令和5年度 都市の事前復興シンポジウム
ただいまより令和5年度都市の事前復興 シンポジウム テーマ100年先を見据えた都市の事前 復興切迫する災害を自分ごとして考えよう を開会いたします本日司会進行を務めます 東京都都市整備局都市課長野中ですどうぞ よろしくお願いいたし ます本日は会場に集まりの皆様の他オン ラインで幅広い地域の方からご参加 いただいております開会にあたりまして 小池ゆり子東京都知事より皆様にご挨拶 申し上げます小池知事よろしくお願い いたし ます え初めに元旦の野半島での大地震で大きな 被害が発生をいたしております亡くなられ た方のご明服をお祈りをし被災された方々 にお見舞いを申し上げますえとは被災地の 復旧復興しっかりと支援をしてまいり ます災害はいつ起きてもおかしくありませ ん堀も本日ちょうど29年前にあたります けれどもこ今日29年前の今日阪神淡路大 震災が発生をいたしました日頃からの備え と地域の力が困難に立ち向かうその時の 何よりの支えということになりますえ昨年 は関東大震災の発生から100年の節目の 年でございました備えよう明日の防災これ を合言葉にいたしまして児女教授控除の ムーブメントを情勢をしてまいりまし た首都直下地震などに備えまして地道な 努力と継続的な取り組みで安全安心な都市 を実現をしていくそれは東京の持続可能な 発展の根幹をなす名題でございますえ先月 とは東京狂人化プロジェクトを アップグレードいたしまし たやマンション防災に加えまして富士山の 噴火による火売の対策などにつきまして 新たな取り組みを追加して施策を強化した ところでございますえ都民の命と財産を 守りにく強靭な年作りを押し進め100年 先も安心できる人東京を目指してまいり ますさて今回のシンポジウムにおきまして はテーマを100年先を見据えた都市の 事前復興といたしておりますご参加の皆様 お1人お1人に切迫する災害について自分 だったらどうするのかこのことを考えて いただきたいと存じますえ今日はえ東北 大学今村教授えそしてアナウンサーの奥村 様え東京都立大学の中林名誉教授からえ 基調講演を賜ることといたしております このシンポジウムが災害発生後の復興 街づくりをみんなで考える景気となること を期待をいたしまして冒頭のご挨拶とさせ ていただき ます小池知事ありがとうございまし
た本日は1995年1月17日に発生した 阪神淡路大震災からちょうど29年目に なりますまたえ元日に発生しました野半島 地震では多くの方がえ犠牲になり現在も 救援救急活動が続いておりますえここで ですねおなくお亡くなりになられました 方々のご明服をお祈りしましてえ約1分間 の黙祷を捧げたいと思いますえ皆様ご協力 いただければと思います皆様ご立お願い いたし ます 黙祷 お直り くださいご着席 ください続きましてえ動画上映に移りたい と思い ます準備を行いますので少々お待ち ください 昨年は関東大震災から100年の年でした えこれに合わせてえ我々がえ制作しました 動画になり ます 関東京中央区 昭和通りこの東京の大動脈が計画されたの は今からちょうど100年前関東大震災 からのの復興の時でし たそのような時代に44mもの広さを誇る 感染道路が未来の暮らしを見据え街づくり の一環として作られたのでし た現在東京はいつ来てもおかしくない大 災害な脅威に直面しています都民の命を 守る暮らしを守るための街づくり その基本的な考え方は今からちょうど 100年前のあのが教えてくれまし た1923年9月1日正午2分前 マグニチュード7.9の地震が発生軟弱な 盤の上に建てられた木造住宅は次々に東海 さらに発生した火災が勢い増し3日間に 渡り東京の町を焼きつくしたのですこの 火災による消失面積は東京市の44にも 及びました人々は逃げいしかし道は狭く壊 した建物に塞がれ思うように進むことが できませんさらに住田川などにかかる橋も 焼け落ちてしまい逃げ場がなくなった ところに炎の津波が襲いかかったの です関東大震災による被害学は実に当時の GNPの にもんでい ますそして東京の死者行方不明者は約7万 人そのうち火災によるものが約 95%関東大震災は関東大火災だったの です野原となった東京その再建を託された のがかつて東京市長を務め震災直後に興院 に任命された等神兵です復旧ではだめだ 安全な都市へと復興させなけれ
ばごとを筆頭に当時の人々は強い意志を 持って100年先を見据えた町の復興を 手掛けたの [音楽] です建物のほとんどが東海してしまった 関東大震災木造だった小学校も壊滅状態と なり 日本の未来を担う子供たちを守るためにも 倒れない燃えない学校が必要だそんな思い から当時最新の技術を導入した鉄筋 コンクリート性の復興小学校を 建築狂人に作られた学校は現在も都内各所 に残ってい ますまた多くの近代的な施設も積極的に 立てられまし た 大震災が大火災となったのは火の勢いを 止める空間がなかった から後藤は土地の一部を所有者から拠出し てもらい大規模な区画整理を実行街路を 整備するとともに52の復興省公園を作り さらには今も残る震災復興3大公園を開演 近代的な街並を誕生させまし たには昭和通通り体通りや前橋通りなど 現在の東京の骨格をなす感染道路の多くが この時に作られたの ですまた将来地下鉄が通ることをも想定し ながら道路を増成そして1960年代以降 この時作られた道路の下に地下鉄が開通五 等神兵が未来を見据えた計画が時を超えて 実現したのです [音楽] 被害をさらに大きくさせたのは橋が崩落し 道が遮断されたためでした橋については 東京市だけでも450以上もの鉄の橋を 建設するという類のない事業を実施中でも 橋橋清洲橋倉橋駒橋橋の 住川それに橋 橋橋の3つの橋には最新の技術を注ぎ込ん だ多様なデザインや構造が採用され世界に 誇る都市東京の象徴として注目を集め現在 に至っているのですこのようにして五藤神 ペーラは震災から10年たらずのうちに 東京を近代的な都市へと 復興あのような災害はもう2度と起こさせ ない後藤の思いは100年後の今も東京の 基盤にしっかりと刻まれているの です昭和の時代高度経済成長機などにより 東京の人口が一気に加速したことで山手線 外側を中心に木造住宅密集地域いわゆる 木密地域が形成され災害時における危険度 の高いエリアとなってい ますこれは首都直下地震をした シミュレーション映像ですマグニチュード 7以上の揺れが東京都全域を襲い耐震性の
ない古い木造国は次々に東海至るところで 東海家国から出荷し周りの木造家国に 燃え移り火は勢いを増していきます道も 塞がれ消化活動は困難を極めそして数時間 後には炎症拡大により木密地域は消失して しまいますこのように木密地域では地震に よって大きな被害が発生しますこのエリア を重点的に改善することそれが東京都全体 の防災性の向上につがるのですそして 100年先の未来を見据えた防災土作りの レベルアップを測っていき [音楽] ますこれは首と直下自身の被害を シミュレーションした 地図赤い部分はの東海小室が多いところを 示していて木密地域と大きく重なることが 分かりますこの地域の被害を小さくする ために例えば東海の危険性が高い老朽化し た住宅の撤去や建替を支援したり数剣を まとめてマンションにしたり様々な方法で 耐震性に優れ燃えにくい住宅への建替えを 促進してい ます住宅の耐震化不化の促進には継続的な 積み重ねしかありません都民の誰もが安全 に暮らせるように関係する区などと連携し ながら取り組んでまいり [音楽] ます建物の改善と共に行っているのが密集 した町にオープンな空間を作る こと火災が起きても燃え広がらないよう 公園広場の整備や生活道路の整備を実施 木密地域を倒れない燃えない街へと リフォームしていき ますさらに現在重点的に取り組んでいるの が炎症者団体の 整備区画を幅広い道で区切り沿道の建物の 耐震化不化を強化することで火災の炎症を 食い止め ますこれらの取り組みによって東京では街 の燃えにさを示す不領域率が2006年の 56から2021年には65.5%に上昇 市街地の炎症の危険性がほぼなくなるとさ れる70%を目標にさらなる取り組みを 進めていき ます建物や電柱などが倒壊し道路が通れ なくなることを道路閉塞と言います道路 閉塞が生じると安全な場所に避難できない 緊急車両が通れずに救助や消化の妨げと なり被害が大きくなる恐れがありますとで は緊急輸送道路を定めて沿道の建物の耐震 化を促進災害時に孤立する地域がないよう に緻密な道路ネットワークを整備してい ますさらに電線を地下に埋設して電柱を なくす無電中華を進めてい ます都市防災機能の強化に向けて点的に
整備するセンターコアエリアについては道 の無電中は大完了重点整備エリアを環状7 号線の内側に拡大し整備を進めてい ます無電中下によって道路閉塞を防止する とともに電気や電話が切れないように電線 類の被災を軽減します東京都では災害時に おいてもライフラインが繋がり続けること を目指しています 関東大震災から100年近い将来地震は 必ず来ます首と直下地震は30年以内に約 70%の確率で発生すると予測されてい ますその地震に徹底的に備えるとともに さらに100年先までも見据え都民の命を 暮らしを守るづりが私にられている名 です東京狂人化プロジェクトもスタート いつ起きてもおかしくない大地震や撃沈化 する風水外など多様化する機器に対応する 総事業規模15兆円の1大プロジェクト です先人たちの精神を受け継ぎながらこれ まで築き上げられてきた安心安全な都市 東京をさらに狂人化レベルアップした防災 都市東京を 次の100年へとついでいき [音楽] [拍手] [音楽] ますいかがでしたでしょうかなおえこの 動画は都市整備局のホームページでもご覧 になりますので職場や学校などなどご紹介 いただければと思いますえ続きまして基調 講演の準備を行いますので少々お待ち ください お時間いただきました申し訳ございません 初めに東北大学津波学研究室教授今村彦様 より東日本大震災の経緯と事前復興の必要 性をテーマにご講演いただきますそれでは 今村様よろしくお願いいたし ますはい申し訳ありませんえ東大学の今村 でございますえいご紹介をいただきました え私の方からはあのこの大目で13年経ち ますえ東日本大震災の経験とそしてえ本日 のテーマでございます事前復興の必要性ご 紹介したいと思いますえまた元旦に発生し ましたえノ半島地震えこの状況もですねえ 紹介させていただきたいと思いますえ 改めて昨年23年はえ知事のお話もあり ました通りに100年という節目でござい ますしえまたあ多いところを見ていただき たいんですがえ三陸の昭和え三陸地震津波 90年でございましたそして日本海中部 40年北海道南西沖地震これは奥島で 大きな被害が出ましたが30年ということ でございます3世代また1世代前のえ経験 がまどういう風に我々え伝わっていたのか え我々考える機会でございますこの83年
80あ93年というのは日本会での2つの 地震津波でございますえそして元旦にこの ノ半島地震え最大クラスの活断層地震で ございましたマグニチュード7.6はいえ その状況は皆様報道等で見ていただいた 通りでございますやはり日本は災害が多い わけでございますのでえその過去に きちんと学ぶえまた特にえま仕組みであっ たりサイエンスであったりえまたいろんな 復興の計画であったりえ学ぶことは大切 ですえこの国立都あの科学え博物館ですね こちらでも特別展示が行われえのべ23万 人の方がえお子さんまたご夫婦また友達 同士でえ訪問いただいたということで ございますまた東京都の取り組みは先ほど ビデオで見ていただいた通りでございます え私の方はえ大学時代からえ災害の研究を させていただいておりますけどもまあの 言うまでもなくえ日本っていうのは いろんな活動が自然活動と言いましょうか ね活発でありますのでどうしても災害とは 切り離せませんえさに生きるという言葉が え実はえ昨年ですね言われてございますえ 過去現在そして将来ですねえこれはえ同じ ハザードつまり同じような仕組みで地震 えまた疫上化等は起きるわけなんですがえ その影響は被害は少しずつ違います我々の 生活のパターンまた都家がえそれを変える わけでございますしかし当時え得た経験 教訓っていうのは非常に重要でありますの でそれをきちんと実施してればえ提言する ものはたくさんございますまた今現在関係 者の方が多数おられますねえ事情教授と いうお話もいただきましたがああ工場と いう話もいただいたんですけどもそれぞれ の役割りそして協力が不可欠でございます え防災減災というのは短距離ではなく マラソンであるというのがまさにえここの ですねえ示してる意味でございます本日 特に皆さんに知っていただきたいのは 改めてえ日本での自然災害っというのは 確実に繰り返されますこれはハザードと いうことでえ日本レッドの仕組み自体がえ そういうものでございますしかし被害や 影響は変化しますえなぜならば我々の生活 またいろんな活動がえ変わるからでござい ますしかしながら歴史に学ぶことは多い です13年前の東日本大震災もま歴史とは なかなかいかないかもしれませんけどもえ 学んでいただくことは多数あるということ でございますえ最初にですねえ我々が得た 教訓を3つほど紹介させていただきますえ ご存知かと思いますが宮城県は当時30年 以内に999%の確率で地震が起きると 言われていますはいえそれは大体40年
ぐらいのサイクルでですねえ起きていまし てえ前回がえ 1975年ということでございましたえ そのためにえま当時もですねいろんな備え をやっていましたがえ今のマグニチュード 9そして巨大津波そして原発事故とうとは え対応できなかったというのが実態で ございますしかし見ていただいたと見て いただく通りにですねできた備というのは たくさんございました代表的なのが大震化 でありえ関係機関の協定でございます いろんなものを依頼しなくても協定先から 様々のご支援があった初動体制というのは え本当にその協定があったからでござい ます道路の警戒復旧活動また避難所での 運営等々も代表的なものでございます ただし備えができなかったえ2万人の犠牲 者また複合災害帰宅混乱者また多くの方の 行方不明のえ捜索またご遺体の対応これは 本当に我々想像を超えてたわけでえござい ますそして街づくりというのが残念ながら 東北のの方は進んでいなかったですね反省 するにで当時のその捜索の状況というのは 例えばこの写真がえ示す通りでございます 一面津波によって瓦礫と化した地域でえ ここにえ1万名以上の方が行方不明になっ たとえどれだけの作業がかかったのかご 想像いただけるかと思いますでもちろん ですね先ほど言った事前防災え例えば耐震 化またえ道路等のインフラまたグリーン インフラということで膨張停あ膨張林など もえ実は整備をしておりましたで一定です ね確実にえ被害を軽減できたんですけども え犠牲者も含めてゼロにはできなかったと いうことでございますえ当時は仙台の沿岸 部もですね高速道路がございましてえ標高 6Mぐらいです元々あの防災津波太陽って いうのは実は目的ではなかったですねえ ただしえ上眼まえ 868年のえまた慶長1611年の津波が あるということでま我々専門の中で家の中 では2先定になるとはいえいうような役割 は期待してたところでございます2010 年のえ10月1年前ですね実はこの地域の 方とえ2004年のインド洋のバンダー チェインド洋津波があったのを受けまして 実は平この仙台の平野部ととてもこう 重なってたんですねでそれで住民の方また 関係者の方とじゃどうやって万が一万が一 津波が来たら避難できるのかもしかしたら この道路が付きあるんじゃないですかえ 日子さんどうですかていう議論をして ございました当時ま道路のあの管理者に とってはうんすぐにOKというはいか なかったんですけども住民の方はここが
高台であるはいえもちろんそれを認知して 300名時の方がえここに避難できたと またえ下の方にですね道路のえ左と右の差 を見ていただきたいと思いますはいえ左の 方が沿岸部でございます3つ目はやはり不 確実な状況の中で被害状況もえ自治極々 変わっていきましたえそのために臨機応変 な対応とえ本当に短時間での復旧復興と いうえ計画の策定ですねこういうものがえ 必要とございましたはい改めてその中でえ やはり事前にですねまま万が一こういう 被害あったらばどういう風に街づくりをし たらいいのかえコンセプトと言いましょう かね考えをえ残念ながら我々持ってなかっ たですねはいでえこれが気仙沼の状況で ございまして大震化によって建物はこの ように持っているんですけどもえその後の 津波して一部火災えそれによって孤立して しまったということでございますえざっ ですね振り返ってらしていただいたんです けども少しえ地震についてまた津波につい てもえご紹介したいと思いますはいえこの 赤髪がですね震源というところでいわゆる 宮県沖でございますえ実はここを中心に 南北500km東西30000kmで断層 が動きましたこれがマグニチュード9と いうことなのでえ現在もえあのえ日本でも 最大世界でも4番目のえ規模でございます え今現在もですねえ2021年22年え3 年前2年前でございますが余震が続いて ございますえ太平洋側はですね比較的え 日本あの日本海のプレートあすいません 日本海口のプレートです選出しましたあと 南海トラフ等がありますので一て定期的に え地震津波が起きていましたえ例えばこの 緑色のとこは三陸でございますけどもはい 400年間でえ5回ま大体80年に1回 ぐらい起きていた地震になりますえすぐ隣 がですねこの黒のとこなんですけども 1611年慶長と三陸の1933年昭和に なりますけど2回だけですはいで赤が宮県 沖でございましてええこの400年間でえ 11を数えますのではいえまあの30年 ちょっとの集金になるということになり ますこういう繰り返しは固有地震と言い ましてはいえプレートの構造上え沈み込ん でストレスを貯めてえそれが地震となって 発生発生するそしてまたそれが溜まってえ 発生するまそういうような仕組みで動いて いたわけでございます原則的にこのような プレートの教会はえこのような仕組みで 大きますし活断層というのはこれから少し 外れていますのでそのストレスの溜まり方 がだいぶ違います数千年かけてえ一定の 規模になるということなのでなかなかこの
