33歳デビューから親子二世代王者 デーモンヒルの急転F1キャリア【F1歴史解説】
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47件のコメント
ここにはヒル好きの方が多くてコメントも全く同意できるものばかり。1996の鈴鹿を生で見られて本当に良かった。ただ同時期にライバルであれほど栄光に満ちたシューマッハの現在を思うと、人の人生とはわからないものだ、と思う
派手さもないし華もないがウイリアムズチームで94年のチームメイトのセナの事故死を目の当たりにし、それでも良く頑張ってコンストラクターチャンピオンを獲得し、後にアロウズやジョーダンと渡り歩いたが良い成績を残し高いドライバリティーを見せてる。チャンピオンにふさわしいドライバーだと思いますね。
ウィリアムズからヒル離脱でニューウェイもブチ切れ離脱 ウィリアムズの栄光終了
デイモンの過小評価を決定的なものにしてしまったのは95年シーズンだろう。動画で触れたミハエルとの二度の接触だけじゃなく単独ミスによるリタイアも目についた。鈴鹿でリタイアしたあとの森脇さんの「ウィリアムズが勝手に負けたんです」という怒気を含んだコメントは今も覚えてる。その後チャンピオンを獲ったり、アロウズやジョーダンでの活躍でようやく高い評価を得られるようになったけど、当時はそんな未来は想像できなかった。
94年はヒルがタイトルを取った年です。
ジョージハリスンがスポンサーしてたのも有名ですね。
ほとんどのトップドライバーが中堅以下のチームに行くと落ちぶれていくけれどデーモンは違ったなあ〜 アロウズYAMAHAで優勝争いまで引き上げたし ジョーダンでも存在感示したもんなあ〜 最後はYAMAHA 無限ホンダと日本のメーカーと関わりあったねえ〜 良いドライバーでした🎉
デイモンヒルがウィリアムズのテストドライバーをやっていたから1992年のウィリアムズとマンセルがチャンピオンになったと思います。ヒルもFW14でのシーズンオフテストてはマンセルより速いタイムを出していたのを雑誌で見たのを覚えてます。のちにヒルも優勝したりチャンピオンになりましたね。ヒルが離脱した後のウィリアムズはだんだん戦闘力が落ちてアロウズで2位になったのを見るとヒルは開発能力のあるベストドライバーだったと思います。
当時から今でも、デイモンヒルは大好きなドライバーです😅これだけコメントあると言う事はいかにヒル好きな日本人がいるのがよく分かりますよね😊赤井邦彦先生にかなり酷評されて歯痒い気持ちで当時いました😡😭チャンピオンなった後アロウズやジョーダンで活躍した時、赤井大先生は不愉快な思いしてたんかな?
接触や「マシンのおかげ」みたいな過小評価やけど、
その良いマシンは、ヒルの開発能力の高さによって造られてるし、適応もしてる、
ちゃんと記憶に残るチャンピオン🇬🇧
ナンバーが「0」てのも全ての始まり感があって良い
昔メディアで「デーモン・ヒルでも勝てるウィリアムズ」みたいな酷い扱いをされてたけど、リタイヤも少なく確実に上位入賞出来る実力派ドライバーだったと思う。
確かダウン症の息子さんをお持ちでしたね。頑張り屋さんなのに首にしたからニューゥイが怒ってチームを去り… そこから弱体化が始まり今では見る目もない無惨な状態に。あのシューマッハでさえウィリアムズはチームが暗いから行きたくないと言ってました。
ウィリアムズに乗るマーティンブランドルも見てみたかった気もするな。
黄金期のウィリアムズのマシンはヒルとニューウェイのコンビで作り上げたものと後に分かることになった。
当時ヒルの能力を評価していたのはニューウェイだけだった。ヒルをクビにしてフレンツェンと契約した結果、ニューウェイも去り2人の遺産であるマシンで何とかチャンピオンになれたのがビルヌーブ
努力というか、苦労が天才を凌ぐ事もあるという事を、教えてくれたドライバー。
性格も、ドライビングも、派手さが無いけれど、物語のあるドライバーでしたね。
ちなみに、自分の一番好きなドライバーです。
最近、94年モナコの予選の動画が上がっていた。
