中山道六十九次⑥ 自転車で行く 熊谷宿~深谷宿 スーツ旅行 切り抜き
[音楽]
ここら辺がね熊谷宿の江戸方の見つけだと
いうことでしてこっから宿場の中久々の
国道17号沿に出ましたうん立派なマ涙
行けるだけ本当に今日は雨が降るという
ことだから早く行くにこしたことはない
なんか元気の出るものも食べなきゃね何か
見つかったらば食べることにしましょう朝
7時だから店はやっててもおかしくない
ですが街はなんかモの殻みたいな深夜
みたいな人の少なさだ全然人と合わない
やっぱみなまだ寝てるんすかねそんなこと
ない僕だけだよなそんなしょっちゅう
この熊谷の地名の読み方ですけれども熊谷
と熊谷ま2種類のアクセントがあるわけ
ですがえ地元では熊谷と呼ばれているそう
です大体ね2種類のアクセントがあって
ニュースでの読み方と現地での呼び方が
違う場合はねあのアクセントがない読み方
になることが多いですね他には姫路とか
大分あとはえ前橋あたりもそうかな
ニュースだとね前橋大分えそれから
あと姫路そういう読み方をしますけど九州
の文字とかもそうですかね文字と文字と2
種あります
ねここでまた国道を離れて球道の方に
分け入ります中千道はこの右手になるん
ですけれども残念ながらここで途切れて
しまっています
中千道の土地がですね熊谷の町の代表する
大きなデパートこのヤギフックさんという
んですけどまこのデパートに買われて
しまっておりましてえここを通ることが
できないわけです八橋と書いてあります
ね昔のね中仙道の三筋はここだったそう
ですよ今もこのデパートの中に中千道を
再現して作ってあるそうでして実際には
デパートの店内という形で営業時間内には
ねここを通り抜けることできるそうです
これですね江戸時代ここに中道が通ってい
ました東海道共に江戸京都を結ぶ重要な
街道5海道の1つに当たりますこの道の方
へ抜けるじゃないです
かでデパートの裏へぐるり回り込みますと
ちょうどこの裏手のところがこうなってる
わけですがさっきの反対側ですここから
そのまま旧中道に続いているわけですだ
から昔のはこのデパートの新設でちゃんと
残してくれているわけですまやっぱり地域
のシンボルという存在ですからまそういう
のをねちゃんとやっていこうっていうのを
考えてくれるデパートってはいいとこだな
と思いますよあんまりデパートで買い物し
ないけど非常に大きな町なんですが昭和
20年に残念ながら大空Myがありまして
街の大だった昔の雰囲気を留めるものは
もうほとんどが燃えてしまったそう
です道の感じとかとてもよく残ってます
けどねそしてもうですね熊谷宿は過ぎてい
たみたいですさっきの八木橋さんのねえ
デパートの前の過ぎたぐらいのところでえ
もう終わっておりまして中千道次は9番目
深谷宿ということになりますえ1つの宿場
の感覚が2kmぐらいなのかな平均があ
あの2gぐらいなのかなま88kmぐらい
あるのでそう簡単な道のりではないんです
よ
ね久々の国道17号の走行日本橋とかね
板橋内とか
あの辺と比べると随分感じが変わってき
ましたこれパチンコ屋さんの看板を見つけ
たんですけどもパが壊れちゃってますね
こういうのたまにあるんですよでパチンコ
屋の看板ってなんかパだけが壊れたりとか
消えたりとかしがちだと話を聞いててそう
なのかと思ってたんですけど実際にはそう
じゃなくてあのパが消えると面白いから
そればっかりがいろんな人の間で伝わっ
たり注目されたりして切れがちだという
ようなねネットの記事もありましたよ今
深谷市内に入ったようですただま熊谷から
深谷までの間特に気づくようなものはない
ですね中仙道も多分こういう松並駅とか
あったと思うんすよねどうもくしゃみが
出るようになったんで花粉症の薬飲んでき
ましょう
ねあ状況もあるの
でくしゃみつったらねさすがにマスクして
ても多少末が飛ぶはずですから
こっちにはまたなんかすごい松もあるな
もうほとんどお家にこ寄り添ってるじゃ
ないかもうこの建物に支えられて生きるの
も時間の問題だなという気がしますけど
伸びたら切るんでしょうねそっちどうやっ
てんだろうな不思議だ松の分かってんのか
なこっちに枝伸ばしても意味ないなみたい
なそんな風に松を見ていたらですねなんか
石があるなとっ見ると見返りの松と書いて
ありますこれですねここにね大きな松の木
が元々あ多分江戸時代のものだったんだと
思うんですけどそれがあの旅人が深谷宿を
名残り押しそうに振り返るあ深やいい
ところだったなと振り返ってえ見る光景に
似ているので見返りのマスと呼んでいた
そうですちなみにここにはやっぱりね元々
他に松の並木があったそうですで深谷並木
という風になってるんですけどもほとんど
はもう今このように残っていませ
ん今の松田の中を抜けてきた旧中道が
