【わたしの履歴書~その19 #1】佼成学園 青木 謙介校長

まずは、第1部として青木先生のご幼少の頃から お伺いしたいと思っております。 恥ずかしいですね。 男の子を預かっていく中で、いろいろ青木先生自身の ご経験も踏まえながらのご指導かと思いますので、その点も 踏まえて、ちょっと伺おうと思いますが 承知しました。 青木先生、ずばりご幼少の頃は、元気なお子さんであったのか 元気ではありました。 あまり、勉強はしてなかったと思います。 小学校の時は、本当によく遊んでいましたし、仲間と一緒に もう本当に、休みになるとどこかに出かけて 呼びに来て、近くの川原で遊んだりということばかり 繰り返していたのですが、 通常の学校の授業は、ちゃんと聞いていました。 ところが、自宅で勉強するという習慣は、 正直、あまりなかった というのが、本当の正直なところなんですね。 ただ母親は、父親もそうですが、あまり「勉強しなさい」 ということは、実は言わなかった。 私のやるがまま、動くままを大きな目で見ていてくれた 「昭和のお母さん」という感じの 母親だったんですね。 肝っ玉で、ド~ンって来いという感じではないんですよ。 でも、子どものやることを優先的に考えてくれていて、 姉がひとりいるのですが、子ども優先に 動いてくれていた。 自分のことより、まず子どもをしっかり 育てていかなきゃいけない。 食べ物で不自由させたくないという気持ちか わからないですけども そういったところは、すごく感じていて 逆にそういう母親だから 勉強はしないけれども、迷惑はかけられないということは、 すごく感じるんですよ 悪いことをしても、そんなにしてないですけど したとしても、きっとがーっと叱ってこないのだと思います。 ただなんでそんなことしたのかって いうことは、聞かれるだろうし すごく悲しそうな状況は、伝わるんですよ。 いつも温かい目で見てくれてるのに 嬉しいですね この母親を困らせちゃいけないっていう 逆な感じが実はあるんですよ。 なるほど、何か見えない信頼関係 みたいなものは感じますけれども。 信頼というとですね、高校はもう本当に駅まで 毎朝ギリギリの出る時間で 自転車で、駅まですごいスピードで行くんですよ 母親は、それを知ってるんですよ。 絶対に危ないと思っていたに違いないんです。 でも、「気をつけな」っていうことは 常に言うんだけれども 叱って「ダメ」ということは、あんまり言わないんですよね。

そうすると、青木先生の中で知らず知らずに、 自分の中の判断力というのがついていきませんか。 そうかもしれないですね この人を困らせてはいけないとか、 心配させてはいけないみたいな ここまでやったらダメなんだとか そうなんです、そうなんです。そんな気持ちになるんです。 子どもの頃って、ここまでやったらという限界がなく 遊ぶこともあるじゃないですか? そんなことってなかったですか? ありますよ。本当に友達と遊んでいた時は、 休みの日は川原に行って うちの近くに、浅川っていう広い川があるのですが 狭いところ、その川をみんなでジャンプして 「ここ、お前飛べるか」「よ~し」って 飛んでいくんですよ。 じゃあもうちょっと下流に行って、少しずつ 広くなってくるんですよ 「ここはどうだ」って、みんなでどんどん飛んでいって、 「まだできる」「まだいける」って 最後は絶対にダメじゃないですか 川に落ちるまでやるんですよ。 みんなずぶ濡れになって、帰ってくる。 でも母親は、それを叱らないんですよね。 「風呂に入りなさい、怪我してたら ちゃんときれいにしなさい」 それは、本当に申し訳ない。そんな風に見守っている、 信頼して見守ってくれてるんだろうなっていうのは、 その時も気づいていたんだけれども、 今の年齢になると、本当に子どもが危ないんじゃないかって ヒヤヒヤするのが親だと思うんですが、 これを我慢して我慢して、 「でも見てるよ」っていうメッセージがあって 今、ありがたいなって思っているし いいスタンスなんだなって思ってるんですよ。 だから、わたし実は反抗期みたいな状況で 親に悪態をつくことがなかった というか、できなかったんです。 そういうお子さんがいるって言いますけれど これをやったら悲しむだろうっていうのが、 わかっているので、できなかった どうしても、今のお父さんお母さんは 先回りしちゃうじゃないですか 先回りして転ばないように、それこそ川に 溺れないようにって、そういう風になるじゃないですか だけど、あえて身を持って経験し体験させて そして何も言わずに洗濯をしてくれるみたいな感じですよね そうですね。大きな怪我にはならなかったのが ラッキーだったかもしれないですけど ただ本当に、自転車ですごいスピードで走っているときに、 このくらいの、側溝。 昔はドブ川なんて言ってましたけれど そこに全身でドーンって突っ込んで すり傷を負ったこともあるんですよ。 実は、車で通りかかった近所の人に助けられて

