埼玉県小川町区内の鎌倉街道上道が縦断する地域には、多くの庚申塔が残る。特に奈良梨地区は鎌倉街道上道の重要の拠点であり、八和田神社(旧諏訪神社)も鎮座している。庚申信仰はここから広まったと推測している。
庚申塔が多いと言う事は、講中が多いと言う事である。
しいていえば、村の数が多いと言う事に繋がる。
当地区は旗本直轄領が多いため、以前は小さな村単位にわかれていて、
そこに代々の村名主がいた。
徳川幕府により統括管理が円滑にいくように、分割統治された地域である。
一つの村に、最低一つの講中が存在したと言う事であろう。
庚申待ちの日は、一同が集まり勧業や飲食を共にするとの事。
大きな集団では対応が難しいと思う。
今の自治会の情報交換会・親睦会の意味合いも多々あったと思う。
当地区は、かつて養蚕業が盛んだった地域である。
庚申信仰のご利益の最大の目的は、養蚕業であったと推測する。
近くの稲荷神社も養蚕の神として祀られてきた。
北関東の主要産業は、養蚕だった。
やがて富岡製糸場の設立に繋がっていく。
各地区には、宗派は異なるがお寺が存在し、昔からの住民は檀家に
なっている。
現在の住民登録である。
仏教と庚申信仰の区分けはどうだったのであろうか?
庚申信仰は中国伝来の道教の考え方である。
仏教と同じなので何となく折り合いをつけたのであろうか?
仏教と神社は、神仏習合の考えの元、どこの地域もうまく行っている。
神仏習合は神と仏の折り合いである。
折り合いと言う言葉は、大変都合よく、優しく、美しい響きを持つ。
私が一番好きな言葉である。
昔は余り好きではなかったが。
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