【スカッと】定年退職前日に突然の解雇通知。上司「退職金貰えなくて残念だったねw」俺「社長になるのが1日早まっただけですよ」上司
[音楽] 自分がミスしたことも理解できない おいぼれはうちの会社に必要ないすでに 人事にも会議にかけてもらってあんたの首 は決定してるんだよなんと知らないうちに 天然退職間際だった私は朝会解雇処分に なっていたのだった然とする私に上司の 小島はちを かけもらえなくて残念だった ね おもしれえと煽ってくるのだったその 翌日しいと悲しみに打ちひしがれながら 最後の死物整理をしている私の元に1人の 紳士が花束を持って現れた社長だ社長は私 にねいの言葉をかけた後天と地が一気に ひっくり返るよう 驚くべき要件を耳打ちしてき たそれは窮に陥っていた私を救い上げ私を どん底まで落とした藤どもに天罰を与える ような形成逆転を早期させる要件だった私 は驚きの目で社長の顔をまじまじ見返すと 社長はいたずらぽくニっと笑っ た私は川1今年で67歳になる今日は私が 体験した捨てる神あれば拾う神ありを自で 行くような話をしていきたいと思う東北 地方の関村で生まれそった私は農業を営む 両親の元大自然の中でスクスクのびのびと 育った風港名美な山里にある実家だった家 を一歩出れば綺麗な緑に囲まれた世界私の 子供時代は虫取りや魚釣りに夢中になり 時間の経つのも忘れて遊んだものだった家 は決して裕福とは言えない専業農家だった がとても幸福な家庭だった私が覚えている 両親はいつも朝早くから田んぼや畑に農 作業に出ていた小学校は実家から山1つ田 文行のような学校に入学した各学年1 クラスしかない山の中にある学校に片道1 時間山道を歩いて通ったちなみに母校で あるこの小学校は今から20年ほど前に ひっそりと廃校になった今では山奥の アシス的なキャンプ場になっている小学校 への道中通学の行き帰りもカブトムシや クワガを捕まえたり野の中を探検したりと 冒険の毎日で楽しかった小学校での学業 成績は自分で言うのも小がましいが常に トップであり先生からは中一君は村一番の 主催だといつも褒められていたのを 思い出す今と違ってこの多かった私の時代 でさえ1学年1クラスしかなくそのクラス の人数も20人ほどの山の文行でトップ だったからと言って主催も何もないとは 思うが当時の私は先生にそう褒めてもらう たびに鼻高々のいい気分に酔っていたもの だ今思えばこの時温かく褒められて教育さ れたことが俺の比較的大らかで人に優しく
する性格を育む人格形成に多大な影響を 及ぼしていると思うとにかく六家的で 大らかな子供時代を過ごすことができて私 はとても幸せだった中学校は人口5万人 程度の隣町にある中学校まで自転車で片道 1時間かけて通うことになった足が早く リフティングが得意だったことから私は サッカー部に 入部フォワードとして活躍し県大会で優勝 したこともあった中学校は1学年7クラス もある大きな規模の学校だったが私の成績 は学年で常にトップ10に入っていた成績 上位だったので高校進学は当然のように この地法では偏差地トップの県立普通貨 高校に進むのが当然だったしかし私は実家 の苦しい家計状態を知っていたトップ校の 普通過高校を受験すれば 確実に合格する自信はあったが普通日高校 は大学進学をするための新学校だ私の実家 には私を大学へ進ませるだけの経済的な 余裕などどこにもなかったなので私は進路 を普通過高校ではなくその近所にあった 工業高校にした本当は農業高校でも良かっ たのだが親が私に農は大変なだけで儲から ず割に合わないと私を含めて自分の子供 たちには継がせたくないと常々言っていた からそこで手に食をつけて就職でいろんな 資格や実習経験が生きて潰しの聞きそうな 工業高校に進学したのだっ た高校生になった私は進学した工業高校で もサッカー部に 所属1年生からエースストライカーとして 活躍しインターハにも出場した正直一時期 はサッカーでプロを目指そうと考えた時期 もあったがインターハ1回戦で全国的な 強豪校にボロ負けこの苦い経験から自分の 考えの甘さを悟り無謀な考えだったと 思い知りサッカーで食っていく道は あっさり諦めた工業高校での3年間私の業 成績はずっと学年トップであり推薦入学で 地元の国立大学工学部と東京にある中堅 次代履行学部に学校推薦書類申請だけで 入れる資格を得ていたが辞退し た前日の通りうちの実家の家計はとても 厳しく私の4年間の学費と生活費を出せる 余裕などないことを知っていたからだと いうわけで私は高校卒業すると東京に本社 のあるユニコン工業の埼玉工場で働き始め た工場ではアセンブリーラインで機械的に 作業をするいわゆるLINE作業や手作業 で精密な仕上げを行う工程とに分かれてい たが私は長年勤務していたのでそのどちら にも最終工程まで携わった私はこの工場に 就職してからと工場一筋で働き続けてきた 多くの辛いことや苦しいこともあったが
