中山道六十九次② 自転車で行く 板橋宿~蕨宿 スーツ旅行 切り抜き
[音楽] 板橋塾の江戸川の見つけのところには今は ホーム局とかがあってまた中宿と呼ばれて います1番のど真ん中のところは今板橋区 役所がありますまこの辺りが板橋の中枢と いうわけですさっきあの右手の交番の ところが球道だったんですがあそこから 行ったんですね現在の17号そして首都高 のところを通り抜けまして向こうにまた 球道が続きますここにあったガストは前は スカイラークだったんですがガストになっ たからもう2度と行かないだろうなただ 随分いっぱいお見のようですね町という 雰囲気じゃないですかしかもなんか前より もちょっと新しく綺麗な感じになったね戸 の宿として反映した板橋はその後鉄道の 時代になって板橋に駅を作りますよって話 になった時いやこんなところに東北本線 そんなもん作られたら青森とか遠に行く人 みんなもうここ宿町使わなくなっちゃう じゃないですかそんなもう鉄道なんか引く のは大反対です言って鉄道をここには越さ せないようにして結果人々の流れからです ね今は消えて赤羽にその地位を取って 変わられてしまったとそういう説が誠しか に語られてるんですけど実際にはどうなん ですかね今の東北本線の線路を見ると板橋 の方に鉄道しくてなると山をちょっと登っ たりとかしなきゃいけないからそういう 余地はあんまりなかったんじゃないかなっ て気がしますけどねなんか板橋区民の 負け惜しみじゃねえかなみたいなあの板橋 の人間だから言えることなんですけど しかしだからこそ言えることなんですけど 品川しかり今の人々の忙しい鉄道を使った あの流れそれからねちょっと外れている からこそ昔の宿町の雰囲気を今にこうとめ てくれてるのかもしれないですね昔の中心 中宿にやってきましたこの中宿はですね まっすぐ行ったこっちが引き続き中千道で 次はわびなんですけれども多分この辺りに 川越街道の別れ道があったんじゃないかと 言われておりましてこっちへ行ったところ にですね実際今でも川越街道というのが 続いています次は上板橋塾 です中宿にこんなのがあったんですけど これは古そうだなんだこれ全然知らない けどお米屋さん昔からなんかお米を売る ところだったんですかね大正時代の建物か しかし当時からお米屋さんではあったよう です板の米店っていう名前でどういう由来 なんだろうなと思ったね戦争中ここ板野 食料販売所っていう名前だったらしいん ですけどそういう物資が統制されてた時代 の名残りらしいですねイカと明太を 混ぜ合わせたやつにしました交通費かかっ てない分食事はもういいものにして体力を つけておかないといけませんその後また 少し進んでここで中宿も終わりですそこに 川があります尺川です尺地川にかかるこの 橋を板橋と呼んでいますこれがもちろん 板橋塾そして現在の板橋区の由来です元々 は板を立てかけたような感じの橋だった ようです今はねこんな感じしっかりとした 作りになっていますがやはり元町のがある ということで木目町のスタイルになってい ますちなみにこの橋はですねここでこう いう風に2箇所に分かれているんですが どうしてこんな風なことになってるのかと いうと元々の尺ジーガはここを流れていた んですねシジガすごい打してて昔からです ねもう色々溢れたりとかして相当大変だっ たそうで川を改造してこんなに深くしてね これ増水するとなかなかすごいんすよ ドーっていってね2回ぐらい見たことあり ますけどこれがもうすごい上の方まで濁流 になって何々と来てるみたいな見たこと ありますがオリジナルの板橋はここに かかっていたまさにこれだったわけですね その歴史をみんなに感じてもらいたいので わざわざ橋をこれこういう風に長く設けて いるというわけでしょう今日本橋から2里 半ほど来ましたがまだそれしか来てないの かでも今板橋本町に来ています本町です おば屋さんがあるのはま江戸時代からの 街道文化の名残なんじゃないですかねここ に板橋切っての名所がありますここにエ 切りえのきと呼ばれる木があります立派な えのきの木江戸時代からからここに奪って いたそうですがなんでもどうしても別れ たい男にこの木を切り取ってそして飲ま せると知らないうちにですねうまく飲ま せることに成功すれば相手と無事に別れる ことができるという風に言われていますま 今は別に男女とかそういうのはないのかな