【TRY AND ERROR リーダーの言葉】コバルト合金の肉盛りスペシャリスト/作曲家・アーティストの2足の草鞋を履く、中村明弘(アキリン)。愛する妻との悲しい別れから這い上がる横濱ストーリー

とにかく 目立ちたがりやっていうか必ず目立つこと をやってたような気がしますね姉の影響で まあ小学校の時スクールバンドっていう ブラスバンド部にマーチングバンドに入っ てましてそこでまトランペットとトロンボ をやらせていただいてま自慢じゃないん ですけどもえ2年連続全国大会に出場し ましてま実はもうすでに小学校から武道館 を経験しおります歌を歌うのが好きで カラオケ大会とかそういう学園祭なんかに は 必ず出てましてまあまり勝はもらったこと ないんですけどとにかくそういう出て人前 で歌うっていうことがもうものすごく 大好きな学生時代でしたね当時あの危ない でかっていうドラマが流行ってましてそれ でなんか横浜を舞台にしたドラマなんです けどもそれでなんか横浜にものすごく憧れ が出始めましてでまだ 全然就職なんか決まってはいないんです けどもとにかく横浜に行きたいっていう 思いがまず最初からそれで就職先 も住所が神奈川県横浜その辺りを中心に 探してましたね [音楽] はい [音楽] Tryand eror [音楽] stor [音楽] RE [音楽] DiRT [音楽] prod [音楽] よ [拍手] [音楽] 青森県の広崎市で生まれましたええ桜の とっても綺麗なとこですね本当にただ あまり小さい頃 はそこまで広崎の美しさというのが最近に なってから気づいたんですけど当時あの 危ないでかっていうドラマが流行ってまし てそれでなんか横浜を舞台にしたドラマな んですけどもそれでなんか横浜に ものすごく憧れが出始めましてでまだ 全然就職なんか決まってはいないんです ですけどもとにかく横浜に行きたいって いう思いがまず最初からそれで就職先 も住所が神奈川県横浜その辺りを中心に

探してましたね はいでまこれ何の運か分からないですけど も私の親戚のおじさんがえま今の会社 に税理士として色々担当してまし てここでま縁あって今の会社にまそこも 住所がね横浜だったということが1番の 決め手なんですけれどもえあもうこれは もう18状況して来た時からもうずっと今 の会社に勤めてましてまちょっと特殊な 業種なんですけれどもその金属部品を 長持ちさせるためのま溶接と言いますか 溶着って私たちは言うんですけども 表面表面上の処理 をもう長持ちさせるためにその特別な金属 を色々ガス溶接なのアーク溶接ま専門的な 言葉になるんですけどもそれをこう肉盛り を肉盛りって言うんですけども金属に金属 を持っていくみたいなそういう特殊なえ 業種なんですけれどもでもかなりいろんな 分野でそれは滝に渡ってええ求められてる ので瀬戸大足そういうところにもはい使わ れてるええ具材ええあとはま原子力だの 火力発電などに使われてるまプラント部品 とかあとはえ造船船のエンジン バルブにの一部にそうた要は耐久性を 上げるためのええに 私たちのコバルト合金というものを肉盛り してるとちょっと特コバルト合金ですええ やっぱそれはやっぱり色々退職性とか耐熱 性あと対魔性とかっていうまほぼ3つの 目的としてえ耐久性を高めるために長持ち させるためにそういうものま部品そのもの の材質を変えるとものすごく高価なものに なってしまうので1部分1番 そういう消耗する部分にそのコバルト合金 というものを肉盛りしておりますはい ちょっと今恥ずかしいんですけどもね若い 頃 なんかまホテルのバーでちょっと1人で かっこつけて飲んでまして今考えるともう 本当に封印したい話なんですけどただそこ である方と出会いましてえそうですね ちょうど私が30過ぎたあたりですか ねその頃立野さんと色々話をしてる中でま もちろん立野さんはの作の死の作品はもう かなりあったんですけどもなかなか曲が ついてなくてですね 結構彼も悩んでましてでなんかふとある時 にじゃあもうそのことちょっと曲つけてみ ないかって言われて そこでちょっと作り始めたのがまず本当の 1番のスタートっていうか最初の段階です ねはいでまあ1曲できてからなんか ちょっとこう自分の中でなんかこう味を味 を閉めたっていうと語弊がありますけども

