【アーカイブえひめ】ラフォーレ原宿もあった松山の商店街「大街道」(2004年)
今日でこの味ともお別れ。そう、大海道の名物氷ロンドンです。え、ロンドン屋には懐かしいこの味を記憶にとめておこうとくさんのファンの方が詰めかけています。 懐かしいね。ロンドンやったいのはなくなるな、えて思いましたね。 この時映画があるじゃないですか。その見に来たら小鳥のどを食べてでこのこれ食べて海が楽しめったんですよ。 では覚えとかんとね。 2004年の今日10月29 日大海道の死ニセレストランロンドン屋が 77年の歴史に幕を下ろしました。 1927年昭和2 年リームの店として誕生したんや。 オレンジ色のかき氷りにあ豆きとクリーム を乗せた氷ロンドンが看板メニューでした 。 この年の夏に3代目のオーナーが亡くなり 閉店を決意。最終営業日には氷ロンドン 400色が用意され、常連客らが思い出の 味を噛みしめていました。 こんな寒い時期にね、氷なんか思いつかないだろうに来てくださって本当にありがとうと思います。それからおよそ 3年3ヶ月後のことです。 24年かどうもありがとうございました。 2008年1月27 日、若者文化の発信拠点として親しまれてきたラフーレ原宿松山が閉ました。め ちゃ寂しいですね。 ずっと使ってきてたんで、 これでまたあの町に来ることもちょっとなくなるかもしれんと思うんで、商店街の空洞化が心配される中、その顔とも言える店が撤退となりました。 え、こちら海道1 番長口は松山の商業地の中で超一等地とされています。 にも関わらずラフレアとの利用方法が 5 年あまりにわって決まらなかったことでこの建物は松山の商店街の水体を象徴する存在となっていました。 ラホーレを運営迎するモリビルは後地の再開発を検討しますが財産が取れるかどうかを巡って計画は 2点3点。 平館から6年近くだった 2013年10 月ようやくまとまりました。いて 地元の皆様に大変お待たせする形になってしまいましたが、ようやく事業の着手ができることになり、え、私どもとしても大変嬉しく思っております。中心市街地の活性化に関して与すべく計画を進めてまいりたいと思います。 それが 建物の最上会13 階にホテルのロビーがあります。ロビーに出ると大きな窓があってとっても景色がいいんですね。あちらには松山城もよく見えます。 2015年7月に完成した複合施設です。 そして時は流れて 2021年10月には 2分で開します。 大海商店街入り口のもう 1つの顔松山み子が 30年ぶりに大規模な行いました。 地域業がテーマで化粧品売り場などが入っていた 1 階は食メインのフロアに生まれ変わりました。 今までの三越しとは全然違う場所みたいで ワクワクします。でパートとかちょっと なくなってしまうところも地方ではある中 でなんかちょっと大丈夫かな?ずっと会っ てほしいなとは思っていたのでなんかこう いう風に華やかに変わってくれると安心感 もありますしまたちょっと通うかなみたい な気持ちになりました。 どうぞ。 大規模は 2021年12月に完了し、 7回と8 回には三越伊勢タングループでは初めてだというホテルもオープンしました。 気持ちがふっと軽くるような体験ができるだとかそういうことをして体のリラックスだけではなくて気持ちのリラックスをしていただくっていうことが大事かなと思っておりますので地元の方にアピールしたい特に女性の方にアピールしたいなという風に思っております。 さらに昨年 11 月には全国で初めてコープがデパチカに。これには地域を取り巻く事情がありました。 三越市を軸に 1km半径に1万4000 人の、ま、人口がいらっしゃって、わざわざ遠方まで車でお買い物に行かれたり、タクシー乗って行かれてるというのを聞いてですね。 地域の買い物難民をターゲットにしたのでした。人工減少に加え、郊外に大型店舗が進出するなどして休日に大海道を始め中央商店街を訪れる人は 30年前から半減。秋店舗率も 15% に生き残りをかけた挑戦は今も続いてます。
