自転車で源頼朝の落馬事故の現場をみに行った

ただいま私がいるのは神奈川県茅ヶ崎市 です神奈川県茅ヶ崎市と言えば サザンンオールスターズの桑啓介さんや 歌手の香山裕三さん中日ドラゴンズ山本 正弘投手宇宙飛行士の野口総一さんなど 数々の著名人を排出したことでも知られて いますかつてはこれらの死を合併して湘南 師とする構想があったようですが残念 ながら幻と終わりました湘南という呼び方 は元々中国が発症だそうでしてその湘南と いう呼び方を使い始めたのはお隣大磯町の ようです大磯には吉田茂元首相の別荘など があり日本初の海水浴場としても知られて います茅ヶ崎市は東京の江戸日本橋から 大阪を結ぶ国道一号線かつての東海道に 面した市でありえ先ほどご紹介いたしまし たえ著名人など以外にもえ江戸時代などの 史跡を現在でも見ることができます本日は その江戸時代などのえかつての旧東海道 など江戸時代などの指跡を現代でも見る ことができる場所がありますので本日は皆 様の目にご覧に入れてご紹介したいと思い ますそして私が今歩いているのが神奈川県 茅ヶ崎市の駅です本当はスーパーカブなど で旅をした動画などをお届けしていた チャンネルなのですが株が壊れてしまって ちょっと株で投することができないのでえ ならばということで今回は自転車と徒歩を 使い皆様に動画をお届けしたいと思います 駅前には数々の先ほどご紹介した著名人ラ の手方を足ったモニュメントが設置されて いますえそして見えてきました画面の奥に あるのが旧東海道現在の国道1号線です ちょうど青看板の下あたりの交差点が 東海道の駅の道路の境い目ですね右に行け ば神奈川県藤沢市左に行けば神奈川県平塚 市です東海道というのは東京江戸の日本橋 を出発してからですね日本橋品川戸塚藤沢 などのえ宿町があって発展していたんです けれども茅ヶ崎市には宿場町はありません その代わりお隣平塚の方には平塚宿があり ますなんで藤沢と平塚その間にある茅ヶ崎 に宿町がないのかちょっと私は分かりませ んけれどもえ全くでも宿町がなかったと いうよりはその宿町と宿町の間として間の 宿ということで愛の宿ということでま現代 いう喫茶点などですねが立ち並んでいた ようですえそしてかつてはえ大名たちなど のお手紙を取り継ぐための中間地点として の役割も果たしていたという記録が残って いますそしてこれからまず最初に皆様に ご覧いただくのは一立カートです一立塚と いうのはえ日本橋を出発してからですねま その一利というのは距離のことでして現代 で言うと大体4kmのことなんですけれど

もま4kmごとに使が置かれておりまして え昔の江戸時代の旅人たちはその一理を 目安にああ日本橋を出発してから何個目の 宿場町に来たんだなああ日本橋から何キロ 歩いてきたんだなというのを目安にする ために設置されたのが一里塚でした現代で も国道1号線沿いを走っていればこの 茅ヶ崎市以外にもですね一里塚跡というの を見ることができます茅ヶ崎市では駅の 近くにですね現代でもその江戸時代の一 立塚の後を見ることができますのでまずは 最初に皆様にご覧いただきたいと思います これがの東海道ですねでそうそうここから ちょっと見えるかな藤沢方面に行きますと ですねまかつてその東海道っていうのは 道路の枠にですね松の木が終わっていてま 旅する人たちのま日陰になって休憩所に なったりっていうことでえ松の木が整備さ れていたんですけれども藤沢から茅ヶ崎に 入ってくる時はこの奥にちょうど松の木が 両サイドに見えるんですけれども今 ちょっとトラップジだなでも茅ヶ崎市内 入ってくるとそんなにえ松木がたくさんえ わっているというわけじゃなくて今ではえ 各地のえ様を見ることはあまりできません でこの東海道をえ茅ヶ崎行からですね少し 藤沢寄りに戻りますとえかつて映像時代の 人々たちにとってはえ体験に重要な役割を したえ出席を見ることができますああ見え てきたあ信号の鹿にあるのがそのかつての 江戸時代の塚 です この今皆様の目にご覧に入れてますこの松 の木が持ってある このほっこりとした小さなえ丘みたいなの がえ一塚の跡 ですえ一里塚というのはですねえま1里と いうのは距離のことでしてえ1里はえ約 4kmのことですということで東海道には えこの小さなえですねこの土を持って そしてこの山の上にこの松の木を植えてえ 1がとしたんですけどもまこれがえ4km ごとの感覚でえポツポツポツと東海道にも あったとそしてえ江戸の日本場所を立った え旅人たちがですねこの一里塚を見ること でああ日本場所出発してえ何km経ったん だなどこまで来たんだなっていうえ目安に するためのものでした一塚というのは本来 え道路を挟んであの退去あの2つある らしいんですよだからこっちがえ平塚に 行く方向じゃないですかなんで各反対の対 車線側にも本来は元々東海道時代には立塚 があったと思うんですけれどもま今はその 様子後方もなくなくなっていますね全く 見ることができません塚というのは日本の

