新潟県阿賀町の山中にある持倉鉱山に行ってきました。まるでジブリ映画のラピュタに出てくる神殿のようなたたずまい。漆黒で光のあたる角度を変えると七色に光る特徴的なレンガ(からみレンガ)で建てられています。持倉銅山が閉山したあとは、さらに山奥へ行ったところにある五十島鉱山から産出された蛍石の貯鉱場として再利用されていました。この近辺にはほかの鉱山や鉱山関連施設がまだまだあるのでそっちにも行きたいですね。

00:00 イントロ
00:27 阿賀野川から林道へ
01:51 林道を通り持倉鉱山へ
04:31 持倉鉱山の説明
09:05 持倉鉱山に到着
12:18 持倉鉱山が貴重な理由(からみレンガ)
16:05 事務所の周辺を探索
18:26 神殿のような製錬所
20:29 五十島鉱山の貯鉱場として再活用された歴史
25:04 製錬所を探索
28:30 持倉鉱山と五十島駅の関係

出没の新潟と福島の県境に眠る300年も の歴史ある鉱山跡地そこに今も残る黒光り する神殿のような意向を探してきまし た鉱山の平山で歴史が終わったかと思いき やそこにまつわる数な運命と はと今私は新潟県の町にていますで後流れ ている川 は永野川ですねいやめっちゃ雄大ですね 上町にはま昔からすごい鉱山資源が豊富に あって この永野川の例えば右眼側にはあの有名な ところで言うとま後に東陽1の道山と呼ば れた足動山を手がけた古賀財閥が1番最初 に鉱山開発に着手した草道山というま銅山 があったりするしま他にもこの辺りには たくさん鉱山が眠っているんですけど今日 私が行きたいのはこっちの赤野川の佐側に ある倉鉱山というところですで鉱山の方に はま昔鉱山の事務所として使われていた 建物とかあと 精錬所か今もまだ移行として残っている らしいのでそっちの方をあのこれから探し に行きたいと思い ますはいこちらはさっき私がいた長野川の 支流の磯川という川ですね今日行くもく 鉱山はこの磯川沿いにある林道あの橋を 渡って林道に行くんですけどその林道をま しばらく行ったところにあるといことです ま私の片落ちフルフルボクシーさんがどこ までその林道を行けるかは怪しいのでま 早々に無理をせず歩いていこうと思ってい ます じゃん今日は12月5日2023年の12 月5日なんですけれどもま倉鉱山に行く道 はま大きく3つあるんだけどそのうち2つ は当期閉鎖のため通行できないで大体11 月末から12月頃から当期閉鎖で通行でき なくなるんですけど2023年クがすごい 出てたから私もいつこ倉鉱山に行こうかと ずっと悩んでいたんだけどまだまだクが寝 ていないかなと思ったりとかしてズルズル している間に当期通行止めの季節になって しまって行けるかなとすごい不安に思って いたんですけどま3つある道のうち1本 だけはあの行けるってことだったんで今日 アタックしましたまここから倉口座に続く 林道へ進んでいくわけですけどまルートの 所々にはこうやってあのモク鉱山へのま 案内看板があるんですねこれ地元の有志の 方が設置をしてくださっているみたいです とても感謝 です とさっきの林道の入り口から車で多分数 100mくらいしか走っていないだけど ちょっともう私の常用者じゃ無理そうだっ

