出雲古代史のはなし【不完全生放送ザ・ダイジェスト】

では えっと今日はあのそういもいもの話をです ねしようと思うんですがま そのいくつかそうになって重なっている 部分があってです ね あのなんで出雲の話を こうしたいかっていうところでです ね えとま1つは前々からそのえっと山の神様 とかその松ぬ神々の話っていうのに ちょっと興味を持ってって言ってもここ 最近ですけどえっとこの生放送始めてから ですね えまその辺を少し追っかけてみたい特に あのまいつもまでねこの地元に地元って今 住んでるところにいつまでいるかわかん ないですけどいるうちになんかね裏伝説を ちょっと追っかけたいなっていうか少し 深掘りしたいなっていうところがあってま その裏伝説裏ですね鬼の裏えっと温かいに アキラ説の裏を書いて裏ですけどま裏伝説 とかを少しえ掘ってみたいなというところ があって えまそれともね あのつまり鬼とかそういったものと えま出雲の神々というか国掴みというか その松あぬ神々や松あぬ民というのは おそらく関係あるだろうということでま その辺りのことをちょっと掘っていきたい なというのがあってですねで えまだから今の縄文の話とかも少し関係し てくるんですけどまそういうのを え知っていくためにま出雲について あるいは出雲神話とかですね出雲の神神と かについてまある程度基礎的な知識もない のでそういったものをえ加えていきたいな ということでま取り止めもない話をさせて いただきたいと思い ます裏がねやっぱ気になるんですよね すごく その実在性とかも含めてねいたのかどうか も含め て鬼彦がえ討伐 に来たと ま そのおそらくはその祟鉄とかに関わってい たで あろう人々の総称なのかそれともその朝鮮 半島からま白城に破れてやってきたトラジ 統なのか木城 が白の絵の戦いの後に作られたその朝鮮式 の山白なんですよなのでまそういう意味で は トラジなんだろうな

とということでえっとまずちょっと1つ ですねあのいつ も直接は関係するかどうかはなんです けど僕もいつも大社行ったことあるんです けどねあのちっちゃい頃にしかないんです よね2回行ったんですけど最初に行ったの は小2で次行った時は中二だったんでもう ねな何にもわかんないすよ ね よではえっと山屋ひでツーリングに出かけ たと いう怪談 を読ませていただき ますとちょっとま山の神様系の話であり ます が山へ日帰りでツーリングに出かけ た正月に規制して高校時代からの友人と 飲ん だそいつはバイクのりでバイクについて 語り出したら止まらない でも俺はバイク乗らないし正直興味も ないでそいつは峠とかもよく走ってると 言ったので山走ってて幽霊とかなんか怖い 体験したことないみたいな感じで水を向け てみ たら怖いってわけじゃないがちょっと 不思議な体験ならしたとこんな話を聞かせ てくれ た友人がどこだったかの山場所は聞いたと 思うんだが酒入ってたんで忘れた ええ日帰りでツーリングに出かけた時の こと1人でくねくねと曲がる山道を登って いたらあるカーブを曲がったところで急に バイクが重く感じられたそう だなんか後ろに人乗っけているような感じ だがもちろん誰も乗っけてなんかいない なんか変なもん拾っちまったかなと事故ら ないようにスピードをさえて気をつけ ながら走っていたそうなんだがカーブを 23曲がった辺りでふっとバイクが軽く なっ たその後は特に何のトラブルもなく目的地 に 到着ところが帰り道行でバイクが軽くなっ たありで再びバイクが重く なるまたかよと思ったそうだがどうせまた すぐ消えるだろうと特に深くは考えず安全 運転で走り続けるもん行きでバイクが重く なったカーブを過ぎても状況は変わらず 結局山を下り切って市街地に入るまで バイクの重い感覚は消えなかった らしいさすがに何か連れて帰ってきたかと 少し心配になった友人は仲間打ちで霊感が 強いと言われているやに敬意は伏せて 何か俺についてないかと聞いてみたんだ

そうだだが帰ってきた答えは何も感じない どうしても気になるなら神社かお寺でお 祓いでもしてもらえでも多分その金で ちょっとうまい飯でも食った方がよっぽど 気休めになる ぞで友人もついてないんならとこの件に ついてはそれでおしまいにしたらしい でも何もついていないとしたら本当に何 だったんだろうなあの感覚は絶対気のせい なんかじゃなかったと友人が言うの で街について軽くなったんならそこで降り たってことじゃねきっとその幽霊は誰かに つきたかったんじゃなくて山から降り たかっただけなんだよと言ってやっ ただけど登ってる時に重くなったんだぜ山 降りたいなら登ってるのには乗らない だろうそん時はすぐ軽くなったんだろう あれだほら電車とかでうっかり逆方向のに 乗って慌てて次の駅で降りて引き返したり すんじゃんあれだよ あれこの簡易の正体が何だったのか真相は 分からないが俺と友人の間ではどじっ幽霊 ということで決着がついた 俺の地元のかもしれない俺の地元だと里に は里山には山神がいる他の神は半年ごとに 山と里を行ったり来たり する強心は一般的にさの神と呼ばれている 神様山には入れない山神は山の神様で里に は降りてこられ ない里を行ったり来たりするのは他の神 だけ里では田んぼの近くの祠山では山神の 祠に同居して いる山と里の境に祠があって里と山神が 出会える場所なのよ里の神が年に1度出雲 に行く時と帰ってきた時にはここで会合 するその他にも寄り合いをすると言われ てるんだけど寄り合いの後は持ち寄りで 宴会になる らしい集落に伝わる昔話だと昔と様によを 言いつけられた侍が牙で通りかかった時 しばらくと言われて何か乗った気がした らしいそれでしばらくして後ほどと聞こえ たらふっと軽くなったんだ とそれで帰りにもまたやあ来たきたと声が したら何か乗ったそしてここまでここまで と言われたら軽くなっ たけしからぬものがついたと思った侍は 報告を済ませると家にこもり物をしていた らしいしばらくして城から呼び出しが かかっ た阪の五の夢枕に神様が立って先日機殿の 死者の馬に道場させてもらった酒の上の ことであるから許されよと告げたそう なそそれで侍は物をやめて 出資集落には侍と殿様から酒と魚が届け

