私が育った日本の街、私が愛する長野県諏訪市、私の第二の故郷。
私は8歳の頃にこの諏訪市にやってきて、ここで12年間の歳月を過ごした。
あの当時は山に囲まれた日々が、東京に行くのに片道4時間も掛かることにうんざりしていた。
だけど、この町を出て、埼玉県に移り住んでからは心の中で大きな何かが欠けていた。
山が見えない日々、自然が無い灰色の空、私は心細かった。
そしてその日から10年が経った日に再びこの諏訪市に戻ってみると町が大きく発展していたことに驚かされた。
この町で育って本当に人生で最大の経験を得たと思っている。
自然と文化に恵まれたこの土地で私は子供時代にとても大きな経験を得た。
赤とんぼを手で捕まえたり、草笛で遊んだり、川で遊んだりして、
仲間たちと自転車できつい川の坂を草むらの中で駆け抜けたり、川の周囲の石だらけの土地で自転車でマウンテンクロスで遊んだり、みんなで限界まで自転車で走ってレース競争をした日々。
学校では稲を植える経験をしたり、馬に乗ったり、手打ちそばまで作ったんだぜ?
最高の街だよ。
ガラス博物館があったり、ここで私は多様な工場経験を得た。
14歳で中学校卒業して社会人として仕事を始めた。
そりゃ親父どもに影響されて14歳で煙草も吸っていたけど、
ある日警察官に止められて「そのタバコは誰のなんだ?」と聴かれて
考えるまでもなく自然に「俺のだけど?どうした?」と聞き返すと警察官もあまりの正直な即答に感心して、「私が働いたお金で購入したものだ」と語ると、警察官は煙草を踏み潰すように命じずに肩を叩いて見逃してくれた。
そうだよ、あの日はまだ若い14歳だったが、自分の人生を背負っていた社会人だ。
私は日本語名で名付けてくれた小学校の先生を第二の母だと思っている。
とても感謝している。
卒業以来、彼女と偶然再会した日は一度だけ、不思議なことに彼女の誕生日は私と同じ日であり、こっそりと”松下”先生にプレゼントを渡すと彼女からはドラえもんの高級な鉛筆削りのプレゼントを貰った。
最高の先生だったよ、いつの日かもう一度彼女に会いたいな、今はもう無理だけど。
この町は私の生きてきた日本の街の中では最高の”日本一の街”だ。
風になびく稲の葉は美しい自然の踊りを見せてくれる。
美しい風景、自然豊かで豊かな環境、川で泳ぐメダカ、蛍までまだ存在していたんだ。
美しい巨大な湖、涼しい風、真っ青な広い空と山々の力強さ、所々に真っ赤なリンゴと黄色いかりんと紫のぶどうだらけになる。
秋には真っ赤な紅葉の紅葉と黄金に輝き風に揺れる稲、
まるであの映画のグラディエーターを経験したような感じだ。(グラディエーターが麦畑の中を歩くシーン)
春には町中に桜が開花して、夏にはどこでも梅だらけになる。
ちなみに多くの人は食ったことはないだろうが、梅漬けしていない梅の味は普通に桃の様な味がする、普通にフルーツとして食べられる。
信州の歌、日本の本当の文化に触れた。
夏には田んぼが蛙のオタマジャクシ、オニヤンマ、トンボのヤゴ、バッタ、毎日一晩中に鳴き続けるヒキガエルの合唱と静かな夜の演奏をする鈴虫たち。
何というかけがえのない人生経験を手に入れたんだ俺は?
のんびりとした日常を、静かな平和の日々と充実した日常を求めるなら、他に場所はない、絶対に一度、長野の諏訪市に行ってその新鮮な空気を肺いっぱいに吸って自然を味わうべきだ。
素晴らしい街、御柱祭りと日本一の花火大会はこの地でしか見られない。
私はこの信州の国、諏訪市を心から愛している。
どうもありがとうSUWA!!
これからも緩やかなこの町の発展を願う。