各地で見ることができるので国道一線沿い とかに住んでる方方とかは結構よく名前 しったる跡の咲いてあるものなんじゃない ですかね海外がこういう風に土を持って その上に松の木など何かしらの木を植えて 目印としていたよう です線にはえまだえかつての江戸時代の 様子を知ることができるものがあるのでえ そちらの方にも向かってみましょう私今ね 駅でご飯食べててそのついでにと思って 歩いてここまで来たんですけど本当は自転 車をね駐輪場に止めてきたんで一旦自転車 をね回収しないといけないですね ええありましたこれですね東海道を200 年以上見守ったえ黒松えこの切り株高さ 20m太さ2.5mジレは約200年江戸 時代後期から生息で茅ヶ崎地区にえ食事さ れた松の中で1番の巨木でしたということ なんですけれども残念ながらえ現在はえ こういう風にえ切られてモニュメントとし て切り株が残るのみとなってますねなんか この松の木も切りっぱなしじゃなくてその モニュメントとして残すためになんか コーティングかなんかされてるようで ツルツルしてますね樹脂みたいなので なんかコーティングされてますねま中は もちろんこの辺とかの破けてるところは木 の生身のままなんですけどもこの辺は コーティングされてますね昔は茅ヶ崎の中 で一番大きかった松のだそう ですまこの辺もポツポツと両側にちょっと だけ松の木がうってますけれども昔の江戸 時代の頃からうっていたものなんかどうか はちょっと私は分かりませんけれどもま昔 はこんな風にしてここのアスファルトだっ たところが砂利道でこうやって両サイドに 松の木がたくさんうわってそこを行く人 たちが休憩していたりしたんでしょうね バイクだとこういう風にゆっくりね解説 できないですからねやっぱ自転車もね なかなかいいもんですよえそして茅ヶ崎に はまだまだ江戸時代の様子を見ることが できる跡がありますこの東海道はですね 東京江戸日本橋からえ大阪方面に向かうと 富士山っていうのは普通右手に見えるん ですけれどもこの茅ヶ崎地区では富士山が 左に見える左富士の日というのがござい ます今走っている皆様の目にご覧に入れて ます場所がまさしくえ国土1号線えかての 東海道です昔はねここも砂利道でこの道を ずっと本すぐ行って昔の人は大阪まで旅を していたんでしょうねあ昔の人が見たら もう信じられないことですよねこんな綺麗 に整備されて車がいったって大体まだ車 なんていうものがないいっすもんね時代に

は自転車だってないんだからこの道が まさしくかての 東海道これから皆様の目にご覧に入れます 左富士なんでございますけれどもま通常は 江戸からですね大阪に向かうのには富士山 が右手に見えるんですけれどもえこの 茅ヶ崎地区では左側に富士山を見るが できる富というポイントがありますえそこ ではですねあの浮で有名なえ東海道53次 え歌川広でしたがねもうえここで左の富士 山が見ることができるんだよということで 絵に書いて残しております昔は インターネットなんかないんでねそうやっ てえ勢いとかでね見てあこんな珍しい スポットがあるのかなんて言って昔の人は ねえそういうものでえ娯楽を楽しんでいた のでしょう今はねスマホとかパソコンでね すぐ何でも見れちゃいますけどねあ江戸 時代の人たちにとってはもうそういう娯楽 は大変重要だったでしょうねえ先ほど 申し上げましたように茅ヶ崎っていうのは 宿場町としては境いなかったんですけれど もえその宿場町と宿場町の間のえ愛野宿と いうことでですねまお茶屋などかま今で いう喫茶店とかがまこの両サイドにねそう いうお茶屋とかがあったんでしょうね記録 によると大名とかもやはり休憩にえこの 茅ヶ崎のアノをえ使ったようでえかつては ですね郵便物今いう郵便物ですねえ手紙と かのえ受け渡し配達の受け渡しのえ中継 地点とかもあったようですよでまここで 大きく道路が右に曲がってるんですけれど もどうして富士山が左に見えるかって言う とですねこれをずっとこのまま道路が 真っすぐであれば富士山は右側に見えた まんまなんですよちょうど今この私がいる 地点まビルとかビルっていうか家とか立っ ちゃって見えないですけれどもこういう 建物がなければえここまではえ右側に見え たはずです昔のね江戸時代とか家が 少なかったりたおそらく平屋とかまいい とこ2階でしょうああいう工場のビルだっ たりとかなかったはずなのでま富士山は 見えたと思うんですけれどもこの位置まで はえかつての江戸時代の人々たちも右側に 富士山を見ていたはずですえしかしこれが 右側に大きく曲がっているので富士山が 左側に見える位置になるということです 道路がまっすぐであれば富士山右に見える んですけれどもこれを道路を真っすぐにし て整備してしまうと海に出てしまいます からおそらくここをグイとこういう風に ことによって東海道を整備したんでしょう ねそして今日は天気がいいのでもしかし たら左富を皆様の目にご覧に入れることが

