お散歩。バットの森までの道:震災遺構大川小学校【字幕設定あり】
2024年1月7日 日曜日 石巻市大川小学校震災遺構です ここはグランド。午後15時、いま16分ころです。 今から、この第2次、当時ですね、2021年…間違た。2011年3月11日の震災発生、地震発生当時の第2次避難場所となった グランド。児童が集まった場所から、本来避難場所にしておくべきだったと 仙台 高等裁判所で評価されたバッドの森まで歩いてみたいと思います 向こうが、海が 約3.7km先に、海があるということ で、 避難経路はこのようになります。 当時は実際には、あの、周りにいっぱい住宅があって。 今見えている建物は当時の「交流会館」があった場所に「伝承館」という建物、震災のいろんな記録を今、展示している 建物が新しく建ってます。 ここに、地面が(縦長に)少し色が変わってるのは、学校の自転車置場とフェンスの間にこの ような幅の、通れる道があって、 ここから道路 に出られたということです。 当時はこのまままっすぐ進んだ らしいんですが。今日はバットの森まで道を歩いていきます。 ちょっとこの時点で1分40秒になってしまった 電池が持つかな もう、当時あった家はもう全部流されて今は なくて、きれいになってます きれいと言っていいのか 見えてるのが、新北上大橋(しんきたかみおおはし)。 震災・・・、2011年の震災当日には、この新北上大橋の対岸側(反対側)が、津波に流されて、 落ちてしまった、なくなったということです。 そして 、海の方から津波に流されて来た、いろんな松林のガレキとかがですね、 新北上 大橋にぶつかって、そこで溜まっていたと、 溜まっていたもの(ガレキなど)が、今行くこの三角地帯から、学校の方になだれ込んで、 さらにこの陸の方からも、あとから津波が来て、 大川小学校の校庭の辺りで、合流して渦を巻いたという証言が残っ てます。 当時の津波に巻き込まれた児童たちは 今歩いてる道ではなくて、 あの辺りを、こう、 行き止まりで行けなかったらしいんですけど、こういう風に歩いてきて 三角地帯に 向かっていたのだそうです うん、校庭から少しだけ上に上がったっていうだけで、全然、高いと思えるような 場所じゃないです。三角地帯は。 なぜここに来たのか。なぜここに避難しようとしたのかは、今、伝承館の係りの人に聞きましたが、 わからない と、それ謎だ、ということでした。 ここが三角地帯ですね。信号機があって1234、4本の 道路が交差してます 新北上大橋 左側には、えーと、裏山?・・・、学校の裏山から 続いているこの山の急な部分が見えてます。 北上川が見えていて、
北上川のすぐ隣をこの 富士川という小さな川が並行して走っているという地形的な特徴があります。 ここを歩いていくと、バットの森にたどり着くと伝承館の係の人が言っていたので、 たどり着くまで歩き ます。 はい、ここにもう1つ小さな橋があるん ですよね。 これが富士川を渡る橋なんだと思いますけども。 これは富士川ですね。たぶん。 今歩いてる道はさっきの三角地帯から少し下り坂になってます。 下り坂になって いるので、三角地帯を超えた波が、津波が、もちろんここにも押し寄せたということです やはり、ここは低い場所に、三角地帯よりも低い場所になってるので、 ここを歩いてる途中に津波がもし来たら、 津波の被害に遭ってしまうと判決文で書かれている場所を、今歩いています。 ちょっと早足で歩いちゃったかもしれない。 子供が歩くくらいだから、もうちょっとゆっくりかな。 とは言っても、避難してるんだからもう少し早く歩いてもいいかもしれないですけどね。 片側1車線の道路です。 歩道はあります。こういうふうに。ちゃんと。 まだ下り坂です。 長い下り坂になっています。 左側には学校の、大川小学校の裏山の山が続いている、その山だと思いますが、 こんな感じで山があるんです。 あそこに水門らしきものがあるので、富士川の上流にある、富士沼の水門かな? この道は、大人がたぶん、横2列になって十分歩ける幅があります。 子供だったら3列に なっても歩けるのではないかなと思います。 ああいうところにも、なんか簡単に登れそうな斜面があったりして、 もしここ で「津波が来たぞ」ってなったら、左の山の方に逃げることもできるのではないかと思います。 ちゃんと録画できてるかな? まだ下り坂になってますが、 下りの傾斜は非常に緩やかですね。ほとんど平坦と言ってもいいかもしれないんですが、 横を見ると・・・、その・・・、後ろを 見たり・・・、平坦かなほとんど。 若干の下り坂になってるような気がするんですが。 えーと、で、ここかな? こ、こ、ここか? バットの森 あれ?間違ってんのかな? バットの森この辺だと思うんだけど。 さっきの係の人、なんか、「損害保険の看板があるよ」って言ってて、 JA共済のことかな? だとしたらここじゃんね。 えっとここは、全く舗装されてない、こういう道ですが、全然歩けはし ます。 歩くのに全く問題はない道だと思うんです けど・・・ ちょっと間違ってるか な? どう だろ ちょっと草ボーボーだなこの辺。 バイクとかオフロードバイクとかで走りに来るんだったら、
すごい、いい場所かもしれませんね。こういう林道。 だいぶ今、この道を登ってきていて すでに10m以上は登ったんじゃないかな? うん。登ってます間違いなく、10m以上は。 あ、ここかな? この先はなんか 行き止まりになっているようです。 左に来た道を、こう左に切り返すと、もっと上に登る道がありますね。 落ち葉がいっぱい。 道として特別整備はされてないですが、 全然歩きづらいというわけじゃはないです。 靴履いてれば普通に上がれ ます。 裸足だったら、ちょっと、うん、ちょっときついかな。 ここかな? なんか、ちょっと広がった場所があって、 もっと登ると、こうなってるのか。 あそこになんか 山の頂上に来たわけではないんですが、 中腹にだいぶ高い場所が・・・ 看板がある! 「バットの森」って書いてるわ。 ここだ。 はい、バットの森に来ました。 ここが仙台高等裁判所の判決文で大川小 学校の危機管理マニュアルに第3次避難場所として記載しておくべきだった場所と評価された、 認定された場所です。 うん、すごく広いわけじゃないんですが、 児童74人、78 人くらいかな、が来ることは全然できるくらいの広さはあると思います。 また、大川小学校に 避難していた住民の方も一緒に来ていて、総勢100名を超えていたとしても、 全く狭くはないです。 下にかなり下がった場所に、道路を見下ろすことができて、 もう10mどころか20m 、30mか、それ以上はあるかな? 40mは言い過ぎかもしれません が、 そのくらいの高さがある場所です。 こう、もうちょっと奥行ってみようか。 なだらかな斜面にはなってるんですが、全然危険ではないです。 ただ、もちろん避難場所に指定されていないですので、 屋根がついて壁があるような避難施設とか食料、水の備蓄があるような場所ではありません。 あ、これ植樹したやつかな? 「贈呈 クリの木 80本」 これが、その贈呈したクリの木が育ったものなのかな? 葉っぱが全部枯れていて、これ がクリの木なのか、今、私には分かりませんけども。 バットの森 「なんとか木バットの森」 「実りの里(山)創生事業」 実りの里(山)創生事業のために、平成19年11月1日、宮城県石巻市が主催して、ここバットの森に植樹がされたということだと思います。 今、これを読んでる時点で16分、大川小学校から色々話しながら歩いてきて16分半が経過していますが、 全然間に合いますね。
津波が、地震発生から津波が到達するまで、大川小学校 に津波が到達するまで50分を要したということですから、 ここまで私の大人の足で10・・・、えーと、たぶん、急げば10分くらいかな。 子供だったら・・・、子供でも10分、15分くらいでは来れるのではないでしょうか。 足の不自由な高齢者 が一緒に避難してきていたとしても、津波が来るまでには十分間に合うのではないかなと思いますし、 どうしても歩くのが遅い、歩けない高齢者がいる場合には、 大川小学校にはスクールバスが待機していたということですから、 スクールバスにその足の不自由な方を乗せてここまで来ることは十分可能だったのではないかなと思います。 これまだ上に行く道がありますね。 あんまり行くと遭難し ちゃうかもません私は。 こういう黄色いものがいっぱいあって、 黄色いものがあって、これがたぶん植樹した印なのではないかな。 この辺からちょっと石が多くなってきますね。 あんまり奥に行くと野生動物が出てきそうで、ちょっと1人では危険を感じますけれども。 はい、ここまで来て、ここから先はですね、かなり、道を木が、小さい若い木が、塞いでいて、 まだ奥に行くことはできるんですが、はい、まだ奥があります。 あそこまで行く? せっかくだから行くとこまで行くか。 