【天皇陛下万歳】國士舘烈伝 PART2 大和民族極右国粋主義
ことねぶち殺すことも注するな [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] と オスオスの精神とは耐えを 耐え忍びを忍び おせ せこれが事故の一のオスのになり オはいレデチャンネルです本日もご視聴ご 成長誠にありがとうございます本日も よろしくお願いいたしますえ本日もねえ 先日 えお会いしてまいろんなねお話を聞けまし たえ国士館のね大先輩のねえお方からま いろんなねま雑談も含めて当時のいろんな ねエピソードやお話をま聞けたんですねで それについてねま余すところなくね 皆様方とねえ共有したいなと思っており ますその方もね採算おっしゃってるんです けどやっぱり年には勝てんてことでね当時 のえ細かい話ももっとね色々え思い出せ ない部分もあるので今後ねまた え聞いていきたいと共にあと過去にねもう 結構お付き合い 僕もお知り合いになってまもうえ数十年 経ちますので昔からね聞いてたお話も含め てね余すところなく皆様方とね共有してま 当時のねえ国士官がいかにね凄まじいえ 学生集団だったかってことをね僕も やっぱりねこれは世に広めたいと思って おりますのでこのに関してはまあ本当にね いろんなお話えあるんですよですからその 辺もね え余すところなくねえ僕もさらけだし え皆様方と共有しね えしたいと思っておりますのでえ1つ よろしくお願いいたし ますえっとですねま僕がねえタイトルに まずね始めにまちょっと僕もえお させていただきたかったのがえ僕も やっぱりねこの民族派局学生え集団みたい な形でねちょっと表現させてえいただいた んですけどもこのね民族派っていうような ことも結構ねあのいろんなまあの歴史やね えいろんなまあの解説等があるで1つね またウキペディアからなんですけども引用 させていただきましてこちらもね皆様に ちょっとえご紹介させていただこうかなと 思っておりますのでえご覧くださいでは どうぞ民族派民族はとは日本における第2 次世界対戦後の右翼の1つの傾向あり方 戦後日本のウは東西の戦構造において民族
主義よりも反響主義を重視したそのような 状態に対して1960年代後半には反響 よりも民族主義を重視する青年学生の勢力 が登場する彼らは規制の羽と一戦を隠し 右翼と呼ばれることを嫌い自らを民族派と 呼んだしかし冷戦寺にソ連中国など東川 諸国を指示する日本社会党現社会民主党の ために会見発すら不可能で軍隊を持てない 日本が民族派の主張通りに動いたら国際的 安全保障で孤立対米輸出による経済発展を 失っていたと指摘されている戦前のように 内部にソ連のスパイや中国神父がいること でアメリカ政府が日本や日本人に敵対背日 だった時代ではないのにわざわざ西川諸国 と対立することはソ連の絵にしかならない として批判された実際に神米派を適しする サハには一部の言動が利用できると指示さ れたが世論的な指示は広まらなかったそれ に対して神米派は指示を広げ緊密な連携で サハが支持してきたソ連崩壊達成その後も 中国の対日軍事挑発などから日米安保指示 が8割に登って世論の指示を広げた神米ウ は自衛隊にさえ国内反対世論があった時で 感情ではなく対局的に動いたこと東川諸国 の最優秀国家東ドイツと戦後の日本の発展 の差西側についた経済安全保障の正しさを 証明したと主張している民族派の運動は 三島幸夫の言動や審査欲の活動論に大きく 刺激されこの時期に飛躍的発展を遂げた 民族派の政治的主張の特徴はベソによる 世界分割支配をIP体制ヤルタポツダムの 略と呼んで厳しく批判した一般に民族派と される野村修介は審査翼やアナーキストと 討論に応じたりテレビ朝日の討論番組朝 まで生テレビにも出演したこれらの積極的 な言論活動は既存の右翼が今まで行ってい なかったことであり注目されたまた元統一 戦線義勇軍総裁の三沢地連は準文学の作家 として長く活動したはいいかがだった でしょうかいわゆるねまえざっねえ ウキペディアのえ解説の一部をとご紹介さ せていただいたんですけどもまザクっとね したま説明でえ恐縮なんですけどま大まか にねこういったものであるという風にえ 解説されておりますでねえま前もって言い たいんですけど僕が個人的にどんな思想を 持ってるとか持ってないとかそういうのは 全くちょっとこの場で語るつもりもござい ませんしあくまでもえこの画の趣旨はえ 当時のね国士館の国士館についてのまえご 説明をさせていただく動画でございますの でこれは私個人のえ考え方思想ではなくま 歴史的なね事実をえ語らしていただくえ 教育番組ですのであらかじめ了承のほどえ よろしくお願い申し上げますでこちらの
