助金がまたこの値段が違うん じゃだこのキリスと何とは長部に置いたら 長部にこれだったら8万もう前は10何万 でよったんねんだなこの後だったらもう だいぶ下がっとると思うけどもう分かって きたけんだこた普通のキリストだったら 7万ぐらいしかおりんの [音楽] よ今もう今年からその髪の補助なくなった わね全く なくなっ今言てゼリにするカパほれも去年 までのあの補助人が50年万くれよって 補助が行てくれたりそれが35万と20万 も減ったけねこのままで行くったら俺日本 の人形はおそらくもう伝ってしまうんじゃ ないかと思てますね 新馬世になったもん だでも外大をどんどんどんどん入入 なんであの外材を止め止めんのかな おそらくこのままだったらもうむは なんす杉林やなしに杉やになってしから うん発できないそ杉の林に もる杉林が林じゃなくてやなってうんこ ほったらもう人魚は 高い これ 心配いやもう女やめといたいあれ言うの これもう無理じゃわ無理だってもう今から もう山はあかんぜももう気が売れんねん なだてな何年か前からもう 月頃 から5月6月ほとんど 仕事 無理無理無理無理特に合併号にはね若者 みな街に流れてしまいます仕事がないもん 魚でね働けたらもっと活気が出るんじゃ ないかなと思うそれこそあのその知識の ある人間がいるうちにねえそれを次の台に 伝えれるよう [音楽] に今日本のかなり多くの山の土は森の砂漠 かとも言われているように乾燥しきった河 のようになってしまっているしかしここご 所員さの山頂付近の土はフカフカだった 山頂のみブの小さな森がかじて残されて いるから だ もが上がっとんじゃ時期が悪いんじ大変 ざあざあの水道流し水道が流してんのと 一緒なような音するんようんわらは聞いた ことないけど年寄りはもうよよるわだ水 かんじの聞こえるっていうのほんでこうし たら

なほたもうブのだほ富士山が緑のダム作る んじゃもやったらのうんこの朝やつはのん でタとけんのら言うたら緑のダムやねうん 緑のダムちうのがこれなんやうん緑のダム うんほんでこのもう何が林あくやったら 貴重なんだこれ の結局の俺は自然崩壊したの川があれとる なんでもやけこれもだ杉の上すぎよだの 自然輪があったらこんなことならやったん よパルプで置いてったらのほんでもうね じゃったっての150年こんなあの大北 じゃったって3名あの元1m20歩き じゃったって名和の 何3Mも伸びとれんの ぞりこたキのこんなもんだったらもうキの 受行が50mあるとしたらねも50mびと んだうんあの朝て雑木はえほんで杉の ひっくり返るんだすぐ寝切れ てもうこのまではダメやなうんこのまま こもきったらもう自然にほ崩壊してしまう て土砂がいっぱい流れてくるし山破て しまうもん痛んでしまうっぱり早めにこれ で切ってだったらのこれ早めにこれす半分 に切ってしまったらこれたら草が入るこ たら下草入ってきたらこの陣が水溜まる けんの吸いてでけてくるけ今やったらもう 全然ねもう水たまたや全部 なはけてしまうてもツがいっぱい溜まっ てく な早いことなんとだったらもう死になっ てこれはがそここっちでけ も早いことしだったこれはもうにもどし いっぱいになってしまうでラムで取って だってなことには間に合わ な早ことしてもらいたい なおもうれたんのずっと上の方ほとんど雑 があった ん色々形が来てな住とも形とか色々来て から全部大のもんがたからこて切って しまうた立ちあの滋賀県も見てもそうや けどな滋賀県は この琵琶へ流れ込んでか支流を集めて 260分ある3回その上流の雑木を全部切 てしまた3030年かかっ てブブあの水なばっか林をほて杉の上ても でけんじゃろあれあんなバカバカなこと するけんとてわ思たな不も不も夏も とにかく山を青ななかった水がでけちほ いうあれやっ [音楽] たほで雑木は不はおじんけ落してしまう けん補数力がないというてのほれでわは ほんで校舎の人にもほ言うたんよ放射の うちにあの何のほらほら美の水が観測し てるで8時戦で下がってしまうてなそうい