られていくら神様でも阪神を驚かせるのは 良くないのであまりしてくれるなと妖精が あったそう だ集落では途中で足りなくなったものを 取りに行って取りに戻った神様が横着し たって言われて いるあまりにも似てる体験で吹いたわ俺の 集落の神様ならごめんね 酒の上でのことだから許してやって くれというお話でし たこれ最初の投稿者は単なる幽霊話と思っ て書いているんですがえ別の投稿者がそれ は昔見た聞いた昔話にま民話ですねに構造 ががすごく似ているということをま指摘し [音楽] ただからやっぱり普通はそういうことを 知らないと民話とかを知らない と幽霊なんだなって解釈しちゃうような話 ですよねこれも前半部分だけだとあそう いうなんかもしかしたらその山で殺された 人がいてとかそれが幽霊になって乗ってき たのかみたいな 解釈もできるけれどもまその山がどこ かっていうのにもよりますけど ね民話的 な想像力がむしろ生きてるという 話なんじゃないかな とだから結局現象として起きてることは 同じなんだけど解釈の方向性が全く違うっ ていうのが今の話の個人的には面白い ところで その民話とかそういったものを知らない人 はその現象を幽霊によるものだっていう風 に解釈してで民話とかを知ってる人はそれ を見ると まあ山の神ないしは里の神がえ年一の解合 のために降りてきたんじゃないかっていう 話と解釈したわけですよ [音楽] ね [音楽] そう幽霊ドジっ 骨折まあ何もなければね幽霊ドジ骨折でも ねありだと思いますけど ねま山の神と里の神が出会う場所あってね 出雲から帰ってきて云々みたいな話と かその僕割と山の中育ちなので 山が階っていう感じはすごいあるんですよ ね低い山があってですねこれ多分話した ことないかなま別にその会とかの話じゃ 全然ないんですけど あの僕の通ってた小 学校でえっと僕の実家から歩いてくと 2kmぐらいあったんですよで2kgって 子供の足だとまあまあ遠くてで

えま簡単に言うとその実家と実家もまなん か変な山の中腹みたいなとこにあるんです けど実家と小学校の間には低い山があって でそこは道とかがないのでそれを迂回する ような形で えっとま道路が通ってるんですねでその 迂回路を通っていつも通ってたんです よだからま子供の足だと結構それこそその 登り下りもあるのでね340分かけて通っ てたんですけどある時 あのなんか横着したくなってですね家から 学校から帰るのにそんな遠回りをしてる気 がしてこう山を通ってショートカットして 帰れないかと思ったことがあるんですねで その学校から出てま家の方角はま分かっ てるんであっちの方角だとでそっちの方向 へ向かうま山道みたいなのがあったんです よでこの山道がもしかするとその実家の 裏手から登っていく山のどっかに繋がっ てるんじゃないかと思って言ったんです けどま当たり前ですけど途中で道が なくなるわけですよねで山を超えるような 道って多分その地元の魚をやってる人とか が通るような道しか残ってなくって でもちろんその低い山なんで遭難こそし なかったんですけど結局ねその下の道通っ てればさっきも言ったように3410分で 帰れるような道をトータルで 多分2時間か3時間くらいかけて帰ったの かな本当低い山なんですよだけどやっぱり 方角とかも深い森の中とか入っちゃうと 太陽さえほとんど見えない し見晴しのいいところにそれなりに行か ないと法学とかもね分かんなくなってき ちゃうんですよ ねなのでその時はたまたま見知ったところ にその裏山とかでよく遊んでたんでその 裏山の見知ったところに出れたからなんと かそっから帰れましたけどそうでなければ 多分帰れなかったなと思う と低い山ではね小学校45年生の話です けどねあんま舐めちゃいけないんだな本当 大したことない山ですよ全然大したこと ない山なんです けどでもね時々あの自殺してる人とかね いるんですよね僕は小学生の頃だけで家の 近所のその裏山ありで裏山と後家の目の前 がみかん畑だったんですけどそこで 亡くなった方も含めて3人自殺してる人が いたんでたまたまそういうねところに 行き当たる可能性もないわけじゃない し結構ねそう考えると 冒険するんじゃなかったなっていう別に何 もその時悪いことあったわけじゃないん ですけどねあれでも多分あと1時間遅れて

たら山日がくれちゃったと思うんで日が くれてたらやばかったなっていうのはあり ます ねもんちゃん日本来の神様てって人間臭い のです本当にあの酒飲んで失敗とかします から ね白くまさん高校の時冬場に友人の家に 遊びに行った代りに全く同じことやって そうなありますよね絶対ねそれあるあるだ と思いますよこう言ったら近いのにとかね 思うんですよねで日が落ちて絶望するって いうねやっぱりなんか該当があるとかって ない と街灯ないとマジ真っ暗ですからねで森の 中とか本当足元も見えないですから絶対 遭難しますよ あんな音とかもね あんまり一応にしか聞こえないの でというお話でしま今のは完全に山の神様 のお話 で え 直接的には出雲とと関係ないんですけどえ ジョーカーさんザフォレストというゲーム をやってみると道前より遭難する人の 気持ちがよく わかるささんショートカットのつもりが そうなありますそうなんですよもうそれで でも結構その時に僕は学んだのでまダメだ とあのそういう冒険はするものじゃないと いうのはよく分かったので どっかに行くとしてもね午前中に行って 必ずその引き返せる地点で進むか引くかを 決め るってえ吉野さん三重県の熊のどを歩け なかった私に先解放業できる人は スーパーマンいやでも本当に山はね あの体力がいるっていうだけじゃないです よね多分歩き方にコツがあるんですよね 山歩きにはね山のコがあって登山もそう です けど山のコツを知らないともうどうしよう もないです [音楽] ねでえっと今日はまそういうことでですね 1冊なのでえっとチラチラといくつかその 本読んだりしてるんですよ漫画とかも割と そのそれこそえっと水希し先生の出雲の やつとかも 読んだしま そのあとはね雑誌とかでもありますけど 古代子関係の本とかって基本的にはま そんなのをこうオカルト系 のチャンネルやっててこんなこと言うのも なんだと思いますけどま基本的にとんでも

