【ゆっくり解説】5人の中学生が軽装で向かったのは厳寒の冬山。霧に包まれ方向を見失った結果……「昭和54年 阿蘇山中学生遭難事故」
ご視聴ありがとうございます昭和の事件や 出来事を当時の面で紹介するゆっくり昭和 新聞解説役の霊夢です有名な事件からBQ ニュースまで色々紹介聞き役の魔理沙だぜ 今回紹介する記事は山岳事故です舞台と なったのは熊本県の山熊本県の山でピンと くるのはあさんかなその通り昭和54年 1979年1月の麻さで発生した麻さん 中学生遭難事故ですうわ中学生の遭難事故 か痛々しい感じになりそうだなそうね遭難 から発見に至るまでの経緯もそうなんだ けど遭難した中学生たちの準備や連絡手段 の不美認識不足など防ぐことができたはず の遭難事故であったとも言えます色々と 物議を醸した事故だったってこと かそれでは事故の第一方を報じた記事昭和 54年1979年1月16日毎日新聞長官 をご覧ください中学生5人帰らず玄関の麻 に軽登山15日午後8時40分頃熊本県警 一宮に麻高岳に登った中学生7人のうち5 人が帰らないと家族から届け出があった 同所は同日午10時35分捜索隊13人を 現地に向かわせた登山したのが熊本県大江 3丁目白川中学校の野球部員矢野高弘太田 高一小林飯田久信浦川守田上寺荒木幸夫 いずれも2年の七君野球部登山部いんじゃ なかったのかうん彼らの目的も登山その ものではなくトレーニング体力作りを目的 としたものだったそうなの筋トレ ランニング感覚で1月の冬山に登ったって ことか登山から遭難に至った経緯は以下の 通りです体力作りのため同日午前5時熊本 から記者で宮路駅まで来て東登山口から ロープウェイで登山した午後4時になって やの太田涼君が帰宅したが残る5人が帰ら ず届け出たもの2人の話では高岳頂上で 昼食後午後1時頃全員で下山を始めた しかし間もなく恋切りのため他の5人と はぐれたという7人のうち2人は下山でき たってことかうん2人は登山口で3時間 ほど他の5人が下山してくるのを待ってい たそうなんだけどいつまでたっても姿を 見せないので自分たちより先に下山したの ではないかと判断帰宅したそうなのスマホ もない時代だからな一旦はぐれると合流と かも一苦労だったんだなさてここで軽く麻 さんについての説明を麻さんは熊本県麻 地方に位置する閣下山です麻さんと一口に 言いますが主にあごたと呼ばれるご法で 構成され東西に伸びる連山となっています 最高点は高岳で標高は1592M非常に 広大な面積を誇る山です気軽に登っていい 山じゃなかったその麻さに登山遭難した 中学生5人ですが翌日発見されますですが それは決して喜ばしいものではありません
でした こちらは1月16日毎日新聞夕刊の記事 です玄関のアニ1や中学生2人は投資3人 助かる穴の中歌を歌って頭の熊本県麻高岳 1592Mで熊本市立白川中2年生5人が 15日遭難した事故について熊本県警は 16日も夜明けと共に捜索を再開した結果 午前8時ヘリコプターが中岳南側の砂千里 を自力で下山中の3人を発見救助した3人 は熊本県遊軍一宮町の病院で手当てを受け ているが全員当初を追っているものの元気 残る2人は5人が前夜一夜を送った中だけ 南側の岩影の同穴で倒れ投資しているのを 捜索隊が発見したこの中学生登山は運動部 所属の7人で登山したものだったが軽装の 上悪天校を犯しての冬山登山が犠牲者を 出した見出しにもありましたが遭難した7 人の中学生彼らの装備は冬山登山といった ものとはほど遠く自賛した食料は当日のお 昼に食べる弁当以外に登山口近くの売店で 買ったガムやチョコなどのおやつが少し 日帰りのつもりだったんだろうなさらに ジーパンにフード付きの上スニーカーと