小説朗読|JAPANESE JUSTICE もう一つの「しょうわ」史|漫画化|漫画原作|アニメ化|アニメ原作|ドラマ化|ドラマ原作|映画化|映画原作|原作|小説|

この物語を記すにあたって両親を始め育て てくれし全ての人々に感謝しこれまで私の 辿どってきた道を忠実に再現するD 2001年2月12日マンデジャパニーズ ジャスティスもう1つの小足 第1章進むADVANC 1974年つまり昭和49年2月12日 午後5時55分岩手県花巻市の婦会で私は 生まれたと母が教えてくれた岩手は母の 故郷である 激しい吹雪の寒い日だったという母は私を 抱いて父の松奈良へと向かった住職であり 私の父であるマルコ氏は明治の帝国政府の 配物規釈によって配された日本最古の身は 妙人大宮神社の元神宮寺は産業行道寺を再 するために当時朝から晩まで足をちまめ だらけにしながら宅発一件1件を今日 を上げながら米や金銭の施しを受けて回る ことを行っていた 寺の復興のために家計は乏しく母は自分の 食べる分を削っても我ら子供に与えてくれ た栄養失張になりながらも兄子高仁と私の 幼い兄弟を大切に育ててくれた4歳の秋弟 の道人が生まれた小さい頃は兄大喧嘩 ばかりしていたが彼は後々1番の理解者と なった音楽の話なども兄弟では1番する中 になった7歳の春美産行動寺本道が復興さ れた私が山の麓元にある小学校に通い始め ていた頃であったが楽系法葉の時初めて父 の男泣きに泣く姿を見た の深い緑を背にして正しい心でよく学び 明日の共同うれらうれら 山辺の古い歴史を中にして強い体でよく 励み明日の日本を伸ばす子ら伸ばす子ら川 の清い流れを前にして高い望みでよく務め 明日の世界を開く子我ら開く子我あれ 美小学校高活 小学校低学年の頃私はご飯に塩をかけすぎ ていたことが原因で人臓を痛め1年間寝た 霧りだったことがある10歳の夏になって 末の弟とよし人が生まれる母はこの時40 歳であったこの頃私は市民隊育の相撲大会 だのに参加し体力はかなり回復していた術 面では科学技術長主催の未来科学店で もらった私は地熱発電ができる発電所と川 の水力発電緑のお存プラントのドム空には 飛行電力配給のパイプラインのある町を 描いた私の未来科学への発想は新しい エネルギーを夢見ていた 中学生になってからは大人なしい性格だっ たためかネチネチとしたいじめにあった2 年生になってからは私も既然としてきたの でいじめに合わなくなった 3年生になった時番長が身体障害時を いじめていたのを見た周りには100人 以上の生徒がいたにも関わらず誰も 止めようとしなかった私は見かねて身体 障害時をかい番長に単価を切った 時の緑三室の山にう 朝日の床消えにし大いなるかな世よの命を 受け継ぎキつる大みは我ら我らは家人島 を上げて輝く明日の希望を持たん 大は中学校活用 第2章同M 中学を卒業すると岩手の祖父母への容姿 園組となった岩手は母の成果であり祖父母 の後の墓森としては私を派遣するというの だ心は葛藤はあったが避けて通れぬ道と 思いじて受ける奈良を離れる際に大和尚駅 で父と抱き合い公した親本を離れて単身 東北へ向かうとして先週大学付属の北上 高校へ進学したラグビー部に入門する クラスメイトの要望に答え応援委員会にも 入る実際は皆の嫌がることをあじて受けた と言えるこの頃ラグビー部の友人拓也から ギターの楽しさを教わり作曲の喜びを知っ たしかし1年生の頃は自転車をパンクされ たり上履きにが病をうんと入れられたりと よそもと思ったのだろうかかなり因質 いじめにあった だがよそものはずがない祖母の父にあたる 千田神太郎師はこの北に昭和を作り住良い 町村の発展に貢献した要は関西弁の私に 威圧感と拒否反応を示しただけなので あろうともかくそんなことがあってから 本来はおっとりしていた私が不良っぽい 仲間を新辺に置いて徹底してガードを固め た次第に指示してくれる生徒が増えていっ た応援団としての活動の記憶が多く学校で 勉強をした記憶がさほどないほどである 10月NHK青春メッセージの岩手県大会 に出場元は青年の市長と呼ばれていた番組 で岩手県代表となったのであるただ今が 青春であり誰しも持っている自分の弱さに 負けずに頑張ろうと声を大にして訴えたが 全国大会には至らなかったこの頃いつの日 か全国大会に出て交代使電下の午前で演説 しようと決信した3年生になって夏の全国 高校や急権大会に備えその応援に全力投球 するラグビー部を知り添いてさえ野球部の 応援に専念したほどだ一方我が皇ではタな 風潮が蔓延していてこの頃ただ1人公支援 出場を提唱する私を誰も信用していなかっ たしかし来るべきものが来た夏の甲子園隊 予選決勝9回の裏最後の最後に大逆転は 起こった先週大学北高上高校総立40周年 目にして甲子園初出場その夜の戦会での 言葉信じることは無駄ではない今まで信じ られなかった人もこれからは信じてもらい たい総会とはまさにこのことか 支援での試合当日応援中に男女から スタンドを望むとそこに輝く紫の衣が見え た父子後方士がボン参りの合間を塗って 応援に駆けつけてくれた初詮地元兵庫の 競合を破る3年生の10月NHK青春 メッセージに送った現稿が選ばれて再び 岩手県大会に出場し審査員であった作家 高橋月彦越より絶賛される 彼そのものが言葉なんだよね彼は言葉は 親たらずなんだけど彼の場合なぜか熱い ものが伝わってくるんだよありがたく 受け取ったその言葉と審査員特別書 北上川の諸川のせらぎに高く水流し忙しみ 耐えず一筋に求めること深くして若き心に 誇りあり若き心に誇りあり若き心に誇り あり先週大学北上高等学校活用区 就職するか進学するか考える青春 メッセージの番組でお世話になっていた 小山市が東京のNHKでディレクターをさ れているというので会いに行くその時 ドキュメンタリーのADをしないかと誘っ ていただいたが自分の希望が定まらずどう 動くかがまだ分からずにいた 高校の卒業式当日は駒沢短期大学を受験し ている幼い頃よりアメリカ合衆国の元大領 霊願氏に憧れていた彼は役者から人気を得 て皆の意見を政治に反映できる最高の ポストを手に入れたのだそれで エンターティナーへの力を求め大手 プロダクションバーニングプロダクション の俳優聖書の入手も受けた そして東京での生活が始まる 朝からアルバイト夕方から単大日曜日には バーニングプロダクションのタレント用 聖書という生活が続いた自分が本当にし たいこと何になりたいのか何も定まってい ないことに気づく暇さえもないというのが 実情だった唯一の楽しみはバイクで南の 法学へ駆け抜けることだった行き先は大黒 不横須賀湘南そして鶴見の掃除時にある 石原裕二次郎と相場は決まっていたバイク の面白さにはまっていた そんな田さ中双子玉摩川で偶然映画監督の 林改造士と出会う彼の作品は神秘性に満ち ているどこか胸に穴が開いたようなとつも ない寂しさの中にほっとするような人間愛 に満ちていると前から私は感じていた林市 の新事務所建築のため古い建物を解体する 作業を手伝う作業の後で仲間内の夜食に 誘われた時自分がまさに未熟で不完全で あることを痛感し先輩方の前で悔し涙を 流したお前はなんで役者になりたい金か女 か 名誉か何が欲しいそう自問しながら自分の 小ざかしさが悔しかったまさか自分は冷 大統領のようになりたいだなんて本職の 役者たちを前にして家しなかった 11月NHK青春メッセージ関東新越大会 に出場した俺とバイクというテーマの青春 物語だ恥ずかしくて本気に思っていたこと は何も言えずじまいただ最後に人々を励ま 暑い風になりたいと言い放ったそれは本当 は誰よりも強くなって正義ずらしたいんだ というスケべ根性にたならなかった まだまだ自分は名前負けしている私など まだ大したことは何もしていないのだが 思いだけは大きく誰にも負けないから自分 の思っていることをそのまま喋ってしまう と自分が偽物のように見えてしまうのだ みんなそうなのだと思うきっと ある私のアパートには風呂がなかったので