京都面白大学第59講 長谷川敏彦(日本医科大学元教授・医療人類学・公衆衛生学・医師)対談第二部 2024年2月11日

あはそういうに言うべきで ないからえまある人はまあそのまま 受け止めて偉いことですねっていうような 反応はありましたま僕もそのうちの1人で え本当かしらていう風に思った経緯があり ます え そのま実はその本は その冒頭に書かれてい て医療の医療が脂の手に貢献者かどう かってことを検証する本ではなくっ て現代医学 がベースにしているデカルトのま機械の 機械論的な態感生命感っていうのが学には いいのだろうか悪いのだろうかってことを 計するんだっていう風に出いて大変あの 内容的には深い内容の本なんですけれども えまそう いう当時アメリカの経が振り返って医療 って本当にどういう明果たしたんだろうっ ていう本を出たっていうことそれがま おそらく あのに勉してというええ暗黙の無意識の 背景なんじゃないかなと思ってい ます後にそれを翻訳して出すことになって いたのですが未だに出さずにいるというの で死ぬまでには出さないといかだなという 風に強く思ってる次第ですまとにかくその 負け運が非常に大きかったということ ですで未だにまマキムの仮説はいくつか 反論があっていくつかあの論文出てはい ますけどもしかしながら未だに影響力が あって特にイングリッシュスピーキング サトリ英語英語権では未だに引用されて るっていう状況 ですそれが1つ目の記ですねはい次はえ その次 があの 大学院卒業して から プリーター でタ勉強してる時にはい あのおそらく僕が受けた最も感動した2つ の授業のうちの1 つメデア論の需要でと練習してたというの ははいはい 現代に至るまで大変深く影響を受けたので はいえ僕はもある意味で言うともう ズブズブのメディア論者ですあ マクルーハンええうんそのメディアが コンテンツをマサージ だでま実あのマハはあの文学をやま古典 文学やっていてそれでま彼を取り巻いて 2人重要なアシスタントというか同僚がい たんです1人はあの自分大学院生であの

ウルタオグていう方でえイズの本山です ああはでえ先祖大学の教授で時々常智にも 来てでその初の本 えっと日なんて言うかなオリティアダルシ ていう本の役が日本に流行ってサの教が 紹介してすごい流行った 本がありましてで え彼はそのうん同じコンテンツの例えば オデ生という神話が書かれた場合オラルで 伝わってる場合のるのは違うんだっていう ことを証明したっていうでうんでそれ何て 教授オルターオグオグねうんオルターオグ オルターオグあの僕が2回会したことうん でもう1人がま同僚でウモカーペンターっ ていう方ですうんこの方は人類学者だから 世界中の文化でメディアがどのように影響 してるかってことをあの研究していた方で たまたま僕の友人があのハーバードで出張 抗議するよっていうんで連絡があってうん 僕半年あの一コース付き合付き合ったん ですけどもすごかった僕軍受けた事業の中 で1番人生で1番すごかったおおあのパと とね本が積んであるというのは彼が出した 本は全くれないか金本になる金本え例えば これ金本素晴らしいもなんだけどカナダ 政府が発にしたカナダ政府のあのエスキ 批判を書いてあるのででも素晴らしい本 ですねこれみみして見てもうんカナダ政府 のうんエスモ批判ええそれは批判できるわ ねそれでそのあのまアメリカの学のさから なんかあのすごいそのネイティブ オリエンテッドで あのフィールドノートを 全部郵便局に預けて行になった人とかね うんだ興味深いエピソード教えその1番 印象に残ったカールシスターっていう方で これ見の真春の方なんですよねうんうん それでほとんど知られてないでしょこの 写真も素晴らしいねうん写真そううんあの カールシュスターっていうのはあのハのの 教だったけどほとんどロがなかったという なんか非常に共感を覚える僕がでほぼだっ たっていうねうんだから僕あのアメリカの 折口しのって言ってんだけどあのでも間ご 喋って あのアメリカの人流学者がフィールド ウォークをしに行く時に必ず彼に アドバイスを求めたっていうカール シュスターていう人でちなみに彼は優しい 人だったのでうんエドカメダ家で見とっ てるんですよマーガレットミード見とって カールシスター見とってマクルハ見とって それはどういう風な繋がりそ自分の家で 全部友人あ友人たちで取ったの友人たちを 家にうんいやいやいや自分の家に住まわせ

て自分の家に住まわせて曲がれてみの最後 うんうんすごい人だね うんそこまでやったわけええでこれねあの 嫁さんが可でねまガールフレンドがえその フランス人でお父さんがその石油を 見つける機会を発明したっていうんで毎月 奥の金が入ってるのかなうんだから金に 困ってないそれにてもそうまそれでもね そういうボランティア的なねそことがあの できる見取りができるってことはすいこと ですようんまあ正確的に優しい側面がある んでしょうねまそういうね何かがないとね それでマクルハ扇風の背景を秘密押して くれましたよそのマクルハンとカペタが 一緒にサンフランシスコの郊外の出版社に 缶詰めなってこれからマハ主やれたいんだ けど手伝えて言ってでマフはイエスと言っ てカたのてまこカた金がいっぱいあったの でやる人がなかったっていう ことだけど毎回毎回の講義がまそのメイン テーマはねWhatisリアリティなん ですよ何がリアリティなのかっていうのを ずっと続けてうん例えばあの同じフィルム からその全く違う 番組があるんだけどアメリカにそ違う番組 を作どう違うか見たり本当やったらだなん だけど彼はあのマ顔聞いたんでやったりと かで順番に説明してくれてうんであのよく 言ってて女性に言いにくいけどあのね授業 をけるだけで言ってしまうのセックスする 必要ないもう聞いてるだけ言ってしまう そんな事業でしただから僕はこういう授業 本当ににやってと思っているんだ けどあのやりましょうあの面白自由あの 京都面白大学でオンラインでもできない はずはないていうみんな上手が行って しまうというだからまもう1人はあのあの あのリチャードレブンズていうハーバード に風少ないあのえ共産主者なんだけども あのエコロジーの先生でまそれはちょっと 今日あの是非お話したけないから置いとい てあとですね そのハーバード偽学生時代に実は え中国物に来りましたうんあの僕本当に うくてミにいる時代に知り合ったんだけど もあの え本当の中学部と静電を 伝える海地領っていう先生についてえ中学 部長になかったんですねうんだ僕3大内科 県だからえ対局権あの行員権八卦省なった しからまジャクレメンタスっていううん 外画園もなかったんだけどその家庭で二一 先生がボストンに来られてそれでボストン で教えたいっていうことで実は私あの 学校中国ブスの学校を開いてそして宣伝を

してえ あのテレビに出てうんその先生を紹介する という映を得たんでそれが僕の人生の1番 のピークうんそっからだーっと下がってき たていうそうだなまピクだとは思わない けどもまま1つのね1つの見ですね今日は かさんにもう1回上がるようにさいて もらうと思いますからそうそうそう上がり ましょう上がりましあこれこれがまその時 のまだ何は来てないからねその時のまあの 宣伝のポスターです ねということでえ僕が知っ てるあの彼はその一般にはえあの発八極拳 パーチーていうので有名でうんそれの静電 なんですよで彼が珍しいのは県の科学両方 ともオリジナルからあの知って るっていうことでモードが違うので2つ 両方ともマスターしてるじゃ珍しいんだ けどうんま以前せよその僕は全部で たくさんの方法なってうんえ毎朝練習し ました全部練習すると4時間かかったうん だからじゃ先ほど申し上げたようにその ハーバードの偽学生以うんあの主事号の後 の2年間っていうのはうんまその中国武術 と勉強とうんちょっとこっそり言うとあの 美人の女子大政とを追っかけるっていうま もう人生のハイエストピークででまそれ から何度も言うけどずっとどんどん下がっ てきてるっていう状況でありますそれで まだこれから上昇しましょうとはいそう ですねもう宇のさまでねカタパルトで行き ましょうさんの力でぜひお願したいと思い ますはい以ありがとうございそうであと 細かいとこはまた本の時にはいはいで とりあえず第1部のこれはいいでしょうか ねこれではいじゃあ第1部はこれで1つの 区切りをししましたはい はいどうぞ先ほどはいあの1点ま2点です ねを言わしたことがあってま先ほどのでお 2人の あの歌出てきたんだけどま僕もご多分に もれずに学生運動のうんあのえ挫折があっ たわけですよでその時に僕の場合どうした かと言とま勝手に気取ってうんフナ労働と か言ってね何労働フ労働フナ労働民の中へ ていうあつまりま我回にしなるほどうん うんていうようなあのでそのえ 大体架空の世界にま学生運動として進んで たので一体国民あるは住民どういうこと 考えてんだろうみたいなことをする必要が あると強く考えてで沖縄に行ったんです私 は民族学年にそ1970年頃えっと70 70年頃ことは本土前本土前うん本土前の 沖縄を会みたうんだから ま実は大学にその東南アジア医学研究会