説明の中にも出てきますえ1960年代 後半にやっぱりその民族主義をね重視する 青年学生組織が登場するという風にま書い ておるんですがままさしく僕もねやっぱり え他の方のお話ですとかま当時のねま歴史 書をま読む限りやはりね1960年代のえ 原ま1960年代っていうのは波乱の時代 でしてまえっと米国のねベトナム戦争でま 日米ともにねえ反省運動がかなり広まり ましてえ日本でもね やっぱりものすごくえ物々しいえいろんな ね事件があついで起きたま時代だと思い ますえそういったま時代激動の時代にです ねやはりえ国使会みたいなねこういうま え国数主義をねえま唱える え学生たちがま立ち上がりねえやはり生年 学生のその 国際主義え思想を持ったねえま学生組織が え登場 するということなんですよでまこれは まさしくも国士家当時の国士官大政や国士 官高校生であり やはりねそういったま えまいわゆる国防のためと言いますかま そういうまえいろんなねえ日本の治安をえ 守ったという風に私は聞いておりますです からねこういったまあ当時はもう警視庁 からのま水面下でのま要請もおそらくあっ たと思うんですよまあった風にも僕は聞い てますただまそれは公式なまえことでは なく まいわゆる警察活の警察にお前らその股で ねそういうのいろんなやらがま え暴れ回って治安が悪いということでまえ 立ち上がったっていうような えことがあるという風に私はえ以前からね 伺ってますしま実際に僕らがえやはりま 暴走族時代もねやっぱり警察の方にもま 色々え言われたこともありますしどうなっ てんだとまそれにま元々ね極悪や皆殺しま 国士官高校生がまいわゆるその暴走族を まあ成敗するっていうようなことでねまえ 結成はされたんですがそれも元をたせば やはり競争族と呼ばれてたねその連中がま バイクやその無法なねえ行為をすることを まあの警察がまどうなってんだとという風 なま要請が直接ねまあ思観性やまそういっ たま後派学生まえウフのねえ若者たちにま えそういうようなお話があったという風に 私は聞いておりますですからままさにねま 先ほどのまえ話にも戻りますが ま1960年代後半からねやっぱりこう いうことでまあ国士官がねえまあ国のため 日本のためにね えまそれ以前からももちろんだとは思うん
ですけども特にまえクローズアップされ 始めたのがまこの1960年代後半なのか なって僕はえ思ってるんですけどもねはい はいですからまやはりですねえ当時から やっぱりこう胸に秘めてたのはやはりこう えまいわゆる若者青年ながらもね え我が祖国日本をま守るというね意識の もとにやはり こう治安維持ですとかやっぱりこう無法も こらしめたりやはりまあなんだろうなあの あのその根底にあるものはやっぱりこう 祖国日本を守るっていうようなね意識で やはりえいたとですからやはりこう無法者 のねえ不良学生ではなくてあくまでも派な ね え愛国士にあ満ち溢れるえ日本男子だっ たっていう風にねま他の方もええ口揃えて 皆様おっしゃってますねやはりえただの そのゴロつきがないとやはり俺たちはえ 日本のため祖国のために え祖祖国を守るためにっていうような意識 がね皆様やっぱり共通にあったと聞きます 本当に素晴らしいことだと思うし本当に やっぱりね あのま波乱の時代ですからやはりまあ今と 比べてね平和ではなかったと思いますえ そういったね若者もうええなんだろうなえ まそれはもうどの思想においてもそうなん ですけどこの段階世代のから段階世代 ちょった後っていうねやはりこう若者の 共通意識としてやっぱり日本を変えるって いうねえ意識が非常に強かったんじゃない かなって僕思うんですよそれはどんな思想 