じゃないですかあのね古代子関係の本と かっていうなので えあんまりまそっちの方向に行っちゃうの は簡単なのであんまりそっちの方向に行か ないでギリギリのところまでっていうかま できる限りそっちの方向には行かないで えっとま偽書とかね義子とか偽電とかって いうのがいっぱいありますの でまそれなりにえっときちんとしたもの だけをとりあえず読んでって色々考えて こうかなと思って ますえっと今日ですね取り上げ というかま読んだ本はですね えっと村井安彦さんという方のえ出山古代 国家の現像を尋ねてという本です で えっとこれそもそも その歴史学者の人が書いた本なの で まあざっくりとし たと知識が得られるかなと思ったら意外に エンタメ性が高かったって いうそういう本でし たよいしょ えっと新書ですそんな に現像の字が違う なそんな に その専門書ではないの で読みにくいことはなかったんですがま やっぱりその 危機系乞食日本初期系の話を読むと そもそもその神様の名前が読めないって いう共用がないのでえそういう割と根本的 な問題に突き当たってそれでもまあ新書 だったら振りがが振ってあるんですが最初 にその振りがが振ってあっても後にあれ これなんて読むんだっけみたいな感じに なったりするので 結構 そういう意味では苦労しまし たが内容自体はね結構面白かったんですよ でどういう本かって言う とえっとね民族学系っていうよりはた高古 学と文献市学の中間ですね民族学系の話は あんまりなかっ た です [音楽] えっとえ出版社のその書籍の概要ですねを 読みますとえ大和の中心地にある宮山に なぜ出雲の神様が祀られているのかそれは 出雲が大和に早くから進出し山大国を作っ たのも出雲の人々だったからではないか ゆりの地を歩きながら

出雲不義姉は神殿等を読み解き古代世界に おける出雲の存在と役割の実態に迫るえ 古代市理会に新たな観点を打ち出す1冊で 著者の内田あ村井安彦さんはえっとえまだ ご存命ですえ1930年生まれの歴史学者 でえっと日本文化市を専門にされ てらっしゃる方でえ国際日本文化センター でま教授を務められた後その後滋賀県立 大学に移ってそこで定年まで務めて え財団法人にえ京都市文化芸術芸術文化 協会顧問元京都市美術館館長等々歴任され ている とでえっとその線の球についての著作とか があったりとかですね割と守備範囲が広い 関係ですね本書いたりと かしてるような人でま最初は平安とかその 茶の湯の話からだんだんとその古代の方に 関心を移していったっていう感じなのかな と思い ます今は90歳ですか [音楽] ねと いう方ですねで あのまどんな本なの かって言うとま今の概要にもあったように 基本的にはその えーこの村井さんが え岡山の掃除市さっきあの話に出てきまし たが掃除 市に行った時にその掃除のですね神社掃除 でえっと 宗社市にある宗社宮の 兄弟でえ説明版にですねご最新が えまあ大持の命であったとこれはオムの命 で大物主大国主ですねえまいもの神様だっ たわけですで者というのは基本的にはその 地域にある全てのええ神社のご最新が 集まってる神社が者なんですねなので単一 の神様をご最新にしてるってことは本来 だったらないはずであるとにも関わらずえ なぜか大国主が岡山の宗 者においてはその主た祭神として名前が 描かれていこれはなんでなのかっていう ところからスタートしてだからちょっとし たミステリー要素もあるというかまあ 数多くの謎 が提示されてその数多くの謎に1つ1つ その考古学的な事実とかあるいは その古代子文献ですね基本的にはえ小食 日本初期え出雲不と義姉は神殿を解釈して まあ答えを探っていくというような話に なっています でまいろんな話があるんですけれど もえおよそですねえっと 謎謎となっているのは

え特に解かれるべき謎としてあげられて いるのがえっと1つはそのさっきの概要で も出てきた山ですねえっとなぜその大の 中心地に出雲の神々を祀る えご身体として祀る山があるのかという ことですね出雲信仰を深く残している山が なぜ大和の国の中心にあるのかでもう1つ は えっと出雲不自体の謎ですねま普通は国士 が作るのになぜか国の宮子が作ったとで えさらにま出雲大社も多分その人たちが 再建してるんですねでこれは一体なぜなの かということとで最後がえっと山大国の 女王である日子の名はなぜ日本初期等には 出てこないのかっていう話ですねでこの 辺りを えまあ学術的にアプローチし て明らかにしいくっていうな話ですねで えっとまあ1つ1つそういう風にその文献 的にあるいはその高古学的に見てこうだっ ていう話をしてくんですがま基本的には エセ的な感じなのでかなり想像が入ってる ということは言われてるんですけどまその 想像も基本的にはその学者のする想像なの で全く その見学的にとか広学的にとか根拠がない ことは言えないっていう感じなんですねで 1つ大きな特徴になるのがやっぱり その乞食と日本初期の位置付けまいつもの 国不動も含めての位置づけっていうのが やっぱりこの本の大きな特徴になっていて でまあ今の歴史学会どこまで未だにそうな のか分からないですけどやっぱりその乞と か日本初期の神話の取り扱い方っていうの が結構微妙なんですよねえそれはそのこの 本にも書かれてるんですけど結構その歴史 的な背景によるものがあってつまりえっと 戦前のま教育においては危機の神話って いうのは歴史的な事実として教えられてい たとでそのことに対する反省から戦後歴史 学会においてはまあの危機の神話を歴史的 事実とは無関係のものとして警視するって いう傾向がまあったという風に言われてい ますま実際に えっとそういう傾向は未だに残ってるん だろうなという感じはするんですがこの本 では えそのアプローチ両方のアプローチの中間 を取ってる感じですねつまり え危機の神話っていうのはもちろんその 歴史をダイレクトに移したものではありえ ないけれどもつまり古代子の事実をその まま書いたものではありえないがしかし何 らかの形で古代子的なえ古代子の事実を 反映してもいる