あとなんかお酒のこともねお酒を断ち切り たい時も使えるとかそんな風なことが書い てありますけれど江戸時代っていうのは 女性の側から利益する手段はなかった らしいですよね甘さんになるしかないので それもきついという人はもう祈るしかない みたいなま結構過酷な時代だったそうでし てそれでですねこエンキえのきに頼る みたいな文化も生まれていったんだろうと 思い ますとても演技の悪いものですのでこれの 前をですね通るというのも良くないという ことで京都から徳川家持ち第14代将軍に 嫁入りをしに行ったですねえ和宮様の行列 はえこのエンキえのきの前をわざわざ迂回 する道を作って遠回りして避けていったと 呼ばれるほどのすごい名所ですこの縁切り えのきにはそういうわけで縁を切りたい人 たちが書いくエマコーナーがあるんです けど今はこういう感じで新しくやり方が 変わったんですね情報保護シールっての 貼ってそれでみんなやるみたいだから撮影 しても問題ないでしょこれね前はもう やばかったんですこの書き込み法律に 触れるんじゃないかみたいなあのちょ やばい書き込みの中にはあるんです ともかくねちょっとここに個人情報保護 シールを貼ってない方もねそれなりにおら れましたけど結構あの病気が病気と縁が 切れますようにとかそういうねいい感じの ことを書いいらっしゃる方もおられるさあ それでは板橋塾もこの辺で終わり中千道で 東京都内唯一かつ最後の宿場が終わります 次は中仙道第2番埼玉県わび宿です板橋宿 を出るとこのようにまた国道17号と合流 しますこの辺りでは片側3車線立派な道路 ですこの辺の道が改良されたのは関東大 震災の後昭和8年のことだそうです大体ね こういう風にあの道とかがどんどん良く なってくのは昭和のの前期とか対象の 終わりぐらい震災とかそういうのがあった 後ぐらいなんですよね全国的にそんな傾向 にありますこの大きなえのきの木は江戸 時代の頃からのものなんじゃないですか一 リというのは広亭みたいなものでしてま 普通に17号行っていても日本橋から 13kmとかさっきちょうどあったところ なんですけれど多分江戸からこれで サンリーなんでしょうね今ねでその目印と してこういう風に立てていたものですただ の看板ではなくもっとしっかりとしたもの を立ててこれで例えば貨物運賃の計算とか に使っていたらしいですここが日本橋から 3里目になるわけですからまもうすでに今 まで2回一立塚があった場所を通過しては 来ていたんですけどそんな中ここは両側 ともちゃんと残っていますいやすごいこと ですよね書いてあります昭和8年から行わ れた新中仙道の工事の際にえ周囲に石積み がなされて土砂の流出を防ぐ工事が施され て保全され現在に至っていますこんな立派 な保全工事を昭和の一桁年代にやってたん ですねただ一里塚ってのは土をこう山盛に してあるんですで実際確かにあそここう やって見ると山盛になってることは分かる んですけども立塚っぽくはないですね山の 形をしてないですからこうやって周りを 固めてありますん でともかく再 出発今そ言ってる中でですね横を通過した のが都営地下鉄の志村坂駅でしたが地域で はこの辺り板橋中央病院周辺を坂上と呼ん でいますこの先ですね下り坂が続いてい ましてこれより先を咲かしたと呼びます ここに新しく立派な中天道ができたのは やはり昭和8年以降のことだそうでえ昔は こっちの道を通っていたわけですがこれ より先が中千道最初の南緒清水坂という 呼び方でいいと思いますこの左側です ね何色つてもねまこの辺確かに坂は急なん ですよただこんな言うほどかみたいないつ もま疑問には思ってるんですが正直南緒と 呼ぶのかどうかはなんとも言えないんじゃ ないかとは思うんですけど難しいことは 確かです道順が難しいこにちょうどね解説 書けがありました中仙道の最初の南緒と 言われた急坂です云々かんぬん富士山こっ から見えるとかねそんな風なことも書いて ありましたでもやっぱこんだけですよ急な 坂道はねこれから先の戸田の私の方が よっぽど南緒だったんじゃないですかね 板橋は鉄道が貧弱なんですがそれに対して 道路はかなり充実していまして神奈カパと 川野街道それからこの国道17号とかね 一子も色々たくさん通っていますだから 信号を渡るのが少々面倒くさいということ もありますここに高島通りがありまして