いった軽装関東に住んでると熊本県って 温かいイメージあるんだよなでもあさんも 1月の山頂ともなれば気温は結構下がるん だろあさ高岳の山頂は約1600m山頂 付近では積雪が記録されることも当然夕方 以降の気温は標点下になり今回の遭難事故 があった1月15日の最低気温は標点か などだったと記事にありますその山頂で 強風でも吹けば体感温度はマイナ10度 以下にもなりますテントや寝袋は愚か まともな防寒着も持ってないのに5人の うち3人は自力で下山したってのはすごい な彼らが関風吹極寒の山頂付近で以下に 一晩を過ごしたのか同じ日の読売新聞夕刊 の記事からご紹介します玄関の麻中学生 遭難発見後2人が死ぬジーパン運動靴の 軽装洞窟で抱き合い徹夜なんとか眠ない ように必死だったんだな彼らがいかに遭難 から救助に至ったのか生存者の証言が まとめられていますUFを励ましあったが 遭難から助かるまでの模様を3人の話から 総合すると高山頂から下山を始めたのは 15日正午頃登山コースの潜水教を目指し て約2時間岩場を伝えおりた砂戦利が浜 まで来たところで霧が濃くなり23m先も 見えなくなった方向が分からなくなり先を 降りていた矢野太田にはぐてしまった5人 でなんとか降り口を探そうと手探りで歩い たがどこをどう行っているのか分からない だんだん暗くなるどう午後6時半頃だと 思うが岩場に高さ1m幅3m奥行き 1.15Mのホラ穴を見つけた5人が
やっと入れるくらいの広さで窮屈だったが 無理をして入り体を寄せ合って寒さを凌い だ眠ったら助からない効果やピンクレディ のUFなどを全員で合唱し続けた78時間 経ってからだろうか荒木君が眠り出した 頑張れ眠ると死ぬぞと体を揺り動かしたり ほっぺたをひっぱたいたりしたが目を 覚まそうとしなかった浦川君は頭が おかしくなったみたいにホラ穴の入り口 付近など底いら銃を歩き回ったみんなで穴 の中に戻そうとしたが暴れてうまくいかず そのまま気絶して倒れたみんなでホラ穴の 中に運び込んだ停滞音しってやつか でしょうね食料は家から持って出た弁当と 山神広場の店で買ったジュース チョコレートやガムの化類昼食の時 ほとんど食べ尽くしたに30分くらいして ヘリコプターの音が聞こえたこの時初めて 助かったと思い涙が出てきた気軽に入った 山で痛い目にあったというにはあまりにも 残酷な結果になってしまったってことか さて続いてご覧いただくのは1月17日の 朝日新聞熊本版こちらでは登山の危険性を 訴える関係者2人の犠牲者を出した熊本 私立白川は中学校の教師や同級生の声が 記事になっています悲しあ遭難冬山の怖さ も指導を書いていた徹底学校まさか中学生 が文部省は小中学生の冬山登山は現金し 山岳部のある高校の場合だけ重装備をし 顧問を2人け県教育委員会の証人を得る ことを条件に認めている毎年冬休み前に県 教育委員会を通じて小中高校の学校長に 通知し生徒や父母に徹底させることになっ ている熊本県体育保険家の長崎達主持は 校長や担任が収容式やホームルームで生徒 に話し父母にも連絡しているはずだという 小中学校で2学期の終わりに冬休み中の 登山は危険だから絶対だめなんて先生から お話があったってことかルールではそう いうことみたいね危ない場所には立ち入ら ないようにって注意ならあったと思うんだ けどどうかしらね近くに登山できるような 山のない場所で育ったう主だからかもしれ ません記事にあるような注意伝達が学校 からあった昭和キッズの皆さん覚えがあれ ばこコメントにてお願いします白川中の 場合冬休みに入る前全生徒に冬休みの しおりを配りホームルームや終了式で 読み上げたその内容は登山サイクリングや 宿泊を伴う旅行に行く時には計画を変えた 届でしを出すことなどこの場合の登山とは 初日で拝に行く程度の意味と同行では説明 する本格的な登山じゃなくても学校に届け でろってことか記事だけを見れば学校では 生徒に対して注意換気を行っていたって