え周期性というのが難しいものになります また3.11はそれぞれの4つの領域で それぞれの周期と規模でえ動いていたん ですがこの赤手線が示す先ほどのえ 3.11がこちらでございましして4つの 領域と福島までえ拡大してしまったという ことでございますえその後にえ津波警報が でえ約20分でえ津波が来ましたノト半島 は後で見ていただきますが数分ですねこれ は地震の発生の場所が沿岸部にえ近いか 少し遠いかということでございますえこれ が宮子での大大波の津波なんですが黒い 津波でえありましたはいでえ当時ですね どのような発生になっていたのかえ我々も 解析をしえ今見ていただいてます左上に 時間がありまして今15分が経ちましたね で沿岸部に到達し引波から押し波になって います三陸海岸これはノの鈴に近いんです けども複雑ですので津波が増幅しやすい今 三陸あえっとすいませんえっと福島の南 からですねえ仙台1の中に入ってていき ます約50分から1時間後ということで ございますはいえその後陸上に訴しえまた それが海に戻っていく引き波ですそして それが違う地域にえ襲います押し波です 押し引きを繰り返しながらえ2日間続いて いたこれが当時のえ津波でございますえ 当時の状況ここはですねえ1611年の 慶長の時に伊政宗がえ復興の中で防長林も 整備していたんですけどももえ被災して しまいましたで当時え仙台空港もありまし たがまこの建物はえ憲剛でございましたの で約えま1000名近いえ方がえここに 避難をされて避難ビルとしても使って いただきましたしかしえ周りを見て いただきますと黒い津波が来ているあと 当時駐車していた車あとセスナとかえヘリ とかですねいろんなものがえ流出して しまったという状況も見ていただけるかと 思いますえそれから13年立とうとするえ 今年元旦にえ先ほど言いました野半島でえ 大きな地震が発生してしまいましたえ直後 からいろんな状況を見ていきましたが 東日本大震災と重なるところが大変あり まして我々大変苦しいえ状況でございます え典型的な複合災害でありえ例えば3.1 また関東大震災も含めて経験教訓っていう のはこういうこの地域に生かされていたの かえこういうものをえ自問事としている わけでございますえご存知の通りにえ マグニチュード7.6え震源の深さという ことで受信自体はとても浅いところですえ 最大震度は7でございましたえれは本当に え強烈でございますえ当時被害状況もです ねえ2日後はわずか死者は6名はい大きな
災害ほど実態が分からないえ現在は200 名を超えるということで本当に残念な状況 でございます改めて先の3.11とですね え日本のえレトのま構造を見ていただき たいんですけどもえ日本海口のプレートが えここでえ繰り返してまかなり大きな地震 を繰り返しているえ日本列島があってその 中でももちろん活断層陸型陸側はあります しえは日本海側のま陸に近いところでの 地震とはいえバあのレッドワアークと言い ましてバックのバックアーアークタイプの 地震とも言われていますはいえ本当はです ねここのプレートもですねこっち側から 沈み込みが始まるようなメカニズムを持っ ておりますけどもそれはまだえここの こちらの東のような典型的なものにはなっ てなくてで今回もえプレート間地震に近い 逆断層型ということで通常活断層は横ずれ などが多いんですけども今回は逆断層型で ございますはいタイプとしてはこちらに 近いとえしかし元々は活断層でありえ発生 頻度はえ数千年に1度と言われてござい ますご存知の通りに3年前からですねえ 連続地震が起きておりましたえその前に実 は2007年もございましたしえこの辺り で活発化していたえ政府の地震調査委員会 もですね非常に注目していた地域でござい ますえしかし今回はですねえこの震源を 中心に陸側と海側でえ起きてしまったと いうことでございますえま報道でもあるん ですけどもここ辺りこの周辺はですねえ 日本会での海域海側での活断層でしてこれ は3.11のあとですねいろんな調査をし てまかなりえ実態が分かりつつあったわけ なんですがその中でF43また42に相当 するような地震であるというような今推定 がされていますまだ結論は出ていませんえ そのためにえ陸側では強い揺れそしてえ 土砂崩れ沿岸部でえ駅場化駅場化は新潟 またえ 石川豊山等々ですね後範囲で影響しており ますそして津波と火でございます今回のえ 断層をですね少し丁寧に見ていただきます と陸側のものですねこれが震源ででえ左側 ま東側がですねあすいません東側ですね はい右側の東側がえ海側での断層でござい ましてえここが津波を起こしたもので ございますえ海底地形がうっすら見えると 思うんですけども結構深いところでえ断層 が動いてえ結津波のポテンシャルとしては 高かったと思います浅いところで起きる よりも深いところで大量の海水を動かす それによって津波の1ポテ位エネルギーの ポテンシャルというのはとても高大きく なります残念ながらそのようなえ大きな
津波が発生してでえあすいません鈴地方に 行くものとあと直接ですね深いところから 上越に向かうものと主に2つのタイプがえ あると考えていますえこれだけ陸側に近い ところでございますのでえ鈴のこの半島の 先にはえ1分以内で到達ですねはい陸上の 所場に関してはおそらくえ10分20分 余裕があったと思いますがあっという間に え津波が来ていたまそういうようなえ状況 でございますえ我々もすぐにですね津波の 解析をさせていただいて今ノ半島中心にえ 赤が押し波青が引き波ですねえ周辺部に 伝搬してく様子が分かるかと思いますえ下 に時間がありましてちょっと分かりにくい かと思いますが今1時間半が経ちましたえ うっすら見えてるんですけどもロシア側に 約2時間かけて転換していきますそして ロシア側で反射したものがまた日本レッド え日本にですね2時間かけて戻ってと思い ます4時間で往復しておりましたでこの 津波はですねなんと24時間え続いてたと え考えられていますえこれが県庁記録なん ですけどもロシア側での記録あと日本側で の記録ですはい小さくて申し訳ないんです が大きく下がって上がったりしてるんです がこれが長石です満潮干潮そこにこう ノイズのようなえ波が乗っておりますが これが津波です赤い矢印がなんと24時間 なんですはいえノイズがかなりえまあの 大きいのが24時間え続いてることが 分かっていただけるかと思いますでロシア 側も同じですはい日本会っていうのは閉鎖 した会期でありますので一旦生じた津波は えいつまでもえ続いている減衰しづらいと いうところがえあるわけでございますえ そのために注意法が18時間え続いていた ということでございますはいでもう少しえ 野半島の周辺部を見ていただきたいと思い ますでこれも赤が押しえ赤があ赤が押しえ 青が引きなんですけどもはいずぐるぐるっ とこう今こちらの方で曲がりながらはい これを屈折と言いまして地形の地形の影響 を受けながら曲がりながらえこれが鈴のま 1番あの中心地域なんですけどもここにに え大一派がえ到達しているまた同時にです ねえこちらの上越の方にも来ているえまた ノトハト全体でですねえ津波が来週してる ということが分かっていただけるかと思い ますはいでこういう状況を見ていただき ながらえっとですねちょっとこう今回の 津波でえ特別な特殊な状況もありました はいえそれがあの富山湾の中の富山になり ますはいでここがあの富山市でえここが 地震なんですはいでこっから電波してきた 津波は先ほど見ていただいた通に大体えま
えっと10分から20分ぐらいかけてこれ が赤がシミュレーションなんですけどもま 引きなみから押し波10分から20分かけ てえくるわけなんですが実際の県庁記録で はこの大きな引きがもうすでにえ地震の 直後に発生してその後と波が来ていたと いうことになりますえなんと受信による 津波の前にですねえ海面が変化してたと いうことでございますえ幸いですねこの 付近では陸上に所場することがなかったの ではいえ良かったわけなんですけどもえ あっという間に実は鈴とかえ和島とほぼ 同じぐらいにですねえ津波が来ていたと いうことになりますおそらくこれはですね 特殊な海底ジスベリがえ起こったものと 考えていますまいろんな今えデータとか 調査が行われてますのでえ我々えこのよう な解析を進めていきたいと思います実は 昨年関東大震災で特にえ相模湾またえ東京 湾で津波の状況をえ解析させていただいた んですけども相模湾でもあの時の地震で 本当に数分で鎌倉とかですね伊東とかはい え港に来週していましたはいあの地震も 陸側も含めてえまた海も含めて起きた地震 ですので複合災害だったんですね揺れ そして火災え地すべりそして津波であり ましたえこのような状況をですねやはりえ きちんと見ていかなきゃいけないというの はえ今後大切だと思いますはい今現在あの 被災地の方にですねえ行きまして詳細な 調査をするにはえまだまだ厳しい状況で ございますが航空写真とかまた衛星写真が ありますのでえこのような沿岸部での状況 はい陸側での建物の状況えこういうものも え少しずつ分かってまいりましたなんと 言いましても船が打ち上げられる車も漂流 するえまた大きな弊害を受けたとこはえ 海岸でのですね浸食があったりえまた一部 はですね住宅はあの破壊されることなくえ ま残っている1回はですね浸水してるん ですけども比較的被害が警備であるまこの ような状況もえ示されているところで ございますでただしえ沿岸部からですね約 200m300Mえ浸水してきましたえ ここでの被害はあの見ていただいてる通り でございますがえ津波だけではなくてえ 建物この奥側もですねえ屋根がえかなりえ まあの河が落ちていたり建物自体がえ かなりえあの傾いていたりこれもえ強心 揺れですねこの状況がわかあのえ加わった ものとおりますえこれがまさに複合災害の 状況かなと思っていますで改めてえまあの 私の方津波が専門ですのでえ津波に特化し たあ特徴でございますがえ非常にえ早いえ 到達でありましたまこのような津波に対し
てはやはりあのえ津波の警報とかえ情報を 待っていたのではえ実は遅れる場合も ございますまできるだけ揺れたら沿岸部に から離れるということがえ重要ですはい あと避難タワーとかですね避難ビルという のもやはりえ必要であろうとえ考えてい ますでえま日本海え特有なんですけども 最大波が遅れたりまたえ24時間以上え 継続していたというような状況もござい ますのでえ日本日本人っていうのは一般的 にこうちょっとせっかちのところもあり ましてはい10分も20分も情報がないと もういいかなっていうような形で避難を 解除したりですねえ対応があもうあの 終わってもいいかなと判断される場合が あるんですけどもえそはこのように長いえ 時間え影響もしますので自己判断しないと いうのが大切になりますで今回は元旦でえ 当期で本当に厳しい状況でございますけど もえ災害防災のシナリオを考える上で実は 当期に加えて夏ですね夏はいここの対応も きついですはいえ野外で避難がなかなか 難しいですよね暑いた炎天かしかも衛生 状態が悪くなりますはいえこういうものも 考えながら我々ですねえ備の中でえ今回の 経験もそうなんですけどもじゃあ次はどう かなっていうのをえ皆さんで考えて いただくことがえとても重要かなとえ思っ ておりますはい私からのお話はちょっと 前半でえ今のところをえちょっと終了させ ていただいてご質問などをいだいた後え 事前復興ということでえお話をしたいと 思いますはいありがとうございますここで 中間の質疑にに入りたいと思いますご質問 ある方はあ挙手をしていただければと思い ますよろしくお願いし ますありがとうございますあの1つ地震の メカニズムについてお聞きしたいんです けれどもえの半島期自身ですね最近 ニュースで地下水が原因ではないかって いうお話を聞いたんですけれどもえその 地下水について少しあの今研究等で分かっ てることがあれば教えていただきたいです はいありがとうございますそうですね最近 かなり話題になってますねで実はですね この地下水あ地下水というのはおおおはい えこちらの日本あ太平洋がえ日本海口から えプレートが沈み込んでいるんですがこの 時一緒にですねあのかなりあ海水も含めて えここに入り込んでいますでそのためにえ ずっとプレートがずれていきながらあち あのいろんな水分ですねあとマグマえあの 流体もそうなんですけどそういうものが この中に入っていてますでそれがだんだん でですねえっと液体なのでちょっと軽かっ
たりするんですねあと地下のプレートの 影響あマグマの影響プレートの影響を受け ながらこの辺りでこっからですねずっと 上昇して上昇する中でえこの辺りの活断層 を刺激するというような形でえ地震が起き やすくなってるんじゃないのかえこれが 最近の研究で指摘されてるところでござい ますはいで特にこのノト半島付近でえその ような状況が報告されていますよろしい その水の影響っていうのはここの特有の話 なんですかねそれとも日本全国どこでも あり得ることなんでしょうかそうですね おそらく日本の他のとこもありうると思い ます構造的には先ほどの大きな海洋の プレートが沈み込んでかなり深いところで え水分だけ上がってくるという構造なので ノト以外にもあるんじゃないかなと個人的 には思いますはいありがとうございます はいありがとうございますありがとう ございます他にご質問のある 方大変貴重なお話していただきありがとう ございました非常に興味深かったです えっと最後のスライドのところで1つ気に なったところがありましてはいえっと沿岸 域に緊急のタワーやビルを設置するって いう対策があるっていう風におっしゃられ たと思うんですけれども東京であればそう だなって個人的に私も思うんですけど一方 で例えば今回えっと3.11で起こって ような三里行機であったりだとか例えば 周囲の警官にそわないであったりだとか 周囲からあ他にも日証権の問題だとかも あると思うんですけれどもその点について は何かどのようにお考えになっている でしょうかはいありがとうございますはい やはり平常寺への影響っていうのを考慮し なきゃいけないんですよねあと実は膨張点 も含めてなんですけども色々議論はあり ますえただしタワーとかあ避難ビルの方は ビルは元々あるものなので耐震性大破性 大破性をチェックして活用するとでタワー に関しては実はなんて言うんですかね観光 も含めて高大でま普段ちょっと見て いただきながらいざという時には安全な 高台にもなるこういうようの活動活用が あると思いますちなみに南海トラフえ 例えば高知などはもう1550箇所ですね えタワーが建設されておます同様にま数分 で津波が来るようなところですねはいでえ 災害での活用とうまくタワーもデザインし てはいなんか延長にしたりちょっと景観に 配慮したようなあ良いデザインもあるそう ですはいはい勉強になりますありがとう ございましたありがとうございます ちょっとお時間をございますのであの後半
のご講演をあのお願いいけいただければと 思いますよろしくお願いしますはい ありがとうございますえっと前半では地震 津波のまメカニズムとか当時の被害実態を 見ていただきましたがま改めてこれを受け てえどのようにえ大きな災害からあ我々 復興したらいいのかとであの都市今回の テーマは都市ということなんですがえっと 事例としてはちょっと南海トラフとかです ねえ沿岸部なので少しあの直接ご参考に なるところがあの少ないかなと思うんです けどもえ是非見ていただきたいと思います 基本的にはここに書いてある1から5と いうのがえ復興計画の中で重要な要素に なりますもうあのえ言うまでもなく命を 守る成りの再生生活の再建また歴史文化の 継承っていうのはあのすでに意識はされ てると思うんですけどもえ非常に重要な ものでありこれらのバランスをどう取るの かというのが大切ですでえ南海トラフのお 話をする前に改めて3.11でのえ各件で の対応をですね紹介したいと思います 例えばこれは岩手県での事例でございまし て岩手県は先ほど見ていただいた三陸沿岸 部でございますので結構町自体集落自体が 小さいところが多いんですよねはい平野部 で広域な都市というのは少なくてむしろ ここにあるようなまかなり中心都市てもえ ま面積的には大きくありませんえその ところでえ例えばえ本当に三陸のようなえ あの兵器が少ないところかまたは陸前高の ようなま一定あるとこなのかまたそれが どのくらいの規模なのかえまちょっとこう マトリックスを使い作りながらえ4つ ぐらいのですねパターンにえ整理をしてえ 街づくりが始まったとえいうことでござい ますでえいくつかの事例を見ていただき たいと思いますがえこの三陸の中でも陸前 高田ご存知かと思いますけども比較的え 平野部が多いえ大きいところでございます えここではまずはえ基本理念ということで これかなり重要なんですがどういう街に 作りたいのかえ1つは世界に誇れる美しい これかなり抽象的なんですけども大切な キーワードとしてもうグローバルですね 世界の皆さんに見ていただきたいえそう いうものを第1にえ歌っております2つ目 は人を育てることはいまた命を守ること絆 を守ることえそういうことを歌ってで3つ 目がえ活力溢れる街の想像ということで ございますえいずれもあの理念的なもので ございますがえどれを選んでどれをトップ に上げるかというのが地域の方の意向がえ 反映されるところでございますで先ほど 言いました5つの視点ですね命を守るえ