とでどういった部分が反映してるのかと いうのをその義姉和神殿とかつまりえ大和 調定の人たちが変換した歴史書なわけです よね乞食にせよ日本初期にせよなので大和 頂のその支配を正当化するという意図を そもそも持たない外部の人たちが書いた 歴史書である義姉は神殿とかあるいはそう した そのイデオロギー的な風色をしようとして も隠し通すことのできない高学的な事実と かまそういったものと付き合わせることに よってえ民話とかもちょろっと使われます けどねでえの中にま危機の神話の中に書か れている事実を浮かび上がらせて読み取っ ていこう というような 感じのようですのようですっていうかま それを しる目的として書かれている本ということ です各章でどんなことが書かれてるかって いうことなんですが者の話から始まって 最初にその宮山ま女で宮山幻想でなぜその えっと岩をご身体とする岩をご身体とし てるのが出雲系の神々の特徴であで山その ものがご身体である宮山っていうのは まさしくその岩倉信仰をそのまま残して いる えー日本においてもかなり珍しい えま信仰のあり方ですねそれが出雲のえ古 信仰の形をかなりはっきり残しているもの だという風に言われてるんだけどそれは 学会で共通する意見としてあるんだけど なぜその出雲のえ原進行みたいなのを残し ているのがよりによって大和頂での中心部 にあるのかっていうところから話を始める んですねで えで第1章で出雲王国論ということでま あいわゆるその大国主の神話とかですね そういったものがえっと語られたりとかま その岩倉祭祀がえっと出雲でどう行われて いたのかっていうようなこととかですね あとその著者がその出雲出雲文化のですね 特徴という風に捉えている埋葬の形態 えっと四隅都出母 えっと古墳の形で法方墳になるのかな正方 形のその古墳なんですけどその四隅がです ねえっと髭が伸びてるようにビヨンと伸び てるような形の墓ですねこれが出雲系の墓 で出雲の周りとで北陸の方にしか分布して ないとされていたんだけれどもま丹波にも 実はあるんじゃないかみたいな話ですねだ から出雲の国の勢力権はえっと出雲からま あ北陸ですねえっとコの国ですねえ今の 新潟あたりまで広がっていたんじゃないか というような話が書かれていますまこの

辺りまでは結構割とかつとしたその歴史的 な話が主 でかなり片固めの話からスタートするん ですねなのでま読み出すとあんまり興味が ないとっていうかそこそこ前提知識がない と第1勝あたりで挫折する可能性が多いに あるなと個人的には思いまし たやっぱり そのそこそこは説明してくれるけれども お大国主の話とか ねバンバン出てくるとちょっと辛いなって いう人もいるとは思うの でで第2章が山大国の終焉で山大国がどこ にあるのかみたいな話ですねこれも古代史 なんかでは本当によく出て くるまそれこそ歴史書からとんでも本まで 含めて山大国はどこにあったのかま山大国 とえ大和頂は連続してるのかどうかって いうような話です ね うん白くさん墓の話ならついてきそう聞く 限りだとどっちかっていうと専門書に片し 突っ込んでいや専門書に突っ込んでますよ ねあんまり特に女性大償のありはは新書な のにこのハードルの高さでいいのってとは 思いまし たでも第2章の山大国の話あたりからは もう画然山大国の話なんかねあの割と誰で も興味があるっていうかそれなりに間口の 広い話だとは思いますで結構 その想像が大きいっていうことは断っては いますが著者としては え機内説を取ってます ね機内説を取っていてでかつえっと大和 調定と山大国は連続していないというです ね えそういう立場を取ってい ますで機内だけれども大和の国の中のどこ かにあったで えなぜそう考えるかっていうことと え その周りえなぜここの場所にあるかここの 場所じゃないかっていうことも言ってるん ですねある特定の場所じゃないかえどこな のかっていうのはま実際本読んでみて もらいたいんですがどこかの場所にあ るっていう風に言ってるんですけどえその 辺りじゃないかと考える理由としてあげ てるのもまあの義子は人でに出てくる えっと進化の名前ですねからえここじゃ ないかっていう童貞を行っていてまその辺 もすごく え学者的な推理だなっていう感じがします けどそうです意外と後々こなれてくるよう な感じはあり