できるかもしれませんこういうね マンションとかがなければね昔の江戸時代 の人々たちは先ほどの私の位置からえ右手 がに富士山を見ていたはずですよま右手 って言っても完全にえ右に90°の方を 向って見えるってわけじゃなくてあの斜め 前方って言んですかの右ですね右斜め前方 の方に富士山が見えていたはずですして このカーブを曲がり緩やかな坂を登り切る とですねそろそろ見えてきますよお今日は いい感じで見えます富士山がちょうど本当 に左富士で見えますよありました関東藤見 百富士山の見える街作りということですね えちょうど今画面の奥の方に向かうと平塚 宿平塚方面ですね神奈川県の平塚方面 そしてこの反対側が藤沢方面になるんです けれども通常であれば東海道の旅というの は側に富士山が見えますしかしながらえ ここはですねどうですか見てください こんな風にして左手側に富士山が見える 珍しいスポットなのですとても綺麗に富士 山を見ることができますおそらく江戸時代 の人々もねさっきのカーブグって曲がって きてここで左のある富士さを見てあなんて 素晴らしいポイントなんだていうことで 食べを楽しんだんでしょうね私長年ここの 道使ってますけれどもこんなに富士山が 見えるっていうのはなかなかないですね雪 も下の方まで降りてきてうんいい眺めだあ は確かに歌広しも書きたくなりますね そしてこれが先ほどから申し上げており ます左富士の日です南子の左富士と書いて ございます安藤広が1832年に東海道を 旅しえ東海道の町の様子の様を描いた中の 1つが左富士ということでこんな風にして 書いたんですねこれは松木があってであ これがこれが富士山ですね江戸時代の人々 たちが町をえ歩き旅をしているとまこの辺 になんか家みたいなのとかもえ書いて ございますねおそらくなんですけれどもだ からこうやってぐーっと来てここでこんな 風にこう曲がってたんでしょうねこの さっき私がえこの辺にいる時は右の斜め 前方に富士山が見えますよっていうことで ここうこういう感じですねまここに私が いるとしてこういう感じで右の方向に見え ていたものがえここからこうぐーっと カーブを曲がることによって左の方向に 見えるようになるというスポットですえ 東海道には左富の見えるスポットがもう1 箇所あったようで確か静岡県の富士市だっ たかなの方に行くとえやはりですね左手側 に富士さんを見えることができる左富士の スポットがあるんでございますけれども新 幹線の中からでもですねえ見ることが

できるようでしてま天気が良くて新幹線の 座席の中から富士さんを見ることができれ ばその日の相談はうまくいくと言われて いるよう ですまでこの茅ヶ崎なんでございます けれども江戸時代のえ出席をいくつか皆様 の身にご覧に出てご紹介したんですけれど も実は江戸時代以外の出席も見ることが できますえっと確か鎌倉時代あたりの跡も 見ることができるんですよねそれもいくつ かあるのでご紹介したいと思いますでこの 左富士のですね日のえ右手の方向にえ赤い 鳥が見えてございますこの鳥の奥に行くと え鶴峰八幡宮という神社があるんでござい ましてまその神社は何なのかというと本の 百友とか本の吉とかあの本家原平合線の いるじゃないですかえその本市現地がです ね初めて関東に気づいたえ神社だという ことですということで見に行ってみ ましょうねせっかくです からありました鶴峰八幡宮と書いてあり ますねこのサドもですねえ今アスファルト で舗装されておりますけれどもかつては ですねここも砂利道でしたえ両サイドには 松の木がうわっていますけれどもこれは 東海道の松の木とは関係がないようです こなとこにね弁図なんて書いてございます けれどもね形と関係があるんでしょうか こういい眺めですよねここもこの参道は ですね先ほどの鳥の入り口からえ鶴峰 八幡宮をえつぐ参道でしたでかつてはこの 辺は荒れ地だったようなんですけれども それをですねえ徳川なんとかっていう偉い 人がなんかこの辺を収めるようにみたいな え指令を出してですねその命令を受けた ですねえこの辺をえ統括する自主みたいな のがですねなんかこの松の木をその徳川 なんとかからえ頂戴したということで死の え文化剤かなんかに指定されてるんじゃ なかったかなだからこの木は簡単に ちょん切ることができないんですよ先ほど 松の木に注意なんて看板が出てるんです けれどもま今皆様のメニーご覧に入れて ますようにですねまこんな風にして松の木 が道路の上まで伸びてトンネルみたいに なってるんですけれども場所によっては ですねま横に競り出したような形になって いる木がいくつかありましてあちょうど こういうのとこもそうじゃないかな道路に 飛び出した松の木とかがですね車に ぶつかって車のボディを傷つけていくのが 何回か見たことありますけど私こんな風に してこの辺とかねあ分かるかなこの ちょっと赤かっチっぽくなってるところと かトラックとかがね使っててえぐれた後