楽しい経験やみんなで1つの製品を 作り上げる一体感を感じたことも数多く あるこの工場の後輩社員だった妻とは26 歳の頃に結婚その後子供にも恵まれ たこの工場に最後まで勤め上げるつもりで 埼玉県に家を購入ししたのは33歳の頃 30年ローンだったそんなこんなで私は この工場でスキルを磨き技術力を高めて いき人間関係を構築しいつしか同僚から 信頼され後輩や部下からは慕われる存在に なっていったそして気がつけば当に60歳 を過ぎ65歳の定年退職も間近に見えて くる年齢になっていた 私がこの工場で働き始めてから早いもので 45年の歳月が流れようとしていたそんな 定年もカウントダウンに入った私が64歳 の新年度本社から1人の上司が移動でやっ てきた 半長靴その社員だった彼は名前を小島と 言った年の頃は30代前半といったところ だろうか東京の世田谷育ちのボンボンで 名門芸大でのエリートだったそんな エリート意識の塊りでプライドの高い小島 は工場勤務の社員自体を思いっきり下に見 ているのが丸分かりだった工場が埼玉に あることも食わないようでよく遅刻をして はこんな埼玉くだりまで果てしない通勤し てるんだから少しの遅刻は多めに見ろよと 現場の社員たちに嫌味な冗談を言うのが常 だったとりわけ古参で学歴も高卒で低い私 への見下しは露骨なもので三川長って45 年もこんな工場勤務してきてるんです ねこんなバエの工場で毎日同じことできた もんですね関心しますよもちろん悪い意味 で飽きれ るっていうかなどと調整して皮肉を行って くるのが常だった私が周囲の部下や後輩 社員たちから慕われてフォローされてるの を見ても小島はあんたが年よりだから みんな気を使っているだけだよ大体うちは 介護施設じゃねえっての などと私を侮辱する味方しかしてこなかっ た私はその都度軽く傷ついてはいたが そんなことは気にすれば霧がないし私1人 が黙っていれば波風も立たないことだと スルーしていたもちろん私に変わって分外 して小島に文句を言う後輩社員もいたでも を花から完全に見している島には鼻で笑っ てあい嫌味の上乗りをしてくるだけの効果 しかもたらさなかっただが感化できない 事故もあった小島は現場の仕事を軽く見て いるせいか現場の交通を無視したような むちゃくちゃとも言える短い納期での仕事 を取ってきて我々現場の人間に命じること も多くなってきた当然現場は混乱した
なぜこんなにタトな後期設定で納期が短い のか私もこの件に関しては多いに疑問を 感じ何度も小島に直家に掛け合いに行った ことがあるでも小島は必ず逆切れし本社の エリートが知恵を絞って取ってきた仕事な んだから工場のお前らは黙って納期に 間に合わせる工夫だけしてろやと追い返さ れるのが常だった結局キツキツの納期に 間に合わせるしか我々には選択肢はなかっ たのだその都度私を含めた現場の人間が 知恵を出し合ってなんとかこれまで現場で 培ってきたそれぞれのノウハウを持ち寄り ながら工夫してしいでいくのが精一杯だっ たにも関わらず小島は現場の員たちに感謝 するそりは一切なく上労働者なんだから ぐらい短いでやって当たり前だろと言わん ばかりの態度だった理不尽で割り切れない 思いだったが本社から工場に来ている小島 に工場の社員があれこれ意見したり信言し たりできる空気でもなくこっちが我慢する よりほかなかったそんな日々は流れていき 私がとして年退職を迎える前の年私はあ 重大なミスを犯した都で小島から責任追求 を受けることになるそれは小島が契約を 新規で取ってきた案件で特殊な仕様である にも関わらず小島が皇帝責任者である私に 渡した使用書はその肝心な部分である特殊 な仕様の説明が抜け落ちているものだった 私は小島に渡された使用書に従って品のを 行い工程を組み上げ製品を作るよう LINE等に指示を与えたそして 出来上がった製品を検品した際に新しい クライアントである契約先からこれでは 特殊な仕様が抜けているではないかと クレームが入ったのであるどこが悪いのか と問われれば小島が本社チームで作成した 