家に連れて来てもらった。 その時も 「これ大変ね、破傷風になったらいけないよね」って いうことで、すぐ風呂に入れさせられて 傷口は、こうやって消毒してくれるんですけど これは本当に申し訳ないなって、実は感じた。 叱ってこないんですよね。 なるほどね、そうですか。 これは、すごく感謝とかそういう気持ちを 逆に植えつけられたなって気がしますね。 なるほど、それは大事な部分かもしれませんね、 今の親子関係には。 逆にお父様は、どういう存在だったんですか? 父親は、いろんな行動にはあんまり口出しはしないけれど 実は母親よりも大きな存在として 全部見ているっていうのは、何も言わないけれど きっと父親は全部知ってる お父様のお勤めは何ですか? 実は警察官だったんですけど じゃあもうなんでも知ってますね。 はい、多分母親からは全部情報が行っていただろうと そうですよね。知らないことはないですよね。 でも、そこに関して色々言ってくるのは母親の もしかしたら役目だったのかもしれません。 父親はもっと大きな状況で見ていて、 僕は実は知っている、絶対に知っている でも、言ってこないっていうことに もうしっかりしなきゃいけないなって逆に 思わされましたね。 あえて、事情聴取されないから逆にね そうなんです。 でも、すごくキャッチボールしてくれたり 庭にいろんなものを作ってくれたりし て 遊んでくれる父親ではあったんですね。 このように愛情たっぷりに育って、そして 中学生になられるわけじゃないですか 中学生の青木先生は、どんな生徒だったのでしょうか? 中学生はですね クラブはサッカー部 サッカーが大好きでした。 小学校の6年間をすごく長く感じていて、 私は小学校を卒業することがあるんだろうかって 4年生の頃に思っていたんですよ。 まだまだ1年から始まって、4年生までしか来ていない 6年生になって、これ卒業するのかなって すごく長く感じていたんですけど でもやっと卒業し、中学校に入り愕然と最初にしたのは やっぱり定期テストです。 「1学期の中間考査があるよ」って言われて、 「この日とこの日とこの日は3時間ずつ テストがあります。それまで勉強したことを、 ここで測るんです」っていうことが言われて 戸惑いました。 小学校ってテストはあったかもしれないですが、

普段の実力を出すしかないなと思ってたんですよ。 ところが、定期テストはそれまでやったことを もう1回復習できるじゃないですか できるんだったら、やらなきゃいけないなと思って テストの2週間前から、計画を立てたんですね この日はこれをやる、この日はこれをやる。 最後の日は、翌日のテストをもう1回 全部復習する みたいなことで、綿密にやりました。 真面目なんですね、先生は。 テストが 終わって、これ次はいつだろうと思ったら、 2ヶ月後ぐらいにあるんですよ 今度は期末があるんですよ。 期末、もうすぐ来ちゃうな。2週間前ってもうすぐだな これ2学期も同じことがあるのかな? ありますねぇ。 3学期はどうだろう?あるねって この2週間勉強、テスト。 2週間勉強、テストっていうのを 繰り返さなきゃいけないって思ったときに、 もう愕然としました。 これまでの小学校の生活とは、全然違うって思ったんですよ 愕然とした青木先生は、自分の身の置き方というか? 勉強はしました。素晴らしい点は取れませんでしたけど テストのために対策しなきゃいけないっていうのは すごく感じたので、勉強してテストというスケジュールは ちゃんとそこから組むようにはなりました。 少し中学校の時には、やんちゃな時もあったという話も、 ちょっと伺ってますが、そのあたりはいかがですか? 友達は、当時は「つっぱり」っていう風に 言われていましたよね。 リーゼントだとか、我々の頃は長ランにボンタンって。 そういう人が、友達にいたことはいました。 付き合っている何人も、そういう人がいて でも、みんな楽しいちゃんとした、個人的につきあうと 何の問題もない、楽しいやっぱり1人の 中学生なんですよ。 ああいった格好が、当時はちょっと ファッションみたいなところもありましたもんね. そうですね。 そういったお友達とも付き合いしつつ、 お勉強も真面目にやり? でもね、そういう仲間の中にもちゃんと 勉強している生徒ももちろんいました。 だから、必ずしも見た目だけではないという状況ではあった。 つきあっている中で、一生懸命にやっている子もいたし、 私もやらなきゃなって思ったし もちろんいろんな子がいました。 そうですか、サッカーをやりながら勉強もし、 いろんな仲間と付き合って、そして中学を卒業されて 今度高校に行って、またサッカーを続けられたのですか? いや、高校では水泳をやりました。 水泳ですか?まったく畑違いのところに。