においてもちょっと僕は言えると思うん ですよねこの時代背景ま共通してることが やはり皆様方 えっと共通してるのはあの日本を良くし ようっていうようなね あの 気持ちがあるがゆえのやっぱりそれが悪く な悪くねなってしまったっていうのは やっぱりそれは問題なんですけどもただ そういうことではなくてあの共通意識とと しやっぱり自分たちのこの日本をよく変え たいっていうことはねやっぱりあるんでは ないかなって僕はちょっとふと思ったん ですよまちょっとそうじゃない方も いらっしゃると思うんでま全部とは言わ ない言いませんけどもまやっぱそういう 方たちがやっぱり多かったのかなって僕は 思いますよねうんだから平和な時代に僕ら は生まれてるのでやっぱりそういうことに おいてねちょっとまやっぱりねえ的にも やっぱり えすごかった時代なんじゃないかなって僕
はね個人的に思いましたはいで話はねえ 戻りますがやはりねその当時ね60年代 後半からま70年代80年代初頭にかけて のねえバリバリのねえ国士官高校の時代に えやはりねえ前線としてねた舞台がえ やはりねえ新宿周りっていうのがあるん ですよまグループね新宿を経由する人たち まいわゆる新宿周りと呼ばれてたんです けどもやっぱりねえそちらの方たちがま 国士間御用足しというかま国士官制がね あのよくいた場所っていうのがあるんです よま当時ねやはりま時代的にもねやっぱり 今みたいにコンビニがあったり今みたいに 携帯電話があったりね今みたいに こう何でもある時代じゃないのでやはり 当時の若者がねたむろするつったらま喫茶 店だったわけですよ当時は左天っていう風 に呼ばれていてま例えばね当時もまあの 流行った言葉がまあるんですけど例えば レモンスカッシュのことをですかって言っ たりねそういったま言葉もまあ略した言葉 もね流行ったりまあ異性を風味したわけ ですよ喫茶店で溜まる例えば横浜銀牌のね え歌詞かなんかにもえ出てきますけども コーヒー1杯でね何時間もこう喫茶店にね たむろするっていうのがやっぱりこう当時 のね不良少年のま え定番のね え溜まり方あであったわけですよねまそれ はもう国士関成においてもま同じような こともあってで国士関成たちがの不良学生 がねやっぱ溜まってたえ新宿会話で溜まっ てた喫茶店有名な喫茶店っていうのがあっ たんですよそちらもねえご紹介させて いただきたいと思いますそれでね余談なん ですけどやっぱりねえ新宿っていう町はま 昔から物騒な町でであらゆる有名な事件え のねえま関係性をもがあったりもするわけ ですよそれにおいては喫茶店っていうね そういったまえ当時で言えばま若者のま しれたね え田の仕方だていう風なま感覚ではあった んですけど当時はま新宿今でこそ新宿アル タっていうのは有名ですけどアルタって いう建物ではなかったんですよねあれは2 っていうなんかこう雑貨屋ビルみたいな そんなビルなんですよで当時はままだ笑っ ていいともがなくてあの笑ってる場合です よっていう番組だったんですよそれの光景 番組が笑っていいともだったんですよね 元々あの笑っていいともがなくてあの笑っ てる場合ですよっていうような番組だった んですよでまさにその時代あのあたになっ て笑っていいと思うも始まったんで当時は ねアルタではなくて2コっていう雑貨ビル
だったんですよねあそこはでえっとアルタ になってからもずっとあったんですけど アルタの真横にね地下に行く喫茶店があっ たんですよ細い階段をえ降りていく ええ喫茶店あ違うかな細い階段を上がって いくのかなちょっとすいませんちょっと ごちゃごちゃになっちゃってそこの喫茶点 がえ確かね昔そのえっと新宿の なんかでなんか有名だっ た方がねそこで射殺されたっていう事件が あったりあとはそこの喫茶店であの いわゆるあのシリアルキラーのねあの長山 のりお長山のりおが工事昔バトしてたって いうようなねこともあったりまあ色々な まあ あ物騒なね人たちもやっぱり色々携るたり するんですよでまちょっと余談なんです けどこの長山のりおって人も要するにま あの事件後にねま服役中にその無知の涙 っていうえ本を書いてるんですけどもう 