ますで えっとま看護集落の中にあったんじゃない かってことですねはい言っていますで えま大周辺に存在している出雲系の種族 ですねの位置関係とかそういったものから 山大国の場所を童貞しているので単純に その高古学的な成果だけで山大国の場所を ここだっていう風に言ってるわけではな いってところに特徴がありますか ねでえもう1つの特徴は山大国は大和頂と 繋がらないというですね いうところでえっとこれに関しては はっきりと非連続説を取っています場所は 同じ大でも山大国と大和帝とはつながら ないというケースもあり得るのではないか これを山大国大和調定非連続説と呼ぶなら 私はこの立場を取っているとそう考えるに 至った根拠はただ1つ山大国や日子の名が 乞食や日本初期に一度として出てこない ことにある3世紀前半死者を大砲軍さらに は落陽にまで派遣して義王から議王の称号 を受け同居100枚ほ数々の品物を可視さ れた和の女王が大和頂の祖先であればその 人物を高等府に乗せて叱るべきであるにも 関わらず日子の日の字も出てこない日子は 日本の神話歴史の中では完全に無視されて いるので あるという風にま言っていますねでえっと もちろんひこのことを知らなかったという ことはありえなくてというのはえっと日本 食器の中に人工工合の話が出てくるんです がその人工工合の実績とされているものは ほとんどがその卑の自責と同じなんですね でもちろん三国種は既に返さされているし え当時の知識人であれば当然その中国の 歴史書もちろんその日本初期自体が変年体 であまれているわけですからえ式とか三国 史等を読んでえ変年体という形式で歴史書 を書いたというのは確実ですのでこれは 歴史書は想像では書けないのでそういった 形で書かれたことは確実なのでということ はま卑についての記述がえ三国地の中に あることも分かっていたはずだとだから えっと人工合合の中にですねそれを 取り入れることができたんだけどしかし秘 の名前は一切出さないいうことです ねえ卑子の自責の紹介でありながら肝心の 卑子の名前を出していない陰陽歌手は いずれも和の女和王あるいは和国お仕事 する文書に限られていて卑の名を避けて いるとしか思えないおそらくこれは卑の名 を持ち出すことで生じる不都合すなわち 人工工合の名との不整合を避けた意図的な 措置であったと考えるしかも卑の名やその 自責の内容を日本初期の自の分に取り込む

ことなく義姉は人でに記載するところを そのまま引用しているのも同じ理由からで あるその結果日本初期の変者たちは卑の 存在を100も承知だが読者に卑の名前が 伝わることはなかったのであるなぜなら それが変者たちの意図するところであった からだ とで日子の名前はだから日本初期の中には 書きとめられなかったわけですねでえ一に それは日子が大和頂点の祖先ではない無縁 の存在であると思われていたからでありそ それ以外の理由は考えられない日子は大和 町での高等府に乗せられるべき人物では なかったのである日子の存在が核のごとで あったとすれば同じく日本初期に乗せ られることのなかった山大国も塚大和頂点 の全身ではなかったということになろう私 が山大国大和頂点非連続説を取る遊園で あるまこの辺りの議論はもちろん異論が 存在しているとは思いますが えまあり得る解釈ではあるかなとなぜ卑の 名前がないのかっていうのは当然え疑問視 されて叱るべきことだ しないということの理由を積極的に理由 付けしようとするならばこういう理由が 生まれてくるのはそりゃそうだろうな と思いますねでえっとそこからがま あそこからどういう風に展開していく かっていうとま卑が亡くなった後ですね えっと 和国が混乱してで男の王が立ったけどま 全然だめで国の中がまとまらなくってで イオが立ってえようやく収まったって記述 が義姉は人での中にあるんだけど混乱が どれくらい続いたのかひこが死んだのは いつなのかひこが死んでからイオが即位 するまでに何年かかってるのかとかそう いった話が一切わからないんですよ ね義姉は神殿の中では で えで義姉は人年の中ではク国ととにかく仲 が悪いっていうな話も書かれていてで おそらくその えっとお日子が死んだ後に山大国を妥当 しようとして九州からやってきた勢力が後 の大和調定をま作り上げる事務天皇の軍 だったのではないかと いう話ですねでそこからまあ事務統制説話 を読み解いていくわけですけど えー長 飛行にま負けるんだけど最終的にはその え長びも殺されてですねま味方に殺される んですけど えでまあ国譲りという話になる という流れですねなので元々その山大国と

いうのは出雲系統の国だったのではないか というのが えそしてま国譲りを行ったことによって つまりえある程度対等の力を持ちながらえ 大和頂点に幸福したことによって出雲系の 種族がえかなりの勢力を保ったままえ大和 頂の中に入り込むことができたのではない かま実際その物のべとかえっとそがもそう ですよねとかその特に初期ヤ頂の有力な 豪族はえ出雲系の人たちが多かっ たっていうようなこととかまそれと同時に その旧出雲系のえ種族とかえ豪族が まだまだ住んでいるようなところでは頻繁 にえ氾濫が起きたりしていた え例えば出雲にそのみが出たとあ日々の国 か日々の国にみが出たとかですねあるいは 裏の話とかもそうですけど え元々出雲と関係の深かった土地では結構 そういう風に え有力豪族の氾濫みたいなのがま 繰り返し行われていたていうような話がま 第3章のところですねえ大和県の確立と いうところで語ら れるで第4章でえっと出雲のえ国の宮子が え結局その熊野大社とえ出雲大社の再建を 行ってでいついつも大社が作られたの かっての実はよく分かってないけれどもま おそらくその前だろう とでこの辺りはね歴史学者で結構食い違い があって熊野大社の方が先に作られたって いう人と出雲大社の方が先に作られたって いう 人ですねに分れているんですねそうそう松 ぬ民の話が大きく語られるのもその時期 ですねまだから結局その服属しないえ有力 豪族っていうのはたくさんいたんだろうっ ていうことですよねでそれはおそらくは 出雲系統の人たち特にま近畿周辺とか 西日本だと出雲系の人たちがそうだったの ではない かということですねでま最後は掃除の話に 戻って終わりなんですがいくつかその 先ほども言いました が面白い話があってそのなぜ伊勢系統は鏡 なのかって言うとそれはアマテラスお御神 がその えっと え岩戸から出てきた時にその鏡がま アマテラスの前に置かれてるんですねで えっと誰か映ってるなと思ってその人の姿 をこう見ようと思って近づいていった時に そのアマテラスがえ外にずるずると 引きずり出されてでえ岩とが閉められてま そこに帰ることができなくなったという ことでまめでためてたしって話なんです