成りを再生する生活を歴史文化をていう ところがありますけどもご存知かと思い ますが陸前高田は沿岸部でえ非常に大きな 被害を受けましたのでえこの高台ですね 後ろの背後の方に増成をして今街を作って おりますですので命を守る視点では非常に 重要なんですけどもえ歴史文化を実は守る という点では全く新しいづれになりました よねはいただしまえシンボル的なものは 残すというような形になってますで なりわい生活というのもえいろんな ゾーニングをすることによってえ活性化 するっていうのがえ理念としてはあるん ですが今問題なのはやはりえ人口がはい 完全に戻ってないということでございます ね空地がはい残念ながら多いとまだ途上で はございますがまえ当初ですねこういう ものを作りましたはい でえっとあ陸前高田ですねそして宮城県の 例でございますで宮県は大きく言いまして え陸前あすいませんあの陸前高田も含めた えこの三陸海岸の地形とあと石巻仙台また 福島東東に至るえ比較的平野部でえ直線 海外があるところ2つのタイプになってい ますでえ三陸側はえ平地がないんですけど も高台があるのでえ食中分離ということで え住むところは高台にでえまあの働く ところはえ下でで一定の膨張堤を作り ながらあしかしえまいざという時には警報 等で避難をするまそういうようなえ基本的 なところでございますで一方平野部の方は え比較的土地があのまあの余裕がござい ますので多重防御ということでえ先ほど あのえ高速道路を見ていただきましたが あのような2先手であったりまた政宗が 整備した防長林はま十分ではなかったん ですけどもえ傘あげをして根っこをですね 十分晴らしてはいで当時はですね低い ところに松を植えてたので根っこがですね 実は深く張らなくて横に張ってたんですね 新されるともうそのままこけてしまって 流出してしまったまそれがないように1m 2m重して深をするはい一見これすごく 大切でしてシンプルなんですけどもえ植物 もきちんと基礎が大切だってことですねで これははいえ建物もそうなんですけどもえ 和島でえ建物がね残念ながらえ倒壊して しまいましたけどそれもおそらく基礎食い が 残念ながら外れてしまったとかえ地下の 空間が結構強度が弱かった等々実は見えて ないえ地中のところですねそこがえ非常に ポイントになっておりますはいえそのよう な2つのパターンでえ街づくりがえ検討さ れましたあこちらの方が分かりやすいです
ねはいえ食中分離のイメージとえ下がえ 多重防御でございますはいえいろんなあま ハードもまたグリーンインフラも道路も あとえ避難タワーもですね含めてえ津波 高しだけではなく実はえ内水洪水等の対応 もえ含めてえございますでえまあの三陸の えパターンあの代表的なものはえこの南 三陸町の静川地区かなと思っておりますで ここでは沿岸部の市街地がですねま大きく え被災してしまいましてえ高台の方にえ 分散してえま再生されておりますまここで も命を守るという視点が最も重要である あるとえいうことでございますあと成りえ 生活成りに関してはえいろんなですね メモリアルも含めてえ沿岸部でえ再生し てるというところでございますえ是非です ねこちらの方もあの訪れていただきたいと 思いますでもう1つは多重防御の代表的な ものがええっと岩沼でございますはいで ここはですねあのえ空港がありえずっと下 の方に行きますとえほぼ基本的に平野部で ございましてえ従来はいくつかえ集落が 点在してえおりましたが1箇所に集約を いたしましたはいえこれも大変えと様々な 議論はあったわけなんですけどもえま元々 いろんなこの地区は関係がえ深かったって ことと え被災後ですねあの仮設住宅で皆さんあの 生活をえされるんですけどそこで復興計画 復旧計画を立てるんですけども非常にこう 密で密に議論をしてはいで同じところに もちろん戻るのかはいえまたはえ移転する のかまた高速道路がですねえこちらにある わけなんですがそれよりもさらに内陸に 移動するのかまいろんな議論がされたん ですけどもえま結果的にはちょうど中間的 なところにどりをしてえ集約をしたという ところでございますえそこにはあの膨張堤 もえございますがえ剣道も少し重をしてで 土地もかげしてえま命を守る視点というの は多重防御でございますえ当時の岩沼市長 がえその復旧復興計画を立てるってことは 非常に重要視していただいて他のところは ですね仮設住宅でバラバラに同じ地区の方 もおられたので実は話し合いをするってこ はとても難しかったですはいえ説明会に 出席することまたいろんな資料も見ること も実は大変え難しくてですね時間がかかり また一部ではですねなかなか合意も取れ なかったこういう状況もございます おそらく野半島もえ二次避難また広域避難 が今されてるとこなのでその後とのえ復旧 復興の議論というのがなかなか難しいので はないかなとえ考えておますただ今はあの コロ中でまだいぶ普及されたオンラインと
かですねまリモートであの コミュニケーションするツールもあるので そういうのを活用するということがとても 重要かなと思ってるところでございます はいでこういう状況も踏まえて南海トラフ のはいえ高知でのえ復興街づくりもですね えここでいくつかパターンをですね 1234ということで高知もま一見こう シンプルな地形に見えますけどもえま地形 のまこ高いところの確保とかまたいろんな 産業のタイプも違いますのでえこのような 4つに分けてえ今県がま支援しながらえ 自治体でですね計画を作ってるところで ございますまリアス式の少し高知がある 場合はまこんな形でえまええ高台を整備 するようなこともやりますしまた少しえ あのこ高台があの離れたところですとえ 切り切り動して無動してまあの安全な ところを確保するまこんなようなですね プランをえ作ってるところでございますで 改めてえ最初のですね議論に戻るんです けども過去の経験があり今現在被災した ところもののようにありますし南海トラフ またえこの首直下もですね現在はまだ未彩 でございますえ将来に向けてということで ございますでえ過去に学ぶところは我々 東北地方ではですねえ伊達政宗のえ経験が ございまして彼はですねえ先ほどのこの 防長林っというのをえ整備したわけなん ですが同時に産業もえ再生しなきゃいけ ないで当時はま畑とか水田水田はどこまで あったかわからないんですが違う産業で あったんですが津波が来てそこに潮がある はいでえ膨張林があってそれが燃料になる はい全く新しいエデというものをですねえ 産業としてえ開発をしたえこんなような 事例もございますえ当然この松林市はえ 自然のグリーンの防波堤になるわけで ございますが残念ながら3.11ではええ 8割がですね流されたということでござい ますでこの仙台もはこの政宗のえ考え方あ ま多重防御と新しい産業ってことでえ 生まれまして特にピンクのところはですね え危険な地域であるてことで住居は許可さ れませんえしかし今ですね新しいグリーン エネルギーであったり新しいまあのイコ イノ場としてえ計画をされておりますで 一部はですねええあのあの商業地域も ございますしあとメモリアルのえあの移行 もありますしまた実はスポーツをするよう な場も持ってるわけでございますえこう いうものがえ近々ですねさらに開発し ながらえここに運河があるんですけども そこも利用していこうとで当然え高潮とか 津波が来た場合避難をどうするのかえこれ
も計画してるところでございますえ改めて 13年え経過する中で多くの課題や反省が ございましたがえあの時こういう議論をし ていればあの時えこういう関係の皆さんと ですねえこの町の本当良さとかまた大切な ものを議論してるばていうような反省が たくさんありましてちょっと細かくえご 紹介できないんですけどもえその反省を 踏まえるとやはり平時にえ事前にえ復興 街づくりを考えるということがあとても 大切です特にどういう方とはいどういう話 をやるのかはいで大きな災害受けた場合と ま中規模の場合小規模の場合どうするのか とまいくつかのパターンを分けてですねえ やるというのは本当にえ必要だと思います え必要性は改めてはいえ時間の余裕のある 時にえ皆さんでえゆっくりえ議論をするえ そういうことがとても大切でありますで ただし重要性は分かってもなかなか進まな いっていうのもですね人間なかなか先の ことを学ばないっていうのもあるんです けどもなんかモチベーションが欲しいなと は思っておりますはいえどういうものが あの都民の皆さんにとって事前復興の モティベーションになるのかちょっと皆 さんとですねあの是非考えたいと思うん ですけども今モティベーション3.0と いうのがなんか歌われてましてなんかこう 直接大きななんか必要性とか大義のために えやるとかまたはモチベーション2.0 って書いてあるんですけどこれは従来のえ あの考えでアと鞭でなんかやるとかいうの もあるんですけどもうちょっとこう内面的 にあこういうものは自分あの必要だろうと また私自分たちが個人でできるものがえ こういうものはあるんじゃないのかまなん か新しいやる気なんていうのを書いてある んですけどもこういうものもご提案され てるところでございますのでえ少し行にし ていただきながらまずは話し合ってみる 議論をしてみるそうすると課題が上がって きますのでその課題を継続的に議論してく それだけでもすごく違いますはい3.11 はそのチャンスがなかったですはいえそう いうものを是非えお知っていただきたいと 思います今実はあの沿岸部では経験と教訓 を未来に伝えたいってことでえこういう 活動もしながら施設ですねはいこういう ものはたくさんえございますえ青森から 岩手宮城福島ですねえこういうところにえ なんと300箇所で主な施設だけでえ50 か所ありますえ皆さんに是非来ていただい て当時の状況を知っていただいてえ今の 例えばあの課題だとか疑問だとかそういう ものを地元の方また我々と話し合って
いただいて現場で考えたり知っていただく とイメージがだいぶ変わりますはいえ是非 東北を訪れていただければと思います最近 はですねアニメなどの聖地巡礼というのも えあったりしますのでえそういうな楽し みって言うんですかねはい震災関係の アニメもえありますしえ学ぶ機会を設けて いただきたいなと思いますはい最後はあの まとめでございまして改めて過去え関東大 震災も含めて現在え野半島自身も含めて いろんな状況を見ていただいて一言日本 列島は今地震の活動機になっていますなら ば皆さん何をしますか何を皆さんとえ備え をしますのかしますかえそういうものを 是非え考えていただければと思いますはい え以上で私からのえ報告を終わりたいと 思いますご清聴ありがとうございまし た今村様ありがとうございましたえ最後に 全体を通じて質疑応答の時間に入りたいと 思いますえ今村様にご質問いただきたい方 は拒否お願いいたし ますあ貴重な話ありがとうございました えっと私の方から質問が2点あるんです けどよろしいでしょうかはいはいえっと1 点目なんですけど宮城県の岩沼地区で えっと集落を最終的に1箇所にまとめたと いう風なお話があったと思うんですけども それまで集約があった場所は現状どのよう な形になってるのか疑問に思いましたので 質問させていただきますはいありがとう ございますえ今ですねえこの図で言うとえ ブルーのとこで 123456箇所ありますよねこれは今 全く住宅はなくえ沿岸部には砂があり そしてえ7.2mの膨張堤がありその裏は 植林をしていただいて新たなグリーンイに なっていますはいあと一部は公園とかです ねなってるところもございますあのえ岩沼 はあの避難の丘ってことでねいざという時 に高台また津波が来てもそれで減衰する ようなああの地域づりもしております わかりましたありがとうございますえっと 22点目なんですけどもえ高知県でえ リアス海岸置きあリア海岸の近くの集落に 関して山を切り開いてな平らにして重力を 増成するという風な話があったと思うん ですけどこの場合津波に強くなる反面山 からのこの土砂災害等の別の災害のリスク を追うことになると思ったんですけれども そこに関してはどうなってるのか伺いたい ですはいはいありがとうございます重要な 指摘ですねあの今ここに見えているえ下の 方のええ右側の斜面ですねえこれは本当に 土砂災害の可能性がありますのでえ しっかり土木工事をやってえ斜面の処理は
していただきますこれが大前提ですでもう 1つはですね実はここのところも切戸は 比較的自慢は強いんですけどご存知かと 思いますが森戸に関しては盤が弱いので やはりここもきちんとえまあのえ盤の強化 をしていただかないとえ逆にリスクの高い ところになってしまいますのでこれは しっかりやるでそのためにはやっぱり一定 の予算がかかっちゃうんですよね普通より もはいそこもえ行政の方と議論をして いただいてどういうパターンがいいのかえ 今話し合いをしていただいております ありがとうございまし た他にご質問ある方いらっしゃいます でしょう かあお話ありがとうございますあの日本に は原子力発電所っていうのがあるんです けどはい日本にもかあの津波とかそういう 地震っていうのはその311以降なんか その教訓を生かしてなんか対策ってされて いるんでしょうかはいありがとうござい ます311の我々の経験というのは非常に 残念でございますえ福島の事故を2度とえ 起こさないということであの日本には日本 あの原子力規制庁っていうのは新しくでき ますよねでそのもですねえいわゆる ハザードという外力の評価からあまた毎日 いろんなあま自然災害また人員的な災害 テロも含めてですねえ対応をレベルを アップしてえ今やっていますそれだけ審査 が厳しくて逆にですねあの時間がかかると いうのはあるんですけど私はやっぱり きちんと安全性をえ優先してやって いただくべきだとで今回もノ半島ではえ 滋賀原発がございましたよねでそこで何が 十分できて実は何が課題として残ったかも しっかりえ確認しなければいけないと思っ てますはい常にアップデートをしないと 原子力施設っていうのはとても重要な施設 ですのでご質問ありがとうございました ありがとうございましたありがとうござい ましたと非常にえ残念ですがお時間になり ますのでえ以上にて今村様のご講演を終了 させていただきますえ今村様ありがとう ございました皆様今一度ありがとうござい まし書お願いし ますえ次の準備がありますので少々お待ち ください え準備が整いましたので続きまして防災 アナウンサーの村なみ様より被災地の リアルと私たちができる取り組みをテーマ にご講演いただきますそれでは奥村様 よろしくお願いしますよろしくお願い いたします皆さん こんにちはよろしくお願いいたします改め
ましてこの度のノ半島地震で犠牲となられ ました方々にご冥福をお祈りするとともに ですねえ被災された全ての方にお見舞い 申し上げます今日のえ55分間の中でもえ 先週涼しに入って支援活動取材をしてき ましたのでその様子もあの含めながらお 伝えできればと思っておりますで本日の タイムラインですけれどもえ前半自己紹介 そして東日本大震災経験しておりますので そのお話をさせていただきますその後少し アイスブレイクということでお隣の方とお 話しする時間を取れればなと思っています そして私の方からま被災地の復旧復興の 過程でえ一緒に復興とはどういったことな のかということを皆さんと考える時間を 設けたいと思っていますで最後に私たちに できることということでお伝えさせて いただきますで実はですね私たちはあの 毎日忙しく生きていますのでこういった 講演を聞いたとしても明日には7割以上 忘れてしまうと言われているんですねこの ラーニングピラミッドというのは皆さんご 存知でしょうかえこの1番上ですね講義を 聞くだけでは5%ぐらいしかが学習定着率 がないということでやはりこうね学びを 深めるためにはアウトプットが大事なん ですねなので今日この会場でもお隣の方と アウトプットしていただくんですがこの 会場を出て帰ってからですねご自宅ご家族 ですとかまたお友達その地域の方と是非え 防災について話し合ってアウトプットして いただければと思いますで改めてあの自己 紹介させていただきますとえ今防災 アナウンサーという肩書きそして環境省 森里みプロジェクトのアンバサダーをさせ ていただいております奥村なと申しますえ と広島と仙台で地方局のアナウンサーを 経験した後え東京でフリーとして活動して おりましてえTBSの花丸マーケットで リポートリポーターをやっていたりですと かあとニュースウォッチ9でニュースを 読んでいましたのでもしかしたらどこかで お目にかかったりお耳にかかったりしてい たかなと思います今はあの出産しましてえ 防災の様々な団体と一緒に防災啓発活動に 携わらいたいており ますで私が防災に取り組むようになった きっかけは東日本大震災でして当時仙台の 放送局でアナウンサーをしておりましたえ こちらえ地震の後撮影した我が家ですあの 最初からこんなに汚かったわけではなくて ですねあの私のマンション7階だったん ですけども震度6弱のエリアにありまして 倒れるものは倒れそして飛んでくるものは 飛んできて動くものは動いてという形で家
の中がめちゃくちゃになってしまいました で私2時46分ここの左側の写真のここ ですねキッチンに立って調理をしていまし たカタカタという揺れと同時にですね鍋が 自分の方にひっくり返ってきまして次の 大きな揺れでこの冷蔵庫の上にヘルシオと いう30kmぐらい重さのあるオーブン レンジを乗せていたんですけれどもそれが 真横に自分の方に飛んできましてこれに 当たっていたら私は今ここにいないかなと 思います恥ずかししながら災害報道もやる ような報道番組を担当していたんですが私 の家の中に安全な場所はありませんでした 皆さんのご自宅はどうでしょうか家具家電 の固定はすでに住んでいますでしょうか 今夜自信が起きるこの後自信が起きる恐れ もありますので必ず確認して くださいでその後私は災害報道を立ったん ですけれどもあのこのようにもしかしたら 東京にも移っていたのでこの画面をあの 記憶されてる方もいらっしゃるかもしれ ないんですけどこういう風にスタジオから 呼びかけてるように見えたかもしれないん ですけれども実はですねあの車内もこの ような状況であのいろんなものが倒れき たりもめちゃくちゃな状況だったんですね で停電もしておりました非常用電源で放送 を出していたんですけれども途中で停波し てしまいましてあのうまく起動しなくなっ てしまったんですねなので報道フラーの横 にこのように中継車を横付けして中継を 飛ばすつまりあのスタジオからお送りし てるように見えたかもしれないんですけど も実際にはあの中継だったということなん ですねあのまそういった被災地にある災害 報道機関もですねえこのように被災し ながらま報道を続けたという形 ですで皆様もご存知の通りえこの地震では 大津波が襲いまして本当にえ町を飲み込ん でいきまし たこれ小川町ですけれども宮城県の小川町 あの本当に素敵な街が広がっていてあの 主題で何度も訪れた場所なんですけれども もそれ がこのようにですねもう海が見えない奥の 奥の方まで津波が到達してしまって街を 全てなくしてしまいまし たこれあの2週間後に入った時に撮影した ものなんですけれどもま木造カオなどは 基礎だけを残して流されていってしまい ましてここあのスーパーマーケットですね 取材でよくお世話になったところモのよう な形になってしまいました ま本当にこれあの3分ぐらいずっと走って いかないと津波が到達していないエリアに