たのでこっからは歩いて行きたいと思い ますま正直林道の入り口から車を降りて 歩いてきてもいいと思うくらいです ね あとモク道山モク鉱山はま江戸時代の頃 から採掘が始まっていてで当初は銀とかを 採掘していたんだけどその後銅の採掘が メインになりましただからまモク鉱山とか もく道山って言われたりしていますま歴史 はそうやって古いんだけど本格 的な採掘が始まったのは1900年の頭頃 からでした隣の5戦士の実業家の小出さん という人がまここの採掘券を譲り受けてで 本格的に採掘を始めたそうですピークの 1917年にはおよそ年間700Tもの銅 をここで採掘をしていたらしいんですけど ま第1次世界大戦がちょうどその頃に 終わってからま戦時中の後景が弾けて日本 国内すごい不景になったらしいんですね その時に合わせて銅の価格も下落したりと かあとま同時期に国外から安い銅の輸入が 始まったりとかして徐々にま国内全体で銅 の採掘が急激に行われなくなったらしい ですでそれに伴ってこのモク鉱山も 1920年には閉山をしたとのことでした でま1920年に閉山する前年1919年 にまそれまでずっと地元の資本でこの鉱山 開発してただけどま1919年に三井財閥 の三井鉱山がモク鉱山の採掘券を譲 譲り受けてで色々と他にもどうの鉱脈が ないかとかを逆してはいたみたいなんです けどねいや鉱山への道乗 りってなんかこういう普段街中で 見るような石とは全然 違う石がいっぱい転がってるから楽しいっ すよ ねいやそれにしてもすごい静かですねここ はあの川のせせらぎしか音が全く聞こえ ない ですで遠くにはちょっと雪がツモって山肌 が見えて足元にはくんだもみが落ちてい たりとかしてなんかすごい自然ががゆたか ですえっと鉱山へと続く道はこうやって 基本的に砂利道なんですけど所々 こうアスファルトが見えている場所がある んですねまだから昔はちゃんと アスファルトを敷い て道路を整備していたんでしょう ねえっとさっき私が車置いたところから テクテク歩いて15分くらいですかね 車両通行止めのバリケードが出てきました でこのバリケードの前にちょっとした車 組められるスペースがあるのでま経自動車 の4駆とかに乗ってる人はここまで車で来 てもいいかもしんないすねま私のボシー

だったら絶対に無理だ無理でしたけど 生々しいクマ出没注意の看板まこれ ばっかりは もう冬眠をしていることを願うしかないす ね うわあ道が川にえぐられてます ねなんか すごいこういう茶色 の石がたくさん転がってます ね見渡す 限り茶色の石 ばっかり 人間の作った道なんて自然には魅力 ですなんだろう これ よいしょ金剛 ガソリンツサイクルエンジン 専用よくわからんこっちチェーンソ オイルどうだろうちょっと最近のものか な おお何 やら山の中に急 に古い人工物が見えてきまし たうわ すごいすげえ すごなんか逆にリアルすぎ てお化け屋敷とかのレプリカみたいもく 鉱山跡地に到着しました私が車を置いた ところからゆっくり歩いて230分くらい かなここまでのアクセスの道はずっと細い 道だったんだけどこのモク鉱山の付近は すごい開けてます ね うわあすっげえ 漆黒真っ黒だねすっげえこの磯川の右眼側 に あるこの建物がま元々モク鉱山の事務所 だった建物ですね当時は2階建てでした今 は天井とかが全て抜け落ちてレンガの骨組 だけが残っていますでこっち側 磯川の佐側にあるこの神殿みたいなものが 精錬所です ねここで算出した道を精錬するための施設 ですこっちの精錬所の方はなんだかもう山 と建物が一体化しすぎてて古代文明が立て た神殿ですって言われたら信じてしまい そうな知らないけどマチュピチとかさ カッパドキアとか さ発見された当初ってこんな感じだったん じゃないのじゃまず事務書の方から中に 入っていき ますここがメインのエンテランスなんか 分からないけどわあすっげえ かっこよ すぎるかっこいい

なあかっこよすぎ [拍手] いやこの建物のさそれぞれの場所が昔は どういう使われ方をしてたん [拍手] だろう すごい なあ ああ すっごい石よりもひんやりしてるこの事務 所も隣の精錬所もこの建物の基礎として 使われているレンガがすごく特徴的なん ですねなんかよく 見てみると分かるんですけどすっごい 黒光りしているんですこれ何かって言うと ただのレガじゃなくてこの銅の精錬をする 時に出た不純物を混ぜて作ったレンガで 立てられているらしいんですねだ からちょっと光の当たる角度を変えるとあ すっごいかっこいいこうやってレンガが7 に光るんすよ ねで遠くから見る となんか鋼のような 漆黒かっこいい なあかっこよすぎだろ一見これ すごい丈夫そうなんだけどま実際すっごい 硬いんだ けどなその不純物が含まれているから構造 物の耐久としてはすごいもろいらしいん ですね不純物を織り混ぜて作られてる レンガを絡みレンガ絡みレンガっていう らしいんだけどその絡みレンガで作られた 建物っていうのはなほとんど今現存してい ないでましてやこの2階建て規模でこの カミレンガ作りの建物が残っているのは このモク光山だけらしくてだからそういっ た意味ですごい産業遺産として今今ここの 建物の保存活動が地元を中心に行われて いるそうですねでこうやってより近くで見 てみると分かるけどこのカミレンガが なんて言うかなすごいシカミレガの表面に シができてるんですねまつまりこの材料と してすごい 均質ではないものなんだろうなっていう気 がしますこうやっ てもう風によってボロボロと劣化してき てるんですよ ねこのレガとレンガの間の接着部分には モルタルセメントが使われているんだと 思うけどこっちの方がなんかよっぽど時を 経て眼鏡に残っている感じこっちの絡み レンガの方は硬いけど多分衝撃とか あと温度差に弱くてこうやってポロポロと 崩れていくんだと思うななんか絡みレンガ が意味あり気に置いてあるんだけど多分

