Share Facebook Twitter LinkedIn Pinterest Bluesky Threads 【Vlog】20240503_尾道 尾道に行ってしまなみ街道をサイクリングした🚲 気楽な感じと思って行ったらすごくしんどかったので、当面サイクリングは大丈夫です… Cycling Hiroshima Hiroshima Cycling 尾道市自転車 広島サイクリング 広島自転車に乗る
@mizusawa-hidenari on 2024-11-30 4:04 AM 大林宣彦監督の映画「時をかける少女」は劇場公開から既に41年が経過しています。 私は、2024年4月17日(水曜日)午前10時27分(9:87)に尾道市西久保町の「芳山和子の家」の跡地前にいました。 当時15歳の原田知世さんが演じたのが主人公の「芳山和子」です。 芳山和子は、1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた朝、目の前のテーブルの上に置かれたコップの中に「紅茶」が突然現れたことに驚嘆しました。 日時は忘れてしまいましたが、現実世界を生きるこの私は、尾道市長江一丁目の「タイル小路」を訪問した時に「芳山和子」とまったく同じ体験をしています。 原田知世さん出演場面のロケ地に辿り着いたことを単純に喜んでいた私の目の前に、なんと「福善寺の境内」が何の予告もなく突然現れたからです。 「福善寺」というのは、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」では、平山周吉の妻とみの葬儀が行われた寺院でした。 平山とみを演じた女優さんは東山千榮子さんです。 母とみの突然死を嘆いた三男の平山敬三は、僧侶による読経の最中、式場を離れてぼんやりと境内を眺めます。 信じられないことですが、平山敬三がぼんやり眺めたの目線の先はなんと「タイル小路」の方向だったのです。 え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛っ、驚きました。 な、な、な、なんと、1983年4月に芳山和子が元気に高校へ通った「タイル小路」は、1953年7月に平山敬三が母の突然死を嘆いた「福善寺の境内」と隣り合う地だったのです。
@mizusawa-hidenari on 2024-11-30 4:13 AM 1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンをご存知でしょうか。北尾実加を演じた石田ひかりさんが制服姿で尾道市東久保町の坂道を「千津子の事故現場」へ向かって登ってくるシーンです。世間の人々によって広く語られていませんが、実は、このシーンには、今となっては大変貴重である小津安二郎監督が1953年8月にカメラをセットしたポジションがなんと2箇所(!)も含まれています。 【実加が坂下から現れた地点】ここは、「東京物語」のラストシーンに現れる「尾道市立筒湯小学校」の旧木造校舎を撮影するため小津監督がカメラをセットしたポジションです。 【実加の背後に映り込む「松本病院」の地点】ここは、「東京物語」のオープニング5カットのうち3番目の尾道の風景を撮影するため小津監督がカメラをセットしたポジションです。
@mizusawa-hidenari on 2024-11-30 4:22 AM 尾美としのりさんが映画「時をかける少女」で演じたのが堀川吾朗です。吾朗は、どうして不自然に3度も「俺、ションベン行ってくる」と言うのでしょうか。尾美さんが映画「転校生」で演じた斉藤一夫が御袖天満宮の境内で小便をしたことだけがその理由なのでしょうか。実は、「俺、ションベン行ってくる」というセリフは、映画「東京物語」で香川京子さんが演じた筒湯小学校教師の平山京子が3つの異なる場面で発した「行って参ります」というセリフのオマージュなんです。笠智衆さんが演じた平山周吉は、妻とみの葬儀の後、家族との食事の場面で用を足すために席を外しました。しかし、その回数は1度だけで、しかも、周吉は無言でトイレへ行きました。しかし、平山京子先生は、勤務先である筒湯小学校へ出勤する都度、何度も何度も「行って参ります」と同一のセリフを繰り返しています。3つある場面のうち最初の場面では、3回連続で「行って参ります」と家族に告げています。大林監督は、吾朗に「俺、ションベン行ってくる」と言わせることによって、「尊敬する小津監督の偉大な功績」と「笠智衆さんの演技」と「香川京子さんのセリフ」を自身のフィルムに記録していたのです。
3件のコメント
大林宣彦監督の映画「時をかける少女」は劇場公開から既に41年が経過しています。
私は、2024年4月17日(水曜日)午前10時27分(9:87)に尾道市西久保町の「芳山和子の家」の跡地前にいました。
当時15歳の原田知世さんが演じたのが主人公の「芳山和子」です。
芳山和子は、1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた朝、目の前のテーブルの上に置かれたコップの中に「紅茶」が突然現れたことに驚嘆しました。
日時は忘れてしまいましたが、現実世界を生きるこの私は、尾道市長江一丁目の「タイル小路」を訪問した時に「芳山和子」とまったく同じ体験をしています。
原田知世さん出演場面のロケ地に辿り着いたことを単純に喜んでいた私の目の前に、なんと「福善寺の境内」が何の予告もなく突然現れたからです。
「福善寺」というのは、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」では、平山周吉の妻とみの葬儀が行われた寺院でした。
平山とみを演じた女優さんは東山千榮子さんです。
母とみの突然死を嘆いた三男の平山敬三は、僧侶による読経の最中、式場を離れてぼんやりと境内を眺めます。
信じられないことですが、平山敬三がぼんやり眺めたの目線の先はなんと「タイル小路」の方向だったのです。
え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛っ、驚きました。
な、な、な、なんと、1983年4月に芳山和子が元気に高校へ通った「タイル小路」は、1953年7月に平山敬三が母の突然死を嘆いた「福善寺の境内」と隣り合う地だったのです。
1991年5月11日劇場公開の映画「ふたり」のラストシーンをご存知でしょうか。
北尾実加を演じた石田ひかりさんが制服姿で尾道市東久保町の坂道を「千津子の事故現場」へ向かって登ってくるシーンです。
世間の人々によって広く語られていませんが、実は、このシーンには、今となっては大変貴重である小津安二郎監督が1953年8月にカメラをセットしたポジションがなんと2箇所(!)も含まれています。
【実加が坂下から現れた地点】
ここは、「東京物語」のラストシーンに現れる「尾道市立筒湯小学校」の旧木造校舎を撮影するため小津監督がカメラをセットしたポジションです。
【実加の背後に映り込む「松本病院」の地点】
ここは、「東京物語」のオープニング5カットのうち3番目の尾道の風景を撮影するため小津監督がカメラをセットしたポジションです。
尾美としのりさんが映画「時をかける少女」で演じたのが堀川吾朗です。
吾朗は、どうして不自然に3度も「俺、ションベン行ってくる」と言うのでしょうか。
尾美さんが映画「転校生」で演じた斉藤一夫が御袖天満宮の境内で小便をしたことだけがその理由なのでしょうか。
実は、「俺、ションベン行ってくる」というセリフは、映画「東京物語」で香川京子さんが演じた筒湯小学校教師の平山京子が3つの異なる場面で発した「行って参ります」というセリフのオマージュなんです。
笠智衆さんが演じた平山周吉は、妻とみの葬儀の後、家族との食事の場面で用を足すために席を外しました。
しかし、その回数は1度だけで、しかも、周吉は無言でトイレへ行きました。
しかし、平山京子先生は、勤務先である筒湯小学校へ出勤する都度、何度も何度も「行って参ります」と同一のセリフを繰り返しています。
3つある場面のうち最初の場面では、3回連続で「行って参ります」と家族に告げています。
大林監督は、吾朗に「俺、ションベン行ってくる」と言わせることによって、「尊敬する小津監督の偉大な功績」と「笠智衆さんの演技」と「香川京子さんのセリフ」を自身のフィルムに記録していたのです。