ことになるわねところがです遭難した生徒 たちは学校には計画書出さず家族に足腰を 鍛えるための自主トレーニングに行くなど と話して出発家族も冬山登山が禁止されて いるとは知らずに送り出していた最初の 記事紹介でもあったけど遭難した中学生 たちは友人同士で野球部ハンドボール部員 だったそうです部活のトレーニンググって ことで日常の延長って認識だったんだろう な亡くなった2人の同級生の様子がこちら の記事泣き崩れる女性と荒木君浦川君なぜ 死んじゃったの16日午前10時過ぎ熊本 県大江3丁目私立白川中学に2人が死亡と の連絡が入るとクラスメートの女子生徒 たちが廊下や体育館などの片隅に固まって 泣き崩れた学校側の話によると2人とも橋 にかかったことがあるだけで健康そのもの 荒木君はスポーツは何でもこなし浦川君は 野球が得意2年生のある女性とはスポーツ が得意であんなに面白かった浦川君たちが 死んだなん信じられないと流れる涙を拭う ともせず話していた生地の左側の写真は 見出しの通り泣き崩れる女性とたちの様子 ですいつものことながらここまで記者が 入り込んで撮影できた昭和のすごさ よ昭和54年麻さん中学生遭難事故紹介は 以上になります今でも事前の準備不足や 冬山の危険性の認識不足などにより学生 だけでなく年配の登山者であっても遭難 行方不明といった事故はついでいます ネットで気軽に登山情報が手に入る時代 だけに登山は気軽にできるものなんて考え で山に入ってしまう人も多いんだよなこれ は他の遭難事故動画でも言ってるけど家で 待ってる家族のことを考えるそれだけで 安全な行動を心がけることができると思う のよねみんなも事前準備とし調べ安全と 慎重その上で楽しい登山をということで 今回の解説はここまでになります今回もご 視聴感謝ですご意見ご感想があれば コメント欄にお願 それではまた次回の動画でせいのバイ バイ
★関連動画
「昭和38年愛知大学山岳部薬師岳遭難事故」
「昭和55年逗子開成高校八方尾根遭難事故」
※関係者の名前は一部仮名になっています。
☆使用画像素材
いらすとや
Pixabay
☆使用BGM
魔王魂
ニコニ・コモンズ
☆参照資料
朝日新聞
読売新聞
毎日新聞
19件のコメント
九州という土地柄も油断になったかな?
他の遭難チャンネルよく見てますが
時折舐めプしてるとしか思えない装備で登って遭難する人がいます
一番思い出深いのが
2000m級の雪山に
ビーサン短パン薄いTシャツでロープウェイで登ってきて
係員が体を張って止めようとしたが強行突破して入山
登り始めて1時間も経たないうちに岩場で足を切って身動きが取れなくなり遭難要請
救助隊が現場に着くが本人不在
捜索が数日続いたある日の事彼は発見された
いたのは現場から1キロ以上下の沢の横
恐らく要請したが自力下山を決行し斜面で転倒して滑落した
その後いよいよ動けなくなり携帯も圏外
万策尽きての低体温症による凍死と断定されました
みなさん、山を舐めてはいけませんよ
事故の概要を知って真っ先に思ったのはこの頃のスポ根漫画の修行の定番と言えば雪山だったなということ
中学生だと憧れちゃうかもしれないな…
7:54
冬休み前の注意と言えば「建物の軒下で絶対遊ばないこと」が冬ならではの注意でよく覚えてます(山形県)
九州は冬でも気候は暖かいけど 山となると別
登山に行く時に親は何も言わなかったのか?