FW16でフルアタックするヒルに震えた
デーモン.・ヒルのファンでした🏁
ベストレースは94年の日本GPだと思います🏁
ワンストップで性能低下したウエットタイヤで雨の鈴鹿をシューマッハに2秒差をつけて走り切ったのは感動しました🥹
ウィリアムズのアクティブサスペンションは開発ドライバーのヒルのフィードバックのおかげです🏎️👍
みなさん、ヒルをご自身に重ねあわせて応援していたのではないでしょうか。私もそうです。ヒルが世界チャンピオンになった時は我が事のようにとても嬉しかったです。思い出深いF1ドライバーです。尊敬しています。
デーモン・ヒルの速さと開発力を買っていたエイドリアン・ニューウェイは自身の知らないところでヒル放出が決まって、ドライバー人事に意見できるという契約を破られ、ウィリアムズに不信感を抱き離脱したんだよね。
懐かしい話ですね
デイモン・ヒル
って言う
元F1ドライバー
初めて観たF1が'93イギリスGPだったので、母国での初優勝目指しトップ快走中にリタイヤ→ドイツGP優勝目前の残り2周でタイヤバースト→初優勝ハンガリーからベルギーイタリアと3連勝→あれ?このカーナンバー0の人って実は最強ドライバーなんじゃね???……という壮大な勘違い認識から始まった自分のFオタ人生でした(汗
'97ハンガリー時は夜中に絶叫し過ぎて親どころか近所からも苦情が来ました。
余談ですが「2戦連続同一名グランプリを優勝」という珍記録保持者でもあるんですよねデイモンさん('95最終戦オーストラリアGP→'96開幕戦オーストラリアGP)。
個人的にヒルを1番評価している部分は、悪夢のマシンFW16で開幕戦から2位を獲ったこと。セナが3戦連続ポール→リタイアした間もヒルは10ポイントほど稼いでいた。
セナの方が速い速度域だったのはあるだろうが、ピーキーなマシンで上位を取るのもドライバーに必要な実力です。そういう意味では2018〜20年頃のマックスに通じる能力がヒルにありました。
ウィリアムズからの参戦時には二世のコネ&イギリス人ドライバーのおかげでシートが得られたと思っていました。
その後の移籍したチームでのマシン開発力の高さや渋い走りでチャンスを掴む姿に誤解していたと思ったドライバーでした。
1996年のチャンピオン獲得の時よりより、アロウズで優勝目前の2位入賞したハンガリーGPの方がインパクトが強いですね。
最強マシンでなくとも速いドライバーである事を、見事に証明して見せた姿に感動したなあ。
やっぱ97年ハンガリーが凄すぎました。優勝出来なかったのが逆に伝説になってると思います。
1998年鈴鹿ファイナルラップのシケインでウィリアムズのフレンツェンをパスしてコンストラクターズランキングでベネトンを土壇場で逆転した走りも印象的。
自分からのデイモン・ヒルの印象は、予選でずーっと目をつぶりシューマッハがTOPタイムを出しても動じず、目をつぶっているヒル……予選時間も迫ってくると急に眼を
カーッ
と開き、ミスすることなく周回をするヒル。
そしてポールを奪うヒル……。
カッコよかった。
友達の家で観たF1で古舘伊知郎が「顔面ジョージ・ハリスン」と呼ぶドライバーがいたことがF1に興味を持った切っ掛けの一つ。後にデーモン自身ギタリストで、しかもジョージ本人と友人と知った時の感動は更に大きかったな(ジョージはグレアム・ヒルとも友人)。ジョーダンに移籍した時は「これで毎日ロックンロール・パーティだ!」とエディ・ジョーダンが発言したとか(ジョーダンはPremier社と契約があるセミプロレベルのドラマー)。
日本GPのオフの日に、市街でヒルを見かけた人が声をかけると、「とても謙虚な人だった」と言っていたのを当時(ウィリアムズ当時)のF1雑誌で見たのを覚えています。また、ベネトンのシューマッハだったと思いますが、予選のラップ争いの際に最後のアタック前に、目を瞑って精神統一していたのが、私のおぼえている印象です。それで逆転ポールポジションですから。渋い❕カッコいい❕憧れの人です。
いつも、貴重な F1 情報をありがとうございます。
高品質な内容を安定して継続できる動画主様は何者ですか?