この左に進むとまカトリーロードつかね僕 が生まれたところへ行くんですけど2日 ぐらい前にも行ったからな別にそんなに 行きたいとは思いません高島平というのは 江戸時代の役人の高島周という人がえそこ で大砲の訓練をやったということでそれで えその人の名前名をって高島平なんですが まそんぐらい何もないということですね 大砲の訓練やっただけでそんな名前になん のかよっていうのと台の訓練できるぐらい だから周りに壊れるようなものが何も なかったんだろうなということが簡単に 想像できる田舎臭い名前 ですそしてもうこっから埼玉県との県会 まで1kmぐらいしかないわけですよね さあ行きましょうこの街が東京都で最後 です船にやってきましたこれより先は埼玉 県との県の区間戸田の渡に入りますこれ から先埼玉県との県荒川を通過します昔も 戸田の私ということでそこを超えていまし たが昔の荒川戸田川とえ今の荒川とでは 全く様子が異なっていますのでちょっと 寄り道をしてですね昔の荒川の様子が感じ られるところをやってきまし た今右手に板橋で1番高い高層建築超高 建築ですね板橋のねえこれアイタワーと 呼ばれるえタワーマンション ですでやってきましたの は浮間公園ですねあ新緑が綺麗じゃない ですかこれが浮間公園の名所浮間池 ですこんな風車があってですね人が大勢 釣りなど楽しんでいます鳥を見に来る人 などがここで大勢いるような憩いの公園 ですがこの池は元々荒川でした荒川は非常 に打しておりましてもううねうねうねうね あちゃこっちちゃということをやってまし てえそして増水すると水が速やかに流れ きらずドバっと周りに溢れて大変な被害を 及ぼしていましたやあまりにもひどかった ので退場時代から昭和ぐらいにかけて打し た荒川を一気に改良し直線化してえ周りに 打していた荒川の名残りをこういう風に ポツポツと残すという状態になりました 多分昔のもうこれより完全に江戸の外だな と感じさせるような荒川当時の戸田の私 そそうこんな感じのところを船で行ってい たんじゃないですかね今ちょうどこんな 感じでかつがねさえてますよ綺麗です 東海道に対する中仙道は京都までえ 40kmぐらいかな距離がね余計に長いの でじゃあ東海道で行くじゃんか思いきは 中仙道を使う人もこれまた意外と多かった のです昔は確実に荒川包であったその場所 を通って対岸へ渡れる場所を目指します この対岸の浮間はかつておそらく埼玉県の 戸田村だったんだと思いますが現在は東京 都北となっています現在反対側の田はこの の上へ上がっていく必要がありますこれが 戸田橋です奥に煙突がいくつか見えます今 はもうやめちゃったんだったかな日本製鉄 の工場があって船は工業の街として知られ ていましたそしてついに上がってきました それから荒川 です右手は東北新幹線山びこつばさ 号新幹線と一緒に渡ることができるこの 戸田橋を渡って埼玉県に入ります 戦争始める前にはこんなに立派な土木工事 を全部終わらせてしまったっていうだから すごいですよね今日はいいお天気で向こう にですね山のもこのようにかなりくっきり と見えますなんかあっちが秩父の山だとか 教わりましたねあなんだ富士山も見える じゃないですかまだこの時間であっても 見えまし た江戸時代の人たちもやはり中仙道からの 富士山を見て旅を楽しんだよう です 中千道戸田の私田仙場跡と書いてあり ますこの右手にね水神社水神社と書いた 神社がありましてまこう横をちらりとミル にとめようと思いますが多分中仙道の旅を する人が安全に虎を渡れるようにお祈りし ていくようなとこだったんでしょうねこれ より引き続き旧中道埼玉県側には当たると 中仙道は2車線の普通の道路になって しまいますでも通行量はとても多いので よく気をつけないといけないですね少し 怖いですよ中千道は東海道と比べると結構 ね道はもう元からの道をそのまんまずっと 国道17号がたせたりしてま分かりやすい ですけどもその代わり信号が多くて今の ところはま多分ねもうずっと高崎ぐらい まではそんな調子だと思うんですよま本領 発揮は木街道の異名も持っている長野県内 に入ってからということになるでしょう ね69次の第2番わび宿に到着 [音楽] ですこの石も奥のやつももちろん新しい ものですけどわびは随分宿場の雰囲気を 残そうと頑張ってるみたいだな板橋も 頑張ってましたけどねこ立派な大きみたい なものまであっ て宿場の中に入ると道の色が茶色に塗られ ていますちなみに僕は日本橋からこのわび まではですね全部どの道も1回は最低走っ たことがあるというところだった見知った ところだったんですがこれから先が本当の 発災権ということになりますワラビはいい とこですね前来たのは夜だったからな遠藤 には五福屋さんやらう屋さんややらお菓屋 さんやら江戸時代の中仙道の宿場に欠かさ ずあったであろうものが色々並んでい ますこのワビの名物は実はウナギで昔は この辺でウナギが取れたそうですねワビと 浦和の2箇所では珍しくウギがウナギが 食べられるしまたこれから先中線道中で ウナギを食べる機会が全くないのでウナギ 大好きな江子が最後に食べていったと言い ますわらび塾の本陣一番立派な旅館ですね 大名とかそういう人しか止まらないような 本人ががこの辺りにあったそうですがどこ か ないやあったあったあのねこれが見たかっ たんですけどもまここ分かりますか向こう からねずっとこういう感じでなんか溝 みたいのがあるじゃないですかでこれは あの下が水路になっているところを上から 蓋しているだけみたいなんですがあの わらび塾というのはねすご珍しいところで 街中にこういう水路が細かくめぐらして あったそうです昔のわびはでそれでここ これがね僕見たかったものなんですけど この門のところにバーンと板がね立てかけ てありますで今はもう使うことはないと 思うんですがこの長さを見るとこれがこう いったらこっちにどうなんですかね多分 ギリギリ届くんじゃないかと思うんです けど要するにこの水路のところをこう渡っ て入るための板なんですよね街中がこう いう風な仕組みになっていてわらび塾に 立ち入るためにもどこかのこの橋を渡ら ないと宿場の中に入れないみたいな感じ だったらしいんですが夜になるとなんか 全部上がっちゃってね街の中に入るのは とても困難になったとかいう話です非常に 変わったところこれはもしもその本人の この裏とかに住んでる泊まってる人とかに ねなんかあった時にはこれをバンとこう 落としてなんか出ていくためだったんじゃ ないかとかそういう話もあるそうです今 ちょっと調べたんですけどねこの板相当 貴重なものみたいですよなんかここが前に 火災に見れてしまったことがあったらしい んですがその時にこの金具とかこの板とか をですねもうダメだこれまでだと消化とか 一生懸命やったらしいんですけれども まずいとなったのでえこれだけはせめて 守ろうと言ってねこれを持って逃げたと いうことが昔あったそうですそうすると やっぱ江戸時代ぐらいからのものとかに なるんですかねそんなに古いものがこう こんなに綺麗に残ってんのそんな素敵な わらびの街の宝物を見ましてもう平型の 見つけは過ぎました次は中千道3番目の 宿場浦和でござい [音楽] ます [音楽] [音楽] 8 [音楽] 3 JA
視聴ありがとうございます。チャンネル登録していただけルと助かります。
2021年現在 現在と異なる内容がありますのでご了承ください。
元の動画(スーツ旅行チャンネル):https://www.youtube.com/watch?v=vWvbdANY5k8
参考資料:スーツ旅行チャンネルコメント欄様(勉強になります)
============================================================================
スーツさんのチャンネル
スーツ旅行チャンネル:https://bit.ly/39j8H09
スーツ交通チャンネル:https://bit.ly/3dzDc5i
スーツ車窓チャンネル:https://bit.ly/3k0ZKit
スーツホテル:https://youtube.com/@SuitHotel
□Twitter→https://twitter.com/usiuna7991
□Instagram→https://www.instagram.com/suit_ryoko_…
🐧スーツさんの運営側の方には、連絡入れて、作成の許可は頂いております。
===============================================================================
#スーツ旅行#切り抜き#日本語幕付き#自転車旅#歴史#寄り道旅#中山道六十九次#解説