行けないんですけれどもまこのような状況 になってしまったのでえ何が困ったかと 言うと安否確認ができないっていうことな んですね大切な方ご家族の方と安否確認 できないそういった状況になりましたそこ でま地元の放送局としてできることとして ま自分の中で印象に残ってる番組を2つご 紹介したいんですけれどもま1つ目が こちらですえ警察に当時ですね2000人 以上の方の行不明者の情報が寄せられてい ましたで2時間かけてア行から順番に 読み上げるという報道をさせていただき ました今もですねすえっと野半島自身に おいてですねこういった欲不明者の情報 などがテレビで報道されてるかと思うん ですけれども東日本大震災の時もこれはま 宮城県内向けではあったんですけれども あの少しでも安否確認につながればという でこういった報道もさせていただきました それから避難所に出向きましてえこういっ たカードにですねあの私の名前はえ安部 はる子と言います娘を探しています今あの 渡の小学校におりますあのもし見かけたら 渡の小学校まで連絡くださいという形で ですねあのビデオメッセージのようなもの を放送させていただくということもしまし たやはり本当に街がなくなってしまうよう な災害でしたので安否確認大切な人の居 場所すらわからない未だにあの不明の方も いらっしゃい ますでこの災害を通じて私が1番感じた ことは災害が起きる前だったらできること がたくさんあるんですけれども災害が起き てからでは手遅れということですで私が この防災啓発活動に携わる中で1つのこう 出会いと言いますかあの原点となっている まこれは悲劇がありまして皆さんも報道 などでえ知っているかもしれないですけど もこの石巻に日幼稚園という幼稚園があり ましたこの幼稚園は高台にあるんですねな ので幼稚園にとまっていれば無事だった わけなんですけれどもなぜか大津波警報が 出される中えソゲバスが海の方に向かって 走っていきますそして津波に巻き込まれ その後このエリアは炎症火災が起きて津波 ではその子供たち生きていたんですけれど もその火災に巻き込まて消してしまうそう いったもう本当に信じられないようなこと が起きまし たこのようにですね何度か救出できるよう なチャンスもあったというようなまご遺族 の方のお話なんですけれどもえその時ま こんなに大きな津波が来るとは誰も思って なかったのかもしれないですただ大津波 警報は出てたんですけれどもま巻き込まれ
てしまいましたでご遺族のあのこの里あり ちゃんという女の子のお母様とずっと交流 させていただいていてえっとお母様の言葉 をご紹介させて ください知らないことが1番怖いことです この幼稚園を選び通わせたことを後悔して いる自分ができることは同じように悲しむ 人が出ないようにこの悲劇を伝えること 防災について考え幼稚園保育園学校の防災 マニュアルがどうなっているか知って ほしいとおっしゃっていますえこのお母様 様は自分の家もですね津波の進水エリアに あったので3日間外に出られなかった電話 しても幼稚園に電話しても繋がらないそう いった中ででも幼稚園は高台にあるから 大丈夫だろうと3日後なんとか幼稚園に たどり着いたんですけどもそこで娘さんの 姿はなくてでそのバスが走っていって しまったということも聞きえご遺族の方 たちで必死になって瓦礫の中を捜索しその 焼けこけたバスそして娘さんと再開すると いうことになりました思い出したくもない ようなえ出来事だと思うんですけれども この佐藤美香さんというご遺族の方はえ今 石巻で語り部として活動されていますもし あの石巻に行くことがありましたら是非 この美香さんの語りべも聞いていただき たいですしこういった展示物として娘さん の遺品も展示されてますので是非見てみて くださいでこの東日本大震災では子供だけ ではなく保護者も多くなくなりましたその ためえ維持孤児になった方がこんなにも たくさんいらっしゃいますなので子供の命 もですし保護者大人の命も守ることができ なければこういった悲しい思いをする人が 減らないということも言えるかと思います ということでまその自信が起きる前に災害 が起きる前にできることをより1人でも 多くの方に伝えたいということでこの12 年間はあの活動してきましたテレビでの テレビラジオなどでのメディでのですね 発信もですけれどもえこういった形で自治 体の方と一緒に防災の講座をさせて いただいたりとかあと学校で防災の授業も させていただいていますまた企業さんと 一緒にはあのマンションの防災訓練なども させていただいておりますでやはりこう 関心がない方にいかに届けるかということ が大事だと感じておりまして今はSNSで の発信も力を入れていますえっと最後にお 見せするんですけどもこのえの半島地震の 後あのあのショート動画の方が120万回 再生するなどしてですねま普段は防災に 関心のない方もそのえアルゴリズムの力で え届けられるそういった可能性を秘めて
いると感じていますなので私はえSNSで の発信も力を入れているところですただ 残念ながらですねこの東日本大震災校の 12年間本当に毎年撃沈な災害が起きてい ます地震だけではなくえ水害などもですね 気候変動の影響もありましてでえ水害の 被害は本当に毎年同時多発的に各所で起き ていますですので地震水害共に備えていっ ていただけたらと思い ますで先週あの涼しの方も入ってきました のでそれ後半でお伝えさせていただき ますということでここでアイスブレイク ですもちょっとね開始から1時間半経って 皆さんもちょっとお疲れかなと思いますの でちょっと あの未来を想像しながらえこのワークを 取り組んでいただければと思いますあの私 はですね防災は未来へのプレゼントと思っ ていますなので今日ここの会場に来て くださってる方そしてオンラインでご覧 いただいてる方はですねあの大切な人を 守りたいというね愛の溢れた方々なんじゃ ないかなと思っています皆さんはどんな人 を守りたいと思って今日こちらに参加して くださっていますでしょうか大切な人を 守るあなたの大切な人は誰でしょうか そしてその方は今どこで何をしている でしょうか東日本大震災の時はどこで何を してるか分からなくてなかなか見つけられ なかったそういったお話も伺いまし たこの会場左右からですね2人組ずつに なっていただきまして今から1人30秒え まずお名前そしてどこから来たのか今日 なんで参加したのかそして先ほどの答え ですね大切な人は誰で今どこで何をしてる かそういったことを隣の方とシェアして いただければなと思いますはい2人組なれ ますか2人組はいない方ちょっと離れてる 場合ははいありがとうございますご協力 いただければと思いますでは30秒間と いうことでえまずステージに向かって右側 に座ってる方ですねこちら側に座っている 方から30秒アウトプットしていただけれ ばと思いますあの学びを深めるためには アウトプットが大事なので是非ご協力 くださいそれではよろしくお願いいたし ます はい3人組のところもあるようなので3人 組の方は2番目の人がお話始めて いただければと思い ますはいではステージに向かって左側の方 アウトプットお願いいたします3人組の方 は3人目の方お願いしますオンラインの方 は心の中でどなたかとえアウトプットして いただければと思い
ます はいそろそろお時間となり ます話は尽きないと思いますがありがとう ございますはい大切な方の居場所分から なかったという方いますか今どこで何し てるかわからないという方ご主人奥様 そしてお子さん皆さんスケジュールは共有 してますか大丈夫ですかはい今どこでね何 してるか分からないと本当に安否確認大変 になります実はスケジュールを共有するっ ていうのも備の1つになるかもしれません ありがとうございましたさあ今日はね大切 な人を守るというところで入っていくん ですがここで王自身が発生しましたね地震 が発生したとすると揺れがありますけれど もその揺れている中で助けてくれる人は誰 でしょう か震度7の揺れの中どうでしょうか警察 消防来ますでしょうかありがとうござい ます皆さんもねご存知だと思うんです けれどもこの揺れている中助けてくれるの は自分しかいないんですねなので自分の命 は自分で守るそして大切な人の命を守る ためにもやっぱり自分が無事ではないと 守れないですなので自分自身のことを守る ということもし考えてください意外とね 自分は怪我しないとか自分はねあの助かる っていう風に思ってる方が多く いらっしゃるんですけどね自分も命を失っ てしまうかもしれないなので自分の命も 守った上で大切な方の命も守っていって いただければと思いますで今日は事前復興 がテーマですのでえ事前復興について考え ていきたいんですがそもそも復興とはどう いったことなのかというのを東日本大震災 を通してですね皆さんと一緒に考えて いければなと思いますでまたこのえ話題 提供の後え1分ずつぐらいですかね アウトプットの時間を設けたいなと思って います復興とは何だろうかそしてそれを 踏まえて事前にできることて何だろうか そんなことを考えながらえメモを取って いただけたらなと思いますでは今からえ4 時ぐらいまで30分ほどお話をさせて いただきます今日はですね私がこの12 年間交流させていただいているえ3人の方 をご紹介させてくださいで3人が暮らす町 は宮城県気仙沼市のカクワ町というところ ですあの去年ですかね昨年NHKの朝の 連続ドラマでお帰りもという朝ドラがあり ましたけどもその舞台がこの大島という 対岸の島だったんですねなのでえその対岸 の町カクワ町にこのおさ方は暮らしてい ますでカクワというところはですね漁業で で栄えた街でしてえすごくねあの綺麗な
風港メビな場所にあったんですけれども ここも10mを越す大津波が襲いまして家 や家族それからえいが1700代ぐらい 浮かんでたんですけどそれが全てそして 加工がもう全て流されてしまいましたで このエリアというのはその前の年ですね 2010年に知新津波の被害も受けていて 1年間かけて一生懸命復旧してきた そういった時にまたこのような大津波が 襲ってしまいましたで私がこの地域に 初めて入ったのは2011年の8月だった んですけれども広島の夏季の養殖業者さん たちがこの気仙沼のカラクですとか大島と かそのエリアの夏の養殖業者さんを支援 するよっていうプロジェクトがありまして その取材でお伺いしたのがきっかけでした でいの資材ですとかを持っていくだけでは ななくて一緒に作るという支援だったん ですねでこの広島と宮城というのは夏のね 生産量12を争うライバル同士ですので あの最初はすごく仲悪かったというか震災 前は仲悪くてこう支援にた最初もですね 最初の時もあのちょっと気まずそうな 雰囲気が漂っていましたただですね3日間 一緒にい作りをしまして夜はあのお酒もね 一緒に飲みながら氷を深めていったところ でやっぱりその同業者だからこそ 分かち合えることがあったりとか本音を 語り合えるっていうところでこう少しずつ 打ち解けていきましたそして3日間で50 代のいが海に浮かびましたえ当時訪れた時 はですねやはりもう本当に何もなくなって しまった家もその加工場もいももう全て 下向きのナイフ1本すらですね全て流され てしまっていたのでもう廃業するしかない と考えていた養殖業者さんも多く いらっしゃったんですでもこの3日間で このようにいがたくさん並んでいく光景を 見てあもう1回頑張ろうとこんな風にね ライバルが応援してくれてるんだったら もう一度ライバルになってあの復興の火を あの絶対に出荷しようそういった思いで皆 さん立ち上がっていましたで今日はですね このえ取材の中で出会ったえ鈴木吉典さん というこのね右側の男性の方のお話をまず 最初にたと思います鈴木吉典さんえ国人 家族なんですねえ吉典さんと奥様そして お父さんお母さんさらにおじいちゃんお ばあさんでお子さんがえ13歳11歳7歳 というね大家族国人家族でしたで海のそば にすごく立派なお家があったんですけれど もま大津波が襲いましてこのようにねもう 基礎から外れた形で流されてしまったん です ねでそこでこの2011年3月11日に
被災した後はえ半年間避難所での生活を 送り ます避難所と言ってもえ吉典さんたちが 避難したのは集会所のようなま狭い空間 だったわけなんですけれどもえ8歳直後は ですねここに本当に多くの方が詰めかけ まして1週間ぐらいは皆さん体育割りで寝 たそうです ま家が流されてない方も不安だったりとか ま家に食料がないということで多くの方が 殺としたそうですでこういったあの発災 直後って自治体のその行政の方は避難所に 来れないんですねえ被災してますし職員の 方も被災してますしまた当時え90か所 ぐらいですかねあの本当に地域にいっぱい 避難所ができるんですねえっと指定された 避難所もありますしまたそういったあの 自主的にえ避難するようなそういった人 たちもいますしもう数えきれないぐらいの 場所に皆さんがこう身を寄せ合って生活 する今そのノト半島の地震で涼しもう80 か所以上の避難所がありまして涼しの職員 はとても手が回らないということで避難所 上には入っていませんなのでえ地震が 起きるともう地域の方たちでなんとかえ その発災直後というのは避所を運営し なきゃいけないんですねでここ地域はです ねみんなで食材を持ち合いて炊き出しをし ていたということなんですけれども先ほど のね吉典さんの お母様この女性の方がま炊き出しの担当に なったそうです半年間炊き出しを頑張って 続けたそうですえー夜寝ないで準備します メニューを考えて夜のうちに献立を考えて でえ4生姜まで2回ご飯を炊いておにぎり を握りさらにに魚まねあの漁師の場魚が あるの魚をさばいてそれを朝までに煮つけ てでここは3色提供してたということで 朝昼晩朝昼晩と地域の皆さんで力を合わせ て炊き出しをされたそうですで本当に大変 だったというお話をされてるんですけれど もま1週間後ぐらいからはコンビニの おにぎりとかパンみたいなのは届くように なるんですけどやっぱりこ高齢の方も多い ですし栄養バランスも考えて炊き出し 頑張ろうということで1週間炊き出しされ ましたあ半年間炊き出しをされましたで 一方でこの吉典さんのお子さんたちはです ねやはり年頃っていうこともあったりした ので最初は車の中で車中泊されてたそう ですでその後指定の避難所にも行くんです けれどもちょっとここでは伝えられない ぐらいうん理不尽な避難所だったんですね でそういった場所で過ごすのは子供たちに もちょっと精神的にも良くないだろうと
いうことで今度は親戚の家にしましたただ その親戚の家でもですね食事が提供して もらうことはできなくてえ結局夜寝る時は その親戚の家で寝るんですけれども避難所 にご飯を食べに行ってっていうのを半年間 されていたそう ですで今もあの能半島では広域避難で親戚 の方を頼って避難されてる方多く いらっしゃると思うんですけれどもまそう いった方々がどういった状況にあるのか 本当に心配でならないなと思います もちろん現地に残ってライフラインが寸断 された中避難所生活を送る方もですけれど も広益避難されてる方も決してその精神的 に安らいでる安らげる場所で過ごせてると はわかかどうかは分かりませんでちなみに えっとここの避難所の方たちは2ヶ月間お 風呂に入れなかったそうですえシャワーが 仮説のシャワーが2ヶ月後にできるんです けれどもそれまでは1度も風呂に入ること ができなかったでえ当時はですねお風呂に 入りに行ったりとかしようとしなかったん ですかっていう風にお話伺ったんです けれどもガソリンがなくて行けなかったと でたまたまこう海で流されてきたガリンが あってタンクがあってそれを使って1回 だけコインランドリーに洗濯に行ったって いう記憶はあるってことだったんですけど やっぱり当時はその避難所の炊き出しだっ たりとか家の片付けとかそういったことを やらなきゃいけないのでお風呂に入りに 行こうとはなかなかねこう思わかったと いうような話もされていましたまそれ ぐらい過酷な状況だったんだろうなという ことが想像され ますで やっと秋になってですね夏を超えて 2011年の秋に仮説住宅に入りましたえ 大家族なんですけれども2つしかまその 色々な事情があって2つしかえスペースを もらえなかったということで本当に年頃の お子さんとぎ詰めになってなんかストレス フルな仮説住宅生活だったってことも おっしゃってたんですけれどもあの仮設 住宅で暮らしていましたで当時はいろんな 場所に仮説住宅ができていたのでま 炊き出しの支援とかが入ってるような仮設 住宅もあったんですけどもあの私この仮設 住宅に移ってから1年後ですねだから 2012年の夏過ぎたぐらいに初めて自分 たちの仮設住宅には1度も支援が来たこと がないんですってことをポロっと聞きまし た で近くまでは炊き出しとか来ていても やはりね車も流されちゃった方とか足が不
十な方とかはそういったところに行くこと ができないので本当に1年間全く支援受け てないんです私たちという声を聞きました でそこでま自分の東京の仲間と一緒にです ね支援物資を届けるっていう活動をそこ からまた1年ぐらいさせていただくんです けれども本当に皆さん木のあみ木の木の ままで避難してますので洋服もありません しまたそのその仮設住宅に住めると言って も別にあの年金暮らしの方とかはやはりお 金の不安もありますのでとにかく生活の ものが必要だということでしたのでこう いった洋服を届けさせていただいたりとか ま出張スーパーのような形でですね生鮮 食品から生活に必要なものそういったもの を届ける活動をさせていただきましたで このとこの支援を通してですね えますごく心に残っていることというのは あのこの時仮住宅って抽選で決まったん ですねこの地域はなので100世帯ぐらい がこの仮設住宅に集まったんですけれども ほとんど知り合いがいないいろんな地域 から集まってしまってるのであの挨拶する こともなく過ごしていたそうなんですでも 私たちがこう支援に行くことであの やっぱりこう受けるだけじゃじゃなくて何 か表なししたいっていうあの東北のね皆 さんの温かい気持ちがあってあのなんかお 団子を作ってくださるおばあちゃんがい たりとかなんかね食事を提供したいって ことでみんなでま炊き出しじゃないんです けどご飯を作って振る舞ってくださったり そういったことがまあの行われるように なったことでその仮設住宅内の コミュニケーションが生まれるようになっ たその支援に来る月に1回ってたんです けどその月に1回の支援がなんかイベント のような形になって本当にその仮設住宅の このえ100世帯ぐらいがなんか関係性が すごく良くなったそれがなんか嬉しかっ たっていうようなお話をいただきましたな のでもちろんその物とかを届けるという 支援だったんですけれどもまそういった ところからがきっかけとなって交流が 生まれたそういったお話をいただきまし たはいということであのこの仮設住宅のね 皆 さんあのこの仮設住宅っていうのはま起源 がありますのでその期限を過ぎますとえ 自力で再建するか高台店かっていうねそう いう選択をしてかなきゃいけなくなり ますでこの地域ま高田店を選ばれる方が 多かったんですけれども私が取材させて いただいてるその鈴木吉典さんていう方は 自力債権を選ばれましたというのもあの海