ジョギング部が寺に風呂屋を探していた 暗闇に自動販売機が1つ浮かび上がって いるのを見つけそのそばに男が1人立って いた私は彼に尋ねたこの辺りに風呂やない ですか男は答えたあるわけないだろうもう レジすぎてるよしかし男の人深さは社会の 冷たさを忘れさせてくれた彼はどうだ飯で も一緒にとジャージ姿の私を駒沢公園通り の小息なバーに連れて行ってくれた驚いた ことは彼が物知りなことだった特に私の 育ったについて話を切り出された時には これは偶然の必然だと耳を疑ったほどだっ たその時初めてこの国の国訴が賑早日と いう古代の大王であることを聞かされた山 平等寺の本存じ1面菩薩が賑早日を表して いるのだというまた の大物主大であるその大王こそ最後の 天照ラス大御上であり男である天照ラス 大御上が世間一般に認知されまもなく 夜直しが始まるということも聞いた私は その話を聞き日本の神を中心とした夜直し が始まるのであれば素直に受け入れようと 思った物知りで話の上手な彼は高橋勝の 武士といいメイキャップアートスとして いる誰が見ても女性に持てそうな格好いい 男性でとても40代とは思えない男なのだ 私のことを良い青年だと言って金座の日谷 の劇場の高いチケットをプレゼントして くれたせっかくの正体に思うことは僕は人 からご行為をもらうばかりでダめだという 劣等感であったどうも素直ではない人筋縄 ではいかない何も知らない未熟な青年に 耐えず指導してくださった彼に今も感謝の 気持ちでいっぱいだしかし具体的に夢と 希望を絞り込めない私は相変わらずバイク で当てもなく走り回り勉強にも身を入れ ないでいたからバーニングの小級試験にも 落ちた さてどうしようか そして今度は何を思ってかJJキャン誠イ レイなど女性雑誌のモデルスカウトの スカウトマンをしてみた声をかけたのは ほんのわずかな人にせよ意外には解除せは モデルになりたいと望んでいる人が多い ことが分かったはが結婚することになり その結婚疲労応援で巨匠王島ナ監督にお 会いして思い切ってとう先生はなぜ映画を おりになられるのですか大島先生は一言夢 とはっきり答えてくれた映画監督のその 言葉は難しいご択を羅列することが答えだ と思っていた私の脳りを貫いたそれは まるで俗物という油で汚れた仮染めの真実 を油を洗い流してやっと今自分の欲しがっ ていた真実に近づいたかのような衝撃で あった バイトで一緒になった友人の知人でお笑い 芸人の友の3でシ理する彼はコンビで漫才 をやっていたこの時吉本総合芸能が クイーンNSCのことを知る 恋をした片思いの切ない恋であった仲の いい友人とカラオケ屋に入り浸って ステッぺンウルフのワイルドで行を 連チャンで歌った帰り木は店員のボ一種な 女の子に一目惚れしたのだその後彼女が ゼファーで帰るのを引き止めてしばらく話 をした僕と付き合って俺ダメなんだどうし て女にしか興味ないからショックもいい ところだ惚れた相手がレズビアンだったと はつまり叶わぬ恋いだとにかくそれからは ショックの日々が続いた 第1のショック駒沢駅付近国道に146 沿い女同士でベタベタしながら歩く彼女を 見た第2のショックバイクで走行中 ゼファーに切られた彼女だった第3の ショック彼女と会話をしていて突然に断痕 が欲しいという話になったどうやら女性の あそこにホルモン駐射して大きくしたいん だそうだとにかくショックは続いたとして 最もショックだったのは彼女に父親がい ないということだった私などが彼女の心を 癒せるはずもないのだしかしそう思うと 彼女に会うことが辛くなってきただから 辛いけどもう会わないことにしただがもう 合わないことにしてから地獄だった会わ なければ余計気になる今後彼女が無事に 生きて欲しいと私は祈り続けたそして祈り 続けて壊れた 不民が続いた頭が割れそうだったしかし 来春には単大も卒業だいつまでも子供の ままでは生きていけない頭痛でどうにか なりそうだったがとにかく何とかしなけれ ばと思った 東京この大都市で色々なアルバイトをした 2年という短い間だったけれどもその時 その時の自分の状態に合わせて選択してい たコンビニ店員タブの合意エキストラ千葉 運送業土業看板磨きガソリンスタンド中古 車や警備員アンマ住み込み何でもやった しかし初詮はアルバイトだいつまでも続け られないと思っていたや先人の稲島美が私 に仕事の話を持ちかけてきた彼は ジュリアナ東京という当時はやっていた クラブが芝浦にあったがそこ1体の6点 を仕切っていたオーナーに気に入られる ような男だった そういうキもったの座ったいい青年だった から私も信頼していた高校を中退して たった1人で東京で働きながら定治性の 高校に通う彼は私からしてみれば全く大人 だった我ら2人は三沢ホームの下受けで 同じアルバイトをしていた経験もあって話 が早い息合してトラック運送でまず事業の 資金稼ぎをしようということになった ところがこのトラック案外根の春物だった だがトラックは今すぐ欲しかったそこで私 は短落思考に出た保証人を立てて オートローンを組もうとしたのである 思い切って稲島と2人で奈良の父の元へ 向かった父どうしたんだいきなり帰ってき て私お父さんお願いがあります父なんだ私 僕らトラックを買いたいんです父お金は どうするんだ私ローンを組みたいんです父 ローンってお前は未成年でダメじゃないか 私だから保証人が必要なので期たんです父 だめだそんな安直さでは私じゃあどうすれ ばいいんだ父さんは公園や何やらでお金に なるだろうが何も持たない僕はどうすれば いいんだ父1つ1つやっていくしかない だろう私父さんもよその寺のように金儲け すればいいじゃないかそうすれば僕も こんなことしなくてもやっていけるだろう にこの寺は本当はすごい寺なのにお父さん が貧乏症だから誰も来ないじゃないかちし 稲島帰ろうぜ帰り道稲島君は私にこう言っ たさっきは黙って聞いていたけどね千田君 の家庭のことは知らないけどお父さんの やり方をどうこう言っちゃいけないよそれ から僕は用事があるからもう帰るけど やっぱり地道にやるより仕方ないね せっかくの里エりだから千田君はもう少し 実家にいたら 私はこの優しい青年に坂の上から手を振っ た見えなくなるまで手を振って見送った 第3章 ABOLIS1 単大のある東京に帰るお金もなく6に 手持ちも持っていなかったので次の日から 仕事を探しに食アンダのバイト募集の チラシを頼りに出かけていったとはいえ 新身友に衰弱していてお先真っ暗だった まさにバブル崩壊の煽りがこんな硬い中 まで来ていたもう昨日までの常識は通用し ない 途方にくれてミスぼらしい寒えのまま犬を 連れて歩いたなぜだか昔の友人知人によく であった自立神経の調子が良くないがそこ を何とか持ちこえていた 長かった髪の毛を切り頭を丸めたどうして 良いかわからず本道で手を合わせていた家 に入ればテレビから世の中の暗いニュース が響いてくる役外エ図の問題など社会で大 問題となっていた寺に生まれて人の世の 苦しみを間のにして何もできない自分に腹 が立った現代日本は天皇が支配する国では なくなり資本主義個人主義がしているその 国で今不景気になって正義などというもの は誰の考えの中にもかめない状況だ倫理も 教えもへち間もないようだこのままでは国 は愚か民族が滅んでしまう小さい時から 日本の安泰を祈り続けてきた私誰が世の中 をこれほど怪我すのか私にはっきりと 分けるそしてことの深刻さ重大さも分かっ た 私がエンターティーナーのシーンに興味を 抱き自らも入ろうとしてきた理由にはこう した一大事を私の演技やトークを通して 伝えたいという切実な思いがあったので あるがで亡くなった松田優の冥服を祈るだ が勝つなき今時は一刻を争っている私が ラジオやテレビに出てお茶の間に現れる まで何万人という人がエズに犯されていく 事態は尋常ではないせめてこの町だけでも 救いたいたまりかねた私は消徳大使のお 告げの夢を見た後に植物の書物を読みある 食べ物が免疫作用を持っていることを 