なんか楽しくなってきましてでどんどん 色々タのさんの死を死に曲をつつけるよう になるてえでいつの間にかなんかこう じゃあそろそろライブでもやるかみたいな 突拍子もない話になりましたね ええ自分の中では最初小さいとこでやるの かななんて思ってたんですけどもでも どうせやるならちょっとある程度のとこ やってみないかなと思ってでそこが川崎 進行会館っていうとこなんですけれども そこはキャパは300人ぐらい入るんです か ねそれでま実際に入ったのは150人 ぐらい半分ぐらいなんです けどそこで何も分からず若のいりじゃない ですけど もそうです ねどっかで聞いたことのあるような耳 なじみがいいというか耳馴染みのある なんかそういうちょっと昭和チックなどこ か 懐かしいイメージでで誰でもこう 口ずさめるような メロディに自然となってますねはいだから 今流行りのような曲は私は今作れないん ですけどもでもやっぱり自分昭和火曜で 育ってきてるのでどうしてもそっち気味に な曲にはなっていきますけどもそれが好き なんですね多分 はいまもちろんま食べていくために やっぱり今の仕事がやっぱりメインなので 正直まだ音楽で食べていけるようなまだ 実力でもないですしそこはちょっとまだ何 とも言えないんですけどだ比率で言うと もちろん うどうでしょう82ぐらい今は多分そうな んですけどもそれ がこの先どうなっていくかは ちょっと今のところまだなんとも 正直分からないですけどもあの私の会社の 取引先に以前務めてたんですね奥さんが それでまうちのなんかはもう随分前から うちの奥さんのことは知てましたはいまだ その頃私まだ20代で全然そういうお客 さんとの付き合いとかっていうのはやって なかったのでただそれがえどれくらい だろう20年ぐらいしてからですかね20 年近く15年ぐらいたまたま私もその上司 の後を継いでその取引先さん とお付き合いすることになったんですけど でたまたまちょっとこう会社同士の飲み会 がありましてまその頃当時はもううちの奥 様はもうやめてたんですけどなんか きっかけで じゃあ呼ぼっかっていう風になりましてで

奥さんを呼んでそこで飲んでなんか息統合 してそれからですねお付合はどのぐらい あったんですか結婚するまええ1年近く ありましたかねあやっぱりお互い私の3つ へだったんですねだから自分が36で彼女 ももう40近かったので やっぱり ちょっとそういう結婚っていうのにうん どうなんでしょう ね慎重になってた部分はあったと思うん ですけどもうんだからそこででもやっぱり 自分の気持ちをにして 結構しつこくしつこくお願いしてはいなん とか結婚することに至ったんですけども式 を上げたのがですね式場はもうこの建物の もう少し裏になるんですけどもはいそこで 結婚式を上げてだからものすごくこの辺り は思い出がとてもありますねこの辺も夜 クリスマスなんかになるとこの辺ね イルミネーションなんかも綺麗だったりし てえよく歩いてましたね はいライブが6月8日だったか なでその1週間後ぐらいに結婚式だったん ですよはいだからその結婚式の前にまず 自分のライブしてる姿を見てもらっ てで今度は結婚式でていうなんかすごく うんあの年は充実した1年だったなって いう気はしますねはいメト向かってそう いう話なんかお互いになんかテレがあって あまりそう いうもらって嬉しかった言葉とかそういう のはないですけども結構恥ずかしがり屋で お互いにあまりこう正直な気持ちは言わ なかったですねライブ見た時は はい まあでも逆にそれがなんかうん言わなくて もなんか通じてるものは感じますけどね はい えっとちょうど結婚して9年目に亡くなっ たんですけど も まあその前色々ありましてです ね2013年か私バイクでちょっと事故 起こしてえちょっとこの顎の骨とかおって で1年ぐらいずっと 色々奥さんにも迷惑かけて色々でも本当 真味になって看病してくれたんですけども で治ってただその翌年にですね今度はうち の奥さんにちょっとガが見つかりまし てもう本当にあの時はもう何とも言えなく てもう真っ暗になっちゃってえもう自分も どうしていいのかわかんなくなったんです けどもだ自分よりもやっぱりなんか奥さん の方がなんか立ち直りが早かったというか 前向きになってたんでああ俺もこうしてや