たいわはちゃんといとる時に 5050は5678年ぐらいやったから うんっんほで後で杉杉木からえとるけど 全くでけへんのよ全部 あの雪になれで な 藤村でのキャラバンの最終 日前夜村を襲った台風とともに降った大雨 でトンネル付近が結界してしまってい [音楽] たその現場のすぐそばに住んでいる奈良県 からアタンとして家族で移住してきた田中 義孝さん アイターンとして暮らす ことある意味そやからね来るのが遅かった 的なとこは自分の中でありますねもうまだ 来て3年や けどやっぱり高校出てすぐでも良かったん じゃないかなってほなもっといろんなこと ね吸収できた しねもう今はやっぱりこの亡くなられてい てない方でももっと持ってはった方いて はると思うんでねそういう面でで自分の 年齢的な面もあるでしょう ならね ちょっと無駄な事故を街で過ごしたかな みたいなはあります ね体をこう動かして疲れきって的な仕事を したいていうのはありますかなんか街は 機械すぎてねま山でのもチェソに機械に なっとるかなありますけどそれでも やっぱり山歩いて上上がるとかね降りたら 降りたで今度家帰るのにまた上がってこ なか しもう山歩くだけでも結構ね答えますもん ねだけど生きてる実感はすごいありますよ [音楽] ね [音楽] [音楽] 日本で一番人口の少ない町と言われる山梨 県 早川町町の中心地からかなり山奥の深い 場所にあるグという集落で雨声の儀式を 見せてもらえると聞きやってきたここのお 狗様聞くだ から耳は欲しくて聞いてるだ からが 続くダになるよあの初悪くなるしょうが ねえ からあにやってない 持ってこね昔は並ここでは勝してただから さんですね さ何十年ぶりにする だけこの地の中心的存在深沢子さんつ

はい彼女が温度を取るとこの村の大半の人 たちが集まってきてくれ た 数ヶ月前にひが続いたためひっそりと数人 で雨声を行ったという が深沢さんにお願いして村人ソでやって もらえることになったおそれでこのと [音楽] か50年ぶり た [音楽] ぞさんもゴロゴロ [音楽] とに出した [音楽] せきたぞ せ [音楽] せ [音楽] せ声を出せ声を出せって大きい声を出せて 声声のおじ もほら来た よっ来たぞ 本当に来た雨が降ってき た内でもね長内でもこの集落が一番大きい だ よモラほど大きいシないよねモ変わった 名前ですね本当て言えばよかったのに ねて書だから があげるクて書くのにねほしあのあそこ全 お参り行ったらねその案内人がもぐの皆 さんなんて言ったらこんな来るぞかと思っ てみんなに笑われてたえまぐの皆さんぐの 皆さんなんて言って昔はねここの集落は 早川町内でも1番あの行事が多いとこでね それであの今も多いもんねうんほれで今で もほらそれをねじてこういう少なくなって もやってるのここ4月は毎月あれだから ここ4月は3バそうで3月あ4月4月に するよね今脳舞うのここで3ここちょっと いたとこにモグ講談ちうのがあったから それでモグの人たちはねどこへもこの ブラクから出なくてれで結構文化的なね 生活をしてそうでもそれも昭和もう42年 にあのすっきりきれになっちゃったからね もう変わりましたね人間は変わらないけど あんま し増えとねあだき増えたたくさん増えまし たよ昔から言事があるだよ色じゃ荒くね じゃね恋じゃ荒く情けじゃも情けないのは 大原なそういう言技があるですの人はねあ ん大原のんて悪いよ言うと悪いよねけどね 本当 さきないだけほらねあのモグの人たちは