の仕事をしてますのでやっぱり海がね 見えるところでえ過ごしたいとさらにま夜 というか朝というかまあの深夜2時ぐらい から仕事が始まるんですねなんで真夜中 あのこのような海の仕事もありましたので 自力再建しようであのこの頃には加工場 などは復旧していましたのでその近くで 再建するということで家を建てるわけなん ですけれどもえ家の再建なかなか進みませ んでしたえここ15mぐらい傘しないと 立てられないエリアだったので15m傘し てで公共事業とかもある中なかなか進ま なくてなんとご自宅完成したのが2017 年の3月でしたつまり仮設住宅に5年間も 過ごすことになったそうですちなみに 先ほどの高台のえ集団移転された方々 っっていうのは2016年にえ移転を完了 していますのでそれよりもやっぱりあの あの個人で再建するが時間かかってしまっ たというよなお話だったんですけれどもえ え吉典さんたちの仮説住宅の100世帯の 中でも最後から2番目にえ出るという結果 になりまし たはいまちょっとね吉典さんのお話させて いただいたんですけれどもこの吉典さんに あの復興とはどういうことだと思いますか というような質問をさせていただきました でするとあの海の復興と言ったら分かる けれどもなんか街づくりの復興ってどう いうことなのか疑問ですっていう風に おっしゃってましたでこの集落っていうの はあの48件あったんですけれどもまこの 復興の過程で25件もうなくなってしまっ たまか半分ぐらいなくなってしまったん ですねで若い人たちはやっぱりあのどうせ お金を払って家を立てるんだったら便利で ねいいところに引っ越したいってことでね すぐに引っ越してしまったそうですで海に 関わってた人たちもやはりあの原発事故の 影響もあって復興するまでどれぐらい かかるかっていうのが見通し立たないと いうことでやはり引っ越してしまったで 残ったのはやっぱりついの住川は故郷が いいっていうようなご高齢の方だけだった とで膨張堤がですねまだあの工事中なん ですけれども本当はね膨張堤ではなくて 道路を作って欲しかったという風に要望し てたそうなんですけどもあの膨張堤と道路 はセットじゃないと作れないっていうよう なことを言われてしまって結局なくなく 膨張堤も受け入れたんですねただあの膨張 堤完成したから安全かっていうとやっぱり そのこれをあの保守管理ですねあの長い 時間その膨張堤を管理するにはそれにもお 金がかかりますし老朽化したらどうなるん
だろうとか色々な不安があるということも おっしゃっていまし たで海の方の復興はですねあの夏の養殖の 方は震災前より増えたというようなお話 だったんですけど もあのそれだけではなくて台風とか気候 変動の影響もありましてあの去年のホは すいません今年って書いてです去年ですね 去年のホタは全滅してしまったそうなん ですねあの海の海水音が上がったことでホ で25°ぐらいまでの海水音じゃないと 生きられないんですけど今年30°とか そういった高い回数用になってしまって ホタが全滅してしまったそうですなので そのどこをとね切り取って復興というの かっていう問題もあるとは思うんです けれども その街の復興そして洋食業まそのなりわい の復興ですねなんかその復興 ってどどうなったら復興なんですかね みたいなそういったことも逆に聞かれて しまいましたはいということで1人目の 吉典さんのお話しさせていただきましたま ね都市で起きてもま避難上のこととか仮説 のことって起きてくると思うのでちょっと ねイメージを膨らませていただけたらなと 思います じゃ続いてお2人目のカの一男さんの12 年間を見ていきたいと思い ますこの一男さんのうもかホ若めの養殖 業者さんですこの地に100年以上続く 代々続くえ養殖業者さんなんですけれども この家の3階まで津波で水没してしまい ましてえ養殖施設も流されてしまいました で天気となったのがボランティアさんから の言葉であの屋根のあるところに寝泊まり したいのでお家を解放してくれないかとね この水没したお家を解放してくれないかと 言われたそうですで当時はですねあの多く のボランティアが野宿してたんですね やっぱテントを貼ったりとか車中泊とかで 支援活動してたので寝泊まりする場所が なかったとでそういった言葉を受けて一男 さんはもうね泥まみれの家壊すしかないか なと思ってたんですけれども学生たちと 一緒にえ修復していきますで2011年の 夏から受け入れを開始しまして10ヶ月間 で述べ1000人を超えるボランティアが 訪れましたでこの出来事をきっかけにです ね一男さんはこのカクワという街に人を 呼べるようなそんなことを始めたいという 風に構想を練り始めましてで2013年秋 からは民宿旅館業をスタートしましたね 当時え取材させていただいた音声があり ますので2015年のをお聞きいただき
ます8分ほどあり ます気仙沼市の中心部から車で30分ほど 散歩大見に囲まれた半島にある漁業の町 カクワ町です今日1日冷たい風が吹き荒れ ていましてマイクを持つ手も痛いぐらいで 小雪も待ってきました4年前の今日ここ カラクも高さ10mを超えるような津波に 襲われ壊滅的な被害を受けましたえ私は 震災後何度かこちらに取材などでお邪魔さ せていただいているんですが海に養殖施設 が浮かんだり陸に加工場が完成したりと 訪れるたびに復興に向けて一歩一歩前進し ているなと感じてきました現在は水揚げも 震災前の8割ほどにまで回復していますえ 現在私がいるのは海沿いにある民宿の前 です3階建ての立な大きな家という佇まい で入り口にカクワ5店つと書かれています では中に入りましょうこんばんはお邪魔し ますえ民宿の女将カの一夫さんにお話をお 伺いしますよろしくお願いいたします よろしくお願いいたしますこんばんは実は この民宿は震災前はかのさんのご自宅だっ たそうですねはいそうです私たちが普通に 生活しているでしたあの改めて4年前のお 話をお伺いしたいんですけれどもはいあの 津波の被害を受けてこちらのおタクはどの ような状況になったんでしょうか私たちは えっと3階まで3階の木造のうちなんです けれども全部津波で飲まれてしまって全開 になりでうちは養殖業をしているんです けれどもかホ若めの養殖以下だ40代全部 あの流されてしまってあと一層残った船を 残してあは全部流されま全てを流されて しまったっていうところですはいそういっ た状況を見た時のはいかのさんどんな心境 でしたでしょうかいや何とも言えないもう 絶望的っていうかもう悲しい気持ちとか もう辛い辛い気持ちとかもう絶望感でもう 頭の中がいっぱいいっぱいでしたうんで そんな中民宿を始められたということです けどもこの自宅を改そして民宿にされた それがボランティアからの一言がきっかけ だったそうですねあそうですねあのネト あのここんところにあの瓦礫に片付けに来 てくれた学生たちがなんか一長さんここ なんかネトまりさせてもらえませんかって 言われてその一言であまた若い子たちに こう寝泊まりさせてもらえる場所になるん だっていうその一言でももう一発返事で オッケー出しましたはいそれ以来のべ 1000人以上のボランティアがこの民を 拠点にして瓦礫の撤去から漁業の復旧作業 など本当にカラクの人たちの復興を後押し したということだそうですで当時その ボランティアの方たちの力ってどんな存在
でしたかいやもう私にとってはもう本当に 前に 向ける大きな力でしたよねもうなんていう かもうそのこの若い子たちのもうおはよう さんとか行ってきますとかっていう声が もう私をどんどんどんどん押してくれて もうそれが生きる私の支えになっていった と思います今考えると震災前とは随分生活 も変わったんじゃないでしょうかそうです ね震災前は2時に起きて3時からかきをし てもうとにかくお金のためにいを1台 増やそうとかもうね巡業さもまた1人 増やしてとかそのことばっかり考えてたん ですけど申請をきっかけに もうなんだろう人との温かさっていうか人 との繋がりを大事にしていこうっていう 生き方に変わりましたねお金は2の次って いう感じになりまし たそんな間野さんを支えたボランティア そしてそのボランティアの方たちなんです けれども実はこの民主拠点にボランティア をしていた人たちの中には空くに残って 街づくりをサポートする若者たちもれまし たさあ空くに移り住んだ皆さんです こんばんは こんばんは自己紹介お願いします兵庫県 から来ました加藤琢磨26歳です岡山県 から来ました岡崎ま24歳です奈良県から 来ました内田佐代22歳です東京都から来 ましたネ23歳です兵庫県から来ました 佐木美穂23歳ですよろしくお願いします よろしくお願いますします皆さんは 2012年の春から街づくりサークルを 立ち上げましたその名もクア丸ですはいと いうことで皆さんはカラクア丸という活動 を始めまして街歩きの地図を作ったり カラクに伝わる強度料理のレシピを地元の お母さんたちから学んだりとそのカラクの 魅力を見つける活動をしているということ ですじゃ代表の加藤さんにお話お伺いし ますなぜ街の魅力を探す活動を始めたん でしょうかはいあのカラクはま被害のあの 津波の被害はもちろんなんですけども元々 高齢化だったりだとか加速が進んでいる 典型的な日本の中での田舎っていうところ ですそれでやっぱ地元の人たちのその口癖 じゃないですけどもやっぱカクには何も ないんだっていうことをすごく言うんです ねで僕たちはやっぱよそから入ってきた 立場なのでやっぱ外から客観的にカラクの こととか見れたりするとでその時にすごい なんかあのカラクの魅力みたいなものは僕 らには分かるんですけども逆に地元の人 たちにとってはそれは分からないことだっ たりするんですねだったらじゃ自分たちが
そういう地域の魅力を掘り起こすことで 地域の人たちが当たり前だと思ってるんだ けどもそれって本当はすごいことなんだ よっていうことをこう一緒に共有しながら 地元の人たちがカラクアってやっぱすごい じゃんていう風に自信を持ってもらうで そういうところから街づくりっていうのは 始まったらいいんじゃないかなと思って こういう活動をやってますでこの活動3 年間続けられていましてどんどんその輪が 広がっているんですね今地元の若者たちも 加わっていますよろしくお願いしますはい カラク生まれカラク育ち立花1128歳 ですはい立花さんはどうしてこの活動に 加わろうと思ったんでしょうか元々街作り っっていうものには興味はなかったんです けどもこういう若い子たちが来てくれてえ そういう子たちと関わっていくうちにあの 最初は手伝いだったんですけどもそういう 手伝いの中で地元の自分たちより地元の ことをよどんどん知っていくし地元の人と こう仲良くなっていくのを見てあの非常に 嫉妬を覚えましてだったら自分の地元なん で自分らもやってやろうっていう気持ちに なりました活動始めてみて何かこのカクワ に変化は起きましたでしょうかやっぱり あの人のつりっていうのはすごく強くなっ たなと思い ますねこの民宿によく集まって話し合いを されているってことでま今日も集まって くださっていたんですけれども民宿の将の 神野さんはいねこういう若い人たちの活動 を見てどんな風に感じてますかいや本当に 心強いですねありがたいし本当に感謝で いっぱいですはいあのこの街がどんな風に なったらいいなって今思ってますかいや こういうね若い子たちが外からどんどん どんどん新しい風をこう舞い込んできて くれてそこで前よりももっと素晴らしい 素敵なカラクになれたらなって本当にそれ だけをね願っていますまた絶対なれると 信じています私たちもその空くの街が どんな風に変わってくのか期待しながら 見守りたいと思います今日はありがとう ございましたありがとごありがとうござい まし たはいということで2015年当時のええ とあの現地の人たちの声を聞いていただき まし たこんな感じであのラジオで中継をした わけなんですけれどもここでねこの インタビューに答えてくれている加藤琢磨 君という男の子の12年をご紹介しますえ 加藤琢磨君は大学の内定を断ってですね 2011年4月から半年間の予定で
ボランティアに入りましたでえそういった 学生たちのボランティアの受け入れの コーディネーターをされてたそうなんです けれどもゴールデンウィークとか夏休みと かですね秋ぐらいになって瓦礫の撤去が 進んでいって落ち着いたなと思った時に 結構地域の方たちから毎日のように愚痴を 聞くようになったそうなんですね例えば 頑張ろう東北とかって言われるけどあの 頑張ろうって何だよとかあとその在宅避難 仮説住宅避難所みたいな中で地域でこう 分断が進んでいっていて在宅の人はなんか 仮設住宅いいなって言ったりとか仮設住宅 の人は在宅はいいなとか避イ言ったりとか なんかそういう風にこう地域がどんどん 分断されてくなと感じたそうですなのでガ の鉄橋で復興ではなくてやはりその被災し た方たちのその心のケアというかメンタル の部分も何かサポートできたらいいんじゃ ないかということで2011年の末ぐらい から地域の活動を始めますえこういう時だ からこそですねその地域の内側の前向きな エネルギーをどんどん発信してったらいい んじゃないかということでえ夢を語る地元 の人を紹介するこういったコミュニティ ペーパーを作ったりですとか先ほどね音声 の中にもありましたけれども何もないから あるも探しということで地元の方にね ガイドをしてもらって回ってそれをこう 地図に落としてさらにですね地元の人たち に発表して聞いてもらうそういった 取り組みも2年ぐらいですかね続けられた とおっしゃっていましたやっぱりこういう 形動を続けていく中でですね地元の人たち の価値観が変わっていくなというのを感じ たそうですで2015年からはえオフィス を立ち上げましてオフィス丸オフィスと オフィスを立ち上げまして一般社団法人な んですけれども今度は子供たちの教育にも 力を入れるようになりましたその地域に ある農業とか漁業を体験してもらうゼミを 開催したりとかあとは今はね探求学習と いうものもされているそう ですあの地元の子供たちに地域に残ること を伝えるわけではなくてそのこの町で 暮らす楽しさとか地域での自分の存在価値 そういったものを感じてもらえるように その子供たちの可能性を広げるようなこと ができればと取り組んでいらっしゃると いうことでしたでこの探求学習をする上で ですねあの是非このねサイトも見て いただきたいんですけれどもあのあの短急 学習の結果を漫画でこんな風に表現してる んですねで加藤さんはこの10年間って いうのは大人の本気の探求だったんじゃ
ないかとお話しされていました例えばです けれどもその膨張堤の高さであったりとか その高台移転するかどうかみたいなのも こう正解がないことをずっと考えついける というか向き合っていかなきゃいけない この10年間は本気の大人の探求だった その正解がないものの答えを探してききた この気仙沼カクワという土壌で今度は子供 たちが探求学習をすることでそれを伝え られたらということでし たでこの先ほど2015年の音声聞いて いただきましたけれども10人以上の方が ねこのカラクの方には移住をしましてえ その町に住み続けながらえ結婚それから 子育てもして街づくりにも関わって いらっしゃいますでこの加藤さんにもえ 復興とはどういうことですかということを 聞きましたやっぱり復興イコール復旧では ないっていうことですねあの右肩上がりの 時代ではなくてもう今はね人口現象とか 少子高齢化そういった中であの復興してい くっていうことはやっぱりあの豊かさ探し なんじゃないかていうことをおっしゃって ましたこれはあの被災支援に携われ先輩 から聞いた言葉だそうなんですけれども 復興とは豊かさ探しとおっしゃってました まそのその地域にとってその地域で暮らす 人々にとって豊かさとは何なのかという ことを考えていただくそれが復興ではない かという風に話していらっしゃいました はいちょっとね時間オーバーしてるんです が最後にえこの旅館の神になった一男さん のその後ですね2015年以降のお話をさ せて くださいえ2017年に今度は船の転覆 事故が発生いたしましてえ一男さんはご 主人と長女と産女の夫を失い ますまた新型コロナウイルスが発生しまし てえ旅館業も大きな打撃を受けてしまい まし たで一応さんのその旅館から見える景色 っていうのはね海がすごく広がっていて 綺麗な場所だったんですけれども膨張堤が できたことでまだ工事中なんですけどでき たことで海が見えなくなってしまったそう ですで船のの転覆事故が起きてからもう海 は見たくないってあの一応さん思ってた そうなんですけどい海が見えなくなると こう遮断されたような気持ちになって しまったでそこで今度はその津波に流され なかった倉庫を生かしてえサウナを作ろう ということでクラファンに挑戦したりして 去年完成しましたでこんなねあの色々と この12 年間うんなんて言うんですかねこう前向き