突き止めた夢のお告げは当たっていた舞の 免疫効果を早速町の委員の先生に伝えに 行ったその後警察にこの非常事態を言うが 耳を傾けるどころか異常者呼ばわりされた そのような友柄が日本の警察にいることに 絶望した私はその夜山に登り精神が衰弱し 切っていた108回度教した後倒れた 翌朝両親が私を京都に連れて行った田会社 は治療は不可能というそれもそのはず衰弱 はしているが異常ではないのだから私は 社会を売れて嘆いているのだからただ警察 が拘速するというので両親が病院へ連れて 行ったのである日本の国体は腐っていた 純粋に国を愛する人間を内にしてきたどれ だけの純粋な魂が日の丸の下に犠牲になっ たであろうか精神病院で屈辱のクリスマス 意識と筋力を削ぐような強力な筋肉注射を 打たれた私は苦しみの中にいながら同じ 病室の患者と接しいわり合っていた特に私 が来てから病棟が明るくなったと言って他 の患者さんは喜んでくれたそして乱雑だっ たトイレのスリッパもきちんと揃うように なった4年や5年は入るという病院を1 週間で退員することになった両親と稲島が 迎えに来てくれた稲島君は私と会ってその まま東京へ帰ったわざわざ遠いところ心配 してきてくれたのだ本当にありがたいと 思った私はその後しばらくお薬の影響で 配人のようになっていたそしてようやく 動けるようになると東京へ向かった びっくりしたのが自分の代わりを体力のな さだアパートから駒沢大学まで5分ぐらい で行ける道の乗りを50分ぐらいかけて 行っていた溜まったものではなかった常時 眠けが襲ってくる起きても寝ても辛いこれ が自立神経失張症なのだ だが不幸中の幸いは苦しみの中で確かな 完成が芽え卒業テストではスイスと回答 することができたもうすぐ東京ともお別れ だ 第4章室LOS 空白の1年間単大を卒業したその時私は 人生のに立っていたそれは北朝鮮の緊迫し た状況が伝わってきていても立ってもい られなくなったということだ北朝鮮の ミサイルが日本に照準を合わせていると いうだがセロンは動かなかった私は今こそ 首都ならにとして北朝鮮との国を開始す べき時が来たと確信したどうにかして戦争 の危機を回避しなければならない として習え 岩手の祖父母が私の帰りを心まちにして いるのには申し訳がなかったが岩手には 近くにおばもいるじいちゃんばあちゃんも 自分が奈良へ向かうことを分かってくれた 私はプランを立ててまず渦にある東映俳優 要請書の門を叩いた結果要請書の生徒に なった防衛俳優では水戸校門の監督矢田清 先生が演技指導してくださった何よりも 矢田先生から千田さんはそのままでいい 演技をすると演技出なくなると言われ 励ましていただいたのが印象的であった谷 君という生徒からは松田優の探偵物語 アホーマウスブラックレインなど クエンティタランティーノやロバート ロドリゲスという記載のことまでを教えて もらった山口君という生徒からは英国の 伝説的ロックバンドクイーンのことを教え てもらったそれらは今まで自分が大た芸能 音楽に関するイメージの世界を根本的に 覆返してくれた芸能も音楽もそれをやる こと自体が表現行動そのものなのだった そして表現そのものに何らかの意味を固定 してそれに個室している自分に気がついた 俺がやりたいのは夢の世界じゃない現実だ その思いが日に日に募っていった ちょうどその頃体調は最悪であったが おぼつかない体のリハビりを兼ねて 90ccのビジネスバイクを購入した精神 安定剤は半分にしたちょくちょく走り回る ようになるもちろん休み休みだが故郷の ゆっくりと時が流れる風景に心癒されて いった特に吉野の方には吸い込まれるよう に言った吉野の奥に天中組の石踏という ものがあった天中組は名人心神の先駆がけ となって五条の大干所に気襲をかけたが 頼りの塩軍が来なかったため全員捉えられ 打ち首になったという悲しいエピソードが あるここから維新が始まったことを思うと 考えは深く奥にある墓に向かってを今日 唱えた またア鳥村に立ち寄ったおりには荒れ果て た古墳にたどり着いた誰の墓かと調べて いると藤原の蒲谷の母友夫人の墓である ことが分かったここに来て涙が溢れたこれ が大下の会心を断行し日本国家の基礎を 作った男の母いわば日本一億国民の共通の 母なる人の墓なのかその感動と共もにその 場の粗末で寂しい様子を嘆き持っていた ミネラルウォーターを備えしてただ ひたすらに今こうして再開する運命と生き ていることの真実のありがたさになむとを 合わせたならとは永遠の平和を表す言葉な のだここには有の歴史と人々を癒す何かが あると確信を深めた もうすぐクリスマス1年が過ぎる 1995年1月17日朝の5時頃関西1円 に大事が起きた私は一目さんに家族を 起こしに行ったただごではないと思った トイレに明りが見えた誰かいるのか大丈夫 かそう呼びかけたらトイレの中から ひろタエルでないという父の声がした今日 の座った父の大きさに改めて驚かされた父 には前走としての一種部指導にも似た精神 が宿っているのだテレビをつけると神戸が とんでもないことになっていた瓦礫の山 立ち上がる炎と黒煙倒れた高速道路町が 崩壊している誰しも何の役にも立てない ことを間の当たりにした人間は自然災害の 前には無力だ誰もがこの無理期間を持った そんな中で色々な人たちが神戸に集う テレビカメラが向いた時冷えた食べ物を 被災者に渡してみたり心のこもっていない 行為は見ていられなかった だから私は相当集のゴランティア活動に 志願したのだ自分の体の具合の悪さなど 帰り見る糸間もなかった 後でどっと疲れが出たしかし言ってよかっ た現地での体験はいものだったみんなも 喜んでくれた神も仏も見話したかという 思いであの寒さに震えていた被災者の皆 さんが僧侶の温かい気持ちの入った主中を 待っていたそれから3ヶ月後私は吉本総合 芸能学院NSCに通いながらある構想に 向かっていたそれは五条の焼肉店の天手の 話を真に受けてのことだったおっちゃんは 話上手だあの伝説の漫才師横山安氏を当初 から知っている若い頃は酒に何件もお店を 開いていたそうだおっちゃんは私に言った 千田君そんなんだバイク好きやったら 100人ぐらい集めて頑張ってみそしたら 君の言うてる何とか高想というようなこと が本当にできるんとちゃうん何とか高想と はこの頃が思い巡らせていた38STA 2構想というものだった 38S構想とは3の8真実のS力という 意味である1つ目は情報訪問を全国に 張り巡らすこと2つ目は事故の健康管理の できる仲間を増やすこと3つ目は国家の 有事に際して即対応をできる人材を育成 することそれらを満たすためには起動力が 必要不可欠と思い私は2輪車モーター サイクルを手に入れようと決意したその ためには茨城県の友人のところから実に ならまで800kmの距離を相んでくる 必要があった 闇上がりの私には過酷な試練だったしかし これを達成できないなら私は死んだ方が マしだとさえ思ったそれほどストイックに 自分に勝つことを捉えていた苦しかった 旅地がりに浮かぶ帰ってきた時確かに 千田仁は生き返っていた国産部員の エンジン音が美わさ平時の金と共に大和に 響き渡るもう私にお薬は不要となっていた 第5章COMP 5月山の山頂に出向き我が国の最高神天 アマテラスを大を見かみすなわちは大物主 を拝みに日本民族の平安と安泰を祈りのを 創場するそれは寄りと言ってこの国に 2000年代伝わることだ山を降りバイク のシートを外す我が逃走に火は切られた 眠っていた力がうねり出す日に日に仲間は 増えていった幸せなことに集まってくるの は本物のライダーたちであったかつて 私たちのご先祖は馬にまたがりかけ巡った のだろうそんなことを思いながら私は鉄の 馬で駆け巡ったこれから私が成し遂げよう とすることは何か特殊な宗教を起こすこと ではないまた党を組んでコロニーを作るの でもない強いて言うのであれば日本に住む 人々の平安を確立することである警察と いう期間があるがそれは法制のものでるだ から法制ではなく真心で動く組織を目指し