そういうなんかコミュニケーションがいい なと思うそこがいいとこだよここはほら誰 か1人見えなきゃ釣れに行ってくるとかほ 始まるとはんで来いよとかってねうんそう そうそうそうそういう声をかける声かけ今 ほらあの都会なんか特に気迫になってる じゃないですか人と人のあれがねだけど モグの人はねあれ見えないなこの頃どう なってか何人かな風でも引いてねってるら かなんて言って ねすいですね笑いがえないいい感じ でそうそうみんな1人だからここじゃこう しべくるとけがうけ喋る人いないでいい ねみんな1人もんないのしばかてた そうそう2人いればいい2人いればいい方 だね うん2人いても喋らの音もいい ねじゃ やか旦笑ってるよ 2人ても喋らだってお父さんほでも おはよういいだお父さんて言うでお言っ私 なんかね [音楽] なか あ [音楽] たこの中で3世帯5人しか住んでいないと いう稲集落にやってき た鹿やクや猿からたった1人で自分の畑を 守っているばあさんがここに いるこれが私の 畑望月ふえさん94歳何番を増えなさいっ ていう言い伝えがあったんですかは南蛮を 植えなさいっていう風にえ南蛮をねうん 乾かしておいてねうん今年の乾かしておい てそれちょんちょん切ってねおいて吊るし とくれあれ匂いもするだねだからそういう のをんそういうのを言い伝えで聞いてた のって何よ何番か何番がそういうのに聞く よて言い伝言そ聞いて何番があの獣に聞く とは聞かないけど勝の王だということはを 聞いてたからなんで王なのかなと思って 私言たっちゃけ試したらあこういうことな のかなと思って勝がね絶対ダだと思うもの を足してあれをしたら助かったじゃない これは南蛮は王様だろなっていうそれだと 思うんですよ私が考えるのにこれが作った あの南蛮 うんこれこんが入ってるさいうんあそこへ も上も来たり人もこういうの続いた こしたら怒らない でしょ不思議ですよねえずっと嫁に来る からずっと70何もうん作ってる じゃんだから自分の庭ちゅう感じねうん私 の箱庭はね小ちゃい昔はこれじゃ足りない

からね山を作っ てこの向こうの山がね日がたっていい 場所道の車道の上の方へね作って お茶も作ったり色々作ってたんですだけど もう年取ってねぶっ転んで顔怪我したから ねもうそれっくりやめちゃっ た畑行ってね火を増さないとねえいしとか 猿とか来るんですよ火をうんドラム感を 切ってねそ中へを入れて竿を取ってるし たりね毎朝やるんですか今い晩朝と晩へ 知らないと全部やられちゃうの 勝してて何にも取れないなんて悔しいやん ねうんだから私はね中間になって朝はも夜 開けるの待ってんのどの中 であそこは人のち来てるなと思うと 寄りつかないね人がいなくなると入って くるだから ね命だって腹減ってどうにもならなければ ひぐらい燃てたって入っちゃう です食べ腹が減るって切ないこんだねと 思っ人間ばかじゃ ないそのうち食料なんでも来るかななんて の予感はしますよ ねどこにいたて日本中がから見て ね日本だって都会みんな若いもの行っ ちゃえば年で法規のあのタが増えてる でしょそれです よ限界の村っていうのでのが現実だね自然 に人が減っていって出た人が帰ってこ なければ自然消滅するよ [音楽] ね 生きてるうちだけ元気 [音楽] に暮らしてくしかない [音楽] ねくよくよしても仕方ない [音楽] から [音楽] かつて陸のこと日本重大秘境の1つなどと 呼ばれてきた奈良田 集落1957年にダムが でき集落はその下に沈んでしまっ たここで温泉施設を営む深沢守 さん彼の父親がグループを作りかつて池と 呼ばれ温泉水が湧き出ていた場所を目がけ ボーリングをしその水を探り当てて温泉に してから50年が 経つ深沢さんは経営の傍冬場量もされて いる深沢さんがずっと心配しているのは やはり山のことだ山のね笹の派がねみんな 枯れちゃったんですよこの辺56年前ね 56年前で3年連続でね笹に花が咲いたん です黒い花見たことありますか笹の花って