行くとこまで・・・ ここは人が来る場所じゃないかもしれないけど、一応道にはなってます。 道にはなってるんだけど、行く意味はなさそう。 ちょっともう帰らなきゃいけない 時間だし、帰ろうかな。 痛て、なんか、ちょっと、この辺は本当に全く、うん、全く、たぶん、 人が入ってないせい か、 地面にあるものが足に突き刺さったりもするので、もう帰ります。 もしかしたらこの山を抜けて向こう側の、あの反対側に出る道なのかもしれませんが、 そうだとしたら・・・ うん、どうなんだろ? 先ほどの杭にはクリの木80本贈呈と書かれていましたが、 明らかにですね、80本を超える木が、この黄色い印が植樹の印だとしたら、80本超えてるんじゃないかな? ということは、その80本の贈呈の杭の後か前に、もっと植樹は、本数が植えられていたんじゃないかなって考えます。 景色はいいです。 遠くに北上川。 あちらが、なんだろう富士沼かな? 下にちょっとした建物「なんだあれは?」も見えます。 もし事前にここを第3次避難場所として指定しておけば、 ここに簡単なプレハブ小屋を設置したり、食料や水、仮設トイレなど備蓄しておくというスペースはあると思います。 私はそのような防災、備蓄に関する専門家では ないので、厳密には分からないんですが。 これさっき の看板。 十分な広さがあると素目では見えます。 はい、じゃあ、大川小学校に帰りましょう。 いま1月7日ですので、落ち葉がいっぱい。 ここにはまた別の杭があるな。 平成19年・・・ 植樹の「植」っていう字があるので、これも植樹の何かの杭だと思います。 あぁ・・・ あぁ・・・壊しちゃった。 壊した・・・!?
まずい か・・・? 空缶が錆びついて、誰かが捨てたのかな? こういう人里離れたような・・・、人里はそんなに離れてないですが、 そういうところで、こういう人が残したゴミを見ると 「ゴミ捨てんなや(-_-メ)」って思うんですけど、 「あぁ、人がいた んだ」という意味では、なぜか安心感もちょっと感じますね。 矛盾・・・ はい、下り坂。 上 下 いま大川小学校出発してから、だいたい20分・・・、22分です。 全然間に合う。 えっとどっちだっけ? こっち、こっちじゃない、こっちか。 バットの森に行ってみました。 十分な高さがありますし、小学生というか幼稚園生とか保育 園児でも十分登れる場所だと思います。 ただ、靴を履いてないと、ちょっと足の裏を痛める可能性はあります。 大小学校に当時・・・、大川小学校のグランドに避難した児童の中には、靴を履いてなかった方もいらっしゃった・・・、いたようなので、そこは心配しますが 教職員の方が教室に戻って児童の靴を探して持ってきてくれたりもうしたみたいですから、 バットの森に来るということが事前に定められていれば、 靴を用意してここに来る余裕はあったのではないかなと思います。 じゃ帰りますか ここはほぼ平坦。 平坦ですよね。 帰りは少しゆっっくり目に歩いてみます。 帰りの新幹線、間に合わないな。 小学校の目線だと、こんな感じなのかな。 ちょっと低め。 あ! 栗がある! ってことは、やっぱり 栗!? 栗林なのか!?近くにあるのは? Oh、栗・・・ たぶん・・・、ちょっと駆け足で来たら、大川小学校から5分くらいでバットの森に着くんじゃないでしょうか。速い人だと。 遅くても、10分くらいでは着いたのではないか? したがって、危機管理マニュアルにバットの森を記載してそこを避難所としておく ということは、十分できた。 もし津波が来ると予想してれ ば。 事前に予想して危機管理マニュアルを練って、作っていれば、 ここを避難場所にするという考えは・・・ バットの森を避難場所にするという アイデアは、十分浮かんだのではないかと思います。なぜならば・・・ 大川小学校の裏からはずっとこの裏山が・・・、山があるんです ね。 この・・・、後ろが向こうの方に向かって・・・、向こうにはトンネルがあるんですが、 そっちに向かってずっと山があります。 その山に登るというアイデアは、津波から逃れるためには当然あったはずです。 それは、大川小学校のすぐ裏にある、歩いて30秒くらいで行ける裏山っていう、もちろん、案もありますが、 そこは、あの、土砂災害が 発生する地域・・・、エリアとして指定されてあったので、