たのであるそのため無意味に群れをなす ことを徹底して抑えた我らにとって憲法は 絶対であるこの方険は国民の総意によって の未改正ができるものであるが私はこの 憲法がまさに天皇陛下以外に日本という ものを証明する唯一のものであると確信し ている憲法第21条によって集会決者及び 原論の自由と検閲の禁止通信の秘密を犯し てはならないことが保証されているそして 慶も我が国には現然としてある騒ぎを 起こした際にはその第106条相乱の罪に なるそれらを試た上で集団化を全員が望ま なかったよってどうしてもという時は対列 を組み移動した自由というものが軽外的な セオリーに任せて増幅し収集がつかなく なれば国家はまた1つ特別な法律を設けね ばならないその結果自由の範囲がさらに 狭められることになる私は断事てそんな 真似はさせないプライドがあったメンバー の名簿を作り全員に渡したもちろん互いの 信用を元に自分の一存で決定したこれは 仲間と交流する機会を作るために大事な ことだった自分がいつ倒れても本や映像や 音楽あらゆる手法でその意思を伝えること が大切だと思った9月大型トラックと私の 乗ったバイクの衝突事故が起こった アルバイトをしていた警備の仕事の帰り 突然右前方より大型トラックが私の目の前 になだれ込んできたのであるだ強烈な音と 共に私は意識が遠いた目を開ければあたり 1面が効く畑になっていたそして次の瞬間 には目の前の全てが真っ黒に染まった何も 見えない何も聞こえない私はもがいたなん とかしてそこを脱出しようと試みるのだが どうにもならないのだその時どこからとも なくおばあさんの声がしたこっちへ来い こっちへ来い私はこのおばあさんのことを 知っている今まで私は何度もこのおばあ さんが出てくる夢を見てきたおばあさんは 江戸時代最後の基金の際に財産を捧げて 地域の貧しい人々に希望の光を与えた人だ おばあさん私はあなたの生きざを尊敬して います 大丈夫か人々の声がするみんなが逮破した バイクを道路きに移動してくれているのが 見える私は自分の顔の血を見て大きな事故 にあったことを実感したそして救急車で 運ばれたあの日助けてくださった皆さん ありがとうございました私もあの後車で 引かれたおばあさんを助けた人間になれ ました運び込まれた病院で顔の避けた ところを塗ってくださったお医者さんが命 を救われたな本来なら即死の事故だったと 警官が言っていたぞと話してくれた助かっ た 俺はまだやることが残っている 10月私は耳鳴り山付近で寒さの余り コンビニに立ち寄った扉を開けて入って いくとそこにいたメガをかけた太っちで ジャージ姿の女の子に目を奪われたどう やら医療の勉強をしているようで資料を コピーしているいいや偉い子やと関心して 話しかけた私はその子は磨けば光る美人で あると確信した男の直感である彼女との 出会いはこれまでにないものであった彼女 の部屋は医療の書物でいっぱいだったそれ らの書物を通して私は初めて自分の興味が 人間生命についての救名であることを発見 した私は彼女のそばにいるだけでも幸せ だった全てが満たされていた許されていた として女性の偉大さ神秘さを知った女性は 私にとって神様に匹敵する癒しの力を持つ 存在であると知った 11月NHK青春メッセージの近畿 ブロック大会に選出その時禁事 ストロフィーという筋肉の弱くなる病気に かかっても車椅子で元気に生きる高成年 みやちゃんと出会う私とみやちゃんも翌年 行われる青春メッセージの全国大会に出場 することになった 6年1月15日晴れて青春メッセージの 全国大会当日交代子電下ご夫妻そして 2000人の観客の皆様そして全国の テレビをご覧の皆様を前に川ちゃん姿で私 は登場したテレやは一切必要ではないの姿 こそが観客の皆様に対する礼儀だと私は 考えていた爽快な心持ちであった自分の 走る道が正しいことを日本の次の天皇に なられる交代子電下がはっきりと今証明し てくださっていると私は信じた成人式お めでとうございます第1世の後それまで おい雰囲気だった会場の空気を沸かせた水 知らずの人々がこうしてくれたおめでとう ございますこれでいいのだ私はすでにも 満たされていただがスピーチはこれからだ バイクのピストンが叩き出すように話し 始める話す私の脳りには日本国旗が棚引い ていたそして東洋のある国でそれが焼か れるが映し出される小学生の頃にテレビで それを見た時のやりきれなさ母なる日本の 国旗を焼かれた怒りを心のガソリンに変え て私は今まで走ってきた私は理不尽なその 思いの全てを吹き飛ばすように話し続けた そして最後にこう締めくったいつかこの 集まり日本が世の中のためになるという ことを俺は祈っているクも交代子電下が その時頷かれたそして一見の際来るべき日 日本の完全独立がるまでご無事でと私は 付け加えた あるバイク雑誌から取材を受けて私は仲間 と共に問か原店の前で撮影に応じることに なったそして2月ここは問原店ここの オープニングセレモニーにはアメリカ国物 元大統領がヘリコプターで舞降りた場所で あった当時はそれがアメリカによる日本へ の経済進行ののしであるようには私には 思えた私にとって同じこの場所でバイク 雑誌の特集の撮影に応じることが大和魂の 見どであったのである6月になってそれ まで集合場所を大阪震斎橋にしていたのを 大阪山へと変えたこの模様はバイク雑誌で 全国のバイカーに知らされたこう言った 雑誌は自分たちの活動を伝える上で強力な 助けとなる報告党とまで言えば大げだが これが1つの手法となるどんなことにも 言えるが人生で行うことに決して無駄など ないと思うのだまた私はこれらの活動に 対して資金を徴収していなかったなので私 は仕事をしながらこの活動を支えた 7月からは県内の大きな事員に掃除や法事 の手伝いを死にで稼ぎに行った9月に入っ てテレビで大阪市天王寺の竹内老師を拝見 し実際に会いに行って心の悩みを聞いて いただいた老師私は宗教をやっている身で ありながら経済活動もしなければ暮らして いけません一体どのようにすれば平和社会 への理想に近づけるでしょうか老師は現実 の困難さを切と悟った千田君人間は簡単な ものではないですやりになりたいことが あるのでしたら1つ1つ実績を積み上げて いくのですあなたの思いが真実であるなら 必ず理想への到達もできましょうただ 世の中に色々な考えがありますねそれに 対して大騒をするようでは真実から離れて いるということですよもっと自信を持って 励みなさい帰り道地下鉄で挑発の僧侶を見 た世の中には色々な考えがあると おっしゃった老師の言葉が頭をよぎった 少年犯罪の激科私は問題があると言われる ような少年たちのところへ足を向けた そして何とか役に立てないかと少年刑務所 に出た林という教官が私の熱意に反激して 涙目で答えてくれたどうやら収容されて いる少年たちを指導するのには専門知識や 豊富な経験が必要でその上で特殊面接委員 として法務省からの移植が必要なのだそう だ翌日法務省に連絡したまた10月も近い 頃奈良に首都を誘致する会に入る北記人の 会長は奈良新聞社を創設した広橋であり 理事には衆議院議員のせ量といった喧嘩 早々たる面々である会長の故郷を愛する 気持ちにはそう通じるものがあっただが どこにまだ私が来るようなところではない ことも感じた翌朝私は清掃に出かけた 手押しの一輪にバケツとタわしを乗せて寺 の看板を磨きに行ったお兄ちゃん ありがとうと言って手を合わせるおばあ さんがいた先頃亡くなられたエンドを修作 しに興味を持ったのでその日の夜に キリスト京都の友人に会いに行き クリスマスを前にキリストのことを教えて もらった友人にも色々な人がいるバイク 乗りの友人に高校生がいて海外派遣の推薦 の論文作りに協力したりもした恋の悩みも たくさん相談を受けたそんな中産経新聞に よれば北朝鮮で数千人が餓死していると いう日本にいて今私は何をするべきか私は 奈良県にいるわけだが奈良にも問題がある 上吉への産業廃棄物を始めイカルの幼稚園 