ですねなので危ないからちょん切って しまえばいいじゃないかと思うんです けれども文化剤かなんかにえ指定されてる のでえ多いそれとえ切って処理することが できないようですしかし本当に危ないもの とか飛び出してしまっているものっていう のは何本かどこか伐採されていてもだっ たら別にこれも切ってもいいんじゃない かて思うんですけれどもそれはが決める ことなんでま何とも言えないんですけれど もこういう伸びた松の木がこんな風にして ですねあの電線に当たって火人になっ ちゃうみたいなのも1回だけ見たことあり ますけれどもねえそしてこんなところにも ですねこうやって昔の江戸時代の越席を 見ることができますこれ一体何なのかと 申しますとえここに書いてありますねえ バト観音と書いてございますえバト観音は 馬の苦や無病食材の祈願を込めて造立され ますまおそらく昔はこの辺に馬とかを買っ てた家とかがあってまそれで苦よのために 作ったんでしょうねこの観音様自体がここ にずっとあったかどうかちょっとわかん ないですけれどもえそしてこの説明書きを 読む限りえ作られたのは1795年のこと だそうでて言と今から何年前だおよそ 230年ぐらい前のものですかねま昔から この230年間ここにあるかどうか分から ないですけれどもえ観音様自体が作られた ものはえ230年前のものだとえ名が一気 あるようですこの観音様のですねえこの 左側にえ作った人の名前が書いてあります ねえ 背熊沢三郎っていうのかな熊沢という名前 はこの辺の茅ヶ崎でよく聞く名前です けれどねというのも熊沢首っていうえお酒 を作っている会社がありましてそこが結構 地元の人たちの中では有名な倉本なんで ございますけれどもじゃその人のなんか 先祖かなんかが作ったのかな右側には完成 7年え3月に完成したとえ書いてあり ますうん230年間えこの地で見守ってい たんでしょうねしこの広場を奥に行きます とさらに昔の様子を知ることができるもの がありますえそして先ほど皆様の目にご覧 に入れたえこの松並なんでございます けれどもこちらの説明書きによるとですね ツルミ八幡宮はえ平安時代にさると言われ ていますその後は幾度に渡る仙によって 後輩しましたがえ土時代になって徳川家光 ですねね家道から領地を7国与えられた その記念に松木を植えてお祝いしたよう ですこの辺りはえ古墳時代の後期から村の 営が始まりえなら平安時代にかけて発展し たようですがえその後になると鎌倉自体と