っていうのがあってそれがどうか海外班は ボルネオに行って国内班ってなぜ海外なの に国内班があんのか分かりませんが国内班 が沖縄に行くとうんうんでそれのに ちょっと乗っかってうんえ僕はそのえ持っ てたコインを全部売り払ってそのお金で うんえ沖縄に行ってそれで何をしたかと 言うとずっと沖縄の生活とかあの いわゆる民族とかあって見てま当時赤間だ 黒だっていうあそれ見たうん儀式があって あの色いい表島でうん井島ではなかって あの小浜島です僕言ったね島島かうんま その時でもう町民が全部帰ってきてれで大 参加してうんすごい時期に見ましたね70 年頃って言ったらねご存と思うけど2人の 男と女のカさんが来るあのはいはい月が 上がってくると場正面にお背中にして出現 して1個1個の家をあの回って修復して 歌いながらねえそれで突然消えるんです闇 にそしたらガーっと歌声が東町と西町から 上がってきて書き掛合ね書き裏書きよだ から万葉がそのまま残ってあのあれえっと やきたかったっけ沖縄にって万が残ってる よって言ったの本当にそういう感じが 降り口のるかな口かなうんえという体験を うんしてまこほと最に僕の場合には結局 民族学うんの方に行ったんだなという風に 思いながら聞いていましたはいそは1点 もう1点はねあの えっとちわのうんあのちわじゃなくて えっと違う名前やった正確には日本ロール 新話校6ロール神和校うんロロール神話校 の解説された時にまそのえ神が来てえその 子供がいないとかなんとかっておっしゃっ たようなことをいや僕もねうん文学少年 だったので高校時代に変な小説書いてった なってことを思い出したおおうんどんな 小説高校のねま文芸部だったんですようん でそれはねあのこんなのえっと魅力がねま ずっと前場で待ってたその時をねえ52億 何年て56億7000万年うんそれ終わっ てからその地上を訪れたらうん何もなくて 全ては心霊だとうんでがかりしたという そういう 状さそうだね 白うんそういう小説を書いたこと思い出し ました太郎のシトシト みたいというなことでまその2つをっとき たかったのですいませんどうもはいじゃあ じゃあ私の方から第2部行きましょうか ま今日インターミッションが入ったようで あの前半ですね第1部午前中の馳さんのえ 今 1970年前後からまえ 1980年代の米国での生活そしてえ

83年に日本に帰ってきてえま2000年 近くまでのま大体こう川さんの うん行政マと言ったらいいのか官僚生活と 言ったらいいのかまその部分でこうやって きたまさもその部分の補足ができると思う んですけどねそでま現代から未来に向けて の大きな課題っっていうものをどう捉える かっていう風なま日はちょっとメタレベル の話が中心になると思いますでその前に 私自身がこの長川さんと同時代をどういう 風な伴奏の仕方うん1970年に出会っ てるけど2人がまだ別の ねそしてえ2人が本当にあのったのはえ 1988年なんだよねそんなでしたねだ から28年間のブランクがあるんですよで その間に1980年代の終わりにあのあ こっそりとあの見えない大学本法の早稲田 法園でのあのそのえ浅のねえ企画したなん に聞いてくその時は本当とあのあの昔のね ロル和の本は思ってないからあの全然あの 末違偉い人の話聞ていいとそれで2人とも ですね現代導とかなんとかでま色々と論文 を発表したり本をあの書いたりせたという 風なま平行線をたっていた時代にどういう 風に私自身が生きてきたかうんで私のあの 70年以降は水伝説っていう本をこれ最初 の本なんですがうんうんうんえ出すことに ま全勢力を集中していたと言っていと思い ますもちろんあの大学院に行ったりえま 浸透についてえ研究もしてきたりしてそれ は今日まで繋がっているんですけどもね 1番自分自身のこう内的モチベーションと してま先ほどの話を言えばスピリチャル ペイン的なお話をあのこう をどう向き合うかという自分自身の課題と しては水人伝説という本にまとめました それを出版したのは 1990あごめんなさい 1984年1月1日ああこれがえ私にとっ て最初のまさに処女策ということになりで それは20代1970年代にほぼ完成して たえ出院大学で作っていた密教学科の学生 同人誌 マーラマラていうのは悪魔という味です マーラというサンスクリットのね雑誌が ありましてそれで えそこに連載してたものそれを本にする ためには3年ぐらい時間かわって1984 年の1月1日にでまこの内容については もうここでこうお話しするようなこう余裕 がないと思うのでま [音楽] う中身 は中身はですね本当に本当に荒っぽくあす だけ言うとうんロックンロール神和校

は古代の神様が神話の神様が探しで現代の え子供たちが本当の探しまこの2つの ベルトルがどういう風に絡み合いながら こう遺変りえま消滅のねえ天気の死の中で どういうこう命という風なものに向き合う かみたいなまそういうものをロック アングラミュージカル風にったというも ものなんですねで水人伝説にとって私に とっては日本の民間信仰とこの宇宙という 風なものの中で神話がなぜ成立してきたか みたいな うんうんま はい携帯だけをすればSFシはうん え私にとって2001年後の旅みたい な全く2001年後の旅みたいなえ蒲田 当時龍の世界っていう風なものが水神伝説 で水神で水水水の神でそれを作って木船 神社に1人ですねあ能に行ったっていうの がま 1984年の1月のことでありました僕は その11月にアメリカに帰ってニューエジ のいろんなリーダーにインタビューしたん です84年ちょうどなので全くあの内的な アルバイト自分自身の内的な仕事にねま 専念していた同時 にの日本の思想会の中でいくつかのこう 発言はしてきたうんでその発言の眼目 は日本人にとって神とは何なのかっていう ことをうん改めて問いかけるっていう仕事 ですねでそして新党のもの考え方の中で やっぱり中心をなしていたのはえ神社が1 つうんでその神社という風なものをこう 正義していった団体であるところの戦後 できた神社本庁というのはま括 でそれをこう支える教育機関として研究 機関として国学院だあるとか新党宗教学会 とかていう学会があるまこういう風な流れ がその新党を巡る人間関係のあるいはその 社会的な構造の中で大きなあの位置を持っ てたわけですねえ私は国学院大学の出身者 でもあったのでそこに身をおいて学部大学 員 えそしてえその後も新党宗教学会という 学会にも入りまそこで研究発表とかをして きてそして現代思想などのも思想出しに 1983年ぐらいから論文をね浸透系の 論文を発表してるんだでそこでえ私に 対するうこう批判というのかえまここでは もう事項なのでえも室にも言ってますけど 言いますとね 1985 年5月頃か な国学院 大学及び神社本庁の部課長以上のま100 名前後でしょうかねビラが海軍所が分かれ

たでその海軍書の中身っていうのは3つの あて蒲田当時は共産党第5列であるうん第 5はスパイアで本当時の思想はあるいは 研究は国学院大学の思想と全く違ううこう もうなんていうかえ意思層というの かというそういうものなので田当時にま3 つ目はですね天中を下して国学院から追放 せよと既に私は19801993年からあ 1983年から国会員大学の非常金交渉を していて国会員大学で え臨時学日本倫理思想士ベッカの倫理学ま え3韓国をっいてその3科目を非常金行使 として担当してたんですねだから国学院 大学から追放せよというのはそういう非常 金も含めてうんま彼のその大学でのね非常 の仕事 もえやめさせろということでも圧力でも あったわけですよね うんでそういう風なその海文章が出た背景 は私がやっていた研究と発表してした論法 は体制から見たら国学員という体制から見 たらかなり遺的な内容であったということ につきると思うんですねじゃあその遺的な 内容って何かというと私に言わせると私の 考えてることの方が保守本流というのか うんごく普通のことで日本は新物集合的な ものの考え方がベーシックにもうんかなり 古い時代からあるという考え方が1つです ね そもそもあの神様みたいな存在があの唯一 の神でありませんから いろんな神様があって例えば長谷川さんと 私が自在にもう合体するような馳かまた みたいなねそういう神様にすぐになっ ちゃうことができるわけですよ [音楽] うんカあカ川とかねカ長川とかうんうん うんうんうんうんこういう風に自在にこう 合体したりまだ分離したりするようなもの を日本人はとりあえず 神ま1つの名前をつけたりして神という風 に呼んできたりあるいはそういう神がもう 多種多様にこうあるこれはおそらく縄文 時代から変わらない縄文以前から変わら ないようなそういうその神々の連続の中で 日本人の神話的思考であるとか様々な習俗 的な議であるとかいろんなあの縄文のこう 遺跡のようなねものを作り上げてきてそれ がええある時代にえ例えば実用体制になっ て天皇というあのまある種権威と権力の 気候ができてもその根本構造そのものは 変わらずにずっとこまで来てい るっていうのは私の根本認識だったんです ねうんだけど も稲作濃厚とか乞食を起点に置く