には留学生が放置していった子供たちが いる大和川のお水は生活環境を悪化して いるひだだが悪いニュースばかりではない そういうならであっても有名な映画監督が 誕生していた私がこういったことを切実に 話している相手が吉野を舞台にした萌えの 素ザを取った川せなさんだ感動した私は ポイントを取って彼女に会いに行った彼女 は3ヶ月後にはカヌ映画さで新人監督省を 受賞している この頃携帯電話の個人代理店の契約を取得 しに大阪の光通信に向かったしかし検討し た結果携帯電話の取り扱いを断念した業界 全般にまだ危機の電磁波対策が何もなされ ていなかったからだったまたタウン上奉士 ならの採用試験に受かったが辞態したので それを聞いた彼女を泣かせてしまった私も 途方にくれた 医学生の新井君と共に彼から老人ホーム 介護福祉などのことを聞きながら異性へ 向かった11月13日オリンパス工学の 新製品スキャントークの情報を奈良県庁の 企画家へ持っていくバーコードで音声を 表しこの機器でバーコードを読み取ると 音声に変換するものである資格障害者の役 に立てばという提案であった 97年彼女が結婚のことを話し出す相手は 看護師をして自立している私といえばこの だどうしても波曲が来た逃れられない宿命 と感じた1月末彼女と別れたどうしようも ない虚務感に苛まれる 第6章木danger 生活は凄んでいった彼女と過ごした日々の 残栄の中で私はうろな心で呆然としていた 車のブローカーをしたりしてその日その 日いでいたが一体何がしたいのか自分でも 分からなくなっていた彼女が元病の患者 さんを見取って嘆いていたことと祖母がが になったことがきっかけで岩病のことに ついて研究するようになったバイクで走行 中にある薬局で抗が性があるとされる機能 性食品AHCCを見つけた私はこれを購入 し母にも送った奈良県大和郡山市にある 消化という漢方役チェーンの会長と会う ことになった私はAHCCの個人代理店を 昭和としたこの偉大な女性はその昔あの 世界の松下電気産業の社長室で秘称してい たとして彼女は女1人で子供原社長を育て た日本の母でもある私はACCCを広める ことに徹したそういう中で1997年8月 10日バイクの集まりには彼を告げた憲法 山に集まった仲間にも私が伝えることは ない私はここで日本の昔の戦争の話をする ことが無意味だと感じていた時代は1人の リーダーや1つの答えで納得するほど単細 細胞ではないこの世の中で仲間がそれぞれ に開化して欲しいと祈ったこの出来事が 映像家もしくは出版されていつの日にか 本当の思いを知った時であった1人1人が 私の取った行動に間違いのなかったことを 感じてもらいたい日本の正義に偽りがない ということ そういう思いで芸能の神様で有名な天下は 弁財店に東敗した新刊の松村市がその時私 を神楽へと導いてくれたそこは神聖な ところであった私はかわちゃんを脱ぎ連天 に向かって川ちゃんの鳳凰と日の丸を掲げ た 第7章滅びBGE 1997年8月10日バイクチームを解散 したがメンバーの名簿を燃やしながら人の 多さに地下とした多くの人が仲間を求めて いたのだその後名簿が欲しいと言ってくる 心山がいたが私は自らの道は自ら探せと 言い放った思えば関東に行った際も大黒 府島に田室する100名ものバイクのりが たった2人で関西から来た私と三望の宮田 君を丁寧に迎えてくれたバイクで駆け抜け た年は私の青春そのものであった何よりも 熱く走り抜けた日々を忘れま舞い今全てが 燃えつきた 第8章 Dis バイクを売った今は友人の作ってくれた オイルカバーのキャップだけが私の手に 残るこのバイクのお金もAHCCを広める ことに使う昭和はこの国の皆がかけたく ように時願してこの名をつけたさやかな 表殺を作ったこの国が昭和の時代に果たせ なかった夢を昭和野名に託したのである私 は幼少の頃から高齢者と話す機会が多かっ た高齢者の方を揉んで差し上げることが私 の密かな楽しみであったからだその際に私 は昭和という時代の真の目的を知ったそれ は日本が安泰となりアジアが1つの国の ように協力し合いいかなる問題も解決し 栄えていく姿である私は昭和として小学館 の雑誌サピオ市場においてメンバーを募集 したとは言っても私の元へ集えというので はないどれほど今の時代を真剣に捉えた人 がいるか知るためであった思いの他これに は反響があり嬉しかった大学生や高校の 教師作曲家までいろんな人がいることを 知ったこの頃はリクルートの察しにも一緒 に歴史を勉強しませんかと募集をかけたり しているすると九州の新聞社が宣伝します とか法房から色々言ってきたりした そんな頃島田慎介氏の著所に歓明を受け たまたま同詞主催のオーディションが関西 テレビであったので行ってみたそして島田 慎介氏にあったんだお前はあれもこれも 邪魔をなさんぞと入れられた しばらくしてヒューマングラフという雑誌 からシについて聞きたいとインタビューが 来たテレビでよく見た女優さんだった私は その頃は必死のパッチで火の車だった インタビューが終わり女優さんと編集長を お送りして神戸に向かったなんとも 物寂しいカメラを持って誰かに取って もらおうとした時ちょうど若い男性が2人 歩いてきた彼らにお願いしよう私は丁寧に お願いしたすみません写真お願いできませ んか私の申し出に彼らは困惑しているどう やら日本人ではないようだどういうか フロムコリア韓国人か韓国では英語と母国 語が反々ということを聞いているのでそこ からは私の拙い会話だった彼らは今日 止まる場所が決まっていないというので私 のスムテラに泊まるように進めた嬉しかっ たのは彼らが日本に詳しかったことだ そして彼らと話しているうちにほかな答え が見えた気がした戦争が何であったのか そんなことを語っているうちに司法を塞い できた自分の何年か全く幻想であったこと に気づいた韓国にも日本に行為的な若者が いる私たちは彼らのように脈のある青年 たちと合流していけばそれでいいのだいつ までも昔の戦争のあることないことを降論 していてはいけない今を生きるみんなを 大切にしようじゃないかそう思えるように なったそれが答えだ翌日私は彼らを大宮 神社に誘った平等寺の11面完全音菩薩を 見てもらっても良かったのだがそれよりも 私は日本の真実を知ってもらおうと思った せっかく遠方春バル来てくれるのだから 神殿の前に立ちまず東大寺の大仏を知って いるか尋ねた彼らは知っていると答えた私 はその大仏がこの山の山頂に祭祀られて いる須ノや賑早という日本を開いた神の うちの裾ノを表していることを伝えたまた 日本の仏教が消徳大使がこの3人の地に 11面関音菩薩をまったことに始まる伝説 についても伝えた韓国に観音様はあります かと尋ねると多くあると彼らは答えたそれ から私は日本の11面関音菩薩について 自分の知るところを話した今から2000 年以上も昔日本には賑早という大王がいた のです彼はものすごい主腕の持ち主で戦争 をしないでこの国を閉定しました彼とその 後に来た人務天皇が手を結んでここ3人に この国が始まったのですその神がこの山の いきに眠っています大使はその賑や被大王 を立っ飛び11面もあるほどに多くの民衆 を見つめ多くの民衆をお導きになられた そのお姿に共明してあなた方の国からやっ てきた観音様をこの3輪にお祭りになられ たのです私たちの国と君たちの国は繋がっ ているのですだから争ってはいけないの です日本は本来は新党も仏教もない ひたすら大自然をたっとんできた国です 欧米人のように自然を破壊して人間の我が ままを通してきた国ではありません君たち の国と同じように自然と共に生きてきたの ですなぜなら我らは同じ故郷を持った一族 なのですあなたたちにも蒙古犯というのは あるでしょう 蒙古犯あるあるそれが私たち一族の証明だ よなんだかみんな温かい空気に包まれた私 は彼らを桜井に送った別れ際に彼らは まるで子供のような瞳で心の底から ありがとう君と日本を愛していると言って