のえ繋がりが強くなりえ現地がだから最初 にえこの関東の地にえ神社を立てたんです ねここがえさっきの左富のえ日皆様にご覧 にいだいたところが左富の日でえこれはえ 右がにずっと行って今私がいるのが おそらくこの辺じゃないですかねこの辺か この辺にいてそれはさらにこのずっとこの 黒く濃くなってる場所がえ鶴見八幡宮のえ 神社がある場所です松並をえ発掘調査した 時の写真ですね今の道路があるところから 2mぐらい低いところがえ本当の元々の 道路の跡地のようですなるほどこれ今この 1番上車が止まってるところがえ新しい 道路だけれどもえ年代別によってこういう 風に何層かにこうやって流れてるんですね これが1番ここが段差になっててここも 段差になってるんでここがおそらく1番 低い最も古い 道路えおそらくさっき皆様にご覧に いただいた赤いトーなんですけれども元々 はこの湿度したえ木星トーということでえ 木でちゃんとできてたんですね江戸時代の 時の鶴峰八幡宮のえ様子を書いた古い絵だ そうでえおそらくあこれが鳥が書いてあり ますねこれをぐぐっと今来てこうここに ツルミ神社があるとてこれが今あここにも 昔橋があったんですねここが左富の日です ねおそらく先ほど皆様にご覧いただいた左 富え多分あの橋がこの橋なんじゃないです かねでこうやってぐっと来てここにえっと 鳥があってだからこれが東海道ですね こっちに行けば藤沢こっちに行けば平塚 ですもこの関係で行くとおかしいなこれが これがおそらく富士山でしょ左富士なんだ からこっちに富士山がないといけないはず なんだけれどもたここがこう南ぐっと来て これが鶴見に八幡とであそこが左富士の日 なんで富士さんはこっちに書いてないと おかしいはずなんですけれどね [音楽] うんこれが明治時代の頃の様子撮影したも のようですねまだ道路も舗装されておらず 松の木がたくさん並んでいますうんこっち も明治時代のものなるほどでこちらも明治 時代のもの写真のようですけも先ほどのえ 鳥がってだからこうやってぐって曲がって 私こうおそらく来たんですけれども なるほどこれが東海道なんだからこういう 風にここにこう東海道が通っててそれを私 がぐっとこう曲がってきたんだけれどもま これが東海道これが東海道の松の木だそう ですねなこっちに行けばえ平塚かかったん ですねうんこういう歴史を知るっていのは え自分がよく知っている見られてる風景な んですけれどもこうやってえフ写真ををえ

見たりすることですねえ自分の知らない よく見る光景っていうのを見ることが できるんで歴史っていうのは面白いなと 思いますねえ皆さんももう自分の住んでる 地域の歴史をね調べてみるとこうやって 面白いものが見れるかもしれませんよエズ に書かれた参道えこの絵は江戸時代末期え 工女和宮があ徳川家に嫁入りする時に書か れたあえなるほど近に弁慶図の存在も確認 することができまていうことなので先ほど 皆様の目にご覧に入れた弁慶塚もえじゃ もう160年前からあそこにあったって ことですねうんそういうのを知ることが できるから歴史ってのは面白いのですと いうことでせっかくなんで鶴峰神社の方に も行ってみましょうか私今年の正月にそこ でおみくじ引いたら大吉ちゃったんです けれどもねま私が歴史が好きなんでこう いう風に趣きのある風景とか場所っていう のは結構好きなんですけれどもまこの辺の 地元に住んでいる人たちで歴史の興味の ない人にとってはま邪魔なからたたた早く ちょん切ってくれないかなぐらい思ってる ものだと思いますけれどもえしかしながら 先ほどの説明書きのようにえ文化剤に指定 されているのでおそれと切ることはでき ないのですこういうのはちぎってるからな これも松の木なのかななんかもうずる向け になっちゃってるけどこういうのは ちょん切っていいのかなまよほどだから 多分道路に競り出したりしてたんでしょう ねさてこの松並を抜けると見えてきました スミネハマン宮のえ本殿です先ほどの赤い 鳥とさらに石でできた鳥が見ることができ ます おそらく今ここはこうやってえT0の交差 点になってますけれどもま昔は繋がってい たんでしょう ねこんな風にして立派な石の橋がえご覧に 入れられるかと思うんですけれども今では 柵がされてえ通ることができませんこう いう橋って昔は本当に実際に使ってたん ですかねこんな渡りにくそうな橋危ないと 思うんだけどなま危ないと思ったからこそ こうやって現代では作がされて使えない ようになってるんでしょうけれども おそらく昔はでもここが1本で繋がってた はずなんで私はこれを使って渡ってったん だろうな新行につき生き物を取らないこと うんおそらく夏の時期とかはセミとかが すごいたくさんあるんでしょうけれどもま セミとかも取ったいけない とえっと鳥再建え昭和34年1月10日 なるほどこの石の鳥は再建されたなんです ね昭和34年って言うと今から何十年