られねえなと思って一生懸命サポート しようと思ってまそっから 色々2年半3年近くですかね色々共に戦っ ては来ましたけど もま最後はねどうして もえ助けてあげることができなかったん ですけども うん ですねそうなんですよ私の奥さんが 亡くなる1年前にですねタさんも奥様を 亡くされ てでまその時はまうちの奥さんもだいぶ弱 ちょっと体調があまり良くはなかったん ですけども2人であのおつのお葬式の方に 行かしてもらっ てでその帰りですかねまあ車が2人で乗っ ててでパッとこうバックミラーを見たん ですそしたらものすごく綺麗なね虹が出て たんですよああこれは もう奥さんと2人でああ高校さんが見送っ てくれてるんだっていう本当にあれはなん もう本当に涙が出そうになりましたけども はい本当に運命的だなんかえ本当達のさん とはねなんか 境遇が似てると言いますか運命的なものを 感じてますはいうんなん言うですか やっぱり立野さんと は価値観が似てるというか考え方が ものすごく共感する部分があったのでで タツノさんの各死っていうものにすごく 共感があって是非本当に曲をつけてみたい なっていう思いがありまし てだから普通はなんだろうよ曲線曲が先行 して作る方が多いと思いますけど僕の場合 タノさんから塩をもらってその塩を見 なければイメージが浮かばないというか曲 ができないん ですだからやっぱり立野さんの死を見て 自分なりにこうイメージし て作るんですけどそれを気に入ってもらえ た時は本当に嬉しいですね自分がいうより もまずはもう野さんの死なんとか世に 出せればなって思いで曲は作ってますそれ は今でもそうです はい自分たちの作った楽曲がもっと いろんな方に届けられればなと思ってます はい例えばあの立ちさんに歌ってもらい たい まん歌ってもらいたいうんそうですねまあ 立ちひさんに限らずまあ誰か若い人でも 自分たちの楽曲を引き継いでくれるという かま気に入ってもらえて歌ってくれれば 嬉しいですねこれは本当に はい自分たちが作った中で1番自信作と なってる曲があり

ますつの中っていう曲なんで今からこれを 朗読したいと思い ます君の追憶の中 にあの恋はあるのでしょう か青い春の時めきだ からもうすでに消えているの でしょう僕の追憶の中は君ばかり溢れてい ますおかげさえ薄れてるのに会いたくて 仕方ないのです それぞれの幸せを掴んでいたとして もあの夜の君からの 電話受を取れてい たら元気ですか幸せです かぬくもりに包まれて過ごしています かどこにいます か海は見えますか 庭には君の好きな花が咲くの でしょうあ懐かしいですよねここはもうね 中村君とはいもう相当遊びましたよねええ もう大さん橋からねあっちの インターコンチからねこっちの方まで結婚 式私の結婚式上がこの建物のその結婚式に これだけ何十年もお付き合いをさせて いただいて私は出てないんですそれはなん でかかて言うとねちょうど舞台あれはどこ の舞台だったかなでそこん時に私が プロデューサーをねやってたもんですから どうしても出られなくてっていう残念なね 一番来てほしい人が行けなかったねごめん ごめんごめんどうしてもいけないっ てそんなことがありましたね横浜はその くらいなんか思い出のあるとこですからね うんよく遊んだ そうなはいだからこれからはその横浜を 舞台にした歌っていうのもやっぱり ちょっと作っていきたいよねうんそれと 同時にまあのお互いのえ妻がなくなって ますからだからその妻に向けたですね歌と 同時にま横浜 を要は舞台にした歌と共にライブも横浜で やれたらなっていう気持ちはありますねだ からまこのう1年ぐらいやっぱり舞台舞台 っていうかライブやるのには時間かけます からだからやっぱりこれからそういう計画 をしてえ天国にいる妻たちにそうですね 見せてあげようかというような気持ちは今 1番大きいです ね作曲という部門を全て預けてる人です からもう本当に自分にとっては1番もう奥 さんを亡くした後はまその前からそうです けど大事な人ですね一番大事な人でけがい のない作曲がっっていう風なイメージです 普通だったらものすごくなんかこうこっち がこう丁寧に接するはずなんですけどそう いう年の差を感じさせないような方で逆に

タノさんが自分と同じ年齢までこう下がっ てきてくれるというか話を目線を一緒にし てくれ るっていうのがだからでま境遇もね不思議 と同じというのもありまして余計にこう なんかこう新金感本当に兄貴のような存在 でいつも手本にしてはいついてってます 長く長くよろしくよろしく お

コバルト合金の肉盛りスペシャリストと作曲家・アーティストの中村明弘。青森県弘前市出身。学生の頃の日テレ系ドラマ「あぶない刑事」の横浜に憧れ就職も決まらないまま、上京。横濱での出会いは愛する妻と生涯の友人となる仲間との出会い。そして、時がたち、愛する妻との別れ同じ境遇の友人との感動の秘話・失意のどん底から這い上がる、男たちの生き方が天国の妻に届くように願う、人生のストーリーをご覧ください。

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