くれた私は目頭が暑くなって私も君らを 誇りに思うと答えた 東京に向かったそれには2つの目的があっ た1つは渋谷パルコでロレックスで行われ ているマ田有作店へ行くこともう1つは 今度新潟県の経済会が動くという映画の オーディションの件で映画監督の手塚 誠今年に会うことだった松田優はがで 亡くなられた時代の合わなかったことに 遺憾であるまた手塚からは映画作りの スタッフのお誘いを受けるが丁にお断りを した 第9勝さ RETIRE 私も相当疲れていた1998年になり女優 さんがインタビューしてくれた雑誌 ヒューマングラフも発された私は自分の 活動が初めて掲載されたこの雑誌を手にし て嬉しくてたまらなかった 2月に祖父正幸が亡くなり6月に祖母子が 亡くなった精神的に疲れきっていたこの頃 私はもうそろそろ全部やめたって言いん じゃないか修行に行って僧侶になって ひっそりとどこかで暮らそうかと考え始め たりしていたそしてその前に岩手に帰ら なければと思いながら不動の掃除をしてい たやがてただ1つだけを残して不道の掃除 を終えたただ1つ残されていたものそれは 不動王の像だった私は幼い頃から不動王の 像が恐ろしかった初めて像に触れた時私の 中で怒涛のようなものが立ち上がったので ある私は決して最初にこの像の前にあった 鏡を磨いた次に不動王の目の巣を落とした そして丁寧に吹き取った不動妙王の眼球が 光を取り戻したこれだその時私は不動王の 剣に刻まれた文字を発見したのである誇り を息で吹き払い様子を伺うとそこには意外 な文字が書かれていたため割れ来学生求め 絶対的権力全て漢字で書かれていた私の中 で謎が解けた世の中医療機関の不祥時が後 を立たないこれはものすごい疲労を犯され た医療従事者たちの悲鳴ではないか報われ ないことに対する彼らの報復である私は父 にこの文字を消すように震したどうやら 明治か対象の人間が書いたのであろう いたずらきではない怨念が込められていた 父は真じをかけ剣の魂を抜いてからそれを 浸たして今文字を洗い流しただがこの時 すでに私は何かに取り憑かれていた私の 正気が半分あるのだがもう1人私の中で 指示する何者かが存在する私は問うた何者 だすると大王と私の口が答えた自分が 乗っ取られる危機を感じた私は出ていけ どなったしかしその力は絶大なものであっ た私の全身に巨大な力がのしかかってくる 押しつされそうだそれを超えるためには どうしたらいいのかを問うと皆で祈り 続けようと支持されたを唱えるのだが一向 に楽にならない私は重みに耐えられず膝を ついたどうしたらいいのだ私をどうする気 だと私は叫んだとにかく耐えがい相当な 重みだった 働け動け休まず何度もこの言葉を言わされ た正気で亡くなっていた今いる自分が誰な のかは勝っていない素老で胸を叩いていた 本道にあった公明天皇の担当を石畳に 突き刺し裸になって経を組む場所まで行っ た太陽が真上に見えた眩しい中目を見開く と太陽の中に曲げをゆって杖を持った人間 が嫌なのか両手を上げている私は苦しかっ たがそれを見た時なんだか異様な意識に なって叫んでいたああと同時にお昼の サイレが鳴るその後私の体はやっと解放さ れたとにかく総快だった私の全てが許され た気がしたそう感じた時前に付き合ってい た看護師の彼女に一言ありがとうとだけ 伝えたいと思った死のうとか生きようとか 一切考えもしない絶対的自由の中にいた私 は寒いので服を着た振り向けば昔の日本の 兵隊が私を導いているような心持ちたそう かさっきまでの背中の途方もない重みは この国を思いしんでいった人々の思いだっ たかやっと分かったような気がしたそして 私自身のこれまでの人生を考えまた上無縁 の泣き人たちの母台を伴った私はたまたま そこにやってきたタクシーに乗り込んだ ここで下ろしてくださいそして彼女の務め ていた病院に入っていった彼女がどのかで 仕事しているか分からなかったが私は彼女 に会える気がしていたやがて椅子に座って いる私に彼女が声をかけてきたひろちゃん 何してるの私は後悔の念も含めて ありがとうと彼女に言った彼女は分かった から私もうすぐ仕事を終わりやからそこで 待っとき たのだが私はその場を後にしたとして南へ 南へ向かっていった そこは精神家の病棟であった私はその中の ロッカーのある部屋に入って人生を 残下げ下げしていたそして散々区問した挙 にやっとどうにもならないことを知り正気 に戻ったこの後ドクター20人ぐらいに 囲まれて1問着があり強制的に病院に 放り込まれた3週間保護室で眠り続けた そして意識が戻り高速されること1ヶ月 高速が溶けてベッドから降りた時には体は 骨と川のような状態で体重は15kmほど 落ちていたそんな中で高速中に私の容大を 気遣ってくれた青年がいた後で彼の名前を 聞いて彼のご先祖様の墓は桜にある炭山 神社の上にあるだろうと言うとそれが 当たっていた私は昔たまたま訪れた炭山 神社の奥にある寂しい墓地を清掃しお経を 唱えたことがあったその恩返しが彼だった のかもしれない彼が私の容弟を見てくれて いなければ私は今生きていられなかったと 思うと人生の不思議に圧倒されてしまう また面白いことにはとアイ部屋になった彼 は爆末の坂本両馬市の大ファンで彼から 両馬の察しを借りて読んだ私は大きな歓明 を受けた 精神病に行って思ったことは例外はあって もそこにいる誰もが優しすぎるという点で 共通しているということである私はここで 6月の半ばまでリハビリの生活を続けた もうすぐ退員である 第10章 スタンドSTILL 退員後すぐに私は闇上がりの体のまま修行 をすることになった日本仏教でも特に 厳しい修行をするという相当集においても 最も厳しいとされる相当集第2専門騒動 福井県大野市の山置潜伏山法教授に行った のである私がまだ病院のお薬の影響で足元 すらおぼつかない状態にあった修行など できる状態ではなかった他の専門騒動で あれば修行者の邪魔だと言って追い出され ていたところだろうだがこの法教授の同調 田中深海老師は違ったこの法教授は現在で 言えば中国省から来た弱園前事という層に よって開かれた彼はA兵士の偽を決めるに あたって権力構想から知り解き福井の山奥 にあるい和を選んで18年間炭座したのだ そこに通りかかった富士は来族の遅延だが 弱園前次に帰して混流した事員が法教事で ある現代を代表する歴史文学者柴涼太郎氏 もこの弱園に見せられて著作街道を行く にて紹介されているシ祖現前時の親髄を この法教授の歴代住職が脈々と伝えてきた のである私は田中労師に本当の修行をさせ ていただいた自分のペースで私は日に日に 体調を整えていったいやそれは思い上がり で実は田中労師をはめ運水の先輩や同安の 新玄さんのおかげで私は蘇生することが できたのだ次第にお薬も少しずつ少しずつ 減っていった3ヶ月後には私は完全復調し ていた 第11章今RISE 毎日同じことの繰り返しだった朝4時に 起きそれから6時まで座然だ6時から7時 まで釣化と言って朝のお勤めがあるそれが 終わってからは海を食べるおかずなんて ない梅干し1個とまが少々だ休む糸間も なく太鼓ノートと同時に朝の清掃サムが 始まる11時からご業だ終わって中昼ご飯 を取る午後1時からまたサムが始まる午後 4時過ぎから御業午後5時から薬席と言っ て融が始まる薬石とはその名の通り修行層 がお腹を温め過酷な修行に耐えるために ある午後7時より午後時まで座然そして 就寝こういうオーソドックスな毎日に追わ れるまた接進という時期があるのだがこの 期間は10日ぐらいは仏通士で座然をする また天造登板というものがあって登板の ものは来客の接に加え山内の食事の馬内人 としての仕事にあたる人山の1日全てを 任されたことになるある日田中老師は外部 からの資金炎上を一切断ってしまわれた ただでさえ修行道場の資金繰りが難しいの にである 以前よりまして宅発に出る機会が多くなっ た該当に立ちあるいは家いえ一見1件を 今日を唱えて回るこの家はお金を持ってい そうだとかこの家は持ってなさそうだとか