と天テラスが中心になるうんうんうんうん その天尊降臨したあの天皇が中心になると かそしてそういう風なその表に出てきた 神々のおピラミッド体制というほど強くは ないけれどあしやっぱりこうヒエラルキー 的な部分はあるわけですよねそういう中の 階層序列の中に位置付けられて制度的安定 を見てきたまそれが神社というものの格式 ではえ官平代謝とかね官平注射官平勝者 国平代謝国平注射そういうのは名時代に できてきたりあるいは演技式内政の中でも 明人代謝とかいくつかのね大中小とかいう 風に言ったりする列Openみたいなね 格式になったりそういう核というものは 天皇を中心にして小3小1位とかね小3位 13位とかそういう風なあの会員を授け るっていう構造と基本的にはパラレルだっ たわけですよねうんでもそれが日本の社会 のかりな部分とか表の部分ガバナンスと いうものを維持してきてそれがえ両下の感 とか中性に崩れたとはいえ武下政権になっ たとはいえ武下そのものが両下の感として 正意対象軍というのを天皇から称号を もらってるわけですからうん体性そのもの 構造は基本的に変わってないんですよねで それを位置づける門上古代門上として乞食 や日本初期がもうかなり発生所に 出来上がっていでこういうような考え方が あのまある週え日本の宗教の表の部分を 作り上げてきてそれが戦後国学院大学とか 神社本庁とかあは新党宗教学会っていうの がそれをもう支えてきてるうま制度的実態 であったと思うんですよでもその実実態の 内実コンテンツをですねま資に吟 私のような考え方はかなり古い時代から 成り立つと思ってるんですねそれを私は あの新物集合以前に心身集合があった神々 がすでに集合していたとなるほどなるほど だから神々の仕だそイの神であろうが何の 神であろうがもどんな神でもいろんな神が もうより集まってきてそしてある種の複合 心みたいなものを作ったりあるいはそう いうものをまた解体した別物にして行っ たりするので自由時代にそういうものが 出来上がってきてたんだこれ1つの習俗的 な思考としてでそれがある段階で神話的な 思考として記述としてえ乞食や日本職に なってでそういう中でえこう表現されてき た思想の構造みたいなものを現代の思想の 文脈の中でどう捉え直すかていうことの1 つのこう思想解釈が私の仕事 うんでそれがえこう内的アルバイトの水人 伝説みたいな物語の捜索とは違う形で外に 向けての発信するねあの浸透思想としての 読みどか解釈これをどうできるかっていう

のはまの最初のま表向きの仕事になっ たっていうことですねそれをあのこう誘導 してくれてあのうんま1人がえマスコ 新さんで今回のねあのそうです85年に思 のベクチュールっていう五完本をねやって えすごいそれにあれ は23ヶ月に月に1ぺぐらいで多分ね蒲田 さん全部5週前ぐらいずうんそうそうどぶ ね蒲田さんだけですよね全部書いたそう ほんとうんそはね変別だけど足爪ライザ ブロか当時まかなりね若手の赤赤坂のりと かねそうそうそうみんなに書いてもらった んそれでさ蒲田さんがままだみんな全然 無名ですよあ当時当時そうだよねみんな 無名ですちょうどだから田さんが水神伝説 書いて赤坂君が排除の現象学ってのが最初 の本そうそううん女の現象学ね書いてそれ でぐらいの大体みんなねほぼ同の主です そう赤坂が2歳ぐらいしたかなまでも初め が23歳上だよね大体そのま島さんと初 さんが大体2たような年代そそれ賢者だっ たのが多分一緒の小坂州でってそうです 現代の当時ねうんでそこで1番最初が多分 大道ですよねうんそうですそうですそれ からずっとシシリーズで書いたえそうそれ で私がねえその神話的思考と民族学的思考 というか民族学的思考が私の中では 結びつか作を得ない背景っっていう ますで今の神話的思考というのは私にとっ て10歳の時に古を呼んだていうのは決定 的に重要でうんそしてその17歳の時に 青島に行った時に青島っていう神社が小事 の中に出できた神様山子と海の神のね娘で あるプレタがあこう出会ってでその上矢の 命というえこの子供が生まれたっていう ようなことを神社として祭人に祭っている うんこういうところをここ2年から3年に なる春休みに行って神社と神話が結びつい たとだから政治と神話っていうのは私の中 でそこで17歳の結びついたんですよで そういうのがうんあきっかけになって6の 島校という19歳の時のねあのうん劇に 繋がっていくんですね神話とあのそういう 空間というか場所とそれからあのそこで そういう種せにある場所で行われる演劇 ですねうんうんでその演劇っていうのは私 の中では何かやっぱりこう 神聖物語みたいなうん神聖ナラティブ みたいなものだったので今でもあの芸術 芸能 含油詩人を名乗って歌を歌ってますけれど あるいは死の朗読してますけど私にとって 本質的にこの切り離せないもんなんですよ ね生年の場所であの歌を歌うとかこう いうそれでじゃあ民族学的な思考というの

はどういうのかっていうとあ各地域地域に 残っている頃が伝えている民間伝承をその ままこうインタビューしてえこう拾って いってそれ記述てくってのも1つの スタイルですけど私にとってはあの徳島県 安市桑野町のね一緒すたじさんばあさんの 語なんですよね1番身近な ものでそこがですねちょっと医療に関係し てるんですでその前に長川さん自分の紹介 としてねじさんばあさんの こと長さんの本のね 長谷川宇三郎町新医学前世を作る善草原 者それからあその前にやはり草原者から 医学前腹と健康の原理その腹がですねこの 月変 に土というの腹ですねこれが初犯があの 戦前ですよね確かあ昭和33年かうん前後 ですかどじあのでこのおじいさんのことを まず話してもらってねあの長谷川さんが こういう広がりのある世界にこう入って いるこう背景と私がじさんばさんのその 自分にとってものがどういう研究と神話と か医療ケア今にね関わるケアと結びてか これについてちょっとね自分自身に即て 話したい とまその祖父がこういう本を書いてこう やって るっていうことを知った大ぶあではあり ますけどもまこのさ流にじちゃんと僕との 関係で言えばま大変変わられてうんそして 仏道のコクあったんでその行くとこういう のあるよて見せてくれてあのそういう会話 があって え大変趣味があって面白い人だなと思い ましたようんあのうちの親父は全く面白く なかったのでうんあのめちゃくちゃ真面目 でま僕の前ではねしのねそれで対して大変 面白したなでもう少し経ってからこういう 本を出してるっていうんであの大変人気が あったねこれ結構当時うんまこの本がね うん売れたん10もなってると思うんだ けどもで審判にもしてるとうんうんでま彼 彼の今からちょっと振り返ってみると あのものすごワしてね大学続ですぐ20代 でねうんあの本出してるんですよ3式呼吸 と言ってああそれは戦前だ ね電運動という本も出してるあああそれは 僕も知らなかったけどね電運動うんだその 時に腹式教式恐式の運動が生理学にどう いう影響がるかっていう基礎勉強をして 基礎研究をしてでこれで実は大学の同級生 でも犯罪のえ部学教授は当時自律神経と あの不あごめんなさい自律神経で交換神経 と不交換神経っていうものをあのあ発見し たとでそれその原料を使ってあの全を科学

的に分析しよう医学的に分析しようという のはこのテーマだったですよねだからあの ねえその時 えっと佐藤さんっていうもう1人の研究者 と同時平行なのか一緒なのか詳しくわから ないんだけどあのバイオフィードバックっ ていうのをにそのこれが応用されていっ たっていう歴史があってうんあのまそう いう意味ではそういうの広がっていっ たっていうことでありますよねでそのじさ のうんなんていうか趣味というのか世界 っていうのは長川さんのある週この広大な ワールドのねえこのもの見方というものと まお父さんの見方はある医学者として待と っていうかパーシャルですよねうんだから 医学者としてはあのま真面目で全頭だ けれども面白さにかけるとうんただあの 橋川さんは本能的にですねお父さんの世界 まいわゆる近代医療医学の世界では ちょっと満足できずもっとこうひかまそこ までは考えたかと思うんですけどでもそう いうのはね子供の頃から感じていたって ことだよねおあの多分だから仏教とか仏道 とかま全集とかそういうことの影響あった でもすに関心あるのは根のところをうん それはありますねだから高校の時に試験が 終わるとちで試験休みの時に7に行って 少々行定見たりそれからあブド見てもらっ たり高校生でやってたのでそれちょっと 変わってるよねあの時代だからね1960 年代だからねうん60年代の全般でしょあ それが工事で僕あの仏教の方読みましたね そういえばうん渡辺証かなんかの 新仏教っていう本あの本読んでそれで何気 に現在のえ当時当時の現在の仏教っていう のがえ腐敗してるっていうのかなんか ちょっとうん感じやたうんそのえ本当に その人々に対して教えを解かないんだかな とで僕もご多にもれずに初期仏教に少し はまって当時も中野げんねはめさんの本が いっぱい出てましたからうん国教とかTT の言葉とかねまあ高校生だからそんなに 深く読めなかったんだけどあの大変初期 仏教に関心を持ったっていうことありまし たねあそれとね僕10のなせたもう1つ あの僕あの小学校の1年から高校の3年 までマイナス2ヶ月間荒野で荒野さんで すごしうちの親戚不問員っていう荒野では 有名なあのえ空海のえ先生がえっと プレゼン空海がトレーニングセンター作る の結構図書って感でしょあの空海うんで それその時にプレゼントするんですよあの 金像あの国造部門方ねうんあのご教えたて 言われてるうんだからあのそのそこのお 手話ですねだから念地集のうんうんうん