にどんどん進めることばかりではなかった んですけれどもそんな一男さんにもあの 復興ってどういうことだと思いますかと いう質問をさせていただきましたえ復興し ましたはないかなという風におっしゃって ましたただ残ったものに意味があると思っ てそれを生かして前を向いて行き 続けるそれしかないかなという風にお話し されてましたまさにこの一男さんの言葉に 私はその豊かさ探しをされていらっしゃる のかなと感じた次第ですはい短い時間でし たけれども3人のま12年の中の一端を ですねご紹介させていただきましたこの 東日本大震災は本当に1人1人えこの12 年間まく違った人生を歩んでいますしまた その福島の原発事故においては今もなお 避難生活を送ってる方がいらっしゃって 復興とは遠い状況に置かれてる方も いらっしゃいますここでですね是非この 30分ほどのお話を聞いての感想ですとか ま復興とは何だろうかまた事前にねできる ことなんだろうかっていうことを隣の方と アウトプットしていただければと思います じゃ今度はステージに向かって左側の方 からえお話しいただければと思いますでは よろしくお願いいたし ます はい3人組の方は2人目の方お願いし ます では2人組の方 え左側の方お願いします左右側ですかね はい2番目の方お願いしますそして3人組 の方は3番目の方お願いします は はいありがとうございますちょっと難しい 問いだったかなと思うんですけれども私も まだ常にこの復興とは何だろうかっていう ことを考えながらえ被災地の方と向き合い 続けているもうすぐ13年ですけれども そういった状況ですじゃ最後にあの私たち ができることということであのま色々と この話を聞いても分かるようにその人が どういった地域に住んでるのかどういった ご家族がいるのかまどういったお仕事なの かによってもできることって変わってくる かなと思うんですけれどもえ基本的な対策 のお話をさせてくださいえっとこれは ちょうど先週の火曜日ですかねあの現地に 入った時に撮影させいただいた映像です あのやはり今回の地震で痛感しましたのは 頑丈な家に住むことの大切さですねやはり 多くの家国が倒壊してしまってその下敷き になりえ津波からの避難もできなかったり ですとか火災に巻き込まれたりやはり家が 頑丈な家でないとえ避難することもでき
なくなってしまいますなので私たちがやる べきことはやはりこの頑丈な家に住むと いうことなんですけれけも残念ながら日本 にはまだまだ耐震基準を満たしていない家 もありますし液場化の影響によって住め なくなってしまうそういったエリアもあり ますで首都直下地震それから南海トラフと いうね国難級の災害とも言われるような 災害があのこの後起きる恐れがあるという ことなんですけれどもまずは安全な家に 住むことえ皆さんはこのね耐震基準という のはご存知だと思うんですけれどもえ地区 42年以上の方はやはり耐震を受けて いただきたいですし東京都では2000年 6月よりも前の家に関しても耐震診断の 女性などを始めていますので自分の家がね 大地震に耐えられる家なのかどうかそこを まず確認しておきましょうそして先ほどね 冒頭でお伝しましたけども家具の固定家電 の固定は住んでいますでしょうかあの腰 よりも高いものは是非お願いいたします そして地域のリスクですね津波のエリアな のか火災なのか土砂災害なのか疫場化なの か様々な地震に伴うえ複合的な災が起き ますけれどもそういったものに対しての リスクを確認することができます東京都で は東京被害想定マップというのを作って おりましてこちらあの色々なね地震の想定 が選べますしこれはあの全回の頭数です けれどもあの家国の被害のですけれども液 場化ですとか色々と見ることができますの で是非1度ご確認くださいで今日あの チラシお配りしてると思うんですけれども あの去年の3月ですねパソボというリスク 診断アプリを作りましたあの防災の サービスでえっとWebサービスになって ますのでアプリケーションをダウンロード しなくても診断いただけます是非ねチラシ をあののあるQRコードを読み取って いただいて13個の設問に答えていただく だけで自分の家がねどれぐらい揺れやすさ があるエリアなのかとかあとは洪水の時の 浸水の深さ土砂災害津波の危険性なども 診断できるようになってます1分ででき ますので是非え今日のうちにそしてご家族 の方にもシェアしていただけたらと思い ますまたあの今回も大きな火災が和島で 発生してますけれども過去の災害では6割 は電気火災が原因と言われています皆さん 関心ブレーカーはつけてくださっています でしょうか関心ブレーカーはですね今東京 都ではプレゼントをしておりましてまだ 電話だったら受付けしているというような 情報がホームページにありますのであの エリアは限られるんですけれども関心
ブレーカーつけてない方は是非その東京都 のねあのそういった取り組みも利用して 設置していただければなと思いますまた 東京では備蓄ナビということでこのねあの 家族の人数とかを入力するだけでどれ ぐらいの備蓄が必要なのかというのをねえ 診断できる備蓄ナビも作っておりますので どれぐらい備えたらいいかの目安を是非ご 確認いただければと思いますあの今の半島 地震の方でまだ断水が続いているとかえ 電波が通らないエリアとか道路が寸断祭で そういった情報入ってくると思うんです けども東京でも本当に長期に渡ってそう いったことが懸念されていますですのでえ まずはトイレですね今日お配りさせて いただいたんですがあのトイレはえっと 消費限が近づいているものなので是非家に 帰ったら一度あの使ってみていただきたい んですね使い方ご紹介します地震で断水水 で無理やり流すと詰まったり水漏れするか も災害時のトイレの使い方をご紹介します まず便器にゴミ袋などをかけて水がつか ないようにします情テープで止めておき ましょうそしてもう1枚袋をかけますこの 中に凝固剤を投入凝固剤がない場合は サイズアウトしたムツやペットのトイレ シートなどでも代用でき ますおすすめの災害用トイレの凝固剤は すぐに固まり ます袋の口を縛ってゴミの回収まで自宅の 敷地内で保管しておき ましょうはいこれあの1月の1周目ぐらい にあの投稿させていただいたらあの 120万再生ぐらいあの見ていただいてる んですけども見ただけでは忘れてしまうと 思うので今日お渡ししたその災害用トイレ を是非家で1度使ってみていただけたらな と思いますあの災害地1番最初に困るのは トイレなんですね飲まなくても食べなくて もトイレは行きたくなりますそしてあの トイレに行けなくなると飲み物を飲めなく なったりとかあの控えちゃうんですねどう しても控えてしまって体調を崩す原因に なって災害関連士の原因にも繋がってき ますなのでトイレは必ず備えておいて くださいそして今回ね水もあの後ほどお渡 しますけれどもあの水も足りなくて本当に あのいろんなところから水が足りないって いう声がねあの報道でもなされてたと思う んですけど水も足りなくなりますで熊本 地震の時とかはこう井水とか脇道とかあっ たっていう話であまり水のこと言われ なかったんですけどやっぱノト半島の方は 水に困ってるように都内でもあの災が起き ますと水困りますトイレと水は必ず備蓄し
ておくようにお願いいたします1日3l かる1週間分かける家族の数分は必ずお 願いいたしますはいということで今日あの 基本的な対策はあまり話せなかったんです けどYouTubeで地震対策完全攻略版 ということで1時間半にわってあの家で できる対策あのお伝えしてますので見て いただければと思いますで最後に1つだけ あのやっぱりあの地域のコミュニティです ねあの発災直後は地域でなんとかやって いかないと支援がなかなか届かないので いけないんでもうとにかく地域の コミュニティが大事になりますがなかなか 今はね東京ではコミュニティ作り難しいか もしれないんですけども積極的に地域 コミュニティに参加していただければと 思いますで被災地の方取材するとやっぱり 他の地域との繋がりも助かったというお話 もいただきますで是非ですねあのノ半島 地震の被災地へこの後ですね今はまだ ちょっと8歳直後の状況なので現地に入ら ないでくださいというようなあの報道なさ れてると思うんですけどこの後あの本当に たくさんの家国が開してますし津波の被害 もありますしそういったものの急復興に 人手が必要なんですねなので是非募集が 始まったら あの現地に行って支援活動にも携わって いただきたいですしもちろんその議員金と か支援金のあの支援もしていただけたらと 思いますでこうやって支援に入ることで 防災というか災害についてすごく学びが ありますしまた何か困った時に逆に支援し てもらえるそういった関係作りもできるん じゃないかなと思っています是非あの現地 のことも関心を持って自分だったらどう なるだろうてことも想像しながらえ自分の 備えそして被災地の復旧復興の応援も よろしくお願いいたしますということで 時間ちょっとオーバーしてしまいましたが ご清聴いただきありがとうございまし た奥村様ありがとうございましたえお時間 になりますので以上にいて奥村様のご講演 を終了させていただきますえ皆様今一度 盛田書お願いいたし ます あ席にお戻り いただけえ次の準備がありますのでえお 時間いただければと思います少々お待ち くださいあ今あの奥村様にご紹介いただい たあの長期保存できる水に関してはですね あのお帰りの際にあのお持ちいただければ と思いますので最後皆様にお配りいたし ますので是非あのお持ちいただければと 思い
ます それでは準備が整いましたのでえ本日最後 のご講演になります東京都立大学名誉教授 中林一様ですえ長年との復興授業にご人力 いただいてございますえ本日はですねえ 元日に発生したノ半島地震を受けまして 急遽発表テーマを変更していただいており ます野半島自身の復興課題とえ東京の事前 復興のこれからというをテーマにえご講演 いただきますそれでは中林様よろしくお 願いいたしますご紹介いただきました中葉 と申しますえ野半島のお話を少しという ことですが今村先生もお話しされましたし 少し飛ばしながら行きたいと思いますえ 震度7を記録したということでえ非常に 驚きましたま日本え特に21世紀に入って え忘れる間もなく災害が来るということ だったんですがさすがに1月1日ちょっと 私も忘れてましたあそこを沿った地震で あったかと思いますえ阪神淡路大震災と いうのがま記録上正式に震度7を記録され したあ災害でしたえその9年後に中越地震 というのが起きていますこれは山の災害 でしてえ山越村を始めとしてえ農産村これ からの進んだあ 地域での災害でしたまこの復興家庭の中で ですねえ災害関連士っていうのが公表され ていって私があこれがこれからの災害問題 だと思ったのは直接亡くなった方16人に 対してえ関連士で亡くなった方がえ54人 いたんですね3.5倍でそんな事態は想定 されていなかった社会ってのはこういう ことなんだと感じいったところでありまし たそして7年後にえ東北地方太平洋基地震 の東日本大震災いうことですしその5年後 熊本地震これは28時間おいて2回震度7 があ記録されたということでえその2年8 ヶ月後ですかねえ北海道イ東武地震そして えそれから あ4年え丸4年ということかと思います けれどもあえその中でえ我々東京では30 年以内に70%の確率あるいは西日本では あ30年以内に70あるいは80%の確率 でえ巨大地震が起きますよと言われてきて いましたまそんな中でまたゾロ想定外の 地域でですねえ地震が発生したっていうの が今回のノ半島地震であったかなと思い ますえまだ被害状況が全く分かりませんが 分かっている数字だけ少し入れてみました え建物の被害は今もう2万等近くまでえ 増えているようです全回反回の区分もでき ていないという状況の中かと思いますでえ 地震の揺れはが2回目の地震が1番 マグニチュード多くて主審でこれでえ震度 7が記録されたということかと思いますえ
石川県の奥に被害が集中してますけれども 富山県あるいは新潟県にも駅場家等の被害 が広がっていますえ石川県でも県南の海岸 よりのところで劇場化の被害でえ停電も 発生しえ水道その他のライフラインの被害 も出ているようですでえこれ え産業総合研究所三素権が出している地震 の分布ですけれどもまこんな地震が起きて きましたで今村先生お話にあった通りのま 逆断層の周辺で起きてきているということ でこの出身というかあの 大きな津波を起こしたあ東北側のですね佐 寄りのところのえ地形どうなってんだと いうことで今船が箱丸ですかねえ現地で 調査に入ってるんだろうと思い ますでえ熊本地震っていうのは今まで内陸 の地震では余震が1番大きい余震でかつ 震度7の後6弱あるいは 66弱5強まそういう非常に強い揺れが 続いたんですがあ野半島自身も同じように 強い揺れの余震が引き続きま発生している ということのようですでそういう中でです ねえ最初の地震の4分後が出身で最大震度 7でこれによって家国東海役場化の発生え 斜面の崩壊え地盤の龍気津波の発生という ようことが起きてでその後も余震がいくつ か続く中でえ津波の警報を出されました けどその前にもノには津波が押し寄せてい たということであったんだろうと思います 特にえ和島は警報とえ津波がほぼ同時だっ たんじゃないかなというようなことかと 思いますでえその後2時間後ぐらい18時 ぐらいにえ和島で火災が発生したという ことでまNHKのテレビで見ていると 暗がりになってきてなんとなくあれ火事か なって夕やけみたいな色が出てきてまそれ がどんどんどんどん広がっていったという ことであったかと思いますでこれはあの 右側がですねえ国土チリ院が出していた 直後というか2日目かな あ地盤の変動ということで西側にえ2mで え上上にえ1.3mという変動がありまし たという話だったんですがその後三層権の 方たちがえ現場で確認するとえ3.8から 3.9ぐらい え上がってるんじゃないかとかあるいは もう完全に漁港の多くがですね上がって しまう海水がなくなって船を出すどころか ですねえ何のことやという状況でま漁業の お復興ってのは非常に難しくなっている ような気がしていますが駅上下でこういう マンホールの抜けあがりもこれはたまたま 和島ですけれども各地で起きていますし 右側のビルって私がこういう写真って実は 今何度も今まで見てきたんですけれどもえ
大下壁でえ大下構造になっているものが 落ちちゃうと内側の木造むき出しですから もう非体化構造なんですねですから傘が 切ればどんどん広がりますし下のような 状況で火災が切れば道路が火を止めるん じゃなくて道路の瓦礫が火をどんどん繋い でってしまうというようなことも起こり得 てるということを改めて感じたところです で私のに逆断層でどういう自津波なの かっていうのをちょっとこういうところが 断層線なんですよねで実際にはこれが南側 に向かって斜めに断層の切れ目が入ってる ということで地震が起きてでそれによって 断層が動いてま動いて地震が起きたという こと言った方がいいのかもしれませんそれ で海水をま持ち上げることでが起きてえ くるというようなことと同時にえ重機した 分だけえ水が引いた後海面が下がってる 遠くへ行ってるというのが陸地から見えた ことなんだろうと思い ますまこんなことが起きてま大変だという ことだったと思うんですが津波の先ほど今 先生の絵もありましたでちょっと火災の ことをですねだけ少しお話ししたいんです けれどもえっと東京でえ被害想定をすると 被害の最建物被害の最大が火災による被害 ということですまこれはあの何時間燃やす かで火災の量は決まるのですがあ基本的に は100年前東京の関東大震災の建物被害 に90%か95%が火災であったという ことがずっと東京の被害想定では地震で 言うと火災による被害どれぐらいになるの かなということが大きな課題になってきた ことでもあったかと思いますでえ4.8 ヘクぐらいえ燃えましたということであり ましたえこれがチリンが出した地図あの 写真なんですけれどもま300等実際には 2230等ぐらいじゃないかなと思うん ですがチリンの地図で探すとえ300° なやとかクも入れてたと思うんですがと いうことでありましたでこの拡大した背景 にやはり津波の避難情報が6時え16時4 時20分に出てみんな津波で避難していた 人も多くてえ出荷元には人がいたのかい ないのか分からないというかよく分かって いません私にはまそんなことで初期消化が 困難であったということとか液上化で水道 が断水して消化線からの水がなかったこれ は29年前の神戸で起きていたのと全く 同じです貯水層も揺れによってひび割れし て水が露probしてなかったというよう なことそれから地盤の龍気っていうのが やっぱり大きな影響で川の水がなくなって いてヘドロだけが残っていたということで 川の水も組めなかったいうこととうとがあ
1つの火災だったんですけれどもえ消す 切れなくてどんどん燃え広がっていったと え幸いのことにはあまり強い風が吹いて なかったと煙の様子から見るとそんな強い 風吹いてないと火の元飛んでないという ことだったんですけれどもえプロパンとか あるいはあ灯油の爆発等の勢いもあって ですね燃え広がったのかなという風に思い ますえやはり密集市街地で火災が発生して 対応ができない初期消化できるとそれで 止まるんです一等火災で終わるんです けれどもえそれに失敗すると燃え広がっ ちゃうんだなということを改めてえ感じ ざるを得なかったということで本当にこの 地域 え道路閉塞が起きるぐらいの家の壊れ方で 多分路地に入って火を消すこと自体ができ ない状況になっていたんだろうとと思われ ますでえこれま報告されているものを並べ ているんですが実はこの中で1番これから の復興へ向けても大きな課題になるのがえ 実は断水だろうと思いますえ2週間経って もまだほぼえ奥の6市町村特に先端の和島 え鈴う鹿 えの帳っていうあたりは100%ほぼ全国 に水がいってないということなんですねで 今仮説を立ててるんですが仮説の水どう するんだいって普通仮設を建てる時には 最初に生きている水道から水道感引っ張っ てきて団地の中に水が来るようにして浄化 層は下水は浄化層で処理するということで 家を立てるんですけれどもえほぼほぼ水が 来てない中でこれから 復旧あるいは復興の拠点としての仮説を 作らなきゃいけないというようなことに なっているんではないかなと思いますま そういう意味でえっと火災もあり津波も あったんですがえこの野半島自身のこれ からの復旧復興に向けての最大の課題は 道路と同時にえライフライン特に水ですね 水を浄水をどれぐらい早くえ各地域に確保 してあげれるかによってえ仮設を立てる あるいはカズマをどうしても地元でやり たい方に地元への仮設ということを提供し ていける今2次避難っていうのは避難です からえ災害救助法で全ての生活が国が国と 県で面倒見ることになってるんですがその 先の復興に向かう拠点がどう作れるの かっていうのが非常に大きな課題になって いるんじゃないかなと思っていますえ その間にえ関連士というのが今もう全ての マスコミ取り上げていますけれどもえっと 熊本地震ではあ中越をはかに超える50人 の直接に対して220人を超えるですね 関連所を生んでしまったえ今200
