Ep66 千種区本山から北へ
2024年に現役を引退した、Retired GGです。
今回は、リクエストがありました、猫洞通を含む、千種区本山北へ、名古屋市内をスクーターで走ってみました。私が免許を取った約50年前との違いや、思い出を話しながら、今の名古屋をご紹介します。
途中、話してることに、間違いや誤解、勘違いが含まれることがあります。できるだけテロップで修正しますが、カバーしきれないところもあります。
ご了承ください。また、ご指摘してくださると幸いです。
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2件のコメント
ありがとうございます、亀を助けてませんが 浦島太郎状態です がんセンターは移転したのですね、猫ヶ洞通りは面影がもうたいしてありません時の流れを感じます、あの頃写真をたくさん撮っとけば良かったですが、写真を撮っても貧乏学生だったので現像料が高く参ってました。
確かに、平和公園周辺の地域には「〇〇丘」という地名が多いですね。自由ヶ丘、光が丘、希望ヶ丘の他にも、平和が丘、千代が丘、つつじが丘(名東区)などの地名が散見されます。
ネットの「今昔マップ on the web」のサイトで調べると、平和公園周辺は、戦前、市街地から外れた田園地帯にある里山みたいな地域でしたが、戦後復興計画の一環で、平和公園が造成されて名古屋市中心部から多数のお墓が移転して来るとともに、市街地化が進んでゆきました。「自由」「光」「希望」「平和」「千代」などの言葉に「丘」を付けた地名は、戦後復興とともに平和で明るく豊かな社会の実現を願った地名のように思われます。
「今昔マップ on the web」では明治以降の名古屋の市街地の発展をたどることができます。
明治時代の地図(1888~98年)を見ると、名古屋の市街地の東端は、中央線の西側辺りで建中寺も市街地の東の端に近い場所でした。
大正時代の地図(1920年)を見ると、中央線の東側の今池辺りや飯田街道沿いに集落の形成が進みました。
昭和10年代前半の地図(1937~38年)を見ると、覚王山付近まで市街地が拡大し、山崎川の西側の都市化が進んだことが判ります。この頃、本山付近にも集落の形成が進みましたが、それより東側は、田園地帯というか里山のような状態でした。
戦後の1960年代前半の航空写真(1961~64年)を見ると、東山公園より西側は概ね市街地化し、東側でも星ヶ丘に当時としては郊外型の団地が造成されています。
1970年代に入るころから、東山公園以東の市街地化が急激に進み(東山線開通の影響が大きいものと思われます)、開業以前は田園地帯だった藤が丘駅(1969年開業)周辺も、現在では完全に市街地化され、更にその東の長久手も都市化が進んでいますね。