【祇園祭 後祭 山鉾建て】新町通の大船鉾(おおふねほこ)と南観音山(みなみかんのんやま)(2025年7月20日)
祇園祭は、京都の八坂神社で7月1日から1ヶ月にわたって行われる、日本三大祭りの一つに数えられるお祭りです。疫病退散を祈願する御霊会が起源で、山鉾巡行や神輿渡御など、様々な神事や行事が執り行われます。
祇園祭の山鉾の数は全部で34基です。前祭(7月17日)に23基、後祭(7月24日)に11基の山鉾が巡行します。
新町通
■大船鉾(おおふねほこ)
後祭の鬮とらずとして後祭、11基の山鉾の殿をつとめる。500年余りの歴史を持ち、江戸時代の再三の大火に被災するもそのつど復興を繰り返してきたが、幕末の元治元年(1864)におこった「蛤御門の変」にて屋形・木組・車輪等を失い、それ以来巡行参加することはなかった。長い年月を経て平成9年にお囃子の復興、そして焼失を免れた神功皇后の御神像や舳に飾る大金幣、また織物・刺繍の高度な技術を駆使して製作された大舵や水引・前懸・後懸等をお飾りしての「居祭」の再開で復活への機運が盛り上がり平成24年から唐櫃巡行を、そして平成26年四条町の皆様の熱意と多くの方々のご協力のおかげで150年ぶりに巡行参加することが出来た。この年より祇園祭も前祭・後祭の巡行が17日・24日と49年ぶりに分離巡行となった。舳先には江戸期に現存していた大金幣と近年完成した龍頭を隔年でつけて巡行している。
■南観音山(みなみかんのんやま)
「下り観音山」ともいわれている。華厳経の説話で、善財童子が順に教えられ南へ南へ53人の聖者を訪ねて菩薩道修業をした話は、東海道五十三次や指南の語源となるが、28番目の観音は美しい南海のほとりに住み、あらゆる苦悩から人々を救うことを教えたという。本尊の楊柳観音像は、悠然と瞑想する鎌倉時代の座像であるが、天明の大火で頭胸部だけが残り、他は童子像とともに江戸時代の木彫彩色像。諸病を防ぐといわれて巡行には柳の大枝を差し、山の四隅には菊竹梅蘭の木彫薬玉をつける。天水引は塩川文麟下絵の「四神の図」で、近年復元新調された。下水引は、加山又造の原画による飛天奏楽。見送は中国明代の雲中青海波文様の綴錦であったが、昭和63年に加山又造の「龍王渡海図」を新調し使用している。平成22年には江戸時代より使用のインド絨毯後懸にかえて、イラン・ミリー工房製の「中東連花水辺に魚文様」の絨毯を購入した。そのほか17世紀製作の逸品で異无須織といわれる華麗なペルシャ金銀絹絨毯の旧前懸や年紀のあるもので日本最古(1684)のインド更紗旧打敷などを保存する。