過去の出来事を懐かしい映像とともに振り返る「アーカイブえひめ」。
今回は、時代とともに変化を続ける愛媛県松山市の大街道商店街です。21年前の出来事からプレイバックです。
(2025年10月29日「Nスタえひめ」でOA・地上波では、当時の流行歌と合わせて放送しています)
1927年・昭和2年アイスクリームの店として誕生したロンドンヤ。
オレンジ色のかき氷に小豆とクリームを乗せた「氷ロンドン」が看板メニューでした。
この年の夏に3代目のオーナーが亡くなり閉店を決意。
最終営業日には「氷ロンドン」400食が用意され、常連客らが思い出の味をかみしめていました。
また、2008年1月27日、若者文化の発信拠点として親しまれてきた、「ラフォーレ原宿松山」が閉館しました。
人口減少に加え、郊外に大型店舗が進出するなどして、休日に大街道をはじめ中央商店街を訪れる人は30年前から半減、空き店舗率も15%に…。生き残りをかけた挑戦は、いまも続いてます。
18件のコメント
昭和の大街道や、銀天街、道後の映像をもっと見たいです。松山は、亡き祖母との思い出が詰まった大事な場所です。
その後、入り口のパチ屋とボーリング場も閉鎖、未だに放置。
ラフォーレはアエルになったが本屋が撤退。
もう会員制のフィットネスクラブだけに。(上はホテル)
入り口が空洞化してる。
ゲッツといいラフォーレといいあの雑多なまま中野ブロードウェイのような賑わいを保てたら面白い街になってたんすけどね。
ファーストボウルのビル放置するなよ。
大街道の入り口であるビルが廃ビルとか終わってる。
市が力入れてでもなんとかせえよ。
昔(30年くらい前)は人の流れがいっぱいいましたね。
今もいないとは言いませんが、L字地区あたりは悲惨な状態になってますね。
野志市長、見てますか?
野志になってからの松山の衰退が酷すぎる。なのにお年寄りがいつまでも名前だけで投票するからどんどん衰退の一途しか辿っていかない。
松山市はもう衰退し続けてますね
残念です
アーティストと曲名が表示してるのに曲が流れてないw
どういう意味?
奥道後のジャングル風呂がなくなったのも悲しいし、ラフォーレなくなったのも悲しいし、駅レトロで可愛かったのにすごい変わって悲しい…
生まれた場所がガラリと変わるの寂しいよね
地方都市は県庁所在地の方が厳しいやろ
商店街はAmazon、Rakutenのような通販サイトと戦って莫大な土地代を叩き出さなきゃいかん
ここ最近の松山市の衰退は悲惨そのもの。
一方でお隣の香川県はアリーナも出来て、商店街の復活に大成功。なんでこんなに差がついてしまったんだろう…。
色々事情があるだろうけど、ラフォーレを閉店させた事で街から若者は確実に減ったよなぁ。まぁ、少子化もあるだろうけど。
松山の中心街を衰退させた大きな原因の1つだろう。
懐かしい。大街道のすぐ近くにある某高校の野球部にいた時を思い出します。寮から外出できるのは年末年始の帰省の時だけ。よくアエルにある本屋で実家に帰るバスが来るまでワクワクしながら時間を潰してました。アエルの大街道を挟んだ向かいにあるボーリング屋もよく同級生と行きましたが閉店してしまったようですね、、、
高松と張り合えていた時代
アパレル複合施設とか百貨店とかどこも厳しいから場所関係ないで
若い子はスマホとコンテンツに金使うから服に使う金持ってない
ユニクロか、それかメルカリで古着やね
雑誌に掲載されてるアパレルブランドの服を見て店舗に買いになんて昔の話
もう松山はダメだな。諸々、精算して福岡に引っ越します。
商店街は高松かなあ
JR駅前は広島にも負けない再開発に期待してます
松山は鹿児島とかと比べたら中心部に大学が多いし、まだ望みがありそうだと思うんだけど難しいのかな
1:26 2004年から2008年のたった4年の差やけど、デジタル放送の開始前後の時期だから20年くらい違う時代に見える笑