けど結局そのアマテラスのえっと霊力 みたいなものをその鏡がですねえーま吸収 したというかまドッペルゲンガーじゃない ですけど人の姿をそのまま移す鏡っていう のは結構そういった意味で霊的なものだっ ていう風に捉えられていたなのでえ アマテラスアマテラス神をそのご最新と するような神社ま伊勢神宮ですねえ統の 神社っていうのは鏡をご身体とすることが 多いていうのはそこに由来してるんだって いう話が出てきますでまあのアマテラスは えっと天尊降臨のところでえ役目は終わる んですね天尊にその土地を与えた時にま 役割が終わるのでそっから先は出てこない んですがその代わりその天尊降臨した天尊 たちは神義を持つことになるわけですが その中にえっと えやの鏡ですか ねが 入るわけ ですでえーしばらくはそのやの鏡はそれ こそ えー歴代の大きたちがですね自分の心所に 置いていたという風にま伝えられています でそれはなぜかというとその天尊っていう のはアマテラス神の え霊力を引き継いている存在なのでその 霊力をやの鏡からま受け取って いるでそのために同じ場所で寝なければ いけ [音楽] ないという風にまえ説明されて ますえ雲が正式名所と言いますがなぜ出雲 大社だけ大城なんですかそれは書かれて なかったですね うで正式名称もわかんないんですよねどう 読むかがね実は ねあの恩で残ってるわけではないのでで 一旦その没落するの でまあ大和言葉だと大ですよね代謝は 音読みなの であの 大和言葉では多分ない大野は元々の 言葉遣いはそうだと思いますけど ね今でもあのただシって1文字で書くて社 ですから ね大社の方がそういう意味では正式だと 思いますけどいかなる神社においても本来 は ねもなんでですかねそれはそういう言っ てる人は誰なのかいつから言わ出したのか とか知りたいですけどそう3種の神義の話 とかもなってますだからそれで言うと ちょっとこれは前に1度読んだ階段なん です

けど えっとざっくり と概要だけ言うとえっとしめ縄っていう 怪談を前にその神社にまつわるえっと まとめ 動画のところで読んでえっとどういう話 だったかというとですねま あのえシャレコに投稿された話なんですが ま神戸に住んでいたその投稿者が子供の頃 父親の実家である島根の漁師町に遊びに 行っていたで島根の漁師町ってどこだか わかんないですけどま えっと島根はほぼ全域がその出雲の国の 勢力圏内ですので ま神社とかま基本的には代謝出雲代謝系の え神社ですよね出雲の周辺はでえっと9歳 の時にその父親の実家で過ごしたとでえ 近所に住んでるAという少年と友達になっ てまあ毎日遊びまくっていたとでえAが 神社に行こうて言ってで神社の電の中に 入ってみようという風にま言われて入って みるとえっとまその神社自体が結構変わっ たリチにあって山の上に立っていて形代に まず鳥居があると山から麓までは階段が 続いていて麓にも鳥居それから鳥に まっすぐ海に向かうとすぐ浜に出るのとが 浜辺にも鳥居がってまこれは典型的にその 怪人神社ですよね海からやってくる神様の 参道になってるってことですねつまり経済 から海まで道がまっすぐ続く構造であると でえ話を戻すとそのAについていたでAは え車線に入ろうって言うんだけどその投稿 者はそれを断るんですねで結局その矢代の 中にはAだけが入るとでAが社の中で見た のは何なのかというと鏡なんですよねえ つまんなかった社の中には何にもない鏡が あるだけと言っていたてことはこれご身体 が鏡っていうことになるんです けどとすると えっとまさっきの話だと出雲にほど近い ところにその鏡をご身体とする神社がある ということなんでこちは異系統っていう ことですよ [音楽] ねなぜそんなところに伊ゲートの神社が あるのかっていうのが多分1番最大の ミステリーになると思うんですがま結局 どこなのか分からないんです けどこれ探してみれば見つかるのかなと いう気が少ししてい [音楽] ますでえっと説明によるとです ねえそうアマテラス系なのでえっと新明者 だっていう話なんですがちょっとそこの ところだけを読みますとねえっとこれ

はその投稿者に え親戚のおっちゃんがですね親戚のおじ さんがえ説明してくれた 話ですねしめ縄が逆にまつけられていた ということを聞いた時にですねえ答えて くれた話であの神社な新明者でアマテラス 御神を祭ってあるってことになってるけど 実は違うとご最新はもっと恐ろしいものだ とえ名主時代に各地の神社の神様が調査さ れたんだけど役人がこの土地に来た時単に 土地のものは神様って呼んでただけで神様 の名前は知らなかった何しろ昔の人間は神 様の名前なんて恐れよくて知ろうともし なかったし興味もなかったそれで役人が 適当に命者ってことにしたらしいえこう やって各地の無名の神様が危機神話の神様 と結びつけられていたんだなっていう風に なってるんですけどえっとこれがもし実際 の話だとするとちょっと解釈が変わるなと 思ったのはご身体が元々鏡なんだったら え やっぱりその神社何でしたっけ神社別長 でしたっけ その新明者なのか何なのかその神社の主催 神は何なのかとかそういうのをその全部 えっと明治の時にそれこそえ記載するわけ ですけどまご身体が鏡だったらアマテラス 系の新名者とされたっていうのも全然 不思議では ないと思うんですよ [音楽] ねうんでもまあ怪人をまってたっていうの もそうだと思うんですけどだとするとなぜ ごが鏡だったのかとかま色々ちょっと 不思議なところがあるな とちょっと個人的には思いまし たとかですねまあと その出雲だと やっぱり そのま明らかにその松の民とは関係してる と思うんですが あるいはそれがえっと山人とかですね えっと東北の方の神様とかと関係している のかどうかと かその辺りのことはですねもうちょっと え突っ込んで考えてみないといけないなと 思ってるんですけどまその辺は全然ね答え とかもないの でまた今後とそこから読んでってみたい なっていう風に個人的には思ってますもし あの出雲系統の本とかでこれは読んどいた 方がいいですよっていうのがあったら えっとコメントか そのえさっき出しました投稿フームですね もう一度この投稿フォームにでもですね