使用書が根本的に間違っていたということ が根本原因だっ ただが自分と自分の本社のチームが大きな ミスを犯したという失態発覚を恐れた小島 は事前に手を回し規制事実を捏造したのだ 証拠改ざんを済ました後全部工場の責任と して責任者の私になすりつけてきたという わけだった場長に呼ばれた私は霊の間違っ て書のを話して説明したが工場の手には 小島から新たに渡された改済みの使用書が 握られてい たそうか花から私に全責任かせてとかの しっぽ切りをしたいんだ なそう悟った私は工場長にはそれ以上 申し開きをするのはやめたそして小島の デスクまで行きこのクレームに関して 真実を説明すべきだと詰め寄ったが小島の 反応は全く不なものだっ た俺が指示した証拠があるなら出せよおっ
さん話を作り出すなよ責任逃れしやがって 汚ねえなあろうことかそうどなって逆切れ してきたのだ確かにもう前の使用者の ファイルは視されておらず会社の データベースに入る前に改ざんされていて 元のPDFファイルは工場のPCから綺麗 さっぱりと削除されてい た卑劣な小島はその工作が完了しているの を分かった上で単価を切ってきたのだ私が 悔しさと無念さのあまり黙り込んでいると 小島はにやりとして畳みかけてき た三川長あんたは自分のミスを他人のせい にするつもりかそれがあんたのやり方か 自分がミスしたことも理解できない おいぼれはうちの会社に必要ないすでに 人人にも会議にかけてもらってあんたの首 は決定してるんだよなんと知らないうちに 丁年退職間際だった私は朝会解雇処分に なっていたのだった安然とする私に小島は 追い打ちをかけ退職金もらえなくて残念 だったね おもしれえと煽ってくるのだった結局ミス は小島の指示だったという明確な証拠が 提示できない私はそのまま退職するはめに なっ た長年人生をかけて勤め上げてきたこの 工場をこんな不法意な形で去らなければ ならなくなるとはと思うと情けなくて 悲しくて涙がこぼれた私だった 後日最後の出社をして自分の私物を片付け ていた私の元に1人のスツ姿の紳士が 近づいてきたそれはこのユニコン工業の 代表取り締まり役つまり社長だった工場 勤務の私は本社の社長とはあまり会う機会 はなかったがそれでも全社のパーティーや 定例の報告会などで顔を合わせると 必ずねいや励ましの言葉をかけてくれる 優しい人柄の社長であることは知っていた 社長は私に持ってきた花束を渡す握手を 求めてきたボカンとする私の手を強く 握りしめながら社長は言った三川さん45 年間の長きに渡り工場という現場で会社に 多大な貢献をしてくださってあたに ありがとうございまし た思わぬ人物の思わぬねいの言葉に何の ことやら理解できない私の耳に小声で 耳打ちしながら社長はある要件を追加して 話し続けた耳打ちされながら私は何回も 脱力してその場に倒れ込みそうになった それは全く点同地とも言っていいほど想像 もしていなかった要件だったからだ耳打ち が終わると社長はにこっと満面の笑を 浮かべて私の方をポンポン叩いたじゃあ 明日ね楽しみに待っていますよ年を押すと 社長は去っていったその
翌日東京の本社にある広いセレモニー ルームにおいて全社員向けに配信される 緊急発表が行われた社長はカメラの向こう で生配信を見ている全社員に向かっていっ た私は長い間このユニコーン工業の社長を 務めてきましたがこの度全車の人頭式を 取る社長を知りとくことにしました私自身 は今後会長として会社の行を見守ることに なりますつきましてはまず私に変わって 新しく社長になる を社員諸君にご紹介しようと思いますでは どうぞご登場 くださいそう言って社長が登壇を流した 人物それは何を隠そう私だった私は男女に 上がるとカメラを見据え挨拶したユニコン 工業の5000人を超える全社員の皆様私 が今日からこの会社の新社長を務めさせて いただきます峰川周一でござい ます私が挨拶をすると本社のこの部屋に 集まった社員は元より生配信でつながれた 死者や各工場の社員たちからも一斉に拍手 が沸き起こったそしてこの本社セレモニー ルームの一角には小島の姿も確認できた 小島は私の姿を真っ青な顔でガタガタ震え ながら驚愕に見開いた目で見ているのが 分かったそれもそうだろう自分が確実に首 にしたはずの私が辞めていないどころか 最高経営責任者である新社長に任命された のだ から昨日社長から耳打ちされるまで私自身 が全く想定もしていないことだった社長は 