こちら国道17号に改められたのは昭和
28年のことだそうです最初はまだじ道
舗装なんかされていなかったそうです
ね右手には深谷第一高校とありますレガの
入り口が立派深谷はレガの町です立派な
常野灯がありますねこれは江戸時代に作ら
れたものだそうです江戸時代の終わり頃の
ものこれより先が中仙道の9番目深谷宿で
ござい
ます
[音楽]
そのちょうど深谷宿の入口の境界線となる
ようなところにですね細い道があり
ます自転車と歩行車の専用の道になってい
ますちょっと中仙道から外れて少し入って
み
ましょうこれはもうね見慣れている方だっ
たらばパッと見て1であるでしょうあこれ
は鉄道の配線の後だわこの線路後まっすぐ
進んでいきますとJRの深谷駅のところに
達し
ますこの深谷は日本で初めてレガを作り
始めた町もう明治時代以降は日本のレガで
まず最初は発展していったわけですけども
そのレガの工場と国鉄の深谷駅を連絡する
ための配線の後まそれがここというわけ
です戻ることにしましょう
ねこの深谷は他にも沢あ間違えました渋沢
Aの出身士として最近はね特に有名になっ
てるところかと思いますがレガやら渋沢
やら近代日本を進めてたま中仙道なき後の
日本の言動力となった街の1つなんですね
ま江戸時代にも結構活躍していたところだ
そうでしてかなり大規模なところだった
そうですまず日本橋を立ってえ2回目の夜
がですね大体この深谷で迎えるってことが
多かったそうでしてちょうど距離的に上尾
桶川ありから来るとここに到着すという
ことになってたんでしょう深谷の宿場は
場所が良かったというだけではなくお隣の
熊谷があの城下町とそれから反の制作に
よってかなり空気の取り締まりが厳しくて
ですねえ随分堅苦しいところだったので
止まるんなら深谷までは行きたいよねそれ
か本上かみたいなそういう風な乗りでね
みんなこっちの方好んだようです
ねまだ空いていませんけどお米屋さんが
ありまして古るそうな倉がありますがこれ
もレンガ作りですね隣もレガだ
地元で作っててば輸送費もかからないし
安く作れるでしょうから昭和ぐらいになる
と深谷よりももっと人が多く集まるような
駅大きな町みたいながま周りに多少はあっ
たんですねでそれでじゃあそっちの方に
急行列車止めてほしいなと思ったら深谷に
いち早く急行列車が止まったりとかしてね
えなんでここ差し置いて深谷なんですか
みたいなそういうよながあってでそれは
地元の国会議員の人が国鉄に対して
働きかけたからだとかそういう風に言われ
ています右手には金島という旅館がある
けど相当なんか歴史がありそうだな深谷
名物の深谷ネギを使った鴨鍋カモすきカモ
ですね明治店の5急速の地ってあの右奥の
看板に書いてありますねまだ鉄道が開通
する前に明治天皇が北陸に良行したことが
あってでその時にですねえここに休んだと
いうことですからすごいですね創業170
年で江戸時代からやっぱりやっている二子
だとそういう風に書いてありましたよ建物
は当時のものとは違いますけどここまで来
られたらあそこ止まらしてもらえたら
面白かったな左手もまた立派だよこれ
こんなレガの倉がありますまさにレガの街
深谷という感じそのイメージぴったりです
親切に案内書きまでこう書いてくれてい
ます天方元年創業そうです
か今の見積もりでは何億円もこのレンガの
クを作るのにかかるだろうという風に言わ
れているそうです
ま燃料屋さんみたいでそれをやっぱり防火
を防ぐためにはレガがいいと考えたと書い
てあります価格整理事業で壊しちゃうかも
しれないのであそうなんですか明治40年
にこの建物ができたそう
です素敵なものを見せていただいたな倉の
入口が空いてましたんで中も空いてる
ところから覗いたんですけどいやすごかっ
たですよ道が広くなるのは自転車乗る人間
としては非常にありがたいです
けどやっぱ街の雰囲気も変わっちゃいます
ねこれはなんかレガ少し傷んでいるような
感じがしますが多分傷んでいるレガを買
うってことができるらしいんですよそれで
新しく作った新しいお家ではないですかね
向こう側もかやあそこが伊勢屋ここも
伊勢屋だ江戸時代にやっていたお店らしい
名前です大体その地方から来るんですよね
え別の地方に行ってそこで営業すると自分
の場所え自分の出身の場所のね名前をつけ
たりするわけです
そんでねあっちはお風呂屋さんみたいお
風呂屋さんの煙突がありますけどすごい
ですねこれも
またあ中には入ることはできないように
なってるみたいですけど何やらプレートが
ついてるわ埼玉県に指定された景観重要
建造物そういうのあるんですねこれはお
風呂屋さんではないですね酒屋さんみたい
な感じかな元々何をしてたんだろうなあの
ちゃんと勉強したの奥で喋ることになり
ますがえ明治時代にこの深谷がどうして