220人の直接師ののでえ関連士14人 ぐらいが昨日の時点で認定されてますが これがどうなっていくのかということを 含めてです ね命を守ってこそ命を助かってこそ復興が あるんですね亡くなってしまった方は残念 ながらそこで自エンドになってしまいます みんなが復旧復興の苦しみありますと思い ますが復旧復興に迎えるようにするという のはまず今やらなければいけないのは命 だろうとそしてえなるべく早く安定した もう少し心穏やかに過ごせる日常の 取り戻しなんじゃないかなとそれによって 初めて行政も地域の被災した皆さんもこの 先どうしようかという未来に向けての 話し合いができていくんじゃないかなと え後でちょっとお話しますが東京都は阪神 淡路大震災に学んでですね事前復興の 取り組みを行政ベースでまず始めてきまし た阪神の復興のえ特に都市復興ですね市街 地をどう復興するかっていうことに関して のえタイムラインで言うと地震の2日目に 神戸市の市長がこれ復興大変だぞという ことでどんな復興になるのか探してこいと いうことで被害が集中した場所を探し1 週間目にやっぱり復興待ちづり大変な事業 になるということで復興対策本部が作られ て災害対策本部と復興本部を2本部正で 対応するで2週間目ちょうど今日ですよね 昨日今日この時に神戸では7箇所 ここで復興街づくりやりたいとそうしない と元に戻すことも難しいなぜなら路地しか ない路人に建築基準法じゃ立てさせてくれ ないということでですねここでえ基盤整備 することがえみんなで街を立て直す基盤に なるんですよということを公表したのが2 週間目だったんですねでその後地域に復興 町づくり協議会というのを立ち上げてで 行政と地域の皆さんとそれから専門家え 街づくりの専門家が入って議論をしながら あ復興増しづりに取り組んでいったまこう いうことをあの阪神の後 を学んでですね東京で事前復興の取り組み が始まったえということですまそれから 見るとえ東日本もえ津波の後行方不明者が 1000を超える最初は2万を超えた行方 不明者だったんですけれどもまその捜索 含めて復興へのかかりがちょっと遅れて しまってるんですが同じように今回の地震 もそういう意味では阪神に比べると いろんな意味で復興って言葉が出てくるの が遅れてるなという気がしますでえ復興 っていうのは私元々がバックグラウンド 都市計画とか街作りのもんですからえ街の 復興100年前の関東大震災の復興っての
はほとんどの人が東京の帝と復興事業で 先ほど最初の動画にありましたように道路 作って区画整理をしてえ燃えない壊れない ビルを作ってというハードのイメージなん ですけど も実はいろんな災害の服を勉強させて いただきながら2つだ と1つはは人の復興ですねあるいは被災者 の復興ですねもう1つは被災した町被災し た市街地の村の復興この被災地の復興と 被災者の復興というのを両方やらないと いけないそして被災者の復興というのは 被災した人全てがある意味では自分が中心 になって取り組まなければいけない課題 それを えいろんな形でのボランティアの支援も あり専門家の支援もあり最も金銭的にも 大きながえ行政の支援ということになるか と思いますもう1つの被災地復興というの は全ての被災地で町を作り替えるわけでは ないんですねえ町を元へ戻すことが復興に なる地域もあればいろんな地域の課題が あってそれを改善することこそ次の海外の 備えにもなるまそういうところでえ改造的 な町図を作り直すという被災地復興という のが必要になってくんだと思います今え ノートでは理財照明の発行が少しずつ スピードアップしてきてますけれども理財 者え理財証明というのは被災者1人1人の 復興を公平に支援するためにどの程度の 被害だったかっていう証明書ですこれは 復興待ちづりとかとは関係ないんですねえ それと別に復興どうするっていう話も なるべく早く始めていかなければいけない 残念ながらちょっとその余裕がえ地域にも それから被災者の皆さんにもあるいは行政 にもなかなか湧いてこないまそういう状況 が今続いてえついててか2週間目になっ てるかなと思います えはいでえ地震で被災をしましたで黄色が 例えば産業事業所ですピンクがお家が壊れ ましたで行政としても道路の問題公園の 問題色々あって街を作り替える方が大事 だろう公共施設もきちんと整備し直すこと が必要になるだろうとえ道路を整備して 初めてライフラインも強化することができ るってい場合も多々ありますえその中で こう被害が集中してる場所ここはやはり 被害が集中した理由があるえので言っても やっぱり木造の密集市街一でえ表通りは あるんですが間の路地は本当に狭かったり えそういう市街地でかつほとんど昔からの 裸木造外壁も潮風に強いえ板張の民家が ですねえ並んでいたということがあったか と思いますまそういうところでどこまで
改造するかではなくて元の町に戻すという のも全てなくなりましたからま改造に近い ものだと思いますでこういうところを限っ てですねどこで復興待ちとりをやるのかで そのエリアに対応し するエリアにおられた関係者はですね 我が家の復興と同時に町の復興も考え なければいけないとまそういうえ復興の 取り組みということになっていくという ことになろうかと思い ますで えそういう復興も実はあ災害が発生した 直後からいろんな意味で考えなければいけ ないんではないかなということでこれ えっと京都の防災大学防災権にられたです ね林先生たちがまとめたものなんですけど もをあの借りてるんですが左側に10の1 条2条3条4条5条復興終わるのってのは 10の5条ぐらいの時間だと10万時間で えつまり年数で言うと6年から10年12 年ぐらいかかるということなんですが実際 にはもっとかかりますエンドレスですええ そして最初の3四日ってのは質検ともう何 をしたらいいのかどうやったらいいのか 考えることすらできないととにかく 生きてたということがえ最大のえ望みで 望みというかあの今あるえ根本であるとま そういう時期を経て少しえ生活のことを 考え出すそれが避難生活 でその後ですねカズマていうのが出てくる そしてえカリズマ避難カズマから実は復興 っていうのはすでに始まっていて復興が メインの課題になるのが1ヶ月後ぐらい からではないかとまこれがあの阪神大震災 の復興のえタイムスケジュールでもあった ということだと思いますでえそういう被災 地被災者の動きの中で 最初に必要なのは物です食べるもの飲む もの切るものから始まってですねえどこに え横になる場所があるかという空間という ものまでで今回もプッシュ型プッシュ型と 政府は言ってますけれどもえその先にある 大事なのは寄り添いていうか人とあるいは ソフト支援ですよね で最初のえお金というのが必要になります けども最初はもう公金で全部え公共が出し ますよいうことになりますがえやがて補助 金とか交付金というのが増えていってえ 最後復興基金というのでですねえ1人1人 に決め細かくえ応援をしてあげるお金を 活用するということがあ大事なんだ と過去の地震が教えていますでえ今緊急一 次避難っていうのが2週間経ってもまだ 続いていてようやく2次避難というところ へ移行しようとしていますがやがてこれが
あ仮設あるいは仮住まいみな仮説という ですねえ公営住宅の空いてるところとか 民間の賃貸物件賃貸住宅等を活用してえ 家賃を国が国と県で負担をして家賃なしで 住む場所を提供しますこれは仮住まいです 仮説 ですただ問題はです ねこれなんですね え一時避難2次避難仮説までは災害救助法 ですがその中で も避難という言葉は使っている限りは食事 もあるいは必要な切るものその他生活の 支援子供さんにランドセルとかあるいは 教科書その他を支援するっていうのも全て え公金で行われるんですけれども仮説は 住宅だけです仮住まいが始まると仮住まい を急ぐ と急ぐとていうとあれなんですが急いだ方 がいいんですけどもえお金が必要になって きます被災者には家賃はただだけどそれ こそ動代電気代から全て自前になり ますでえそれを支援するために生活再建 支援法というのがま阪神の後作られてきて 生活の支援をしますということで被害程度 に合わせて取り組んでいるということに なりますでその支援をするために被災者 1人1人っていうか世帯隊員ですけれども 必要なのが理財証明で事業者には最近は 法律的に名前はないんですけど被災証明と いうのを出してえ被災した事業者にも公平 にえ支援が行き届きようにえ被災したん ですという証明をするようになってきてい ます えこういう被災者1人1人の世帯家族 あるいは事業所という企業組織ですねえ その人への復興をしっかりと支援していく そして1人1人が今村先生のお話で言うと モチベーション3でですねまさに内発的に 自分の問題として夢を持って復興に向かっ ていけるそういう社会を作っていく地域を 作っていくということにえ被災者に任せる んではなくて我々え日本の社会国民全企業 を含めてですねまさにオール日本で バックアップしてあげるっていうことが 大事なのかなと改めて奥村さんの話も伺い ながらですね思いましたでそれと別にお 役所としては公共自治体としては最もお金 がかかって業務が大変になるのがこの被災 地復興ということですで も復興してより安全でより快適な街にする ことがえ地域の皆さんの被災した皆さんの 子供たちの町はどんな町にしたい孫たちに どんな街を残してあげたいそういう夢を 実現するための手段なんですね学生リダー サカ発いろんな事業手法がありますけれど
もそれは手段です必要なのはどんな町を 最後戻すかということにえなっていくと 思いますえそういう意味でですですねあれ はいあもう1つはいちょっと戻りましたが え復興が進むに従って大事になってくるの はお金でよりもですね物よりも人人のえ 繋がりであり人の気持ちがあ被災者 あるいは町の主体を前に動かしていくこと に繋がっていくんではないかなと思ってえ いますはいえっとちょっとと時間が迫って きてますがまそういう意味でえ野半島自身 2週間目の今あこれから先どういう復興 かっていうのを外部で語るのもなんとなく 省かられるところはあるんですけれどもま 被災者復興について言うと二次避難という のをやはり基本的にはえ復興 を視野に置いた時に必要な集団で 避難生活をさせてあげるとカラクの場合に は孤立したからこそコミュニティが維持さ れたんですねはいえっとノでは孤立集落を 今あ支援も大変ですしえ極寒の世界です からえ命にも関わるとこでえ2次避難と いうことで避難させようとしてますしよう としていますその時にえグループで まとまって入るでどうしても残る人と出る 人が出ますそれをなんとか今のオンライン の技術でですね繋いでえ行くまそんなこと が必要かなと思いますえ中越の山越村は たまたま同じように前村孤立しちゃったん ですねですから前村で山を降りて避難所も 途中で組み替えて全部集落隊員に避難所で え住み場所を決めてそのまま仮設住宅に 避難して集落単位に避難所に入って集落に 1つ集会所作るということで国との協議で いいだろうということになってそれが今 スタンダードで50個50世帯に1集 集会所っていう話になってるんですねま そういうような被災者復興の支援と同時に それを右側にちょっと書きました今後行う であろう被災地復興にどつぐかというえ つなぎの線目線というのをですね私たちも 行政も持っていかないといけないんだと そういうことも事前に少しえ考えておく ことでですねえ目の前目の前目の前 たくさん出ると思うんですがその目の前 だけ追っかけてたらいいことにならないか もしれないというですねもっといいえ会が あるかもしれないまそんなところにえ目を 向けていくそういう意味でえ行政も しっかりと事前復興という取り組みをして 復興ってどういうえ段取りで何やるのと いうことを考えておく必要があるかなと 思いますちょっと時間が押してきましたの で細かい話はあのできませんけれどもえ 被災者復興あるいは
あ被災地復興についてですねえ今私の考え ていた少し的なことを書きしたものを載せ ておきましたえ被災地復興で言うと やっぱり1番大事は道路ですね道路をどう いう風に確保して物の流れ復興資材の流れ 人の流れそういうことを作っていけるか から市街地とか集落ではそのライフライン をどう確保するか特に市街地で水道だった ところのの水をどう確保するかまそれがえ カズマ をしてで復興に向かっていくための非常に 大事な基盤になっているまその緊急復旧を した上で本格的に復興についてえ行政と 地域の皆さんとで話し合う機会を是非持っ ていっていただきたいなと思っている ところですでえっとこんなですね被災者 復興と被災地復興ってえ実は東日本大震災 でえ被災者ってどういう思いで復興される んだろうということをアンケート簡単な アンケート調査でえ調査しましたあなたが 被災した後直後は何も考えられないと思う んですがこんな風に復興したいなって え柿の養殖やめようと思った鈴木さんも やっぱりもう1度やろうとだそういう夢が できるとそれに向かってえ復興が進んで いくでその夢が1年目2年目3年目どれ ぐらいできましたかっていうことをずっと 実は同じ人に聞いてたんですねで最初は こんなカーブで右側横軸が1人1人の復興 がどれぐらい達成したかっていう復興感 10%20%が多いまだまだこれからで すっていう人が多いこれが時間と共に 大分6割できました8割できましたって いう人が増えていくだろうとまこれを10 年間え追いかけてですねえ被災者1人1人 の復興のえ進捗をまある意味で私としては 見えるかしましたというのがこんなグラフ でしたでも10年目もっと左へ行くと思っ たんですがこれぐらいしか行きませんでし た左上にですね実現できた復興に対して やはり被災地で被災者の皆さんには復興 できないものをたくさん失っておられると いうことに私もこの調査やるまで実は あまり気がついてなかったんですが え喪失喪失感失ってしまった感でそれに 対して新しい何かを作り出すということが 本当に大事なんだなっていうことに気が ついて創造的復興というのは被災者が喪失 したものに変わるものを新しく作り出して いく未来に向かってえ目を向け一歩でも 半歩でも歩き出すまそういうことなのかな と改めて思いましたですから東日本 ちょっと今10年目以降調査止まってるん ですけどもえ機会があればまたやりたいん ですがこれが少しずつ左上に向かってえ
歩んでいくんではないかなと思っています だビルドバックベターって言うんですが ビルドバックできないことがいっぱいあっ てえクリエイトベタっていうのがですね もう1つはやっぱり必要になっていくん じゃないかなということですでそういう 被災者の復興にとってどういうことが大事 な要素だったのかなということで見ると まずは食事に代表される日常 生活えとりあえず前のことを考えることが できる前向きに考えることができよになる 日常生活の 取り戻しこれが最初必要でもう1つ仮説に 入ると収入が必要になってくる貯金ここで 食べちゃうとお家建てられなくなるという ことで仕事の復興ですねでえその次にえ 収入が安定ししてくるとじゃあ家仮説の次 家をどうするかその時にどこに進むかどこ に家を立てるかということで被災者にとっ てはえ復興街づくりとか都市の復興って いうことが自分ごとして考えられてくるん ではないかなとなんかそんなことをですね え東日本の調査を通して教えてもらったと いうことです日常生活世帯収入も実は10 年経っても被災者の人がえ思うようには 復興は進んでいないいうことなんです けれどハードは割と進むんですねで特にえ 公共事業はえ市街地の公共事業を含めて ほとんど終わりに近づいていたのが10年 目だと思いますけど被災者にとっては まだまだ空き地ばっかりやということも 含めてですねこんな思いがあったように 思いましたで えどういう調査をしたかいうとこういう 調査をしたんですけれどもえっと赤字にし たところが先ほど囲ったですね統計的に 復興感と優位な関係があると認められた もので必要なことが生活の復興産業の復興 被災者から見ると仕事の復興そして コミュニティそしてえ市街地という基盤 ですねえこの被災者復興と被災復興をく バランスを取ってやってあげることでです ね初めてより良い復興というのが 出来上がっていくのかなとハードとソフト を きちんと張り巡らすえ特にえある意味で エンドレスになるのがソフトということで あってえ29年目でもですね阪神でえ やはり今日を記録してえ記念してですね 今後どうしていくかも考える機会になっ てるというのがどうも実際の復興なのかな と思っていますえもうちょっと時間が来て しまったんですがえちょうど阪神大震災を 起きた29年前東京都初めて直家地震の 被害想定やってました私その委員として
関わっていて地震が起きたんで調査やめて え直家地震を学びに行ってでその時私に 与えられたテーマが都市復興どうするのか 見てきてくれということでまその阪神え 特に神戸市の復興のタイムラインに沿った 展開に対してですねえその4倍ぐらいの 被害が想定されてたんです東京都だけでで その被害をえ元にえ市街地の復興するには 事前の準備が不可欠だということでえなん とか事前から復興の準備もしましょうと いう提案ををえ報告書に書いたまそれがえ 東京都で始まった事前復興の取り組みだっ たかなと思ってえいますで昨年え被害想定 を出しましたえ当初の被害想定からこれが 4回目の被害想定になるんですけれどもえ 被害はえ半減してます30年前の被害のえ しかしながら家が19万等全回消失です からねこれとんでもない被害です東日本で も全回は12万等ですえ津波によって流さ れたで特にこの中の火災というのが東京の 都心を取り巻く木造州市街一で起きている いうことなんですけれども えっと炎上出荷予想で言うと想定で言うと 623件それでえ約12万等建物が燃える それはどんな火災かて言うとですね 6620で12万等割るとおよそ平均 200等です1加点あたり和島ぐらいの 加点があ火災が623箇所きますよって 想定してるんです ねでえ実際にはあかなり小規模で終わる 火災が多いとされていてしかし逆に場所は 少ないけれどもえ10ヘクタール20 ヘクタール30ヘクタールという規模でえ 燃えてしまうという火災も発生するとま そんなことを念頭にえ東京でじゃあそう いう被害からどう復興したらいいのかと いうことを行政中心にこれまで え28年間えやってきたつもりですでその 中でやってきたこと1つは被害想定を元に どんな東京を目指すのかってグランド デザインビジョンを 描こうそれを実現するためにどういうえ 計画を作るなり政策をしたらいいのかを マニュアル化しておこうとえそれを実現 するためには行政だけではなくて被災者 事業所の皆さんと一緒にやらなきゃいけ ないその進め方をプロセスとして マニュアルしておこうこの3つのえ行政的 なえ事前復興のマニュアル化が終わった 段階でなんか東京都の当時の担当者ほっと したんですねてか私はほっとしてくれちゃ だめだと人事移動で3年だったら部長い なくなるでしょっ て人が大事なんです職員が大事なんですと いうことで復興訓練っていうのを始めて今