畑違いですね。なんかでも、高校入学して、 クラブ活動勧誘の日があって。 勧誘されて、フラフラフラっと水泳部に 入ってしまいましたね。 たくましい先輩がいて たくましい先輩、美しい先輩、 いろいろいましたけれども もともと泳ぎは得意だったんですか? 泳ぎはできました。僕はブレって言って平泳ぎなんですけど どうですか?高校でとても印象に残ってることはありますか? もちろん部活もそうですし、文化祭も覚えていますし でも高校の時の仲間って、今でも時々一緒に 会ったりしますけれども もう一気にその高校時代に戻される。 ああ、そうかもしれないですね。 もうみんなその時の高校のキャラクターは、 そのまま今、還暦になろうが何しようが そのままの感じで会える 一気に戻されて、すごく楽しい仲間が 作れる時期かなと思いますね。 大体、高校ぐらいで固まるんですかね。 パーソナリティみたいなものは かもしれないですね。 中学の時の友達も変わらないかもしれないけれど、 やっぱりでも あんまり中学の 時の仲間って、 今、音信不通になっている人が多くて 高校の仲間のほうが、多いことは多いですね。 高校は都内の方に出られたっていうことで、 その辺りは何かギャップみたいなもあったのでしょうか? 八王子の文化と高校は武蔵境にあったんですけど、 都会に近い方の文化はだいぶ違って 最初、「うざったい」っていう言葉は通じませんでしたから。 「うざったい」が通じなかった? 「それ、どこの言葉?」って聞かれて、 引きましたから。 お友達関係は良好だったんですか? それは大丈夫でしたね。友達は本当に あと、今はすぐみんな言うと思うんですけど 「うざったい」って言うと「なんだその言葉?」って 笑うじゃないですか? 「何がおかしいのよ」って言うと、 「何がおかしいの・よ?」みたいに 「渋いおかまか?」みたいに言われて 「え?普通に言うよね?みんなね??」って言うと、 「言わねぇ」って笑うわけ。 さらに「何がおかしいのよ」って言うと もっとど~~んとくるわけです。 ちょっと、これはだいぶ文化が違うなっていう 感覚を得ましたね。 でも今度は大学に向かっていこうとすると、 そこでまた進路選択がありますけれども そのあたりは、だいぶ悩まれたんでしょうか? 大学に行く時点では、教職を目指すということは選択した。

教員になりたいということで、大学に進みました。 そこに至るには、いろんなことがあり 元々は、中学に入った時に英語の授業が初めてあったんです。 中学校の英語の最初の授業で 本当に面白い先生が、授業を担当してくださって ああこれは楽しい授業だなぁ~と思って 英語が好きになり、教職の道も目指すっていうことも ちょっと、きっとそこで芽ばえていたと思うんです。 その先生はすごく面白くて、実は漫画のあるキャラクターに 似ていた。声、喋り方が似ていたんですよ。 隣の子とすごくおもしろい授業だったので、 「おもしろいね、あの先生なんか誰々に似てるよね」って 私語をしていたら、その先生が急にぐわって怒鳴って 怒り始めて、怒られたんですよ。 うわぁって思って、シュンとなりました。 そんな先生だったんだけれども、それでも英語の その先生の影響で教職に選択するに至っているので 本当に、楽しかったんだろうなっていう風に思いますね。 そう考えると、中高の先生との出会 いって大きいですね 大きいですね。 実際に大学を受験した時に、教育学科と 経済学部と両方合格をいただきました。 なんとなく自分の中では、教職がいいなと思っていたんですが やっぱりどちらを選ぶべきかというのは もう少し先輩たち、あるいは先生たちに相談して 決めた方がいいんじゃないかなと思って いろいろ聞きました。通った塾もあったので 塾の先生に「教育学科と経済学部と両方受かったんだけれども どう思われますか?」っていう相談をしました。 その先生は、いろいろ判断があったと 思うのですが、 将来的に、いろんな方面に進める経済学部が いいんじゃないかと薦められたんです。 自分の中でよく考えながら、最終的には、 それでも教育学科、教員の道を選んだんですよ。 それだけなりたいんだという、 自分のもう1度確認ができたと思うので これはやってよかったなって思いました。 青木先生のターニングポイントとなる、 まず1つ目のところですね、そこが。 そうですね、大きく人生の岐路となったと思いますね。

魅力あふれる個性豊かな先生方がたくさん揃っているのも私学の魅力のひとつ。このコンテンツは、日能研関東本社ビルの「N STUDIO」に私学のステキな先生をお招きし、そのお人柄の魅力に迫ります。

今回は、東京都杉並区にある男子校の佼成学園中学校・高等学校の青木謙介校長にお越しいただきました。
青木先生の行動を温かい目で見守ってくれた愛情深いご両親との幼少期の思い出、英語の教師を目指すきっかけになった中学校の英語の先生との出会い、そして晴れて英語の教員として奉職から佼成学園中・高一筋で2023年4月より校長先生になられたました。就任から、まだ1年足らずではありますが、これまで送り出してきた卒業生の思い出を交えながら、男子校の魅力をたっぷりとお聞かせいただきました。

佼成学園中学校・高等学校のHPはこちらから

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