それね3年連続で咲いたらもう物の見事に この周辺南ある周辺の笹はね全部借りまし ただから昔ね笹がいっぱいあった頃は歩け なかった山が今でスタスタ歩けます笹が なくなっちゃったんですからはいここ 100百名山になって笹山っていう山が あるんですけどそこへ行くルートなんかね ダムじゃ取れなかったサが深くてもう 歩ける状況じゃないもう私が私はもう笹の 切れ間を知ってるんで行けたんですけど 素人の下じゃ全く行けない山だったんです ところ今はね笹が全部枯れちゃったんで もう山の様子がまるっきり変わっちゃい ましたね誰でもスタスタ歩いていけます さすが変れちゃったってのも鹿がこうね あの死体下がってきた大きな要因でも多分 あろうと思うんですけど佐々食ですからね 鹿のね これは行政の責任も大きいと思うんですよ ねずっと本をしてきたわけですから本をし てきて被害が広がったらさあ取れてんじゃ もうちょっと遅すぎるんですけどもう何年 も前からそのことは発信はしてたんです けどやっぱりあかお役者は受け入れない ですからねうんもう山がね今鹿に荒らされ て大変な状況になってますえもうねこの辺 の山はあの冬場ですね あのがなくなると鹿はね木の皮を食べるん ですしかもね鹿の口が届く範囲ぐるっと皮 が食われちゃうんですからそ木は枯れる しかないですよね今一番被害が多いのは何 かって言うと眉と木肌と水気この3種類の 木がものすごい目立ちますもうほとんど 壊滅状態って言ってもいいですねえこの 辺りの山のあの自然のこうねサイクルで木 の雑木も木の花を咲かして身を鳴らして身 が落ってそっから次の目が出てきますよね そのサイクルが今ねえようとしてるんです よね鹿がなぜかって言うと小さいこの ぐらいまでの苗って小さい木はない寝鹿に 食われちゃうんですで鹿の背丈以上に 伸びる伸びないと鹿の被害から逃げられ ないんでもうほぼ全滅でこのまま何年も この状態が続いたら山は大変なことになる なっていう危機感を思ってますねしかも あのあのこの奥のこの山の向こうがちょ西 門星へ流れてる湯がっていう間があるん ですけどその湯川の原駅周辺からこっから から奥の山もう原油林っていうところは 全てその昔全部伐採しちゃってから松に 植え替えられちゃったんね一面見渡す限り から松の山ですよカマなんかで補水力ない ですから川の水が細くなって当然ですよね ですからもう昔に比べれば川の水量が かなり少なくなってることはこれは多分

山梨県の中データで分かると思いますよね 水出水する水の量がね10年前20年前に 比べたら大幅に減ってるはずですからえ もう原流域のいわゆる山の高いとこまでね 両線までから松林にしちゃったんですから もどうしよもないですよ 今こう例えばこの丸山リドってのあるん ですけど林道行ってみればよく分かります よ原が残ってるところはねこう急斜面の 岩場の場所の悪いとこだけ杉谷ひのきそう いったものに比べると目としての価値が 非常に低いもんです から全く何のためにあんなことしたの かっての聞いてみたいですね本当 [音楽] にまどうなることやらですねちょっと心配 ですね特に山が心配 [音楽] です限界と言われる集落の人々は意外な ほど力強く発達だっただがこれからの10 年が心配 だそして山の未来 もJA

長岡参の初ドキュメンタリー作品、遂にオンラインにて配信開始。
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予告編 Short →https://youtu.be/B9NA7YsLVHs
予告編 Long →https://youtu.be/G8M_Wz9gEqs

2013 | 日本 | 日本語 | 120分 | カラー | MOV | ドキュメンタリー

様々な限界集落、山形の山伏、沖縄久高島の秘祭、徳島の林業、島根の有機農業、山梨県の奥地にある雨乞いの儀式……一見無関係に見えるものたちが、「産土」という言葉で結ばれるとき、現代の私たちが忘れてしまったものが眼前に浮かび上がってくる。日本とはどういう国なのかを知るためのドキュメンタリー。

