東京都昭島市の「謎のロータリー」「廃線五日市線」「多摩川の牛群地形」を東中神駅を降りて探索します!東京都のロータリーって珍しくないですかね?【東京都昭島市東中神町】
ロータリーは耳をすませばの場所にもありしたね
好奇心がわいた場所に突撃取材した動画をアップしてます。
自転車で峠越えを学生の時にしたり、行動あるのみで色々な土地へ行ってみてこそ見れる景色もあります。
私の旅行先は誰かの「日常」であり、その日常に触れることこそが私にとっては貴重な旅行となるのでは?
そんなアナタの「穴場」をぜひ教えてください。
次に行くのはアナタの町かもしれません!?
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22件のコメント
歩き旅、お疲れ様です。足のケアも大切にしてくださいね(笑)私は昭島にも住んでいたことがあり、ロータリーから程近くの郷地町に住んでました。そのロータリーも気になっていましたが、ただの裏道として利用してました。これからも豆知識を増やす旅を続けてくださいね。
こんにちは♪謎のロータリーは、ラウンドアバウト(環状交差点)ですよねー。
謎の空き地は青梅線立体交差の道路予定地です。以前は図書館がありました。
ランドアバウトは、あと多摩市桜ヶ丘一丁目(東京都初)と武蔵村山市大南にありますね
昭島方面からの牛群地形
面白かったです
牛群地形すごいですよね。
多摩川の砂利採掘のおかげで、クジラの化石が見つかって、昭島クジラとして有名になってます。
今でも八高線の橋脚のした辺りで化石を見つける事ができるかも⁈
私も子供の夏休みの宿題に化石を探しに行きました。
「牛群」はかたち的には「鯨群」に近いような気がするし、学者先生もそう名付けてくれていれば、クジラ大好き昭島市民もさぞ喜んだのではないかと思います。
(4:19もクジラの尻尾でしょうね。絶対)
ラウンドアバウトは埼玉の毛呂山にもあります。先に言っておきますが「ケロ山」ではなく「モロ山」です。
八清住宅跡地ね
確かに謎のロータリーだもんね
五鉄廃線跡は「五鉄通り」と呼ばれていて、私は五鉄通り沿いに住んでいます。
五鉄は立川と拝島を結ぶ鉄道で、途中の田中駅で分岐して、多摩川に向けて砂利を搬出する荷役線が伸びていました。
帝都のコンクリートとなるべく、砂利は五鉄で拝島と南武線で是政あたりで確保して、日の出町と奥多摩では石灰石を搬出。
青梅線の前身と、五日市線、五鉄は戦前から砂利とセメントを運ぶ鉄道貨物線として活躍してきました。
南方にあった旧日本軍のトーチカも、もちろん多摩地域から搬出されたセメントと砂利が使われています。
秩父の石灰石も同じですが。
お疲れ様です。ロータリーに関しては 山さいがねが に詳しく載ってましたね。
多摩川の砂利は運搬線がアチコチにあり南武線、下河原線、西武多摩川線等々、今も残ってますよ。
地元民です最初の空き地は元市民図書館です2020年3月に大規模教育施設に移転したため空き地になっています跡地は道路拡幅と駅前の踏切を廃止し立体交差にする計画があります
多摩川の砂利ですけど、中央線の多摩川支線とそこに繋がっていた多摩川砂利木材鉄道というのがかつて通っていて、多摩川の土手沿いの道路跡辺りが廃線跡らしいですね。
五鉄跡はもっと西側の方は五鉄通りという道路になって残ってますね。動画の辺りだと、昔はもう少し東の方に昭和公園の南側の空き地に廃線跡があったような(今は宅地とか道路になってるかな)。
ロータリーは西立川駅の南側にももう一つあって、今は中央の円形部分も道路になって道路幅だけが不自然に膨らんでる跡地になってます。
シズムさん、いつもありがとうございます。
1つ
気になったのですが、「シズム」とは本名なのですか?差支えなければ、名前の由来を教えて頂ければ幸いです。
ありがとうございました🎉
30年ちかく毎日、仕事で移動しているエリアです。
温故知新でした😂
「めだかタンタン」が気になる・・・・w
五日市鉄道跡を探しに、八高線と同じ方角に進む不思議な人だな。と、思いながら観ていました。
ロータリーから、八清通りを南に7〜8分歩けば不自然に真っすぐで、やや広い道路が西に延びております。これを進むと、線路に乗っかた車輪と台車のモニュメントや神大駅(大神)の表示看板がありますよ。通称「五鉄通り」と、呼ばれているそうな。
●ようかいちやせいたろうと読みます。
●川の丸い穴は甌穴といいます。
今回も楽しめました!