ぐらい前でしょうか昭和は64年ですよね ま実質63年ですかね656年ぐらい前 70年はかないぐらい前ぐらいのもの らしいですおそらくこっちの松並から 先ほどのご覧に入れてた松並道は全て1本 道で繋がっていたんでしょうね江戸時代は この辺は補装されてなくてまだ砂利のまま この砂利のものも江戸時代のそのままの ものなのかと言わればおそらく違うもの でしょうさっきの皆様にご覧に入れた写真 ですねではあの現代の道路よりも2m ぐらいえ深くなってたところが昔の道路だ ていうことで説明書きがあったのででここ の高さと向こうの現代の道路の高さが一緒 になってるんでまおそらくここも土か なんか持ってね整備したんでしょうね同じ 高さなってるんでね石道路がたくさんこ今 はなんか木がボボに生えてますけれども昔 はえここに水を張っていい気だったよう ですアマテラス交代神宮この両サイドの ぼんでるところはえかつは池だった場所 ですおそらく江戸時代の子供たちはえこの 池に近づいてはいけないよとここは底なし まだから近づいていけないんだということ で教育を受けたと思うんですけれどもこの 深さが実際のその昔のままのものかどうか と言われればそれは疑問布がつくところ ですけれども水を抜いてみると実際こんな もんなんですね目の前にご覧に入れてる この松の木すごいですねもう倒れないよう にですねあんな風にしてあの鉄柱みたいな のでね支えてないと自立ができないという ことでえ現代にもいますよねそういう大人 さいてもらわないと立てない根元から こんな風にしてうんこれじゃやっぱり折れ ちゃうんでしょうねもこれ比較的新しい もんだな賽銭箱とかもなんか石でてきて ですねあの賽銭って書いてありますね なるほど 賽銭かちょっと再戦を入れるだけのちょ 収入がないもんでま再戦を入れるだけの 収入があったらまスーパーカブもすぐに 直してまた食べに行くんですけれどもね どう見ても路駐の場所にしか見えないよう な場所なんですけれども え駐車場って書いてあるんでもうおそらく ここは神社の敷地なんでしょうねうん神社 がここに駐車場だって言ってるんだから ここに自転車を止めても問題はないはず ですこれが鶴え神社のえ電でござい ます神社なのに老があるんですね神社だ から金がないとか寺だから金があるとかの 決まってないんですかね神社に金があ るってイメージがあんまりないな古いもの なのかと思ったら昭和40年って書いて

あるからまそんなに古くはないのかそして 小浪を抜けて奥まで進んでいくとえ大変 立派な胃腸の木ですえ根回りが8.5m高 さは29mだそうですえそして茅ヶ崎市に はですねまだまだ他にも見るべきえ スポットというのがございます次に皆様に ご覧いただくのはえかつて相模川にかかっ ていたえ木星の橋相模川客跡です相模川客 後というのはですね昔100年ほど前に 関東大震災があってその関東大震災の時に ですね疫場化現象ですね1月の1日にも ノトの方で地震があって疫場化現象で地相 が流記してきたなんて言ってニュースで やってま疫場化現象によって土の中に 終わっていたえかつて相模川にかかってい た橋のですねえ客がえなんと浮き出してき たというそういうスポットがあるのでこれ からちょっと行ってね皆様にお見せしたい と思います茅ヶ崎市は東海道沿いにあるの でまそういう江戸時代のえもの跡が多いの かなと思いきはえそうやってね鎌倉時代と か先ほど皆様の目にご覧に入れました鶴見 八幡宮のように平安時代のえ名残りのもの などもえ見ることができえ大変いろんな 年代のものを楽しめる地域だなとえ思い ますさて先ほどの松を戻ってて国道1号線 にまた戻ってまいりました先ほどのですね 鶴見八幡宮の松並も市の指定の跡だという ことでご紹介したんですけれどもえこちら はですねなんとよく見ると国指定席って 書いてあるんですね要するにえ国がこの跡 は重要だということえ国が認めて管轄して いるということですえさっきの市が管轄し ている松よりもまさらに重要だということ を国が思ってるというわけです ねこちらが国指定席旧相模川客この木が 指定されてるわけじゃないですよこれの実 はこちらの方に行くとですねあるんで ございますねもう少し見えてますけれども ただ今皆様の目にご覧に入れてますのが旧 相模川乗客ですこの客というのは元々地面 の中に埋まってたんですけれどもそれが 100年前の関東大震災の時に劇場化して 突如としてえ出現したと言われています 調べてみるとこの客は鎌倉時代の物は突然 勇気して出てきたようでして皆様がご覧に なってるのはまこれはもう相模川橋脚なん ですけれどもなんていうかモニュメントで 実物はこの地下の中に埋まって保存され てるようですねこのさすがにこのむき出し の状態で保存するとあのやっぱ腐敗とか 風化が進んでしまうっていうのでちゃんと え保存するためにこの地下にですね専用の 施設というか部屋をえ区画を整備して保存 されているようですこんな風にしてここが