そんな分別は全く関係ない恥ずかしい なんてことも言ってはいられないただも 区目と宅発をする宅発以外の何もない無が の境地全修行にたならない吹雪の中わ地に 血が滲んでくる痛いこれが一体何のために なるのかしかし私は何もまだ見つけてい ない逆らわずお経を唱え続ける 修行道場の生活も終わろうとしていた頃 田中労師は過酷な修行に私たちを同行させ た場所は大阪ホームレスの町そして風俗店 の密集しているところだった今日のご飯に 困っている人も私たち僧侶に上材を惜しま ない風俗店の娘さんたちはまるで私たちが 来るのを待っていたかのように温かく迎え てくれた玄関先で私もこの人たちが元気で あるように祈った皆さん本当にありがとう ございます私は暴さに生まれ皆さんとで あえて幸せです法教寺を降りたのは 1999年の9月の頃だった 第12章特 何かを掴んでらに帰ってきたつもりになっ ていたが帰ってきたらおしまいだそれでも 実際の話体が治ったのだからもっ手の幸い だただ心の面で成長していなくても確実に 分かったことがあったそれは私が1番求め ていたことを修行中の生活が解明してくれ たところである島となっては当たり前の ように感じているが人間が健康であるため には水空気食料精神状態生活の5つの バランスがどれもかけてはいけないという 真実である学校や神切れの辞書に書いて ある役に立たない頭でっかちの知識なんか じゃない私が1年はマリの修行をからえた のは人間がまさに健康に暮らすにはどうし たらいいかという根本的な実践であった私 は修行道場から帰ってきた自分が生き生き としていることに気がついた今まで暴産で あることがなんだか嫌であったことも正直 に話そうだが今は暴産であることは元より 私が私であることに誇りを感じている 第13章暇qutui 1999年もあともう少しという頃柏原 神宮で祈りを捧げたその日運命の女性で あるの子さんと出会った彼女は遠い中電車 でいつも私に会いに来てくれた私はその 情熱に心たれのり子さんと生きていくこと を決めたのり子さんの左優の名は磯がまわ れである私は毎日のように奈良県防止核駅 の清掃に出かけていたいつも思うこと ながらゴミを捨てる人はなくならないもの だそして私はそろそろ岩手に帰ろうと考え 始めていた首都の話も2003年まで凍結 というし大和は好きだがいつまでも父の元 にいるわけにもいかない私が清掃奉仕を 始めて100日が過ぎたいつまでもこんな ことをやってられない 第14章安PAC 最近はこれと言って何の変哲もない生活だ ただ気になることがあるとしたら清掃中に 桜井劇で出会う中国の青年だった彼は偉い 朝も早くから新聞配達をしているのだまだ 寒い季節だ私の密かな楽しみは普段 ヒーターをつけないが車を温めてその青年 と未来の話をすることだった 近頃の日本ではIT革命と言って大騒ぎの 状態だ今中国では日本よりも先を言って いる学生たちがカットしている私の前に いるこの青年も純粋に自分の祖国の行末の ために学問しているのだ私は自分が 恥ずかしかった私よりも年下の彼はまた 会う時には大陸で成功していることだろう 彼は次世代を担うべくコンピューターと まさに向き合っていたIT革命というもの を世間は大目標に祭り上げようとしている が実は関連産業の人間乗り屋に群がる人間 たちのイベントであり明瞭で善なる意識が 備わらない限り危険なものだと私は見なし ているセオリー ではなくエフェクト実行西回路をリンク するべきだその中に心がなくてはならない ツールとしてのITであることを忘れては ならないITの中での礼儀が重要となるの だ匿名性とは責任を追うことがないので私 は脳だいずれ彼が見るコンピューターの 画面の向こうには国家の安泰という 涙ましい理想があるいつの日か私たちに とってライバルになるであろう中国の理想 将来そのものである彼と同時代に存在を共 にしているこの朝の10分に満たない 私たちの時間は我らと我らの目指す兵は 世界につがっているような気がした 第15章 EXIS この時私は柏原神宮にいた神戸の方でいく つも会社を経営している子西しがBMWで 私に会いに来てくれたし兄さんは私を自分 のファミリーに必要かどうか品めに来て いるのだそのことを前回やった時にシゲル 兄さんから直接聞かされた私はシゲル 兄さんに私では勤まらないことを伝えたが そんなことは100も承知と言われた私は シゲル兄さんのような人間になりたいと 思った車がいいとかはどうでもいい話 不思議なこともあるものでこの人と私は かなりに通った生き方をしている日本が 何者か 我々は何をなすべきか私は彼から多くを 襲わった彼の神社の拝神方は一種独特だ 心臓の上に手のひを当てそして祈るのだ彼 の祈りに願い事はない純粋な祈りがそこに ある純粋な祈りは時を超え空間を超え全て を超える我らの確信にある気持ちそのもの だ世界が変わろうとも時代が変わろうとも この祈りという行為は変わらない宗教も 宗派ももはや無意味なのだなぜならそれは 祈りの中の出来事だからだそれが平和と いう一言に主役されていくシゲルニーさん 平和っていいですね何個打とうんねん バカ者お前はよ1人前にならんかいごカッ と小付かれた 第16章地RregRINオーバーその夜 私は部屋の中でこれまでの6年分の涙を 流した生まれてから今までが相馬党のよう に私の目の前を通りすぎたそれは全てが くれたぬくもりであり未だ答えも出せない は足を責めるようでもあった朝やけに 染まっていく空を飛行機雲が描く様子を ずっと眺めていた遠い国では戦いも耐える ことがない今の私の力ではどうにもなら ないせめて今はただ祈るのみこの道をどこ までも行くつもりだ私とのり子さんを乗せ たハイブリッドカーが今東北に旅立った この走りは未来へと続く 後き この物語を書き表すにあたって苦闘したの が誰のために書くのかということでした そこで私は自分の誇りと仲間のためにこう と決意してここに至りましたなぜそう思う かには理由があります私は過去に出会った 仲間と呼び合える人たちに世界を苦しみ から救ってみせる人大きなことを言いすぎ てこのまま行くとライアーマンの不明誉な 称号をつけられかねませんですから平和な 世界ベクトルの向いた本を出版することに よって自らの言動に責任を持って私を知る 人々に本気を理解してもらい自分自身の 誇りを取り戻したいからですこれまで選ん でくださった人々には申し訳ありませんが 親たらずな私はこれまであまり理解され ない存在として生きてきたように思えます それは誰のせいでもなく理解されようと 務めなかった自分の責任感のなさが招いた 結果であったのですしかし大切なことは 相手を理解するということです恥ずかし ながら私がそれを本当に分かったのは自分 自身が脳神経の病気をし入院して体が不 自由になったことがあるからですそして 初めて苦しみを超えたところに人への 慈悲針が起こり同じ経験をする人の苦しみ が理解できるようになります同時に誰 しも長に扱うことが大切だと分かります人 それぞれに生き方があり思想があり希望が ありますねとして生きていればいろんな 起度哀楽に巡り合います私はそうした喜び 叫び泣き笑い人生を駆け巡って行きたいと 思います読者の皆さん仲間はとても大切 です私の好きな言葉をこの本の最後に送り ます雨降って近まるそれではまたどこかで お会いしましょうジャパニーズ ジャスティスもう1つの昭和し田博仁咲 プロット1974年岩手県花巻市まれの 主人公は奈良の大宮神社元神宮寺の次難と して育つ幼少期に人造病を患らい克服奈良 から岩手東京へと移り駒沢短期大学で仏教 を学び俳優用聖書で演技を磨くNHK青春 メッセージで活躍 交代子負債の前で演説阪神大震最号吉本 NSCで学びバイクチーム結成や解散を 経験福井で物事修行後元と言わ旅立つ波乱 の青春と自己探求の物語 1974年昭和49年2月12日誕生岩手 県花巻市岩手から並え大宮神社元神宮は 産業同時次難として生まれる1975年1 