東中神駅、河辺に祖父母が住んでいたので幼少だった1970年台後半から通ってきましたが、長〜い木造の椅子が印象的でしたね。今でも立川寄りにほんの少し残っているようです。駅舎は私の地元府中から法務省の施設などが一部移転し利用者が増える見込みとなりかなり立派になりましたね。マピオンという地図アプリ、立川〜西立川の短絡線に「五日市線」と表記してあります(笑)。実際半分くらいの区間(立川〜武蔵上ノ原/緑川通りとの交点付近)は五鉄の現役線?です。
昭和30年〜38年小学生3年迄昭島に住んでましたが、八清地区ははっせいと大人は言ってましたが多分はっしんだったんでしょうね、郷地とか焼肉屋さんが多く朝鮮の方の部落の様な地区でしたね
東中神駅(八清ロータリー)…✨٩( ᐛ )و
牛群地形…🐮?🐳❓トライトフォビア
の方は…(=^▽^)σ🪄✨気をつけてね💕
26:40 28:47
牛群地形は1950年代砂礫の大量採取により露出した砂層が川の流れで削られ牛群地形を成してぃる。この砂層は半凝固でよくしまってぃて上から粘性土優勢層・
含化石細砂層・含化石粘土混じり微細砂層、含化石微細砂層、含石礫細砂層の微細砂〜細砂で構成される。平山砂層とぃわれアキシマクジラ・フジツボに似た貝の化石も見つかってぃるそぅです✨😎
五日市鉄道…歴史の波に翻弄された紆余曲折を振り返ります✨😎ちなみに…
五日市鉄道は現在のJR五日市線の前身
にぁたる鉄道会社デス。
16:15 19:07
1919年(大正8年)勝峯山(かつぼ『う』やま現在の東京都西多摩郡日の出町大久野、岩井付近の山)で採掘した石灰石輸送と旅客輸送を目的として鉄道設建計画が提出されました。1922年(大正11年)に会社が設立され1925年(大正14年)拝島ー武蔵五日市間(現在のJR五日市線部分)
続ぃて同年武蔵五日市ー武蔵岩井間が開業しました。浅野セメント(現・太平洋セメント)により勝峯山で採掘される石灰石は当時セメント工場のぁった川崎へ運搬されましたが拝島からはすでに開業してぃた青梅電気鉄道(現・JR青梅線)と国鉄中央線を経由してぃました。遠回りで効率が悪ぃため五日市鉄道の路線を立川へ延長し同時に川崎を起点にして立川へ延長計画のぁった南武鉄道(現・JR南武線)とを立川駅構内で接続させる方針として路線延長の免許を得て五日市鉄道の立川ー拝島間が建設されます。延長工事は
1929年(昭和4年)9月に着手、完成開業が翌1930年(昭和5年)7月とぃう短期間で行われ立川駅は中央線線路を乗り越え部分の線路は現在の東京から青梅に直通する下り電車の短絡線として使用されてぃます。延長区間の旅客輸送も同時に開始されて立川ー拝島間には途中8つの駅(停留所)が設けられ武蔵岩井(または武蔵五日市)までガソリンカーが直通しました。のちの1940年(昭和15年)に五日市鉄道は南武鉄道と合併し立川ー武蔵五日市ー武蔵岩井間は南武鉄道五日市線となります。また太平洋戦争が激しくなると
1944年(昭和19年)に南武鉄道は青梅電気鉄道などとともに国有化されます。それとともに五日市線の複数の駅が廃止されその後半年で立川ー拝島間が休止扱ぃになります。理由はほぼ並行にして青梅線がァリ不要不急の路線とされたことと
レール橋桁枕木などを他の重要線区に転用されることでした。戦後はこの休止区間が復活することはなく事実上廃止。線路跡はほぼ全区間が道路に転用されて現在に至ってぃます。拝島ー武蔵五日市ー武蔵岩井線の区間は国鉄五日市線として戦後も残りましたが武蔵五日市ー武蔵岩井間は1970年頃廃止され拝島ー五日市間だけが現存してぃるそぅデス✨😎(2020年の参考に記載してぉりますので
相違点等がァルと思われますご理解の上
ご拝読下さぃ)
16:38 26:13 36:32 38:16 38:47 40:23
シズムくん💕ハトさん🐦✨がいっぱい
ぃたぁ〜✨(*^▽^*)ェヘ💞可愛いぃ💕
謎トリさん✨(//∇//)💕泳ぃでたぁ✨
34:33
✨天翔十字鳳✨😎めっちゃ✨
✨カッコイィ〜✨(//∇//)テヘ💞
💕☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆💕
もっと近くで観たかったぁ〜✨
今回もぉ疲れさま✨『ありがとう😊💞』
次回の動画も✨楽しみにしてます🤗💕
🐈⬛🐾足怪我してニャイ?気をつけて❣️
東町「ひがしまち」ではなく正しくは「あずまちょう」ですね。20年前まで住んでましたが、昔とかなり東中神駅周辺の雰囲気変わっていました。駅周辺を久しぶりに見れてとても懐かしかったです!
昭島は、五日市鉄道跡や、八清地区のロータリー、青梅線東中神、中神以北の引き込み線跡などは有名です。拝島あたりにもあります。不思議なところの宝庫です。地図上で目立つので、みんな不思議に思うのでしょう。
昭和の頃、多摩川の砂利採集は多摩川のあちこちで行われ、青梅線や南武線、中央線などから砂利採集用の支線が複数分岐していました。府中の下河原線などは有名です。
昭島だと中央本線多摩川支線が多摩川沿いにありました。休止線扱いで、今も廃止とはなっていません(実質廃止)。
こうした川砂利は、奥多摩や日の出、秩父等の石灰石セメントに混ぜられ、東京、首都圏の高度経済成長を支えました。
唯一いまだに謎なのが、昭島市立昭和公園北側にある江戸街道上にある、「昭和公園東」信号を、東方向へ微妙に南にカーブする江戸街道の方へは行かずに、そのまま東へ若干細い方の北側の道を直進して180Mほど行ったところに、「道幅が異様に太くなる部分」があります。ここがなぜこうなったのか、私の子供の頃からの謎なのです。
グーグルマップでは「この太い部分」が省略されていますが(ストリートビューでは確認できます。)、普通の地図には出ています。