あのぜひぜひえご連絡をくださいませえ それを参考にしてせていただき ますということで えっとい出雲周辺の階段でまだ読んでない ものがいくつかあるのでちょっとね あの本当はもう1個あの小とり箱について も話をしたかったんですがあまりにも ちょっと時間があれなので小とり箱につい ては また次回少しそれ用の時間とって話そうか な小鳥箱って沖ノ島が もとというかま 沖騒動ですよねがまきっかけになって えっと作られたっていう話になってますよ ねで関連話もいくつかありますの でその小鳥箱の話ま小鳥箱の関連話もいく つもあるのでちょっとそれのまとめ動画と かも作ろうかなと思っていて明日アップ できればいいんですけどあの えっとまもしかすると日曜とかになるかも しれないんですがまあの小鳥箱の関連動画 を1まとめにしてちょっとアップしようと 思ってますでそれにあのまわってちょっと その小鳥箱と出雲の話とかにちょっと 繋がる部分があるんじゃないかなと思った ところがあるのでまそれについてはえっと 次回話させていただきたいと思いますなの で えっとあと1つ2つ怪談を読んで今日は 終わりにしたいと思いますえっとそこと いう話を読みたいと思い ます そこ父方の実家の 話参院では比較的有名な観光地の近くだが 実際実家があるのは国道から山川に入り車 でも20分はかかる 場所昨年になるが合併を控えてか知性調査 とやらを行うことになり町役場手動で GPSを使い3中の土地も含めて所有者を 明確にすることになっ たと言っても4区も入れない山中のことな ので役場の担当者と土地大長をらめっこし ながら山中を歩き回るという苦行に自分も 駆り出されたわけ だ何分大腸の登記された時期自体が古いし 今ほど明確な線引きもされていなかったと 見えて複数の名義が重複していたり2つ山 超えたさらに向こうの山のてっぺんに数十 つととんでもなくかけ離れた場所にうちの 土地がということもあっ た作業も3日目に入ると年寄りが多いこと もあり 一応立ち会い人という形で自分だけが担当 者に同行するということになっ たかなり大腸の更新も進みあとは昔鉱山

だった場所で今は光毒のために閉鎖されて いる区域の周囲を残すだけとなっ たその日の夜父にあこの人山向こうにも うちの土地があるがあそこはいか と言われ たなしてねと質問しても口を濁して ごまかそうと するわししか立ち会いにおらんのじゃけ いかにやれんだろう がと少し無きになり結局翌日も同行する ことにし た当日例の閉鎖地を迂回して山1つ超える と大腸には確かにうちの名義になるがあっ たただし10つ のみ昔の人の土地感覚ってのは理解でき ませんねと自分は軽口を叩いたつもりだっ たが役場の担当者は笑ってい ないどうもその場所へは行きたくない らしく確認だけですからと自分1人を行か せようと するどうして行きたくないのか理由を 聞こうとしたが父の様子を思い出して結局 1人で行くことにし た担当者を後に残し6に手入れもされてい ない子たちを準備してきたなで刈り払い ながら進むと頂上つまりうちの土地に 近づいたらしく空が開けて見えてき たがそこに近づくにつれ妙な違和感に襲わ れ始めた 辺りを見回したが特に異常は ない役場の人の姿もすでにはか後で見え なくなって いる気のせいかと思いさらに進んで ようやくそこに着い た妙な場所だっ た山奥すぎて里山としての手入れは絶対さ れていないはずなのになぜかそこに近く なるほど生えている木はまになり おそらくうちの土地であろう場所には下場 とも言えないほどの雑草しかなくそして なぜかその雑草に打ち取られるようにして 砂場があっ た広さは10つぼと聞いていたがそれより もっと 小さい雑草の淵に立ち砂場を眺めてみた まるでざか何かでロカされたように決めが 細かく揃っていた 当然雨ざらしのはずで泥土になっていても おかしくないはずなの にその砂場の中だけは雑草の1本足りとも 生えてい ないここも光毒に汚染されていてその影響 かと考えているうちにようやくさっきから 感じていた違和感の正体に気づい た音がない風がない空気が全く動いて

ない鳥の声も草連れの音すら聞こえ ない周囲の風景は目に見えても一切の動き が停滞して いるその砂を手に取ってみよう砂場に入っ てみようかと考えたが思いとまっ た砂場のほぼ中央に開発色をした丸い形の 何かがほんのわずか砂の中から顔を出して い た家に戻ると自分の顔を見ただけで父は 何事か納得したようであの場所についての 話はなかったがそれについては自分なりに 色々考えてみ た か納得の行く説明はどうしてもでき ないなぜ父は行くなと言ったの かそれに対する答えはあそこが悪い場所だ からというより他 ないあそこに似た場所はひょっとして あちこちにあるのかもしれないが効果不か 未だに詳しい由来は分からないままで いるというお話でしたえっと山奥に何かが 出てくるっていう出てくるっていうかまあ そういう場所があるっていう話なんです けどこれもまあ悪い場所っていう風に捉え ていますがえっとこれは多分出雲の辺りな んですよね場所的にえっととその後で投稿 者が米子の方かって聞かれてそこから えっと西に4時間ほど車で行ったとこて 言ってるのでまそうすると島根県のえっと 多分広島寄りの方になるのでま町村 合併もも市町村合併したのでその時の山側 の方っていうことですよ ねでその砂の中にあった白い丸いもって いうのが何なのか分からないんです がこれ神域ですよね多分そうみるみるさん 僕もそう思いますえっと神の領域だと思い ますあの悪い場所じゃないと思うんですよ ねはい むしろなんか う下手に手 を入れてしまうと悪くなっ てしまうの でまそういう意味では悪い場所は悪い場所 なんです がただ悪いっていうための場所じゃない ですよ ねで砂に埋まってた丸いものは そのえー開発色ですから丸い形の何かが ほんのわずか砂の中から顔を出してきた これもその出雲あたりだと考えると石か わかだと思うんですよねご神体だと思うん ですよね丸い形のご神体が砂の中から出し てい顔を出していてそこは神域でみに 立ち入るべき場所ではないとだから父親も そこは自分の家の土地だけど入るなって