デイモン・ヒルからは、なぜか日本人的なものを感じます。
とても好きなドライバーです。
現役チャンピオンを追い出す
そこからウィリアムズの衰退が始まった
デーモン・ヒルは三十代でF1のシートを獲得しましたナイジェルマンセルの推薦がありアランプロストのタイヤに優しいドライビングを手本で学ぶ事が出来ましたので親子二代のワールドチャンピオンになれたと思います
デーモン好きがこんなにいたんですね!
コメントに共感できて嬉しい
ヒルのおかげでウィリアムズの常勝マシンを分かっていないフランク・ウィリアムのアホさに当時呆れたものだ。ヒルの解雇がニューウェイの離脱に繋がりロスマンズの
スポンサー契約撤退にまで至ったと考えるとウィアムズ凋落になったと思うと少し悲しい!
20歳前後からすんなりとF1に乗る若いエリートたちと違い、彼には、本来は父とともに運命づけられているはずのF1に至るまでの、長く厳しい道のりを歩む者に特有の耐性のようなものが感じられました。いわゆる親の七光りの二世とは明らかに違うキャリアですが、トップチームのドライバーになったのは才能のほかにやはりヒルという名、背負った運命によるものだったろうし、はかなさが共存していたのも、父がかつていたF1になんとか戻るために変節を重ねたキャリアゆえだったのかもしれない。まるで「一撃離脱」のようなF1キャリアでしたが、その少ないチャンスで栄冠を見事に勝ち取ったのは、ひたすらに彼の努力と才能、彼特有の運命によるものだったのではないか、と思わせます。
デーモンは1996年に全戦フロントロースタート(予選は1位と2位のみ)の記録がありますが他に達成できているドライバーはいるのかな。
地味だけど、堅実な走りはさすがと思わせるものがありました。
プロストからいろんな事を学び、セナと組んでこれからという時に自分がエースドライバーになってしまい、シューマッハにたいした事ないとディスられたりしたが、結果で示して黙らせた。94セナの他界後〜96はシューマッハよりも自分はヒル推しだった。アロウズで2位ジョーダンで優勝したので普通のドライバーではない事は証明されている。
リアタイ世代なので、解りやすいスターなシューマッハより、静かに熱いヒルの方を応援してたな。
音楽もやってましたよね。
ちなみにバンド名は書くのがはばかられる名前w
彼を抜擢したサー・フランク氏の慧眼には脱帽の一言です。
アロウズ離脱後にマクラーレンに移籍してまたニューウェイと一緒に仕事して欲しかったですわ
しかしその場合同じく開発能力の高いクルサードを放出しなきゃならないだろうから所詮机上の空論か
派手さはないが頭のいいドライバーという印象です
ウィリアムズは離してはいけなかったよ
ロスマンズカラーにパパヒル風メットがよく似合ってましたねー。
初めて買ったF-1のミニカーがオニクスのFW17でした。その後ブリヂストンテストカーも買って大事にしてます
開発能力は歴代F-1ドライバーの中でもトップでしょ。
人間的にバランスの取れた人なんだなと思う
セナやシューマッハが良くも悪くも異端児過ぎたと言うのもありますが、玄人好みの職人気質なドライバーだったと思います。
現役時代にもっと評価されて然るべきだったのが本望ですが、こうやって「過小評価されているワールドチャンピオン」と掘り下げる人達がいるところが、デイモン・ヒルの本質を示していると思っています。
良いマシンに乗ってから勝てる、ではなく彼が居たから良いマシンになっていたというオチ
ムーンクラフトのマシンや当時落ち目のマーチのマシンで欧州F3000やに乗せられて、しっかり結果を出していたの記憶に強いです