危機管理マニュアルに避難 場所として裏山を書くことはできないとしても、 その裏山から続いてるこの一連の 山、 その中でも児童たちが行ったことがあっ て植樹もしたことがあった先ほどのバットの森を第3次避難場所として記載しておくということは、 全然無理じゃない。 できた。 と、いま行って思いました。 ただ、それも、大川小 学校に津波が来ると予想してればっていう前提があるんだということかもしれ ないんですが、 大小学校は標1m・・・50cmでしたっけ? 1m10何cmかな?の場所に あるので、 やはり 「校庭に避難してるだけでOK」 というの は危機意識があまりにも低すぎたのじゃないかなっていうふうに、今となって私は思い ます。 当時の教員たちも、そのような「感覚としての危機感 」はあったようです。 北上・・・、新北上大橋のたもと 三角地帯まで戻りました。 ここにも津波が来て、たくさんの瓦礫がこの三角地帯に、震災直後、地震直後、上がってきている記録写真があります。 30分経っちゃった汗 この交通標識には「大川中学校」って書いてあるのか。 わ、露出が。 三角地帯から新北上大橋、 そして北上川と 大川小学校、現在は震災遺構を見下ろすことができます。 あれが伝承館。元々「交流会館」があったところ。 大川小学校 震災遺構 大川小学校 現在は遺構 あれは相撲する場所の壁 (※実際はこのカラフルな壁は「野外ステージ」。相撲場はその右隣にありました。) あそこに見えてるのが、裏山ですね。 裏山。あそこまで登ることができます。 あそこには津波が来ません。 あそこの白い 、なんかこの白い印が、ここまで津波来たよっていう印で、 上にはコンクリート敷で人が 登れる場所がありまして、 震災前からあのコンクリートのタタキ、コンクリート敷はあったという記録が残っていますので、 裏山に避難することも実は非常に簡単にでき た、です。 海抜 1m12cm 大川小学校の校舎は丸い形をモチーフとして作られているモダンなデザイン これ教室 ですが、丸い・・・、上から見ると丸い形をいくつかに割って教室を作っています。 いま映してる場所は1階で、1年生と2年生の低学年の教室があった場所 で、中に少し・・・、ここは以前は庭だった、花壇とかがあった場所だと思いますが、 こう見ると、今度は、こう、弧を描いたように中学年高学年の教室が入る校舎っていうのが、
先ほどの低学年の校舎の外側を覆うように、 ここで繋がってるんですが、 1階と2階に分かれて、弧を描くようにあります。 非常に、なんか明るい雰囲気 窓は、あちら南側ですね。 南?南側かな?南は・・・ 南はあっちか! そして今、海の方角に向かって倒れているこの構造物は、 2階から、校舎2階から繋がっていた体育館への通路。 ガラスの覆い、ガラス張りになっ ていたそうで。 空中を歩くような感じで校舎から 体育館に移動できた場所です。 体育館の屋根は全部津波に流されています。 (※映っているのはプールの前の壁です) 体育館・・・の・・・屋根・・・? (※左の建物はプールの前の壁) こっちは何だっけ?・・・うん・・・? (※これが体育館。ほとんど流され消失している) でここにはカラフル な・・・ 壁ですね。内側が、なんか、エンゲイ場の・・・演劇場のような感じになってて、 で向こうに、裏山に登る道があって、 コンクリート敷 ちょっと、もう帰んなきゃいけない ということで 大川小学校~バットの森までの道~ でした
2024年1月7日にまつざきが撮影した動画を無編集でアップしました。
2011年3月11日14時46分に発生した「東北地方太平洋沖地震」、災害名「東日本大震災」。
宮城県石巻市の釜谷地区にあった大川小学校では、児童74名、教員10名が津波の犠牲となりました。
大川小学校の裁判の動画はこちら
※学校等で授業の参考資料に用いるなど、動画リンクの共有はどなたでもご自由にどうぞ。
#東日本大震災 #地震 #津波 #大川小学校 #石巻 #震災 #遺構 #バットの森
23件のコメント
みなさん、おひさしぶりです。
しばらく動画投稿できておらず申し訳ありませんでした。
この動画は、以前アップしていたような裁判や事件紹介のスタイルと違って、あまり面白みはないかもしれません。
投稿再開の1発目ですが、2024年1月1日に「令和6年能登半島地震」が、翌2日にはJAL機の衝突事故が発生したことを受け、防災について東日本大震災(2011/3/11発生)から学ぶことがまだまだあると思ったので、撮影した日(2024/1/7)のうちにアップしました。
スマホで撮影しました。
お久しぶりです🤝
まつざき先生。ずっと待っていました!!!投稿ありがとうございます!!