小島が会社で優秀な結果を残していること に前々から大いに疑念を感じていたそうだ 人を見る目には長年の経験からジフを持っ ている社長の目から見て小島は高勝で裏表 のある人格であり容量の良さだけで当たり しているちゃっかりタイプに見えていた からだっ たそれで密かに部下に調査チームを作ら せるなどして年に探っていった結果小島の 仕事ににおける成果は小島自身が出した ものではないことを突き止めていったと いう私や私たち工場で働く講員を始めとし た現場の人たちの頑張りによるものだと 社長は改めて気づいていったらしい中でも 現場の人たちをまとめ自分の技術や知恵を 後輩たちに惜しみなく教えていた私の存在 が全ての成果の源であると論けたと社長は 語った社長はここ数年の間ずっと自分が身 を引きもっと現場に明るくキャリアのある 人物を自分の光景に据えたいと考えてきた その探してきたえがい人材をやっと 見つけることができた爽快な気分になった そうだ現場を誰よりも知っておりみなを まとめて引っ張っていく力を持って
いるのような人にこそ今後の会社を任せ たい社長は力強く私を選任した理由を全 社員に説明し訴えかけたのだ当然小島に 一旦は宣告されていた私の首は向こうに なった社長の話を聞いていた小島の顔色は いよいよ血の気を完全に失い蒼白という より土色に変わっていくのが分かった そして小島はもうこの場にい続けるのが 限界になったのか立ち上がるとよろよろと 足元をふらつかせながらセレモニールーム から出ていったその後私は取締り役会の 証人も正式に得て社長に就任した新社長に なった私のやるべきことは山ほどありまず は車内の仕事の流れ生産流通の流れして金 の流れを1から見直してみる作業を徹底的 にやったその結果小島が上州犯的に行って いた不正が明るみに出た小島は様々な新規 の契約案件に対して密約事項のようなもの を別に作成しており表向きの見積もり書と 実際の見積もり書を使い分けてその差額を 自分が着服していたさらに小島が勝手に 契約納期を早めていて納期を早める分追加 請求しているキックバック料金を全部 分からないように自分の懐に入れていた これらの不正は財務部の不正仲間とグルで 小島が何年も前からやっていたことだった 私は新規の調査チームを組織しこれらの 悪事を全て確実の元にさらした財務のグル の社員が作っていた裏帳簿も出てきたこれ らを暴いた私は小島に朝会解雇を言い渡し 区にするとともに会社名義で告訴した裁判 はまだ進行中なのだが小島に勝ち目はない だろう小島は多額の損害賠償をユニコーン 工業に対して支払わなくてはならないはめ に教えることは確実だと思われるさらに新 社長に就任した私が着手し改革に乗り出し たのは工場や倉庫など下働きの現場の人間 へ一方的に負担が押し寄せる構造を改善 することだったこれは45年の長きに渡り 工場勤務一筋だった私が身にしみて感じて いた会社の不美な点でもあった講員として 働いている時何度ももし私が社長だったら こうするんだけどななどと無双していた ことを今現実として実行できることに私は 無常の幸せを感じる愚直に長年下働きして いた私を神様が哀れんで指命を与えてくれ たのかなとも思うほどだった私の行った 社内改革は多くの社員特に工場で働く社員 たちには大いに喜ばれ大歓迎を受けた 現場の社員たちから峰repli社長体制 になってすごく働きやすくなったといった 嬉しい声をもらうことも増えていったその 結果会社全体の売上も経常利益も大幅に アップし高循環し始めたすると新卒の間で も人気の就活先となり人手が足りなかった
工場や倉庫などの生産物流セクションでも 社員が増えますます仕事料が増え会社の 業績もアップしていくという黄金サイクル に入っていった私が社長に就任してもう すぐ2年が経過しようとしている長い サラリーマン人生の中でなんでこんなに 努力や苦労が報われないんだと腐りそうに なったことも数えきれないほどあった しかし結局人生は長い目で見れば長尻が 合うものだと最近実感している小島の剣に してもあくうまく人を出し抜いて弱りして いても必ず悪字はいつか表に出るので ある捨てる神あれば拾う神ありを自で行く ような体験をした私としては今腐りそうに なっている人でもどこかでちゃんと見てい たり評価してくれている神様はいると信じ て頑張ってほしいと願うばかりだ H
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