第1部ーー山と限界
撮影場所
長野県飯田市
徳島県木頭村(那賀郡那賀町木頭)
山梨県早川町

| 監督 | 長岡参(映像作家)
| 主要国外映像作家 |
Ben Ruffell(ベン・ルッフェル)ニュージーランド
John W. J. Cho(ジョン・チョー)マレーシア
Kirsten Tan(キルスティン・タン)シンガポール
Rufus Ward(ルーファス・ウォード)イギリス
| 撮影補助・録音・制作 | 川口泰吾
| 整音 | 坂本直
| 音楽 | antennasia・サヨコオトナラ・Yu Kadowaki
| ラインプロデューサー | 荒川あゆみ
| プロデューサー | 長岡マイル・トム・ヴィンセント
| 企画 | NPO法人グリーンバレー、tonoloop networks
| 制作 | 長岡活動写真館・トノループ・ネットワークス
| 後援 | 南沢典子
| 配給 | エヴォリューション

| イントロダクション |
震災直後の2012年、映像作家・長岡参をリーダーに、さまざまな出身国の外国人映像作家たちで構成されるキャラバン隊が、「森と人の暮らし」というテーマで日本の農山村、漁村を駆け回わり、山形の山伏やマタギ、島根県の有機農業、徳島の林業、長野・山梨の限界集落、そして沖縄の神秘的な離島を取材。多岐に渡る内容をどうやってこれらをまとめようかと逡巡を重ねていたとき、ふと長岡が思いついたのが「産土」という言葉でした。

「産土」とは、土地そのもののことであったり、土地の神のことを指す言葉です。人が産まれてから死んでいくまで、その人のことを守り続けると信じられてきたといいます。

外国人作家らとともに旅していくことで、自然と何かに手を合わせたり、頭を下げたりする、日本人の行為や習慣こそが、自分たちの特徴であり、よりどころではないかと思うようになりました。 乱開発や環境破壊などを繰り返す一方で、一本の草木のために祈る文化がある。当たり前なこと過ぎて、ことさら特筆すべきものではなかったかもしれませんが、そういうものが失われつつある現在、少しでも形に残したいと思ったのです。 そして完成した映画『産土』は、国内外の多くの場所で上映され、映画を見た人自らが行動を起こすきっかけとして、完成から10年が経った今日でも、多くの共感が寄せられています。

| 『産土』『産土-壊-』の主な上映実績 |
■2013
徳島県神山町改善センター、「森と共に生きる暮らし方シンポジウム2013」にて初上映。民俗学者野本寛一さんと山伏星野文紘さんとの対談を実施。
英国デボン州ダーティントン、Exploring Our World Film Festival 2013の招待作品として上映。
東京、スパイラルホールにて上映会。
カナダ、クロフォードベイにて上映
ニュージーランドにて山伏編『Uketamau』が Queenstown Film Society Short Film Night 2013にて上映。
山梨県早川町町民会館大ホールにて上映+長岡講演。
徳島県海陽町城満寺にて庫裡の落成イベントとして上映+長岡講演。
■2014
愛知県豊田市美術館講堂にて上映会+トム・ヴィンセント講演。
東京、日本橋 Publicasにて産土の上映と勉強会の「産土Night」第一回スタート。ゲスト:星野文紘さん。
徳島県神山町改善センター、「森と共に生きる暮らし方シンポジウム2014」にて『産土ー壊ー』初上映。ゲスト民俗学者岸本誠司氏。
明治神宮参集殿にて『産土-壊-』を上映。

その他、この10年間に100回を超える上映会が各地で行われている。

| ディレクター・ステートメント |
「日本に歸(かえ)る」2013/01/30
このキャラバンの内容を、一言で表すならばそうなるのかもしれません。実際に正月や盆で里帰りされる方も多いでしょうし、そうでない方も多いでしょう。ですが、その「故郷」の近辺に、都市伝説や噂や「・・・らしい」とか、言われているような場所がないでしょうか。
日本という国は、ほんとうに多様な国であると、このキャラバンを通して感じました。飛行機に乗ってしまえば、ただの点景か雲の下としてしか認めない、三・四時間程度で北から南まで行き来できてしまうような小さい国ですが、その点景に赴き、参詣してみると、想像を絶するくらいの深みと、違いと、類似性がありました。

それは、「ちょっとだけ奥」だったり、「このトンネルを抜けた先」だったり、「あそこの山の中」だったり、「遠くに見える島」だったりするはずです。行こうという意思を持てば、そんなに難しくはないところです。