いう風に言ってるわけですよねでも多分 息子の方はそこが新益だっていう風にま 理解できていないからただ単に悪い場所 だっていう風に認知してしまっているでも 本来は新息ですよ ねでこの辺が結構その階段 を聞いたりとか見たりする時に重要な ポイントじゃないかなと思うんでです けどあの やっぱりなんだろうなそのタブーの理由 っていうのは色々あると思うんすよねその 本当に例えば祟りがあるからとか純粋に その公人とかまあ神様だったとしてもま 悪いただ悪いっていうものもありますよね あるいはその呪物だったりとかそういった ものはもちろん触っちゃいけないわけです けどあの同様に神域とかもそうのみに触っ てはいけないわけ で近づくにしても その物産みたいなね形で神域に触れて しまうとやっぱりとんでもないしっぺ返し を食らう可能性が あるですよ ねなんでま僕としては多分これは新息で その丸いもの丸石が身体じゃないですか ねで少し出てたっていうのはかつてはそれ に直接的に拝んだりとか祈としたりとかっ ていうのが多分あったんだと思うんですよ ねで今やそういった風習もなくなりただ その触れてはいけない神域としてだけ伝え られているでもしかするともはや神域って いう話でさえ あの脱落していてただ触れてはいけない 場所っていう風に伝承されているだけかも しれ ないそういう風に思いまし たそうですね新益だとねそれなりのみさと あみぎ等が必要ですよいやそうだと思い ますだからその一概にねここでちょっと気 になったのはなんでかって言うとその 色んなレスがついてるんですけど その心霊スポット的なものだっていう解釈 があっ てえっとこれは投稿者かなが書い てるですが霊感ゼロの人間なもので幽霊の タを見たこともないですが因果関係として 何かがいるだから悪い場所ではなく そもそもそこが魔女だから事故が起こる 人死が出る矢印心霊スポットの噂が立つと いうこともあるんじゃないかなと何もかも 土ツにはまるポイントと言いますかうまく 言えませんですえうまく言えません がでえっと石か何かに見えたって言ってる んですねえで え頭蓋骨じゃないかって言ってる人に対し

てそれは自分も思ったんですが断言はでき ません石か何かにも見えましたがただ墓地 でもない山の斜面にいきなり古い無縁物の 母があったりその周りに平気ですぎやら ひのきの内気を植えたりするところなので 骨でも不思議じゃないですねとは言ってい ますが他やっぱり石じゃないかなと思い ます骨だとすると事実になるのでねま事実 の可能性もなきにしもあらずです がそんな事実あるんですかねだから やっぱりアンタッチャブルな場所は悪い だけとも限らないっていう悪いだけとも 限らないっていうか理由が悪いから アンタッチャブルなんじゃなくて神聖だ からアンタッチャブルなんだって いうところもあるっていうことを意識して おかない とこうね悪いだけの場所だったら心霊それ こそ心霊スポットの噂方って肝試しに行っ てもいいかもしれないけれどもやっぱりね いくつか複数の意味で新息には行くべきで はないのではないかなと 思いますけどねもちろん新たっていうこと を知っていくのと知らないでいくのとでは 全然違うという話なんです [音楽] がまあだから不意に入らなくて良かったな と いう感じはありますよ ね骨ね頭蓋骨だとすると ねでもそうすると比較的らしいんじゃない かって気もしますよ ね土着的な信仰の可能性うんだから究極的 には ねその土着進行に由来するものだと思い ますけど ね [音楽] うんま結局行ってみないと分からないです けどなかなかねそこに行くことはでき ないですのでねこれ多分出雲の山奥の方だ と思います場所的に まあ出雲の山奥だっていうところに 引きつけすぎなのかもしれないですけど その新益だっていう解釈自体 がまそういう可能性はあるかな とま下線のものが近づくなっていう意味で 言えばそうなんだと思いますけど [音楽] ねはいえっとではそうですねまあもう1個 読んだら遅くなりすぎてしまうのでえっと 今日はこの辺りで終わりにさせていただき たいと思い ます

・参考にさせていただいた書籍
村井康彦『出雲と大和』岩波新書、2013年

【不思議な体験募集】
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怪談朗読を中心に配信を行っているチャンネル「ゲーデルの不完全ラジオ」(https://www.youtube.com/channel/UC8FO_4TfE4625VOF9z4Bb4w/?sub_confirmation=1)です。
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※使用楽曲
甘茶の音楽工房さん https://amachamusic.chagasi.com/

※使用イメージ
ぱくたそさん https://www.pakutaso.com/
pixabayさん https://pixabay.com/ja/

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2件のコメント

  1. 「バイクになんか乗ってくる」ってのは経験ありますよ。
    東京西部にある五日市街道が井の頭通りへ分岐するところがあるんですが、深夜2時ごろそこをに入った時、突然バイクのシートに何か飛び乗ってきたというか落ちてきたような感じでバイクが上下に揺れて危うく転倒しそうになりました。
    なんとか無事停車。
    道路には落下物も滑ってしまうようなマンホールも見当たらず、はて?と首をひねりな発進。
    ところが全然スピードが出ない。
    井の頭通りという道はほぼ直線道路なんで深夜はかなり飛ばす車が多く、自宅まで動くパイロンと化し冷や冷やしながら帰宅。
    翌日、バイクを調べても特に故障などなく首を捻るばかりでした。

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