当時浮き出てきた時のえ様子の写真だそう ですねこれ何時代のものなのかな大正機 保存池とかって書いてあるんでま大正時代 とかに撮った写真なんですかね大正15年 にえ席指定となってますねそしてこれが 当時の流してきた時の様子だそう ですこんな風にしてね突然地面からね ガラガラガラって揺れて出てきたん でしょうね先ほど申し上げましたように今 皆様の目にご覧にいただいてますのはま モニュメントというかま偽物と言ったら 聞こえが悪いですけれどもま当時こんな風 にして出てきたんだよっていうの知らせる ためのえモニュメントでございましてえ 実際にはこの池の下にさらにこう1段ね こう深くなっててここここがねここが地面 でこう一段深くなっててでこここれが多分 強ですねこういう風にして地面の中にえ 埋まってえ保護されてるんでしょうねこれ が整備前の 様子水面があってレプリカってなってます ねその下に同じ形の食がこうやって残っ てるんですねなるほど 重点剤って書いてありますねなんかこれを こう囲うためのえ保護剤みたいなのが中に たくさん充満してるんでしょうねそうじゃ ないとむき出しだとやっぱりなんか虫とか が食ってなくなっちゃうんでしょうねえ それでは一体現代の相川にはどのような橋 がかかっているのかえこれからすぐまた 平塚方面に行くと今度は現代の相模川の橋 を見ることができますのでそちらも皆様の 目にご覧に入れたいと思い ます [拍手] [音楽] T [音楽] [拍手] [音楽] H そして見えてきましたえこちらが現代の 佐川にかかる橋バニ橋ですこの橋を境い目 にして茅ヶ崎と平塚で分かれてるんです けれどもま少しぐらい平塚地区に入っても いいでしょう本当は茅ヶ崎市の指跡を紹介 する動画にしようと思ったんですけれども まちょっとだけ茅ヶ崎にから出て平塚に 入りますこれバフチを超えるとも平塚市な んですね道1号線鏡はバニー橋です おそらく昔はこの橋の代わりにまた先ほど のみたいな木造の橋がかけられていたん でしょうねただまそういうなんか自然災害 とかで何度も何度も流されたり作ったりし て今のようにこの立派な橋に掛け替えられ

たんだと思います奥には富士山も見えて ますね右側には登山などで人気のある大山 が見えてまいりました自転車に乗ってね 喋りながらくのはちょっと辛いものがあり ますけれもそういう時はやっぱバイクの方 がいいなって思いますけれどもまでもこう やってゆっくりゆっくり自分のペースで 風景を眺めて旅することができるのは やはり自転車の醍醐ですただいま皆様に ご覧いただいてますえこの鉄道橋がですね え東海道線でございますそしてこちらが 国道一号線東海道右には大山が見えてまし て奥には富士山が見えてますこの橋なん ですけれどもあの大変有名な方がですね ここで事故を起こされてえその後亡くなら れたという曰つきの橋でございましてその 有名な方というのが誰なのかと申しますと 私たちもえ1度は耳にしたことがあるん じゃないでしょうか源の伊友です源の伊友 っていうのはあ自分の弟ですね源の吉と仲 が悪かったんですねそして最終的にはです ねえ自分の弟吉を追い詰めてですね寄りと は勝利を収めることができるんでござい ますけれどもまその吉のえ怨念がですねえ 寄り友がこの橋ををえ通ってですねどこか にえなんか戦祈願かなんかおりかわかん ないですけどまとにかくこの橋を取って 出かけたとその時にですね吉のですね亡霊 がこの橋の上で現れてびっっくりした馬が 突然暴れだしその暴れた馬から転げ落ちた 古傷が原因でその後寄りとはなくなったと 言われています友がなくなったのはここの 橋で落馬したのが原因だとまもしかしたら ね夜に来たら吉の亡霊とかが出るかもしれ ませんよそしてこの橋はバニー橋馬が入る 橋と呼ばれてるんですけれどもまなんで そんな風に呼ばれてるかと申しますと多分 なんですけど江戸時代とかはまこんな風に 橋がなかったんですねきっとこういう橋 っていうのはま震災とかでえ流されて立て て流されて立ててみたいなのを橋っていう のは繰り返すんですよ旧相模川橋脚だと かって言ってなんか橋がかかってた後が あるぞみたいなこと言われてましたけれど もなんか昔はなんか馬の背中に乗ってこの 橋を笑ってたみたいな言い伝えがありまし てそれでなんか馬が入るからバニー橋 なんてね呼ばれてるみたいですけれども この相模川の深さがどんぐらいあるか知ら ないですけど馬の背中に乗ったぐらいで 濡れずに渡れるのかなっていう多分船 渡し船とかも通ってたはずなんですけれど もまねその辺はねもう今となってはわかん ないですけれどもまあ一般的だったのは私 船で渡るのが一般的だったんじゃないです