あのゴゾのええ映画国宝で持ってましよね ありますねうんだからそのま文字じちゃん の影響もあったのかもしれんけどもうん あの えっと親戚のうんその親戚のクさんに行っ てからは結構あのま密教と接するような とこはまあのうちの親父は勘違いしてうん こさん涼しいから勉強するたうん全く勉強 せずに毎日冷館に行ってバダ見とったって いうそれからまマダは理解してないけども もう身に染みてるっていうとこありますよ ねその辺がねあのあのうん橋川さんと私の アルセデス接点というか教通の部分でも ありうんまだ違いは違いでですねまその今 からちょっと話しますねはいでえどういう 違いかというとねあのその今民族学的な 思考の根っこの中に徳島県ア桑野町という 私が育った地域性っていうのがあって空海 に関しては同じなんですよねうんうんうん あのそこはあの空海の3域の分のとこにも 書かれてるように国造問事を使用した ところがうんうんえ我が家の近くの今21 番札所の大留寺っといううんえ空海の中で は大量だけによじ登り国造菩薩の信号をね 100万日間100万面唱えれば兄響きを おしまということがとこですねでそこが石 からあのま車だったら20分ぐらいととろ え歩いたら3時間ぐらいかな23時間で もう1つ22番2の平等時っていうのも里 の方にね近くで歩いて30分ぐらいの ところにあるまこの2つがえその四国変の フラシだったそれで空海ゆかりの小像あの 部門地法ので竜の岩屋っという岩屋でで ここの中で空海さんがこってね今やったん よみたいなそういう話を小さとか聞いてい てで私のいが小野さ信言州の僧侶でうんえ その寺の住職もして学校の先生もしたりえ しながら住職をしてたでその松永優という 後に小屋さ大学のあの館長にもなり小さ 大学の学長にもなった僕何度も遊びに行き ましたえの弟子でもあったでそんなことが あって空海には親しみがとからあったこと は事実だけど私は空海に対する写真以前に ですねあのお変のさんうんもう春特に春先 白小学でこといけいけ回っていくような そういうお野さんを見ていたし自分の家に 角付けしてねお平野さんが話しでそれお 接待でこうおみかとかえこうお菓子とかえ お米とかちょっとでもね持っていくわけ ですよこういうの ずっとこう見ていたということが結構です ね自分自身の大きな影響を当れてるという 風に思うんですねそのま民間習俗的な民間 信仰的なこう元風か うんこういう旅人のね変の旅をする人の姿

たそこでこう祈りをこうしながらね歩いて いくこうやって今にいたるもケアとか なんかを考えていく上で自分にとって1つ のね本っていうのか1つのモデルになって いるわけなんでこういうことするのかって いうこととここでせたりとかするっていう ことが一体どういうようなねま医療じゃ ないんだ けどだけどホスピタリティですよ間違い なくねうんうんでそういうその関係性を 組むということがその人にとってま病気の 人が多いわけなのであお変のさんに来る人 はそれ歩きながらこうみみこう行く中で どういう風にそれがねその人たちにとって そのお接待が意味を持っていくのか エンパワメントする力になってるのか みたいなことはあの意味論として分から なかったけど感じるものはうんなるほどね あったわけですよでそれが1つの外外側の 世界であって内側の世界ではですねま私 あのえ兄弟4人え男は3人女が1人私は2 番目なので当時という名前がついたで祖父 祖母おじいさんおばあさんがいてジはがい てというので え トータル44だから8人かっ てで家の間が小屋と離れがあるで離れの法 まいわゆる隠居部屋え徳島弁的に行って 隠居陰キャって言ったかな陰キでそこに箸 をつけてですねうんあのこの小屋と離れの 陰キをを橋で繋いでいたでその橋は 取り外しができてま通路もになることも ある分断もできればえそのつつけることも できる簡易な橋 だで私がですねあのある時祖父が農で倒れ たんですよ多分私がうんえ保育園保育所 って言ったかなその当時桑野省の保育所に めていたまおそらく5歳前後 ぐらいだと思うんですがある秋ちょっと 記憶に溺れながらあるんだけどま何歳か5 歳かだと思うおじいさんが倒れたみたい なでそれからねノイ血で安心不になったん ですよ [音楽] うん右半身薄いあ言語が障害があったから え右のあ左のやられたの右半のですねあ そうですね言語のは 発せられませんでしたううとかとかという ような状態でで死までは続きましたでその 私が小学校6年かなだから5歳から12歳 までだったら7年間ほぼ小学小学校の生活 が私は祖父母とその離れる過ごしたです よあの他の家族兄弟3人いるけれどはうん あの父母と過ごしそれはさほどのね本当の 父母の問いかけに私の中でどうもね繋がっ

てるように思うんだねうんそれで え私はあの祖母の方はあの本当の祖母だと 思ってたんですよでもそうじゃないって こと後になって中学生の時になて分かって きたんですがえその祖父は阪神もすに寝た きりところがそばが間もなくですね乳がに なっていたことが分かってそして医療拒否 をしたので医療拒否してたまにですねあの バド委員というところからバド先生という 人が大子に来てくらバイクかあるいは前車 だったかそれでそのうん月1回かぐらいは あの大信で見てくれで毎日毎日朝ゆうあの 母親がそのガの幹部をえ消毒するそういう 毎日をずっと見てきて2人の病人の間で寝 てたんですよおお でほぼ家にいる時はじいさんのあの脳血の ね半身をくいで寝だき状態で子葉もしない だけどうが目でなんとかね欲しいとか時で ブザ鳴らして母を呼んでとかていうような 様子をこうずっと見てた異常生活がでもう 一歩はその祖母がえニガになってどんどん どんどんそのガ細胞がですね黒ずんでいっ て侵食してえ最後は骨が透けてまでね白い 骨もう全部ねあの乳房うんうんなくなっ ちゃった穴がいたうんでそこまで行って ジャコメッティの彫刻のようにな状態に なって え高校卒業した後死んでしまったでその 祖母の日1日1日と幹部がこう深くなって いくという様子でそれを母親がね所得して るっていうの要子を見てきてでまほぼ祖母 と一緒に小小学校6年間はま3本側で寝 てるだけれどま実際にはあの布団を敷いた 祖母と一緒に寝たというような状態でそこ でいろんなね民間進行みたいなもんが られるわけで小田信仰とかいろんな話があ うんでそういうものが自分の中のこう物語 のねになっていたっていう祖母のねうん うんでそので祖母は描写だったねガのニガ で医療拒否をしていてえ私にとってえ祖母 で忘れないことは3つ1つはです ね医療拒否をしていたんです けど癌の治療をどうするかということに ついて私子供ながらに小学校4年の時だと 思うですはっきりとですねそうにこういっ たばあちゃん僕が医者にやってばあちゃん の放射線事業でね癌を直し るってねこれは最初に私が何かを人のため にしようというね最初の発言社会的発言 だったと今になってよく思うんですね 思い出すんですねでその祖母の乳がを自分 が医者になって最新の治療がその時どっか 情報仕入れたんでしょうねあ放射線治療と いうのね小学校5年ぐらいだけどどっかで え聞いてたんでしょう射線治療で直しあ

るっていそそうしたら即座に祖はね拒否し たんですよやめてくれとうんあの医者 なんかになってほしくないうん坊荒屋さん に行って坊さになって くれ坊さになったらねあの時なん言だかな 7代9代ね家を救うんやみたいなうんそう いう民間進行なんですよそこの世界はだ からあの医者になるよりボサになってくれ 私もう丸坊なる絶対嫌だったからさだけは なりたくないてその時がねだから坊には ならなかったしま会社にもねならなかった けどでも今日本臨床宗教司会の会長してる からなんかね両方が接中なんで近づいてる ところにいるなとは思うんだよねうんうん でもその祖母のあの医療拒否した祖母が 防犯になってくれと言われたのはね今でも ねさってんだよねうんそれで結構ねあの嫌 なんだけど嫌な言葉だけども課題宿題の ように ずっと残り続けて今に至ってるんですよで も私僧侶嫌いだ僧侶にはなりたくないと 学校の先生と坊さんだけではなりたくな いってのは高校のね私のもうあの1つの ポリスだった しだけどもそれがすごく あのそうれっっていうものの本質は何かと いう問い掛けのね発端にはなったで一方で はフンドさんで一方のオエドさんはもしろ 民間信仰の世界種族の世界だけどそこでは 病者の人がやってくるんだ多くはで病気や あのペインを抱えてる人たちがね応援の舞 をこうしているんだそんなことは知るよし もなかったけどどんな苦悩を持ってるか 知らなかったけど もそういうのを見聞きせたでその祖母が実 は徳島芸者だうんでその祖父があるある みめてえこう結婚してで住むよなったで その祖がですね私にねと姉に一歳上の姉が あの写線を教えてくれたとで私はあの姉は あの女の子だから写線でもね引いて日本部 でもできるようにという風になった私の方 が結構ね上達したうんあのやっぱ好きだっ たでしょねこう芸能がだからその祖母の あの戦を引いているな師みたいにね師 みたいにこれあのなんかね自分 をおもろいかもみたいなそしてえ彼女は 言ってた常にゲは身を 助ける私彼女の中に残って残ってることは 3つあってうんうんボサになってくれと いうこと うんゲは身を助けるっていうことがでもう 1つはお前のほんまのばあちゃんという こと葉どういうことかというともう小学に なって私はあの思にえま大きくなったんで じさんばあさんとね一緒でなくてもいいや