元気そうでよかった
突然来る天災はいざとなるとどうしたらよいか判断出来ないです。私も阪神淡路の震災にあいました。戦争や色々体験した母から幼い時に色々語ってもらえてたのでたすかりました。今私が子供達に語って覚えていってもらえたらと😊先生ありがとうございます
まつざき弁護士の動画大好きだったので、投稿嬉しいです!
通知オンにしていたので、新着に見つけてテンション上がって、すぐ目が覚めました😊
防災について家族で度々話題にして、準備していた所でした。
また動画、ショート楽しみにしています😊
長くお待ちしておりました^_^
ずっとチャンネル登録していて、良かったー。お元気そうで何よりです😂
おかえりなさい。これからも動画あげていただけると嬉しいです。
石巻出身です。大川小学校に寒い中ご来訪頂きありがとうございました。
22:58 「全然間に合う」に泣けました
関東平野と違い、登りやすい小さい山はいっぱいあるのに、あったのに。
お久しぶりでございます。松崎弁護士も投稿するなって注意喚起されたのかと思ってました。また投稿することがあれば勉強させてくださいね!
久々の投稿嬉しい!
松崎弁護士がご無事で何よりです。
久々に動画見れて嬉しい限りです!
たくさんの方が被害を受けたそうで…ご冥福お祈り申し上げます…
大川小の動画、本当に神作でした!涙止まりませんでした!
自分は松崎弁護士の動画で大川小の悲劇を知り、色々と調べるきっかけになりました。
これからも応援してます!!!
東日本大震災から2ヶ月後に父親と宮城県気仙沼市の災害ボランティア活動に2回行きました。
現在は動画のように道路などが整備されていますが、2011年5月は悲惨な光景が広がっていました。
散乱する瓦礫・家があった土台・鉄骨がむき出しになった役所があったであろう場所・津波でひん曲がったJR気仙沼線の線路など…
当時中学1年の自分は絶句しました。それでもボランティアという形で貢献したいという思いがあり頑張れました。
震災からもうまもなく13年。今でも3月11日が近くなると、夢には震災当時見たあの凄惨な光景が出てきます。
まつざき弁護士、お元気そうで良かったです!
まつざきさんの動画は度々見てるので、また落ち着いたら動画投稿お待ちしております!
まつざき弁護士の動画、待っていました。大川小学校の事件の動画もまた見直しました。バットの森を避難所に定めて置けば亡くなられた児童もまだ生きていたでしょうね。天災だけど人災、、、
日本中、いつどこで大地震が来るか分からない。誰もが普段から想定して備えなくてはだめなんですね。
お久しぶりです!
動画復帰嬉しいです🎉
これからも動画の形はどうであれ頑張ってください!
お久しぶりです
久しぶりに声を聞いたら元気そうなのでよかったです
まつざき先生、お久しぶりです。
久々にお声を聞くことができてとても嬉しいです。
大川小学校についてはまつざき先生の動画で初めて知りました。
今回の動画では、弁護士としてだけでなく、人として、この事件に真摯に向き合うまつざき先生の姿勢が感じられ、感動しました。
いつもありがとうございます。
また投稿を楽しみに待っております。
お久しぶりです!ニュースや文字で読んだことはありましたが、実際に歩く様子を見ると胸が痛みます
初コメです あけましておめでとうございます
元旦に能登半島で大地震がありましたが 松崎さんは大丈夫ですか
松崎さん、久々の投稿嬉しいです!
このチャンネルのおかげで法律や弁護士さんに興味を持てました。また投稿を楽しみにお待ちしております。
このチャンネルはとても有意義な動画がたくさん投稿されているので、無理のない程度に投稿していただけることを視聴者として願っています。