かその私船もねランクがあって高い金を 払えばえ塗れないようにですねえちゃんと 運んでくれる人が塗れないように運んで くれるんですけれども安い金しか払えない やつはあのビシビシになりながらあの濡れ て渡るようなそんな運び方しかされないと 今も昔もですねやはり金があるやつが優遇 されるのです向こう側に行け ば太平洋が見えますねえやはりそうですね 大正12年の関東大震災によってバニー橋 が東海し交通が途絶しましたえ地元の消防 団などによって即日渡船が運行されました がえ数日後の豪雨で流出し中断してしまい ましたということでですねまやはりまそう いう災害などで何度か掛け替えられたよう な記録がこの看板から見て取れますこれが その時の修復の時の様子でしょう ねそして今度は平塚側から茅ヶ崎方面に 向かう方向に進路を変えてバニー場所を 渡りますするとですねえ実際にえ相模川の ですねま言うほど整備されたところに 降りる入り口があるんでそこを降りて しばらく行くとなぜこの橋がバニー橋と 呼ばれるようになったのかえ説明書きが 確か立ってたと思うんだよなこれがえUF 道に降りた側から見たバニー橋の前傾です え川のこっち側にはですね湘南ベルマーレ というプロサッカーチームのえ事務所が ございましてこちらの川沿いのグランドに はですねえその湘南ベルマーレの選手たち がえ練習するためにとえサッカー場が整備 されてます私も昔学校が終わって帰って くると選手の人たがで練習してる風景を見 たりしながら帰ってきてたんですけども 今日はやってないですねありました おそらくあれがこのバニー橋の由来が書か れた石碑ですなるほどやはりそうですねえ 昔はこの相模川を私部なのでえ渡っていた ようですえ私船にはえ小舟とえバセって 言うんですかね馬舟って言うんですかねま とにかくえ人間が乗るような船とえ馬を 乗せて運べるようなえ船があったようで おそらくじゃそれが名前のぐなんじゃない かな馬を乗せて運べる船があるからバニな んですかねこんな風にしてここでえ人が船 に乗って渡ってる様子がご覧に入れられ ます柳島村と中島村って書いてるんで おそらくえっとこっち側がえ茅ヶ崎方面で こっち側が平塚ですねだ今こうこう来てる わけですねなるほどということはえ私が今 いるのは平塚側なのでえこのここが船の 発着場船場でおそらく私がいる場所があ この辺なんじゃないかな見いてこの川を 眺めているとこれは平塚側からこっちの 茅ヶ崎の方の村を眺めているえ図という

ことですねまさしくこうなんじゃないかな ボートがたくさん並んでますけれどもま こんな風にしてここから船を使って反対の 対岸に渡っていたんでしょう東海道馬乳の え渡し跡と書いてあります東海道53次 平塚バニの渡し跡これも先ほどの左富の ところで出てきた東海道53次え歌川広し がえ書いた東海道53次の絵ですもう初代 広しって書いてあるからこう何台かいるん でしょうね私その辺のえ知識がちょっと ないのでここで説明することはできません けれども富士山が右手に見えててっていう ことはおそらくこっちがこれが平塚の町で もうここからは左富士じゃなくて右手に 富士山が見えるのでえ先ほどのバニの橋を 渡ってる時はあの右手に富士山が見えてた じゃないですかこっちが平塚えこっちがえ 茅ヶ崎ということですねあここにも馬の絵 が書いてますねこんな風にして馬を乗せて 運ぶことができる船がここにはあったん ですね反対側にもこのようにしてえ広しが 書いた東海道53次の絵が並んでいますえ 本来であればあスーパーカブに乗ってえ 色々な名所をご紹介するというえ チャンネルだったんですけども残念ながら スーパーカブが今ちょっと壊れてしまって カブの映像をお届けすることはできません けれどもえ自転車で行けるところは自転車 で巡ってえまだまだ面白いところがくさん ございますので皆様にご紹介できるところ があれば自転車で行ってご紹介したいなと 思うわけでありますということで最後まで ごご視聴ありがとうございました

スーパーカブが壊れているので自転車で神奈川県茅ヶ崎市にある、
源頼朝の死亡の原因となった落馬事故の現場を見に行ってきました。

#スーパーカブ
#茅ケ崎
#ウーバーイーツ

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1件のコメント

  1. カブが壊れ
    てたんですね。自転車の動画斬新で,中々渋いですね。歴女ならぬ歴男勉強になりました。私は岡山在住ですが、岡山にも歴史好きな庄助さんにお勧めのスポットがたくさんありますよ。秀吉が水攻めにした高松城、桃太郎伝説の鬼の城等々。カブ復活したら是非、岡山にもお出掛けください。

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