③明治時代の手話 〜ろう歴史シリーズ〜
3回目は、明治時代の手話です。 明治時代の手話を検証するには どうすればよいのでしょうか? タイムマシンですか? それはムリですね。 なんとその史料はあるんですよ。 『聾唖教授手話法』という名の書籍が残っているのです。 鹿児島県立図書館に所蔵されています。 その本は、1909(明治42)年に発行されました。 ですが、惜しいことに「再版」の形で発行されています。 「初版」は、1902(明治35)年に 発行されているようですが、 現物は見つかっていません。 初版から研究していく方が、手話の変遷や比較検証が しやすくなるのですが…。 今回は、現存する再版の史料を元に解説していきますね。 発行元は、私立鹿児島盲唖学校印刷科です。 B6サイズの大きさで、58ページの薄い史料ですが、 手話が単語や説明で掲載された貴重なものです。 編集者は、なんと女性です! 佐土原 すゑ(さどばる すえ)という方が編集されたのです。 最初の検証では、鹿児島の名家に生まれた女性だろうと 思っていたのですが、実際には違っていました。 佐土原とは、夫の氏だったのです。 鹿児島県国分というところの出身者でした。 彼は警察官で、東京で勤務していたときに 結婚したということです。 奥さん(すゑ)は、東京出身だったのです。 私はえらい勘違いをしてしまいました 彼らが結婚した後、すゑは東京盲唖学校に勤務することに なりました。 1899(明治32)年から1年間、 勤務していたという記録があります。 おそらく彼女はきれいな方だったのでしょうか。 そのため、ろう者の先生からよく言い寄られていたそうです。 吉川金造や江島安之助、同窓会初代会長をつとめた 片桐貞吉といった方々です。 どんな時代も、男女のウワサに憶測はつきものですね。 すゑは、一生懸命東京盲唖学校で勤務されていたのですが、 残念なことに夫が肺結核に罹ってしまいました。 夫の静養のために、すゑは退職、夫婦で鹿児島へ移ります。 ですが、間もなくして夫は亡くなってしまいました。 悲しみに暮れたすゑは、自殺を考えたのですが、 気を取り直して 鹿児島市でろう児のための学校を創設しようと 決意したのです。 そうして佐土原聾学校が開校されました。 教育方法がまだはっきりしない時代のことです。 すゑは、ろう児を教育するための手引きを作成しました。 鹿児島出身のろう者、伊集院キクという女性が 京都盲唖院で学んで卒業されていました。 すゑは、キクを誘って共同でろう児の教育に携わりました。 ですから、京都の手話と東京の手話が混ざって 普及していったのではないかと推測されるわけです。
『聾唖教授手話法』の目次は、面白い構成になっています。 第一は、数の部として、1,2,3,4、5… が載っています。 第二は、時の部、現在(いま)、明日、昨日などが 載っています。 第三は、貨幣(お金)、すなわち生活の元となるお金ですね。 第四は、色の部。 このようにして目次は、18項目が羅列されています。 当時の教科書に合わせて構成されたのだろうと思われます。 注目すべきなのは、最後の2項目(第一九と第二〇) があって、第一九は形容詞となっています。 第二〇には、日常生活に関する単語が載っています。 ろう者が日常使う手話単語は、 史料の最後に掲載されています。 現在の手話の本とは、あべこべの構成になっていますね。 要するに、自然に覚えられる手話はあとまわしでよいと。 ろう者と会話すれば自然に覚えられるから、 わざわざ最初の章で掲載する必要はないと 考えられたのでしょうか。 難しい単語から教えていこうという方針が見えてきます。 それでは、史料の掲載内容を紹介します。 「今日」 これは第二 時の部に掲載されています。 この手話は、手のひらを下に向け 一、二度押さえ打つように表します。 いまの手話とはほぼ同じ表現ですよね。 明治時代から変化することなくずっと同じ表現に なっていたということです。 「この頃」 今はこのように表現しますね。 明治時代は違っていたようです。 右手を右肩の上で、前を向けた後すぐに後ろを向けて (前後を押すように)表します。 前は未来を、後ろは過去を示しているので、その間をとって これを「この頃(最近)」としている訳ですね。 現在は、形が変わってこのように「最近」と表しますね。 昔は、前と後ろを指していました。 このように手話は、語彙的変化していたことが わかりますね。 「色」 今はこのように表現しますね。 昔は、右手の親指と他の指をこすり合わせるように表して いました。 今の「お金」と同じ表現ですね。 私は、なぜこのように表現するのか、不思議で たまりませんでした。 いろいろ聞いたり調べたりしたところ、 一つわかることがありました。 昔は、色(インク)は自分で加工することが多かったと 言います。 素材を触ることで色の違いを判断していたとのことです。 その仕草が手話となって語り伝えられたのでしょう。 今でいえば、もう「お金」と理解しますよね! 「水」 今はこのように表現しますね。 つるべ(井戸)を引き上げて水を飲む仕草になっていました。 昔の日本社会を思い浮かべることができますね。 そのままずっとこの手話が継承されてきた場合、 お腹を壊す(O157)とかの事態になってしまいます。