歳1976年2歳1977年3歳1978 年4歳美容遅延入園1979年5歳 1980年6歳美容遅延卒園美小小学校 入学1981年7歳人造病を患らう幹地 まで1年かかる 2年8歳1983年9歳1984年10歳 桜シス盲大会出場1985年11歳未来の 科学の夢象 1986年12歳美小学校卒業第3人中 学校入学1987年13歳1988年14 歳1989年15歳大木は中学校卒業奈良 から岩手先週大学北高校入学応援団に入る 1990年16歳NHK森岡放送局青春 メッセージ優勝1991年17歳夏の甲子 演出場NHK森岡放送局青春メッセージ 審査員特別長1992年18歳岩手から 東京 先週大学北高校卒業駒沢短期大学仏教学部 入学双子玉摩川で林改造監督と出会う駒沢 公園で高橋勝野部とで出会うバーニング タレント要請書入所卒業NHK本局青春 メッセージ投稿新越大会出演1993年 19歳年末に自立神経失張書を患う 1994年20歳東京から習え駒沢短期 大学仏教学部卒業東映さ俳優要請書入学矢 監督とである 5年21歳阪神大震災東営俳優卒業吉本 総合芸能学院NSC入学バイクチーム38 SNHK大阪放送局青春メッセージ機体 開心サイン特別1996年22歳MBS 毎日放送コールミー出演NHK全国大会 NHKホ 使なる人下正子皮膚最後全説吉本総合芸能 農学院NSC卒業1997年23歳小西茂 市とであるバイクチーム38Sさん川瀬 直美監督に会いに組を訪れる東京で手塚誠 監督と会う1998年24歳福井県王野 司法教授で修行1999年25 NHK街道北陸編出演法京山年末本妻の子 さんと出会う2000年26歳奈良から 岩手元の子さんと言わと旅立つ文芸者現在 万了士契約は終了していますジャパニーズ ジャスティスもう1つの昭和 アニメドラマ映画家にかかる登場する施設 奈良県日本国際は妙人大宮神社奈良県大宮 神社元神宮寺山 平堂寺主人公田広人の実家奈良県美小学校 奈良県第三林中学校岩手県先週大学北等 学校兵庫県甲子園東京都駒沢短期大学岩手 県NHK森岡放送局都映像探偵者東京都 NHK本局NHKホール大阪府NHK大阪 放送局大阪府MBS毎日放送戦料放送 センター奈良県消化奈良県組東京都 バーニングプロダクションタレント要請書 京都府東営俳優要請書大阪府吉本芸能総合 学院NSC大阪府新西橋村 大阪府サントリー海遊福井県相当州第2 道場法京寺相当州大本山衛兵 神奈川県相当州大本山掃除時寺奈良 県立習奈下 大学付属病院登場する乗り物山本田川崎 ハーレーダビッドソンなど多数登場する 人物日本国天天皇なる人陛下正子高郷陛下 を負債岩山平等寺元住職丸子 後法つま子小明妙明 兄まる子高仁弟まこ仁弟ま子義 千田誠祖父個人知田博子祖母核学校の教師 生徒個人大島監督滝監督は林海造監督川瀬 監督手塚誠監督ヘアメイクアーチストと 高橋 高校の時の親友高橋間の国彦越川 義彦越大阪のバイカー100人希望宮哲辻 市白山正市横浜のバイカー100人希望 高校9仙台北条柳川高校小西茂市元本元 さん思い出すだけでたくさんの団体や人が 関わっています映画化すれば国民的な 思い出になると思います音楽ソニーや ABEXノアティスと推奨 ジャパンキングダムエンターテインメント 郵便番号63300837 県桜辻677403 電話 074423578 携帯09094282272 メール@gmail.com 代表 知田博と

プロット
1974年、岩手県花巻市生まれの主人公は、奈良の大神神社元神宮寺の次男として育つ。幼少期に腎臓病を患い、克服。奈良から岩手、東京へと移り、駒澤短期大学で仏教を学び、俳優養成所で演技を磨く。NHK青春メッセージで活躍し、皇太子夫妻の前で演説。阪神大震災後、吉本NSCで学び、バイクチーム結成や解散を経験。福井で仏寺修行後、元妻と岩手へ旅立つ。波乱の青春と自己探求の物語。

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代表 千田寛仁

(年表)
1974年昭和49年2月12日誕生 岩手県花巻市【岩手から奈良へ】大神神社元神宮寺三輪山平等寺次男として生れる
1975年1歳
1976年2歳
1977年3歳
1978年4歳 三輪幼稚園入園
1979年5歳
1980年6歳 三輪幼稚園卒園、三輪小学校入学
1981年7歳 腎臓病を患う完治まで1年かかる
1982年8歳 
1983年9歳 
1984年10歳 桜井市相撲大会出場 
1985年11歳 未来の科学の夢銀賞
1986年12歳 三輪小学校卒業、大三輪中学校入学
1987年13歳
1988年14歳
1989年15歳 大三輪中学校卒業【奈良から岩手へ】専修大学北上高校入学、応援団に入る
1990年16歳 NHK盛岡放送局・青春メッセージ優勝
1991年17歳 夏の甲子園出場、NHK盛岡放送局・青春メッセージ審査員特別賞
1992年18歳 【岩手から東京へ】専修大学北上高校卒業、駒澤短期大学仏教学部入学、二子玉川で林海象監督と出会う、駒沢公園で高橋カツノブ氏と出会う、バーニングタレント養成所入所卒業 NHK本局・青春メッセージ関東甲信越大会出演
1993年19歳 年末に自律神経失調症を患う
1994年20歳 【東京から奈良へ】駒澤短期大学仏教学部卒業、東映太秦俳優養成所入学、矢田清巳監督と出会う
1995年21歳 阪神大震災、東映太秦俳優養成所卒業、吉本総合芸能学院NSC入学、バイクチーム38’S結成、NHK大阪放送局・青春メッセージ近畿大会出演審査員特別賞
1996年22歳 MBS毎日放送「コールミー」出演、NHK全国大会NHKホール 皇太子徳仁殿下雅子妃夫妻御前演説 吉本総合芸能学院NSC卒業
1997年23歳 小西茂氏と出会う、バイクチーム38’S解散、河瀬直美監督に会いに組画を訪れる、東京で手塚眞監督に会う
1998年24歳 福井県大野市宝慶寺で修行
1999年25歳 NHK「街道をゆく・北陸編」出演、宝慶寺下山、年末元妻能理子さんと出会う
2000年26歳 【奈良から岩手へ】元妻能理子さんと岩手へと旅立つ

Japanese Justice :

もう一つの「しょうわ」史、 漫画/アニメ/ドラマ/映画化に係る

登場する施設:
奈良県 日本国最古大神神社
奈良県 大神神社元神宮寺 三輪山平等寺(主人公千田寛仁の実家)
奈良県 三輪小学校
奈良県 大三輪中学校
岩手県 専修大学北上高等学校
兵庫県 甲子園球場
東京都 駒澤短期大学
岩手県 NHK 盛岡放送局
東京都 映像探偵社
東京都 NHK 本局 NHK ホール
大阪府 NHK 大阪放送局
大阪府 MBS 毎日放送千里丘放送センター
奈良県 笙嘉
奈良県 組画
東京都 バーニングプロダクション タレント養成所
京都府 東映太秦俳優養成所
大阪府 吉本芸能総合学院 NSC
大阪府 心斎橋アメ村
大阪府 サントリー海遊館
福井県 曹洞宗第二道場 宝慶寺
曹洞宗本山永平寺
神奈川県 曹洞宗本山 総持寺
奈良県 県立奈良医科大学附属病院

登場する乗り物:
ヤマハ、ホンダ、カワサキ、ハーレーダビッドソン、など多数

登場する人物:

日本国天皇 徳仁陛下雅子皇后陛下御夫妻
三輪山平等寺 元住職 丸子孝法 妻丸子妙幸
兄丸子孝仁 弟丸子道仁 弟丸子慶仁
故人 千田政幸(祖父)故人 千田寛子(祖母)
各学校の教師 生徒
故人 大島渚監督
矢田清巳監督
林海象監督
河瀬直美監督
手塚眞監督
ヘアメークアーティスト 高橋カツノブ氏
稲島氏
高校の時の親友 高橋拓也氏 菅野邦彦氏 及川義彦氏
大阪のバイカー 100人規模
宮田哲治氏、白山将史氏
横浜のバイカー 100人規模
高校球児 専大北上 柳川高校
小西茂氏
元妻能理子さん

◎思いだすだけで、たくさんの団体や人が関わっています。
映画化すれば、国民的な思い出になると思います。
音楽・ SONY や avex のアーティストを推奨

#アニメ化 #ドラマ化 #映画化

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