ということにもなり祖父がなくなったので ねだからあの祖母は1人でもますぐ近くだ からあの別にあの私と一緒じゃなくでも いいというとこにもなりで私がの屋の方で あの他の兄弟と一緒にあの部屋はちょっと ずつ違うけれども住むようになった ところがえ中学2年の時だったかな10年 歳の時だったか病気でねえ寝込んでいた時 祖母が私のとこへ枕元にやってきて正在し てねうん突然ねあの物々しくねうちはお前 のほんまのばあちゃん女と言うんですよ者 のでね私はお前の本当のおばさんよと言う んです よすっごい違和感を感じて強烈な何も返さ なかったけどばあちゃんほんまのばあ ちゃんだったらそんな言う必要ないよ本当 本当のばあちゃんだと思ってんだからてね ここまであの出たけどなんかこれは裏が あるなっていうかこの物物の下にはね なんかがこうあるたで彼女が思い切って私 にそれを言いに来たというなんていうか こう切迫感も強く感じたんだねそれで色々 聞いてみるとね実は祖父の6番目の妻でで うちの父あの父母にも全く血縁関係はなく てそれでま5歳の5歳というかま最後の 知合いとしてえま祖父が認めてえ50代 ぐらいかな40代のりから死ぬまでえ一緒 にね過ごしさ合いが祖母だったいうことが だんだんと分かってきたこれはあの父から 聞いたわけでもなくもちろん兄弟からも そんな話を聞いたどこからともなくそう いうのをねそれが私がロロールシワをあの 作る時におなるほど本当のチハートは何か ということと家族っていうのは本当の祖母 だと思っていた家族がねおばさんが本当の 家族じゃない もっと自分にとってはあの切実に本当の ばあさんのように思ってしまうこのうん 家族意識みたいなものと実際の家族生物学 的な家族っていうのとズレがあるように 自分の中では思ったわけですようんそれで それは神話的にも言っても民間新法で言っ ても陽子制度とかいろんなことも考えても ですね家族の形態は結構複雑にいろんな形 や考え方があれると思っているのであの前 でも言うじゃないですか部未以前の本来の 面木とかねま真の族というのかあのそう いうこうで一体何なの家族ってどこまでを 言うのとかねまそういうその えこう問いかけが自分の中では強くあっ たっていうのが全部ミックスしてはいあの ドの島がり19歳の時に決するでそういう その本当のねえ兄弟とかえ父子と関係とか いわゆる家族という風なものが持っている うん生物学的なあの説明と神話的な説明

とまたそこに断層もあって結構これは自分 の中であの人間とは何かとか生命とは何か と私とは何かとかそういうことを考えて いけでえてる方になりましたそしてそう いうものの中でそのうん神々の中でもです ねいわゆるファミリーがあるんですよ天皇 権になっていくファミリーでも天皇家で 1番こうあの退治したのが大という ファミリーね大ののファミリーの元を訪て いくとスノという神様うんもうスノは天照 という天皇家の元である神様と兄弟である でさらに遡っていうと知母とイザナ伊波と いう部があったでそこの分断とか分裂とか 対立とかっという風なことがずっとこの ファミリーの歴史の中でも神のファミリー の歴史の中でもね繋がっでも表向き天皇 中心にした日本の社会の中では天皇家の ファミリーの方があのこう圧倒的にこう あのドミナントていうか本流のように思わ れてきているわけですよでも私はそこに もっとこうもう1つのラインというかえ あの本流としてさの伊波さの大という 繋がるファミリーの京風みたいなものをね ちゃんとやっぱりい続けたいというのが あってそのファミリーの警の中に大本教と いうあの近代に生まれてきたレな出口おさ というねうんえこの人たちがえイトつまり 本当の神様はえ奪われて隠れてしまって 追いやられてしまって追いやられてしまっ たがこの近代のあのメジ信吾のこう世界の ねもうどうしようもないドンズマの中で もう1回復活してこの世の中をよくして いくみたいなねそういう世直しの神様とせ ていくというのにま1つこうビジョンを見 たわけですよねでそれは今に至るわけです けどそういうそのファミリーの経由みたい なものが自分の中でえもう最初の課題とし て1975年に出雲大社と大茂東京の部え 弥勒神殿というのをあの参拝してこれから 私は新の研究をしますと誓った出雲大社と 表教のね相の聖地でそしてふ吹いた龍で吹 そしてえそこでは私はこれからあのま表の 神神つまり手中心の神々のゲじゃなくて裏 の神々っていううんえ出雲の神々の風国神 の神々のの浸透をねちゃんとやっぱり研究 していきますというね誓を立て て来年で50年半世紀おおで1975年の 3月に時だったのでまさにその前の年にま あのこの本が出ると思うので嬉しいんです けどねその50年のその総決算を今すべき 時期に来てるなとでおの中でその大士がね 調べれば調べるほどね医療に関わるわけ うんそうですね特に少ないと一緒にそう そう大阪だってあるでしょ民間人口でその あの医薬品の昔からのね薬どやみたいな

とこで少なくなと多くにし大国さんもね 大国さもうんでその稲の白作業を助け たっていうね神話的な物語になってるあれ がま医療の発生でもありま医療の1つの ケアの形でもあっで同時に奥にして国譲り をしたさでもあった国のね政治っていうの ガバラんすにねものすごい大きなこう何と も言えないえこう戦争ではなく若いという のでもなくなんか不思議なね工作を 編み出したあの国譲りてそれで2回も殺さ れて兄神たちに嫉妬とうんうんうんうん神 で1つは焼きを焼き殺されもう1回は木の 股の中で圧させられてで3度目またされ そうなってのでえ周りの人たちがねスノの ね不の神のとこへ行ってえ身を隠しなさい みたいなこと言ってスノのとこ行って そしてやがてそっからあの活してっていう か大にという神になってま世を収めていく ということ形になるんですねそうすると 考えれば考えるほどこのえこの天皇家と いうファミリーになるもう1つのえ裏のと いうかえそこに並行していた須のやあ大く ののファミリーが持ってる一のね神々の重 生で主は乞食では名前が5つあるんですよ 二所期では名前が7つもあるちゃそうそう アア思考とかねこういう神々の名前は違う 伝承がくっついたと思うんですよねそう するま まいろんな神様がいて神々が複合師になっ で1つになったら典型例として国家進化に なっ典型例としてオクスという神様が生成 してきたはずだと思うんですよねそれで ファミリーもそういろんな部族と部族が こう公議関係を結んだり集合したりし ながら支え合ってそういう人たちがその 物語を支えていったと思うんですよ共有の 物語ですだからそこには医療集団というか 医療技術を持ってる人たちもいただろうし 歌を歌う先ほどの赤黒のようにねで出雲 っていうのは歌の生産地ですからギターを 持ってね あのやまことの元のことことの発生室なの で雨の乗りことということそういうことを 歌いながらやっていたのでいろんな意味で 芸能の発症でもあるわけですああ出国とか ねもがきですねうんスノのねえ役も立つい もややつみにやや作るそのやこれが日本の 歌の始まりうん本に書いてあるわけという ことでですね自分がやってきている新党論 は全て医療に関すること歌に関する芸能に 関することそれからあいろんな意味でのま 日本の文化のこう1つの保守ね1つの保守 が天皇系を中心さファミリーのあのこう 形成みたいな問題をするともう1つのあの ファミリーの形成という風なものが大国を

中心にして出来上がっていくここを両方が あるということが重要だとうんうんま縄文 とやいみたいにあるいは鎌倉とうんね京 みたいにね2つがあるということが持つ こう両義性両面性総互感性こういうものの 中に日本文化の1つの力ダイナミズムある んじゃないかそういうことをずっと一貫し てきたわけなのでその中のワオブゼムとし て神物うんがあるとうんでその中に民間 振興も接着剤としてくっついてるとそして それは同時に医療やこう古代の医療民間 医療ケアの文化全部繋がっていてそういう ものをこれから先の未来においても うんどっかでね行かすことできるはずだと いう確信がり王道論ではその辺の始的整理 っていうかあしの解釈をしていったという うんその集合的なものがケアに繋がって るっていうのはどういうことなんです か あの病気とどう捉える かどういう風なことを持って自分は治ると かうんうんうんうんあのこう延命とかえね 行きたいか今風に言うと患者のQOLって いうのをね定めるのは何かということをで いったら ば1つはその人の姿勢感ってことになり ますよ ねで実際にADLのようなあの アクティビティはねあの理学療法士だとか なんとかで薬だとかなんとかでえま作業 旅行とかいろんなとこでアクティビティ そのものにフィジカルに変化をねもたらす ことができてそれは医者とか医療児しての 仕事の1つだけどで間違いなくそればあの 衰えできたり変化をこきたりして最終的に 死に至るじゃないですか 死にその時にその死に行くその自分自身の こう聞えるっていうのか死ぬということに ついてのあるよを自分なりに納得するには その人の姿勢感みたいなもの が働くわけですよねもそその姿勢感の中に うん民間信仰とかの要素とかもっときれば え個食によってま救われる人もいないとは 限らない 神話それから宗教的な信仰や神殿によって 救われる人ももちろんいるうんそれ上土に 行くとかああの天国に行くとか仮面的な 救われるあるってことでそういう中でです ねあのま宗教はそのま医療やケアの領域に 間違いなくこう1つのものの考え方とか 信念形成という形で関わると同時にあの そこまであの信年のように行かなくて もなんかあののようなものがあると かよくわからないけど山にね山からスん たちを見守ってるまあの柳国でいう山の神