レンガの町になったのかというとま
おそらくですね高崎線が存在していたから
ではないかと思いますこの中仙道とずっと
並行して走っている高崎線で昨日も大宮で
言いましたように日本の他の鉄道ともです
ね随分先駆けてえ名時17年にはもう上野
から高崎までが完成していたそうですでえ
なんでそんなに高崎線古からできていたの
かこれもまたに日本の発展の経緯と関係し
ているんですがあのこのレガとかそれから
ま他にもそうですけど色ものを新しくする
え日本を近代化するためには外国の技術を
どんどん導入しなきゃいけなかったんです
がそのためには雇い外国人とか外交の機械
を買ったりとかえ外貨を獲得しなければ
いけません明治初期の技術力の飛行日本
から買うようなものなんてが大してないん
ですよねでそんな中で外国から買って
もらえそうなものがえ解雇を育てて作る
絹糸だったわけですさっきもねちょうど
荒川のところでえ殺されてしまった木商人
の話をしましたけどもあの喋る蔵さんの
ところです話しましたが元々群馬県あたり
は昨の生産が大変盛でしたのでえそこで
ですねじゃあこれらということでえ運搬
するために高崎線を作りその恩恵をこの
深谷も受けていたということでしょう
なんかすごいところがありますねこれ入っ
ていいのかな映画館映画館か映画館だから
映画見る人じゃなきゃ入れないよな
ちょっと映画見ていく時間がないんですよ
ねえすごいなこれここはね元から映画館と
してやっていたわけではなくてえ坂をして
それで映画館にしたらしいんですけど
向こうは多分撮影用のセットとかなん
でしょうね今はねの元からあった建物を
使っているんじゃないですか酒場とか薬局
とか書いてあるから今も愛される深谷の
名物レンガですがしかし残念ながら現在は
もう作られていません今からね15年ほど
前のことらしいんですがえ2006年かな
えそん時にですねここにあったレンガの
製造会社え日本レガ製造だったと思います
がえもう会社を解散してしまいましたま
倒産とか破産というよりはもう見込みが
ないからやめようということになったん
でしょう
ね今はなくなってしまったレガの工場です
がしかし近代日本の利税を築きそしてそれ
が今でも活躍しています
Wikipediaに書いてあったのその
まま読んでるだけなんですけどもえここ
までの中線道中でもですねえ慢性橋高架橋
これはあれですねあの昨日中先度初日に
もうスタートしてすぐに通過したえ翔平橋
の辺りの中央線の高架とかですねえそれ
からあとは東京大学ここまで通りました中
には入ってませんが東台の中にもここの
レガを使って作ったものがあるそうです
それから明日薄井峠群馬県と長野県の県境
のところへ行く予定ですがえそこのレガの
構造物もやはりこの深谷のものを使った
そう
ですこの深谷の町で今の東京の基礎その
材料ができたというわけですよ
ねさあそれでは右手にまたこんな立派な
常野灯があります1840年の4月に建て
られたと書いてありますかなり古い江戸
時代のものですねこれで深谷宿は終わり
やっぱり宿場の外にやると道がちょっと
曲がりくねるようですねさあ次は中仙道の
10番目そして中線道中で最大の宿場で
ありました次の宿場は本城宿
[音楽]
です
[音楽]
あ
[音楽]
O
視聴ありがとうございます。チャンネル登録していただけルと助かります。
2021年現在 現在と異なる内容がありますのでご了承ください。
元の動画(スーツ旅行チャンネル):https://www.youtube.com/watch?v=1ZB68H3-mHA&t=1470s
参考資料:スーツ旅行チャンネルコメント欄様(勉強になります)
============================================================================
スーツさんのチャンネル
スーツ旅行チャンネル:https://bit.ly/39j8H09
スーツ交通チャンネル:https://bit.ly/3dzDc5i
スーツ車窓チャンネル:https://bit.ly/3k0ZKit
スーツホテル:https://youtube.com/@SuitHotel
□Twitter→https://twitter.com/usiuna7991
□Instagram→https://www.instagram.com/suit_ryoko_…
🐧スーツさんの運営側の方には、連絡入れて、作成の許可は頂いております。
===============================================================================
#スーツ旅行#切り抜き#日本語幕付き#自転車旅#歴史#寄り道旅#中山道六十九次#解説