クールスのはじめ『昭和の苦学生バイカー伝説』 岩城滉一との出会い ハングリーゴッド・クールス 秀光の青春時代

クールスハングリーゴッド秀光バイク好の クールな仲間たちここらでちょっと一愛し 前の話だバイクチームが誕生するきっかけ になったあたりからにしようかまだ俺たち がメジャーデビューする前の話だこれまで のクールスの活動を振り返ってみたいと 思うまずどこから話そうかなクールスと いう1970年高校を卒業した俺は京大学 に入学し大学生活を送っていた普通のこと だけど当時はようやく大学への進学が一般 に広まり始めた頃だった自分の年代で大学 に通っていたなんていうと俺のことお 金持ちのボンボンじゃないかと思う人も いるだろうけど全くそんなことはないうち は治にも裕福だなんて言えない家庭で俺は 中学に入学した頃から新聞配達の アルバイトをして自分の学費と生活費を 稼ぎ出していたボボどこかいわゆる苦学生 ってやつが額がなくて苦労した親父はいつ も俺に学校をちゃんと出てきちんとした 仕事につけと言っていた新聞配達をし ながら大学に通うっているのはなかなか ハードな生活だったよ当時の俺の行動 パターンはこんな感じだ早朝とも深夜とも 言えないような時間から俺の1日は始まる 毎日朝4時過ぎには帰宅十条のアパートを 出て中学入学の時からアルバイトを続けて いる板橋にある新聞の売所へと向かう玄関 開けると外はまだ真っ暗闇だ探りで木を 探し愛車のホンダCB450にエンジンを かけ闇をかき分けバイクを飛ばす売所に ついたら投げ込みチラシを新聞に挟み込み 朝4時半には長官の配達へと出発配達が 終わると授業を受けに八王子のキャンパス へそして授業が終わるとまた板橋の売所に 戻って今度は夕刊の配達だ夕間の配達が 終わったら終わったで俺には夜の活動が 待っている赤坂のディスコに繰り出して 夜中まで仲間とフィーバーだよ帰宅して 就寝するとすぐに次の朝がやってくると いう具合だ意外に思われるかもしれないが 俺は酒を飲まないからビスコ帰りも含めて 全ての移動はバイクだったやったことが ある人は分かると思うが新聞配達っている のは朝早くからなかなかきつい仕事で雨や 雪でも降ったら最悪だどんなに天気が悪く たって長官と夕間1日2回の新聞配達を 休むわけにはいかない土しゃぶりの避難か は雨がっぱを着ていても洋服から下着まで びしょびしょになってしまうんだ雪の避難 かは何度もこのまま新聞を捨てて帰りたい という衝動に駆られたよでもそんなことを したら後で何倍も大変なことになると自分 に言い聞かせて乗り切ったバイクに乗る こと自体が好きだったからいくらきつくて

も中学からずっと新聞配達のバイトを続け てこられたのかもしれないね大学に入学し てしばらくすると俺はもう1つの アルバイトを持ちするようになったそれは 鉄筋屋での鉄筋運びだリスコはさておき 大学と毎日の新聞配達だけでも大変なのに 待食い詰めてるって話だ自分でもよく体が 持ったもんだと思うけど若さにもを言わせ 体力で乗り切っていたんだろうがでもこの 鉄筋を運ぶ仕事がいい筋トレになった トレーニングのためにわざとも血づらく 持ったりしてね体を鍛えながら金を稼げる なんて一石に長だという気持ちでやって いると重いもも軽く感じたよお金を払って までジムで鍛えるより断然の方がいい だろうこれがハングリー精神だよ考え方1 つで辛いことも楽しみに変わるんだこの時 はハードな仕事だったからか住むにお腹が 空いてしまって1日に5食も食べていた しかも1人前足りないからのの弁当も食べ ちゃったりしてねそれが筋肉となってに ついていったそのおかげで当時の俺の腕は まるで塩招きみたいに盛り上がっていた 握力系なんて振り切ってしまう計不能の 握力だよ一との出会い俺が通っていた帝京 大学は入学する3年前にできたばかりで まだ卒業性を出していない親切校だただ からかどうかは分からないが外国人入学生 を積極的に入学させていてキャンパスには 世界中からの留学生がいたクールな格好を してバイクを乗り回しバンドでドラムも 叩いているそんな俺は日本人の学生たち からは浮いた存在だっただから自然と留学 生たちとつむようになっていった アメリカ人大人中国人韓国人フィリピン人 なんかが集まったグループに俺はくわった ガキの頃から働きながら学校に通っていた 俺は他の大学生たちよりも早くから社会し こともあって正直日本人の同級生たが子供 っぽく見えたそのことも留学生グループに 加わった理由の1つだと思うグループにい た対人はアンパンて名前でそれがあだ名で も何でもなく本業がアンパンそいつがまた 悪いやつなんだみんなでよく赤坂の ビブロスに踊りに行ったりしてたんだけど 仲間が喧嘩になった時に拳銃用意しようと してもちろん俺は止めたけど拳銃なんて いくらでも用できるからなんて はた悪いというかずというかさ俺は基地に 入れるから欲しいものがあったら買ってき てやるなんてみんなに触れ回ってるから俺 も欲しいものを頼むわけだよしかも高い金 を払ってるでも米軍基地に入れるなんて 大嘘で種を明かすと日本国内で安くてに 入るルトを持ってただけわれに騙され

て いいに なんも2もある学グプのにたも1人の 日本人それがは一だったうるさく騒いて いるやがいるなというのが第一印象だった けどよく見るとこいつがなかなかの2枚目 でファッションのセンスもい当時はコチ なんてシックで生きなファッションが 流行り始めた頃だったけどやはな ファッションを自然に着こなしていた俺に とってやは気になる存だったがもどうやら 俺を意識しているようだったお互いに生き そうだけど友達になりたいなんて思ってた んじゃないだろうかどちらからともなく 話すようになると趣味が会うことが分かっ ていって人気と応した俺たちはすぐにつむ ようになり学校にも一緒に通った長官を 配達し得るとバイクで中野にある岩の家に 迎えに行く毎日だ玄関のチャイムを鳴らす とやのおふさんが俺を家に招き入れてくれ いつも朝飯をご馳走してくれたのふさんが 作る自製キムチはまさに絶品であまりのう さにやみつきになってしまったその自製の キムチと一緒に炊きたてのご飯を食べるの が俺の毎朝の楽しみだったね気の親父さん は土木会社の社長だったけど他にも幅広く 事業を展開していたその中の1つとして 焼肉店も営んでいたんだ通りでおふさの 作るキムチがうまいわけだ俺はその味の子 になってしまい自分で白菜を買ってもって いって岩さんにこれでキムを作ってくださ いって頼んだことがあるキムチは白菜だけ じゃつらないのよ周りに入れる唐辛子や役 が重要なんだからなんて呆れられたもんだ が朝飯をご馳走になると俺と岩はそれぞれ の愛紗にまたがり大学へ俺がホンダCB 450岩は川崎650Wに俺たちは中野 から八王子のキャンパスまでちょっとした ツーリングを楽しんだ思いを起こせばこれ が後にクールと発展するだったんじゃない かと思う次回の動画は立の合流をお届けし ますお楽しみに

ハングリーゴッド クールス 秀光 バイク好きのクールな仲間たち
学生時代の厳しい日々と情熱的なバイク愛、帝京大学での苦労と夢追い人としての日常を語る秀光さん。この動画では、昭和時代を駆け抜けた一苦学生バイカーのリアルな話をお届けします。バイク好きなら誰もが共感するであろう青春の1ページをぜひご覧ください。
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