様と死者が山に行くとかそういうこう民 進行とかあるです恐れざせを他のあのいく つかのね地域のあのあの 埋葬血であったりえあるいは死者が行く山 みたいなね進行あるいは海の彼の荷かない とかえ特の国とかそういうような高い進行 海上高いの信仰もあったりこういうものは あの今の自然層ね山に巻いてくれたか地目 層うんあるいは海にあの骨毎そういうもの までね繋がっていると思うんですよそれを もあのじゃあのねお父さんお母さんえおを ねえ私たちが持ってまからねあの安心して ていう風に言うことによって少しでも 安らかであることはありえると思うんです よねうん巻いてくえんかあ自分の骨がね 自然にね溶け込んでいくんだなみたいな ことを思うことによって死を重要する心が ねすごいずつこうほぐれていくっていうな こともあると で私の祖母は間違いなく あの強い強いあのいわゆる理念的な仏教と ではなかったけど朝日に朝がなったら朝日 に向てしあの野さんがいたら野さんに何か を渡しそてその非常に信仰深いま地域のね ちっちゃいちっちゃい祠や神様お前毎日 毎日お前にす行くような人がたから本当に 民間信行を生きていた人だと思うんですよ はいだったね思考を持ってないだけども おばさんは大事にしたとてもうんでおば さんになってくれと私に言うぐらいです からでそのお坊さんと言っても決して仏教 理論を理解すてもう全然仏教理論なんまお 経もま信言は唱えられたけどえ半信行も 唱えなかった しえ別にねあのその速税空とかねの思想 知ってるわけでは面白なうん仏教思想だ から完全に仏教思想の影響は学びは全く なかったうんうんだけども仏教というもの が持っ てる救いというのか何かこうケアの力 みたいなものはとでも感じてとってた人だ と思うんですよねうんそういうこう領域 っていうのが間違いなくあのこうあるなと うんそこのところをどちゃんと捉えていく かということを考えていく上でも 主のファミリーの警みたいなものは非常に 重要な意味合いを持っているそこをまあ1 つのや昔から課題にしてきたし50年で これからもそこのところをです ねあのさらにあのはがさんと協力しつま 日本のこう医療従事者や医療関係者とに その医療者自身 がモダンなね近代医療を学んできた人たち ですからそれそれに従事していた人たち ですからそういう部分

とで風さんがやってることもっと大きい 国家的な枠組の中でのメタ医療みたいな ものとその位置付けの再編性みたいなもの です私はもう一番底の底にあるあの超ベタ 思考というのかあのメタでよりもベタです ね地面の底にあるそういう中にある民間 信仰的な思考のあのアルシの肩っていうか ね共通ボケみたいな標分母みたいなものを ね炙り出すことによって一番上からとし方 サンドイッチにながらそいの未来の医療と いうものをね体でね あの掲示したいていうのかそういうみなん ですよどこでえ どういやあの先ほどね ま当時の80年代の仲現代ってのはすごく 流行ってたんですけれども僕がね誤解会い ていた蒲田さんは他の人たちと違うのね 身体性ですねああそこに関してどの文章が 体ですか要するに呼吸とか方とかうんそう いうものにすごくこだわって るっていうのが今でもわってますうん当時 のそのいろんな論の中で玉田さんにわ 際立っていたのがねそ体性なんですようん それはじさんばさんの影響なんですようん だからじさんはねもうあの動かないじゃん で子供も言えないじゃないですかでばあ さんはニガでねこれがねこういうその身体 性みたいの言葉ができないけれどでも つぶやきはあるみたいなこういうものと あの理論みたいなねは どうすごくってたんですよ歩き方ね スキップの話呼吸の話から常にね蒲田さん の厚の中に身体性がものすごくだから長川 さんのおじいさんに惹かれるんですよそう ですよねあの呼吸とねあの全とかいねそう あのだ体ってあのまいろんな思想がって いったまそのねうんその宗教も政治もだ からそのいゆ生命主義みたいなあそうです それがね結局医学館にも反映してあの健康 部分があったうんありましたね出ブームと かね健星座法っての流行ったそれがあの 多分じっちゃんがそれ影たと思うですよ大 星座法安芦田なんとか い 星岡式車を発 です僕ねちょっと非常に聞きたいはい ダイニングクエスチョンがあるんですけど うんどうぞその今日のそのそのインター ミッションのはいあのズーム会でかさんの 原点その世界観の出発戦に鬼の存在がある という意たんですねうんうんその鬼の問題 をずっとどうどう書けしたらいいんだろ うっていう悩んでくられたっていうそこで の質問ですがそういうその問題に対して その80え4年以降をまあるいはそのあの

神社長にえ神社にあのお祈りされてこれ から自分は研究するとその国を中心にあ るっていうに言われたことの 結果その問題は少しずつ解決てきたん でしょうかあの解決ではなくてうんかり 繋がりえこう広がってることまずですね鬼 とは何かという取りかけは私の中で排除さ れたものうんまこれはあの赤坂の乗りの 排除の現象だです つまり年も排除されてていうかね引退する わけじゃないですで出口なお出口のサがえ 受けあげたのも排除された神が復活するっ てこなんですよ 人そうそう牛の本人は鬼神でもあるわけ ですよ奇問の神だからそれで大元ではです ね福わ内鬼は外と言わないんですよ設問 最後鬼はうって言うんですおおおで私が天 弁に最初に行ったのはえその水人伝説を 出した年の3月あ4月4日CCCのですね 生命の日でその1984年の4月4日に あの天下弁済初めてお前に行ったんだけど そこ の秘められた特殊神事は鬼の宿って言うん ですよへえで鬼を迎えるまええ一種民間 ダジ祭みた不思議な祭で鬼を先祖としてで 軍事がです ね前前日通し前通し一種の軍事として働く ことができる祭祀として働く勤めることも できるあの四角認定の場にもなりま 代替わりのようなあの毎年行われる 代替わりのような儀式がね鬼を迎えるで そこでも設問祭の時に鬼は外とは言わない 鬼はうち年男は鬼ふわうちとだからそこは 縁の行者のねそう電気のであの子孫だと いうかさ偶があああのちょちょうど上がっ たに鬼のあ岩てなりますようんあの弁済で のちょっと上の辺になので全部鬼作なん ですよ私の人生はうんで鬼三郎も鬼という 名前はあのワニと書くけど 元ね元々郎と言ったん喜ぶだったそれは あのねおこのように思われ て鬼のキサブロになってそれからねそれ代 もねあまりにもね聖なるあがないていうん で和人というね大人というおがなっていく 3つの名前がねけど大にみたいなでそう いうことでね全部つり深まり広がっては いるんです ね けあトイレ ねうんその出会った話をもうちょっと具体 的に鬼を見たとでね鬼はまあのいくつかの 側面から語れるんです けどとにかく 巨大神話的に言うと大きい存在もう天井に をついていくようなそういうまえ子供の頃

に見ていたものななの でこうむあの見られないほど怖い存在な わけですよ向こうから見つめられて るっていう感が強いもんですかイ意する 対象みたいなとにかく巨人ですね うんでその お日本の角があったとかというはっきりさ ものはないんですよねうんでも鬼と言う しかない怖さで大きいとにかくま巨人だと いうことそれからその鬼が背景しているの は宇宙だっていう感じなんです ねでその宇宙というのと鬼というのが私の 中でまそれを最近あこれは1つの自分の鬼 オントロジーだったなという風にま上野 さんにも言ったのはですね え民族学的な現象学としてはこつがついて 赤鬼とか青鬼とかまとかっていう風な いわゆる民族学が研究するま小松事故さん があるような妖怪としてのね鬼の表彰が あるじゃないですかそれ片付かないんです よそういうこれってちょっと可愛気があっ たり えまたねあのこうま一種のギレ化されたり しているので私の中ではあの恐れしさって いうのはえまそういう風なところに収まら ないものとじゃあその何があるかっていう とね えより一層短に近いのはうんあの諸星大事 の暗黒神が うん有名さうんすごいあの我ですよああ 70年代かなああれは菅のね取り上げてる ですよ菅のの神話とか出雲系の神話をね これもうすごいですよ あのこのあのま1人でですねから門時代 からの日本人の神の軽風みたいなものをね えま須の神話とか訪神話とかいろんなもの をこう題材しながら暗黒神話として独自の ね会ワールドドっていうのを諸星大二童が 作り上げたんだけどえたうんこれはね私が 感じた鬼に近いうんでその縄文の土偶にも 近いで縄文の土偶を巨大にさようなもんと も言えるあの佐道具みたいなものとかね あのバとこあれはねあの田んぼのどん中に ね例えばあの10mぐらいだったら怖いす よどう考えても異物だからうんうんそう いうのはこう天井貫くようにね自分には こう見えてくるんそういうようなその鬼が なんかね暗黒神話っていうのはまバト観音 があのこう暗黒ブラックホールみたいに こう描かれたりして宇宙を拝見してんです ねあ僕が感じていたあ鬼いうのはこういう ね星が描くとこの暗黒のの世界に非常に近 になるだからその宇宙性っていうのかもう そしれのね底なしみたいなもう引きずり こまれたらもう2度と出てこれないような