はそれを空Cにも広げてかつ空Cはえ被災 地になるであろう火災危険度が高い 地域地域限度の高い被害が出やすい地域の 街づくりとして復興街づくり訓練という ようなこともやるだそんなことを通して空 Cでの取り組みも増えてきまし たでこれが当初のえ被害想定を前提にして 木造密集被害地をにま7つの復興戦略 プロジェクトってのも実は作られているん ですねこんなことやるあんなことやるって 津波と違って火災ってどこで起きるか わかんないので具体的にこの地区のプラン てなかなか書けないんです津波の場合には ここは水が来るっていうのがかなり確定的 に想定されちゃうもんですから絵が書ける んですけどえそこが東京の事前復興難しい とこではありますしかしその時に考えてき たその復興で行政が取り組むべき課題とし てえ都市と住まと暮らしと産業ってこの4 つなんだって言ってきたんですねこれは実 は先ほどの東日本のえ被災者の復興の大事 なことって聞くと暮らし日常生活を 取り戻すあえ仕事産業の復興そしてえ世帯 収入ですねそしてえ住まいどうするかどこ に住むかで都市の復興いうことになって いる行政と考える順番逆かもしれませんが 大事な要素は同じなんだということを私と しては確認したというつもりでいいました でこんな目次構成なんですけれどもで プロセス編っていうのもあってこの プロセス編の中に復興というのはえ5つの 視点の1番目次女教授つまり被災した皆 さんの1人1人の思いの乗って取り被災者 の復興それを基本にしてえそれにえ住民 主体の復興車体になってますが住民主体の 復興にえ控除行政は応援をするんです行政 指導ではありませんということをまず言っ ていますそれから大都市の最大の課題は 避難所問題も去ることながらカズの場所を どこに取るかってことが非常に大きな課題 です仮説が避難の拠点復興の拠点ですま それを丸3のところで次元的なが生活の場 を作りますと焼け跡に仮説を建てようとま そんなことを実は提案してきましたこれは ようやくですね2013年に国の法律の中 にえ被災地短期借地権っていう制度ができ て被災地を5年間最大5年間え賃料を払っ て借り上げて仮設の土地利用で街を再建し ておくとでそこに必要な方にとまって いただきながら復興街づくりを進めて いこうまそういう仕組みがえようやく 2013年大規災害借地方の中に位置付け もされてきましたえこれもひょっとしたら 今回ので使うべき課題なのかなっていう気 もしますがまずは水道がないと始まりませ
んということで えっとそういうことを前提にですね プロセス編としてプロセスはこれ神戸の プロセスですから2週間目1週間目え神戸 で言うと最も避難者が避難所にたくさんい た時にこの町で復興町づくりしたいんです けどって話し合いを始めるそして2週間目 にえその復興街づくりの場所を法律的な 仕組みでえ公表する神戸でも具体的には2 週間目がスタートだったんですけどもま そんなようなえスタートで東京の復興も 始めないともうずるずるいっちゃうんじゃ ないかというようなことでありましたでえ 先ほどました復興訓練こういうこともです ね行政の訓練のみならず市町村の訓練市 町村がクが住民の皆さんと一緒にこの町 燃えちゃったどんな風に復興しましょう かっていう訓練をするそんなことを え今まで3えっと20年かけてですね えっと80地区ぐらいですかね都内でえ やってきていますこれはあのの職員の皆 さんの訓練ですこれはコロナ前です 2019年からコロナになったもんです からこの訓練もオンラインでえやってい ますオンラインで訓練続けようよっって いう話になった時にオンラインであ分かり ましたオンラインでやる意味としてまさに 遠隔地離れた人に集まってもらうんじゃ なくてその人の情報共有しながら飛び道具 を使って街づくりの話合いができるように するにはやっぱりオンラインをコロナに 関係なく使うべきだということでえござい ましたそれから復興街づくり訓練という ことでまスタンダード4回でやったんです がこの町どんな被害になりそうかねという こととその被害から復興するためにどう いう仮住まいしたいですかとほとんど やっぱり街に残りたいじゃあえどこどれ ぐらい家が立てられるか仮説じゃあ皆さん から土地を提供してもらえればどれぐらい 立つかまそんなことを住民の皆さんと一緒 に考え3回目にどんな街にしようかという ビジョンを考えるということででそれを どう進めようかという進め方について4回 目で考えるまそんなことをやってきました で同時にこれを空Cの都市計画マスター プランというですね街作りの基本計画が あるんですがその中に乗せておこうって いう動きがようやくいろんな自治体で 始まってきましたこれ最新ですちょっと私 が関わっていたんですけども勝四角でえ こういう住民の皆さんのための都市と 住まいの復興っていうパンフレットを作っ てからそういうものの元になった復興訓練 え全部でえ10か所ぐらい今あの赤丸の
高砂ってのは今年やっていますえ今週末 最終回をやる予定ですで え地域の危険度地震の危険度を踏まえてえ どんな街づくりにしようかあ基盤えがなく て基盤整備も必要な町とかえ道路その他で あるいは駅前の広場が欲しいとおタクシー にも乗れない私鉄の駅ばっかりなんですね まそんなことを課題にして実際に起きたら からさらに勝資格は定治した待ちですので 荒川波だと6m浸水の町ということで今回 始めてですね大規水害からのえ復興も考え ておこうと水害が先でも地震が先でも水害 にも備える復興を考えておこうということ でそんな方針も今回入れてみましたという ことですで実はこれ発想ってのは2001 年の東京都の復興の中の安全な地盤の構築 これ下町なんですけどもえここで実は スーパー堤防で復興しましょうっていう ことを既に書いてあったん書いてあるん ですねだそれをようやくえ地域の皆さんと 話し合う時期にまで来たかなと思ってい ますでこれが仮先ほどの次元的市街地の話 等々ですもう1つ準備だけではなく実践 するということで え街づくりにとってあるいは個別再建でも 住宅を再建するには土地の区画を確定し ないと建築確認取れないんですねまそう いう意味でえ知調査を全域で始めておき ませんかということで全域と言っても区画 整理やっているとこはもういいということ で未市街地での取り組みをえ始めてきてい ますまそんなようなことですえっとあもう 時間過ぎてますねはい で去年100年ということだったんですが 帝と復興事業ということですが私は実は あの抵当復興事業も事前復興だったんだと 思っています考えていますえ先ほどの動画 でもありましたがその式を取った五等神兵 っていうのがえ震災が起きる4ヶ月前末5 ヶ月前って言ったらうのかな4月まで視聴 してたんですね東京市ので彼は東京を大 改造しないと災害ということよりもこれ からの自動車時代の工業家に乗り遅れて しまうと城下町のままでしたからという ことで東京大改造しようと新しい道路も 入れる基盤もちゃんと整備する ライフラインも入れるということをやろう としたんだけどとてもない予算が必要だと いうことで議会で予算があダメになって ですねで後頭はやめた辞めたんですね市長 をでその4ヶ月後5ヶ月後に関東大震災が 起きるとで自ら手を上げて私に復興させろ ということでもう等の頭には東京でやる べき都市復興のビジョンがあったんです ね後頭にはビジョンがあるという意味での
事前復興であったんですね反対されたから こそ実は反対した人も中身を知ってたん です ねですから青雲の呼吸で震災から え9月1日で12月にほぼほぼ復興員の 復興計画アンテのが出来上がってしまうと 白紙からやったわけではないからこそそう いうスピード感が出せたんだろうと思っ てえいますでこういう街路計画その他を やって7年後にこんなビル外ができまし たっていう話だったんですねでもう1つ 同時にこれだけのビルって当時人力でしか 工事できませんでしたからたくさんの人が 働きに来て家がない焼けちゃってで実は旧 市街地の周辺に木造未市街地ができて しまった実はもう1つの復興もありました でそれを元に戦後それが拡大したのが現在 のえ木造密集市街地 ですまそういう意味でえ東京の防災の課題 であると同時に木造密集市街一がえ 街づくりとしてはまず最大の復興の課題で あり防災が事前復興にもつがっていくと いう取り組みをえしてきましたで え東京都だけまある意味で今頑張ってやっ てきてるんです がこれを本当に首直下を考えた時にはえ 東京だけでは回らない事態になるとむしろ 東京がリーダーシップを発揮してですね国 に対して国も首都直感の被害想定持ってる わけですからその時国としてはどういう 復興方針で行くんだいということを密かで もいいから考えといてくれと密かでもいい から考えて え旧都剣士 え東京都神奈川埼玉千葉にもし都心がやら れていたらこういうことになるってことを 教えておいてほしいなというのが1つと それから市街地がが連してますからえ旧都 健市精霊市4つと あかなえっと埼玉横浜川崎 え相模原と3四都県東京埼玉千葉 神奈川この4つがあ旧都圏士が連携しない とまた首都権の復興はできないんですね これも事前に連携しておかないとえうまく 回らないよとその元で東京どういう復興 するのえ何々はどういう復興してどの町は どんな復興街作りするのいうことが決まっ ていくんだろうと今のえ東京の事前復興 っていうのはどっちかというと下からやっ てきた復興で上がないんですねそれが私と しては100年先を本当に考えるんであれ ば上こそ大事なんだ というのが え今日話したかったま最後のことになるか と思いますでえもう1つ言うとすればえ
東京都の復興マニュアルは都市と住宅とえ 住まい生活とえ東京えっと都市と住まいと 暮らしと産業なんですけど事前復興に一生 懸命頑張って訓練もやってるのは都市部隊 だけでですね実は住まいとえ暮らし生活と か産業仕事とこの連携が十分まだできてい ないというのが長年関わってきた私から 言うとこれをきっかけにですねえ横の連携 で復興をきちんと考えていくということも これから東京では100年先を見れば見る ほど考えなきゃいけないことではないかな という風に思いますえその上で都民にも 事前復興という発想に立って備えをして ほしい明日からできる地震の災害の事前 復興地震保険に入ってくださいとその一言 です被害に合わないと掛け捨てで高いって いうイメージありますが高い掛け捨てじゃ ないんです皆さんの地震保険の掛金がノで 被災した人東日本で災した人の支援になっ てるんです保険っという気候を通してね ですから地震保険災害保険というのは義衛 の前払いだとそういう風に考えて被災後も 念頭においたあ展開を考えていただきたい なと1人1人の被災者になった時の復興に ついても今から色々考えておいていただく ことがえ大事なのかなと思いますすいませ ん時間をばしちゃいました以上にさせて いただこうと思いますありがとうござい まし たえ中林様ありがとうございましたえ最後 ですね質疑音いつもほどをいただければと 思ってますご質問ある方挙手いただければ と思い ます お話ありがとうございましたあの東京は 鉄道があの多く走っているんですがあの いつも乗ってと疑問に思ですがあ鉄道に 乗っててこの時に自信が起きたらどう しようかなとかいつもあの思ってるんです が実際被災した時のあのマニュアルとか えっと対策っていうのがあの十分にない ような気がするんですがいかがでしょうか あとすいません1個あののマイナーカー ドっていうのがあるんですかマイナーマイ ナンバーのあのマイナカードございますが これっていうのはこあの環境がそそう悪化 した中でも使えるもんなんでしょうかはい えっと鉄道地下鉄もありJRもあり私鉄も ありなんですが鉄道は今連携して全部動い ています地下鉄と両端地上へ出ると2つの 施設がつがるそういうネットワークの中で 今東京の人が動いてるということでえ連携 してですねえ水害の時も台風災害の時も それから地震が起きたらどうするかも マニュアルは持っていますし9月1日前後
に必ずえ訓練もして機上訓練もやってはい ますただ想定外のことは起きる可能性は ないではないですで え実際にその地震がいつ起きたかによるん ですが阪神の時は朝の5時46分でえ新幹 え新幹線を含めてですねほとんどの鉄道の 始発10分前とか15分前だったんです ねそういうことで えたくさんの人が電車で動いてる時に え地震にあったっていう経験で大きな被害 が出たって経験はないんですが唯一え朝の ラシアで自信があったのが3年前ですか4 年前ですか大阪北部地震被害ほとんど なかったんですがえ8時に地震があって朝 で出勤困難になった人がいっぱいいるん ですが歩いてもう仕事場の方が近い人が 多いんで被害もないしみんな歩いて出勤さ れてところが5時過ぎて帰ろうと思ったら JRまだ動いてないという話でですねそれ で北困難まで発生してしまってそれがけに なって鉄道もえ災害時の対応について全面 見直しをしてですねこJRだけではなくて 対応を進めているはずですで従って早めに 情報を出してくださいていうこと特に台風 の時はですねと同時にま指示に従って動い てくださいというのが基本だと思います 勝手にこじ開けて線路を降りるとそれだけ で全部止まっちゃいますから からマイナンバーはま来年今年度以降です ね4月以降え保険証に本当に切り替わるの かから始まってマイナンバーの機能がどれ ぐらい拡充するかですがえそれを見ないと 何とも言えませんけれども今の状況ですと マイナンバーほとんど意味がないですマイ ナンバー使って生活してないでしょだ今の 状況なら大丈夫ですが将来はまずマイ ナンバー持って避難しようとだからスマホ とマイナンバーは場合によったら一緒に なってないといけないかもしれないそう いう時代に向かっているのは事実かなと 思いますでやがてえっと病院のカルテが クラウド型で全部乗るようになるとマイ ナンバーにそれにが連動することでどこで 例えばノトで言うと規制先で被災したの カルテも見れるようになるんですよね現場 からそういう時代にえそう晩そう遅い時期 ではなく割と近い将来なるんじゃないかな と思っています悪いことする人もたくさん いますがえ良い方向にみんなで使っていく 時代に行くんじゃないかなと思います ありがとうございますありがとうござい ますえお時間になりましたのでえ以上にて 中林様のご講演を終了させていただきます 中様様ありがとうございまし たありがとうございまし
たえ3名の講師の方から大変貴重なご講演 をいただきましたえ本年のシンポジウムの 閉会の準備を行いますのでえ少々お待ち ください 閉会にあたりましてえ湯川正文東京都都市 整備局議会より皆様にご挨拶申し上げます 行官よろしくお願いし ますご紹介いただきました東京都都市整備 局湯川でございますえ本日はご参加 ありがとうございます本日はですね会場に お越しの皆様方それからWebでご参加 いただいてる皆様方合わせて500名ほど の皆様方にご参加いただいております誠に ありがとうございます え冒頭ですねえ動画を見たのを覚えてる方 もいらっしゃると思いますけれども ちょうど昨年が関東大震災から100年と いうことでございましてこの目にあたって 我々で作った動画でございますでその 100年の年が終わって年が開けたと同時 にですねえノの方で大きい地震があったと いうことでございまして私自身もあのこう いった大震災というか あの備というのは気が抜けないなと思った 次第でございますえこの場をおれいたし まして改めて地震で亡くなられた方被災さ れた方にはえお悔みとお見舞いを申し上げ たいと思いますえ本日はですねこういった ノの状況も踏まえましてえ今村様奥村様 それから中林様から貴重なご意見を いただきましたあ発表していただきました え皆様方お1人1人のですね胸に刺さる 色々な発表内容があったんじゃないかなと 思っておりますで今回の新法事務のテーマ がですね都市の事前復興ということで ございますでお話にあった通りですね都市 の事前復興というのはイコールでえ都市に 暮らす人々皆様11人とですね事前復興と イコールであるという風に考えるところで ございますえ皆様方のですねえ災害に合わ れた際 のこととかですねその後の生活の復興とか をですねえ考えるきっかけに今日の シンポジウムがなれば非常に嬉しいと考え ております本日改めましてご参加 ありがとうございまし た湯川官ありがとうございました え最後に事務局からご案内ですえ本日の アンケートにつきまして事前総のメール からアンケートフォームにアクセス いただき是非アンケートにご協力をお願い いたしますオンライでご視聴いただきまし た皆様はZOOMウェビナーからご退席 くださいえまた会場のお越しの皆様 立ち上がる前にお願いですえ出口と
エレベーターが混雑するため順番に体積の ご案内をさせていただきますのでえ少々お 席でお待ちください以上を持ちまして令和 5年度都市の事前復興シンポジウムを陛下 いたしますお忘れ物などございませんよう お気をつけてお帰りください本日は誠に ありがとうございましたそれでは入口付近 のブロックの皆様どうぞご退席 ください JA
100年先を見据えた都市の事前復興
〜切迫する災害を自分事として考えよう!〜
開催日時 令和6年 1月17日(水)
時間 14:00〜17:15
プログラム
開会
東京都知事挨拶
東京都知事 小池百合子
動画上映
関東大震災動画
〜100年先も安心を目指して〜
講演
講演①「東日本大震災の経験と事前復興の必要性」
今村 文彦氏(束北大学教授)
講演②「被災地のリアルと私達ができる取組」
奥村 奈津美氏(防災アナウンサー)
講演③「これからの時代の都市の事前復興」
中林 一樹氏(東京都立大学名誉教授)