冬山登山は遠足気分で行くと危険⚠️
凍傷も酷くなると
凍傷部分を切断しなきゃならない場合もある
日帰りって💦
温泉に行くんじゃ無いんだから😅
ただでさえ冬山登山なんて危険なのに、素人の、それも中学生だけで行くなんて無謀にも程がある
トレーニングをするんなら、もっと低い山とか広めの公園でやればよかったのに
教員の引率・指導のひどさが原因の遭難事故はたまに聞きますが、これは違うようですね。
学校行事で地元の有名な山に登るのを転勤先で聞いたことがあり、中国O県だと大山、頂上までとのこと。四国では石鎚山など。関東C県出身なので驚くことしきり。慣れ親しんでいるのか山に抵抗がないのでしょうか。余談ですが、このときは読売朝刊4コマはアサッテ君、このあとすぐコボちゃんでしたか。朝日はフジ三太郎、うちはインテリ家庭ではないので読売でした。
この少年たちの通っていた中学の近くに昔住んでいましたが、熊本市内は盆地であることから冬はかなり底冷えします。
九州も南部を除けば東京と寒さは変わらないと思います。ちなみに私の通っていた小学校は近くに暴力団関係の事務所や風俗街があるため長期休みの前には「暴力団の家の前で紙鉄砲を鳴らさない」
「大人の遊び場にはいかない」などのお達しが毎回ありました。「大人の遊び場ってどんなところですか?」と男子が聞いて先生がお怒りになるまでがお約束でした。
仮に自分が遭難して無言の帰宅をしたとしても、クラスの女子達は泣いてくれない気がする
「何で死んじゃったの?」って、ただの思慮の浅い無謀な若さの為せる業だよな
”無鉄砲な元気”のある男児なら誰しも小中学生の頃に一度や二度はやらかすムチャな冒険
ただまぁ、チャレンジする目標が高すぎたり運が悪かったりすると命を落とすってだけで
そうやって適度な間引きをしながら同世代に教訓を残すのが人間社会ってもんよ
冬山登山を禁止って学校が教えることなのかな?
毎週末スキーをし下校後スケートをする盛岡居住時、親から「冬山だけは登山しちゃダメ」とニュースの度に言われ続けました。
福島居住時吾妻連邦遭難事故があった時は、風が強い地吹雪が裾野から目視出来る尾根を登山することが危険と子どもにも理解出来ました。
盛岡の冬休みは長くて「つららがある場所は歩いてはいけません!」と先生から教わりました。
低学年だったから具体的に説明してくれたのだと思います。
今でも九州平野部に積雪があるとニュース映像では無邪気に雪遊びする子供の映像が流れるからなあ
経験頻度の違いとかで寒さとか雪に対する感覚がやっぱり違うんだと思う
親は止めなかったんだ
どうして この声
普通の声がいいかも
生き残った中学生たちは現在は60〜70歳くらいか、、、UFOを歌いながら途中で低体温症になる日のが出てきたり壮絶すぎる。
彼らのその後は山の安全とかに関わる人はいたのかな。それともやはりもう思い出すのも辛くて避けるようになるかな、、
冬山ゆうて阿蘇だし、装備がまともなら遭難するようなことはねえやろww
この手の話聞くと山の神信仰もなるほどなぁと思う。中学生の彼らには、お悔やみ申し上げます。
わしの元上司が登山が趣味で、若い頃に冬山に単独でチャレンジした時、猛吹雪でホワイトアウトしてしまって予定していた山小屋に辿り着けず、仕方なくその場でビバークしたら翌朝は快晴で、その5メートル先に目指す山小屋があった、という話を笑い話としてしてくれたことがあったけど、よく考えたら洒落にならない話だよな。冬山侮るべからず。
なんで本当のことを親に言わずに出発したのかな?トレーニングにしては服装に違和感を親は感じなかったのかな?
昭和や平成初期まで、マジでスポーツや健康面の根性論が最悪だった
体が弱い人間には生存権含めて人権がなくて、立場が弱い人間にも発言権含め人権がなくて、しかも頑丈で健康な人間も敢えてボロボロに破壊してそこから自己再生能力で超回復して生き残った者だけが合格点いや及第点だ甘えてんじゃねえよクソムシが、と、扱われる鍛え方が実状だったな
精神面の根性論がなんとかなり始めたのは平成中期から平成の終り頃にかけてで、それも改善はじわじわとだったな
そんな時代だからやってしまったんだろう、そんな鍛錬法を