怖さていう存在論的恐怖になるわけですね そうそうそうそうで同時にですねイフが あるわけですねうんでそイフがあっ てあの恐怖でもあるんだけれどそれだけ じゃないねなんかね あのイフガの中には神聖さみたいなものが あるのでうんうんそれは何ともね説明が つたいこだから宗教にこう関心を持た得 なかった1つはその時の違和感というの か単なる恐怖とかあのオブセッション みたいなねで収まりつかない医学的に言う と精神医学的に言うとオブセッションと いうか脅迫神経症みたい で一種肩がつくと思うんだけどでもそう いうあの精神学に収まりきらないものその 掃除は分かりませんよ子供だからあ後で 色々こう考えてえ精神あの医学的な表彰で 分類されるようなレベルでは自分のこう見 てた感じていたものを説明つかないなと いう感じがどうしても違和感としてもと そうするとそこが持つ強制っていうのか うんこれは一体何なのっていう時ね常にあ 立えていくっていうか常にそこがねさに出 てくので水人伝説はあのそれに対する答え の1つなんですよ私のとちゃうんオトロに 対する自分なりにねちょっとうんナルシス 的だったのはね弱み弱電だけど ね質問ナンバー2はいそののうんま最初に オドロンっていうの考えた沖とあの渡辺沖 と渡辺と鬼との関係はどうなんです かうんあの遠の業者のねうん前期5期って いうのペカの軍事さんは前件をしんだと それを見ると ね子供っぽいところがあるんだよああそう ですかうん前期のこう存在とかやっぱり あの例えば神様の前で表彰される門中と いうのか えま鬼川みたいなものや真のこうま指示 感動かな沖縄で言えばまいろんな真みたい なもんがありますけどああの小犬みたいな ものもねえ怖い子も小犬もあるけ可愛い 小犬みたいな神様かみたいなえその電気 動きの中にはですねうんまある種そういう うん神様におつきの子供みたいな同自身の ような部分も含まれているということも 事実だと思うんですよねなのでえ巨人とし ての鬼 とそういう神のま民族表彰ではですねえ神 とか仏とかの眷属としてのうんご方針まご 方針みたいなものもちょっと怖いところも あるけれどえ王道性っていうかあの陽動性 ですね子供子供せみてとその鬼があの 繋がってくるというところはあり ますありがとうござい ますまとにかく

その うん祖父母ま祖母から見ていた民間伝承と 四国の中にあるヘドさんの習俗と自分が 読んだ古という神話的総理やギリシ神話と かそういうその神話が自分にとってそのま 1つの救いというかえもを考えていくね物 の見方のね本間にそういう窓がねあると いうこと自体が私と救いだったんですよね うんこの世の説明だけじゃない説明の仕方 があるんだとがあるんだとこれ自体が少い そしてそれを自分なりにですねこうまとめ てみると水人伝説いう物語になっちゃった という うんそそれをさらに生な形で本当のところ はどうなのっていう問いかけがロノシはこ だったとうんま序論と結論と言いと19歳 の時のロコロルはプロローグでうんうん うんでとりの33歳の時に書いた水ですが とりあえずの結論がその段階で20代のね うんそそれがですあのま繋がっているし あのじゃ医療医学とどう関係していくかと いう問いですけど ね あの魂の今日もあのこ領域えがあるかない かも含めてです けれどその人の持ってるあし実音的なこう 違和感と現実との間のねまあの世の問題も これは深く関わってくると思いますそう いうものに対する自分なりのあのこう回答 や え こう足納得がいかないと死んでも死にきれ ないという思いを持つ人は必ずいるんです よねああなるほどねうんうんで中途半端に ねうんま天国ありますよとかっていうこと で収まらないし安心ができない人が いっぱいいるわけですよでも本当にいるか どうかなんてわかん存在するかとか分から ないものがあるで仮説としてまそれ仮説で いいんじゃないかというレベルでね横に 置いとける人も中にはいるかもしれない けど置いとけない人もいっぱいいるわけ ですそうした時に信や宗教がこういう風に 語ってくれてというこう見本というか モデルをね提示してくれることは手がかり になることは間違いないんですよねそして そういうことを信じきって生きてる人も いるということでそれによって成り立つ 儀式がある実際あるということまクの天底 もそうだし新党の祭りもそうだしそういう こと前提にして成り立ってるじゃないです か何百年も何千年も続いてるっていう祭り あるんですからこの積み重ねてか リアリティは半端じゃないものですよね それをあのつぶさに見れば見るほど花祭り

とかねいろんな祭りが鬼にもできたりする わけですよあの感じれば感じるほどですね ま簡単ごじゃないのうんそんなに1て冗談 にもう社悪的な説明で収まるんじゃないな というそしてそれはあの確かに コミュニティのね人たちの共有のうん文化 でもあるから コミュニタコミュニティのウンターケアて いうか総合にケアし合っ てるそれを支えてることは間違いないで そういうその神話的思考や物語的思考を これから未来にも生かし得るっていうか そこはあの信じる信じないのレベじゃなく てこういう物語を持ってるってことを みんな演劇空間で一緒になってやったらね 違うこうあのこうセラピーになるんじゃ ないかっていう気がどういうテもするわけ ですよ一種の演劇がセラピーですからそれ をねあの精神医学の病気だとイタリア なんかはあのいわゆる精神描写にねドラも うん民ありますねそれ実際のね病院で解放 して病院なんか作らないでもうそういう街 を劇場化するみたいなで統合市長書なんか すぐできるわけですよそういう得意ないう かねそういう経験を持ってる人は結構いる からそういう風にしてあのこう芸能的要素 や演劇的要素やねそういうものを医療の中 にこうもし体ブダにした演劇で日の人を 直してケアするっていうやってましたね どっかでうん大分であのそういうような 物語や演劇性という風なものをみんなが こうまアバターのように生きるこれは1つ の例えば今日は大きの顔やと今日は大やと か足から思がだとかでその役柄も 入れ替えることできるとかそういうことを することにでどれほほど気楽になれるか 解放されるかっていう目もあるこれからは ネト空がVRなかなんかでそういうことが 行われれていくんでしょもう実際行われ てるじゃんだからもう外で走ね外で出て 行けない子なんかアバターがあることなく てどこどこまで救われてるかうん本当です よだからあの悪いところもねあの出てくる けれどそういう部分でこう生きられるこう 隙間っっていうか神和的世界で遊べ るっていうま一種の遊びですねで遊びは 間違いなくセラピーになり得るんですよで 遊びは自由さがあるじゃないですか同源の 自由さこの自由さを担保するま医療の企画 って結構重たいものがあって政策内ると またお金がかかってこうガチッとこう制度 になるわけだけど遊びっていうのはそう いう部分からうんどんどんどんいしたり 隙間にね入り込んだするの結構重要なや 組むである種メタかする力もある

うん相対化する力もあるで自由であること を担保することもできるで自由であ るってことはね医療を選択する際に考える 際にま患者の自由ですねでQOLを対戦 するた絶対的に必要なプロセスというか 最後まで手放せないものの1つだと思う ます 自由であるあの藤原あのうん社人家の人間 はうんのシがえ犬に食われるほど自由だっ たっけね東京会場ですたらねうんあれ すごいよね私もこれもいいけれど全東京 海道かこれ新ぐら自由にさせて るってことでしょだから犬に食われるほど 自由だていうのも本当にそこはあの最後 までね安保しなきゃいけないというかま 人間の尊厳にも関わってきたり人間の根源 的な欲求にも関わってきたりしてこれから も考えなきゃいけない大きなパブリック ヘルスだと思って ますつまらないコメントをすると沖縄に 行った時期の多分前だと思うんだけど僕も ふっと行きました花祭り身ああほとあの愛 県のあの北だからそれ7ですよね川さん 面白い人だね本当にあの時期ねあのしたね 早さん本読んでうん民族学者にも行って ないよ度そうそうで朝の乗もちろん行って ないし熊かだって行ってるかどかわかん ないあの当時のね1番バリバリの若手でも ねその時ねもうもあれてたそのああもう どんどん若者がに行くわけじゃないですか そうすると祭りの時大帰ってくるわけそれ でわで暴れてねでもねあの長川さんそれ すごく貴重なねあの視聴体験ですようんで 長川さんの本能というか直感がそこまで 生かせた川あの早川さんのね本読んでね 医者ま医学生でしょう医学生が行くか普通 ま一あの挫折館のにフロードでしたからで もね行かないよね普ねね一応僕天王寺高校 なのであの先輩大先輩口ぶていうあ大先輩 だ尊敬してるのであ高校時代が尊敬してた いやま高校知らなかったかもしんないまで も大学入ってからは理解してたのでうん あーあそこ密感もありね天王寺っていう とこも察な面白いとこでまいずれにせを あの大学生の時にね沖縄のね えオのね赤松クマタを見花祭りを見あそこ にね鬼のような浜の窓あじゃないえま鬼 ですよねあうん出てくるしそれから花松に もね登場してのでますねうんそういう民間 の中で行われてた芸能のね持ってる本質的 なそのセラピー的な要素とラビットたちの まさに今日島さんのいうケムが言うところ のうん社会は宗教であるいうねまあれ祭り がね宗教そのものでありあの祭りが 結びつけててそれによってエンパワメント