そういう「僻地」や、「秘境」もたしかに僕たちの国であり、連続した道の先にあります。そこに知らなかった方言があり、もの凄い祭や面白い形のお面や装束があり、踊りがある。鹿やタヌキやイノシシや熊を狩り、様々な山菜や自然の恵みを頂く文化がある。それらが、本来僕たちの文化的拠り所とするべき「日本」だったのではないかと思います。

その土地ゝゝが苦しんでいます。ご承知のように高齢化、過疎化、そして獣害です。又、山に住む人々にとっては、この30年たらずの「森の放擲」によって起こる、生命の危険につながるような様々な災害が起こりつづけててもいます。それは、僕らにとって無関係ではないのです。それは「ちょっとだけ向こう」で起きているのです。

本編をご覧になられれば分かると思いますが、本来のあるべき「森」の姿は、今現在のそれとはかけはなれています。本来の森の土はフカフカで、弾力があり、ゆえに保水力があります。今のそれは「河原のよう」と誰かが表現したように、固く乾ききっています。一部の鎮守の森や無社殿の神社がるような山の上の森では、そのようなフカフカな土がかろうじて残されていますが、材木の自由化が決められてから以降、たった30年たらずであらゆる生命にとって大切だったはずの「森」はそのように推移してしまったのです。伐るべき木、そして伐ってはいけない木の見極めが大事なのです。しかし歴戦の山師たちが「なんとかして欲しい」と悲哀を浮かべて呟かねばならぬほど、森は「限界」に近づいてきています。

「過疎」あるいは「限界集落」と表記すると、そこに塗炭の苦しみや、孤絶された悲壮感のような印象を抱きますが、実際に「ちょっと先」へ踏み入れてみると、そこには楽しみや笑いやありえないほどの思いやりや暖かみがありました。しかし、その人たちの闊達さの裏にひそんでいる孤独は、とても深いとも感じもしました。

今回五人の海外(フランス、イギリス、ニュージーランド、マレーシア、シンガポール)の個性あふれる優れた作家たちと、北は山形から南は沖縄まで旅をしてきて、僕はそういう「日本」が、本当にかけがえのない、貴重な、守るべき、受け伝えるべき、愛おしむべき存在であると強く思うのです。

企画の詳細を作っている段階で、「結び目」という言葉が浮かびました。自然と人、森と人、神と人・・・或は都会と田舎。そのような結び目を形作るための、様々な「糸」を拾い集め、探し求めてきたように思うのです。けっして完全ではありませんし、網羅もしきれていません。ですが、これは僕らキャラバン隊なりに、精一杯飛び回った記録なのです。どうなるかどうかは分かりませんが、できれば、今後も続けていきたいと思っています。刻一刻となにかが失われつつあります。

また様々な地域でこの映画を上映しようと思っています。ぜひ、この映画をご友人やご家族とともに見、それから年長者に昔話を聴いてみてください。或は住まわれている近くの山に登り、森に入ってみてください。きっと余分な言葉が消えていくはずです。それは沖縄の西銘用勝さんが話していた、神聖な場所に入ると「言葉がまったくしゃべれなくなる感覚」に近い感覚だと思います。それが「森=杜」に入るということ、であるとも。かつて、その「何ものか」を敬うという意識が、「産土神」を祀るという儀礼になり、そこからすべての生活がデザインされ、無駄のない調和のとれた「暮らし」が営まれていた。島根県柿木の福原さんたちが「人間にとってあたりまえのこと」と言われるような暮らしです。21世紀の現在、そこに完全に戻ることは不可能です。ですが、「ちょっとだけむこう」に足を踏み入れると、都会人にはフィクションかと目を疑ってしまうような世界が未だに現存しているということもまた、事実なのです。その中には受け継ぎ、取り戻せるものも、まだ含まれているはずです。

この映画で取り上げた様々なインタビュー、それは本当は我々キャラバン隊ではなく、あなた自身がそこに歸って、大切な誰かに傾聴すべきであった話しである。僕はそう信じています。
長岡参

| 参考 |
オンライン版『産土』ができるまで
https://note.com/milenagaoka/n/n39cf444ed68f?magazine_key=mf10993f434ac

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