保存会の方とかが置いてくれているのか な おもめっちゃ重い多分10kg以上ある おもあ浮かない もんこれは何に使われてたんだろうこれも まためっちゃくちゃ 重えなんだろうねワイヤーとかの勝車か なこれはもしかしてなんかかとかだったの かなか 暖炉だったのかなもしかする と この事務所の南東側だから多分ここら辺に その当時の 半場つまりその鉱山で働く人たちがまご飯 食べたりとか寝泊まりする場所がここら辺 に多分あったんだと思うんだよ ねその痕跡を探すのは難しいかもしれない けどそうだねこっちの事務所の南東側は ちょっと臭が美味しげってい て当時の形跡が全然わからないすと重い やなんだこれ [拍手] はなんかくぼみだけどこれなんか昔のもの じゃなさそうな気もするまとにかくこの 事務所の南東側にハバがあありましたと おおこれ は何 だろうお茶碗のかけらか な読めるかなキリンビールって書いて あるわこれは太鼓のジョージアかなうわ おこれも太鼓のミヤサイダー ですよし今からこの川を渡って向こうの 精錬所へ行き ます なんとか渡ってきまし たちょっとね 所々ダメージを受けましたがこの川の こっち側から見る事務所もすごいかっこ いいっすね うわあ こっちの精錬所も向こうの事務所と同様 に このから絡みレンガを使って作られてい ますやっぱさっき向こう から見た時に思ったようにこの煙突が山肌 と すごい一体化していて本当古代遺跡みたい [拍手] です よいしょこれがトンネルの内部です けど すごい熊が眠するはちょうど良さそう な感じです ねお邪魔し ます

ちょっと水が下ってますねあトンネルの中 はその空が見えます今日曇ってて真っ白だ けどこうなってたん だ いやあ [拍手] これは何だろう [音楽] 鉄屑が落ち てるカーブしてますねよいしょ [拍手] よいしょ [拍手] 実はこのモク鉱山のさらに上流側山の方に 行くともう1つ鉱山があるんですねそれが 井島鉱山と呼ばれるものですでこのもく 鉱山と東島鉱山の関係性がちょっと ユニークなのでご紹介しますねここのもく 鉱山はまさっき言ったように江戸時代から 採掘が始まったんだけど1920年には 閉山しました銅が枯渇したのとあとま銅の 価格が下落したりとかしたのが原因だった んですがこの上流にある井島鉱山っって いうのは採掘が始まったのは1940年代 ですで東島鉱山で何を掘っていたかと言う とホタル石っていうのを掘っていたらしい んですねでホタルシっていうのはレンズに 使われたりあとあの アルミニウムを精錬するのに用いられてい た鉱石ですで第2次世界大戦が始まったり とかしたタイミングでま国としても アルミニウムもっと作んないといけないっ てなって この1940年代になってから東島鉱山で のホタル石の採掘が始まったらしいですね で1953年には東島鉱山の方でも100 人以上の従業員が働いていたそうですまて 言ってもこのモク鉱山の場合はま銅の算出 が300Tくらいあった1910年代には ま大体300人くらいがこのモク鉱山で 働いていたらしいからま大体ここの持ち から鉱山の13くらいの規模ですねでその 当時井島鉱山ではホタル石が 年間大体130Tくらい取れていたらしい ですでまこの塔の三出量の規模と比べると すごい小さいんだけどまそれでも日本国内 のホタル石の三出量としてはこの井島鉱山 がもう最も多い部類の方だったらしいです 井島鉱山はこのモク鉱山からま大体上流 23kmくらいのところにあるらしいです 今日私は行かないですけど東島鉱山から 採掘されたまホルとかを一旦この倉鉱山 跡地のこの精錬所とかま向こうの事務所の 方に一時的に置く直行場としてここを活用 していたらしいですで1920年にモク