要するにこの人あのま早い話あの共用が なさすぎてすて あの小学校も6に出てないんですよで本当 にもうあの何にも分かってないというか もうこういう事件を起こしちゃってるん ですよねすげえ若い時にもう19歳とか 二十歳ぐらいであの死刑囚になってんです よねこの人でいわゆるそのピストルをね 略奪していろんな人を殺しまくったんです けど要するにもうあのこの人はあの中で もう自分の過去振り返ってあまりにも鞭 すぎてあまりにたからこういう事件を俺は 起こしたんだっていうようなことを言っ てるんだけどもまさにそれが本のタイトル 通り無知の涙でもう本当にこの人のねあの 追いたちとかももうあの超東北のなんか 田舎の出身のなんか行商のすげえ兄弟の中 のま末っ子とかなんかそんな感じの人で もうほとんど文字の読み書きすら全くでき ないもうものすごいなんかあの手段の親父 にこうDV受けながら育ったようなもう絵 に書いたような悲惨なあの境遇でえ 生まれ育ってる人ででほとんども教育とか あの字も全くほとんど読めないんでもも あの本すら読めないんでもう全く動物的 動物みたいな感じだったと思うんですよね それでなんかまむちゃくちゃな 事件バ起こしてっていうような方がいるん ですけどまそういうあの当時のね日本を もう新刊さしたまある意味あの 衝撃的なねあの事件でえまそういった方が ねえ2コの横のまと現在のアルタの横のね 喫茶店のまウイやってたっていうのは有名 な話なんですけどまやっぱりねこういう ような危ない人もねやっぱり好んで新宿に
ね あのデリしてたのかなみたいなあ感じです よね で話はすいませんそれちゃいましたがでね あの当時大体思観性が あの蛇腹きてねうん え集団でぶわってあしかんだみたいな感じ でいた点があるんで今もう現在はないあ1 店舗あるのかなただほとんどないですね もうそれについてもちょっと伺ったのでま これ以外にもあるとは思いますがま代表的 なちょっとあの喫茶点だっていうことで 伺ってきましたのでご紹介させて いただこうかなと思いますまず ね王城っていうビルにあった白場っていう 店舗があったみたいなんですよここはま あの結構有名な喫茶店でまここにま国使 関成がよく溜まっていたのと あと西武西武っていう喫茶店はえ東口の えっと現在のなんて言うんだろうなあの辺 ま要するに東口の えま商店街っというかま あの色々ショップが並んでる通りですよね ま南口に方向行くあの十次郎のところの横 行ったところにま2階である喫茶店昔から ある喫茶店なんですけどえそこですとかが 後で えコーヒー貴族エンジンバラっていう なんか24時間営業のえ喫茶店があった みたいなんですけどそこもやっぱり あのよく溜まってたみたいですねあとはま 歌舞伎町の神 コーチ上コチはま僕も記憶ありますけど ここはもうスコブル逆走がま怖い人だらけ でここの前を通るのですら怖かったですね 本当にここの喫茶は本当に僕も鮮明に今も 覚えてますけどま店の前にももう本当に あのえ怖いおじさんたちがいっぱいいたり してねここは本当あの今でもすごく僕も 怖いあの喫茶点だったなっていうような 記憶ありますねはいあとはシオンっていう まここはもう本当に あの国士感性がま溜まってたっていうので かなり有名だった喫茶点なんですけどえー こちらがまえ御用たしの喫茶店だったそう です はい HV
出演や取材ご希望の方は【resshiden777@gmail.com】までご連絡下さい。
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3件のコメント
最初の画像、54年から52年入学組ですね。鳩ヶ○の小○さんが写っていて、懐かしくなりました。○山さん、いつも1人で東上線の十条で朝高とあたり、靴がボロボロで登校しておりました。あとは長靴ですね。
この方は本当の士舘生です。根性入ってました。東上線廻り渋谷一家の方です。あと西武新宿のミカト"にも溜まっていました。何かあると四方八方から士舘生が集まって来ました。この頃から次第に左派勢力が増えて来た頃です。ブレザー高まっしぐら
押忍
担任はかとちゃんで引率に丸ちゃんですね
この中で何人東大!京大行けたのか?なぁ~😊