されてるんですからま今日のあのインター ミッションに対するコメント は言うべきなどうなかようわからけどいく つか僕ありましたそのまちょっとねそれは あのいかすいかない別にしてどう最大の コメントは ね科学こそ真の世界ですよ科学っていう 体系を信じてるわけなって科学こそ宗教 ですようんでその宗教が私もそう思って ますよずっとうんでだってそういったじゃ パラダイムパラダイムの転換っていうのは 簡単に起らないとうんそれは真だからだっ て言言っだから科学のパラダイムは真れて でそれがそのまそのその転換がその他の 宗教とは違うそうですあの客観的な再現 うん手続きとか色々あるんだと思うんだ けどでもその手続きを信じるあるいはその いわ自分とは違う客観的な時間と空間が 自分とは関係ていくまするにデカのあの3 次元のパラダイムですよねそれはもう全く の信仰ですよねうんうんうんうん実は そんなもんそんなしないんだな実でねそれ をねあのうちの妻はえ私大学同級生で国会 員大学の哲学家出身なんだけどね15年間 虎ノ門病院え農芸化の医療秘書を務めたん ですようんうんそれでねえあの学生自分 分析哲学をやったんですよおあのロデとか えみさとかに興味をっ てで私は全くねネからのスペシャリストな もんですから鬼とる時から始めそれ スペシャリストと言えないぐらいにそう いうとこにはまってきた人間だからね全然 意対局なんですよでも対局も同士が引かれ てそれで川さが駆け込んであの時2でうん 一緒にね元は中島かというの3人でねえ あのああはさんの家をアパート出た後どこ 行ったか稲保どこ行って3人で稲の備1本 持っていてね稲の部屋に押しかけたのよ ええ3人があの後ね長さんのアパート出て ねでその稲太郎からこうあの受けた インパクトっていうのも非常に面白いもの があったんだけどそういうよなあのこの妻 まその時はまだ結婚してない駆け落ちだ から結婚してないけれどとこ一緒にずっと ね50年異常生活してきたもんですから 考え方よく分かるんですよマテリアルだ から私はあの排除しません全然むしろあの その考え方はよく理解できるっていうかだ けどあんたパーシャルやでといつにねもう この部分で成り立ってるよ君の世界はと いうで私は分からん全体はねもしわかるも 死後だって本当にどんな考え方もあるし いろんな信念信仰があるから本当に分から ないけれどでも私が持ってる世界も真実だ とは思ってるわけじゃないでも私はでも

違和感は感じてるあのどんな説明を聞いて もで君が言てるそのあの農家とかま彼女は ユの論者であり論者でもあるから君の言っ てるそのやってるのはパーシャルにはま 間違っていると全然思ってないけれどでも パーシャルと全体像まアイゼンベルグいう 部分と全体はごっちゃしちゃいかんだと 思う思うとねいつもそこはあのあ言うん ですけどパーシャルなものが再現性が強い もんですからエビデンスベイスな世界では ねだからそこの方の根拠みたいなものが どんどん強化されていくでもそれ信仰や それ言ってるわけですよずっとその パーシャルなものがね真実に見えるという 信仰だそうまで2で言うと結局頭で考えて るっていうこと自身は僕は間違ってると 思うのでいわゆる科学的な世界観に立って みてもねうん僕は人間は体全体で考えてる とそこをね私も全脳論者っていうかね体が 全体が脳みたいなうんであの部分のここ だけがね思あね人間が資格が強いってこと を錯角でものを見てここの後ろに自分が いると思う目で見るからうんと僕は思い ますよだからねあの長谷川さんすごいなと ね思うのは長谷川さんがあの今日話して 良かったと思うのね えま20何歳の時にね1971年とかね あの赤黒を見かつ花祭りを見それで同時に 大さんの映画のね徴兵をやりロロールシは こ見あなたのこう会遍歴っていうか放浪 あの医学生でありながらですよ ねえここまでやってアメリカに行く人いる かって いや本当よ僕有名な高さんっていう京都の 兄弟てから方やった人に大に行った友達 だったからはいで僕は敵批判されて外科の 勉強行きますと漢方ですよはいま学その時 に開はいいねジャズが消える じゃんこれ取れとかネトコルマンと かが大好きっていうまあでもそういうので ビートニクでも出会ったんだからま良かっ たわけですナンバー3のコメントあの彼女 ずっと宗教の悪くついてけどあれは制度化 された宗教の悪い側面で今日大変問題に なってる側面ですよね全部言ってんのはま 島さんはそこのところをねもせとこう基本 的に一心教ですもんねうんま新もそうだし 教めてもせとされたあの教団を作ってやっ ていく行ってる が問題をんでるっていうことなま最後の 最後にポロっと言ったけどやっぱり土以来 にキリスト教のねのあのこうあしを受けて いるっていうのが自分のすり込みの大きい 枠組みの1つになっていたことは間違い ないねっていうのは彼女も感じていくわけ

だからそうだとは思いますよだからその パラダイムみたいなものが本当なのていう ですよ ね4番目に新しい現象がいっぱい起こっ てるわけでつまり物事的な人間は死んでも ねネット上に栄養にき続けるわけです人間 はこれからはねうんうんそれのが大変です よずっと永遠にるのどうどう向きたらいい んだだからえ思いきっ生きのは嫌だって いう人の場合早く全部データを消さないと あの嫌方でも意びるのでだからその信 対するデメもうすご大きく変わってるので あの随分古典的な捉え方だなという風に 思いましたよあの永遠に生きるという意味 はまいろんなあの手法によってえその記憶 とか記録がね残り続けるそれはあの脳の 代替装置みたいな形で記録とか記憶が残り 続けるという風な場合もそのどこまでの 実現性でねそれが担保されるかとか いろんな形があると思うんだけどもかなり あの肉体を失っても残り続けるこう世界 いゆ生成すればそののそうそうそうここ 本当数年間でも比的に増だと思うけど図 自身がねかさんすっな出てきてねかさんの ようなことをね実は俺は鬼の世なんだとか ていうようなことを作り込むことで フェイクニュースもいっぱい出てくるよう にですねフェイクは出ますそうしたらシ どうかわいんだろうってかなり自存的な 通りですよこれそれねこれは本当に大きな あの未医療のね問題と私は何者かとかね 医療っていうのをどこまでねえ拡張ですね そうですねだからそれはもう明日の第3部 繋がってくるででも本当にねお2人の履歴 を語ったところで最後本当にピタッとそう です かだからいや本当今日は尊敬したね出会う べ会っているんですよねだからそれは確認 私もね直感的にはもうずっと前から行って ね川なんであなたねそのうんやってあの才 的なねあのビジョンをもっと早くこの世 にし世の中良くなるの実際さんだから17 世紀にづられた現代科学の手法っていうの があるわけだけど今日はねかさんがそれ 乗り越える新しい科学新しいその学問体系 を提案されたに思ってあそうまそれは明日 またねだ からうん考えてらっしゃる未来の上と かなりああ明日そのになってくると 思う私ボさんになて医者になろうと思った 人間がさんにもならずこんな存在になって なりはててガンのねあのガステージ4のガ になってねガなさえてきたのこのやりべき ことがクリアてガになって良かっただ本当 に思ってんだよねガになってないとねここ

まではっきりとねさらけ出せなかったえ みんな死からね最後はね あはねもうこれがあは死ぬだけててその もう1個もうすごい不思議だと思ったら あれみんな偉い人ですよね多分偉い人が 死ぬの大変だなと思ってそうねうんあの僕 みたいな庶民なったら別にどういうこと ないどういうことないけどいやそれはあの 土は庶民とは言えないない人は今過去の 自分の存在がどあのサルトに至っては何を 言っとん別にいいじゃない誰どう思うと 死んだら終わりだって思うけどやっぱ偉い 人大変だな自分の業績とか自分の過去それ はあるかもしれないねイ人中で本当かたと 思ってうんはいいやもう今日はこそうです ね

https://rifh.or.jp/company/introduction-of-major-researchers/

長谷川 敏彦 一般社団法人未来医療研究機構 代表理事
1948年1月生。大阪大学医学部医学進学課程卒業、 米国ハーバード大学公衆衛生大学院修士課程卒業、厚生省健康政策局計画 課課長補佐 国立がんセンター運営部企画室長、国立医療・病院管理研究所 医療政策研究部長、国立医療・病院管理研究所、国立公衆衛生院が統合 され、国立保健医療科学院発足後、政策科学部長、日本医科大学 医療管理学教室 主任教授を経て現職。現在は、文部科学省 科学技術政策研究所 客員研究官、東京歯科大学客員教授、 独立行政法人国立長寿医療研究センター 特別研究員、 独立行政法人国際協力事業団 技術研究員などを兼務。 主著に、『病院経営戦略』医学書院、2002.3、『病院経営のための在院日数短縮戦略』医学書院、2001.6、がある

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2件のコメント

  1. ついに長谷川敏彦先生とのご対談が実現してとても嬉しいです!70年の心斎橋でのロックンロール神話学での出会いから始まってお2人の青春からこれからの医療の可能性、、最後の最後に稲垣足穂さんも登場して感涙です。第三弾お待ちしてます!

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