そうしたことを想定してか、同窓会などで 井戸のつるべを引き上げるという手話は禁止されました。 蛇口をひねる→水を出す→コップで飲む。 という手話に置き換えられました。 やがて、蛇口をひねる→水を出す→コップで飲む。 の3つの単語がそれぞれ独立したの手話にもなりました。 手話というのは、時代とともに発展していくものなのです。 「魚」 これは独特の表現になっていますね。 両手をヒレとみなして水を掻くように表現します。 小学生にはなじみのある手話だろうと思います。 ですが、大人にとってはちょっと 恥ずかしい表現かもしれません。 子どもが池とかで魚を観察するとき、その仕草を そのまま真似たのがこの手話になったのでしょう。 ここでポイントは、この文章に 「又」が入っているところです。 つまりは、もうひとつの表現法があるということですね。 魚の背中をこの手の形にして、 このように泳ぐ仕草を示します。 着目すべき点は、この親指がヒレの形をしていますね。 手の甲は魚の頭の堅い部分を表しています。 指先は尾びれになって、このように泳がせる仕草をします。 これが「魚」の本来の手話になります。 ですが、子どもというのは手が短くて体もまだ硬いですね。 頭の中では、大人の魚の手話を理解できているのですが、 体が言うことを聞かない。 左から右へと泳がせる手話ができなくて、つい右から左へと 表現してしまうのですね。 表現しやすい手話がそのまま継承されて、いまは 「魚」をこのように表現しているわけですね。 このような魚と似たような表現の例として、 「自転車」があります。 手の形がペダルを漕ぐ仕草になっていますが、本来なら 脚そのものでペダルを漕ぐのですがムリがありますね。 自転車もそうですが、擬態で魚を表現していると いうことですね。 「ご苦労」 今も変わらない表現となっています。 遠いところからご苦労様でした。という風に表しますね。 ですが、足労の場合は「足を叩く」と書いてあります。 昔の日本の風習として家には畳があります。 遠くから来客があった場合、玄関で「ご苦労」とは 言いませんよね。 タオルとかを出して足を洗ってもらい、家内へ案内する。 畳の上で向き合って座ってから、足を叩いて「ご苦労」と あいさつしていたのではないでしょうか。 そうした事例があることでわざわざ カッコ付きで説明しています。 今の日本では、こうした風習はあまりないので面白いなと 思いました。 今までお話ししたように、目次や内容はユニークなものに なっています。 この手引きを読む人は誰でしょうか。 聴者の先生方が読むことを前提に作られた本であることが 理解できます。
当時は、ろう児に正しい手話を教えることが先生にとって 究極の命題であったと思われます。 そのためには、まず先生が正しく手話を覚える必要がある。 この手引きをしっかり読んで手話を勉強していたのでしょう。 そうして翌日、生徒に手話で教科を教えていきます。 ですが、生徒に「先生の手話は間違っている」とか言われて ガッカリすることもあったのでしょうね。 一方で、ろう児は毎日新しい手話を多く編み出していきます。 先生に新しい手話を披露しては、先生は、苦労しながら その手話を覚えたり日本語に残したりしました。 先生の悩みとして、新しい手話を覚えるのが大変だったと 日記に書かれることもありました。 それほど、当時のろう児は積極的だったのでしょうね。 あらためて考えてみると、 1880(明治13)年に楽善会訓盲院が 東京に開校してから、20年後にこの手話の本が生まれました。 この20年間に新しい手話がどんどん開発されて、 それらを整理して編集されたものを授業に活かしていきます。 こうした教育の仕組みができたことは、 日本としてすごいことだったと思います。 ろう児だけではなく、聴者の教師も かなり努力されたことでしょう。 このような手話の発展は、京都でも みられたのだろうと思います。 東京と京都の盲唖学校が先駆となって、そこから教師が 日本あちこちの聾唖学校に招聘されてきました。 こうして手話が全国的に普及していきました。 東京独自の手話、京都独自の手話が伝播していき、 さらにはこれらの手話が融合されて 地域特有の手話が発展しました。 こうして日本手話として発展してきたという歴史があります。
お待たせしました!ろう歴史シリーズ第三弾!
今回はご待望の手話ネタ!「明治時代の手話」がテーマです!
明治時代から現代に至るまで、手話がどのように変遷していったのか?
それが垣間見える貴重な資料とともに、ろう歴史研究家の野呂さんが解説します。
・チャプター
00:00:16 – 『聾唖教授手話法』
00:03:22 – 聾唖教授手話法の構成
00:08:26 – この本から理解できること
※日本手話から書き起こした日本語の字幕があります。
必要な方は、YouTubeの字幕機能をオンにして見てください◎
・バックナンバー
①ろう教育のはじまり https://www.youtube.com/watch?v=mKi_dpwLS1g
②戦前のろう教育と同窓会 https://www.youtube.com/watch?v=2UC6pgPqOjw
▷他のコラムはここでも見れるよ!
https://signs.io/ja/columns
サインアイオー
https://signs.io/
■公式ブログ – https://blog.signs.io/
■Instagram – https://www.instagram.com/signs.io/
■Facebook – https://www.facebook.com/signs.io/
■X (Twitter) – https://twitter.com/signs_io
#サインアイオー
#手話
#日本手話
#ろう歴史