鉱山が閉山する時にここを持っていたのは 三鉱山でしたで東島鉱山の方を本格的に 採掘したの はえっと東北進行アルミニウムっていう 会社だったらしいんですね三井鉱山と東北 進行アルミニウムの関係がどうだったか よくわかんないんですけどまとにかく持っ ている会社は別だったんだけどまこのモク 鉱山の跡地を一時的にその生島鉱山の直場 として用いていたっていうことですまこの モク鉱山から生島鉱山まではすごい道幅が 狭くてあの行くのが大変なんですねだから からその当時は島鉱山で掘ったホタル石を ま人の手によってこのモク鉱山のところ まで運んででモク鉱山から永野川駅の方 まではま馬とかを使って運んでいたらしい ですま直行場として用られていた当時はま ここの場所を1本すぎチョコ場と呼んでい たらしいですなんで1本すなのかというと かきっと1本目立つ過があったからなん でしょうけどねそんな東島鉱山ですが そっちの方も1963年の豪雪の影響を 受けてあの創業を停止したらしいですま その後1970年代には日本でもま各地の ホタエの鉱脈が枯渇してまもう日本では 取れないってことに放っていたらしいです けど いやこの精錬所の方の さ階段 が崩れ行く様は まさにあのラピタそのものです ね よいしょなんだっけあのムカが言う言葉 うんゼウスでもなくてなんだけバモスでも なくてなんだっ け だからきっとここら辺にも小石が転がっ てると思うんだけどね [音楽] 全然全然分かりませんわもう草が美味しげ て全然こいしなんかどこにあるかもわから ない12月のま雪がツモる本当直前に来て こんな感じですよでさらにこれ保存会の方 が結構草を切っ てくれているからま割と干渉しやすいん ですけど夏と かそういう草が元気な頃にここに来るのは 絶対にお勧めしないっすねまそのヤもそう だしすごい昼がここの川いるらしいんすね だから来るんだったら秋かそれか春かに来 た方がいいと思い ます ではもく鉱山に別れを言い ましょうこれからまもなく冬が来て雪が 積もれば今よりもさらにこの建物の風化が

進むでしょうしまそうなったらえ次の春に は今日と同じような姿でまた会えるか 分からないですからねこの川の音を聞き ながらえっらほ まどうやホタル石を運んでいたわけですね きっとでもやっぱり冬になるとあれなのか な雪 で創業ができなくなるのか な 磯川を下って永野川にぶつかるところに ある井島駅までやってきましたこの東島駅 が解説されたのは1913年ですま ちょうどもく鉱山 の銅の算出量がピークに向かって伸びて いる頃ですねまその当時ここま万越再戦で はなくて別の名前なんだっけまとにかく今 は万越再戦だけど昔ここが創業した当初は 別の名前でしたねこの東島 駅っていうのは解説された経緯としては 地元の要望ももちろんあったけどま何より もそのモク鉱山側の要望が大きかった みたいです鉱山からここまではま馬とか 神撃で運んできてここからま新潟なり福島 なりそっちまでは電車に乗せて鉱山を運び たいという意向ですねなのでこの東島駅が できる時の用地の取得費用とかあとま民家 の移転費用っていうのはほとんど鉱山側が 出したようですま今はねこうやっ て1日に多分何にも乗らないような駅なん ですけど100年前はすごい賑わったこと でしょうねじゃあこの東駅ができるまでは まここまで運んでその後どうしていたかて 言うと長野川から船に乗せてま加工なりの 精錬所とかに運んだわけですねこの赤野川 もあと隣の品川もま古くから船による運搬 ですごい栄えてましたね昔の高速道路 みたいな場所でし たま当時の産業の中心地とまでは行かなく とも幼少とされていた場所も100年も 立てばこんなに様変わりしてしまうわけ ですよね次の100年はどうなってるの でしょう か

2件のコメント

  1. 30年程前、途中で引き返しちゃいました。
    他国に気前よくばら撒くより、このような産業遺産保存など後世の為に税金を使って欲しい。

Leave A Reply